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わぁ、海の底がきれい!まっしろな砂、波のかたちがずっと残っている。あそこ、ほら、砂の上でエビがはねている。ほら、島の東(あがり)に山原船が浮かんでいる。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ・・・美ら島やらやぁ!
作・演出: 武田一度-昨日の風はどこ行きかいな 知らんわい 明日の波はどこ行きかいな 厳寒のオホーツク サヨナラは 今夜の口唇昭和30年代初頭、遠洋漁業で一攫千金を夢見る甲板員達の物語。作・演出 武田一度本物の漁船4隻とクレーン車3台を使った空飛ぶ漁船団を大阪の繁華街に飛ばす。建築用丸太1500本 漁船4隻 クレーン車3台
ロームシアター京都 レパートリーの創造
自ら製作した人形を用いて美しくも不穏な物語を描くジゼル・ヴィエンヌが、2001年初演の『ショールームダミーズ』を京都で新たにリクリエイション。マゾッホの小説をモチーフにした本作は、マネキンとダンサーが共存する空間で、規範と欲望、快楽の関係を紐解こうとするもの。生命を持たないマネキンに対し、社会の中で互いに関係することを求められる“生身”の人間たち。彼女らが舞台上で繰り広げる物語は、観る者を思わぬ深
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軍国少女であり、軍国の小学校教師であった自分への深い憤りと懺悔。「教育」への限りない理想と情熱を、北森竜太の青春に託して書き上げた三浦綾子の傑作長編小説「銃口」を舞台化。2007年まで全国巡演を続けるとともに、2005年には韓国国内14か所24回の巡演も行った。
北欧の夏。淡い緑のまぶしい自然の中で、白い夢のようにたゆたう愛と死と、罪と悔恨、そしてその果てに曙の光のように仄見える赦しの影…フィヨルドの暗い水底の静寂のうちに水死したエイヨルフの亡骸の、仰向けのまま大きく見開いた二つの瞳がそのすべてを見つめている――おそらくは、われわれの心の奥の闇の底まで。
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レクチャーパフォーマンス
体育教員の目線から、なぜダンスが体育なのか等を問うた2016年初演『ダンスハ體育ナリ』の第二講。1937年に披露された「建國體操」を軸に体操との差異を歴史から紐解き、ダンスとは何かを問う。オリンピックに向けて建設中の国立競技場を遠目に、今一度踊り手としての立ち位置を確認する。Dance Archive Project2018参加。
Shoulderpads 凱旋公演UK Version
エディンバラフリンジデビューにして、初日から全21ステージ完売を記録した劇団鹿殺しShoulderpads。世界最小の衣裳"Shoulderpads"による「銀河鉄道の夜」は衝撃を与え、最大手新聞The Scotsmanの4つ星など多くのレビュー、「Asian art awards」での表彰、「Spirit of the Fringe Awards」を受賞しました。2025年話題作の日本凱旋公演で
コロナ禍の3年もの間、私たちの季節は不安、不確か、曖昧、疑念、動揺といった言葉に埋め尽くされていました。色で言えばずうっと灰色でありました。先日、今回のキャスト数人に、「灰色の後は何色に染まりたいですか?」と質問したところ、ピンクと答えたIさん(中年♂)がいました。私が、「白じゃないの?トンネルを抜けると雪国みたいな」と聞くと、「いや、白はちょっと恥ずかしいですね。私はピンクでありたい」と答えまし
(フライヤーより抜粋)「おーい、人形劇がはじまるよ~!集まっておいで!」みんなが集まれば、その場で人形劇のはじまり、はじまり…。かわいい人形たちが話しかけてきたり、一緒にお芝居したり、みんなと友達になっちゃう!
