20世紀の幕開き、ある英国貴族軍人と日本人女性の間に芽生えた愛。それは20世紀の激動の時代に翻弄され、数奇な軌跡を辿っていった……
十数年前に発見された、英国軍人から日本人女性に送られた日本語による千通に及ぶ手紙をもとにNHKラジオの特別番組「日本人になりたかった男」が放送されたのは昭和62年夏。大きな反響を呼ぶ。そして、二人をめぐる家族の物語として「ピーチブロッサムへ」が出版された。
1902年「憧れの日本」にやってきたアイルランド貴族の軍人、アーサー・シノットは桃花の下に佇む下町育ちの大和撫子小川まきを見初め、ピーチ・ブロッサムとあだ名する。二人は間もなく所帯を構えるものの、大英帝国の武官たるアーサーは香港、ビルマなどでの勤務を、そして遂には第一次世界大戦への従軍を強いられる。この二人を切り離す時間と距離を埋めるように幾百の手紙が交わされた。アーサーとまき、そして混血の宿命を背負って生まれてきた清の歩んだ波乱に満ちた人生は、真実の重みを持って私たちの胸を衝く。
劇団文化座は戦時下の1942(昭和17)年2月26日に結成される。同年4月第1回公演梅本重信作『武蔵野』で旗揚げ。敗戦間際の昭和20年6月、日本の現代劇の紹介という名目で満州に渡り2か月後に敗戦を迎え、一年間の難民生活を経て帰国。以来、「戦争と日本人」にこだわった作品、日本の底辺に生きる人々に寄り添った作品、現代を映す鏡となる現代劇を生み出し続けている。
時は明治14(1881)年、商人や船乗りが行き来し活気あふれる小樽の町なかに、煮売り、代書、髪結、俥などを商う小さな店「きし屋」があった。そこに片寄せ合って生きているのは、年齢もバラバラ、といって家族でもない、いわくありげな三人の女とその仲間たちだった。彼女たちはなぜ結びつうき、ここ北の果て小樽にたどり着いたのか? そしてやくざから立ち退きを迫られている「きし屋」の運命は?
昭和十六年、、若狭の堀口家では、当主文蔵の野辺送りが行われていた。うるし取りで一代の財産を築いたにもかかわらず、放蕩の血が、いつしか体内を蝕んでいたのである。そんなおりもおり残された妻りんのもとへ、二人の若者が訪ねてくる。文蔵が舞鶴の女に産ませた富吉と、弟の千太である。日陰の身であった下駄職人の富吉を憐み、りんは実母のような労りを見せる。富吉もりんの優しさに応え、下駄作りに励むのだったが、その心に
高井かおると島田とも子、現在51歳。高校時代からの親友であるが、性格も考え方も今まで歩んできた道も正反対。かおるは愛する夫と二人の子供に恵まれ、主婦として平穏な生活を送ってきた。しかし夫の浮気が発覚し、どうしてもそれが許せず一年まえに離婚。とも子は大学卒業後、出版社に勤務、キャリア・ウーマンとして独身を通してきた。しかし彼女も出版社の倒産という憂き目にあう。そんな人生のターニングポイントを迎えた二
「汝殺すことなかれ・・・また、おのれの如く汝の隣人を愛すべし」このイエスの言葉を素朴に信じて召集を拒み、戦争に反対した片倉友吉。彼は、名もない一介時計工場の労働者である。だが、大戦の遂行か下にあっては言うまでもなく非国民扱いであり、死よりも過酷な罵倒と拷問と脅迫が彼を待ち受けていた。さらに彼だけにとどまらず、周囲の人達をも巻き込んでいった。父は自殺、弟は職を追われ暴死。そして母親が、妹が、友人たち