『放浪記』で一躍文壇の寵児に躍り出た女流作家・林芙美子。奔放に生きてきた人生を写すが如く、原稿用紙に向かっていた。世間の風は戦争へ突入すべく、日増しにきな臭さが強まりはじめていたそんな中で、芙美子は人生の切り売りだけで小説を書くことに行き詰まりを感じていた。そして、時流にあわないという理由で出版した本が発禁処分されてしまう。
芙美子につきまとい、金儲けを企むプロデューサー三木孝は、"戦さはもうかるという物語"と芙美子を刺激、説得し、従軍記者へと仕立て上げていく。そして、内閣情報部と陸軍部から派遣され、太鼓たたいて笛ふいてお広目屋よろしくふれまわる物語を書くために、シンガポールやジャワ、ボルネオと従軍した林芙美子が目のあたりにしたものは、国土拡大を大義名分にした、日本軍による東アジア侵略であり、暴挙であった。
戦後一転として、まるで贖罪するかのように『浮雲』や『めし』など、わたしたち普通の日本人の悲しみを、生活を、ただひたすらに書きつづけた、作家林芙美子を描いた音楽評伝劇です。
大竹しのぶ、木場勝己、梅沢昌代、山崎一、阿南健治、神野三鈴、不動の六人の俳優と朴勝哲のピアノ演奏に、井上ひさしがあつく信頼をおいた栗山民也が演出の腕をふるう、井上流音楽評伝劇の金字塔がよみがえります。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
私たちは、人を泣かせたり、笑わせたりしている会社です。
座付作者井上ひさしに関係する作品のみを専門に制作、上演しています。
1983年1月に創立し、84年4月『頭痛肩こり樋口一葉』公演で旗揚げ。
以降、新作、再演、こまつ座旗揚げ以前の井上作品も織り交ぜて、出演者・スタッフとも作品ごとに依頼し、その作品だけの一座を組むプロデュースシステムをとり、年平均4~6作品(200~250ステージ)を上演し続けています。
青年・津島修治の嘘に爆笑し、作家・太宰治の真実に涙あつく溢れる、あの評伝劇が、演出鵜山仁と精鋭揃いのスタッフ、実力派キャストで甦る。昭和五年春。東京帝国大学に合格した青年、津島修治のちの太宰治。「この世が今のような涙の谷であってはならぬ。われわれはこの世から涙を退治する民衆の友でなければならぬ」と帝大生の佐藤、早大生の山田、三人は生涯の友情を誓い合う。そこに青森から大地主である津島家の番頭、中北が
河上肇の登場しない井上ひさしの「貧乏物語」社会問題としての資本主義・・・「貧乏ってなに?」と問う人すべてに捧げる可憐な女性六人の事情と人生。時は大正5年...第一次世界大戦の好景気の最中、誰もが少し浮かれて、本当の''貧乏''を見ようとしなかった時代に、ベストセラーになった河上肇の『貧乏物語』。 その河上肇の周りには、こんなにも素敵な女性たちがいた。私たちはおんなじ問題の前にいる。こまつ座24年振
こまつ座「戦後"命"の三部作」の記念すべき第一作。魅力あふれる新しい俳優を迎え堂々上演。
昭和庶民伝三部作 第一部
昭和庶民伝三部作・第一部 紀伊國屋書店創業60年記念提携公演昭和15年の浅草。小さなレコード店「オデオン堂」に4人の家族と二人の間借り人が仲良く暮らしていた。しかし、陸軍に入隊していた長男の正一が脱走して「非国民の家」扱い。追手がかかり憲兵が住み込みで見張りをする始末。ところが長女・みさをがたくさんの傷痍軍人と交わしてきた文通ハガキの中から選んだ源次郎と結婚するにいたって、今度は一転「美談の家」に