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都市生活と観光のように、現在と過去/未来、現実と想像など異なる二地点を行き来する身体のあり方を「ヴァカンス的身体」と定義し、城崎国際アートセンターにて一ヶ月に渡る滞在リサーチを行った。市民とのワークショップで浮かび上がった個々人の喪失の風景、竹野の地質遺産が持つ時間的積層、都市開発が加速する地元・福岡の空襲の痕跡。それらのあらゆる距離と接続し、現在地に還元していくための身体を獲得する旅に出る。
シリーズ|加害について
今より遥かに人口が減った日本。空き部屋が目立つようになった郊外の団地は、小さな病院や売店を団地内に併設させ、介護が必要な人々を積極的に招き入れる簡易的な老人ホームのような役割を持つようになっていた。理想のコミュニティとはなんだろうか? ここではない何処かか、あるいはここを住み良くすることか。分断と分断のあいだにある暮らしを想像する「シリーズ|加害について」第二作。
ひと組の夫婦が暮らす家。ホームパーティの準備が進むリビング/ダイニング。集まる予定は6人だが、なかなか全員が揃わない。全員が揃ってから始めたいというゲストの希望があり、まだ来ない人を待つ時間が流れる。妻のゲストは青春時代を過ごした仲間。夫のゲストは仕事の相棒。仲間と自分の「過去」と「今」が交錯し、浮かび上がる「忘れ得ぬ人の不在」。館林美術館と演劇/微熱少年3年間のコラボレーションの集大成。
「場所にこびりついた記憶」と「記憶の空洞」をテーマに、メンバー各自の地元に赴き、その場の記憶を拾い上げ、その場に居た私たちにしか掴めないものを探した2週間の「ZAZI・ZOO JAPAN TOUR 2023」そこから、記憶というテーマはずらさずに、演劇史や過去の創作物を進歩史観に照らし合わせ、ちぎってはつなげて生み出した「ZAZI・ZOO JAPAN TOUR 2023」最終章。
「街」と「街」の境界が、住民や通行人の多数決で日々変動する時代を描いたSF作品。特徴の乏しい場所はどの街にも属さず、宙ぶらりんの隙間として残されている。その隙間に暮らす文子は、恋人の斎藤から結婚と隣街への引っ越しを提案され、迷っていた。そんな中、空き巣の塩村が部屋に侵入し、私物を少しずつ持ち去っていく。やがて時間の流れと共に、変動する境界は街の隙間さえも飲み込もうとしていた。
1人のキャストとその日の観客から1人を舞台上に招き、介護する/されることを舞台上に再現した『ツァイトゲーバー』、事前に村川から送られてきた手紙(指示書)に沿って舞台上の出演者が動く『エヴェレットゴーストラインズ』など、ドキュメンタリーの手法を用いながら表現の前提を揺さぶり、同時に生のリアルを追求する村川拓也。今回村川がリサーチの過程で注目したのは、文化会館で数多く開催される「ピアノ発表会」。そこに
宮崎の小さな電気工事会社に勤める町村(まちむら)は、40歳を過ぎても独身でボロアパートに一人暮らし。趣味と言えば酒くらいで、ほぼ毎晩記憶を無くすほどに酔い潰れている。ある朝、お決まりの二日酔いで目覚めると、洋服に血がついていた。しかしそれがなんの血なのか分からない。行きつけのスナック「シャンドレ」に行ったことだけは間違いないが、それ以外の記憶がまるでない。果たしてこれは……。町村と彼に関わる男たち
あかちゃんとおとなのための演劇・ベイビーシアター
蛇口からしたたる一筋の水をめぐって、無言の人間がさまざまな姿態を見せる。1980年代の伝説的舞台、太田省吾の戯曲『水の駅』を、あかちゃんと大人のための演劇(ベイビーシアター)として全く新しい演出で上演します。極端に遅い動作で一瞬の生を切り取る手法を生かし、流浪する人間の姿を確かに描いた本戯曲。その中の人間の生の描写をあかちゃんと一緒に見ようという試みです。
