佐賀県唐津市の郊外で先祖代々の土地を守り続けてきた専業農家。息子はアメリカに留学し、佐賀の農業大学で講師を務めながら農山漁村と都会の交流をめざす新しい観光業に燃えている。そんな折、農業高校からホームステイで受け入れた高校生はコンビニ依存で…。
クローン牛に遺伝子組み換え、ダイオキシンに環境ホルモン。農業を取り巻く環境が大きく変わる中、食の安全を求めて「身土不二」の教えが再び浮かび上がる…。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場
1964年日本新劇界のパイオニア、秋田雨雀と土方与志に戦後教えを受けた俳優・演出家が中心となって結成。今日の社会を描く現代劇の創造を進める一方、青少年のための優れた演劇の創造を追求し、2024年には創立60年を迎える。また、小劇場企画として「戦後日本演劇が生み出した秀作」の掘り起こしにも挑んでいる。現在、年間3~4回の東京公演及びスタジオ公演、50~100回の地方一般公演など一般観客を対象とした公演と、年間100回程度の学校公演や子ども劇場での公演、文化庁委託「舞台芸術による子供の育成総合事業」公演など、年間200回近く、延べ観客10~15万人という公演活動を行っている。近年は学校での公演数が減少の傾向にあるが、様々な公演の形を追求し、青少年劇場公演の充実に努めている。また、1978年には「夜の笑い」と「かげの砦」の舞台成果に対し、第13回紀伊國屋演劇賞団体賞受賞。1980年「夜の笑い」がフィレンツェ第13回国際演劇祭に招聘され参加。2002年「17歳のオルゴール」で、アシテジフェスティバル・イン・ソウルにフリンジ参加。2005年「銃口~教師・北森竜太の青春」で韓国14都市を巡演(日韓友情年記念事業)など、国際交流にも努めている。 劇団構成は20代から80代まで、劇作家・俳優に加え、制作部門や演出部門の専門家約20名も有し100名近いメンバーが年間を通して演劇活動に従事している。
碧い海 白い砂浜 輝く太陽 この青春は放したくない!昭和18年、海に憧れ、自由な校風に憧れた少年たちが、新設された清水高等商船学校の門をくぐった。しかし少年たちを待っていたのは、軍規第一の非人間的画一教育であった…。事実を基に書き起こされた小説「青春の砦」を、自身も軍隊経験のある瓜生正美が舞台化。1987年まで全国で747回上演。1995年には戦後50年記念として演出も新たに上演した。
1945年8月9日、戸坂潤は獄死した。戦争が終わるわずか数日前のこと。時は遡ること13年前。「野蛮で反知性的なファシズムに対し、我々はあくまでも知性を武器にして闘い抜く」と、戸坂潤は岡邦雄、三枝博音と共に唯物論研究会を立ち上げた。しかし「危険思想を広める恐れがある」と特高警察の監視が始まり、やがて集会禁止から執筆禁止に。それでも彼の楽天性が奪われることはなかった。
わずか一週間で草案を作成したGHQ民政局員たちがいた。ジャズの名曲にのせて描く日本国憲法誕生の舞台裏。1946年2月4日、東京日比谷のGHQ(連合軍総司令部)の一室に集められた25名の民政局員は、22歳のベアテ・シロタをふくめ20代から50代の多士済々。機密厳守の命令の下、直ちに立法、人権、天皇などの7つの小委員会に配属される。今、まさに日本国憲法を生み出す作業が始まろうとしていた!2015年、別
山奥に一人住む祖母を訪ねた若い4人の孫たちが聞かされた奇怪な伯父・叔母の過去。果たして虚か実か?(「鍋の中」)関東大震災の余震が続く中、朝鮮人と〝ファイヤガン″をめぐって色めき立つ警察署(「ファイヤガン」)好評を博した「夜の笑い」に続いて時代と社会を痛烈に風刺する飯沢喜劇。