表示件数
てがみ座 第十六回公演。北斎の異才を受け継ぎ、のちに『夜桜美人図』『吉原格子先之図』を描き出すお栄(応為)、その青春期の物語。【あらすじ】江戸後期、黒船が泰平の眠りを覚ます少し前。お栄は鬼才の絵師・葛飾北斎を父に持ち、物心つく前から絵筆を握ってきた。幼い頃から北斎工房の一員として、男の弟子たちにも引けを取らずに、代作もこなし枕絵も描いてきた。けれど本物の絵師になりたいと肝を据えたとき痛感する。北斎
アメリカの飛行士チャールズ・リンドバーグによる大西洋単独横断飛行の偉業を、ドイツの劇作家ブレヒトが取材した戯曲。アメリカ人飛行士が前世紀に大西洋を横断するという現代のタイの観客にとっては遠く離れた偉業を実感を伴った上演にするため、今を生きる6人のアーティスト(日本人2名、タイ人4名)が演出を行った。原作戯曲上で18に分割されたシーンのうち1~3シーンを各演出家が担当し、建物の中の一部屋を使い自身の
いじめが原因で引きこもり気味の高校生アンはインターネットのブログサイト“千年ユニコーン”とのチャットに夢中になっている。アンの両親は離婚の調停中。孤立した心を癒すのは、「ユニコーン」の言葉だった…。アンの同級生マルオもまたいじめが原因で学校を退学している。アンとマルオは再会し、ある日、マルオからじぶんがユニコーンであることを告げられる。そして、マルオはじぶんが新しいノアとなり、世界を救う(滅ぼす)
(フライヤーより抜粋)このショーは、カリスマ性を持ったキャバレーのスターである人形たちによって演じられます。人形たちが短いキャバレースタイルの曲に合わせて歌い、踊り、演じます。コスプレのコンラッド、年老いた歌姫ロレイン、かけだしの俳優マブゥ、ラテン系の色男のキコ、そしてシバ…。みんなその魅力と気まぐれさで、観客を楽しませてくれます。司会者シャーリーによって紹介される曲は、タンゴからアフリカンミュー
にしすがも創造舎の校庭に掘られた穴。そのほとりに立つことからこの作品は始まる。穴がもたらした不安定な感情を抱きつつ、観客は地図を片手に周辺の3つの不動産を巡る。今は住む人もいない場所。だがそこに配置されたオブジェやキリストの最期を描いた「十字架の道行き」から引用したテキストは、「誰か」の気配を強烈に感じさせる。どこかのお妾さんが住んだという「だいだいの家」では庭先に、2階建ての白い「半分の教会」で
京都駅構内に仮設された個室ユニット内において京都駅前で行われたインタビュー映像を約300人分見ることができる。インタビューは全員に同じ質問を矢継ぎ早に投げかけ答えてもらう形式で行われた。京都駅は町への出入り口であると同時に境界であり、多数のインタビューによって都市と人との関わり、都市の内外の繋がりが浮き彫りになっていった。また、観客は京都駅構内のツアーに参加することもできた。ツアーは大阪・釜ヶ崎と
室町時代、お家騒動にまきこまれる絵師の狩野元信と、彼を慕う遊女のみや。元信と結ばれず、死んだみやは、香を焚きしめた元信の部屋に、幽霊として戻ってくる。二人の恋愛を軸に、芸術と政治の相克が浮かびあがる。現在は歌舞伎や文楽でさえ行なわれていない、近松門左衛門原作の全編を一挙上演。
まちなかパフォーマンスシリーズ
「公開生放送」で送る、路面電車の旅カフェ店内での通信販売演劇『ふくちゃんねる』、劇場ロビーでのビンゴ形式の演劇公演『アドベンチャーBINGO‼』など、ユニークかつユーモアあふれる企画で観客を巻き込む俳優・福田毅。その新作は、東京さくらトラム(都電荒川線)の車内から生放送する「ラジオ番組」です。早稲田から三ノ輪橋までの約60分、パーソナリティに扮した福田が乗客とコミュニケートしつつ、ウィットに富むプ
日本丸メモリアルパークパフォーマンス 2021-2022「路上の身体祭典H!」新人Hソケリッサ!横浜/東京路上ダンスツアー#2
社会から分断され個人になった時に個人は不安を抱え、集団に依存していた個人の脆弱さが露呈する。我々は生きる手段としてこの大きな集団に取り込まれ、それは習慣となり個人という存在や輝きは飲み込まれてしまうだろう。しかし希望を失った身体は、言うなれば囚われた習慣を捨てた身体の始まりであり、強靭な個人の身体の始まりだと僕は思う。歪な躍動のリズムで僕は目を覚ましたい。ツアー公式Webサイト:https://s
ローマ帝国の将軍タイタス・アンドロニカスは、ゴート族との戦いに勝利しローマに凱旋する。民衆はタイタスに、空位だったローマ皇帝になるよう要望するがタイタスは固辞し、かわりに先帝の長男サターナイナスを指名する。新皇帝サターナイナスは、捕虜であるゴート人の女王タモーラを妻にする。タモーラはタイタスに強いうらみをもっている。愛人アーロンや息子たちを使い、皇后という立場を最大限に利用して、タイタス一家を次々
東京観光の代名詞的存在のはとバスを実際に使い、東京オリンピック(1964)時に活躍された伝説的はとバスガイドをゲストに迎え、現役のはとバスガイド、Port Bパフォーマーの「バスガイド」とともに東京を辿った。現在の東京の基礎は東京オリンピック(1964)で作られたという見立てのもと、東京オリンピックのレガシーを巡りながら、当時と現在の東京を「オリンピック=競争」という観点から比較検討し、東京という
