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ドラマとカオスを縦横するスペースノットブランク。CHAOTICなコレクティブによるDRAMATICなアドベンチャー。ダウンロードとアップロード。HIGH & LOW。物語とキャラクターと本人と別人が脱ぎ着する、母音だけでコミュニケーションできる「場所」。実存しない物語とキャラクターを、実存する本人が「上演」というシチュエーションを用いて実存する別人の目覚ましを鳴らそうとするための舞台。
(フライヤーより)こどもの城が贈る親子で楽しめるゴールデンウィークの素敵なプログラム
『明日』は1945年8月8日の長崎市のある家族の一日を描いている。戦争は緊迫の度を増す。そんな中でも無辜の民は生きる。青春の息吹き、結婚、そして子の誕生と、この一家の営みはたんたんと続いていく。8月9日未明、嫁ぎ先の長女は苦しみのあと長男を生む。あふれる喜びにつつまれる。が数時間後、午前11時2分、原爆が投下される。私達はその子の運命を知らない。
大野一雄フェスティバル2010参加作品。1977年に初演された大野一雄の代表作「ラ・アルヘンチーナ頌」を、森村泰昌を始めとしたジャンルを超えたアーティスト達が、各シーンをそれぞれのアプローチで踊り継ぎ、現在の出来事として現前させる。
サンテグジュペリ「星の王子様」を演劇化。「大切なものは目に見えない」というテーマを具現化するため、素舞台の中、ダンボール箱と黄色いマフラーを変幻自在に使用し、観客の想像力を刺激します。また、20代から50代までの俳優が各場ごとに王子を演じつつ、《花》《ヘビ》など複数役も兼ねることで、多様性の世界を表現します。
あの日、変わらぬ信号を待っていた。青い空に赤信号、それは太陽だったかも知れない。押されないボタンのせい、でも私たちはそれに気づかない。そこから時間はたったのか、それとも刹那。ばらばらの断片を、とんとんと揃えたら。だれだろう。向こうにいるのは。だれだったろう。向こうにいたのは。
「学校はどちら?」って聞かないで…。花房市にある名門の県立花房高校と落ちこぼれの私立花房学園。その花房学園での文化祭で、いま、何かが起ころうとしている。NHKで放映され、大反響を呼んだドラマを作者自らが演出し舞台化。以来2000年のさよなら公演まで1050回の上演を数えた。
MANKAI STAGE『A3!』
2.5次元ミュージカル/舞台
シャッター商店街の白鳥鮮魚店。ここも店を畳み、母が1人で暮らしている…数年ぶりで息子が帰ると、店には見知らぬ外国人たちがいて、母もすっかり様変わりしている…その変貌ぶりにとまどいながらも惹かれていく息子と家族のようなものたちの物語。
平成25年度沖縄県伝統芸能公演 組踊が2倍楽しくなる鑑賞教室
プログラム・組踊抜粋舞踊「女特牛節」 踊り手:山城 亜矢乃・組踊抜粋舞踊「高平良万歳」 踊り手:伊佐 幸子、与那嶺 綾子・ダイジェスト:組踊「二童敵討」を楽しむために 解説:知花 小百合・組踊「二童敵討」〈あらすじ〉阿麻和利(あまおへ)は、天下を取るため邪魔者であった護佐丸(ぐさまる)を首里王府へ嘘偽りを告げ、攻め滅ぼします。残された護佐丸の息子・鶴松(ちるまち)と亀千代(かじみゅう)は、父の敵で
外波山文明人一人芝居
永井荷風・作といわれる、幻の発禁本「四畳半襖の下張り」をひとり芝居に仕立てたもの。戦後間もない東京近郊。雑誌の記者に向かって話す老人の口から出た言葉は、記者も思わず赤面するような、赤裸々なセックスの体験談だった。老人がまだ30前の若かリし頃、第一時世界大戦の軍需景気に沸き返る東京でのお話。 夜毎、新橋へ繰り出しての芸者遊び。その中の“袖子”という売れっ子芸者との一夜の情事。あのてこの手の攻め合いを
