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「菓」は植物の生態からインスパイアされたものをテーマとし、坂田有妃子の父親の死に感じた想いも重ね合わせた。たとえば植物が成長していくときに出す「エチレン」というフェロモンは、秋の紅葉など葉が色づく現象を起こす。それは目には見えない植物同士の信号のようで、ささやいている言葉のようにも感じ、そして植物同士の猛烈な競争や駆け引きが起こっているようにも捉える。繰り返す生死をミクロの視点から切り取り作品にし
今回の公演タイトル「Antipiol(アンティピオル)」は、「分裂症の少女の手記」(セシュエー著)の本のなかで実際に病院で腫物に使われていた軟膏の名前。少女は精神疾患で入院中に聞こえた幻聴の声をアンティピオルさんと呼ぶ。嘲笑し命令する声のアンティピオルとの闘い。彼女だけでなく誰でも心の中にある自分でもわからない感情、押さえつけられた思い、トラウマなどが何かのきっかけでアンティピオルのように現れるも
夢と現実の境界を行き来するうちに浮かび上がる世界。言葉を介さず連なる点と点を結ぶことで、呼び起こされる記憶。言葉によって何もかもを理解しようとする私たちの、その外に広がる世界に想像をめぐらせる。3団体の俳優らを中心とした長期プロジェクトから始動。演出はマイムの動きをベースに、独自の演出で注目を集めるカンパニーデラシネラの小野寺修二。ダンス・マイム・手話・コトバの境界を超えた、身体について探求する。
2008年春桜さくら サクラは まだ?マイムソロライブ BEST版
本作は、脳外科医ペンフィールドが提唱する「脳内のホムンクルス」という概念から、脳との繋がりの中で、本来は一番大きな面積を占めると言われる手、指先の「触覚」に着目した。未曾有の感染症の影響、テクノロジーの発達において、人と触れ合うことが圧倒的に減った今。「触覚の不在」をテーマに、現代社会を生きる「私」という人間のあり方、人との繋がりについてダンス、美術、映像、音楽から思考した作品。
一粒萬倍 五穀豊穣の物語
コンセプト・五穀豊穣への感謝と祈り。物語:古事記で最初に姿を現した独神・アメノミナカヌシが、混沌とした現代に再び姿を現し、八百万の神の世界の扉を開き、いにしえの物語を蘇らせる。物語は、伊邪那岐、伊邪那美の国生み、黄泉の国、三貴神の誕生、スサノオの高天原での大暴れと岩戸開き、五穀の種の誕生へと続いていく。食の神・大宜津比売の御心が宿った五穀の種は人間社会に五穀豊穣の恵みをもたらすのだった。
TOUCH - ふれる -
Co.Ruri Mitoは2021年より「TOUCH - ふれる -」というプロジェクトを3年間発展させてきた。第一弾「TOUCH - ふれる - #1」は「風」をモチーフに、移動し続け留まらない「風」に触発され、観客が「動かされる」体験を提供。風になびく舞台装置や衣装、空気(風)によって振動する音楽、「動かされる」出演者が全体で1個のインスタレーションとなり、新しい表現を創出した。
火曜日のシュウイチ
そこは舞台の袖。僕はなにひとつ準備はできていない。本番が始まる開演ベルの音が鳴り響く。台詞も覚えてないし、共演者と顔合わせもしていない。悪夢だ。そうだ、これは夢なんだ。昔から何度となく見てきた夢だ。本番前に必ず見る夢。役者なんてろくな商売じゃないぜ。あ、幕が開いた!観客の拍手。え、夢にしては、お客さん、リアルすぎません?台詞がなければ踊ればいい。小道具がなければ、体の中から出せばいい。
「大きな絵を描き始めたのは夏だった」という「観る者」としての画家の視点と「大きな絵のモデルをしていた」という「被写体」としてのモデルの視点が、交錯するさまを描く。男女の心の機微を刻々と変化する空模様に喩えた詩のようにダンスは展開する。女は画家の言葉をかき消し、立場は反転。男は虚しく地を蹴り、女は精一杯空へと手をのばす。「Love is life that lasts forever」映画監督、デレ
宇宙にある変えられない法則の「時」の中生きてゆく万物や人を「画」くグランバルーン「自」らがデフォルメした作品をあるがままに「感」じてほしい
-異なるバックグラウンドを持つアーティストたちによる、多彩で豊かな日本のパントマイムの世界 ●Aプロ 江ノ上陽一ディレクション
「ラプソディ」お代は観てのお帰り公演
GOSADOUー娯作動ー誤ちはときに軋轢を生みそれは他者にとって娯しく作用する ようこそ!娯作動の世界へ!
