こまつ座と座付作者みずからが、愛してやまぬ戯曲『人間合格』。
文学史上不滅の小説家太宰治の生涯をいきいきと描いて、はじける笑いとあつい感動が劇場をつつみこむ。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
私たちは、人を泣かせたり、笑わせたりしている会社です。
座付作者井上ひさしに関係する作品のみを専門に制作、上演しています。
1983年1月に創立し、84年4月『頭痛肩こり樋口一葉』公演で旗揚げ。
以降、新作、再演、こまつ座旗揚げ以前の井上作品も織り交ぜて、出演者・スタッフとも作品ごとに依頼し、その作品だけの一座を組むプロデュースシステムをとり、年平均4~6作品(200~250ステージ)を上演し続けています。
大正元年(1912)9月13日明治大帝大喪の儀式当日。陸軍大将乃木希典閣下は静子夫人とともに自邸において自決した。なぜ乃木将軍は殉死しなければならなかったのか?将軍の愛馬たちが明かすばかばかしくて、かなしくて、おもしろくて、せつなくて、おまけにおおいにためになる死の真相。
魯迅は、いまさら言うまでもなく、アジアを代表する世界的文学者の一人です。たとえば、1927(昭和2)年、ノーベル賞選考委員会は上海へ特使を送ってきました。その年の文学賞を受けてくれるかどうか、魯迅の胸中を打診にきたのです。さまざまな不幸な理由から、魯迅はこれを断りますが、とにかく彼はそれくらい注目されていたのです。魯迅は、それから10年とは生きておりませんでしたが、ここに不思議なのは、彼の臨終に立
青年・津島修治の嘘に爆笑し、作家・太宰治の真実に涙あつく溢れる、あの評伝劇が、演出鵜山仁と精鋭揃いのスタッフ、実力派キャストで甦る。昭和五年春。東京帝国大学に合格した青年、津島修治のちの太宰治。「この世が今のような涙の谷であってはならぬ。われわれはこの世から涙を退治する民衆の友でなければならぬ」と帝大生の佐藤、早大生の山田、三人は生涯の友情を誓い合う。そこに青森から大地主である津島家の番頭、中北が
昭和庶民伝三部作 第二作
進駐軍の占領下で、今日を生き抜くために人びとは闇の売り買いに必死だった。親を亡くし、子を亡くし、夫を亡くし、友を亡くした人びとが、世の中の新しい枠組みの中で、無我夢中に生きていた。ひとり息子の健太郎を戦地に失った愛敬稲荷神社の神主牛木公磨も、今では近くに住む五人の未亡人たちと寄り合って、闇米の調達に奔走している。そんなある夏の日。思いもかけず、死んだはずの健太郎が愛敬稲荷神社にひょっこりと帰還する