若き天才科学者たちが集められ、世界的な先進技術を研究する、とある電気機器メーカーの研究所。科学者たちは今、ヒト型のロボットを製造するというテーマに没頭していた。しかし、そこで生まれたいくつかの最先端技術は、アメリカの国防省に売られていたのだった……ずば抜けた頭脳と、子供のような純真で傷つきやすい精神を持つ、若き科学者たちの青春グラフティ。稽古場でのエチュードを重ねて創られた異色作。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
石巻・月ノ浦。津波の傷跡はもう癒えたように見える、穏やかな春の浜辺。年老いた雌猫が子猫たちに語り出す。400年前、同じようにこの地を襲った大津波、その傷を乗り越えて海へ旅立った一隻の船と、一人の青年の物語……。慶長の大津波からわずか2年後に出帆した遣欧使節団の情熱と、東日本大震災からの復興の思いを重ね合わせ、人々が悲しみの中から希望を取り戻して生きていく姿を描く。宮城の郷土芸能・鹿踊りを始めとする
わ芝居~その参
昭和3年。天乃屋本家は旦那が事故死、頼みの番頭は病死、残ったのは病弱で婿の来手のない跡取り娘のシズ一人。せめて一代だけでも繋げれば、シズが死んだ後は分家に吸収すればいい。そして白羽の矢が立ったのが、分家の手代、伊助であった。計画は順調に思われたのだが…。転がりゆく人々の運命が辿り着く先は…「それやったら」まぁいいか。という日本人特有の曖昧な処世術で繋がって行く女たちのしたたかな物語、完全版・狂言v
慶長17年 陰暦4月13日正午。豊前国小倉沖の舟島。宮本武蔵と佐々木小次郎が、たがいに睨みあっている。小次郎は愛刀「物干し竿」を抜き放ち、武蔵は背に隠した木刀を深く構える。武蔵「この勝負、おぬしの負けと決まった」。約束の刻限から半日近くも待たされた小次郎の苛立ちは、頂点に達していた。勝負は一撃で決まった。勝ったのは武蔵。後に「巌流島の決闘」と呼ばれることになる世紀の大一番は、一瞬のうちに終わる。…
江戸音楽の巨匠たち~その人生と名曲
今日の私たちに伝えられてきている「江戸音楽」を、その時代にあって創り、育んだ巨匠たちに焦点を当てたシリーズ。第4回は常磐津、清元の源流 江戸を熱狂の渦に巻き込んだ豊後節の秘密 宮古路豊後掾 対談 竹内道敬、渡辺保 一中節「睦月連理椿(二重帯名古屋結 上)」 浄瑠璃 菅野序恵美 三味線 菅野序枝常磐津「積恋雪関扉」上巻 浄瑠璃 常磐津一巴太夫、常磐津和佐太夫、常磐津巴瑠幸太夫、常磐津秀三
全国初の県立劇団の門出を祝う祝祭劇。
コンテンポラリーダンス ソロ作品
新型コロナウィルスの蔓延からこれまで、長い時間をかけて、心の中の深く暗い部分に巣食い・広がって来たのは自分の死を・大事な人の死を恐れ、感染経路が分からないまま忍び寄ってくるウィルスや人々の行動に恐怖し、感染により社会から居場所を失ってしまう事に怯え、人を疑い・疑われる事が恐くなり、離れた家族と会えない事以上に帰って来て欲しくないと心の距離まで離れてしまう、人に心があるから生まれてくる、そんな沢山の
あかちゃんとおとなのための演劇・ベイビーシアター
蛇口からしたたる一筋の水をめぐって、無言の人間がさまざまな姿態を見せる。1980年代の伝説的舞台、太田省吾の戯曲『水の駅』を、あかちゃんと大人のための演劇(ベイビーシアター)として全く新しい演出で上演します。極端に遅い動作で一瞬の生を切り取る手法を生かし、流浪する人間の姿を確かに描いた本戯曲。その中の人間の生の描写をあかちゃんと一緒に見ようという試みです。
阿佐ヶ谷スパイダースの3人ともうひとりで紡ぐもうひとつの世界■ものがたり 3人とひとりと長い椅子 そしてどうしようもなく夜 ばくばくと 呑まれていくのか 恐るべきものへ
夕暮れ時。怪しげな黒猫に誘われ、くろぐろとした「かくれ山」の奥深く迷い込んだ少年ナオ。そこは時間の流れからはずれた妖怪たちの住む魔界だった。天狗、赤鬼、山姥。そして子どもを猫の姿に変えてしまう恐ろしい猫婦人・・・小さなネズミに励まされ、ナオは子ども達を救い出す事ができるのか?
