青森県立三本木農業高校。その敷地面積は、東京ドーム11個分!
入学したマナミたちは、1年目は寮生活。可愛い制服を着ることもなく、毎日作業着で、早朝から糞の匂いにやられながらも家畜たちの世話に励む日々。
ある日、見学に訪れた動物愛護センターで、殺処分された動物たちの骨が「ゴミ」として捨てられていることを知る―
自分たちにできることはないだろうか?
オンデマンド配信。
2030/10/2まで
1972年創立。平和と人間愛を求め、”本当に人間らしく豊かに生きるとは何か”をテーマに創作劇を中心に上演。拠点となる板橋区の銅鑼アトリエ・劇場公演を実施、全国から世界へ作品を届けている。演劇上演の他に、”演劇の力を社会に生かす”ことを目標に地域や他団体と連携した各種ワークショップ事業も展開中。劇場のバリアフリー化にも力を入れている。
1939年9月1日早朝、ナチス・ドイツは、宣戦布告なしにポーランド攻撃を開始した。第二次世界対戦の勃発である。ソ連も素早く介入し、ポーランドは二分される。そして、その頃のポーランドには350万人のユダヤ人が住んでいた。ユダヤ人のヤンクル家とメンデル家の人達はナチスの手から危機一髪逃れることができ、ユダヤ人難民救援委員会のメンバーであるデビットの助けでリトアニアの首都カウナスのアパートに潜むことがで
東京郊外の星川眼科医院。医院長の賢一は、閉院を決意した。そして賢一は、医院に三〇年間勤め、彼の一人娘の母親代わりをもつとめた看護師の陽子に蓼科のコテージをプレゼントし、勇退。これで一件落着。ところが「先生、私、嘘をついていたんです。ここはどうしても、先生に辻褄を合わせていただかないと」「私、死ンジャウワ」とまでは言わないけど、ともかく、賢一、その嘘にノルことになって初冬の蓼科へ。陽子の看護学校時代
バルト三国の一つリトアニアの首都カウナスで六千人のユダヤ人の命を救った日本人外交官杉原千畝1992年初演、リトアニア公演、神戸ボランティア公演を経て上演回数350ステージを超えた「センポ・スギハァラ」・・・その経験を生かした新作!
地方都市。生きる希望を求め思い出の地へと辿り着いた青年・服部公平。かつて映画技師をしていた映画館は廃墟となり、街には行くあてのない孤児たちがいた。昭和24年1月GHQの提唱のもと、新少年法施行に伴い全国一斉に家庭裁判所が設立された。そして映画館は、新庁舎建設までの仮庁舎に。家庭裁判所としての初日。近藤判事は一枚の書類を目にする。やっかいな文字・・・窃盗傷害。連行されてきたのは、反抗的な目を持つ少年
