時は江戸末期から明治にかけて。常陸の国の水呑み百姓・仙太郎はあまりの凶作に年貢の減免と取立の猶予をお上に訴えるが、この地の有力者・北条の喜平はそれを許さず、彼を村から追い出してしまう。復讐を誓った仙太は江戸で剣法を学び、博徒となって故郷へと戻る道すがら、ひょんなことからとある茶屋で頼まれごとをされ、それをきっかけに水戸天狗党絡みの騒動へと巻き込まれていく。仙太の剣の腕と男気を目の当たりにした党から是非同士にと勧誘を受けた仙太は、党の斬り込み隊長として次第にその名を高めて行く......。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
劇団文化座は戦時下の1942(昭和17)年2月26日に結成される。同年4月第1回公演梅本重信作『武蔵野』で旗揚げ。敗戦間際の昭和20年6月、日本の現代劇の紹介という名目で満州に渡り2か月後に敗戦を迎え、一年間の難民生活を経て帰国。以来、「戦争と日本人」にこだわった作品、日本の底辺に生きる人々に寄り添った作品、現代を映す鏡となる現代劇を生み出し続けている。
母の名は春、七十八歳。娘の名は秋、五十六歳。元映画女優の春は、生きることに奔放で、自由を謳歌して暮らしてきた。そんな春に振り回されてばかりだった秋。今日も今日とて、春が救急車で病院に運ばれたという報を受け、慌てて駆けつける秋。だがそれもまた、目立ちたがり屋の春の狂言だったのだ。あっけらかんと笑う春に、怒り心頭の秋。そして、いつものように母と娘の壮絶な口げんかが始まった。そんな二人の姿はまるで二人だ
栃木から上京し旅館で女中奉公をしていた戦中、彼女には仄かに思いを寄せる陸軍少尉がいた。タヅは自分の気持ちを殺し、思い合っていた少尉と同僚とよの間を取り持とうと腐心していた。しかし少尉はサイパンで戦死する。その後タヅは結婚するも、夫は戦災のところに入り浸るなど、不幸な結婚生活を送る。二人の娘を授かるも夫は病死、女手一つで育て上げた。そして現在。タヅは何を思ったか、新婚4カ月で亡くなった次女の亭主・和
3・11後、ぼくに出来る、無理のない支援はないものかと思い続けた。二年後の東北を歩き、いまだ津波の残した災害の激しさ、なまなましい景色を眼の前にした。そこで、津波に呑まれて亡くなった人たちの幽霊が、生き延びた人たちを慰めていた話を聞き、ぎりぎりの救いまでも消えていくように、幽霊も出なくなって寂しいという老人のこころに語りかけたいと思った。一人芝居でその悲しみと希望を描けないかと思った時、佐々木愛さ
瞽女(ごぜ)は、「盲御前(めくらごぜん)」という敬称に由来する日本の女性の盲人芸能者。近世までにはほぼ全国的に活躍し、20世紀には新潟県を中心に北陸地方などを転々としながら三味線を弾き唄い、門付巡業を主として生業とした旅芸人である。1919年(大正八)年。高田市大瀧山天林寺では、瞽女たちの年に一度の祭りともいうべき妙音講が執り行われていた。儀式も終わり、瞽女たちが無礼講となっている中、境内の影に身