1969年に唐十郎が鈴木忠志の早稲田小劇場のために書いた作品を佐藤信が演出し、糸あやつり人形芝居として上演。結城座では1974年の初演から繰り返し再演されている。
原作は近松門左衛門。『女殺油地獄』は、1973年劇団創立25周年時に吉田清治が脚色・演出・人形美術を担当した劇団初の近松作品である。それから45年以上の時を経て、ふじたあさや氏を演出に迎えて再演した。人形の首(かしら)のほとんどを1973年初演及び1987年再演時のものを用いた。原作者近松の時代にはたった一度しか公演が打たれなかった作品が、現代になって舞台・映画他様々なジャンルで取り上げられている
「流体」をテーマとした音楽、美術、空間演出による複合的舞台作品。物質の三態である固体・液体・気体を用いた演出、3名の作曲家の共作に加え、エレクトロニクスと気鋭演奏家の協力による音響素材を重ね合わせる。響き × 流体×空間 のコラボレーションから、「流体」の有機的な形態や動き、かつ人間には不可能な幾何学模様を映し出す魅力と可能性を追求する。
『御社のチャラ男』は、2020年刊行された絲山秋子の連作短編小説。章ごとに語り手が変わる群像劇。地方の小さな食品メーカーに社長のコネでやってきた営業統括部長は、社内で、ひそかにチャラ男と呼ばれている。組織に属する「私たち」が、「彼」を語ることで見えてくる、社会に生きる私たちの現実。東京芸術劇場芸術監督・野田秀樹が立ち上げた東京演劇道場にて試演した作品を、ブラッシュアップした本公演として上演。
「自殺」に関わりのある人々、約70人ほどを目安にインタビュー取材を行い、そのインタビューから戯曲を構成するドキュメンタリー・シアター。その日本初のオリジナル作品。インタビューを行った人々は、親しい人を自殺でなくした経験を持つ「遺された者」、自ら自殺未遂経験を持つ「サバイバー」、自殺対策に取り組むNPOや自治体の担当者など「立ち上がる者」など多岐にわたる。 自殺にまつわる人々の話を単に並べて「自殺」
いじめの問題から幕が開き、瀬戸内海の田舎に住む実直な人々の人生の中に潜む大きな問題を描いた『貝殻島にて』と、織田作之助の短編『蛍』からなる舞台。
世田谷シルク第14回公演
日本に似たとある国の化学工場、分析課。規則の厳しい工場で働くこの国の民たちは、ある日、外の国からの元プロレスラーという労働者を受けいれることに。ところが彼は、この国の言葉が話せない。外国人に免疫のない従業員達の反応は様々な一方、会社は外国人を増やして、自国の派遣社員を辞めさせる決断をしている。自分が普通と考えている習慣は、実は少し変かもしれない。そんな発見を外国人労働者の目線を通して見つける作品で
知らずして父を殺し、母を妻としたテーバイの王オイディプスは、真相を知り、自ら目を突き盲目となって放浪の旅にでる。闇を引き裂く琵琶の音に真相を知った人間の尊厳が光る。ギリシア悲劇の最高傑作が伝統的な様式の上に確立された現代の美学の中に甦える。モスクワで開催された第3回シアター・オリンピックスに招聘され、喝采を浴びた作品。
【あらすじ】昭和46年、田中角栄は総理大臣への野望を自覚していた。しかし現総理である佐藤栄作は実兄岸信介の意向により福田赳夫に禅譲することを決めていた。日本列島改造論を引っ提げ国内経済を重視する田中と憲法改正を是とし節度ある生活を目指す福田、どちらの政治思想が世の中を動かすのか、思想と金が飛び交う史上最大の「戦争」の火ぶたが切って落とされた。
編集者でもあった室野井が2017年に58歳で亡くなった翌年、踊りや身体をめぐって公的私的に綴られたエッセイをまとめた本『ダンサーは消える』が発行された。室野井洋子にはソロ公演の写真や動画が多く残されているが、本作は同名タイトルのビデオアンソロジーで、1983年の初舞台から2017年のギャラリー犬養(札幌)での踊りまで、順にその軌跡を辿る。
舞台『弱虫ペダル』
2.5次元ミュージカル/舞台
