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ダンサー狩りの時代。人々は「ダンサー」と「非ダンサー」に識別され、ダンサーと認定された者は「収容所」に収監される。収容所は管理システムを意味する名前で現実的には存在しない。ダンサーと認定された人々は一見以前と変わりない日々を送っているが…「私は誰なのか。ダンサーなのか。何故ダンサーなのか。ダンサーとして何を求められているのか」…やがて歴史という物語隙間に身を隠した1人の紛れもないダンサーと出会う。
カナダのある町の法廷、被告席にいるのは若いネイティブ・インディアンのリタ・ジョー。判事の尋問の間、リタの回想は限りなく膨らむ。あるときは故郷の部落での懐かしい日々、、あるときは町に出てきてからの辛くみじめな暮らしだったりーーいつしかリタの罪名は次々と増えて行く・・・。けれどどんなに判事に諭されてもリタには罪の意識が確かなモノとして存在しない。文明社会の価値観が、自然のままに生きてきたネイティブたち
己の正義のために、悪にはさらなる悪をもって、自由を追い求める兄・・・己の生を呪い、自らの欲望に忠実に、他人を徹底的に欺き利用する弟・・・この2人の兄弟の行き着く先には、どのような世界が広がっているのであろうか・・・?ドイツ疾風怒涛期を代表する傑作古典を通して、混迷する現代にひとすじの光を照射する!
サンキュー手塚ソロライブVol.18
パントマイムエンターテイナーであるサンキュー手塚。年に1度開催しているソロライブの18回目。博士が作る、一見役に立たないようなロボットがあるキッカケで暴走し、街を破壊していく。ロボットの暴走を止めるには、世界のリーダーたちが一堂に会し話し合う必要がある。2020年7月に開催予定だったソロ公演を、コロナ禍のため9月に延期。その間に2020年の状況をも示唆するような脚本に書き換えて上演した。
20代後半を迎える朝美、かのこ、ゆず、美緒は元高校演劇部であったことを共通点に、友人関係にある。ある日、顧問の先生の訃報と残された草稿が発見される。「わたしはことばそれ自体になりたかった」「欲望は見えなくされているだけだ」と書かれたそれは、完成された物語ではなく、レズビアンであるというカミングアウトを含んだ未完成の言葉の集合体だった。4人は残された言葉を聞き、それぞれの欲望について語りはじめようと
佐賀県唐津市の郊外で先祖代々の土地を守り続けてきた専業農家。息子はアメリカに留学し、佐賀の農業大学で講師を務めながら農山漁村と都会の交流をめざす新しい観光業に燃えている。そんな折、農業高校からホームステイで受け入れた高校生はコンビニ依存で…。クローン牛に遺伝子組み換え、ダイオキシンに環境ホルモン。農業を取り巻く環境が大きく変わる中、食の安全を求めて「身土不二」の教えが再び浮かび上がる…。
第1回大阪演劇祭 CAMPUS CUP'99
舞台は川崎ブルドック球場、審判控室。ベテラン審判員・三田の判定に苛立つ、「青い悪魔」の異名を取るブルーソックスの熱狂的ファンが暴動を起こし、球場は大混乱に陥っていた。三田の判定は、はたして正しかったのか。絶妙な間で展開する会話と、あくの強いキャラクター。脱線に脱線を重ね、ちっとも先に進まないストーリー。笑いのための笑い、無意味なネタの数々。下ネタと、異国語と、ぬいぐるみを総動員して送る、ベトナム流
ミュージカル
遠い遠い神話の時代。日本の国を生んだ男神と女神は天上と黄泉に分かれて互いに憎しみあい、地上ではこの神々の子孫が輝と闇の一族に分かれて相争っていた。輝の神を祀る村に拾われ育てられた狭也はある日、輝と敵対する闇の一族の巫女「水の乙女」として水色の勾玉を渡される。それを拒絶し、輝の王子である月代王へ憧れ、都に赴いた狭也は、輝の神の末の王子、稚羽矢と運命的に出会う。輝と闇どちらの神の影響も受けず荒ぶる「大
PARCO PRODUCE 2021
本作品は、2019年ロンドンのアルメイダ劇場のアソシエイトディレクターであるロバート・アイクが、1912年に発表されたシュニッツラーの「Professor Bernhardi(ベルンハルディ教授)」を翻案、演出し、同劇場で開幕するやいなや、連日SOLD OUT、ザ・ガーディアンをはじめ各紙でFIVE STAR★★★★★(最高評価)で絶賛され、翌2020年、英国で最も権威あるローレンス・オリヴィエ賞