2006年6月、沼田中央病院では7名の研修医たちが医師としての基礎的な能力を身に着けるため日々切磋琢磨している。1年目研修医たちはそれぞれの技術習得に夢中、2年目研修医はそろそろ研修終了後の進路も気になり始めている。ある日、2年目研修医杉下が当直研修明けの朝、研修病院探しのための診療参加型医療実習「クリニカルクラークシップ」に参加するため医学生松井敬がやってくる。第24回劇作家協会新人戯曲賞1次通
劇中講談「大石理玖物語」(旭堂南陵 作)
良妻賢母として名高かった大石内蔵助の妻・りく。彼女の本当の想いはどこにあったのか・・・。上方講談界の重鎮 旭堂南陵の筆による講談台本を元に工藤千夏が新たな解釈を加え一人芝居を書き下ろした。講談師・旭堂南明としても活躍する俳優・天明留理子の「講談に彩られたひとり芝居」。本作は前年2018年夏に近畿最古の芝居小屋、出石永楽館にて行われた「大石りく物語」をバージョンアップして新たな作品として上演された。
これは、まだわたしがトーンポリシングという言葉を知らなかった頃。感情的になってもいい、感情は否定できない。感情にまつわる諸々を包括して肯定したいという思いと、でも、落ち着いて言葉をかわしたいという矛盾や葛藤から書いたもので、部屋の中で繰り広げられる、目に見えるもの、見えないもの、もうなくなってしまったものや、これから先に思いを馳せていく、ささやかなお話です(小野晃太郎)
『ある漁師の話』『覚めてる間は夢を見ない』『ぶらんこ』の3本の短編で紡がれる深津篤史の私戯曲的作品。震災で無くなった家、失踪した父の靴、入院先での妻との思い出など記憶の数々が描かれる。短編『覚めてる間は夢を見ない』は深津篤史の最期の作・演出作品。
昇進が決まり東京の本社に移動することになった娘、文は父親をひとり実家に置いていくことに不安を覚えていた。そこで、文は父のかつての同級生で、寡婦である道子との再婚を斡旋する。しかし、父と道子が再会し距離を縮めていく様子を見ていた文は亡くなった母親のことを慮らずにはいられなかった。複雑な想いを抱えたまま東京への出発の日は近づいていく。文と父の暮らしている町の様子と町の子どもたちの成長を文の移り行く心情
1991年、平田オリザが他劇団に書き下ろした最初の作品。目的もなく旅に出た二人は、列車の中で不思議な若い女と出会う。何か事件が起こるわけでもない日常の延長のような列車の旅のなか、車窓の向こうから様々な風景が浮かび上がってくる。
TRASHMASTERS vol.35
とある町。原発の産業廃棄物受け入れによる交付金で図書館や劇場など公的機関の建設を目論む首長は、受け入れに対する反対勢力との会合に参加した。会合は互いに相容れず散会に終わる。やがて、産廃を受け入れて町興しをしようとする市長側と、反対勢力の間で町が二分する……。震災から10年が経ち、東北では原発が再稼働するという。これは幸福か、それとも……。狂おしいほどに駆け引きが横行する町に未来はあるのか……。
1組のカップルが暮らす部屋のリビングに、共通の知人がふいに現れる。彼女が死んでいることを2人はもう知っていて、けれどもそれを迎え入れる。つかの間の再会と乾杯。なぜか、家に帰れなくなったという見ず知らずの他人も後から合流して過ごしていると、生きるものと死んだものの境目が溶け合って、いつの間にか夜が明ける。
暗闇の中に響く「こえ」。「相手」は誰? 相手が「自分」ならば心の内との会話で、いつも暗闇の中を手探りで歩いている。外に広がる宇宙だけではなく、自身の中の「宇宙(暗闇)」。これに意識を向ける。この宇宙(的)孤独に意識を向ける。私たちはこんな場所にいる。暗闇を「あっちからこっちに流れていくだけ」の存在。「こえ」があり、「見る」ことはできる、それが唯一の私たちの「存在」を示している。
