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ミュージカル
遠い遠い神話の時代。日本の国を生んだ男神と女神は天上と黄泉に分かれて互いに憎しみあい、地上ではこの神々の子孫が輝と闇の一族に分かれて相争っていた。輝の神を祀る村に拾われ育てられた狭也はある日、輝と敵対する闇の一族の巫女「水の乙女」として水色の勾玉を渡される。それを拒絶し、輝の王子である月代王へ憧れ、都に赴いた狭也は、輝の神の末の王子、稚羽矢と運命的に出会う。輝と闇どちらの神の影響も受けず荒ぶる「大
ドキュメンタリー
ぽつねんとある自動販売機を止まり木のようにして集まる3人の人物の雑談から始まり、缶ジュースの風味が浸透するように境目なく様々な記憶や風景が現れては消え、過去や未来、人物がいるのかいないのかさえ揺蕩っていく。その中自動販売機だけは形を変えず、その場に存在し続ける。監視者なのか、なにかを促すモノリスなのか。感覚的なようで、人物たちの感情は一連のストーリーとして確かに繋がってるニュースタンダード会話劇。
第25回及び第26回OMS 戯曲賞佳作連続受賞した後に大賞を受賞した作品。人と人の関係性を戯曲により深く書き込み、創作した作品です。客演には、CoRich 舞台芸術まつり! 2018 春・グランプリを受賞し、コトリ会議に 3 回目の出演となるオパンポン創造社の野村有志、前回ツアーから連続出演する京都を拠点に活動する安住の地代表の中村彩乃、初参加の浜本克弥(小骨座)の 3 人を迎える。神戸アートビレ
都会の片隅に残され、今では粗大ゴミの不法投棄場と化した丈高い草の生い茂る原っぱで、予備校生のエイジは夜な夜なまっさらなキャンバスに映る影を写真に撮っている。それが彼の描く「19歳の絵」だ。ある夜、二人の男子高校生がベッドを捨てにやって来る。一緒に現れた女子高生を一人残し、彼らは去っていくのだが、やがて舞い戻ってきた男の一人・オサナイは「何してた?」とエイジに詰め寄る。エイジが女子高生・あきらと話し
“現代アイルランド演劇界のチェーホフ” ブライアン・フリールの名作。アイルランドの北西部、バリーベッグのはずれの村。ひっそりと暮らすマンディ姉妹はそれぞれの悩みや、緊張の中で助けあって生きている。この片田舎にも近代化の波が押しよせ、経済的な不如意に苦しみ、兄・ジャックの送還の余波でマンディ一家はだんだん崩壊していく・・・・・・。オリジナル曲にアイリッシュダンス、姉妹を取り巻く人物達との激しい言葉
2020年初演したCo.Ruri Mitoの代表作。コロナ禍の真っ只中で、7名のダンサーとクリエイションを行い、施設利用の条件が緩和された10月に上演した作品。個と群の関係性をテーマにし、「自分の身体とはどこからどこまでか」という問いを投げかけ、生命の根源に迫る。私たちの存在とその相互作用を探求する試み。曖昧な身体の境界線を通じて、個の消滅や集結の解釈を観る者に委ねる。
どこにいるのか、袴垂れ。どこへいくのか、袴垂れ。 理想を掲げた共同体がどこから生まれ、どこへ行きつくのか…現代日本の抱える問題に鋭く切り込む!軽快で絶妙なセリフの応酬、変幻自在のムーブメントに乞うご期待!
時代は笑って許せるか?その集団は何度も何度も人々を怒らせた。彼らを怒る人々はせいぜい遠隔的にいやがらせを行うくらいで決してその集団の目の前には現れなかった。怒られた実感のない集団は、自分たちの過ちを忘れまた再び人々を怒らせるようなことをする。怒る人々はますます怒るがその集団を社会から抹殺することはできない。なぜならばその集団には驚くべき愛らしさがあったからだった。━━━第66回岸田國士戯曲賞受賞作
己の正義のために、悪にはさらなる悪をもって、自由を追い求める兄・・・己の生を呪い、自らの欲望に忠実に、他人を徹底的に欺き利用する弟・・・この2人の兄弟の行き着く先には、どのような世界が広がっているのであろうか・・・?ドイツ疾風怒涛期を代表する傑作古典を通して、混迷する現代にひとすじの光を照射する!