舞人として踊った五井輝が、前年の86年1月に死去した土方巽を追悼した公演。土方を思い出させる赤いスカートなどの衣装や音、音楽が随所に使われた。唇にはルージュを塗りたくり、背中一面に刻まれた風神雷神の入墨を見せ、剣山を自らの肉体に刺す。すべてをさらけ出して極度の集中をもって踊る五井に、「さながら土方の魂が降りたかのようだった」とThe Japan Times Weeklyのレビュー記事(1987年9
「人を許すこと」を描いていると言われるシェイクスピア最後の作品。しかし本作で『テンペスト』とは、主人公プロスペローが自分は「許されない」存在であることに気づく過程であり、四大悲劇のドラマの諸要素が静かにちりばめられていると解釈。嵐(テンペスト)はプロスペローの心のうちに吹き荒れる。2015年初演、2018年にルーマニアのクライオヴァ・シェイクスピア・フェスティバルに初参加した記念的作品。
ジョン・スタインベック原作の小説をフランク・ギャラ―ティが脚色本邦初演。1930年代に発生した干ばつと砂嵐を契機に、故郷オクラホマを追われ、カルフォルニアに移っていった貧困農民層の一族の逆境と不屈の物語。
藤琴の獅子舞・花の舞・貫井囃子・鬼剣舞などの民族芸能の数々を盛り込んだ〝ファンタジックステージ〟正雄は、ふとしたことで親友の心を傷つけてしまった。語り合えないままその友だちを事故で失い、それ以来、自分のカラに閉じこもりがちだ。そんなある夏の夜、バイクに乗った正雄は、美里とそのお爺さん安蔵を巻き込んで事故を起こし、意識だけが浮遊する不思議な〝夢の世界〝へと入り込む。そこに、「行きたい所見たいもの、何
歌舞伎十八番の内
平家を滅ぼし、大功を立てた源義経は兄頼朝の勘気を受け追われる身となる。舞台は奥州の加賀国、安宅の関所。関守は英知優れる富樫左衛門である。関所の役人らの目をくらますため、家来の弁慶と四天王は山伏の姿となり、主君の義経は強力(荷物持ち)に身をやつした。が、一行は呼び止められ、山伏ならば、勧進帳(東大寺再建のための)を持っているはず、読み上げよと命じられる。何とかその場を繕わねばと、弁慶は持ち合わせの巻
2000年に旗揚げし、わずか3年で3000人の動員を記録し、結成5周年の今作で本多劇場を初占拠した毛皮族による、奇行乱行愚行の限りを尽くした威勢よすぎのネオアングラ演劇?! 2005年作品。柏木と安田、ふたりの若者の懺悔録。銭源氏と名乗って遊女と戯れ、ホステスに貢がせた金で豪遊している安田だが、実は借金苦で身も心も崩壊寸前。一方「笑い」に目覚めた柏木は、世界を救うコメディアンを目指すが、自身の才
夕暮れ時。怪しげな黒猫に誘われ、くろぐろとした「かくれ山」の奥深く迷い込んだ少年ナオ。そこは時間の流れからはずれた妖怪たちの住む魔界だった。天狗、赤鬼、山姥。そして子どもを猫の姿に変えてしまう恐ろしい猫婦人・・・小さなネズミに励まされ、ナオは子ども達を救い出す事ができるのか?
ある日本の街に大きな爆弾が落とされました。数年後にはその土地の遺構を巡る、ダークツーリズムとしてのバスツアーが実施されるようになりました。さらにそれから時間は流れ、その土地の周辺にはいくつもの飲食店や土産物屋が出来てすっかり観光地となりました。悲劇は完全に風化したのでしょうか。ただ、当時のバスツアーに参加した一人は最近、安楽死を決めたそうです。
本作品“BU” は、主に「舞」・「武」・「無」の3つの「ぶ」をアイデアの中心に据え、自分自身の人間として、そしてアーティストとしてのアイデンティティーを自分の中に見つけるために作りました。舞、武、無、歩、撫、不などたくさんの「ぶ」から得たアイデアをもとに進むべき道を探すために作った作品です。道はどこで始まり、どこで終わるのだろう? (中略) もし刀を握ったその瞬間が始まりで死が終わりだとするならば
