東京にあるビルメンテナンス会社・美装総合サービス。
社長の紘子、ベテランの直美、シングルマザーの美鶴、22歳の健太らはビルの清掃にやりがいを感じながら仕事をしている。
そんなある日、越田と遥が新型コードレス掃除機の営業にやってくる、いいことづくめのこの掃除機。
従業員の負担が少しでも減れば…と紘子は一台お試し購入することに。
ところがその実態は真っ赤なウソだった!!!
1972年創立。平和と人間愛を求め、”本当に人間らしく豊かに生きるとは何か”をテーマに創作劇を中心に上演。拠点となる板橋区の銅鑼アトリエ・劇場公演を実施、全国から世界へ作品を届けている。演劇上演の他に、”演劇の力を社会に生かす”ことを目標に地域や他団体と連携した各種ワークショップ事業も展開中。劇場のバリアフリー化にも力を入れている。
震災後、「ことば」を失ったぼくらは「家族」についての思いを巡らせた。そして、「あやなす」というコトバに出会う。ひとの糸は織り交わり、しがらみ、模様を描く。この作品に台本はない。稽古をしながら、アイデアを絡ませていく。ときに折り合いをつけながら。ぼくらは「家族」を褾るための「ことば」を探した。それは震災で失った「ことば」を探る作業。この作品において、口から発せられる「ことば」はない。きっとぼくらの中
浅見光彦と若者達に託された、戦後半世紀の誓いとは?「旅と歴史」編集部の依頼で長野県中野市を訪れた浅見光彦とフリーカメラマン・小内美由紀は八幡神社を巡礼している飯島という老人に会う。不思議な言葉を残して去った老人は、その後秋田で死体となって発見された。老人の足跡を辿って全国の八幡神社を訪ねるうちに、元文部官僚のこの老人の戦後の生き様と秘密を知ることになる。そして、今後は高知で文部省出身の若きエリート
アウシュビッツ博物館(ポーランド)から東京のホロコースト教育資料センターに貸し出された茶色い古びたかばん。かばんには、ハンナ・ブレイディ 1931年5月16日生まれ ドイツ語で“孤児”と大きく書いてありました。ハンナは、どんな女の子だったの?劇団銅鑼アトリエ、東京芸術劇場ほか様々な場所で・・・あなたとハンナを探す旅が始まります。
東京郊外の星川眼科医院。医院長の賢一は、閉院を決意した。そして賢一は、医院に三〇年間勤め、彼の一人娘の母親代わりをもつとめた看護師の陽子に蓼科のコテージをプレゼントし、勇退。これで一件落着。ところが「先生、私、嘘をついていたんです。ここはどうしても、先生に辻褄を合わせていただかないと」「私、死ンジャウワ」とまでは言わないけど、ともかく、賢一、その嘘にノルことになって初冬の蓼科へ。陽子の看護学校時代