戦争三部作最終章となる作品。本作より上村なおかが参加。イメージの根底にあるのは戦争によって荒廃した都市とその復興がもたらす記憶の変遷。広島や長崎、沖縄、911のNYを始め、有史においてこれまで世界において無数の都市が廃墟と化し、そしてその多くが、新たな都市として再興されてゆく。それらの時間経過と都市空間の変貌が、人々に刻まれた戦争の記憶を、一つの結晶に変えてゆく。語り継ぐことと忘れ去ること。その間
生野に家がありながら、そこから遠く離れた病院、施設で育つことを余儀なくされ、地域から消された金満里。自立生活を始めいろいろなひとと出会う中で、もう一度生野と向き合う必要が自然な道として現れた。在日朝鮮のるつぼの中に障害者の爆弾を打ちこんだ先に何が生まれてくるのか。エキサイティングな気分と共に制作された作品。
夏には、汗と涙と青春と共に、黄昏がよく似合う。穏やかで美しい水平線に沈んでいく夕陽を眺めながらも、湧き上がる騒めきや怒りや戸惑いを、感じたことがあるだろう。変えたいこと、変わりたいこと、そのままでいいこと。消しても流しても、再び脳裏に甦るアイツ。泡のように浮上し、泡のように増幅しこびり着く。執拗なアイツの仕業?それともワタシの執着?“世界で一番イヤな奴”を巡る、移動しないロードムービー演劇!
MANKAI STAGE『A3!』
2.5次元ミュージカル/舞台
北海道空知地方、夕張。1980年代初頭。かつて良質な製鉄用コークスを産出し、高度経済成長を支えたこの地方の鉱山も、エネルギー政策の転換や、安い海外炭の普及により閉山に追いやられていた。「石炭から石油へ」「炭鉱から観光へ」国策で推し進められてきたはずの産業は、急激な転換を迫られ、混迷し、国からも企業からも見放され衰退していく。それから約20年後、2000年代、財政破綻後の夕張。再建の道は絶望的とされ
碧血碑――。北海道・函館にある、戊辰戦争で死んだ旧幕府軍の侍を祀った碑である。義に殉じた男の血は三年経つと、碧色の宝石に変わるという、荘子にある故事から命名された。太平洋戦争直後の焼け跡。碧血碑を前に、倭人を憎むアイヌの男と、アイヌを憎む倭人の男の、義を巡る友情譚。
2人の女。20年前。家庭にインターネットが普及した時代。匿名掲示板──。全く違う場所で生まれ育った女性2人が、インターネットで出会う。誰にも話せなかった家庭と世間に挟まれていた2人は、ようやく打ち明けられる場所をネットの中に見つけた。記憶の世界をぐるぐると巡りながら、それぞれの身に起こる出来事を経て、とある決断を下す現在までの20年間を描く。
金権政治家、棚岡格兵衛をやっつける爆笑喜劇!!「ロッキード疑獄事件」を題材に、田中金権政治の内幕を風刺するこの上演は、マスコミにも大きく取り上げられて爆発的な人気を呼び、田中角栄の地元新潟ほか各地でも上演した。飯沢匡と青年劇場の出逢いの作品。
(フライヤーより)『C.B.』とは、19世紀のフランスの詩人、シャルル・ボードレールのこと。あらゆる俗物主義に反抗し、孤独を愛し、酒や薬物で絶えず神経を刺激しながら、失語症で死んでいった男。そして、生涯にただ一つの詩集『悪の華』を残した男。ザズゥは、このC.B.のダンディズムを「無理してでも恰好つける男」として捕らえ、ザズゥの演劇美学である男芝居=ハードボイルド・スタイルと共鳴させます。
MANKAI STAGE『A3!』
2.5次元ミュージカル/舞台
・「茄子娘」古典落語。茄子の精と和尚との不思議な邂逅と軽妙な会話を描く。演者は桂南楽。・「長屋の花見」古典落語。貧乏長屋の住人によるこっけいな花見の様子を描く。演者は桂銀治。・「対策は合言葉」自作落語。振込め詐欺対策で合言葉を考える母と息子の軽妙な会話を描く。演者は吉原馬雀。・「火焔太鼓」古典落語。貧乏な骨董商の夫婦がまさかの掘り出し物を見つける。演者は立川らく兵。
その世界には、小学生しかいない。そこでは「噂」が貨幣として流通し、6年生の支配に逆らうものは死ぬ。誰もが探している。1年生でも6年生を倒す禁断の力をもたらす矛盾の宝石、赤いエメラルドを。鳴りやまない永遠の下校チャイムが鳴りやむ前に、オレはゆく。その宝石の眠る、地平線まで続く運動場の果てへ!
