舞踊
アーカイブのみ

村へ帰る

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Photo:テス飯島
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村へ帰る

ニューヨークのバレエ教師クビノ氏は、紙を丸めて空中にほおり投げ、「これがバレエだ」と言った。自然の落下そのもののことを。レッスン帰りにオペラハウスの噴水前で踊ったものだ。笛を吹くのは仕事も家もないその日暮らしの自然食主義者。彼の生活が自然の生活ならば、やはり重すぎる。自然を一向によくわからないままに、その美しさに感嘆し心がやわらぐ。キドラない、ガンバラない踊りを踊りたい。それは自然か、不自然か。

デジタルアーカイブデータ

利用方法/利用条件について
映像管理者
若松美黄・津田郁子自由ダンス
収録日
1976/11/8(Mon)
権利処理状況
アーカイブのみ

作品情報

上演情報
1976/11/8(Mon)~1976/11/8(Mon)読売ホール(東京都)
出演者・
スタッフ
出演
若松 美黄(若松美黄・津田郁子自由ダンスカンパニー)
出演
津田 郁子(若松美黄・津田郁子自由ダンスカンパニー)
出演
自由ダンスカンパニー(若松美黄・津田郁子自由ダンスカンパニー)
作・演出・振付
若松 美黄(若松美黄・津田郁子自由ダンスカンパニー)
作・演出・振付
津田 郁子(若松美黄・津田郁子自由ダンスカンパニー)
音響
山本 直
舞台監督
居上 貞之
装置
前田 哲彦
美術
森 荘太
製作
太田 創
受賞歴など
昭和51年度文化庁芸術祭優秀賞
その他
映像は全編を通したリハーサル。

上演団体情報

若松美黄・津田郁子自由ダンス

団体詳細・作品一覧を見る

前衛的な踊りで知られた津田信敏に師事した若松美黄と津田郁子が設立した「若松美黄・津田郁子自由ダンスカンパニー」が、1969年の「回復路線」を皮切りに2009年の「笑いの箱」まで毎年42回連続して行った公演。そのうち「ふり」「村へ帰る」「暗黒から光へ」「ジーキル博士とハイド氏の寓話」が文化庁芸術祭優秀賞を受賞している。

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