ところは関東のある小都市、某不動産会社のバックアップで、リゾート開発をめざしていた保守党の市長が、愛人宅で急死した。
後援会が後継者選びに苦心する間に、反対派閥の県議がはやばやと立候補を宣言し、不動産会社もそっちへ寝返る。あわてた市長派は、大学助教授である市長の娘婿に白羽の矢を立て、東京から呼び戻した。
理想家肌の助教授は、教育文化都市の建設を説き、クリーン選挙を条件として立候補を承諾した。ところが選挙参謀や後援会が活動をはじめると、すべてはカネ、カネ、カネである。助教授は抵抗するが、金権選挙の風土には勝てず、不本意ながらどろどろの事前運動にまきこまれてしまう。
やがて、助教授夫人の不倫をあばく怪文書がばらまかれた。助教授の家庭は破綻寸前となるが、選挙カーの上ではおしどり夫婦を演じなければならない。助教授は身も心もボロボロになって行く。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場
1964年日本新劇界のパイオニア、秋田雨雀と土方与志に戦後教えを受けた俳優・演出家が中心となって結成。今日の社会を描く現代劇の創造を進める一方、青少年のための優れた演劇の創造を追求し、2024年には創立60年を迎える。また、小劇場企画として「戦後日本演劇が生み出した秀作」の掘り起こしにも挑んでいる。現在、年間3~4回の東京公演及びスタジオ公演、50~100回の地方一般公演など一般観客を対象とした公演と、年間100回程度の学校公演や子ども劇場での公演、文化庁委託「舞台芸術による子供の育成総合事業」公演など、年間200回近く、延べ観客10~15万人という公演活動を行っている。近年は学校での公演数が減少の傾向にあるが、様々な公演の形を追求し、青少年劇場公演の充実に努めている。また、1978年には「夜の笑い」と「かげの砦」の舞台成果に対し、第13回紀伊國屋演劇賞団体賞受賞。1980年「夜の笑い」がフィレンツェ第13回国際演劇祭に招聘され参加。2002年「17歳のオルゴール」で、アシテジフェスティバル・イン・ソウルにフリンジ参加。2005年「銃口~教師・北森竜太の青春」で韓国14都市を巡演(日韓友情年記念事業)など、国際交流にも努めている。 劇団構成は20代から80代まで、劇作家・俳優に加え、制作部門や演出部門の専門家約20名も有し100名近いメンバーが年間を通して演劇活動に従事している。
山奥に一人住む祖母を訪ねた若い4人の孫たちが聞かされた奇怪な伯父・叔母の過去。果たして虚か実か?(「鍋の中」)関東大震災の余震が続く中、朝鮮人と〝ファイヤガン″をめぐって色めき立つ警察署(「ファイヤガン」)好評を博した「夜の笑い」に続いて時代と社会を痛烈に風刺する飯沢喜劇。
東北のある中学校。生徒数11人、1年生から3年生まで1クラスの障害児学級。新学期を迎え、新しく担任となった谷川はこのクラスの自由奔放さが、勝手気ままな規律のない生活としか映らなかった。“かげっこ”と陰口をささやかれながらも純真に精一杯生きていく生徒たちに触れる中で、谷川も子供たちへの理解と愛情を深めていった。そんな時、普通学級に移った君枝のクラスで盗難事件があり、君枝が心無い詰問を受けていることを
第二次世界大戦末期、日本の刑務所で、ある看守が殺された。新任の若い看守が殺人犯の捜索にあたる。殺された男の服のポケットには一編の詩が入っていた。その詩を書いたのは尹東柱(ユン・ドンジュ)、刑務所の囚人だった。男はなぜその詩を持っていたのか?誰がなぜ男を殺したのか?韓国の国民的詩人として愛される尹東柱の最後の日々を想像力豊かに描いたイ・ジョンミョンの小説を、日韓の演劇交流を続けてきたシライケイタ氏の
80分しか記憶が持たない数学博士と、シングルマザーとその息子の心温まる交流を描く感動の物語。ミリオンセラーとなった原作を、博士との交流による母と子の心の変化を軸に舞台化。2007年に文化庁の事業に採択され、小規模校などでの上演も実現、子ども劇場、演劇鑑賞会、実行委員会など様々な形態で2010年まで巡演を続けた。また2014年からは外部の演出家による新たな舞台を創り、巡演も行った。