ミュージカル
動物たちが仲良く暮らす「ポカポカ村」に牛のカンタロー君が引っ越して来ます。カンタロー君は今まで暮らした村々で体の黒いブチブチをからかわれて、友達ができませんでした。心優しいポカポカ村の住民は彼を温かく迎え入れて、村のお祭りである羊さんの毛刈りを一緒に楽しみます。真っ白な羊さんの毛をみたカンタロー君は「これだっ!」とひらめき思い切った行動に出ます。でもその行動が、村中を巻き込んだ大事件に発展するので
とある港町、偽装葬儀によって、徴兵逃れをしている若者たちが増えていました。神父はそれを知って、ボヘミヤの王子に耳打ちします。王子はおもしろがって、その若者たちをあつめて海賊をつくろうと考えます……戦争の足音が近づいていたある日、妙な海賊団が結成されました。どこの国にも属さない、誰の持ち物でもない、独立自営の海賊たち。自由と平等を愛し、人殺しをしない、海賊らしくない海賊が、若さって何だ! 自由って何
機関銃と戦車の登場で大量殺戮が可能になった第一次世界大戦中。塹壕から逃げ出した脱走兵ファッツァーは仲間たちと地下室に潜伏し、革命が起こって戦争が終わるのを待つ。しかし、結末に待つのは団結の失敗と死ーー。ブレヒトが「私のファウスト」と形容し、ミュラーが「ブレヒトの最高傑作」と称揚した未完の戯曲を本邦初上演。オルタナティブロックバンド「空間現代」と地点の初めてのコラボレーション。
清姫は、好きになった僧の安珍に再会の約束を破られ、彼を追ううち蛇に変身し、安珍の隠れた道成寺の鐘を巻いて焼き殺す。道成寺は和歌山県に現存し、多くの伝説がある寺。日本人はなぜこの物語が好きなのか? 「今昔物語集」や歌舞伎台本、郡虎彦「清姫」などの戯曲を編み込んだ、現代版のレビュー。
3.11への応答「光のない。」の続編として発表されたエルフリーデ・イェリネクの「エピローグ?(光のないⅡ)」をツアーパフォーマンス形式で上演。観客はFMラジオを首に下げ、原発事故後の福島で撮影された報道写真を手に、東京・新橋の12カ所のポイントを巡る。目的地に待つのは、写真に記録された「眺め」、カメラマンの「視線」を重現する装置。さらにラジオのダイヤルを指定された周波数に合わせると、戯曲を読み上げ
Dance New Air 2018
選べない交われない戻れない許されない終われない分からないそれでも嬉しくてまだ止めないただただ身体がもげそうで
「H」は、human(人間)、hope(希望)、homeless(ホームレス)、hurt(痛み)の意。コロナ禍において増加する貧困生活者や苦しみを抱えた方達が心身の豊かさと希望を取り戻すきっかけとなることを願い、横浜・東京の公共空間を主とした8会場で、新人Hソケリッサ!新作ダンスパフォーマンス『ヒニヒリズム/今度会ったらロクでもない奴らと仲良くなりてえ・・』、映画上映、トーク、WS、展示を展開。
本作はYCAMが展開する市民とアーティストが共同で作品を制作する長期型ワークショップシリーズ「meet the artist」という枠組みのなかで制作され、市民コラボレーターのリサーチをベースとした、YCAM初となる山口市中心商店街を舞台にしたツアー形式の作品である。観客は3人一組のグループとなって20分間隔でスタートし、ツアーマップとなる専用の路線図などを手に、商店街を約1.5km/90分かけて
ワハハ本舗全体公演
「ザッツエンターテインメント」という往年のハリウッドミュージカル映画の名場面ばかりを集めた映画があります。2006年に行われた今公演では、ワハハ本舗結成から誕生した数々のダンスショーやパフォーマンスを構成し、ワハハ版「ザッツエンターテイメント」として企画されたものです。ワハハならではのお客様参加型の演目も散りばめられていまして、十二分にワハハ本舗のエンタメ力を堪能できる内容となっております。
1999年、ノストラダムスの大予言の年、日本では「世界の終わり」を疑似体験するシュミレーションゲームが流行るなど「最後の一日をどう過ごすのか」が一番の関心事となっていた。大手広告代理店では「ラストデイプロジェクト」と称し、「世界の終わり」を盛り上げるために、ベトナム難民の超能力者、ジョン・マイケル・パオという青年をカリスマとして祭り上げる。消費し続けることに飽きた人々は「悔い改めよ」というパオのメ
ドキュメンタリー
ぽつねんとある自動販売機を止まり木のようにして集まる3人の人物の雑談から始まり、缶ジュースの風味が浸透するように境目なく様々な記憶や風景が現れては消え、過去や未来、人物がいるのかいないのかさえ揺蕩っていく。その中自動販売機だけは形を変えず、その場に存在し続ける。監視者なのか、なにかを促すモノリスなのか。感覚的なようで、人物たちの感情は一連のストーリーとして確かに繋がってるニュースタンダード会話劇。