震災後、「ことば」を失ったぼくらは「家族」についての思いを巡らせた。そして、「あやなす」というコトバに出会う。ひとの糸は織り交わり、しがらみ、模様を描く。この作品に台本はない。稽古をしながら、アイデアを絡ませていく。ときに折り合いをつけながら。ぼくらは「家族」を褾るための「ことば」を探した。それは震災で失った「ことば」を探る作業。この作品において、口から発せられる「ことば」はない。きっとぼくらの中
時は現代、少年は15才。ある日、行き場のない思いが爆発し事件を起こす。少年は自転車に乗り、ただひたすら国道を北に走る。突然、奇妙な美術館が現れる。道化の手招きで引き寄せられるように、その中に入ってしまう少年。館内にはオブジェや絵、その中に一枚のオルフェウスの肖像画。食い入るように見つめていた少年はみるみる額縁の中へ吸い込まれ、ついにはオルフェウスの身体に溶け込み、3000年前にタイムスリップする。
世界で一番多くの言語に翻訳されている小説が、サン=テグジュペリ「星の王子さま」らしいです。有名な言葉「大切なものは目に見えない」、もしかしたら大切なものは言葉でも表せないのかもしれません。そんなサン=テグジュペリの言葉の世界からフワリと飛び立ち、ひねくれた僕の手によって大きく解釈を変えた黙劇「星の王子さま」。そうそう、あらかじめ言っておきますが、可愛い王子さまは出てきませんよ。
1985年、ピッコロシアター鑑賞劇場で上演されたママコ・ザ・マイムのこども劇場プログラム。おやこでマイムをたのしむほのぼのとした舞台笑ったり泣いたりにんげんってなんて すばらしいんだろう!マイムの持つあらゆる可能性が舞台に繰り広げられます
-パントマイム たちざわー 初単独公演 『わー』 わーっと笑って わーっと驚いて わーっと喜んでくれるような新しい形のパントマイム!
滞在制作プロセス映像
2021年11月20日(土)、21日(日)に静岡県掛川市の原泉地区で上演したパフォーマンス作品『風景によせて2021 はらいずみ もやい』(「HARAIZUMI ART DAYS!2021 ~相互作用~」に招聘)。その日、その場所でしか観ることのできない風景での上演作品は、どのようにして生まれるのか。原泉でのクリエイションや暮らしに4ヶ月間密着撮影した、創作過程の貴重なドキュメンタリー映像。
TOUCH - ふれる -
Co.Ruri Mitoは2021年より「TOUCH - ふれる -」というプロジェクトを3年間発展させてきた。「TOUCH - ふれる - #2」は最終成果となる公演だ。キーワードは「グラデーション」。7名のダンサーが固有の身体を軸にユニゾンを踊る。音楽は内田輝。自作楽器を調律し時間を立ち上げる。衣装はYANTOR。手紡ぎ手織りの素材で、作品の世界観を支える。始まりも終わりもない作品。
-異なるバックグラウンドを持つアーティストたちによる、多彩で豊かな日本のパントマイムの世界 ● Dプロ 山本光洋ディレクション
北京一パントマイムコレクション#2
-エティエンヌ・ドゥクルーに師事した数少ない日本人マイムアーティストの一人である北京一。パントマイムの王道を継承しつつも独自の世界を作り上げてきました。そこにパントマイムの真髄があります。
ある街角で人々にほほえみを贈る2人の大道芸人がいた。
王様には秘密がありました。その秘密を知ってしまった床屋はふと思いました。「そもそもなんで王様の耳はロバの耳なんだろう?」イソップ寓話を新しい解釈でアレンジ。身体表現や生楽器、道具を使った見立ての表現などで描く絵本の世界のような新しいダンス劇。マイノリティの生きづらさは、大衆の理解と許容の意識で好転するかもしれない。そしてそれは何気ない純粋で小さな一言がきっかけかもしれない。そんな願いを込めた物語。
巌流島の決闘に向かうまでの佐々木小次郎の旅を大胆に脚色した本作は、パフォーマンス性の高い作品作りに定評のあるウォーリー木下が作・演出を務め、関西を拠点にパントマイムの第一線で活躍するマイム俳優のいいむろなおきが出演する、身体表現と映像のコラボレーションで魅せるパフォーマンス演劇である。本作は 2008 年に大阪・HEP HALL での初演後、韓国の招聘公演を経て13 年ぶり