不幸にも子供に恵まれることのない夫婦と彼らの代理出産を請け負った夫婦との間に、様々なすれ違いや、苦悩、問題が横たわる。それでも二組の夫婦は、やがて産まれてくる子供への期待を高めていく。自分たちがそうであるように、人は、愛を信じて産まれ、生きているのだから……。
私の心にそっと触れて
「記憶を廻る、ある医師と妻たちの愛憎劇―愛は記憶されるのか?」高齢化社会の難治の病であるアルツハイマー病。病気の進行により、記憶によって形作られる個人のライフ・ヒストリーが不確かとなり、パーソナリティーまでも変貌する時、愛はどう記憶されるのだろうか? 本作はアルツハイマー病で記憶を失っていく医師と、消えゆく過去に翻弄される家族の物語である。初演を改作、新たなキャストとTA-netによる同時舞台手話
若き編集者・福島は運命の夜を迎えていた。今夜中に原稿を取ってこなければ、クビになるのは間違いない。彼が原稿を取りに向かうのは3人の作家。その名も、宮澤賢治、太宰治、中原中也。果たして作家たちの新作は無事に書き上がるのか。そもそも福島は、なぜ作家たちに会っているのか。抜きさしならない長い一夜の夜明けが近づいてくる。
ごく普通のイギリスの中流家庭に生まれた兄のトムと弟のフィギス。弟のフィギスは心の優しい子で人の気持ちを読み取る不思議な力を持っていた。そんな弟が、ある時奇妙な言葉を喋りだし、「自分はイラクの少年兵だ」と言い始める。フィギスは12歳、トムは15歳。湾岸戦争が始まった夏の事だった・・・。
若い男女が経営する閉店間際の寂れた定食屋。そこで働く女は突然やってきた謎の夫婦によってつい最近冷やし中華が禁止されたことを知る。混乱する女に、夫婦は冷やし中華を提供するよう懇願するが…。はじめられなかった冷やし中華を皮切りに、出生とそれにまつわる人々の人生が浮かび上がっていく。
実在の人物である、文学者・医者のユダヤ系ポーランド人、ヤヌシュ・コルチャックの後半生を描く。第一次世界大戦後、ユダヤ系とポーランド系の孤児院を運営するコルチャック。その孤児院は、厳しい管理や強制ではなく、子ども達の自治を実践していた。子どもを一人の人間として尊重し、彼らの自治による世界を実現するという、革新的な彼の主張は、1989年に国連で制定された「子どもの権利条約」に生かされている。ナチスのユ
碧血碑――。北海道・函館にある、戊辰戦争で死んだ旧幕府軍の侍を祀った碑である。義に殉じた男の血は三年経つと、碧色の宝石に変わるという、荘子にある故事から命名された。太平洋戦争直後の焼け跡。碧血碑を前に、倭人を憎むアイヌの男と、アイヌを憎む倭人の男の、義を巡る友情譚。
祈りのナガサキを舞台に紡がれる母と息子の命の物語。2021年夏、ヒロシマ(『父と暮せば』)、オキナワ(『木の上の軍隊』)に続き、ナガサキを描くこまつ座「戦後"命"の三部作」第三作が待望の再演。井上作品の担い手として数多くの作品を手掛ける演出の栗山民也、情感豊かな演技で陰陽併せ持つ母親像を表現した母・伸子役の富田靖子、母への想いを熱量豊かに演じた息子・浩二役の松下洸平。井上ひさしの遺志を受け継いだス