いつかは「人と人はわかりあえる」、本企画では、手始めに「あなたとわたしの共通点」をテーマに、いくつかの物語を紡いでみてみようと思う。わたしとあなたのあいだにいくつかの共通点が見出されたとき、わたしとあなたを隔てる壁(境界線)は撹拌され、曖昧になる。「わたし」の言葉が、「わたしたち」の言葉になる。日本の各地で行ったインタビューで共通点を探し、それを元に制作した作品を上演。
作:高橋恵(虚空旅団)&演出:上田一軒(スクエア)コラボレーション作品
試験的に「同性婚」を認める特区となったK 市が舞台。が、LGBT ではなく、同性の友人との「友情婚」が多いという。この街で友情婚しブックカフェをオープンした朋子と美也子。美也子の幼馴染の彼も同性の友人との再婚を反対されていると言う。近親者だけでなく店の常連客まで巻き込んでの議論が始まる。ー だって、憲法にあるやろ?“婚姻の自由”ってー そういう意味じゃありません!街の小さなカフェで巻き起こる、可笑
あらすじいなくなった親友にそっくりのヒサダさんに出会うカップル。夫がいなくなり、姪と暮らしている女、近所に住むおばさん。日常がちょっと変に歪んでいく、ふたりの遠出。遠くに行きたいけど、行けない。今いる場所に、かつていた場所が重なっていく。これは都市生活者冒険譚である。
ネコMAM-MA公演第三弾「紅葉と親父」高倉良文が手掛ける珠玉の短編集!ネコMAM-MAとは高倉良文が立ち上げたひとりぼっち演劇ユニット。主に短編作品を武器に1日だけのイベント主体で活動。公演はソーシャルディスタンスを大切に、劇場内消毒、空間除菌、スタッフはマスク手袋着用を義務付け。作品途中に場内換気も行います。
時は昭和。1964年東京オリンピックの裏で開かれていた、もう一つの『民族の祭典』――その名も【キリンピック】。人間ではなく妖怪がアスリートとして集合する、百鬼夜行のスポーツ大会!この物語は、世界初の妖怪五輪開催に向けて宮内庁の精鋭達が熱く命を燃やす、汗と涙と肉と神秘のドキュメンタリー。
原爆投下から3年後の広島を舞台に、父と娘の精緻な対話が織りあげる、ほのかな恋の物語。しかし核兵器の、人類の存在をも脅かすそのおぞましい力は、可憐な娘の心にも大きな傷跡を残していた。生きる喜びを失くしてしまった娘にふたたび希望の光を蘇らせるために、いま、父は全身全霊で娘に語りかける。
ジャック・プレヴェールの映画、『天井棧敷の人々』の翻案作品。 登場人物を、男性役含め全て女性キャストにて描く。犯罪者ラスネールと少女マリーがギャランスと共に記憶の旅に出かける。映画ではギャランスとバチストは結ばれないが、魂として再開し想いを昇華させる。深海洋燈版・天井棧敷の人々。愛、音楽、舞踊、華やかな世界の裏側に隠れた人間の本当の恐ろしさに光を当てる。
どこにいるのか、袴垂れ。どこへいくのか、袴垂れ。 理想を掲げた共同体がどこから生まれ、どこへ行きつくのか…現代日本の抱える問題に鋭く切り込む!軽快で絶妙なセリフの応酬、変幻自在のムーブメントに乞うご期待!