「人を許すこと」を描いていると言われるシェイクスピア最後の作品。しかし本作で『テンペスト』とは、主人公プロスペローが自分は「許されない」存在であることに気づく過程であり、四大悲劇のドラマの諸要素が静かにちりばめられていると解釈。嵐(テンペスト)はプロスペローの心のうちに吹き荒れる。2015年初演、2018年にルーマニアのクライオヴァ・シェイクスピア・フェスティバルに初参加した記念的作品。
2016年に起きた津久井やまゆり園事件を題材にした作品。能力と命の価値を結びつける能力主義の問題に対して演劇には何ができるかという問いかけのもと、「私たちはともに生きていくことができる」という感覚を共有することを目指して制作された。「生産性のない人間には生きる価値がない」と主張する青年と、重度の知的障害を持つ青年の魂が音楽を媒介にしてまじりあっていく様子を描く。
ソノノチ ランドスケープシアター
向こうのほうから 風が吹いてくる。そこにずっとあったもの、立っていたもの、流れていたもの。建っていたもの、聞こえていたもの、営まれていたもの。それらのあいだを通るとき 見えない姿を少しだけ 感じとることができる。わたしたちは 長いあいだ それらを待っていたような気がする。タイトルの「かざまち(風待ち) 」は船が出航する際、順風を待つ様子を指します。きっとこれから、もっと世界がよくなるように。
-雑踏の中でしゃがみ込み、犬の目線で都市を見ると、それまで知っていた都市の姿がぐらりとユガみます。,,,視座を変えたり、関係が変わったり、わずかな座標軸のズレで「コンナハズデハナイ世界」があることを知るわけです,,,
シェーンベルクの14篇の詩の世界を、パントマイム、ダンスマイムで歌い語り「この作品は私に似合っている」とヨネヤマママコが独自の世界を魅せた作品。2004年東京芸術大学奏楽堂公演より。
…の手触り
人と、人ではない、人の形をしたものの物語。沼津ラクーン8階という、街を一望出来る廃墟のような空間全体を舞台とし、この作品のために作られたチェロソナタの生演奏とともに、長井望美の人形とダンサーの安岡あこが出会い、言葉を交わさず、触れずに心を通わせるパフォーマンス。演出は目黒陽介。
-東京黙劇ユニット KANIKAMA collection vol.6
あかちゃんとおとなのための音楽劇 ベイビーシアター
夫が、 死んだ妻を生き返らせるため地獄にやってくる。「振り返ってはならない」 たったひとつのこの約束を守り、 夫は妻と共に戻ってくることができるのか。ギリシャ神話をモチーフにしたオペラ「オルフェウスとエウリディーチェ」を、歌やリトミックをベースにしたダンスとともに彩る。あかちゃんと、 あかちゃんを迎え入れた大人たちに贈る、愛の物語。
「言葉の通じない相手にも、物語を伝えることはできる」というコンセプトをもとに、日本のマンガやゲームのキャラクター性、吉川英治の宮本武蔵、シェイクスピアの夏の夜の夢とハムレットをかけあわせたノンバーバル演劇を制作。キスをした相手を不老不死にする力をもつ少女が、人斬り、三つ目の妖怪、虚無僧、忍者など個性的なキャラクターと繰り広げる悲劇。
-北京一「手品師」 2025年に第一回 総合キャバレー学園祭 で上演
創立20周年記念公演「Yamanote7481」3本立てのうちのひとつとして上演。俳優の頭脳と身体を材料に繰り広げられる独特のトレーニング《山の手メソッド》。それをエンターテイメントにまで昇華したのが「jam」。特別ゲストに劇団OB・清水宏氏と落語家・柳家花緑氏を迎え、山の手事情社俳優とのバトルロイヤルが実現した。稽古場のビビッドでゾクゾクするような興奮をたっぷりとお楽しみください。
ごがつに みれる たのしいもの明石スタジオ提携 Aiya HONDA Pantomime Cabarette作品:マイウェイ、ウェイター、レフェリー、トレンチコートの男、はじめてのデート、ブルースハープ