コロナ禍の2021年3月に創作した本作は、演出/台詞を全てそっくり同じまま配役の性別を入れ替えたダブルキャスト、2つのバージョンで上演。また、振付に数々の受賞歴のある振付家/ダンサーの黒田育世氏を迎えた。ある冬の朝、主人公がやってしまった「おねしょ」から始まる。いささかの後悔と共に布団を干し、食事をしてから煙草を吸い、風呂に入る。そういったささやかな一日のスケッチが、主人公の一人言と共に描かれる。
日本を代表する幻想作家・泉鏡花彼の傑作であり、2019年に劇団グスタフで上演した「天守物語」と対をなす作品。シアターグスタフならではの舞台装置で山奥の苔むすような雰囲気を再現。わたなえベ佳英の脚色、演出家抱晴彦による演出、和楽器の生演奏で、新たな表現で泉鏡花の幻想世界の魅力を伝えるとともに、美しい日本語の響き、その魅力を伝えていく。【あらすじ】かつて妖怪と人間との間で交わされた約束が時を経て伝説と
頑張り屋さんの13歳の少女Aが、難病の少女Bのケアについて、少女Bの母親から学校のクラスへの強い介入を受ける。自身もネグレクトを受け孤独な少女Aは、唯一心を許す担任の男性教師の中に自分の居場所を作るため、自ら少女Bのケアを買って出て、少女Bから男性担任教師との二人の時間を取り戻そうとする。幼い決意が招く、「罪と罰」の物語。「ほんの少し、ボタンを掛け違えた人の悲劇に寄り添う」がモットーの坂本企画が、
同窓会に集まった5人に、ウジが言う。「今日はちゃんと気づいてほしい。私をいじめたのは、誰だったのか」そして5人は、高校時代の思い出を振り返る。どれもこれも、楽しかったことばかりで。記憶の中のウジも、目の前のウジも、ずっと笑っていて。5人にはずっと、そう見えていて。観客に、ウジの姿は見えない。ウジのセリフは常に、字幕で観客に示され続ける。彼らにとっては、その姿も、その声も、今もそこにあるままだ。
東北芸術工科大学主催の山形ビエンナーレ2022「現代山形考 藻が湖伝説」参加作品。第一部は文翔館議場ホールの前庭で山形の市街や文翔館の外観を背景に、庭内を集団で移動しながらゲーテ『ファウスト』の物語を上演。第二部は「現代山形考 藻が湖伝説」の展示会場となった議場ホールの中で登場人物は自身の旅路を会場内で自由に動き回りながら表現し、観客も自由に動き回り美術品や上演を鑑賞できる形式をとった。
ひきこもりとある家族の物語。舞台は、感染症が蔓延した都市。感染リスクから逃れるために地方に移住する人などもいる中、とある場所で夜中に「ひきこもりを治すことができる」と言われる人物に会うために集まった人々が、朝を迎えるまでを描いた物語。
「準備はいいか、野郎ども!」第4回公演『最遊記』をパワーアップし再上演。沙悟浄役に第3回公演以来の出演となる郷本直也を配し、キャスティングを一新。また、「清一色編」が新たに加わり内容も一層の厚みを増した。三蔵、悟空、悟浄、八戒、それぞれの持つ重い過去が、妖怪たちが荒れ狂う桃源郷を舞台に絡み合う。戦いに明け暮れる日々。次々と現れる強大な敵。いつ果てるとも知れぬ永い旅路の果てに三蔵一行の見るものは?