集団と、集団の言葉と、言葉の意味の侵入を基礎とする新しい舞台。大きな集団に生まれる小さな集団たちが、言葉の意味の侵入を自覚的と無自覚的に行ない合いながら膨張し、飽和し、収縮し、最後に残るべきものことの何かが残る。または何も残らない。という群像になる。
1994年に青年団プロデュース公演として、第七病棟の緑魔子を客演に迎え、「唐十郎さんや石橋蓮司さんが少女のイメージで捉える緑魔子さんとは違う現在の彼女」を登場させて話題となった。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』や『青森挽歌』、内田百閒の『阿房列車』、寺山修司の『コメット・イケヤ』などを題材にとり、3 人の男女の複雑に絡み合う想いを、行く先が定かでない曲がりくねった線路の上を走る列車に乗せて描く。
せんがわ劇場の客席と舞台との距離や空気の層に、霧の立ち込めるような鬱蒼さを感じました。さらに、強固な空間には根を張ったような印象を。これまでは、ぎゅうぎゅうとした生活圏内で人と距離を取ること、取らないこと、あるいは取れないことを多く考えてきたように思います。今作のモチーフは森です。他者だけではない広い外部の世界に、どのように自分を置くのでしょう。
日本舞踊劇化プロジェクト
陰陽師、母を追って令和へ。長年演じられてきた演目「葛の葉」の作品の本意を汲みながら新しいかたちの舞台をお見せできたらと取り組む公演です。葛の葉を吉沢京子、安倍保名を和泉元彌、安倍晴明を西川古柳座(声:許綾香)らが演じます。
舞台はとある関西地方都市。時は1月3日、4日の両日。超高層団地にある小さな空き地。荒れ放題のその場所は誰が言うともなく「こやまさんちのにわ」と呼ばれている。そこに集う団地の住人。お互いの名前も知らず職業も分からない。ただ彼らの間をつなぐのは、この場所をめぐるたわいもない噂話。団地内で今夏起きた三件の殺人事件は未だ解決をしていない。登場する住人たちは皆、死の影とセックスの匂いをはらんでいる。現実感覚
ON LINEシアター
コロナ禍のロックダウン中、メルボルン在住のゆみうみうまれと映像作家・近藤武が制作した作品。出雲の阿国に着想を得て、歴史に埋もれた女性像を「茶碗」に見立て、さまざまなお茶を通して物語が展開する。ダン・ウエストのオリジナル音楽に只野徳子の三味線も加わり、2022年には『Buried Tea Bowl - OKUNI』として舞台化もされた。撮影は観客のいない能楽堂や劇場、メルボルンのうみうまれ・自宅など
人は何によってできているのだろう。自分ではない「誰か」として、ぼろぼろ忘れながら、忘れ物を毎日しているような気分で生きている気もする。他者の知覚を追体験することはできるのか。「痕跡」「傷」について、顔を巡る旅をします。映像撮影に小宮山菜子さんを迎えての無観客配信作品です。
2021年再演版
男性キャストのみによる、ごく小さな日常の一コマを巡る物語。しょうもないけれど、誰もが身に覚えのある小さな「裏切り」を素材とし、信頼とは何か? という胃の痛くなるようなテーマを浮かび上がらせます。とある休日、ロードバイクで旅行に出掛けたサラリーマン五人組は、山深い温泉宿に立ち寄った。ささいなことから言い争いを始める五人。口論は、やがて思わぬ方向に発展していき、遂には修復し得ないほどの混乱に……。
「隅田川 森羅万象 墨に夢」プロジェクト企画