世間を震撼させたバスジャック事件「新鷺梁津事件」から十年。イラストレーター志望のキム・リカとルームシェアし、ネット記事の執筆とアルバイトでその日暮らしを続ける自称ライターの三浦小豆は週刊誌連載を狙い、被害者たちへの取材を始める。彼らは変わりゆく社会の中で、風化しつつある「事件後」を生きていた。事件の影響で片腕を失った青野尚子の電動義手手術への支援を求めるクラウドファンディングが立ち上がる中、ネット
2.5次元ミュージカル/舞台
(フライヤーより)「なよたけのかぐや姫」竹から生まれたかぐや姫が、月へ帰っていくまでの物語をミュージカルでおとどけします。素劇「とんとむかし」越後の国の民謡をもとにしたお話を、笛や太鼓などの生演奏に合わせて「素劇」という形で体で表現します。
清姫は、好きになった僧の安珍に再会の約束を破られ、彼を追ううち蛇に変身し、安珍の隠れた道成寺の鐘を巻いて焼き殺す。道成寺は和歌山県に現存し、多くの伝説がある寺。日本人はなぜこの物語が好きなのか? 「今昔物語集」や歌舞伎台本、郡虎彦「清姫」などの戯曲を編み込んだ、現代版のレビュー。
女は新しく家庭教師として住み込みで雇われて二週間になる。雇い主も教え子も女をいつまでたっても「新しい先生」と呼び、名前を覚えてくれない。そのうえ、夜になると女の部屋に以前の家庭教師らしき女が現れ、雇い主との情事をはじめることがある。部屋の権利を主張するも、声が届かないのかなにも反応がない。朝になると以前の家庭教師は消えており、雇い主に問いただすもまるで覚えがないという……
あなたは今、 『自分』ですか?もしある日目が覚めて心はそのままで 身体だけ異性のものに変わっていたら......物語---ある劇団の稽古場。 新作の予想外のキャスティングに稽古場の雰囲気は荒れ模様。 それぞれの 人生を映しながら芝居の稽古は進んでいく。 演劇の舞台裏での人間模様を描く喜劇。
sunday play#3
およそ100人のある一日を5人の役者がサンプリング。そして、ある一日を超えて、永遠とか、そういうものに少しでも近づこうとする話。
本作は「男女の性差の根源とは?」という問いに取り組んだ「演劇で学ぶフェミニズムのやさしい入門書」。創作のきっかけは性被害を実名で訴えたジャーナリストの伊藤詩織さんや、かつて政治家が「女性は産む機械」と発言したことへの憤り。同時に作家としての関心は生物学的、社会的な違いを超えて人々がどう存在しうるのかへと向かった。「女性」と「男性」の「わかりあえなさ」を「わかりあおうと」した先にあるものとは。
戦争の傷跡が街々にまだ色濃く残る時代、銀座の夜を華やかに彩る一角があった。ジャズが、ジルバが、熱狂の一夜をつくり出す、ここは進駐軍専用キャバレー”パラダイス オブ ギンザ”。三人の男女がここで出会う。通訳志願の学生清水誠、日経米兵ケン・ナカガワ、コーラスガールの青山優子。清水は忽ち優子の虜になるが、自らの心を隠し、ケンと優子の愛の仲立ちを買って出るのだが…。青年座のオリジナルミュージカルが誕生。
数十年に一度、地球に接近する小惑星。そこからやってきた、コンクリートブロック型の飛行物体。乗っているのは、身長数センチのツアー客たち。「これ、ホッチキスですよねえ!」「カッター折りますんで、足で押さえててください」「消しゴムのソファー、弾力いい感じですねえ!」「マジックインキ、いい匂いがする...!」ご主人の帰宅も厭わずに、机の上の観光旅行。ハイポリマーでBBQ、夜には満天の折り紙ミルキーウェイ。
原作は近松門左衛門。300年前、愛する女と一緒になるために公金を横領した男、飛脚問屋亀屋の忠兵衛は大和の国新口村から大坂に養子に来たのだった。その忠兵衛と命を懸けた逃避行をした新町の遊女梅川も生まれ育ちは京。忠兵衛は何故、切ってはならぬ封印を切ってしまったのか…。忠兵衛が逃げた先に選んだのは、新口村だったが、そこには既に捕り手が迫っていた。扉一枚隔てて、実の父親に顔を見せられぬ忠兵衛。知人の機転で