時は1980年。落合勝利35才。大工をしながら建築士の資格を取ろうと定時制高校に通っている。担任の小坂麗子は29才。教育熱心だが色気も愛嬌もなく、生徒たちにも煙たがられている。そんなある日、生徒の一人が持ち込んだ週刊誌には、麗子先生が九州にいられなくなったある事件が報じられていた。さあ、教室は大騒ぎ。麗子先生にひそかに思いを寄せていた勝利は、先生を守るため番長に決闘を挑む…。
遊びごころで“ひったくり”をした少年と、“ひったくり”をされたすみれさんとの不思議な出会い――。急性腹膜炎で入院した少年は老人ばかりの病院暮らしに退屈していた。学校をさぼっては見まいに来る友人と一緒に、骨折で入院中の唯一の女子高生に近づこうとするがうまくいかない。そんな少年の身辺で、ある事件が起きる...。
コロナ禍に入り、リモート演劇公演の配信企画を実施。コロナ禍で明るい話を上演してもしらじらしくなってしまう。思いきって悪党を主役にしてみようと、戯曲は『リチャード三世』を選択。全11話で毎週公開した。俳優それぞれの芝居が注目を浴びたほか、全員が一度も会わずにリモートで撮影を行ったことや、シェイクスピア戯曲のような古典を連続ドラマ化したことなど、発想の斬新さも話題となった。
舞台は「観光地としての安楽死特区」──。この町では観光の目玉として、より安楽に、より尊厳を保った形での死に方を様々なサービスとして提供している。超高齢化社会と終活の問題、そして、究極の自由とも言うべき「死ぬ自由」という観点をベースに、それぞれが孤独に向き合うしかない「死」の問題を重層的かつ多角的にあぶり出す。
美術家小沢剛の演出は、3.11後の世界に向き合うイェリネクのテキストの複雑さと生々しさにストレートに呼応する、雑多で具体的な体験に満ちたものだった。美術展を模した会場に並ぶのは、イェリネクのテキストがそのまま刻み込まれた絵画や写真、オブジェ。やがて、静かな鑑賞の時間を引き裂くようにバタバタと類人猿が現れる。牛の遺体を引きずり、床に叩き付けて見せる彼は、悲嘆に暮れているのだろうか。やがて、制御の利か
ミュージカル『薄桜鬼』
2.5次元ミュージカル/舞台
井上ひさしが描く、漱石的学校での不思議なひと時。晩年の漱石に多大な影響を与えたと言われる「修善寺の大患」。作風のみならず本人の死生観にまで影響を与えた三十分間の意識の空白の中、「坊っちゃん」「三四郎」「それから」「薤露行(かいろこう)」「こころ」などの多彩な漱石作品を思わせる登場人物たちが、各々が抱える「どうしようもない淋しさ」を埋めるために動き出す。"夏目漱石"評伝劇が鵜山仁の手によりこまつ座初
若手バレエダンサーを中心としたガラ公演の第15回目である。公演の副題は「ラストコンサート」。1986年から毎年開催されてきた青山バレエフェスティバルは、第15回でいったん終止符を打つこととなった。そもそも国際的バレエコンクールで入賞を果たした若手バレエダンサーを中心としたフェスティバルであり、古典作品からの抜粋上演が多かったが、回を重ねていくうちに創作作品の上演も増え、また海外からのコンテンポラリ
イギリスの田舎町ウインザーを舞台に繰り広げられる喜劇。酒と女には目がない活力にあふれた憎めない男、フォルスタフが二人の人妻に散々な目にあわされるエピソードを軸に、旧い秩序意識から解放されて人間中心の時代へと目覚めていく市民たちの姿を、楽しい笑いの中にいきいきと描いた作品です。