観世元雅によって書かれた室町時代の能「隅田川」を原案に、現代の母親・子供、そのあり方を考える舞台作品。原案で象徴的に描かれる、子供を失くした母親の『涙』を中心のモチーフに置き、同じように子供を失くしても泣けなかった(愛することができなかった)母親を主人公とした。そして相思相愛ではない親子の形と彼らが生活する社会システムを提示し、現代の諸問題を取り上げた。製作にあたり、隅田川、木母寺、隅田宿など物語
映画制作チームの拠点でもあった部屋を引き払うことになり、昔の仲間たちが集まった。彼らは今やそれぞれの生活を送っている。かつての因縁や反りの合わなさのため、引越しの準備が思うように進まないのであった。すると、理由も分からず突如行方不明になったもう1人の仲間、江本の書きかけの脚本がダンボールの奥から発見され、彼らの本心が少しずつ溢れてきて……。
けーきゅー。2019年から佐々木が取り組む「呼吸による音楽」プロジェクト。2021年度、譜面”kq”が第21回AAF戯曲賞 最終審査会ノミネート。2022年、冊子とCDでプロダクト展開。2024年、第14回せんがわ劇場演劇コンクール本選にて佐々木自身で上演。譜面は呼吸方法の指示テキストと並走する抽象的な物語で構成されている。耳に集中しながら呼吸を意識的に行うことによる内的な調整作用と、外部との「セ
DRIFTERS SUMMER SCHOOL ADVANCE 2013
『小さな足掻きが世界を変える』をコンセプトに、映画と演劇を同時進行で展開するパフォーマンス作品。舞台奥では筋書通りの映画を上映し、舞台上では筋書から逸脱する物語を上演。二重構造の物語が交錯し、予定された未来と抗う意志がぶつかり合う。重なり合うシーンを通して、鑑賞者に小さな勇気が未来を変えることを伝える。演劇ユニット・女の子には内緒の旗揚げ公演として制作された。
人は出会いの刹那を繰り返す。海で出会う子どもと老人、新宿バッティングセンターで出会う若者たち、海に住む夫婦。人々の姿が地層のように重なり、時にすれ違う。本作はムニ『カメラ・ラブズ・ミー!』(2022年、こまばアゴラ劇場)で上演された作品です。
遠いか近いかわからないくらい未来の話。他人の病を「引き受ける」こと、他人に病を「引き渡す」ことが認められるようになった世界。いずれ潰える人の命より、もっともっととおい未来を、楽しみにする人の物語。
ある夫婦のはなし。子どもは10万人に1人の難病だった。海外での移植手術のために懸命な募金活動を行ったが、あと少しで目標額に届きそうな時に亡くなった。しばらくして。夫が妻に必要なくなったはずの募金活動を持ちかける。またしばらくして。ようやく目標額に達したその日。2人のもとに子どもが逃げ込んでくる。そこから事態は大きく変化していって・・・。
2002年6月18日、イスタンブールの旧市街にある貧乏旅行者専用の安宿。その安宿の一室で、日韓のバックパッカーたちが倦怠と喧噪の日々を過ごしている。2001年の同時多発テロと、それに続くアメリカ軍のアフガニスタン侵攻によって、バスのルートが遮断され、多くのバックパッカーがイスタンブールで足止めを食らう結果となったのだ。この日は、日韓ワールドカップのベスト16の試合日。すでに、この日の午前中に、日本
きのう落とし忘れたPCがまぶたを刺す。肩はぼんやりとしたひかりに囲まれて、ようやく輪郭線を生んでいる。部屋にのこるけんかの痕跡が、いよいよ目の前にあらわれる。日はのぼるらしい。俺はあるはずのない水平線を、窓に感じている。それを眺めるほか、できることはあるのだろうか?第13回せんがわ劇場演劇コンクール参加・オーディエンス賞受賞作品。恋人と別れた人の部屋に、深夜友人が訪ねてくる。