暗闇の中に響く「こえ」。「相手」は誰? 相手が「自分」ならば心の内との会話で、いつも暗闇の中を手探りで歩いている。外に広がる宇宙だけではなく、自身の中の「宇宙(暗闇)」。これに意識を向ける。この宇宙(的)孤独に意識を向ける。私たちはこんな場所にいる。暗闇を「あっちからこっちに流れていくだけ」の存在。「こえ」があり、「見る」ことはできる、それが唯一の私たちの「存在」を示している。
あの暗がりの中で手をにぎりかえしたこと、ほんとうは後悔してるそれなのに僕は君が来るのを祈り待ちわびているくるなくるなと静かに泣きながら
25世紀。地球は、無くなる一年前を迎えていた。語り合う人間の男と宇宙人の女。宇宙人は今日、人間から名前をもらった。宇宙人は人間のことをたくさん尋ねた。人間は話した。戦争の歴史。日本の四季。神さまのこと。科学の発展。有名な小説。ほとんどがこの世界からなくなったものだけど、一年後には、本当に全てがなくなってしまうけれど、人間の男は宇宙人の女に聞かせてやった。宇宙人の女が死んだところから、物語は始まる。
古城十忍の新作書き下ろし。男は「ある反政府集会」の中心的人物が自分の娘の恋人であることを知り、戸惑いながらもその恋人の日々の行動確認(行確=コウカク)を開始する。高校教師を務めるその娘はSNSによる誹謗中傷を受け、個人情報までもがネット上にさらされてしまう。そんなある日、男は自分自身が見知らぬ何者かに行確を受けていることに気がつく……。そして娘は、誹謗中傷の発端が意外な人物であったことを突き止める
80年代から作りためた小品をゴツゴツと並べたものを「ダンス☆ショー」と呼んできた。懐かしきリーダース・ダイジェストの通販で購入されたレコードを発見したことからまずは始まる。昭和の音楽が明るく単純な編曲で嬉々と演奏されていた。わたしは捻って捻り過ぎる癖があるので単純で明るい疑いのなさに圧倒される。単純で一本槍なダンス。凝らずにお遊戯のような動きで組み立てた小品の粒。初演新たな小品も織り混ぜてゴツゴツ
源平合戦後も平家残党が生き延びていたという設定のもと、平家武将たちと源 義経の“その後”を描いた「義経千本桜」は全五段の傑作長編。その二段目「渡海屋・大物浦の場」は、海に身を投げて自害したはずの平知盛が、船宿の主人となり義経に復讐を企てる物語です。変わりゆく時代の中、変わらぬ信念で戦った知盛の姿は、今どんな相貌をもって現れるのか。平成から令和の改元、疫病による日常の変化を受けての2021年版を演出
Dance New Air 2018
Dance New Air 2018のプログラムの一つで、青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
◎公演概要はたから聞けばニヤニヤ笑える、じんわり静かに心に沁みる、はしゃげない中年会話劇。今、「我々はどのように大人になり、しかして大人になれないのか」を問う。◎あらすじ11月21日友引。高校の同級生たちが居酒屋の個室に集まり、故・鈴木達夫について語り合う。思い出ばなしに興じるうちに、お互いの不幸を比べ始める。家族を持つもの、持たぬもの、夢をおうもの、おわぬもの、金を持つもの、持たぬもの。今は中年
歴史はくりかえす。物語はよみがえる。お布団のマスターピース、再上演。古代ギリシアでソポクレスが書いたアンティゴネと、それを改作したブレヒトのアンティゴネ。ふたつを元に想像された、新たな物語。死体をゾンビ兵士として再利用する技術が確立された遠い未来。戦火の街で暮らす二人の姉妹が直面する運命とは――。向こう側(フィクション)の戦争が、わたしたちの今を照らし出す。
わたしって、約60兆個の細胞でできてるんだってってことは、わたしが「わたし」って言うときそれは60兆個の細胞が大合唱していることになる『わたし!!!!!』ってミンナツナガッテイルの意味があなたにはわかっている?プラスチックプール は、日常にひそんだささいなアディクション(依存症)を生きる女たちのお話ですホントの私ってなんだろうだったら自分で決めたら?
