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何もない、あまり変化のない日常の繰り返しに、踏みとどまる事を選択する。
真夜中。 京都府の山奥にある木造の一軒家。 一人の女、佳織が古いアルバムのページをめくっている。 写真に写る父親は17年前、とある出来事をきっかけに突如、失踪。 彼女と一つ上の兄、学は母親に女手一つで育てられ、 成人した今ではそれぞれが独立し別々の場所で平穏な暮らしを送っていた。 ところが、久しぶりにお盆に帰省してみると母親が再婚したという報告を受け、 高身長、高収入、人柄も素敵な非の打ちどころの
瀬戸内海に浮かぶ小島に突然巨大な橋がかかる。あまりに巨大すぎたため島民たちは気づかないのか、以前とあまり変わることなく暮らしている。そこに兄弟がいる。母の死を受けて、兄弟のうち一人は変わろうとしている。一人は何もしない。同僚の音楽教師に淡い気持を抱えているにもかかわらず。音楽教師は島の外からやってきた。生まれてこのかた一度も泳いだことはないが水着を一つ持っている。いつそれを着るのかという問題。
人里離れた山奥にある個人病院。死の床にある院長は、かつて繰り返した結婚と離婚の末に生まれた、母親の違う自身の子どもたちを呼び集める。5人の兄弟姉妹とその配偶者たちは、自分たちを強引にひとくくりにする血縁に戸惑い、近くて遠い互いの存在をおずおずと探りあう。迎えた父の臨終には、悲しみではなく空しさが漂っていた。一年後。一周忌の法要に再び集まった「家族」は、自分たちに流れる「血」の底知れなさに直面する。
とある漁村ではついに人魚を捕まえることに成功した。近年、村の漁師が海に出るたびに行方不明になっておりそれが人魚の仕業だった。 捕まえられた人魚はある兄妹の家にとりあえず置かれることになったが、それはふてぶてしい態度でどこから美声がと思われるような女だった。頼りにならない兄のせいで世話をすることになった妹はほとんど参っていた。人魚は捕まったのに不漁は続く。空はあんなに青いのに皆の表情はいまいちだ。
オドキメドキ 良い時 悪い時欲しいものが何なのか、口の前に手を運ぶ・・・どれだけ食べても、お腹はいつも空いている。おどきめどき 良い時 悪い時彷徨うワタシの一体感、引き寄せては味わう・・・
太郎「ピリッとしたもんが食べたいな」次郎「カレーなんてどうでしょう」太郎「なんやそれ」時代は1905年夏。場所は大阪近郊、吹田村にある庄屋屋敷「浜家」の玄関。浜家の家族や奉公人を中心に、屋敷に出入りする村人や、各地を回る薬屋などの姿を活写する。その背景には日露戦争を機に国民国家へ変貌する日本の姿があった――
父の三回忌に家族が集まる。色々あって弟は姉におチンチンを見せることになった。父の遺影を前に、姉は弟のおチンチンをながめ、涙を流す。涙の意味は誰にもわからない。父の三回忌の夜に、妹は兄と再会する。兄は17年前に交通事故で死んだ。事故があった電信柱のそばで、妹は兄と再会する。妹は33歳になっていた。兄はあの頃のままだ。認めたくない感情がある。自分のなかで居場所がない感情。ちゃんと認めてもらえない感情は
日本とロシアに挟まれた島、サハリン。この島に「チェーホフ」と名付けられた街があるのをご存知でしょうか。ロシア人、日本人、朝鮮人、ニヴフやアイヌなどの北方民族――この街に暮らした様々な人々が、ときに国家間の思惑によって翻弄されながらも生活する様子を、アントン・チェーホフや宮沢賢治、かつてこの島を訪れた作家達の眼差しとともに辿ります。
アンデルセンの掌編集『絵のない絵本』をもとに、泊篤志、イトウワカナ、ごまのはえの3名の劇作家が描く多彩な世界。「月がみていた」というシチュエーションで描かれた様々な劇世界を、想像力に乗って旅する短篇演劇集。
いつも一緒だった四人。高校生だったある夏、二人が事故で死亡した。そして月日が流れ……今、四人は話に花を咲かせている。想い出話から現在のことまで話題は様々だ。しかし大人になった二人と高校生のままの死んだ二人の会話は食い違う。人と人 との関係。それはどうしたって相対的にならざるを得ず、しかしそれではどうにも消化できない個々の想いもあり……。そんな浮き世をシンプルに描いた作品。
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