アダムとイヴは蛇に勧められ知恵の実を食べ、神の怒りを買う。楽園を追われた人類は、知恵により世界を創り、楽しい都会の生活がもたらされる。
人間は変化・進化するが、異常者も生む。暴行を受けた少女は精神を病み両親は苦悩する。医師団はアダムとイヴ、蛇の二重性を持つ。
療養の地で少女は蛇を踏み、ショックから快方に向かう。
蛇の助けで知の世界に帰る…神話が現代に再生する。人間の喜びが自然と混じりあって表現される。
前衛的な踊りで知られた津田信敏に師事した若松美黄と津田郁子が設立した「若松美黄・津田郁子自由ダンスカンパニー」が、1969年の「回復路線」を皮切りに2009年の「笑いの箱」まで毎年42回連続して行った公演。そのうち「ふり」「村へ帰る」「暗黒から光へ」「ジーキル博士とハイド氏の寓話」が文化庁芸術祭優秀賞を受賞している。
ダンスがみたい!
大学卒業後53年。一日に1~2回は笑うから、合わせて四万回近く笑った勘定になる。その笑いを棺に詰めあの世に旅立つ人生を考えています。(若松談)自由ダンスを提唱する若松の、エッセイ風なダンス。地蔵像の前の踊りから始まり、歌あり、詩の朗読あり。客席やバックヤードで弟子達が合唱する。「歌って踊るというのではなく、人生のあがきでもあります。少し言いたいことがあるプリコラージュな身体」夕焼けの中で、一人踊る
タビネズミは異常発生が起こると集団で移動し、時に河などで大量死するという。これは繁殖を適正に調整する淘汰の一種との説をも生み、人類の文化史観に影響を与えている。作品はタビネズミにおける死の舞踏を描く。異常発生の中、突如、舞踏狂が巻き起こる。盲目のネズミ(若松)を除く全群が乱舞し、嬉々として川に飛び込み溺死する。佇む盲目のネズミ。一転、人間に変身。場面は街角。傍らを、幼児の手をひく妊婦が通り過ぎる。
日本の舞踊では、舞・振・踊りと三本の柱にたとえられる分極がある。「ふり」は、その振を本来の意味のダイナミズムに開放したいものとしてつけられた公演名。服部公一作曲の本公演オリジナル曲を含んだ楽曲を手塚幸紀指揮のオルケストル・ソノーㇽ(録音素材)、美術を当時新進気鋭のジェームス・川田が担当。ダンサーは女性10名、男性12名で、衣装はシンプルなレオタード、タイツであった。
開けてはいけない箱を誘惑に負けて開けてしまったパンドラ。箱から飛び出した災いと希望が現代の芸能界を舞台に繰り広げられる。不幸、病気、欲望、絶望、嫉妬などさまざまな災いに見舞われる人々。どん底まで落ちた人々にも最後の最後には必ず希望がある。それぞれの災いを乗り越えて希望へとたどり着く人々。