遊園地再生事業団#6
遊園地再生事業団#6
大学の片隅に、校舎に囲まれた小さな庭がある。もう30年のあいだ、その場所のことを<知覚の庭>と学生たちは呼んだ。いまでは誰もその意味を知らず、庭のことをそう呼ぶのだと知る者さえ少なかった。荒れ果て、誰も近寄らず、ただの隙間のような場所でしかないが、かつてこの庭で、Marijuanaが育てられた。庭の土が、良質のMarijuanaを育てたという。1995年の秋。6人の学生が再び庭の土に種を蒔く。土はよみがえり種は育つのか。庭の時間。六人のいらだちと茫漠とした日々。<知覚の庭>の伝説がいま再生する。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
90年に上演した『遊園地再生』で、作品ごとに俳優を集めるスタイルの「遊園地再生事業団」を主宰の宮沢章夫がはじめる。その後『ヒネミ』(92年)で宮沢が岸田戯曲賞を受賞したのを契機に、10年間で十数本の舞台作品を発表。2000年に3年間の休止期間に入る。03年『トーキョー・ボディ』、05年『トーキョー/不在/ハムレット』を上演、それまで描いていたストレートな劇表現から逃れ、また異なる創作をはじめる。戯曲+映像+パフォーマンスのコラボレート作品という表象だけではなく、作品を発表するプロセスにおいて何度かのワークインプログレス、プレ公演、実験的な小さな舞台などを経て本公演を迎える方法を試みる。ほかにも、F/T11における『トータル・リビング』、F/T13のイェリネク『光のない。(プロローグ?)』を宮沢が演出するなど旺盛に創作を続けた。
遊園地再生事業団#11
舞台はとある中学校の教室。体育の授業中、こっそりと持ち物検査にやって来た5人の教師による不穏な会話劇。1997年に起きた14歳の少年による連続児童殺傷事件や翌年の教師刺殺事件をきっかけに、少年のナイフ所有が社会問題となったことを背景に創作された作品。
「3.11以後の生活」を捉えるため、宮沢童夫が引いた補助線は「1986年の東京」だった。アイドル歌手の飛び降り自殺が盛んに報道され、チェルノブイリ原発事故が世界を震憾させた年の夏、屋上でビンゴゲームに興じる人々の姿は享楽的なようで、どこか乾いた虚無感をも漂わせる。その様子を眺めるのは、「欠落の女」「忘却の灯台守」、そして2011年に生きる映画学校の生徒たち。彼らの視線、撮影された映像をたどりつつ、