明和八年(1771年)小塚原の刑場で、青茶婆と呼ばれた毒婦が斬首されます。養育費目当てで幼児を引き取っては殺していたという希代の悪人です。この鬼婆の死体が、我が国の医学の発展に寄与することになりました。蘭学医・杉田玄白、前野良沢らは人体内部の観察が不可欠であると知りつつも、漢方が正統とされたこの時代、その機会が得られませんでした。それが青茶婆の死体に限って奉行所より珍しく腑分けの許可が下り、その見
踊りの起源をテーマとしたダンス作品。人間ではどうしようもできない事象に対し、自然や神、見えないものに敬意を払いながら共に生き抜くために、祈りや呪いとして音を鳴らし踊るという根源的な行為が人間の日常生活の延長線上にある。日本の土着的な風習や儀式の身体感覚を見つめ直し、踊り鳴らすという行為の根源を想像し新たに作り上げた。見えない/聞こえないけれど、そこに確かに在るものの気配を取り戻し、人間以外の目線や
スコットランドの王位簒奪を目論むマクベスは、マクベス夫人と共にあらゆる裏切りや陰謀を企て国王ダンカンを暗殺し、王位に就くも、その猜疑心と暴政により自らの身の破滅を招くのだった。結城座では1982年の初演以来幾度も再演され、代表的なレパートリーの一つとなった作品。1986年のベオグラード国際演劇祭では特別賞を受賞 するなど、「結城座のみが演じ得るマクベス」として、海外でも高い評価を受けた。
作品ノート:2015年に初演(20分)。何もない事や、説明の出来ないものを形にするクリエーションの中で、様々な「実験」を試み、ダンサーを[実験用ラット]のように見立てた。2017年の本公演(60分)では「目次」を用いて進行。ラット達に薬品や刺激を与え、精神的な環境に置き反応を見ていく。共通の説明書(振付)と各々にタスクを与え、ダンサー自身も実験を試みた。ダンスは形? 肉体? ダンスは必要か? 違和
この劇は、不条理演劇における代表的な作品のひとつとされている。中村伸郎によるこの「授業」は渋谷ジャンジャンでロングラン上演された演目で、中村の代表作といえる。
異なる身体性を演じることの意味を問う、「演技論」を捉え直すプロジェクト。観客は今まで「個人」とされてきた「聴者」がカテゴリーで括られることを目撃する。演じる人はろう者役者の數見陽子と山田真樹。ろう者の身体で演じられる「聴者」に、私たちはどこまで言及することができるのか。 演じる者と演じられる者、その関係を超越し、分かち合うことは可能なのか。
世界中の人々に愛されてきた中国文学の傑作『西遊記』。無限の空想の彼方に誘ってくれるこの小説の源は、国禁を犯してインドへ西天取経に向かった若き僧・玄奘(げんじょう)のひたむきで壮大な旅にある。その旅が時空を超えて私たちに語りかけてくるものは何だろう。 21世紀。人間を救うものを探す旅は続いている。スペクタクルではなく、Music Performance Bandならではのアレンジで描く。
2021年再演版
男性キャストのみによる、ごく小さな日常の一コマを巡る物語。しょうもないけれど、誰もが身に覚えのある小さな「裏切り」を素材とし、信頼とは何か? という胃の痛くなるようなテーマを浮かび上がらせます。とある休日、ロードバイクで旅行に出掛けたサラリーマン五人組は、山深い温泉宿に立ち寄った。ささいなことから言い争いを始める五人。口論は、やがて思わぬ方向に発展していき、遂には修復し得ないほどの混乱に……。
