濡れ濡れべたべた この町の実在する小都市が雨にけぶる。近代とは、限りなく現代に近い過去。足元を水が流れる。調査によりますと、わが啄木研究会の温度は、全国平均より三十五%も高い。湿気の主な原因は、工藤一先生のよだれ、寝汗、つばき、たん。しかし、なんといっても最大の要因は雨。工藤一に雨が降る。石川啄木の本名も、一。はじめの一歩。啄木は七つになるまで、母方の工藤姓を名のった。しかし、こちらの工藤一、七つの年はもうとっくに過ぎている。彼のまわりをとり囲む、否、不、未、予、異、留と名乗る七人の女たち。「啄木研究会」 まとわりついて見えかくれするナゾの女。その名も勝子。勝子は子奴?、勝子は老婆?それとも『ワーニャ叔父さん』のエレーナ?啄木と同じ澁民の出身で、啄木研究会をメシのタネにしているあやしげなる男、工藤一。彼は何者なのか?彼は啄木?この混沌たる世界に流れる、書割りの三行詩。行間を流れつたう血みどろの短歌。それはあやまちであったのか。あやまちの中に立ちつくせないのか。お前はまぎれて行く。その傷あとなしに、どうしてお前はお前であると知るのだ。人ひとり得ることがかなわなかったお前。お前を得ることがかなわなかったお前。お前はいったい誰なのだ!
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
劇団文化座は戦時下の1942(昭和17)年2月26日に結成される。同年4月第1回公演梅本重信作『武蔵野』で旗揚げ。敗戦間際の昭和20年6月、日本の現代劇の紹介という名目で満州に渡り2か月後に敗戦を迎え、一年間の難民生活を経て帰国。以来、「戦争と日本人」にこだわった作品、日本の底辺に生きる人々に寄り添った作品、現代を映す鏡となる現代劇を生み出し続けている。
「汝殺すことなかれ・・・また、おのれの如く汝の隣人を愛すべし」このイエスの言葉を素朴に信じて召集を拒み、戦争に反対した片倉友吉。彼は、名もない一介時計工場の労働者である。だが、大戦の遂行か下にあっては言うまでもなく非国民扱いであり、死よりも過酷な罵倒と拷問と脅迫が彼を待ち受けていた。さらに彼だけにとどまらず、周囲の人達をも巻き込んでいった。父は自殺、弟は職を追われ暴死。そして母親が、妹が、友人たち
中国地方は、三次盆地の一寒村—―。十六歳のセキが、この地で「流れ者」と呼ばれている茂市のもとへ嫁いできたのは、明治29年の初夏の事であった。郵便配達人をやっていた茂市が、大地主の七敷の家に奉公に上がっていたセキを見初め、「おまえ、わしと連れなうきがあるか」とその思いを告げたのがきっかけだった。しかし、それは決して周りから祝福されたものではなかった。親代わりというべき七敷の家からは縁切りされての嫁入
今も昔も津軽富士、お岩木山は津軽の衆の守り神。おいわきさんのそれはそれは大きな池がありました。戦乱の世が続き、織田・豊臣・徳川と天下が移り変わるなかで、平穏だったこの土地にもさまざまな人やものが流れ込んできました。ところで、この池に住む「てながえび」のてはどうしてこんなに長くなったのか――。この池にやってくる人間や、池に棲みついた「あししばり」という妖怪が登場する幻想的な物語は、なんとも愉快なほの
感動の浅田次郎作品、初の舞台化! 「鉄道員(ぽっぽや)」「壬生義士伝」「蒼穹の昴」など数々のベストセラーを世に送りだし幅広い年齢層の人々に圧倒的な支持を受けている浅田次郎氏。その作品群の中でもひときわ光彩を放つのが「天国までの百マイル」です。同作品はすでに映画化、ドラマ化されています。そして今、文化座が挑む初の舞台化。親子の深い絆、男女の切ない恋、そして人と人との出逢い。<愛と勇気と再生>の物語を