気鋭の作家、柳美里の主宰する劇団「青春五月党」と、演出家・俳優である松本修の主宰する演劇創造カンパニー「MODE」による1992年の作品。崩壊した「家族」の蘇生の物語。
祈りのナガサキを舞台に紡がれる母と息子の命の物語
アルゼンチンの小説『脱獄計画』を原案に、かつて作られた上演にまつわるインタビュー。インタビュアーであるロビンは、上演で何が起こったのかを探っていくはずだったが、徐々に当時の「出演者」による再現に巻き込まれていく。徐々に明らかになっていく、「演出家」という存在の目論見。それは『脱獄計画』の解釈として語られる、演じることと死にまつわる、奇妙な演技論だった。
舞台は「観光地としての安楽死特区」──。この町では観光の目玉として、より安楽に、より尊厳を保った形での死に方を様々なサービスとして提供している。超高齢化社会と終活の問題、そして、究極の自由とも言うべき「死ぬ自由」という観点をベースに、それぞれが孤独に向き合うしかない「死」の問題を重層的かつ多角的にあぶり出す。
あらすじ「だから、周りの人に聞いてみようと思います。どうすればいいのか」よく考え事をしている最中に終着点を見失う伊藤。そんな伊藤はたった一人の友人の一言に悩まされることになる。いつものように考えても仕方がないと、周囲の人間に悩みを打ち明ける。伊藤が辿り着いた終着点とは。
バイカル湖の南、イルクーツク近郊を流れるアンガラ川にある発電所の大建設現場。自由奔放な協同組合の人気者、ワーリャを巡る男達。「安売り女」と陰口を叩かれながら、そんな事を気にも留めず我が道をゆくワーリャ。恋人、友人、仲間たちとの交流の中でワーリャは自立した大人の女性へと成長してゆく。彼女を変えたものは一体なんだったのか……恋愛、友情、そして働く人間たちの葛藤を描いた青春群像劇。
(フライヤーより)私生児をみごもりナチの施設〈レーベンスボルン〉の産院に身をおくマルガレーテは、不老不死を研究し芸術を偏愛する医師クラウスの求婚を承諾した。が、激化する戦火のなか、次第に狂気をおびていくクラウスの言動に怯えながら、やがて、この世の地獄を見ることに…
罪を犯した女の一生を辿る、滑稽ながら切ない怪作。現在活動休止中のガレキの太鼓が、「女だらけの人間賛歌」と銘打って行った。旗揚げ2年目で、口コミサイト全国4位に躍進した代表作の、再演。アゴラ劇場の前を、キャンセル待ちが長い列を作った。肩を震わせ泣いたあの子の、人生の物語ひざまずいて許しを乞えば、どこから始められるだろう私が何かをやったとて、誰に関係なんぞあるあなたが何かをやったとて、私の目には入らな
昇進が決まり東京の本社に移動することになった娘、文は父親をひとり実家に置いていくことに不安を覚えていた。そこで、文は父のかつての同級生で、寡婦である道子との再婚を斡旋する。しかし、父と道子が再会し距離を縮めていく様子を見ていた文は亡くなった母親のことを慮らずにはいられなかった。複雑な想いを抱えたまま東京への出発の日は近づいていく。文と父の暮らしている町の様子と町の子どもたちの成長を文の移り行く心情
天竺へ向かう途中、三蔵法師一行が立ち寄った海辺の村の小さな孤児院。バケモノの脅威に晒されながらも小さな幸せを守り続けていた孤児院には秘密があった。これは人魚を巡る人間とバケモノの過去を乗り越え心を通わす物語。
劇団創立50周年記念公演Ⅲ
劇団演奏舞台創立50周年記念公演のラストとして上演した本作は、同劇団旗揚げ公演にて上演された同名作品の完全リメイク版。原作は、『ひげよ、さらば』等を世に送り出した児童文学作家・上野瞭氏の同名児童文学。「さむらい」「おとのさま」「山んば」など、飛び交う言葉はさながら時代劇だが、現代社会に生きる私たちに様々なことを考えさせてくれる作品である。
