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作曲家・いずみたくが創った劇団、イッツフォーリーズが夏の上野で贈るステージの第5弾は、いずみたく楽曲だけでお届けする「いずみたくナイト」。今年は、やなせたかし作詞×いずみたく作曲による選りすぐりのナンバーをたっぷりとお届け。やなせたかし楽曲にまつわる朗読や、スライドミュージカルなど「手のひらを太陽に」「アンパンマン」だけじゃない、やなせたかしといずみたくの世界を心ゆくまで楽しめる作品。
『どんとゆけ』『どんとゆけ』の設定は、死刑執行に被害者遺族が関与できるという、架空の「死刑員制度」が施行されている世界。青森県津軽地方のある家に一人の死刑囚が連行されてくる。この家には獄中結婚により妻となった女性が暮らしており、これからここで死刑が執行される。死刑執行のために現れた被害者家族と、死刑囚の妻であることに酔いしれているような女と死刑囚らの、執行までの濃密な時間のドラマ。初演は2008年
いのちのかたりつぎ 〜色とりどりの物語がつむぐ、震災のこと〜
津波に飲み込まれていく車を運転する男とAI搭載のカーナビゲーションとの最後の会話−震災直後の壮絶な緊張感の中で消え入るいのちの灯火。被災地で生まれたラジオドラマ作品を、3.11を描いた作品に向き合い続けた表現者たちが結集して舞台作品に昇華させた。時間が経ったからこそ向き合えることを、改めて言葉にして次の世代へ語り継いでいきたい。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
転校してみたら常識が通用しないやつらばかりだった。試験中に歌いだす不良、すぐに刃物を探す少女、ずっと話さない男。新しい環境に戸惑っていると、一人の教師が言った。「じゃあ、演劇部作る?」その一方で、家は崩壊しようとしていた。水は、すぐそこまで来ていた。フィクションを超える現実と戦う人々に送る 全然笑えないコメディ。「もう笑うしかないよ。だって、水浸しなんだもの。」
ブレヒトルネッサンス
劇団創立20周年記念公演。明治初年、「お江戸」から「東京」と名がかわった品川の宿。泣く子も黙る大悪党、剃刀左平次を真ん中に、泥棒と乞食と娼婦たちがくりひろげる三つ巴の仁義なき戦い。「金」と「セックス」の栄光をもとめて、最後に笑う者はいったい誰か?黒色テント「ブレヒトルネッサンス」第一弾。
パルコ ハイコメディシリーズ第3弾
人生にやり残したこと?燃えるような恋‼真面目男が企んだ密かな恋の冒険。
3度目となる東京公演。日替わりゲストを交えてのコントオムニバス。漫談「サイボーグ」/コント「検査」/講談師「藤子紋之丞」/「体操のお兄さん」/創作落語「鼻」/コント「今コントやってるから!!!!!!!!!」/「体操のお兄さん~ファイナル」/「ナカナカノ詐欺」
【作品ノート】一言では収まらないほどたくさんの問題や出来事がいっぺんに やってきた2020年。全世界でコロナウイルスが猛威をふるい、ストレスや意見の違いが表面化し、分断や差別、ヘイト、ハラスメントがネットでも実社会でも横行しています。同時に、それらと向き合い、 戦う人も増えてきています。2019年に受賞した前作「亡命入門: 夢ノ国」は、差別意識と分断、コンテンポラリーダンス界の自明性 など、所謂「
巨大カンパニーのビルに呼ばれた、ベンチャー企業の社員たち。もらったIDカードを首にぶら下げ、奥へ進むと、待っていたのは、重厚なゲート。襟を正しつつ、カードをかざしてゲートを開ければ、そこには上へと続く階段が。そして登った先には、2つ目のゲートが待ち受けていた。現れないCEO、現れ続けるフロア。クイズを解き、罰をくらい、ホットドッグを食べ、他社と出し抜きあい、あるいは協調しながら、ビルを登りつづける
