元藤燁子は前年アスベスト館で「アバカノヴィッチへの手紙」を上演。そのアバカノヴィッチと元藤の共同作品が、広島市現代美術館で改訂版として再演。戦争体験をもとに人間存在を問う作品として、同館の被曝50周年記念展のオープニングを飾った。本作は、「沈黙する肉体」のサブタイトルで、アバカノヴィッチの人体彫刻の無名性を舞踏の人体をもって表現しようと、情感を排し裸体で顔を隠した男性舞踏家の群舞で演じられた。
元藤燁子は、土方巽由来の舞踏の表現を「マンダラ」として捉え、踊りに美術や照明、音楽が共鳴する舞踏の表現を目指してきた。そしてまた、文化が爛熟した江戸時代の粋で洗練された表象を自らの舞踏に取り入れることにも努めてきた。本作では、アスベスト館の小ぶりな空間を生かして、元藤はその卓越した舞踊の技術をもって小粋な踊りを披露しつつ、舞踏手たちの技術的な習練の成果を生かした作品に仕上げている。
アバカノヴィッチの母国ポーランドでの「アバカノヴィッチへの手紙」の公演。本作はアバカノヴィッチと元藤燁子との共同演出の作品として発表されてきたが、ついにポーランドに招かれての上演となった。ワルシャワで開催のアバカノヴィッチ展のオープニングに合わせての野外公演で、男性舞踏手の群舞と元藤のソロのダンスに、斎藤徹のベースと2本の箏(17弦)が加わり、悲惨な歴史の地ポーランドでの鎮魂の舞踏となった。
2007年東京初演。舞踏家みずからの分身を流木を用いた木偶人形であらわすことで、自他、自己、その他の人間状況をさまざまな局面から追求する作品。何ら意思をもたないヒトガタが最終景には人間の規格を超えて、より進化した存在へとなり変わる。メキシコシティにおいても現地の人形作家との共同作業のもとに上演され話題になった。
2010年12月東京初演。あらゆる歴史的過去から切り離され、縹渺とした現代性の荒野に生きる人間の状況を直截的な手法で浮き彫りにしたもの。大災害や破滅を示唆する舞踏は、間もなく起きる大震災や放射能汚染を予知したものとも評された。欧米やロシア、ウクライナ、イスラエル、メキシコ、インドネシアでも上演され極度に乾いた世界観は各地で衝撃を与えている。
「日月潭」とは「光と影」の物語である。そして「光と影」が織りなす迷宮を旅する男の「引き裂かれた魂」がお互いを探し求める物語でもある。あるときは鬼神に、またあるときは観音にも変化する「影」に誘われて、いくつかの扉を開いてゆく。水鏡の底から歩いてくるもう一人の自分。伸縮する迷宮の中で起こる死と再生の儀式。退行していく夢。夢という肉体が螺旋の渦に巻き込まれていく…。
元藤燁子からの誘いで古巣であるアスベスト館で週一回のワークショップを開講した和栗由紀夫が、「土方巽メソッド研究会」と名付けた会で、土方巽の孫弟子にあたる受講生と行った第一回目の公演。鼈甲飴とはフォルムのことで、それは人の形を指している。一人一人が自分の形を見つけ出す、そうあってほしいという思いをこめて和栗が名づけた。
とりふね舞踏舎旗揚げ公演で1992年に初演され、アヴィニョン演劇祭やニューヨーク、京都上賀茂神社など、国内外で上演を重ねている作品。子を置いて自死した友人の作家・鈴木いづみをモデルに、三上賀代が修士論文で明らかにした「土方舞踏譜」を使って振付・構成されている。例えば前半の「子を抱く幽霊の通過」の舞踏譜は「子を抱く幽霊の通過―流れる首―子を抱く-月光―シーツ-天井の糸―オーイ」。後半の景は「愛の日々