令和2年。56年ぶりに開催された東京オリンピックに日本中が熱狂していた。国内最大の国際拠点である第二東京国際空港もまた、例年以上の賑わいをみせている。そんな中、華やかなアスリートたちの活躍の影で、ひっそりと海外メディアの注目を集めた家族が居た。『千年(ちとせ)』の表札がかかったその家は、第二東京国際空港・滑走路の延長線上にある。この一軒の家の為に、第二東京国際空港は未完成のままでの運用を余儀なくさ
音の体験やフィールドワークを起点に、独自の音空間を構築してきた荒木優光。シアターピースやインスタレーション作品を発表するほか、記録にまつわる作業集団ARCHIVES PAY、音楽グループNEW MANUKEのメンバーとしても活動する。今回、新作のモチーフとして荒木が興味を持ったのが「カスタムオーディオカー」。理想のサウンドを追求し、音響システムとビジュアルに粋を尽くしたあのクルマたちだ。夕闇に染ま
北村明子はアジア各地を深くリサーチする「Cross Transit project」を展開してきたが、本作は「日本とアイルランド〜中央アジアへと発展していく長期国際共同制作」である。北村を含めた7人のダンサーの動きは、高度な制動と繊細な表現、そして刃物のような鋭利さに満ちている。人が営む生活の身振りにはその土地の文化が織り込まれているが、それらをダンスに取り込むことで観客の記憶に働きかけてくるよ
『かもめ』の中に、情熱を持ち続けることの難しさや拭いきれない孤独など、現代社会と通じる問題を照らす。新たな世界へ飛び立ちたいと願い戦いながらも希望を失い妥協していく人々と、傷つきながらも妥協を拒絶し再び立ち上がろうとする人々の人生を、冷たい視線から赤裸々に描くことを通して《今の社会において人はいかにして死に、又は生き続けられるのか? 現代の不安定な生を支え得るものは何であるのか?》について問い直す
「真の美しさや人間的感情を求める人生が、虚栄の美しさや幸福を暴力的に求める存在によって破壊され犠牲となっていく社会」という主題に光を当て、2つの世界が互いに理解共存することが不可能であることを通して、人間はいかに共存していくべきなのか?という問題に切り込む。ワーニャは長年セレブリャコーフの活動を支えてきたが、彼が定年退職しその無能さが明らかになり、今までの自分の献身が全くの無意味だったことを知る。
日本・セルビア演劇交流プロジェクト
【日本初演、五人の俳優、十五人の登場人物、三つの愛の物語】かつては希望の象徴だった町。そこに集まった三世代の男女5人。信じていた全てが崩れ落ち、都会の無秩序な繋がりの中、愛に飢え、自分の居場所もない。それでもなりふり構わず人生に挑み続け、辿り着いた先に見えた世界は、天国か地獄か!? 紛争後のセルビアそして世界の「リアル」を描いた、セルビアン・ブラック・コメディーを本邦初訳で日本初上演。
「ヘッダ・ガーブレル」を、三東瑠璃の演出・振り付けで立ち上げたコンテンポラリー・ダンス作品。三東自身がヘッダとして出演し、Co. Ruri Mitoのダンサー青柳万智子、安心院かな、金愛珠、斉藤稚紗冬がコロスで出演。さらに映像出演として森山未來、杉山剛志、中村あさき、宮河愛一郎が登場。
近未来。東洋のガラパゴスと呼ばれている千久世島という離島は、かつてない賑わいを見せていた。国産みの神話に登場する島であると同時に、その島で発掘される「レアゲノム」という化石由来のDNAがヒトや動物の遺伝子組換えに必要なものとして注目を集めているからだ。その島に住む男は、奇祭で弟を失う。ところがある日、弟は蘇り、まるで別人のように男の前に現れる。弟の存在は島の住民を狂わせていく。そしてそれは、島の存
個人史と政治の関わりを独自の演劇的アプローチで掬い上げ、タイ演劇界でいまもっとも注目されている若手演出家ウィチャヤ・アータマート。本作はクンステン・フェスティバル・デザールや、ウィーン芸術週間をはじめとした多くの有力国際フェスティバルに招聘されるなど、高い評価をあつめる話題作だ。舞台はバンコクの小さなキッチン。登場する姉弟は毎年5月のある日をこのキッチンで一緒に過ごし、料理をしながら亡くなった父親