黒田育世の構成・演出・振付のBATIKによるコンテンポラリー・ダンス作品。少色とりどりの衣裳をまとった少女たちは広大な野原に集い、泣き、叫び、笑い、疲れ果てるまで踊り明かす。
松井周が主宰する劇団サンプルの解散公演。「モツ宇宙(コスモ)」という腸の宇宙を世界の始まりと考えるコスモオルガン協会の信者達による、教祖ピグマリオが生まれて死んで復活するまでの宗教劇。 と同時に、放浪し、虐げられる信者達の生活を描く。 彼らの行き着く先に「救い」はあるのか? 人間は神にもなれず畜生にも堕ちきれない。理性からも野生からも自由になれない中途半端な人間たちが、信仰をもとに生き抜いていくサ
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
作品ノート:引く、なぞる、延びる、繋ぐ、辿る、越える、描く。細く、どこまでも、長く、いつまでも。
うわすべりを紡いでいたら、いつのまにか愛だった。時間をかけて裏返したら、魂だった。近づきすぎたか、遠く離れすぎたか、見えなくなった。足音がしたので、応えたらやっぱり雨が降ってきた。たまたまそこにおっさんと一緒に雨宿りをした。しずかに。ほんとしずかに。ほんとグルービィに。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「ダンスボックス・ソロダンス・シリーズ」では、100席の小劇場空間ならではの緊密さを
日韓演劇交流会2024〜ミックスジャム〜
1999年、大阪に暮らす内田家では長男、瑞樹が両親に結婚の報告をしていた。本来だったら素直に祝えるはずだったのだが、相手が在日韓国人の女性だと聞いて、周囲の大人が心配し始める。「いまさら差別もないだろう?」という息子たちの年代だったが。それまでに意識したこともなかった在日韓国人への差別の根強さが残っていることに気づいて家族会議が始まる。そして自分達の家にどんなルーツがあるのか初めて考え始めるのだっ
dance today '75
『裂記号』シリーズ(1975−1982)は、1975年にはじまり、同年に『裂記号2』が、その後1982年までの8年間で『裂記号8』までが発表された。『裂記号』は造語で、「記号は破られるために」あり、「裂かれる運命に」ある。『裂記号2』初演はユニーク・バレエシアターであったが、その後フランス、ジャンゼリゼ小劇場(1975年国際ダンスフェスティバルに参加、第三位)、そして西武劇場(厚木が企画した「DA
閉鎖病棟の誰かが言った。「アホロートルはネオテニーなんだって。子供のまま大人になるの。幼形成熟っていう。でもたまに陸にあげると、大人に変態する奴も出てくる。その代わり、ウーパールーパーの愛らしさは失われる。どっちがいい?」これは私の叛逆。私は醜くなってでも、この腐った水槽から這い出るのだ。
子供のためのシェイクスピアシリーズは大人も子供も同じ空間で一緒に楽しめる舞台。お芝居を初めて観る方から演劇ファンまで、幅広い層の人たちを魅了し続けています。シェイクスピア没後400年の年にお贈りするのは、四大悲劇の一つ、「オセロー」です!お気をつけなさい、嫉妬という緑色の目をした怪物に・・・ヴェニスの軍人、ムーア人のオセローは議員ブラバンショーの娘デズデモーナと恋におち、密かに結婚する。オセローの
コロナ渦で閉鎖した彩の国さいたま芸術劇場の稽古場を舞台に、1回限りの本番をワンカット撮影し配信を実施。主人公の最初の台詞「そのうち次の年に僕が死ぬ番になっていた」などの印象的なフレーズ、またこの戯曲の特徴である大量のモノローグ、登場人物たちが感じる孤独や苛立つ姿はやがて、未曾有のパンデミックの最中稽古場に集まった演劇人たちと重なっていく。"演劇が立ち上がるさま"本公演のドキュメンタリー映像も作成・