多摩郊外の、シェアハウスに改築された古い家。今は別のまちに暮らす家主、宮地達夫の老いによって土地ごと売りに出されることが決まっている。3月下旬、ある金曜日の夕方、居住者たちが集まるささやかなパーティーがひらかれる。部屋を見渡すとそこここに、小さな傷あとやしみがあり、そこから家に流れた時間が広がりだす。かつて商店だった頃の記憶、昔暮らしていた家族の姿、街だってどんどんと変わっていった。その全てが混ざ
TRASHMASTERS vol.34
とある町の、台風による水害に苦しむ地方の、公民館。その日も台風は勢力を保ったまま接近していた。そこには青年団のメンバーが、祭りの開催について協議するために集められていた。祭りの開催から、災害対策、人命の格差まで話は及び、会議は紛糾する。やがて会議は終わり、解散したのだが……付近で土砂崩れが発生し公民館は停電、町の中心からも孤立する。そこに、土砂崩れに巻き込まれた青年団員が運び込まれてくる……
振付家のジェローム・ベルと、タイ伝統舞踊家のピチェ・クランチェンが芸術的実践について互いに問い掛け合い検証する舞台『ピチェ・クランチェンと私』のアイデアをトレースする。舞台芸術の新たな価値を直向きに探究する[小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク]。演劇を通じて、人間と世界の虚実入り混じった仕組みを表現するユニット[サンプル]を主宰する劇作家・演出家・俳優の松井周。出自、創造性、世代など、あらゆ
高校の同級生カナコの突然の事故死から一ヶ月後、東京に住むわたしと地元高知に住むマナカの二人は須磨に住む高校の同級生、藤くんに会いに行くことになる。旅の途中、ヒッチハイクをしていた松田さんとサービスエリアで出会うが。本作はムニ『カメラ・ラブズ・ミー!』(2022年、こまばアゴラ劇場)で上演された作品です。
かつてウクレレの生産量世界一だった群馬県。田舎の古い家のお盆の一日を描くことで、その土地の歴史と日本の戦後史の一断面を描いた静かな演劇。2020年上演予定だったがコロナで中止。座組を維持したまま翌年コロナ禍での上演となった。
第1回 人間座「田畑実」戯曲賞 受賞作品。秋から冬にかけて。豊かな緑色の町並みから、冬の白色に変わるまで。渋滞のテールランプの赤い灯りの線が、いつもそこに寄り添う。朝日ヶ丘は群馬県郊外に位置し、街全体が盆地にすっぽり収まっている。13年前に新しい高速道路が敷かれ、街の中央に大きなサービスエリアが置かれた。そこは次第に発達し、今では町の主産業になっている。朝日ヶ丘自体には、高速道路の入り口は存在しな
ドキュメンタリー
ぽつねんとある自動販売機を止まり木のようにして集まる3人の人物の雑談から始まり、缶ジュースの風味が浸透するように境目なく様々な記憶や風景が現れては消え、過去や未来、人物がいるのかいないのかさえ揺蕩っていく。その中自動販売機だけは形を変えず、その場に存在し続ける。監視者なのか、なにかを促すモノリスなのか。感覚的なようで、人物たちの感情は一連のストーリーとして確かに繋がってるニュースタンダード会話劇。
あらすじいなくなった親友にそっくりのヒサダさんに出会うカップル。夫がいなくなり、姪と暮らしている女、近所に住むおばさん。日常がちょっと変に歪んでいく、ふたりの遠出。遠くに行きたいけど、行けない。今いる場所に、かつていた場所が重なっていく。これは都市生活者冒険譚である。
『更地』の登場人物は男と女の二人だけ。二人はかつて自分たちの家があった場所にやってきて、自分たちの記憶を確かめていきます。自分たちの始まりはそのまま世界の始まりなんだと言ってしまえる二人。自分たちが知っていることだけが確かだけれど、私たちしか知らないことはなかったことかもしれないのです。