2005年に神戸で発足し、知的障害のあるメンバーを含め、さまざまな世代のメンバーが共に創作・活動するアーティスト集団「音遊びの会」。月2回のワークショップを地元、神戸にて継続的に行うほか、日本各地やイギリスなどで積極的に公演を行い、障害のある・なしを超えた新たなコラボレーション、表現の形を示すアーティストグループとして注目を集めている。主に自由な即興音楽の分野に主軸を置きアンサンブルセッションを中
ドラマとカオスを縦横するスペースノットブランク。CHAOTICなコレクティブによるDRAMATICなアドベンチャー。ダウンロードとアップロード。HIGH & LOW。物語とキャラクターと本人と別人が脱ぎ着する、母音だけでコミュニケーションできる「場所」。実存しない物語とキャラクターを、実存する本人が「上演」というシチュエーションを用いて実存する別人の目覚ましを鳴らそうとするための舞台。
────あーー! 何回死ねばいいの? もし、死んじゃっても、必ずわたしのいるところに、来て────何度も殺されるフフと、何度も助けるミチコのふたりは小さなループを作り、生活していた。ある日、そんなふたりのルームに映画を撮りたい男たちがやってきたことでループは歪む。撮影が開始されたルーム内で、生きているひと、死んでも死なないひと、もう死んだひとらがガチガチにぶつかりあい
全世界の登録数は700万人超の紹介制ネットカジノ「K2」を匿名で運営する美菜。「K2」内で最も人気を誇るオンライン型育成カジノゲーム『earth』は、ユーザー間で「アス」「けつあな」と呼ばれ親しまれ、『流せ、すべてのセンス。』というキャッチコピーには宗教家である美菜の思想が反映されており、ゲーム内にユーザー独自の地球を作り、歴史も価値観も生き方もすべて自由に変えられる星育成システムで話題を呼んだ。
KAATキッズ・プログラム2022
おとなもこどもも楽しめる「KAATキッズ・プログラム」の2022年新作は、天国と地獄の分かれ道で、なくした記憶を探すおしばい。2020年に上演を予定していたものの、新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった本作が、2年の時を経てついに上演を迎えました。作・演出は、本作で自身初のキッズ・プログラムを手がけた松井周、そして主人公は、日本演劇界を代表する俳優・白石加代子が演じています。
瀬戸内海に浮かぶ小島に突然巨大な橋がかかる。あまりに巨大すぎたため島民たちは気づかないのか、以前とあまり変わることなく暮らしている。そこに兄弟がいる。母の死を受けて、兄弟のうち一人は変わろうとしている。一人は何もしない。同僚の音楽教師に淡い気持を抱えているにもかかわらず。音楽教師は島の外からやってきた。生まれてこのかた一度も泳いだことはないが水着を一つ持っている。いつそれを着るのかという問題。
源平合戦後も平家残党が生き延びていたという設定のもと、平家武将たちと源 義経の“その後”を描いた「義経千本桜」は全五段の傑作長編。その二段目「渡海屋・大物浦の場」は、海に身を投げて自害したはずの平知盛が、船宿の主人となり義経に復讐を企てる物語です。変わりゆく時代の中、変わらぬ信念で戦った知盛の姿は、今どんな相貌をもって現れるのか。平成から令和の改元、疫病による日常の変化を受けての2021年版を演出
劇団鹿殺し 15周年記念公演
時は戦乱の世。幾多の武将が名を馳せる中、月見草のように闇に咲く名も無き侍たちがいた。強さとは何か?死ぬべき時はいつか?生きる意味とは?はぐれ雲に問い続ける刃の光。流れた血のあとに、月の涙が零れ落ちる。合戦の騒乱を生バンドに乗せ、足軽が管楽器を吹く。嘆きのギター、進軍のベース、生きる鼓動がドラムに乗り移る。劇団鹿殺しが挑む「新世代パンク時代劇」参上!