(フライヤーより)こどもの城オープン3周年記念として、ピアノ練習曲集「バイエル」を材料に、詩と歌と映像で味つけしたファミリー・コンサートをお贈りします。「せっかく美しい曲が集まっているのに、ただの練習曲にしておくのはもったいない」と、詩人たちが「バイエル」に楽しい詩をつけました。さらに映像もプラスして、「音楽の楽しさ」「詩の楽しさ」「みんなで歌う楽しさ」をお届けしたいと思います。ピアノを習っている
「きりしとほろ上人伝」は芥川龍之介の童話を武智鉄二の演出により浪曲人形劇にしたもので、狂言の茂山七五三が演じた「レプロボス」という身丈三丈もある無心の大男が世の中で一番偉い人に仕えようとしてたどる人生修行のお話。芥川の文学作品に浪花節の節付けをし、糸あやつり人形に人間をからませた浪曲劇は当時まったく新しいものであり、「新しい叙事詩劇の発生に道をひらいた」と評された。
芸術家の価値とは何でしょうか?一体何の為の創作活動なのでしょうか?私は制作の価値について考えた。めまぐるしく移りゆく現実の前に虚構の物語というものが必要であるか否か……。
2020年のコロナ第一波の時期に書きはじめ発表した作品。日々更新される新型コロナウイルスの感染者数・死亡者数を聞き、見るなかで、数でまとめられる一人ひとりに名前が、顔が、声が、人生があること、確かに「1」として存在していることを表現しようと創作された。〈あらすじ〉とある一室。一人の女性が暇を持て余している。 リハビリだと言いながら酒を飲む、喋る。 今まで出会った人たちのこと、だらしのない生活、忘れ
Choreographとは、規制でもあり、創造でもあります。創造は自由だとも言われますが、全ての事象は常に何かに規制されているとも言えます。例えばこの作品も横浜赤レンガ倉庫で2月に初演するということは“Choreograph” されているわけです。当然私たちの生活も規制無しには考えられません。現代は常に歴史に規制されているとも言えます。そして未来は現代の私たちによって規制されていく。それは決して不
空、蒼すぎて淋しい、などと感じるのはなぜだろう。そう言ったその人の心が私にもわかるのはなぜだろう。見えないのに、ある、と思うことがあるのはなぜだろう。見えているのに、そこにいない、と思ったりするのはなぜだろう。心の声を聞いた、などと人は言ったりする。産毛の皮膚の筋膜の筋肉の筋の腱のそれより中の方の、見たこともない領域の、そのユラギを見たような気がするのはなぜだろう。あの人の体験をまるで自分の記憶の
某県某市の「広庭」地区。住民による行政サービス代行が始まって数年。さまざまな事情を抱えた住民委員全員が集まって今日、「この先、広庭地区を存続させるか消滅させるか」という重要な問題の結論を出すことになったのだが、多数決の結果はなんと、全員が「消滅賛成」。なぜ住民委員は全員が消滅に手を挙げたのか。――いよいよ人口減少社会に足を踏み入れた日本。もはやこの「自治体消滅」の問題は絵空事ではない。これまで当た
新庄藩に生まれた養安は、ある失敗から、9才でたった一人母に見送られて秋田藩へと逃れる。医者に拾われた養安は、御典医を目指して勉学に励む。ようやく医師免許を手にした時、院内銀山の火事に遭遇。「焼死した銀山お抱え医師の代わりに」と請われ、おしかけ女房のサツ子もやってきて、期限付きで引き受ける事になる。持ち前のパワーとユーモアで、鉱山医療に立ち向かってゆく養安夫妻。やがて銀山は日本一の産出量を誇る「天保
洋食屋を営む水野洸一は人前でご飯が食べられず、妻である里奈ともここしばらく食事を共にしていない。二人は10年以上付き合って結婚し、初めての人と結ばれた「理想の結婚」と周りから囃し立てられているが、里奈は洸一以外を知らない事に不安を抱えている。店の向かいにはテレビや雑誌で取り上げられる店が立ち、洸一は店の再起や関係の修復もかけて、人前で食べられない事の克服を測る為、治療に通い始める。それから再び里奈
俺の生きざまを見せてやる最も危険な賭けに命を燃やした男”リチャード三世”野望の果ては天国か地獄か
