江戸三味線音楽の変遷
江戸三味線音楽の変遷
幕府が開かれた後の江戸の三味線音楽がどのような変遷を辿ったのか
享和元年(1801)から文政8年(1825)まで
一中節が流行。地方の名物を取り込んだ曲や、江戸文化のすべてにおいて吉原から流行が生まれていきました。
お話 竹内道敬
一中節「安宅勧進帳」(1804年)
浄瑠璃 菅野序恵美、菅野序芙美、菅野序春
三味線 菅野序枝、菅野序美久
長唄「越後獅子」(1811年)
唄 杵屋利光、東音味見純、杵屋勝英治
三味線 杵屋勝三郎、杵屋勝正雄、杵屋勝十朗
笛 藤舎理生
小鼓 藤舎千穂、藤舎朱音
大鼓 望月晴美
太鼓 梅屋 巴
清元「北州」(1818年)
浄瑠璃 清元美寿太夫、清元志寿子太夫、清元清美太夫
三味線 清元美治郎
上調子 清元美十郎
蔭囃子 望月晴美連中
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
日本製鉄文化財団は、紀尾井ホールを拠点に音楽分野(洋楽および邦楽)における音楽家の育成、演奏会等の開催、優れた音楽活動に対する支援を目的として1994年に設立されました。クラシックコンサートホール(紀尾井ホール800席)、日本の伝統音楽専用ホール(紀尾井小ホール250席)において、当財団はホール専属のオーケストラである紀尾井ホール室内管弦楽団の運営を始め、クラシック音楽、日本の伝統音楽公演の企画・制作等を行っています。これらを通じて我が国の音楽文化のさらなる発展に寄与することを目指しています。
江戸三味線音楽の変遷
幕府が開かれた後の江戸の三味線音楽がどのような変遷を辿ったのか宝暦元年(1751)から寛政12年(1800)まで河東節では上調子が発達し、長唄が盛んになり、常磐津も流行します。新内も盛り上がりを見せて、音楽の花が咲き出します。構成 お話 竹内道敬河東節「助六由縁江戸桜」(1761年) 演奏 河東節十寸見会女流連中新内「明烏夢泡雪 浦里雪責の段」(1772年) 浄瑠璃 新内剛士 三味線
華麗な音楽・唱え・舞踊の斬新な組み合わせによる歌舞劇「組踊」は、300年ほど前、清の冊封使を迎える饗宴のために、琉球王国の役人・踊奉行(芸能の最高責任者)であった玉城朝薫によって生み出されました。この「組踊」の誕生秘話を、沖縄初の芥川賞作家 大城立裕の「花の碑」を原作とした沖縄言葉による朗読劇に仕立てました。今なお大切に上演されている〈朝薫の五番〉の中から、組踊「執心鐘入」「二童敵射」と合わせてお
紀尾井たっぷり名曲 長唄
人々を魅了し続けてきた傑作に注目。長唄「勧進帳」は、能『安宅』をもとに歌舞伎化され、舞踊としても音楽としても人気が高い作品です。当代きっての名人で長唄三味線・人間国宝の杵屋勝国と、歌舞伎の第一線で活躍する唄方・杵屋勝四郎が大曲を務めます。お話は児玉竜一・早稲田大学文学学術院教授です。
邦楽 華麗なる技
邦楽の「技」と通じてその楽しさを堪能するシリーズ。歯切れ良い言葉と三味線の明確な音色が特徴の常磐津節は、歌舞伎の音楽として重要な要素を担いつつリズミカルで軽妙な面も持ち合わせています。江戸の人々が好んだ常磐津節の魅力を存分にお届けします。鼎談 常磐津清若太夫、常磐津一寿郎、前原恵美「宗清(恩愛瞔関守)」 浄瑠璃 常磐津清若太夫、常磐津光勢太夫、常磐津若羽太夫、常磐津松太夫 三味線 常磐津一