日本のダンス作品で、政治や社会を題材にしたものは少ない。しかしケダゴロを率いる下島礼紗は、前作『sky』でカルト教団が起こした地下鉄サリン事件などを描き、海外でも高く評価されてきた。本作は実在の殺人犯・福田和子がモチーフになっている。福田は顔の整形を繰り返しながら約15年間にわたり警察の手を逃れ、時効成立直前に逮捕され世間を騒がせた。本作ではダンサーが天井に張り巡らされたパイプに飛びついて逃げ回り
TOKYO DANCE TODAY #5
青山円形劇場の空間を生かした独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の第5弾。ダンスのみならず、ストレートプレイからミュージカルやオペラまで、商業演劇から小劇場まで、振付やステージングで幅広く活躍している井手茂太。2005年に発表した初のソロ公演『井手孤独[idésolo]』以来5年ぶりとなるソロ作品。
神戸版
実家で飼っていた犬・スーパーポチが亡くなったと義姉からの電話を受ける大阪で暮らす菫。菫は恋人の登とともに福井に帰省する。兄の洋は妻の直生と戻ることのない旅に出るのだと自らの死を匂わせ、菫に実家を託そうとする。亡くなったスーパーポチは菫に伝えたかったものは。
螺旋曼荼羅海会は真言宗、天台宗の僧侶たちによって詠唱される新作声明。アメリカ・インディアンのナヴァホ族の創生神話に基づく儀式歌をテクストに、新進気鋭の作曲家桑原ゆうが「夜の歌」「風の歌」の挿入歌を作曲した。宇宙的な力を秘めたスパイラルガーデンの螺旋空間を立体マンダラに見立て、執り行われる曼陀羅供。僧侶の聲に気は充満し、大日如来を中心にコスモスが立ち上がり、胎蔵界金剛界の両曼荼羅がダイナミックに動き
1945年8月9日、戸坂潤は獄死した。戦争が終わるわずか数日前のこと。時は遡ること13年前。「野蛮で反知性的なファシズムに対し、我々はあくまでも知性を武器にして闘い抜く」と、戸坂潤は岡邦雄、三枝博音と共に唯物論研究会を立ち上げた。しかし「危険思想を広める恐れがある」と特高警察の監視が始まり、やがて集会禁止から執筆禁止に。それでも彼の楽天性が奪われることはなかった。
社会部のスター記者として活躍していた大同新聞の飯島傑は、本人の希望で新たに政治部に配属されたばかり。後輩の佐々部の反対を押し切って官房長官の記者会見に出席し、記者クラブ幹事の制止もものともせず、疑惑への質問を繰り返す。その飯島に、なぜか官房長官から裏の懇談会への誘いが。その道は、夫の交通事故をきっかけに退社した、かつての同僚、柏木沙也加の辿った道でもあった…。政治家からのリークに群がる政治部記者た
第二次世界大戦末期、日本の刑務所で、ある看守が殺された。新任の若い看守が殺人犯の捜索にあたる。殺された男の服のポケットには一編の詩が入っていた。その詩を書いたのは尹東柱(ユン・ドンジュ)、刑務所の囚人だった。男はなぜその詩を持っていたのか?誰がなぜ男を殺したのか?韓国の国民的詩人として愛される尹東柱の最後の日々を想像力豊かに描いたイ・ジョンミョンの小説を、日韓の演劇交流を続けてきたシライケイタ氏の
昭和8年。日本の女子スポーツは発展途上。「女が人前で足を出すとは何事か!」と才能ある選手が出ても世論がその芽を摘む有様。そんな時代、日本初の女子体育高等師範学校が設立される。100m走で日本記録を出した早乙女撫子もその学校に入ることになった。撫子にとって、学校生活は刺激的で発見の連続。女子スポーツを取り巻くあらゆるものを経験しながら、撫子は自分にとってスポーツとは何か問いながら成長して行く。
松本奈々子、西本健吾 / チーム・チープロ