「隅田川 森羅万象 墨に夢」プロジェクト企画
オンライン演劇。コロナ禍での「映像配信で実現する演劇体験」を追求した、全く新たな「隅田川物」として表現。江戸時代に隅田川で起きた落橋事故という大惨事。人々はこれを落語『永代橋』に昇華させた。この悲劇さえも笑いに変えて力強く生きる江戸の市井の文化に着目し、歌舞伎『八幡祭小望月賑』など隅田川ゆかりの古典作品群をコラージュ。コロナ禍に苦しむ現代と事故当時を重ね合わせ、カタストロフを乗り越える人間の逞しい
「真の美しさや人間的感情を求める人生が、虚栄の美しさや幸福を暴力的に求める存在によって破壊され犠牲となっていく社会」という主題に光を当て、2つの世界が互いに理解共存することが不可能であることを通して、人間はいかに共存していくべきなのか?という問題に切り込む。ワーニャは長年セレブリャコーフの活動を支えてきたが、彼が定年退職しその無能さが明らかになり、今までの自分の献身が全くの無意味だったことを知る。
盲学校を出たばかりの20才のアニー・サリヴァンは、ケラー家からの要請を受けて、家庭教師として北部からやって来る。娘のヘレンは乳児のころに熱病に冒され、視力と聴力を失い、ことばも獲得できないまま、野性児のように生きていた。親たちは施設に入れようとも考えたが、あまりの環境の悪さに諦め、人間として何も通じないヘレンを持て余している。しつけを期待する親たちに対して、アニーはヘレンに言葉を教えようとする。「
深津篤史の作品のモチーフの一つである阪神淡路大震災を描く作品。舞台は、倉庫の様にも、船の甲板のようにも見える。亡くなった友人の命日に集まる男女4人、別居中の妻を震災で失った男や別れ話の女性カップルなど、喪失感を抱えた人々が非日常の時間の中で交錯する。
大人気覆面マンガ家・夢宮鈴世が亡くなった。連載中の『スパ戦士グローカスの娘』が多額の制作費・宣伝費をかけて配信されるのを直前にして担当編集者・大庭津奈子は死因含めその事実を伏せ、チーフアシスタントだった申徹に夢宮鈴世として描き続けるよう依頼する。申徹は夢宮鈴世として描くことを了承する。大庭が元漫画家のフーコー三原だったことが露呈する。申徹の作家としての実存性と、出版や創作をめぐる構造が対立する。
九州の田舎町。建設業を営む「岡本一族」の繁栄から没落までの、昭和から平成へかけて激動の 10 年間を描き、地域住民の現実と、生きる意味とは何かを問う壮大な人間ドラマ。戦後の世の中を激しく生き抜いて来た一族の落ちぶれてゆく様は、まるで潮の満ち引きの水面のように、静かに、ひたひたと、上がっては、下がってゆく……。
本公演では、「らしい身体の上演の可能性/困難性」をテーマに掲げ、俳優に限らず、観客や舞台機構といった広義の他者が存在し、互いに影響を及ぼし合う上演空間の中で、そうした他者の影響に晒されながらも、その人らしさを備えた身体がいかにして実現可能なのか、あるいは不可能なのかを探る。
坂あがり相談室 plus
急な坂スタジオ主催の支援プログラム「坂あがり相談室 plus」に選出され、20日間滞在して制作された演劇展示作品(インスタレーション)。「街を記述すること」を指針に、作家がスタジオ周辺をリサーチしつつ戯曲を執筆。本物の要素と作家の想像によるフィクションを交錯させ、架空の街を創出した。模倣しようとして失敗した街と現実の街。本物にフィクションのインクを落とすことで輪郭が曖昧になり、やがて“新しい街”が
館林美術館での滞在制作2年目。別館の同一空間を使っての2作品交互公演の1作品。被疑者は要人狙撃の現行犯、事件の真相をめぐり引き寄せられる運命、取り調べる者と取り調べられる者、両者を隔てるのは何か、そして浮き彫りになるこの国の「寂しさ」