時代から棄てられた廃駅のホームに、彼らが待つ幻の列車ははたしてやって来るのか?ある山あいの駅、すでに廃線となっているその駅に1人の女性がたたずんでいる。彼女は、この近くの丘にある精神病院へ、入院しているはずの弟を捜しにやってきたのだった。彼女がその廃れた駅で出会う、病院の医師、看護婦、そして患者たち。彼女の出現が、山あいの病院で孤独を抱えながら生きている彼らの間に、少しずつ波紋を広げていく。
碧い海 白い砂浜 輝く太陽 この青春は放したくない!昭和18年、海に憧れ、自由な校風に憧れた少年たちが、新設された清水高等商船学校の門をくぐった。しかし少年たちを待っていたのは、軍規第一の非人間的画一教育であった…。事実を基に書き起こされた小説「青春の砦」を、自身も軍隊経験のある瓜生正美が舞台化。1987年まで全国で747回上演。1995年には戦後50年記念として演出も新たに上演した。
――綺麗な毒には花がある。 『完璧な女子力』を求める女子高生は、森の奥に建つ巨大なメイド喫茶でアルバイトを始める。勤務初日の夜、メイド長が突然死。騒めくメイド達は「これは『御主人様』の仕業だ」と噂する。店には、メイドを次々殺していく、怪人『御主人様』の呪いがかかっていた。 耽美!耽美!暴力的耽美!演劇集団白昼夢が、虚構で性別を破壊する。
幼馴染のアンジェリコとラファエロは、繭期を迎えクランで再会。ディエゴ、エミール、ジュリオという上級生とも出会い友情のような絆を育むも、とある事件をきっかけにその友情は脆くも崩れてしまう。少年たちの束の間の青春と決裂を描いた「月の翳り」編。その後の物語として、『TRUMP』のもうひとりの主人公・呪われた少年ウル、そしてデリコ家の知られざる父子の想い、結末が描かれた「星ひとつ」編をダブル上演。TRUM
CAMPUS CUP RETURNS
舞台は「菊葉」撮影所。社長は、再起を賭けて新ドラマの撮影を決断した。それにより、現在撮影中のいくつかの番組が打ち切りの危機に? 京都に初雪の降った12月のある日。東京から敏腕プロデューサーが招聘された…。いつも以上にキャラクター重視。いつも以上に見た目勝負。いつも通りのくだらなさ。どこにもない。騒がしい。無意味。時代批評も問題提起も感動も感心も脈絡もない。ただ、笑える。
舞台『弱虫ペダル』
2.5次元ミュージカル/舞台
ミュージカル『薄桜鬼』
2.5次元ミュージカル/舞台
ミュージカル
動物たちが仲良く暮らす「ポカポカ村」に牛のカンタロー君が引っ越して来ます。カンタロー君は今まで暮らした村々で体の黒いブチブチをからかわれて、友達ができませんでした。心優しいポカポカ村の住民は彼を温かく迎え入れて、村のお祭りである羊さんの毛刈りを一緒に楽しみます。真っ白な羊さんの毛をみたカンタロー君は「これだっ!」とひらめき思い切った行動に出ます。でもその行動が、村中を巻き込んだ大事件に発展するので
次世代に、そして全世界に語り継ぎたい明日への再生の物語「人類史の折り返し地点」 ―― 井上ひさし2020年紫綬褒章を受章した演出家・鵜山仁が捧げる、終戦から3年後のヒロシマを舞台に父と娘が織りなす命の会話
軍国少女であり、軍国の小学校教師であった自分への深い憤りと懺悔。「教育」への限りない理想と情熱を、北森竜太の青春に託して書き上げた三浦綾子の傑作長編小説「銃口」を舞台化。2007年まで全国巡演を続けるとともに、2005年には韓国国内14か所24回の巡演も行った。
関東圏郊外。三人姉妹が住む一軒家。長女は、知的障がい者である。親はもうなく、主に三女が家を仕切っている。次女が結婚し、夫と建てた新居への引っ越し日。引っ越し業者とともに作業をする姉妹たち。そこに、長女と結婚したいという男が現れる。
青年団若手自主企画vol.86