仕事をしながら、子育てをしながら、世の中の不条理に悩みながら、パントマイム作品を作り発表し続けて37年。還暦を迎え、集大成的な渾身の単独ソロ公演を敢行した。ひたすらグラスを磨き続けるバーテンダー、うん○を抱えて右往左往するサラリーマン、銃の代わりにカメラを武器に戦うヒーロー、ホームレスの哀愁、病室から抜け出して海へ、機関士と燃える炎の駆け引き、プレッシャーに押されて走り続ける男、戦争を止めようと東
川の流れと同じように、私たちは刻々と変化し、生まれ変わっているのだとすれば、ひとつ前のあなたはきえていて、今のあなたもやがてきえる。きえたものが撚(よ)り合って、あなたになる。あなたはきえてしまったものでできている。ソノノチの最新作は、Robin Owings制作のインスタレーションとの共演。かつて織物工場だったこの場所から、無常の風景へ漕ぎ出すように。ランドスケープシアターに続く、新作パフォーマ
屋上から見える風景は、向こうの山とつながっている。巨大な空気が、その隔たりを埋めている。はるか遠くの山のきわに、この目の先が通り着く。小さく立っている、螺旋階段の貯水塔。貯水塔は本当は小さくなんかないのだ。階段を登る人がいる。その人と私とが、同じ空気でつながっている。一直線。ひと連なり。その人は、そのことを知っているのか。その人が吸う息は、私が吸うのと同じのか。隔てるもののなにひとつない、この隔た
子ども達の「遊び」や生演奏、観客を巻き込む演出に終始笑いが溢れます。自分色に染め、生き抜いた落ち葉のように「自分らしく生きる」子ども達の背中を優しく後押しします。作曲に悩む音楽家がやってきた。旅芸人の道化師もやってきた。考え方も表現も違う者同士が噛み合わないながらも少しづつ距離を縮めていく、そんな三人のおかしな物語。やがて季節は移り行き…。落ち葉の中で繰り広げられる楽しくも美しい言葉のない舞台です
本多愛也の代表作、「白球」。2009年ソロ公演 「ゾエルナ!」より
-woody 主催によるパントマイム公演 ソロ作品とアンサンブル作品「道」による2部構成。 「道」はフェデリコフェリーニより 名作映画に刺激を受けた新たなる物語
伝三Fパントマイム アトリエ公演
-『mime 蜘蛛の糸』は原作である芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を絶妙にアレンジしたストーリーマイムの金字塔であり、パントマイミスト伝三Fのライフワーク
「古代オリンピック」はギリシャのオリンピアで紀元前776年からおよそ1200年も続いたスポーツの祭典。争いの絶えなかったこの地域で、4年に一度のこの期間は争いをやめてスポーツに熱狂したと言われています。その古代オリンピックの存在を知ったフランスのピエール・ド・クーベルタン男爵によって「平和の祭典」として復活したのが「近代オリンピック」。戦争と平和、戦士から選手へ。鎧を脱いで裸になり、一人の人間とし
ソノノチ ランドスケープシアター
目で見て、耳をかたむけ、ことばをさがして。その場から移動したり物を置いたり、寝転んだっていい。あなただけの眺めをさがしに。もっとうれしい胸騒ぎがする方へ。2021年の秋、現地の風を感じながら、約半年間の滞在を通じて制作したパフォーマンス作品。地域の公民館前の休耕田エリアを舞台に、大地をもやい、観る人ごとに異なるフレームを映し出す「ランドスケープシアター(風景演劇)」プロジェクト第3作。
2500年前の傑作『オイディプス王』を現代女性の見た悪夢としてとらえ、運命に翻弄される人間世界を描いた。ギリシア悲劇の世界を女優だけで演じた奇抜な演出は大きな反響を呼び、2002年の初演以来、国内外での再演も多い。2010年にはルーマニアのシビウ国際演劇祭でも上演。本映像は同年凱旋公演の模様を収録。
踊りの起源をテーマとしたダンス作品。人間ではどうしようもできない事象に対し、自然や神、見えないものに敬意を払いながら共に生き抜くために、祈りや呪いとして音を鳴らし踊るという根源的な行為が人間の日常生活の延長線上にある。日本の土着的な風習や儀式の身体感覚を見つめ直し、踊り鳴らすという行為の根源を想像し新たに作り上げた。見えない/聞こえないけれど、そこに確かに在るものの気配を取り戻し、人間以外の目線や
