1991年2月4日、早朝。
天草・鬼木岬の民宿。一人の男が変死体で発見された。年齢は68歳。男は毎年この日、民宿の主人と二人「椰子の実」の歌を歌い、たおれた戦友を弔ってきた。
県警による捜査が開始された。自殺か他殺か。疑いは連れの女、二人を追ってきた妻、そして民宿のすべての人々に向けられる。
千田夏光氏の作品をもとに、あの戦争体験を若い世代に語り続けてきた瓜生正美が贈る社会派推理劇。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場
1964年日本新劇界のパイオニア、秋田雨雀と土方与志に戦後教えを受けた俳優・演出家が中心となって結成。今日の社会を描く現代劇の創造を進める一方、青少年のための優れた演劇の創造を追求し、2024年には創立60年を迎える。また、小劇場企画として「戦後日本演劇が生み出した秀作」の掘り起こしにも挑んでいる。現在、年間3~4回の東京公演及びスタジオ公演、50~100回の地方一般公演など一般観客を対象とした公演と、年間100回程度の学校公演や子ども劇場での公演、文化庁委託「舞台芸術による子供の育成総合事業」公演など、年間200回近く、延べ観客10~15万人という公演活動を行っている。近年は学校での公演数が減少の傾向にあるが、様々な公演の形を追求し、青少年劇場公演の充実に努めている。また、1978年には「夜の笑い」と「かげの砦」の舞台成果に対し、第13回紀伊國屋演劇賞団体賞受賞。1980年「夜の笑い」がフィレンツェ第13回国際演劇祭に招聘され参加。2002年「17歳のオルゴール」で、アシテジフェスティバル・イン・ソウルにフリンジ参加。2005年「銃口~教師・北森竜太の青春」で韓国14都市を巡演(日韓友情年記念事業)など、国際交流にも努めている。 劇団構成は20代から80代まで、劇作家・俳優に加え、制作部門や演出部門の専門家約20名も有し100名近いメンバーが年間を通して演劇活動に従事している。
わずか一週間で草案を作成したGHQ民政局員たちがいた。ジャズの名曲にのせて描く日本国憲法誕生の舞台裏。1946年2月4日、東京日比谷のGHQ(連合軍総司令部)の一室に集められた25名の民政局員は、22歳のベアテ・シロタをふくめ20代から50代の多士済々。機密厳守の命令の下、直ちに立法、人権、天皇などの7つの小委員会に配属される。今、まさに日本国憲法を生み出す作業が始まろうとしていた!2015年、別
万事不器用なピエールとおきゃんなポーランド娘マリー。名もなく貧しい二人が、パリの古びた実験室で出会い、世界に羽ばたくまでの、笑いと奇知と恋に彩られた、てんやわんやのコメディ。1990年度、モリエール最優秀作家、演出家、装置家、私立劇場演目、各賞受賞の傑作喜劇。
1951年、瀬戸内の小島。広島で被爆し九死に一生を得た栗原学は、教師の仕事を続けながら将来のことを思い悩む。朝鮮戦争の軍需景気に支えられている島の生活。同僚や東京で働く同級生の言葉。そして教え子の存在…。1957年に劇団民藝で上演され大きな反響を呼んだ傑作を、青年劇場ならではのアンサンブルで、さわやかに描き出す。
青年が死んだ。死因は心臓マヒ。26才、未来産業としての原子力にあこがれ、原子力発電所に就職して、七年目の死だった。息子はなぜ死んだのか。母親の、なりふりかまわぬ追求で知られていなかった事実がつぎつぎと浮かび上がる…。息子を思う母親のひたむきな愛があきらかにした原発の真実!1982年には福島や新潟、福井をはじめ、原発所在地や建設予定地など、日本縦断公演を実現。