1980年東京、フミエ、アヤ、コウは父親なき後もそれなりに暮らしている。ある日、コウと連絡が取れなくなる。洞窟を訪れ、ヘビに出会い、姿を変えられたコウ。2019年東京、タナベ、ナツミの元には連絡の取れなくなっていたヨシカワが突然現れ、山に行こうと言い出すが。40年前、40年後の世界が同時進行する、同時多発SF郷愁ロードームービー演劇。
ミラクル☆ステージ『サンリオ男子』
2.5次元ミュージカル/舞台
アルベール・カミュのベストセラー小説『ペスト』をダンボールシアターが人形劇にしました。アルジェリアの港町オランにペストが蔓延し、都市が閉鎖される中、人々が絶望の中で生きる姿を描いた物語です。パンデミックによって大きく変化してしまった世の中。不安に駆られる日々を過ごす人々は、何を選択し、どう生きていくことができるのか。今や誰もが共感するこの作品を、コロナ禍に無観客公演にて上演し、映像に収めました。
テレビゲームの世界に迷い込んだ、小学生の学とあかり。そこは闇の王が支配する恐ろしい世界だった…!現実の小学校生活とロールプレイングゲームの非日常世界が絡み合いながら展開する、冒険と友情の物語。
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ナミビアの砂漠で海霧だけを糧に千年も生き二枚だけの葉がのたくり伸び続けるという植物ウェルウィッチア・ミラビリス(和名・奇想天外)に想を得た抽象作品。過酷な環境にじっと耐えてまどろむウェルウィッチアは夢の中で花から産まれ宇宙の卵の中で遊び深い密林をさまよい、そして火と水を掲げ持ち、通り過ぎていった命たちを追慕する。
作品内容:俳優・竹中香子が、実父の介護と死を経て参加した、高齢者福祉施設にアーティストが一定期間滞在するプロジェクトでの経験をきっかけに「ケア」と「演技」の重なりを見出しパフォーマンス作品を創作。竹中が長年取り組む「演技」の身体や技術を用いて、ハイドロブラスト・代表太田信吾と共に「ケア」を新たな角度から深掘りする二人芝居。作品尺:70分程度出演者:俳優2名(太田信吾・竹中香子)、音楽家2名(島崎智
17才の友子は脳性麻痺で自分で動くことはできないが、両親や兄、ボランティアで唯一の友達の静香に囲まれて平穏に暮らしていた。ある日、友子の前に光という少年が現れる。夢…、初めての恋。母の心に戸惑いが、静香の心に嫉妬が芽生えようとしていた。「命」、「生きること」の大切さを描き、2005年まで合計440回の全国公演を続けた作品。2002年、アシテジ・フェスティバルinソウルにフリンジ参加、世宗文化会館で
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学校で飼っていたウサギが逃げ込んだのは、いつも先生に入ってはいけないといわれている工事現場。学校帰りの子どもたちは先生に相談しようと思ったけれど、結局自分たちだけで見つけることにした。いろいろ知恵を出し合って、何度も挑戦する子どもたち。ところがウサギはなかなかすばしっこい! いつの間にか日も暮れてきた! はたしてウサギは子どもたちの胸に帰るのだろうか。
医学の神アスクレピオスの持つ杖には一匹の蛇が絡みついている。ある日、蛇は主の杖から這い出して薬品調剤を司る天秤にこう言った。「人間の命の限界を超えてみないか」天秤は頷いた。なんと素晴らしい提案だろう。人間の命の限界を超える。蛇も天秤も本気だった。しかし蛇は神ではなかった。彼らはその事に気付かなかった。医学と薬学。命と交差する学問の前で欲と虚栄と自尊に溺れる彼らの姿はまるで人間の様だった。