大胆で個性的な製品で知られた京都の老舗着物メーカー小松屋の「蔵人グループ」の旗上げショー。会場は京都国際会館のエントランス野外で、当日は雷雨に見舞われたが無事に開催された。着物地を素材とした「16世紀吠える男どもの衣装」を白虎社の男性舞踏手がまとって踊る。白虎社のニュースレターに掲載された「蔵人」の広告には、「蔵人とは〇〇に逆らって造った 本当はプライベートブランドです」とある。
関西テレビで放映されていた公開トーク番組「ノックは無用」に白虎社が出演した。番組は横山ノックと上岡龍太郎が司会を務め、毎週土曜日に放送された。この収録で上岡に気に入られ、白虎社は他のTV番組にも呼ばれるようになり、テレビ、映画、ミュージックビデオなど活動の場をひろげた。80年代、白虎社はそのインパクトから舞踏グループとしてはメディアへの露出が多く、舞踏公演を見ない層にも知られた存在だった。
「横尾忠則展 天界の法則」で白虎社が出前芸術体スペシャルライブ「ニュー逢魔が時ーヨコオタダノリにふれるー」を上演。道頓堀橋から白虎社の面々が人だかりを引き連れて練り歩き、会場に入れなかった50名余りは別階のモニターで観劇した。「逢魔が時」は作品として独立はしていないが、出前芸術体の定番演目で、他の作品に取り入れられている動きも多い。横尾忠則は白虎社との交流が深く、関西方面来訪時にはきまって白虎社の
後楽園球場の3塁側客席にテントを張って行われたイベント「新世紀末ライブ月世界旅行」2日目。1日目は「ディアーナの夢」と題して東京グラン・ギニョルなどが出演、2日目の「ガイアの夢想」に白虎社、細野晴臣のバンドF.O.Eや原田大三郎等が出演し、コラボレーションした。白虎社は舞踏フェスティバル'85での公演を10日後に控えており、上演作品『ひばりと寝ジャカ』の動きの多くを違う衣装や音楽でショー的にコラー
「キメラ」、「漂流教室」、「光の王国」のダンスビデオ作品三部作。白虎社は1987年9月にメルボルンのフェスティバルに参加、公演終了後にアボリジニーの聖地と言われる赤い砂漠等で撮影した。1987年東京国際ビデオビエンナーレにてグランプリ・ファンドを受賞。
白虎社のイメージビデオ作品「ミラクルレポート」。ディレクション・編集は、ビデオアーティスト邱世原(きゅうせいげん)。「グルメ狂時代」、「ギガー」、「アリス」、「チャイナタウン」の4部作で、1986年の台湾ツアーの際に撮影された。
静岡県掛川市にあった「掛川座(かけがわざ)」の閉館イベント「私達の掛川座よ さようなら」で、白虎社の出前芸術体が上演した「ニュー逢魔が時ー掛川座封印によせてー」の記録。掛川座は明治42年に建てられた回り舞台も備えた本格的な芝居小屋で、戦後には映画も上映した。村松友視の講演や『掛川座: ぼくのシネマパラダイス』の著書もある土屋智宏の詩の朗読など様々なプログラムの最後に白虎社が登場、女性舞踏手は花火、
「ドリームタイム」とは、オーストラリアのアボリジニーの時間感覚で、過去と現在と未来が同時に存在する神話的時間の流れ。この公演では、"私は何処から来て何処へ行くのか"という視点の元に<宇宙と大地、人間と人形、生と死>の間など、様々な境界線上にあるものをテーマに、古代的なもの、現代的なもの、未来的なものの時間が層を成して流れている様を多様な作品群の集合体として実験的ライブスタイルで上演した。
1983年の初演以来、1985年の東京公演では「<喧噪>や<愚行>を現代の視点でとらえ直す等の舞台芸術活性化への貢献」によって第17回舞踊批評家協会賞を受賞し、欧州ツアーでも熱狂的に迎えられた白虎社の代表作「ひばりと寝ジャカ」のオーストラリア初演。
1985年6・7月、白虎社は五大陸巡り世界舞踏キャラバン隊第一弾として2tの荷物と共に2ヶ月のイスラエル・ヨーロッパツアーに出た。イスラエル、西ドイツ、スイス、イタリア、ベルギー、フランスと周り、「ひばりと寝ジャカ」を27回上演、約20,000人の観客を動員した。本映像はそのツアー記録。公演映像の一部の他、リハーサルや楽屋の風景、各地の街に繰り出して計36カ所で行った路上デモンストレーションの様子
伊藤若冲生誕三百年/美空ひばり追悼公演
天に向かってピッピッピッと真っ直ぐに飛び上がる、あのひばりと頬杖をついて横にぐたっとして微笑んでいる寝ジャカとが、十字架のようにクロスして登場する。(中略)世界を測る測定器としての肉体の視点がテーマである(チラシより)1983年の初演以来、1985年の欧州ツアーでも熱狂的に迎えられた「ひばりと寝ジャカ」のヨコハマ・ニューバージョン。
出前芸術体 ーアートボデックー
日本のグランドキャバレーを模した香港のナイトクラブ ”ボルボ” における、白虎社の「出前芸術体」による「ミラクルレポート」スペシャルライブショー。白虎社が公演活動と並行して行っていた「出前芸術体」は、結婚式から一般家庭の誕生日パーティ、コンサートやCM出演まで場を選ばず、「舞踏」のイメージにとらわれない「よりスリリングな見世物(パフォーミングアーツ)」を目指して、「からだ」と「芸術」を出前した。
白虎社結成十周年+南方熊楠没後五十周年記念企画〈伝染するメディア〉シリーズ三部作Ⅰ天の巻
博物学者・南方熊楠のマルチメディア的好奇心に支えられた天地創造神話。1984年初演。1988年の第一回東京国際演劇祭では、50度にはなろうかという大テントの中で、「目的完成を欠いたこれほどの愚行は世界広しといえども、白虎社以外にはないだろう」(「別冊太陽 60’s~90’s」1991年平凡社)という舞台だった。本映像は、白虎社結成10年を記念して、その野外編として神奈川県藤沢市、熊楠も住んでいた和
弁天島海上野外劇場
白虎社の主宰である大須賀勇が芸術総監督を務めた「クマノ・スパーク(熊野国際アートフェスティバル)」での、白虎社と豪華音楽陣による月光夜想曲、『月神(つきがみ)さんの輝く都』の映像記録。大須賀の総合演出による当該フェスティバルのみのオリジナル作品。<自然との融合>をめざすこのフェスティバル期間だけ、那智湾に浮かぶ弁天島へ約130mの仮設橋が架けられ、弁天島の大岩を背景とした海上野外劇場が出現した。