生活困窮者やドメスティック・バイオレンスの被害者などの一時避難を扱う駆け込み寺型NPOのオフィス。NPO幹部職員の不祥事を抱えて、全員の善意が空回りし、喜悲劇が繰り返される。ボランティア団体の日常を精緻に描きながら、現代社会の実情に鋭く切り込み、一方で「人を助ける」とはどういうことかという普遍的命題に正面から取り組む問題作。構想10年、平田オリザ待望の新作書き下ろし。
進路に悩む美大生、僚太、朝利、板垣。三人はひょんなことから、1908年のウィーンにタイムスリップしてしまう。そこで出会ったのは、ウィーン美術アカデミーの受験を控えた青年、アドルフ・ヒトラー。彼らは未来を変えるため、ヒトラーの受験をサポートすることに。けれどヒトラーにはまったく絵の才能がなくて――果たして三人は、ヒトラーを独裁者でなく画家にすることができるのか?!人類の未来をかけた絵画レッスンが始ま
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ミュージカル『薄桜鬼』
2.5次元ミュージカル/舞台
若手ダンサーを中心とした著名バレエガラ公演の第6回目。第6回の公演ではローザンヌ国際バレエコンクール、ジャクソン国際バレエコンクール、モスクワ国際バレエコンクールで上位入賞を果たしたダンサーによるパ・ド・ドゥ、委嘱創作作品の上演、また海外特別ゲストによる出演があった。委嘱創作作品では、鈴木稔振付『MAPS LEFT ON A SCRAPS』と前田清実振付『CHUBO行進曲』の作品が上演された。鈴木
「リアルリアリティ」身体を省略し拡張する人はできるだけ動かなくてすむようにテクノロジーを駆使するそれに抗うつもりはない 楽がいいそれでもどこまで省略しようとするのか ふと不安になる人々の想像は 遥か彼方にある場所や 過去や未来にある時間をあたかも今ここにあるかのように具現化しようとするそれでも人は遠くでおこっている悲劇を想像することすらできないそこにある身体を共有することができないなにもない場所に
海岸沿いに透明な壁が建てられた。その壁を通して眺める海は、いくつもの過去が折り重なってみえるらしい。 たくさんの人たちが壁のもとに集まってくる。目の見えない綱渡り師、透明人間の恋人を探す女性、窓ガラス清掃をする元役者、スノードームをつくる 観光客、ミノタウロスとくだんのあいだに生まれた未来のみえないこども。「私、フチになりたいんだ。麦わら帽子のフチとか、ルパンが盗む絵画の額縁とか、コップのフチ子と
この作品では光(Luminaire・リュミネール)がタイトルとなっているように、光が問題提示のシンボルであり同時に一つの答えとして、作品中一貫して様々な光が形を変えて現れる。テクノロジックなシャーマニズムの試み。日々加速し増幅する情報の氾濫、それは私たちが今ここに‘存在していることの大きな神秘をも覆い隠してしまう。原初の時代の、あるいは神話の中のシャーマンたちにはこんな問いが出てくるかもしれない。
女は新しく家庭教師として住み込みで雇われて二週間になる。雇い主も教え子も女をいつまでたっても「新しい先生」と呼び、名前を覚えてくれない。そのうえ、夜になると女の部屋に以前の家庭教師らしき女が現れ、雇い主との情事をはじめることがある。部屋の権利を主張するも、声が届かないのかなにも反応がない。朝になると以前の家庭教師は消えており、雇い主に問いただすもまるで覚えがないという……
作品ノート:「よく知っている底から水面を見上げ知らない水平線を思い浮かべず 音の届く先まで睡り どこかの花を想う」 これは「海」をモチーフにした作品の一部です。遠く離れた世界のことを簡単に知る ことができるようになった今だけど、どれだけ本当のことを見ることができるのだろうか。様々な海から眺める水平線の先は、想像するにはあまりにも遠い。自分が立って いる海の底にも、人の目に触れない流れがきっとたくさ