貧しい農村に身を置いた宮沢賢治は、儘ならぬ現実と崇高な理想、そのあわいで悪戦苦闘しながら、まっすぐに理想に向かおうとした。早世した彼の生涯を、父・政次郎は「天馬」に例えた。また、妹のトシも大変な才女でありながら、若くしてこの世を去っている。宝石のような二人に先立たれた親を想いながら、東北の俳優たちと『銀河鉄道の夜』を、賢治が愛した演劇を用いて、“劇”を、する。滅多に星空を見上げなくなった、わたした
人の死を看取る日々を送る看護師の「楠美」はある日、自身が肺癌の末期であることを知る。直ちに入院を強いられるが、そう長くない余命であることを悟った楠美は家に帰ることを願う。その思いを汲んで楠美の母は「末期患者の在宅医療」を専門とする医師「渡良瀬」に娘の治療を託すのだが、渡良瀬は「医療に笑いを」を信条に、コスプレ姿で往診に来たりする「変わり者」だった。楠美の家族戸惑うが、やがて患者を第一に思う渡良瀬の
世田谷シルク第11回公演
クリスマスの晩、チルチルとミチルは、老婆の娘の病気を治すために、幸せの象徴とされる青い鳥をさがしに旅に出ます。行先は、「思い出の国」、「夜の国」、「森の国」、「死の国」、「贅沢な国」、「やさしさの国」、「未来の国」。しかしどこに行っても青い鳥は見つかりません。そこで二人は帰宅し老婆にそのことを告げようとすると、老婆は家の中にずっといた鳥を欲しがりました。よく見ると、その鳥は青く変化していたのです。
1本の老木をめぐる3つの物語。時代の転換点に浮かび上がる多様な思考。チェーホフの名作『桜の園』をベースに矢内原美邦が独自の視点で描いた1本の老木をめぐる3つの物語。この木を伐るか、否か。そこにはそれぞれの主張があり、賛成があり、反対があり、いくら言葉を費やしても果たしてそこに正解はない。言葉は意味を失い、時間を失い、どこか遠くのほうをさまよいはじめる。もう誰も信じない... 君が「そうだ!」という
お笑いのライブで知り合った楠木と菖蒲は、互いの友人を誘って親交を深めて行く。二人の紹介で知り合ったシトロネラとヒソップは恋に落ち、ほどなく結婚式をあげるが、その直後シトロネラは水を飲むと湖になってしまうという奇病に侵される。二人の闘病生活は次第に疲弊しついにシトロネラに死の宣告が訪れる。ボリス・ヴィアン作『うたかたの日々』を大胆にアレンジしSF的世界観をシュールな舞台表現で描いた乱舞する愛の讃歌。
「長い正月」は、とある家族の1924年から2024年までの"100年の正月"を定点観測する、ささやかな大河劇。「人生は短い。この正月は長い」がキャッチコピー。誰にも平等に訪れる"正月"という時間を100年の長いレンジで扱い、戦争、震災、コロナ…といった歴史的事象を織り交ぜつつも、市井の人々の暮らしと営みに光を当て、ドラマを見出した。戯曲は上演後、演劇批評誌「紙背」に掲載。
開校50年という節目に廃校する高校。最後の卒業生とかつてその高校に通っていた者の魂たち。出会いがあれば別れがある。「さようなら」の向こうに、何があるのか。そこに残る余韻は、どこにつながっているの。時を超え生死を超えひとつの終焉を共有する人々の、「接続」をめぐる物語。フルキャストオーディションを経て数百名の中から選ばれた24名。2チームによるダブルキャストでお届けします。
老人ホームサンライズで働き始める介護職員A子。彼女が体験する福祉の現場は想像以上に過酷なものだっ た。しかし、そこで入居者のB二郎と出会う。仕事に翻弄されながらも福祉という繋がりの中で2人の間に 生まれる友愛、そして1人の人を看取るまでを芝居で表現。後半は、B二郎の歩んできた道のりをたどる30 分間の舞踏で構成する、演劇とダンスを使った、A子とB二郎、ふたりの絆の物語。