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(チラシより)26歳のときに書いた作品を、リユースして再構築してみようとおもうのだが、これに至るまではいろいろあった。マームとジプシーのこの三年間は、自分たちの過去に発表した作品をある意味、否定していく作業でもあった。とめどなく湧きでてくる、興味と。どうしようもなく拡大されていく、規模。どんどんと速くなっていく、スピード。取り巻くぜんぶのことにアプローチしていくときに振り返ってはいけなかった。振り
お寺の池に棲む蛙たちにとって、百舌や蛇や鳶たちは、生活や生命をおびやかす憎い敵であった。何故こういう目に会いつづけるのか―。それをにがにがしく思う若者がいた。ブンナだ。広い空への憧れから椎の木に登るブンナ。彼はそれまで自分の敵であった百舌やねずみや蛇たちが、無残にも鳶の食糧となり、死んでゆく姿をみる。一つの死が一つの生へとつながっていくという生きていることの実態、その意味を知ったブンナがもたらした
1942年、アメリカ。ルーズベルト大統領の行政命令により、十一万人の日系人が強制収用所送りとなった。収容所の数は国内に十か所。前年の真珠湾攻撃により太平洋戦争がはじまり、アメリカは日系人の隔離政策を行ったのだ。 自国民を日系であるという理由だけで市民権を剥奪し、収容所に閉じこめ監視する。合衆国憲法違反である。 さて、舞台はカリフォルニア州の砂漠地帯マンザナ。バラックの強制収容所の一室。 朗読劇上演
舞台は大恐慌とファシズムの足音に揺れる昭和初頭。学生街本郷の素人下宿「四丁目ハウス」に展開する人間模様をあたたかい眼差しで描きだしてゆきます。作者小山祐士氏の処女作。
1976年、笠井叡は精力的に活動し、この年に発表した他の三作品(「月読蛭子」「個的秘儀としての聖霊舞踏のために」「物質の未来」)と合わせて、1976年度第8回舞踊批評家協会賞受賞した。また、この年の活動に対し、市川雅が選考した「ダンス・ワーク舞踊家賞」も送られた。4作品全部を観覧した詩人の吉岡実は、「新劇」1977年8月号でその体験を織り込んだとみられる「使者 ー笠井叡のための素描の詩」を発表して
英国の振付師アントン・ドーリンに「こういうものは観たことがない」「この踊りのためにバッハは作曲したのではないか」といわしめた。それが石井みどりのブランデンブルグ・コンチェルトである。石井みどりのこだわりであるリズムの取り方、「溜め」(リズムの裏をとること)から動くこと、「盗み音」があること、「動中の静であること」、これは日本の伝統的な音のとりかたでもある。本作はこれらを象徴する石井みどり作品の代表
複雑な人はなんでもない顔をしている。優しさゆえに心の傷を隠し、自分に嘘をついて暮らす人たちが自由を獲得するまでのいくつかの形を、個性ある登場人物たちで描く。曖昧な自意識で生きる華子。夫を介護する愛人。踊る愛人の娘と友人。生きる意味を探す息子。この家族がホームレスの協花と出会うことで変わる、家族の解体と再生の物語。女性の自由を奪う見えない抑圧に輪郭をひき、個人の尊厳が守られる新しい共同体の姿を探す。
作品ノート:二人のダンサーが、四本の柱と一枚の板を用い、様々な関係の可能性を試行する。立つ・倒れる・寝るなどの、単純な動きの機能を媒介にして、体が物質と等価に扱われる。繰り返される動作=作業と、木材と体を床に打ちつける音の反復は、目と耳にこだまし蓄積する。ダンサーが非人間化し、体の具体性がリズムとフレーズに奉仕する時、“syzygy”は見るものに抽象的な世界の手触りと、興奮を与える。
舞台転換を挟む前後半二部構成のソロ舞踏。上杉が長年公演を重ねてきた東京中野の小劇場、テルプシコールで行われた。上杉自らが熟知する、何もない無垢の空間で、最小の身体と最小のオブジェが繊細な作品世界を作り上げる。
