ノイマルクト劇場+市原佐都子/Q
人間の生と性に関わる違和感を、大胆かつ緻密に描く市原佐都子。新世代の劇作家・演出家である彼女と、スイス・チューリヒのノイマルクト劇場の共同制作作品が豊岡に。西洋/男性からの視点で日本/女性を描いたプッチーニのオペラ『蝶々夫人』を原案に、その構造を反転させ、日本/女性からの視点で西洋/男性を描き、人種やジェンダーに対する先入観を痛烈に問い直す。
Noism0+Noism1+Noism2
『春の祭典』は白い病院着のようなものを着た男女。初演が2021年である以上、観客はコロナ禍を想起する。『春の祭典』は人知の及ばぬ自然にひれ伏す人間が、より弱い者を「生け贄」として選び出す話だが、金森はそこを超えて、さらに人々が共に厄災に立ち向かっていく姿まで描きだしている。
久門剛史のインスタレーションは、音や立体、光と影によって詩的情景を緻密に構成し、観るものの身体感覚へダイレクトに介入する。その空間は劇場的とも評され、また、2016年にはKYOTO EXPERIMENTで初演されたチェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』の舞台美術と音を担当するなど、徐々に舞台芸術への関心を高めてきた。その久門が、ロームシアター京都のサウスホールという、自身にとってかつてないスケー
あかちゃんとおとなのための演劇・ベイビーシアター
蛇口からしたたる一筋の水をめぐって、無言の人間がさまざまな姿態を見せる。1980年代の伝説的舞台、太田省吾の戯曲『水の駅』を、あかちゃんと大人のための演劇(ベイビーシアター)として全く新しい演出で上演します。極端に遅い動作で一瞬の生を切り取る手法を生かし、流浪する人間の姿を確かに描いた本戯曲。その中の人間の生の描写をあかちゃんと一緒に見ようという試みです。
1980年代に設立されたマレーシアのファイブ・アーツ・センターは、アクティビストやプロデューサーが主体的に参加する活動体として、彼の地のアートシーンにおいて強い存在感を放っている。本作『Baling(バリン)』の演出を務めるマーク・テは、そのファイブ・アーツ・センターの一員であり、演出家、キュレーター、研究者と多くの顔を持つ。本作で取り上げる「バリン会談」とは、1955年、現政権(マラヤ連邦)とマ
1人のキャストとその日の観客から1人を舞台上に招き、介護する/されることを舞台上に再現した『ツァイトゲーバー』、事前に村川から送られてきた手紙(指示書)に沿って舞台上の出演者が動く『エヴェレットゴーストラインズ』など、ドキュメンタリーの手法を用いながら表現の前提を揺さぶり、同時に生のリアルを追求する村川拓也。今回村川がリサーチの過程で注目したのは、文化会館で数多く開催される「ピアノ発表会」。そこに
アルゼンチン・ブエノスアイレスにおいて、したたかにかつ明確なコンセプトで作品を生み出し異彩を放つ振付家ルイス・ガレーが、2014年に続いて2 度目のKYOTO EXPERIMENT参加を果たす。前回は、「言語学的な身体」への考察から厳格な振付をほどこしたソロ作品『マネリエス』と、身体と物質を対等に扱って、無数のガラクタを舞台上に持ちこん だ『メンタルアクティヴィティ』の2 作品を上演し、いずれも異