おしゃべりだった兄の話をしようと思って、中学2年生の兄は世界の中心だったと思うんです。兄が高校1年生の時、兄の不幸の始まりでした。先に言っておくと、兄はこの先壊れます。あともう一つ言っておきますと、これは「演劇」の話ではなくて、まずこれは「兄」という「人間」の話で。壊れていく「兄」と、滅んだ「僕」と。あと兄に関わった、兄を愛したり憎んだりした「周りの人達」の。まぁ別に大した話じゃありません。
東京成人演劇部vol.1
大人計画主宰、松尾スズキが演劇部を始動。8050問題の親子、ドキュメンタリー作家志望の学生と教授を描く安藤玉恵との2人芝居。第71回読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)受賞80代で認知症気味の母親エイコ(安藤玉恵)と、ニートでアルコール依存症の50代の息子オサム(松尾スズキ)。貧困生活を送っている2人を、ドキュメンタリー作家志望の女子大生アサダ(安藤玉恵・2役)が撮影し密着していた。エイコの年金を当てに
―――つかぬことを伺いますが、わたしのこの身体はどこの誰のものですか。現代美術家と手をとり、“ミュージカル・ミーツ・現代アート”と銘打った本作では、よりフラットな視点から舞台、とくに演劇という表現形態が見つめ直された。「主人公の若者が入院中に舞台作品の台本執筆を通じて、青春からの脱却を果たす」という物語のなかで、音楽とともに夢と現を行き来しながら、ドラマならびに劇場空間全体からあらためて演劇の演劇
ミュージカル
19世紀半ばのロンドン。クリスマス・イブの宵、金貸しのスクルージはひたすら借金を取り立て、献金を拒み、人々に嫌われるばかり。そんな彼のもとに深夜、死んだはずの友人マーレイの亡霊とクリスマスの精霊たちが現れる。彼らはスクルージを過去、現在、未来へと連れていく。幼い頃の妹とのクリスマス、イザベルとの恋と別れ、事務員のクラチットの家族や甥のハリーの慎ましいが幸せなクリスマス、そして思いもよらない未来…。
独り暮らしの老女「ハルさん」は70歳。「イッコ」は小学5年の女の子。好きな人の名前が同じ「新一郎」という共通点を発見して仲良くなったが、少女と老女の意外な事実もまた明らかに……。イッコは学校にほとんど行かず、拒食症になっていること。ハルさんは末期ガンで余命幾ばくもなく、断食して死のうと思っていること。二人には「食べない」という共通点もあったのだった……。 死をどう受け入れるのか? 孤独とどう向き
ローマ帝国の将軍タイタス・アンドロニカスは、ゴート族との戦いに勝利しローマに凱旋する。民衆はタイタスに、空位だったローマ皇帝になるよう要望するがタイタスは固辞し、かわりに先帝の長男サターナイナスを指名する。新皇帝サターナイナスは、捕虜であるゴート人の女王タモーラを妻にする。タモーラはタイタスに強いうらみをもっている。愛人アーロンや息子たちを使い、皇后という立場を最大限に利用して、タイタス一家を次々
コロナリポート
Sign:忙しなく動き続ける体と、短時間に凝縮した数多くの身振りで構成された10分間のダンス。振付を覚え練習することで、コロナ禍の滞留した時間を前に進めることを目的に制作された。Out:neji&co.のプロジェクト最終作。俳優によって上演されるテキストを用いた作品。2020~2023年を振り返りながら、過去から現在を通過した未来まで、私たちの生の「外」にある時間を想像する。
1930年代、アメリカ西部の広大なカリフォルニアの大地。幼い子供のように純朴で無邪気な大男レニーと、聡明なジョージは、ある農場からやっとの思いで逃げ出してくる。いつも面倒を起こすレニーを、持て余しながらも見捨てられないジョージ。二人は、自分達の小さな家と農場を持ち自由な生活を営むという、ささやかな楽園への夢を語り合いながら、次の農場へと向かう。季節ごとの仕事を求めて農場を転々とする渡り労働者の生活
