演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
私たちは、人を泣かせたり、笑わせたりしている会社です。
座付作者井上ひさしに関係する作品のみを専門に制作、上演しています。
1983年1月に創立し、84年4月『頭痛肩こり樋口一葉』公演で旗揚げ。
以降、新作、再演、こまつ座旗揚げ以前の井上作品も織り交ぜて、出演者・スタッフとも作品ごとに依頼し、その作品だけの一座を組むプロデュースシステムをとり、年平均4~6作品(200~250ステージ)を上演し続けています。
道楽者の若旦那、連れは気の良いたいこもち。江戸を飛び出し北の果て、帰郷の思いを心に灯し、流れ流され9年間。歌に踊りにお座敷芸。時代を超える大喜劇。演出家・ラサール石井がついに井上戯曲に挑む!薬種問屋の跡取り息子と連れ立つ幇間。馴染みの女郎の奪い合い、売って売られた喧嘩の果てに、江戸から北へ流亡の果ての生き地獄。抱腹絶倒・奇想天外・驚天動地――。主従二人が陸奥からめざした先はなつかしきお江戸のはずだ
桜咲き乱れる頃、東北の、とある田舎の村はずれ、どこからともなく歌声が聞こえてくる。 弥生のあられ 皐月のつゆは 働き者の味方ども しゃれた女房と 馬鹿とのさまは 根気がさっぱど つづかない・・・・・・白い花びらをつけた桜の木に挟まれたあばら家に住む、賢く美しい働き者の娘ちか。娘に一目惚れしたとのさまは、お侍医をお供に、桜の木に隠れて様子をうかがっている。優しいけれども気後れしがちのとのさまは、その
井上ひさしが描く、漱石的学校での不思議なひと時。晩年の漱石に多大な影響を与えたと言われる「修善寺の大患」。作風のみならず本人の死生観にまで影響を与えた三十分間の意識の空白の中、「坊っちゃん」「三四郎」「それから」「薤露行(かいろこう)」「こころ」などの多彩な漱石作品を思わせる登場人物たちが、各々が抱える「どうしようもない淋しさ」を埋めるために動き出す。"夏目漱石"評伝劇が鵜山仁の手によりこまつ座初
嘉永(1853)六年師走のある晩、我が身の先行きを悲観して両国橋から身を投げようとした狂言作者の二世河竹新七。ところが奇妙な行き掛かりで、無我夢中の新七が飛び込んだのは大川ではなく、川端にたつ一軒の小さなそば屋だった。柳橋裏河岸の「仁八そば」で出会った何とも風変わりな「仲間」たちが、次から次へと巻き起こす上を下への大騒動は、天下の御一新をはさんで、明治なかばに至るまでのじつに28年間におよぶことに
