極東最大のアメリカ空軍基地である嘉手納飛行場。この飛行場近くの小高い丘で観光客相手に「基地観光のガイド」をする一人の老人。「戦争中、何が何だかわからない内に取り上げられて、日本軍の飛行場になって…戦争が終わったら今度は、アメリカの飛行場になって…土地は取り上げられたまま…戻って来ない…」沖縄戦…アメリカ統合…本土復帰…日本とアメリカに振り回されてきた庶民の苦しみと怒り…。津嘉山正種が魂を込めて語る沖縄人の「命口説」。
劇団俳優座に在籍していた10名の若手俳優たちが日本の現実を反映させた創作劇の上演を強く願い、1954年劇団青年座を創立しました。現在劇団員と研究生をあわせ約200名が所属。創作劇の他、海外現代戯曲、過去の秀作等、幅広いレパートリーを有しますが、創立からの基本理念は変わることはありません。今後も日本の創作劇上演を柱にした公演活動を続けることによって日本演劇の民主的発展に寄与し、舞台芸術を通して日本文化の向上をはかることを目的として活動します。
昭和九年十二月二十四日月曜日。東京本郷区曙町にある理学博士寺田冬彦邸。主、冬彦がしかつめらしい顔で煙草をくわえている。別に、怒っているわけではない。普段のことである。まわりには妻りんをはじめ、個性豊かな家族が太陽系宇宙のように取り囲む。そこに突然彗星の如く事件が飛び込んできた!小春日和に雲が差し、雨からやがてしんしんと降る雪に変わる。招き猫が見守る中、寺田家の喜怒哀楽の一週間が過ぎてゆく。
明治45年夏、福岡県糸島郡今宿の海辺の家でノエは進退窮まっていた。東京の女学校卒業後に決められていた結婚が嫌で飛び出したのが春の終わり、恩師だった辻潤のもとへ身を寄せ、「青鞜」の平塚らいてうと出会い、離婚のため戻ってきたが親族はみな猛反対。東京に戻る金もなく針の筵だったある日、「どうせ死ぬならケエツブロウよ、かなしお前とあの渦巻へ―」と謎の文句を残して消えたノエ…。伊藤野枝激動の生涯を、生まれ故郷
「違います!」被告・吉田静子の悲痛な叫び声が法廷に響き渡った。その罪は放火殺人。夫と姑を焼死させたのだ。東京地方裁判所に集められた様々な職業の十二人の男たち。決めつけ、戸惑い、無関心、心配事、様々な人間模様の渦巻く中、真実に向き合わされた十二人の日本人が出した結論とは?昭和三年から十五年間、日本でも陪審裁判が行われていた。
天草出身の巻多賀次郎は、上海を皮切りに大陸を渡り歩いた末、シンガポールに根をおろし、娼館「二十六番館」の主人となった。時は日露戦争前夜、多賀次郎と「からゆきさん」たちは、強い愛国心のもと、遠く離れた祖国と家族のために仕送りに精を出している。ついに日本は日露戦争に勝利した。しかし、時代は、彼らの思いとは反対の方向に流れ出す―。