実話から生まれたいのちの寓話が今、語りかける。ある南の島。ガジュマルの木に逃げ込んだ兵士二人は、敗戦に気づかず、二年間も孤独な戦争を続けた――人間のあらゆる心情を巧みに演じ分け、観る者の心に深く刻みつける山西惇が、再び本土出身の"上官"を演じる。注目の新キャスト・松下洸平は、柔らかく、おおらかな存在感で島出身の"新兵"に挑む。歌手・普天間かおりをガジュマルに棲みつく精霊"語る女"に抜擢。琉歌に乗せ
『父と暮せば』で原爆投下後のヒロシマを描いた井上ひさしが、桜隊の史実をもとに原爆投下直前の広島の3日間を舞台に、戦時下でも演劇を愛し、芝居の力を信じ、「一人ではできないことをしている、一人の人間の力をはるかに超えたなにか大きなもの、なにか豊かなもの、なにかたのしいもの、それを望んで、それをたしかに手にいれている」と身も心も捧げた人々の苦難と喜びを、笑いと歌声を交えながら描く“演劇讃歌”の物語。
元々は大衆浴場だった場所が舞台。しかし、廃業して随分と時間が経って、随分とひび割れていたり、水草が生えたりしている奇妙な空間。そこでは女たちが働いている。あたりが暗くなってくると、やがて、男が女たちのもとを訪れる…。どこまでが本当で、どこからが嘘なのかわからない幻想的な会話が続く…。川端康成の「眠れる美女」をモチーフに、幻想的に、儚く、不思議な物語が立ち上がる。
既成戯曲の演出シリーズ
2018年以降、演出家・大石達起が「既成戯曲の演出」をテーマに「gate」ディレクターを務めてきました。その発展版として上演された、「既成戯曲の演出シリーズ」のVOL.2。『わが町』でお馴染みのソーントン・ワイルダーの戯曲『特急寝台列車ハヤワサ号』を演出家・山口浩章氏(このしたやみ)をお迎えして上演しました。
ホーボーズ・ソングとは、さすらう人達の歌。はみ出し、弾き飛ばされ、飛び出し、居場所をなくし、居場所を追われ、居場所を捨てた人達を歌う歌。あるいは、ホーボーと呼ばれた人が歌う歌。例えば、賛成派と反対派に分かれて内戦を続ける日本があったとしたら。ある男に与えられた任務は、捕虜を尋問し秘密を聞き出すこと。その尋問相手は、かつての恋人だった。沈黙する恋人に、男は二人きりの取調室で混乱した。監視カメラのレン
独裁政権下での人間の尊厳と正義を描く、チリの劇作家アリエル・ドーフマンの名作。1990年に発表されて以来、そのセンセーショナルな展開が世界中に衝撃を与え、今もなお繰り返し上演されています。演出家・弦巻啓太が若い頃から取り組みたいと熱望していたこの問題作を、2023年、青井陽治氏の翻訳でついに舞台化しました。
遊◎機械/全自動シアター第11回公演
『僕の時間の深呼吸―僕は夜中に台所でこっそり懐中時計を呑みこんだ―』と並ぶ、「遊◎機械/全自動シアター」の人気作。1987年に初演された作品の再演である。高泉淳子演じるロイド眼鏡、蝶ネクタイ、半ズボンにランドセルという姿の小学生・山田のぼる君が不思議世界を次々と経験していく。
宇宙旅行を企画する会社で働く主人公サルタは新たな旅行先の調査中に事故に遭い、氷で覆われた星に不時着。そこで彼は、20年前宇宙旅行のさなか、事故に遭遇し行方不明になった同級生達と再会する。彼らは当時の姿のまま、氷に包まれた惑星で救助を待ち続けていた。大人になれなかった彼らと、大人になってしまった私たちを巡る、約束と失望の物語——。2014年、2017年と好評を得たSF冒険活劇の待望の再演。
2018年夏。33歳、独身、彼女なし、アルコール中毒、元詐欺師前科一犯の“穴蔵の腐ったバナナ”は、マッチングアプリ・TSUN-TSUN(ツンツン)に友達を募る書き込みをする。出会い系サクラのバイトをしていた“男”は、釣られているとわかりながら課金してきたバナナに興味を持ち、彼と会ってみることにする。「人を救いたいんだ・・・」と言うバナナと男はいつしか、僕/俺「ら」になり、探偵の真似事をしながら諸悪