北村明子はアジア各地を深くリサーチする「Cross Transit project」を展開してきたが、本作は「日本とアイルランド〜中央アジアへと発展していく長期国際共同制作」である。北村を含めた7人のダンサーの動きは、高度な制動と繊細な表現、そして刃物のような鋭利さに満ちている。人が営む生活の身振りにはその土地の文化が織り込まれているが、それらをダンスに取り込むことで観客の記憶に働きかけてくるよ
北村明子が4年に渡って取り組んできた長期国際共同制作の舞台プロジェクト『Echoes of Calling 』。2022年11月には、ウズベキスタン・アイルランドへの海外ツアーを経て2023年3月に最終公演『Echoes of Calling– rainbow after–』に至る。この公演にあわせ、ウズベキスタンの伝統芸能、吟遊詩人「バフシ」であるアフロル・バフシやアイルランドの伝統歌として知ら
さいたまゴールド・シアター第7回公演
舞台は、東日本大震災から6年が経った福島。避難指示区域では、イノシシが我がもの顔に出没するようになっていた。添田家では、ある日長男の学がイノシシに襲われた。それを助けたのが復興本社に勤めるハタヤマ。学の父・添田良二はハタヤマに感謝したいと家に招き、ハタヤマの固辞にもかかわらず、妻のパエリアをご馳走することに拘る。一方、線路が見える丘の上には、毎日、若い男がやってきていた。線路も駅も流されたあの日、
さいたまゴールド・シアター第5回公演
基地の中に一軒の家があった。その家には、神のお告げを聞くことが出来る“ミラ”と呼ばれる老女と、若い姉妹が住んでいた。ある日、基地のフェンスに沿って島を南北に貫く国道、通称「ルート99」で島の名菓がバラまかれるという事件が起こる。翌日警察は商品を港へ運んでいたトラックの運転手を逮捕する。と同時に一人の映写技師が消息を絶つ。基地内の映画館で働くそのタチバナという若い男は、ミラの家で暮らす姉と密通してい
さいたまゴールド・シアター第4回公演
近未来。安楽死法が施行された日本では、老人は延命医療よりも「最適な死」「りっぱな最期」をのぞむように求められていた。エコロジーという名の下に排除され、それぞれの場所で追いつめられていく老人たち――。そんな時、ある老人ホームでかつてのアイドル歌手の死亡が報じられると同時に、その死には不審な点が多いことがわかった。元ファンクラブのメンバーたちは彼女の入所していた老人ホームに乗り込み、謝罪を要求するにと
今作は、サミュエル・ベケットの戯曲「ロッカバイ」に触発され創作した。 「ロッカバイ」は、家の中で死と向かい合う老女の孤絶を描いていたが、今作は、公園にいる家を失った一人の女にフォーカスした。帰る家を失った女が、かつて住んでいた幻影の家に戻っていく思いにとらわれている。 コロナ禍で仕事や家を失い、公共の場でさらに孤独を深める人たち、その老い、死など現代社会の課題を鮮明に浮彫にする。さらに、今もなお世
その恋、気のせい!?いいえ、木の精のしわざかも・・・妖精、悪魔、人間が繰り広げる、SPAC「祝祭音楽劇」の真骨頂!世界的に活躍する劇作家・演出家の野田秀樹が、シェイクスピアの恋物語を大胆に潤色。富士山麓の「知られざる森」を舞台に、原作には登場しない悪魔メフィストフェレスを忍び込ませ、見る者を夢と悪夢のはざまへと誘う。その巧みな言葉遊びに、宮城聰ならではの機知に富んだ演出と躍動感あふれる打楽器のリズ
----〜である 存在する----自分自身であること----自分自身でありながら他者と存在すること----------他者と存在しながら自分自身である続けることアンビバレントな感情、自信、コンプレックス、独立、依存、競争、協力、諦めなどをキーワードとし、「存在する」ということについて身体的、心理的な側面から考察。
作品ノート「まっすぐ立つ」というあたりまえの姿勢を維持するのにどれだけの外的、内的力を要するか。一度投げ出された物体が様々な放物線を描きながら落下していくように、私達も一度放り出されたらそれぞれの軌跡を描きながら落下へ向かっていく。抗えない物理的な法則を受け入れながらも諦めきれない気持ち。抗いながらも全ての人に平等に与えられている物理的法則に対する安堵。重力に従って「もうこれくらいで」という気持ち