【Story】たそがれどき。なみうちぎわ。静かに佇む廃船。流木、缶、船板、スポンジ、漂流瓶。少年は海が運んできたさまざまな漂流物を手に、旅への好奇心と想像力をふくらませ、この場所から海を越えて広がるアジアの島々に想いを募らせる。少年の想いは“海の道”へとつながっていく。【Note】本作品は20世紀三部作のアジア篇として上演した『台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき』を再構成した作品である。新たな脚本
【Story】少年は、街で、沖縄生まれの祖母を持つヒツジに出会う。祖母の記憶の大阪をめぐる二人は、街を抜け、路地を走る。街にあふれる高層ビル、標識、インターネット、死者、影、人々の記憶。二人が目にしたのは、現在と過去、虚と実が交差した“オオサカ”だった。【Note】旅をするように世界各地で野外公演を行ってきた維新派。10年ぶりとなった大阪野外公演は周囲に川が流れ、舞台の奥には大阪の高層ビル群を臨む
[Story]伊勢をめざす旅に出た少年ワタル。奈良の山中で道に迷ったワタルは、不思議な生き物を見ます。導かれるままに辿りついた曽爾村で、ハルという腕白な子どもに出会います。2人は、村祭りで一緒に獅子舞を見たり、雨の中、秘密の洞窟を探検したり、ワタルは迷子になっていたことも忘れ、ハルと村中を巡ります。彼らを傍で静かに見つめているのは、成長して曽爾村を再び訪れたワタルです。成長した彼もまた人生の岐路に
【Story】「風景画」は、ある場所に俳優と観客が参加する三次元の絵画です。「風景画」は、幾何学的風景論です。「風景画」は、身体的風景論です。【Note】維新派は、野外に仮設の劇場を建て、膨大な量の美術装置を使って多くの公演をしていましたが、「風景画」では、大がかりな劇場や装置は作らず、俳優の身体のみで深く風景に関わることをテーマにしました。「風景画」の最初の舞台となったのは、犬島の、現在は使われ
【Story】物語はワタルの亡き母への手紙で始まります。 ほそい路地、トンネル、坂道。初めて来たはずのこの島に、なぜだかワタルは郷愁感を覚えるのです。 成長したワタルは、ヒルコやカイと出会い、ともに遊んだり喧嘩したりしながら、 “海の学校”で犬島のことや生き物のこと、そして、地球や人類の歴史を学びます。 ある日、教室に水が流れ込み、“海の学校”があっという間にアジアの多島海へと変わると、 ワタルは
マネっこ、かけっこ、キャッチボール、人さらいゲームに影絵遊び。奥行き30mの舞台にたちあがる街の記憶や風景の中を、役者はあっちへこっちへ駆けめぐる。緻密な照明と白一色の遠近法の舞台で、遊び=play を通して、さまざまな“まち”の姿を浮かびあがらせた、都市論をテーマにした作品。
烏丸ストロークロック×五色劇場
広島原爆投下、復興と分断、今なお、連帯を乞うて広島原爆投下、広島の観光名所の一つ「平和記念公園」。その緑豊かな公園は昔、「中島地区」と呼ばれる賑やかな繁華街だった。そこで栗原チエ子は生まれ育った。二〇一六年、初夏の平和記念公園。無数の木々の生い茂る広大な公園を、チエ子は介護者と共に歩く。脳裏に浮かび上がる、かつて存在した中島地区と人々は、やがてチエ子の眼前に現れる。「うちゃあ何も見えとらんかった」
「ひとりの娼婦が寝ている。目を凝らすと、それは、彼女の立ち姿であることに気づく。」という冒頭の一節を起点として、12人の登場人物が一夜の出来事を紡ぐ物語を、二人のダンサーの身振りと唄、笛、太鼓、三味線の生演奏により描き出す。暗喩的な台詞から浮かび上がるイメージを掬い上げながら、演劇・ダンスの境界線への接近を試みた本作品は、東京芸術祭2021 主催プログラムとして、2021年10月22日 ~10月2