戦争の惨禍を通し人間の悲喜劇を描いたゴヤの版画から着想を得た「サイレント・オペラ」。ヒトラー政権下のユダヤ人迫害を題材に作曲されたライヒの「Different Trains」が使用され、踊り手達は椅子に縛られたままで、運命は変えられないことを暗示する。終わらない惨劇に目を向けるためにも、こういう作品が必要だと古川が指摘している。
Act 1:朝(使用曲:スティーヴ・ライヒ「Different Trains」―1.アメリカ-戦争前 2.ヨーロッパ-戦時中)
Act 2:昼(使用曲:スティーヴ・ライヒ「Different Trains」―3.戦後)
Act 3:夜(使用曲:ロッシーニ「セビージャの理髪師」)
舞踏家・振付家・演出家。74年から78年まで大駱駝艦に参加、75年には同門の田村哲郎と「ダンス・ラヴ・マシーン」を結成、86年まで共に活動した。81年に開講した「ダンス杏スクール」は、第一期から第五期まで断続的に東京やベルリンで開催され、伊藤キムなど力のあるダンサーを輩出した。89年、多国籍のダンサー達と「ダンスバターTokio」を設立、『中国の探偵』を発表。91年にベルリンに移住し、97年までブラウンシュヴァイク教育美術大学で教鞭をとった。ヘルシンキ市立ダンス・カンパニーに振付けるなど、フィンランドのダンサーにも多大な影響を与えた。2001年10月、ベルリンにて死去。
あんず動物紀 [Anzu’ology] Ⅲ
「あんず動物紀」シリーズのうちの3作目となる「鳥」の初演。チラシにはダ・ヴィンチの次の言葉が引用されている。「大地は、その上に憩える一羽の鳥によって動かされる。」プログラム: 1.スーパーマン / 2.ジャスミン・キスミン / 3.月の兎
1986年にベルリンで開催されたヨーロッパ初の舞踏フェスティバル(主催:キュンストラーハウス・ベタニエン)への参加を控えた古川あんずのベルリン・フェス招聘記念公演。古川がベルリンに移住し、ブラウンシュヴァイク教育美術大学で教えるようになるのは、この5年後の1991年のことである。
古川あんずは1991年にベルリンに移住し、1996年までブラウンシュヴァイク教育美術大学のパフォーミングアーツ学部で教鞭をとっていた。本作は、カフカの『変身』をベースに古川が学生達と創作した作品のダイジェスト版。タイトルの「Verwandlungsamt」は、『変身』の原題でもある「Die Verwandlung」と、事務局や管理局、役所などを表わす「Amt」から成る造語。
音楽の贈り物(ポトラッチ)
1985年3月から渋谷ジャンジャンにて行われたシリーズ「音楽の贈り物(ポトラッチ)」の第二弾。毎回様々なジャンルからの演奏家を招き、古川あんずのダンスとの共演を試みた。第一回は山下洋輔(ピアノ)、第三回は安倍圭子(マリンバ)、最終回には杵屋弥十介(三味線)が出演した。プログラム 1.ヒロシマのメンデルスゾーン / 2.アリババと40人の盗賊 / 3.シャーロック・ホームズの冒険