1986年1月に世を去った土方巽の野辺おくり祭として、山形県の升玉村で開催されたイベント『土方巽野辺おくり祭「むしびらき」-東北舞踏ぶるまい升玉編ー』。プログラムによれば、50人近い舞踏家が参加し、主に10カ所の舞台を中心に村全体を会場に繰り広げられた。梅雨明けの縁側一杯に衣裳を広げる蟲干し、それを土方巽は「蟲開き」と呼んでいた。映像では元藤燁子、小林嵯峨、大野一雄等が踊り、フィナーレには多くの舞
東洋の精神性にも魅了された彫刻家ウィム・デ・ハーン(1913~1967)を追悼したダンスムービー(1976年)。物語はアムステルダムにある「マヘレ橋」から始まる。十字架のような木彫りの作品を抱えて歩く石井満隆と、後を付いていく友人達。その後、ウィムが日本人の捕虜だったことを想起させるような囚われた一室でのおどりがあり、ウィムのアトリエで披露される石井の少女のおどりがある。最後は着物姿の石井が吊るさ
石井の残した8ミリフィルムのリールより、1971年渡欧直前に茅ヶ崎で撮影されたと思われる映像と1979年デュッセルドルフのギャラリーと路上で撮影された映像を一つのデジタルファイルに編集している。石井は舞踏家として最も早く1971年に渡欧しイギリス、オランダ、ドイツ等で活発な活動を行った。
暗闇に「肉市」の文字がジワジワと燃えて始まる。客席から盲目の老婆をさらい舞台で三味線を弾かせ、華麗に舞う石井。その後、黒子4人に抱えられ妖しいストリップを披露する。大きな布を覆った獅子舞の如き怪物が舞台を旋回。狂気の石井が大鎌を振回し枯れ草男の正体を暴く。鉄兜を被った男を電気グラインダーで研磨し、火花と黄燐の鬼火が暗闇の世界を彩る。最後に出演者をステージ上に並ばせ、石井の感謝の舞いでフィナーレ。
舞踏家・大野一雄が100歳を迎えた2006年10月から1年間は「大野一雄 100歳の年」として展覧会や公演など世界各国で様々な100歳を祝うイベントが開催された。中でもガラ公演「百花繚乱」にはピナ・バウシュの映像出演を含め国内外から実に23組の踊り手が集結、2日間にわたり密度の濃い舞台が繰り広げられた。両日ともカーテンコールには大野慶人の押す車椅子で大野一雄が登場した。以下は、第一夜の出演者とその
舞踏の最初の作品とされる「禁色」初演から50周年を記念して、大野一雄フェスティバル2009で同作を徹底解剖した三日間の第三夜。大野慶人による土方巽の振付作品他、60年代に土方作品に参加した舞踏家が小品を踊り継ぐ。大野一雄の指人形も登場。
青南病院舞踊療法 発表会
青森県八戸市にある精神病院《青南病院》で行われていた舞踊療法の発表会の様子を撮影、編集。1980年頃から写真家の羽永光利の紹介で舞踏家の石井満隆が青南病院に通った。東京在住で頻繁に通えない石井は、練習の手本をビデオで送り、通信教育的に患者たちを指導した。精神病院という特異な場所という理由もあり、発表会は関係者のみの公演となったという。小道具や衣装、メイクなども石井や病院スタッフ等で行った。
青南病院舞踊療法 発表会
青森県八戸市にある精神病院《青南病院》で行われていた舞踊療法の発表会の様子。1980年頃から写真家の羽永光利の紹介で舞踏家の石井満隆が指導していたが、石井が他の病院でも教えるようになると、宇野萬など他の舞踏家も参加するようになった。石井は後に「舞踏療法」とは「人間の本当の姿」、偽りのない姿だと語っている。
アンモナイトの爪番外編
「奇妙な物質のささやきⅡO」と題された、様々の舞踏家達による日替わり連続公演の一演目として上演された本作は、石井と大森のソロとデュオとで構成される。ソロパートは即興舞踏に重点を置いて自在に展開し、デュオパートもきっかけの申し合わせのみで進行した。緩やかな、また即興性が高い構成の中で、それぞれが他者の肉体といかに混ざり合えるのかを試みた。
新潟県十日町市松之山“坪野集落”に広がる1000坪の棚田、坪野集落の人々の暮らし、地域の昔話、松原東洋自身の生活をモチーフに、大江健三郎著『同時代ゲーム』『水死』から発想し生まれたトンデ空静の舞踏劇。音楽家村井祐児による敷地の提供や坪野集落の方々の協力の元、同集落で開催された「さとまつり」を手掛ける美術家岩間賢と共に、出演者13名、音楽4名、美術3名、設営などその他総勢60名の一ヶ月に渡る滞在準備