TV、映画、舞台で大活躍の若手実力派俳優として定評のある佐野史郎。
TV『ずっとあなたが好きだった』で"冬彦さん"なる流行語を生み出した彼の原点は舞台である。
劇団シェークスピアシアター、劇団状況劇場で演技の真髄を体得し、林海象監督の『夢見るよう
に眠りたい』で映画デビュー。
その後は独特のキャラクターで、またたく間に個性派役者の仲間入り。
最近、本格的に舞台活動を開始した佐野史郎。劇作家、竹内銃一郎と組んで1995年に『月ノ光』、
1996年に『チュニジアの歌姫』と立て続けに話題作を提供。
今年43才になる彼は心身とも油が乗り切った時期。
そんな時期に、師匠にあたる唐十郎の作演出での一人芝居。
1960年後半に彗星のごとく登場し、常に演劇シーンをリードし、話題を投げかけてきた唐十郎。
時代を鋭くえぐり出し、幻想的な空間を紡ぎ出す舞台の魔術師。
唐十郎が主宰していた「劇団状況劇場」から輩出した役者は、麿赤児、根津甚八、小林薫という面々。
紅テントを引っ提げてアジア、中近東、国内を巡演した状況劇場の伝説は今もって熱く語られている。
そのメンバーの一人として若き演劇青年であった佐野史郎も参加していたのである。
その当時、佐野史郎が眼にし感じたことが、彼の芝居の核になっていることは間違いない。
1970年『少女仮面』で岸田戯曲賞受賞。1978年『海星・河童』で泉鏡花賞受賞。
1983年『佐川君からの手紙』で芥川賞受賞。
唐十郎の濃密な超現実世界はとどまるところを知らない。
演劇・舞踊・音楽など既成のジャンルにとらわれず、観る側と、創る側がお互い夢を持てる舞台を創作し、届けたい。心を伝えられる企画・舞台創造・プロデュースを目指しています。平成6年6月、現代創作劇を創造活動の柱に演劇制作を開始。以降、旬の作家、俳優を起用し毎年2,3本の創作劇を中心にプロデュース公演を企画制作。全国ツアーを展開している。平成9年、次代を背負う若き演劇人発掘のため、オーディション選抜の「新人公演」を制作。また平成12年からは海外公演も積極的に取組み、文化交流を進めている。
1997年度の演劇界は鐘下辰男の歳であった。「PW PRISONER OF WAR」「温室の前」「仮釈放」「どん底」の演出で、第5回読売演劇大賞の大賞・最優秀演出家賞を受賞。「仮釈放」が同賞で優秀作品賞を受賞。また第三十二回紀伊國屋演劇賞個人賞を文学座に書き下ろした「寒花」他で受賞。演劇集団THE・ガジラを創立して十年、鐘下辰男が描く日本人像の輪郭がようやく見えかけたといったところである。日本人い
ルー大柴の魅力は、日本人離れした破天荒な演技ではなかろうか。そのルーツは、高校卒業後にヨーロッパ、アメリカをヒッチハイクした経験から来ているのであろう。路上で馬の釘を加工して、アクセサリーを売りながらの生活はどんな役者修行よりも貴重な体験だったに違いない。帰国後、役者を志し勝新太郎が主宰する勝アカデミー第一期生として小堺一機らと一緒に勉強をする。その後、アンダーグラウンド劇等を経て、関根勤の「カン
昔一人の歌い手がいた 歌を愛し歌に愛された彼女 だが戦争が彼女から歌を奪おうとした 歌い手とその歌にほれ込んだ仲間たちは誇りを胸に皇軍尋問の旅に出る 歌に生きた一人の女とその歌を愛した人々の物語
グループ会社をいくつも持つ名家の洋館。2年も消息が途絶えている行方不明の夫。彼を待ち続けるその妻と息子。夫の弟は、もう帰って来ないだろうと妻に告げた。夫の弟は、兄の会社の代表に就いた。息子には恋人がいたが、母親は彼女との結婚を許さなかったあるとき、夫の友人だという男が訪ねて来る。夫の消息が次々と明らかになってく……。現代人の持つ危うさを浮き彫りにする傑作サスペンス。