わずかな変化がもたらす大きな変化。 小さな一歩が、大きなモノを動かす力になればいいなぁという思いを、一人の男を中心に少し抽象的なイメージで繋いでいくお話。 なんの影響も与えないように思える小さな力も無力じゃなく、何かを大きく変える力があるんじゃないか...そう、この世界が空で繋がっているなら。 立ち寄った劇場でたまたまみた作品が、間接的にでも何か世界に大きな影響を与えるかも。 そんなのささやかな願
早稲田大学演劇研究会の中の学生劇団として旗揚げた翌年、1985年の作品。本拠地である大隈講堂裏に工事現場用の足場と鉄パイプで作ったテント劇場での上演であった。いわゆる80年代の小劇場演劇ブームの中、俳優のパワーみなぎる身体と言葉で劇団の作風を確立した作品。時代の表層の明るさや疾走感を写しながらもその陰で失われていくもののさみしさまで見据えた劇団初期の名作である。
幻の蝶 VOL.127 2013年梅若能楽堂で上演生きる喜び、哀しみ、切なさ、ユーモアとペーソスで織り上げた詩情豊かな舞台。初演以来34年、日本人の心の風景を描く『空間の詩』と称され、国内外で高い評価を得ている作品
京都在住の2名のアーティスト、アンビエント・エレクトロニカを軸に活動する音楽家の北航平と、「ランドスケープシアター」はじめ、空間・記憶・時間をモチーフにパフォーマンス作品の演出を手掛けている中谷和代(ソノノチ)が、音楽ライブとパフォーマンスを融合させた空間作品。タイトルに込められたものは、観客一人ひとりへの静かな問いかけです。ここでいう「旅」とは、日々の営み、仕事、創作、生活そのもの。いま、あ
「ストライプトストリート」(1986年頃) マイムトループ気球座
-異なるバックグラウンドを持つアーティストたちによる、多彩で豊かな日本のパントマイムの世界 ●Cプロ北京一ディレクション
-パントマイムのイメージを変えて、観る者に感動を与えてくれる山田とうしのソロマイムステージ。出身地三島市で行われた公演。
小さなサーカスの中でおこる色々なこと。ひとつの雨粒が大海原になったり大きな紙でかくれんぼ。たくさんの筒の上に乗っておっとっと、紙の人形も動き出す。ある日、サーカスを乗せた汽車がやって来た。その先にあるのは真っ白なサーカステント。あれれ?サーカスを始めようとするも星が落っこちてきちゃったんだけど。...どうしよう?サーカスはいつの間にかやって来て、いつの間にか去っていく。あたりまえのことが、あたりま
あかちゃんとおとなのための演劇・ベイビーシアター
蛇口からしたたる一筋の水をめぐって、無言の人間がさまざまな姿態を見せる。1980年代の伝説的舞台、太田省吾の戯曲『水の駅』を、あかちゃんと大人のための演劇(ベイビーシアター)として全く新しい演出で上演します。極端に遅い動作で一瞬の生を切り取る手法を生かし、流浪する人間の姿を確かに描いた本戯曲。その中の人間の生の描写をあかちゃんと一緒に見ようという試みです。
仮面が瞬き、微笑み、怒りや哀しみに震える。命を吹き込まれ、千変万化の表情をみせる陰陽二面。自由とは・・・ 生きることの不条理に戸惑い、哀しみに立ち尽くす。フルートの生演奏で演じる6本の短編集。
夏目漱石の小説『こころ』を原作に、セリフを使わず身体と字幕のみで綴る無声のダンス劇本作のために録音されたクラシック音楽が静謐な空気を支え、随所にユーモアを交えながら重厚なテーマに向き合い、観る者の心に静かな余韻を残す舞台作品
上方落語『地獄八景亡者戯(じごくはっけいもうじゃのたはむれ)』よりともかくこの亡者の連中は、世間ずれしていると申しますか、世渡り上手と申しますか、クレージーといいますか、良く言えばファンキーといえるのでしょう・・・まぁ、閻魔様も手を焼く連中でございます。噺家が、言葉を用いて観客の想像力をかき立て、楽しませる芸であるのとは真逆に、SOUKIはマイムという黙芸で挑む。