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とある県立高校。サッカー部の舞原健はモンスターペアレントの母のことを担任・浦川麻由に相談していた。そんな折、スクールカウンセラーの藤堂智絵が着任し、麻由と意気投合。その藤堂の相談室に、いの一番に訪れたサッカー部マネージャー奥野早織は「浦川先生と舞原くんが怪しい」と衝撃の告白をする。教育現場を舞台に、教師と生徒の関係、さらには生徒と親と学校の距離感等を丁寧に紡ぎ、届けるのは――「慈愛」。
第三舞台が1995年、パルコ劇場で上演した作品を収録。この舞台は、二つの世界を移動する。ひとつは、いじめにさらされている、中学生の世界。もうひとつは、崩壊にさらされている、ある家族の世界。二つの世界を、行きつ戻りつしながら、物語は進められていく。登場人物たちは、世界の移動と共に、中学生と、家族の構成員という二つの役割を演じる。
1969年ロンドン。若き実業家マードックが敏腕編集者のラリーを右腕に、落ち目の新聞「ザ・サン」を買収し、権威的で腐敗した新聞業界を打破すべく立ち上がる。野望の船に乗る人材集めにはじまり、既成勢力の圧力との闘いを経て、発行部数を増やしていく「ザ・サン」。そこには通俗に過ぎるという批判もあった。ある時、仲間の妻が誘拐され……。英国新聞界の史実と、鬼才ジェイムズ・グレアムの想像を輪転機に回したスピーディ
『むこうの世界』へ旅立つことを夢見て、さすらう人々の群れ。いつしか、その夢は立ち消え、現実的世界に引き戻されてしまう…。寺山修司没後十年、鄭義信が寺山の劇世界をベースに描く少年の希望と世界の果て。寺山劇の単なる復元ではなく、全編に寺山作品の断片をちりばめ、寺山が愛用した「世界の果て」というモチーフを使いながら鄭自身の劇世界に寺山修司を引き寄せる形で新しい物語を作り上げた。
第三舞台が1990年にBunkamuraシアターコクーンで上演した作品を収録。一人の男のもとに一通の手紙が届く。その手紙にはただ一言『お前を誘拐した』そう書いてあった。一人の男が書いたノートを巡り、人々が交錯する。
第三舞台が1991年、紀伊國屋ホールにて上演した作品を収録ある日、一人の探偵事務所を訪ねた依頼人は「いつも同じ夢を見る」と語り始める。いつも夢に見るアノ場所は、いったい何処の砂浜なのか。幸福そうな微笑みをたたえる彼女は、いったい誰なのか。夢でみた風景を探す私立探偵と依頼人。真相に近づくにつれ、二人の現実は夢に取り込まれていく・・・繰り返されるどんでん返しの先に待つ、衝撃の結末とは。
1991年、イギリス公演を行った第三舞台の『天使は瞳を閉じて』、凱旋公演を収録。放射能や宇宙線によって荒廃した世界。奇跡的に生き残った人間たちの街は、ドーム状の膜のような「透明な壁」に守られていた。住民たちは陽気で優しく、幸せそうだ。そんな彼らを見た一人の天使は、人間になってこの街の暮らしに溶け込んだ。そんな街を、もう一人の天使が見守っている。こちらはいかにも天使らしく、ただ見つめるだけ。変わらな
第三舞台が1989年、新宿スペース・ゼロで上演した作品を収録。売れなくなった作家・六本木は、最後の勝負をかけた冒険小説を書き始める。小説の中の登場人物たちは障害を乗り越え、目的地である”オアシス”に向かって旅を続ける。謎の黒マントの男に呼び出された六本木は自分の書いた小説の世界に迷い込んでしまう。そして一行に加わり”オアシス”のありかを探し続けた果てに、深層意識に追いやっていた古い記憶を掘り出して
第三舞台が86年、紀伊國屋ホールにて上演した作品を収録二月二十六日(晴れ)ひとりしりとりをしていたら、セールスマンが来た。ふつうセールスマンは全部追い返すことにしているが話が変なので聞いてみることにする。…HELLO! EVERYBODY! I AM DREAM-SALESMAN.ARE YOU DREAMING?
第三舞台が、1994年に天王洲アイルアートスフィアで上演した作品を収録。たくさんの小集団が潜伏し、団結し、流血し、誰が的で誰が味方かわからない、「もうひとつの日本」。ネット上で密やかに流される「スナフキンの手紙」。美少女アイドルを巡って、日本政府軍と「正しい闘い」を繰り広げる人々のゆくえを描いた、第39回岸田戯曲賞受賞作品。
2011年に上演された、第三舞台の封印解除&解散公演。遠い未来、地球人の支配下にある惑星アルティア65を舞台に、地球人とこの星の関係、それぞれの過去、多くの謎が交錯する。スピード感あふれるセリフ回しと場面転換、シリアスと笑いの境界を自由奔放に行き来する唯一無二のエンターテインメント。
第三舞台20周年記念&10年間封印公演として、2001年ル・テアトル銀座にて上演かつて、語られ、今はもう語られなくなってしまった「無数の言葉たち」そこに込められていた「思い」はどこへゆくのか。それは「幻の痛み」のようにうずいている。伝えられなかった思いを持つ人々の心の痛みが、せつない叫びをあげる。