秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場
1964年日本新劇界のパイオニア、秋田雨雀と土方与志に戦後教えを受けた俳優・演出家が中心となって結成。今日の社会を描く現代劇の創造を進める一方、青少年のための優れた演劇の創造を追求し、2024年には創立60年を迎える。また、小劇場企画として「戦後日本演劇が生み出した秀作」の掘り起こしにも挑んでいる。現在、年間3~4回の東京公演及びスタジオ公演、50~100回の地方一般公演など一般観客を対象とした公演と、年間100回程度の学校公演や子ども劇場での公演、文化庁委託「舞台芸術による子供の育成総合事業」公演など、年間200回近く、延べ観客10~15万人という公演活動を行っている。近年は学校での公演数が減少の傾向にあるが、様々な公演の形を追求し、青少年劇場公演の充実に努めている。また、1978年には「夜の笑い」と「かげの砦」の舞台成果に対し、第13回紀伊國屋演劇賞団体賞受賞。1980年「夜の笑い」がフィレンツェ第13回国際演劇祭に招聘され参加。2002年「17歳のオルゴール」で、アシテジフェスティバル・イン・ソウルにフリンジ参加。2005年「銃口~教師・北森竜太の青春」で韓国14都市を巡演(日韓友情年記念事業)など、国際交流にも努めている。 劇団構成は20代から80代まで、劇作家・俳優に加え、制作部門や演出部門の専門家約20名も有し100名近いメンバーが年間を通して演劇活動に従事している。
17才の友子は脳性麻痺で自分で動くことはできないが、両親や兄、ボランティアで唯一の友達の静香に囲まれて平穏に暮らしていた。ある日、友子の前に光という少年が現れる。夢…、初めての恋。母の心に戸惑いが、静香の心に嫉妬が芽生えようとしていた。「命」、「生きること」の大切さを描き、2005年まで合計440回の全国公演を続けた作品。2002年、アシテジ・フェスティバルinソウルにフリンジ参加、世宗文化会館で
「ハインリヒ、お兄ちゃんが連れていってあげるよ。ハインリヒが大きくなったら、あんちゃんと一緒に月に行こう、ね。」幼い日の弟との約束―。やがて大学へ進んだ彼は師・メストリンと出会う。「科学技術の発達が地球を狭くする。国境をなくすために助け合える時代がもうすぐやってくる。そのための天文学が必要なんだ!」ヨハネス・ケプラーは決意する。あこがれの宇宙の真実を知るために、愛する家族を守るために…。1999年
東北のある中学校。生徒数11人、1年生から3年生まで1クラスの障害児学級。新学期を迎え、新しく担任となった谷川はこのクラスの自由奔放さが、勝手気ままな規律のない生活としか映らなかった。“かげっこ”と陰口をささやかれながらも純真に精一杯生きていく生徒たちに触れる中で、谷川も子供たちへの理解と愛情を深めていった。そんな時、普通学級に移った君枝のクラスで盗難事件があり、君枝が心無い詰問を受けていることを
第二次世界大戦末期、日本の刑務所で、ある看守が殺された。新任の若い看守が殺人犯の捜索にあたる。殺された男の服のポケットには一編の詩が入っていた。その詩を書いたのは尹東柱(ユン・ドンジュ)、刑務所の囚人だった。男はなぜその詩を持っていたのか?誰がなぜ男を殺したのか?韓国の国民的詩人として愛される尹東柱の最後の日々を想像力豊かに描いたイ・ジョンミョンの小説を、日韓の演劇交流を続けてきたシライケイタ氏の