舞踏家・大野一雄が100歳を迎えた2006年10月から1年間は「大野一雄 100歳の年」として展覧会や公演など世界各国で様々な100歳を祝うイベントが開催された。中でもガラ公演「百花繚乱」にはピナ・バウシュの映像出演を含め国内外から実に23組の踊り手が集結、2日間にわたり密度の濃い舞台が繰り広げられた。両日ともカーテンコールには大野慶人の押す車椅子で大野一雄が登場した。
以下は、第二夜の出演者とその作品名。
藤間多紅「平成萬歳」 / 創作ダンスひまわり会「茜いろに燃える炎、変幻」(振付 山口直永) / 遠藤公義「家路」 / ケイタケイ「米を洗う女」(音楽 辻幸生) / 高井富子「大野一雄に捧ぐ」 / イズマエル・イヴォー「As Galinhas」(雌鶏) / 天児牛大「HIBIKIより」 / ピナ・バウシュ ヴッパータルタンツテアター作品特別編集映像「大野一雄さん江」 / 笠井叡「死と乙女」(生演奏 ピュルラ弦楽四重奏団) / 観世榮夫「卒塔婆小町」(笛 一噌仙幸、小鼓 大倉源次郎) / カルラ・フラッチ「イサドラ・ダンカンへの思いの中で」から・「運命のダンス 3つの小品ソロ」(生演奏 フランチェスコ・ソディーニ) / 大野慶人 / 大野一雄舞踏研究所研究生
1949年大野一雄現代舞踊第一回公演を機に設立され、1961年に横浜市保土ケ谷区に稽古場が建設された。以来、大野一雄、大野慶人の創作の場として数々の作品を生み出すと共に、公演、ワークショップ、出版などの事業主体となって活動の基盤を担ってきた。
大野慶人を被写体とする16ミリフィルム映像。2018年に大野慶人宅で発見されたものだが、撮影の経緯など詳細はわかっていない。無音の映像で、制作途上のフィルムである可能性もある。1969年に開催された大野慶人ソロ公演のポスター写真に衣装とメークが酷似しており、公演を準備している時期に鎌倉の海で撮影されたものではないかと推測されている。
舞踏の最初の作品とされる「禁色」初演から50周年を記念して、大野一雄フェスティバル2009にて同作を徹底解剖した三日間の第一夜。モダンダンス時代の土方巽と共演した小原明子をブラジルから招き、「禁色」前夜の情景を探った。アフタートークあり。
劇団民藝の北林谷栄を中心に活動していたと思われる「しのぶ会」第2回にて、大野一雄が2作品を踊った。「一艘のカヌー桜の木の下を往く」は白石かずこの詩を下敷きにした作品で、この年の2月にあった江口隆哉の追悼公演でも上演している。リスト作曲「愛の夢」は主に大野一雄の代表作「わたしのお母さん」の最後に踊られるが、一曲踊るという機会には度々選ばれた曲である。
「微妙なバランスが崩れてしまうこと、そこからダンスが始まる。わたしは感覚を凍らせる眩暈を愛している。ポーの小説『メエルシュトレエムに呑まれて』の漁師のように、眩暈の世界に身をゆだねたい」。大野一雄フェスティバル2013参加作品。