劇団プレステージ 第18回本公演
公演を控えたとある劇団が稽古をしている。劇団創立10周年記念公演と銘打った作品は、特攻隊をテーマにしたいわゆる戦争モノの作品である。緊迫したシーンが繰り広げられていると、そこには見知らぬ青年が2人混じっていた。彼らは“ホンモノの”特攻隊員であった。2人は言う「僕たちも仲間に入れてください!」
近親相姦の家庭悲劇を綴ったマルキ・ド・サドの「悲惨物語」(澁澤龍彦訳)を題材に踊る。一幕五場。「舞踏作品集Ⅰ」として上演され、3月には舞踏作品集Ⅱとして、同じくマルキ・ド・サドの作品「ソドム百二十日」(澁澤龍彦訳)を、5月には舞踏作品集Ⅲとして「死美人-エドガー・アラン・ポーに寄せて」を踊った。笠井は1979年3月に発行された自身の著書『神々の黄昏』において、サドの無垢性に触れている。
1996年ACC日米芸術交流プログラムによりニューヨークに滞在していた36歳の川村毅は、リチャード・フォアマン(1937年ニューヨーク生まれ)率いるオントロジカル・ヒステリック・シアターOntological-Hysteric Theaterの本拠地セント・マークス・チャーチにて、フォアマン作・演出による新作の創作過程の見学をゆるされ、開幕まで立ち会った。その新作『パーマネント・ブレイン・ダメージ
一般的に「勧進帳」は、弁慶が命がけで主である義経を守る姿に心を打たれた富樫が、ついに関を通過させることが物語の核となり、そこに至るまでの三人の攻防が眼目とされています。木ノ下歌舞伎では、原作でいわゆる脇役として扱われる関所の番人や義経の家来たちにも光を当て、彼らがそれぞれの境界に戸惑いながら生きる姿や、境界を超えようとして起きる摩擦を描き、弁慶・義経・富樫のドラマからすべての人間の<境界をめぐる物
最強の熊犬リキの息子として生まれた秋田犬の銀。奥羽軍の一員となった銀は、人間ですら歯が立たない凶暴な殺人熊・赤カブトを倒すため、更なる仲間を求めて四国へ渡った。各地の犬(おとこ)たちとの壮絶な戦いを経て、数千匹に膨れ上がった奥羽軍一行は、満月の夜、総大将リキのもとに集結。ついに、赤カブトとの死闘に挑む!!
死の舞踏には二種類ある。宗教的観念に根ざすDanses des Morts、生き延びた人が死を茶化す要素もあるDanses Macabres。世界中に「死の愛好文化」の遺産がある。どの時代も、多産が飢饉や戦争による大量死と対抗したのだろう。バタバタと愛する者の死を経験し、死によって初めて生が価値づけられ、芸能は痛みを見極めることだと思い始めた。私の舞踊は最近、神や絶対者のための芸術であるより、儚い
大好きなパパを小さいとき事故で亡くしたキャピは、キャリアウーマンのママが留守がちでもへいっちゃら、男言葉を使う元気な女の子。ある日キャピは、近くの森にUFOが下りたのを発見。仲良しの友達とUFOを探しに行って大ダコみたいな宇宙人に出会う。うっかり居眠りをして宇宙船においてかれちゃったんだって。宇宙船が迎えに来るのは1年後、仕方なくキャピの亡くなったパパそっくりに変身しその名もウナカさん。この宇宙人
〈遊行の景色〉においては、<移動>を主題に、演劇を固定した場所性から解放し、より多義的な関係の渦のなかに投げ出してみることが試みられた。檜枝岐、および利賀の野外を観客とともに移動しつつ、身体、映像、オブジェ、マシン音楽が多層的に交錯するなか、〈移動〉の理由を、「風景」に定住する私たちの〈狭生感〉を、逆説的に追求する上演となった。
RICE on STAGE「ラブ米」
2.5次元ミュージカル/舞台
大学生の雨野さんは、ちょっと変わってる。そして、彼女の周りも変わってる。彼女を取り巻く学生たちと非日常を過ごしていく中で、彼女、彼らの日常が変わっていく!?雨野さんと愉快な仲間たちの運命やいかに!?クゥカン生誕15周年にして記念すべき25作品目は、非日常ひねくれ青春グラフィティ!