「ママなんか大キライ! あたし家出する。」ムジツノツミで叱られたさくら子は、家を飛び出し駅へ向かった。駅に入っていきたのは「いえでででんしゃだった」。家出した子はただで乗れると聞いて、さくら子は飛び乗った。「いえでででんしゃ」とともに、さくら子の不思議な旅が始まる―。
さいたまゴールド・シアター第7回公演
舞台は、東日本大震災から6年が経った福島。避難指示区域では、イノシシが我がもの顔に出没するようになっていた。添田家では、ある日長男の学がイノシシに襲われた。それを助けたのが復興本社に勤めるハタヤマ。学の父・添田良二はハタヤマに感謝したいと家に招き、ハタヤマの固辞にもかかわらず、妻のパエリアをご馳走することに拘る。一方、線路が見える丘の上には、毎日、若い男がやってきていた。線路も駅も流されたあの日、
Eラーニング(日本演出者協会)
② ドラマターグこのシリーズでは、ドラマターグ(ドラマトゥルク)の仕事について詳しく紹介します。聞き馴染みのない「ドラマターグ」と「ドラマツルギー」について、分かりやすくお伝えする全2回の講義形式です。「自覚なきドラマターグ担当が現場にいる」「ドラマツルギーは稽古場にとどまらない」「荷物を持たない人」など、知的好奇心をくすぐるヘッドラインとそこから繰り広げられる精確な解説は、初心者からベテランまで
「ささやかに幸福(しあわせ)」は1988年初演。60分。ブレヒトの長編詩に導かれ、5組のカップルが繰り広げる人間模様。世の中、予期せぬことは突然やってくる。せめて今の現実を幸せと思おうではないか。「ELCK(エルク)」は1989年初演、40分。オランダ語で「みな・それぞれ」を意味するブリューゲルの同名絵画から発想を得る。「壊れた地球の上に立ちながらこの世の物体に無駄に欲張る人々。」イヴさえリンゴを
ウィリアム・シェイクスピア四大悲劇の中でも最高峰の名作「ハムレット」を、大胆にも男性5人で紡ぐミュージカルにアレンジし、ヒロイン、オフィーリアをはじめとした女性役もすべて、男性キャストが演じ、さらに1人のキャストが数々の登場人物を演じ分け、物語を展開します。「生きるべきか、死ぬべきか」などシェイクスピアの数々の名言・心理に迫る台詞を、胸に響く歌で綴る、挑戦的かつ刺激的な舞台です。いま注目の人気若手
東京観光の代名詞的存在のはとバスを実際に使い、東京オリンピック(1964)時に活躍された伝説的はとバスガイドをゲストに迎え、現役のはとバスガイド、Port Bパフォーマーの「バスガイド」とともに東京を辿った。現在の東京の基礎は東京オリンピック(1964)で作られたという見立てのもと、東京オリンピックのレガシーを巡りながら、当時と現在の東京を「オリンピック=競争」という観点から比較検討し、東京という
作品ノート:いつから、善悪のガイネンがあるのでしょう。 いつから、つぶすは涙で、なでるは微笑みなのでしょう。 それが入れ換わるその日、もうすぐそこだと、 きっとど真ん中だねと、太陽が追いかけてくるのを無視して 真っ白な月の下ステップを踏んだ。
こどもとつくる舞台vol.2
こどもたちの発想により作られた物語や絵を、ダンスや歌や芝居にして上演する企画“こどもとつくる舞台”の第2弾。オノマトペやたのしい音楽、みんなが知っている遊びも用いた、0歳から大人まで楽しめる、全世代に向けた舞台作品。
アマゾネスの女王・ペンテジレーアと英雄アキレスの恋を描いた悲劇の戯曲。哲学者の仲正昌樹氏が翻訳した50年ぶりの新訳を元に、強大な大国ギリシャを大きな力を働かせる経済市場原理として、辺境の地アマゾン女族を「THEATRE E9 KYOTO」がある東九条地域に象徴させて新たな演出を行う。また、俳優と音楽家とダンサーと美術家の異なった言語で儀礼的な演劇作品を試みる。
貧しい家の娘、お菊は弟の文弥が幼い頃、石の上に誤って落としてしまい失明させてしまう。その償いにお菊は吉原へ身売りして、作った百両の大金を文弥にもたせ、京へ上らせて座頭の官位を取らせようとする。途中の鞠子宿で仁三は文弥の大金を狙うが、十兵衛に取り押さえられる。文弥と十兵衛が宇都谷峠まで来たところで、十兵衛は初めて大金のことを知り、自分の主人のために借金を申し入れするが断られてしまうのだった。
