時は江戸末期から明治にかけて。常陸の国の水呑み百姓・仙太郎はあまりの凶作に年貢の減免と取立の猶予をお上に訴えるが、この地の有力者・北条の喜平はそれを許さず、彼を村から追い出してしまう。復讐を誓った仙太は江戸で剣法を学び、博徒となって故郷へと戻る道すがら、ひょんなことからとある茶屋で頼まれごとをされ、それをきっかけに水戸天狗党絡みの騒動へと巻き込まれていく。仙太の剣の腕と男気を目の当たりにした党から是非同士にと勧誘を受けた仙太は、党の斬り込み隊長として次第にその名を高めて行く......。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
劇団文化座は戦時下の1942(昭和17)年2月26日に結成される。同年4月第1回公演梅本重信作『武蔵野』で旗揚げ。敗戦間際の昭和20年6月、日本の現代劇の紹介という名目で満州に渡り2か月後に敗戦を迎え、一年間の難民生活を経て帰国。以来、「戦争と日本人」にこだわった作品、日本の底辺に生きる人々に寄り添った作品、現代を映す鏡となる現代劇を生み出し続けている。
1985年秋、原発にほど近い若狭の寒村・冬の浦。突如アメリカからやってきた娘キャシー・マクレインの出現で村は俄かに活況を呈する。キャシーの母・松宮はつ江はアメリカに渡って結婚し一児を得たが、やがて離婚、娘を残して行方知れずになっていた。その母に会いたくて彼女は母の故郷を訪れたのだった。人ともすぐ打ち解け、フィリピンから来この村の嫁になっているホキとは大の仲良しになる。そして何よりはつ江の父、つまり
3・11後、ぼくに出来る、無理のない支援はないものかと思い続けた。二年後の東北を歩き、いまだ津波の残した災害の激しさ、なまなましい景色を眼の前にした。そこで、津波に呑まれて亡くなった人たちの幽霊が、生き延びた人たちを慰めていた話を聞き、ぎりぎりの救いまでも消えていくように、幽霊も出なくなって寂しいという老人のこころに語りかけたいと思った。一人芝居でその悲しみと希望を描けないかと思った時、佐々木愛さ
七十年前、「聖戦」の名のもとに起こった日本の侵略戦争によって、町から村から男たちは戦場に駆り出され、多くのものが閃光のようにその命を散らした。女たちに残されたものは一通の手紙と、はるかな苦難の道だった。 戦没農民兵士たちが生前、家族にしたためた真情あふれる手紙と、若くして戦争未亡人となった女たちが、歩まざるを得なかった苦難の道を語った証言を、一人の語り手と三人の兵士に仮託して構成された朗読劇。語り
中国地方は、三次盆地の一寒村—―。十六歳のセキが、この地で「流れ者」と呼ばれている茂市のもとへ嫁いできたのは、明治29年の初夏の事であった。郵便配達人をやっていた茂市が、大地主の七敷の家に奉公に上がっていたセキを見初め、「おまえ、わしと連れなうきがあるか」とその思いを告げたのがきっかけだった。しかし、それは決して周りから祝福されたものではなかった。親代わりというべき七敷の家からは縁切りされての嫁入