1985年秋、原発にほど近い若狭の寒村・冬の浦。突如アメリカからやってきた娘キャシー・マクレインの出現で村は俄かに活況を呈する。キャシーの母・松宮はつ江はアメリカに渡って結婚し一児を得たが、やがて離婚、娘を残して行方知れずになっていた。その母に会いたくて彼女は母の故郷を訪れたのだった。人ともすぐ打ち解け、フィリピンから来この村の嫁になっているホキとは大の仲良しになる。そして何よりはつ江の父、つまりキャシーの祖父・清作との出会いは村人たちを驚かせた。偏屈で通っている政清作はアメリカ人と結婚した娘・はつ江を勘当同然にしていながらキャシーにはすぐに心を開いたである。やがてはつ江の居所もわかって…。そんなキャシーと日本行きの飛行機に乗り合わせた一組の夫婦がいた。芦田孝二・富美子夫妻は遠く離れたアメリカで出逢い結婚、仕事も順調で彼の地で平穏に暮らしていたが、人生の折り返し地点に来て望郷の念止み難く、老後を過ごす場所を探す目的もあった。夫婦はキャシーの一人旅を気遣いつつ自分たちの旅を続ける。しかし冬の浦に行ってキャシーに会いたいという富美子に対し、原発に近い冬の浦行きを逡巡する孝二。また因習が支配し苦い思い出の残る孝二の故郷・丹後への道のりは二人の心を荒立たせる。そして二人は富美子の母・工藤くめが住む若狭の楢沢へ向かうのだった…。交錯する二つの旅。変容してゆく日本で彼らは何を見、何を感じたのか――。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
劇団文化座は戦時下の1942(昭和17)年2月26日に結成される。同年4月第1回公演梅本重信作『武蔵野』で旗揚げ。敗戦間際の昭和20年6月、日本の現代劇の紹介という名目で満州に渡り2か月後に敗戦を迎え、一年間の難民生活を経て帰国。以来、「戦争と日本人」にこだわった作品、日本の底辺に生きる人々に寄り添った作品、現代を映す鏡となる現代劇を生み出し続けている。
新しく日本の元号が変わって、昭和という時代はまたひとつ過去の時空へ遠のいていった。昭和……大きな敗戦を経験し、復興を果たした日本人は、ついに高度経済成長期を迎えて、めまぐるしく変貌した。この作品は、そんな反映と華やぎの陰で、じくじくと己れの肉体を蝕まれ、生命さえも脅かされた人々の声なき声を描いていく。
昭和もまだ穏やかななりし頃、東京は下町、老舗の飴菓子製造販売店「ささなみや」放蕩者の主人・久四郎は一向に店を顧みないばかりか、外では一体何をしていることやら。でも元気で働き者のお内儀・ちからによって何とか店は切り盛りされているようです。どんなことが起ころうと持ち前の負けん気の強さで吹き飛ばしていくちから。しかし時がたつにつれ、戦争に向かって世間の雲行きも怪しくなってきました。店は勿論、成長した子供
母の名は春、七十八歳。娘の名は秋、五十六歳。元映画女優の春は、生きることに奔放で、自由を謳歌して暮らしてきた。そんな春に振り回されてばかりだった秋。今日も今日とて、春が救急車で病院に運ばれたという報を受け、慌てて駆けつける秋。だがそれもまた、目立ちたがり屋の春の狂言だったのだ。あっけらかんと笑う春に、怒り心頭の秋。そして、いつものように母と娘の壮絶な口げんかが始まった。そんな二人の姿はまるで二人だ
20世紀の幕開き、ある英国貴族軍人と日本人女性の間に芽生えた愛。それは20世紀の激動の時代に翻弄され、数奇な軌跡を辿っていった……十数年前に発見された、英国軍人から日本人女性に送られた日本語による千通に及ぶ手紙をもとにNHKラジオの特別番組「日本人になりたかった男」が放送されたのは昭和62年夏。大きな反響を呼ぶ。そして、二人をめぐる家族の物語として「ピーチブロッサムへ」が出版された。1902年「憧