柿喰う客フェスティバル2017
やるき坂小学校ぴっかぴかの一年生の私の後ろを何者かがついてくる気配がする。後ろを振り向くとそこには、自分と同じぴっかぴかの一年生がいた!?どこに行くにも一緒、何をするのも一緒な二人は、趣味嗜好がどこまでも一緒で…「この戦いの結末は…入念に打ち合わせ済みだ!」あらゆる反則技が許された男たちの、壮絶かつ予定調和な死闘。俳優2人による意地とプライドを賭けた演劇勝負、ついに開幕。
山田純平の祖父が生前に語った戦争体験をもとに、語り(役者)・音楽(和太鼓、邦楽器、唄)・振付と、様々な舞台演出の手法を用いて創作した和太鼓音楽劇。演者の全身全霊のパフォーマンスが、ラバウルの激戦地での壮絶な出来事とリンクして、太鼓の深い響きは「生命ノ音」として客席に迫る。参考文献:「歩兵第229連隊戦友会ラバウルの思い出」
ニューヨークの「The Kitchen」で発表されたソロ作品をビデオカメラ用にデザインしたパフォーマンス。1982年8月制作。
江戸三味線音楽の変遷
幕府が開かれた後の江戸の三味線音楽がどのような変遷を辿ったのか明治22年(1889)から明治33年(1900)まで。本シリーズの最終回公演文明開化から三十年、せいじてきにもぶんかてきにも激動の時代から生まれた、今もよく演奏される名曲が登場します。お話 渡辺保清元「青海波」(1897年) 浄瑠璃 清元志寿雄太夫、清元清美太夫、清元一太夫 三味線 清元志寿造、清元美三郎 上調子 清元美十郎
人は果たして他人になり切れるか東北羽前国平畠藩...そこは一面の紅花の里。瓜二つの紅花問屋の当主になりすまそうとした江戸の金物拾いの徳言葉、習慣を捨て、自ら証明するものを失っていく。騙したつもりが騙されて、替え玉になったつもりの徳を待ち受けていたのは...
物語は陸奥の一隅、鄙びた商店を襲った強盗放火事件から始まる、一万年の昔、日本の地よりさらに東北へ移動せざるをえなかったある縄文の一族の物語。そこには争うことを避け続ける臆病者の知恵があった。千島列島、カムチャッカ、アリューシャンを越えて氷河溶解のベーリング海峡。一本の縄を頼りに奇跡の海峡越えを果たして初めてアメリカ大陸を踏みしめた臆病者達こそ、北南米先住民の祖先となるモンゴロイド。その「争わぬ知恵
Eラーニング(日本演出者協会)
⑤ 美術・大道具このシリーズでは、番組ホストの舞台美術家 乘峯雅寛氏が4人の舞台美術家と俳優座劇場の大道具高橋光大氏をゲストでお迎えし、対談形式で舞台美術家の仕事を紹介します。4人の舞台美術家には事前に木下順二作『夕鶴』を読んでもらい、「もし『夕鶴』の舞台美術を自由に創作するとしたらどうするか?」という企画を用意し、各々作成されたラフスケッチやコンセプトをもとに構想などを伺いました。これから舞台美
「横尾忠則展 天界の法則」で白虎社が出前芸術体スペシャルライブ「ニュー逢魔が時ーヨコオタダノリにふれるー」を上演。道頓堀橋から白虎社の面々が人だかりを引き連れて練り歩き、会場に入れなかった50名余りは別階のモニターで観劇した。「逢魔が時」は作品として独立はしていないが、出前芸術体の定番演目で、他の作品に取り入れられている動きも多い。横尾忠則は白虎社との交流が深く、関西方面来訪時にはきまって白虎社の
フリージャーナリスト「市井宗高」が紛争国に入り、消息を絶つ。母「順子」は無事を祈りつつ、毎日お百度参りをし、鶴を折る。宗高の友人で新聞記者の「司由起人」は順子に取材を重ねるが、宗高の妻「実花」は「これは自己責任だから」と言いだし、取材を拒否するよう順子を諫める。そんな折、テロ組織に拘束された宗高の無惨な姿がニュースで流される。一方、由起人には30歳過ぎてなお非正規雇用で苦しい生活を続ける弟「真奈人