(フライヤーより)ニューヨークに住むトム•ブラウンくんは ある日、お手紙をもらいました。“親愛なるトム•ブラウンさまプリーズ•カム•カム 来て下さい。困っています。S•O•Sニャーオ 日本の山猫大将より”トムくんは、もううれしくって ビョ〜ンビョンと日本の我不知山にやってきました。待っていたのは、困った顔の山猫大将と家来のトラスケさん。いったい全体 なんでしょう?おお!OH!そこへやってきました
主人公の城崎はサウナを愛しながらも、未だ「真のととのい」とは何なのか分からずにいた。そんなある日、城崎が通う「王子健康ランド」のオーナーから衝撃的な事実を告げられる。この温浴施設の地下には「バトルダンジョン」が奥深く続いており、その最下層「ラストサウナ」に眠る秘宝こそ「真のととのい」だという。城崎は各フロアで待ち受ける汗の使い手「ボスサウナー」達に挑み続ける!20年前サウナで行方不明になった父の影
第68回公演
誰か知る相愛橋のある横丁。すえたドブ川の袂にあるうらぶれの傘屋に、今、聖にして醜怪な万年少女が、おちょこの傘にさし飛んでくる。傘屋を営むおちょこは修理を頼みに来た客・石川カナに恋をした。いつか彼女に「メリー・ポピンズの傘を待たせる。」という夢を描くおちょこ。傘屋に居候している檜垣は、カナがかつて人気歌手の子どもを産んだ挙句にショッキングな出来事を引き起こした張本人だと気づく。檜垣はその歌手の元マネ
衝撃的な内容と大胆な演出でこの年の話題をよんだKERA&ナイロン初の艶笑劇。妻とのセックスの最中に火事を出し、家と末娘を失った中年サラリーマン、ウツキ。妻一筋のまじめな彼だったが、コンビニで働く18歳の少女フミに魅かれ、不倫に走る。フミの父親は白痴の美少女マリィを誘拐し、マンションに監禁していた。ラブホテルに連れ込んだ女性から金を盗る若者、警察の職を悪用して女性にSM関係を強要する警官、そして彼ら
TROPE シリーズ
「家具と身体の問答」家具の持つアフォーダンスをダンサーの身体がいかように引き出せるか答えの無い「問答」のような形でホワイト・キューブの舞台で繰り広げる。
ソノノチ ランドスケープシアター
向こうのほうから 風が吹いてくる。そこにずっとあったもの、立っていたもの、流れていたもの。建っていたもの、聞こえていたもの、営まれていたもの。それらのあいだを通るとき 見えない姿を少しだけ 感じとることができる。わたしたちは 長いあいだ それらを待っていたような気がする。タイトルの「かざまち(風待ち) 」は船が出航する際、順風を待つ様子を指します。きっとこれから、もっと世界がよくなるように。
舞台は全面、激しく急な斜面。それはリビングの床だ。その家に一人、また一人と家族が戻ってくる。どうやら家族はバラバラに暮らしていたらしい。集まった家族は激しく傾いたその床にテーブルや椅子を釘で打ちつけ、重力に逆らい、滑り落ちそうになるのを堪えながら、なんでもないことのように団欒の準備を始める。誰かを待っているのだ。やがて最後の家族の一人が現れる。それは友達を殴って「傷害致死」で少年院に入っていた末の
サンキュー手塚ソロライブVol.18
パントマイムエンターテイナーであるサンキュー手塚。年に1度開催しているソロライブの18回目。博士が作る、一見役に立たないようなロボットがあるキッカケで暴走し、街を破壊していく。ロボットの暴走を止めるには、世界のリーダーたちが一堂に会し話し合う必要がある。2020年7月に開催予定だったソロ公演を、コロナ禍のため9月に延期。その間に2020年の状況をも示唆するような脚本に書き換えて上演した。
日本による韓国併合の時代に朝鮮北部に産まれた李仲燮は、朝鮮の大地を愛し幼い頃より絵に描いていた。一九三五年、支配国である日本に渡り 、東京帝国美術学校、文化学院美術科で絵を学ぶ。在学中に山本方子と出会い魅かれ合うが、戦局も逼迫して一人、実家のある元山(ウォンサン)へと戻った。思いを断ち切れない方子は終戦間近の一九四五年、危険な玄界灘を一人渡り仲燮と再会する。二人は結婚、山本方子は李南徳(イ・ナムド