3歳から20歳までバレエを踊り、その後自らの身体のあり方を問い直してきたパフォーマーの松本奈々子、主にドラマトゥルクの役割を担う西本健吾が共同で演出を行う「チーム・チープロ」は、綿密なリサーチを積み重ね、“身体”を媒介に個人の記憶と集団の記憶を再構築するパフォーマンスユニット。KYOTO EXPERIMENT初の公募プロジェクトで選出され、2021年・2022年の2年間にわたり京都芸術センターで制
映像、演劇、パフォーマンスなど、領域横断的に自在な活動を展開するチョイ・カファイは、過去2度にわたるKYOTO EXPERIMENTへの参加で上演されたいずれの作品でも、ダンスという表現への深い敬慕と入念なリサーチ、そして独自のアプローチを見せてきた。テクノロジーをある種“誤用”しながら、ダンス史におけるレジェンドたちの振付を復元した『Notion: Dance Fiction』。アジアを拠点に活
TRASHMASTERS vol.34
とある町の、台風による水害に苦しむ地方の、公民館。その日も台風は勢力を保ったまま接近していた。そこには青年団のメンバーが、祭りの開催について協議するために集められていた。祭りの開催から、災害対策、人命の格差まで話は及び、会議は紛糾する。やがて会議は終わり、解散したのだが……付近で土砂崩れが発生し公民館は停電、町の中心からも孤立する。そこに、土砂崩れに巻き込まれた青年団員が運び込まれてくる……
TRASHMASTERS vol.35
とある町。原発の産業廃棄物受け入れによる交付金で図書館や劇場など公的機関の建設を目論む首長は、受け入れに対する反対勢力との会合に参加した。会合は互いに相容れず散会に終わる。やがて、産廃を受け入れて町興しをしようとする市長側と、反対勢力の間で町が二分する……。震災から10年が経ち、東北では原発が再稼働するという。これは幸福か、それとも……。狂おしいほどに駆け引きが横行する町に未来はあるのか……。
二兎社公演41
人気報道番組の放送開始まであと数時間。ある”懸念”をきっかけに、現場は対応に追われ始める。決定権を握るのは……空気?テレビ局の報道現場を通して現代の日本を覆う奇妙な”空気”の正体に迫り、観客を凍り付かせた戦慄の問題作。
2018年夏。33歳、独身、彼女なし、アルコール中毒、元詐欺師前科一犯の“穴蔵の腐ったバナナ”は、マッチングアプリ・TSUN-TSUN(ツンツン)に友達を募る書き込みをする。出会い系サクラのバイトをしていた“男”は、釣られているとわかりながら課金してきたバナナに興味を持ち、彼と会ってみることにする。「人を救いたいんだ・・・」と言うバナナと男はいつしか、僕/俺「ら」になり、探偵の真似事をしながら諸悪
久門剛史のインスタレーションは、音や立体、光と影によって詩的情景を緻密に構成し、観るものの身体感覚へダイレクトに介入する。その空間は劇場的とも評され、また、2016年にはKYOTO EXPERIMENTで初演されたチェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』の舞台美術と音を担当するなど、徐々に舞台芸術への関心を高めてきた。その久門が、ロームシアター京都のサウスホールという、自身にとってかつてないスケー
今作は過去編と未来編の連作である。過去編は〈日差し〉の視点から〈森〉との婉曲しながらもシンプルな関係が描かれる。物語は二人の別れから始まり、その末、日差しは見たことはあるけどいつもと違う、過去とも未来ともつかない空間に漂着する。未来編では日差しと森の娘である〈春望〉が主人公となり〈陽子ひいばあちゃん〉を探す旅に出る。またインタールードとして現われる〈せかい〉の存在が作品世界全体を複雑に揺り動かす。