詩人の白石かずこの「ポエトリー・レストラン・シアター」に白虎社の舞踏手が出演し、白石の朗読と井上敬三によるサックス演奏とで踊った。白石はジャズの演奏家だけでなく舞踏家とのコラボレーションも多く、白虎社の夏期合宿にも顔を出していた。約3週間後に京都KBSホールでの「ミナカタクマグスのようなテレビジョン」上演を控えていたこともあり、蛭田早苗のソロや男性舞踏手の石を打つ踊りの動きなどは同作品でも見られる
夢と現実の境界を行き来するうちに浮かび上がる世界。言葉を介さず連なる点と点を結ぶことで、呼び起こされる記憶。言葉によって何もかもを理解しようとする私たちの、その外に広がる世界に想像をめぐらせる。3団体の俳優らを中心とした長期プロジェクトから始動。演出はマイムの動きをベースに、独自の演出で注目を集めるカンパニーデラシネラの小野寺修二。ダンス・マイム・手話・コトバの境界を超えた、身体について探求する。
昭和六十三年度文化庁芸術祭
湖の美しい松江城下、松江藩浅香市之進の妻、おさいは、年頃の娘お菊とわんぱく盛りの息子虎次郎の三人で、主人の江戸詰めの留守をしっかり守っていた。一方「鑓の権三」とうたわれるほどの武芸の達人笹野権三は誰からも愛される藩内随一の美丈夫である。この頃凶作が続き藩財政も苦しく青年武士たちにとっての出世栄達の途はすでに武芸にはなく、茶道などの遊芸にわずかなチャンスを狙うよりほかはない。権三もまた例外ではなかっ
現在、演劇界で活躍中の劇作家と個性派俳優とのバトルは予想通りの舞台を誕生させた。劇作家が仕掛けたストーリー、装置、小道具、そして一人の紡ぎ出す台詞に二重、三重に隠された複数の声。たった一人の俳優が、これらに対峙し舞台空間を埋めていく作業は、まさに芝居の醍醐味そのものであった。今回の企画は、ひとり芝居に挑戦する若き劇作家の登場である。早稲田大学在学中に「劇団笑うバラ」を主宰し、現在は他劇団の役者を集
Dance New Air 2014
迷い蝶というものがある。台風で予期せぬ場所に飛ばされ、海 を渡っても、その同一性を作り替えて生き続ける蝶のことだ。こ の共同制作もまた、たくさんの問いに導かれ海を渡り、相手の 中に自分を探す旅路を続けながら他者との新たな関わり方を 発見する。 “Suwung”とは、“目には見えないが、何かがそこに存在する ことを感じる”、という感覚を表すジャワ語である“。空”の中に存 在を感じ、現実と虚構を合理的
争いが蔓延する世界を救うため、はるか遠い天竺まで経文を取りに行く唐の僧侶、玄奘三蔵。五行山に閉じ込められていた孫悟空は三蔵法師に助け出され、ともに天竺を目指す旅へ出ます。猪八戒、沙悟浄も三蔵法師の弟子となり、行く手をさえぎる妖怪たちや過酷な自然と闘いながら旅はさらに続きます。ついに一行は天竺へたどり着き、経文を受け取る事ができました。猪八戒、沙悟浄は天上界へ帰って行き、一人残された悟空は…。
3度目となる東京公演。日替わりゲストを交えてのコントオムニバス。漫談「サイボーグ」/コント「検査」/講談師「藤子紋之丞」/「体操のお兄さん」/創作落語「鼻」/コント「今コントやってるから!!!!!!!!!」/「体操のお兄さん~ファイナル」/「ナカナカノ詐欺」
その家の主(あるじ)は、先代の主から3人の使用人を引き継いだ若い主。使用人たちは、主のすきを狙っては仕事を怠けたり悪さばかりする困った人たち。ある日、大事な所用で出かけることになった主は、自分の留守の間に大切にしまっておいた酒を、使用人に飲まれては大変と、一計を案じて出かけていく。さぁ残った使用人たちが、おとなしくしている訳がない。酒をめぐって大騒動。その結末は・・・?!