昭和18年、戦争の早期終結の為には、軍部独裁を強める東條内閣を打倒するほかないと考えた中野正剛。重臣会議により東條英機を退陣させようとするが、その工作は失敗に終わる。逆に造言飛語、倒閣疑惑により警察に拘留されてしまう。10月26日に釈放されたが、憲兵隊の監視付で自宅で監禁される。憲兵は中野正剛を脅迫、自白を強要し議員辞職を迫る。ペンを折られ、言論の自由を封じられ、監禁された中野正剛。しかし、彼には
江戸時代、福岡藩は東西二つの学問所を設立。朱子学派、徂徠学派と異なる学派の館長を擁し、互いに競わせようとした。東学問所の館長に任じられた竹田定良は学問所と修猷館「猷(みち)を修める為の学舎」と名付ける。礼と理を模範とする朱子学派の東学問所と、実践を尊ぶ徂徠学派の西学問所の競争は、思惑とは違い対立へと変わっていく。そんな中、寛政異学の禁により徂徠学派の西学問所は存続の危機に立たされる。竹田定良は「学
グラフィックデザイナー・舞台美術家・エッセイスト・小説家である、妹尾河童の少年期を描いた自伝的長編小説、1997年のベストセラー、『少年H』を舞台化。好奇心と正義感が人一倍旺盛な妹尾肇こと「少年H」と、ちょっと変わったその家族が巻き起こす愛と笑いと勇気の物語。太平洋戦争の開戦前夜から終戦後までの暗くなりがちな時代を、“H”を取り巻く個性あふれる人々が、ときには笑い、ときには涙しながら、明るく逞しく
舞台劇
生きとし生けるもの全てと対話した宮沢賢治。彼の歴史は愛の軌跡である。最愛の妹、一番の理解者であったトシと、彼が自由に羽ばたいた創作の宇宙「イーハトーブ」。莫大なエネルギーを費やしながら生きた、37年という短い生涯の中で、彼が夢に描いた「イーハトーブ」から発信され続ける、自然や生物を尊び、争いごとのない平和な世界を願うメッセージ。
伝統舞踊である日本舞踊でもコンテンポラリー・ダンスの要素を取り入れる試みなどは行われてきたが、表層的な混合に終わることが多かった。例外的に二代目花柳壽應は、正統の日本舞踊を修めながら、モーリス・ベジャールの『ザ・カブキ』のアドバイザーを務めるなど、コンテンポラリー・ダンスにも造詣が深く数々の成果をあげてきた。今回の「ボレロ」の振付は、壽應の弟子として古典舞踊と創作舞踊の両面で薫陶を受けてきた花柳源
第1部「富美男とピン子の泣いて笑って霧の雨」では、梅沢富美男が脚本、構成、演出を担当、さらに劇中では2役を演じる。相手役は舞台では初共演となる泉ピン子が務め、豪華かつ魅力的な組み合わせとなっている。第2部「梅沢富美男歌謡オンステージ」では、1982年に48万枚のセールスを記録し、翌年NHK紅白歌合戦に初出場を遂げた代表曲『夢芝居』から新曲まで、バラエティーに富んだラインナップでお届けする。加えて、