〈あらすじ〉地方都市。妹とその兄は小さな街で行方不明になる。お互いの存在の中のみで。2人は同じ街で生活を続けている。どこにも行けないままどこかへ消えた家族を思ったり忘れたりしながら。ある時、兄は思い出す。2人がすれ違う過去と、そのバスの行き先を。
2015年度に開館10周年を迎える吉祥寺シアター。また、吉祥寺シアターのこけら落とし公演をきっかけに始まった「ミクニヤナイハラプロジェクト」も同じく 10周年を迎えます。両者の10周年記念公演として。超高速な発話と激しい動き、デフォルメされたキャラクターが特徴である「ミクニヤナイハラプロジェクト」が、全く逆の「静かな演劇」と評される平田オリザの名作『東京ノート』にどのように挑むのか。2015 年の
山奥の小さな会社で問題が起きた。解決を迫られる総務部部長。けれど誰が悪いのかは分からない。それぞれに言い分があって誰もが正しい。真っ向から意見は対立し会社内の人間関係は最悪だ。ああ、このままでは会社の先行きすら危ない……。社会の分断が進む中、少しでも光を見られるような作品を創ることを目標にMONOの原点であり得意な会話劇にこだわり、会議室を舞台に何が正しいのかを巡って間抜けで真面目な会話の応酬を描
遊園地再生事業団#6
大学の片隅に、校舎に囲まれた小さな庭がある。もう30年のあいだ、その場所のことを<知覚の庭>と学生たちは呼んだ。いまでは誰もその意味を知らず、庭のことをそう呼ぶのだと知る者さえ少なかった。荒れ果て、誰も近寄らず、ただの隙間のような場所でしかないが、かつてこの庭で、Marijuanaが育てられた。庭の土が、良質のMarijuanaを育てたという。1995年の秋。6人の学生が再び庭の土に種を蒔く。土は
海岸沿いに透明な壁が建てられた。その壁を通して眺める海は、いくつもの過去が折り重なってみえるらしい。 たくさんの人たちが壁のもとに集まってくる。目の見えない綱渡り師、透明人間の恋人を探す女性、窓ガラス清掃をする元役者、スノードームをつくる 観光客、ミノタウロスとくだんのあいだに生まれた未来のみえないこども。「私、フチになりたいんだ。麦わら帽子のフチとか、ルパンが盗む絵画の額縁とか、コップのフチ子と
草サッカーの練習試合のために集まった町役場の職員たち。そして始まる作戦会議。だが、その内容は試合に勝つためのものではなく、なぜか負けるためのものだった。相手は町一番の大企業、いわゆる『接待サッカー』である。しかし、一人の新人職員がその作戦に異議を唱える。「僕、負けたくありません」圧倒的な正論に、ヘリクツで新人を丸め込もうと立ち向かう11人の戦士(同僚)たち‼最後に笑うのは正論か、ヘリクツか ――。
妊娠・出産をめぐる日本の現状は、明るくはない。少子高齢化に直面しているものの、「産み育てやすい」環境整備は遅々として進まず。一方で「産まない自由」に対する社会的圧力も未だやむことはない。この閉塞的な状況に【擬娩(ぎべん)】という、一風変わった習俗の再起動を通してアプローチをする、演出家 和田ながら。本作は和田の2019年初演作品を、今回が舞台作品への初参加となるメディアアーティスト やんツーをコラ
『どんとゆけ』『どんとゆけ』の設定は、死刑執行に被害者遺族が関与できるという、架空の「死刑員制度」が施行されている世界。青森県津軽地方のある家に一人の死刑囚が連行されてくる。この家には獄中結婚により妻となった女性が暮らしており、これからここで死刑が執行される。死刑執行のために現れた被害者家族と、死刑囚の妻であることに酔いしれているような女と死刑囚らの、執行までの濃密な時間のドラマ。初演は2008年