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シェイクスピアの「真夏の夜の夢」をモチーフにしたファンタスチックな舞台劇。
息子を亡くした美緒は離婚協議が停滞する中、母の三回忌に帰省する。遺された母と、祖母の記憶。たどりつくのは果てしなく続く母娘の軛か、それともー。愛媛の歴史ある建造物を背景にした初演から日本最大級の演劇祭「豊岡演劇祭」の劇場空間に合わせて再構成した作品。劇団UZ初の県外上演作品。
北海道空知地方、夕張。1980年代初頭。かつて良質な製鉄用コークスを産出し、高度経済成長を支えたこの地方の鉱山も、エネルギー政策の転換や、安い海外炭の普及により閉山に追いやられていた。「石炭から石油へ」「炭鉱から観光へ」国策で推し進められてきたはずの産業は、急激な転換を迫られ、混迷し、国からも企業からも見放され衰退していく。それから約20年後、2000年代、財政破綻後の夕張。再建の道は絶望的とされ
映画館の常連の観客に「映画をモチーフにした演劇」を見てほしくてて立てた企画。映画館の内外スペースをそのまま使い、架空の映画館と映画祭を立ち上げた。映画という「複製芸術」についてファンタジックに考察した作品。あらすじ「満席でも必ずいくつか席を空けておくこと」映画館には昔から、そんな習わしがある。今ではほとんど忘れられているけれど、本当は理由があるのだ。それはー
『リセット』の3つのコンセプト-〈登場人物をリセットする〉この芝居には過去の作品に登場した人物がキャラクターもそのままに、続編のように再登場します。例えば『ONとOFFのセレナーデ』の葬儀屋のヤリタイと看護婦の深町、『眠れる森の死体』の外科医の猪瀬・境など。つまり、過去の作品の登場人物たちがこの『リセット』という作品にリセットされるわけです。〈観客がリセットする〉この作品では時間的つながり、登場人
子供達から羨望の眼差しを受けるヒーローショー。しかしその裏側は、そのステージを望む者と望まない者の清濁合わせた、出演者達。ヒーローショーの楽屋で起きる、夢を追う人々の挫折と諦めと夢の終わりの物語。
レクチャーパフォーマンス
体育教員の目線から、なぜダンスが体育なのか等を問うた2016年初演『ダンスハ體育ナリ』の第二講。1937年に披露された「建國體操」を軸に体操との差異を歴史から紐解き、ダンスとは何かを問う。オリンピックに向けて建設中の国立競技場を遠目に、今一度踊り手としての立ち位置を確認する。Dance Archive Project2018参加。
見たか、と俺は問うた。高峰はただ、頷いた。「ああ、真の美の人を動かすことあのとおりさ、君は 、 – 躑躅は美なりしなり。されどただ赤かりしのみ –「君は、お手のものだ、 君なら、 わかるだろう。」泉鏡花の「外科室」を元に、とある視点で紡ぐ詩的演劇作品。
建築家の中西義照氏・住まい方アドバイザーの中西千恵氏のご夫妻が作・出演、THEATRE E9 KYOTO芸術監督のあごうさとしが演出する演劇公演。とある土地での家の妄想──。子どもが独立した後、プロの建築家が新たに家を建てるとしたらどんな建築が描かれるのか。その実際の建築計画、プロセスを演劇作品として上演。
ミュージカル『薄桜鬼』
2.5次元ミュージカル/舞台
横浜ダンスコレクションR 2005 受賞者公演
東日本大震災とそれに続いて起きた原発事故を題材にした、ノーベル賞作家エルフリーデ・イェリネクのテキストを舞台化。暗く、湿った場所に取り残され、演奏を続ける「第一ヴァイオリン」と「第二ヴァイオリン」の対話は、5人の男女によって演じられる。時には客席を指差し「わたしたち」「あなたたち」を強調する発語は、登場人物が死者であり、音であり、光であり、放射能でもあることとも響き合いつつ、主体/当事者の遍在を示
"稽古場で、舞踊家たちがバーに捕まって稽古をしている。するとある刹那、一人の女性舞踊家が自らの指先に過ぎた日々の断片を見る。それは20年という歳月に彼女が乗り越えてきた苦悩であり、分かち合ってきた喜びであり、受け入れ、その身に刻んできた舞踊への愛である"(『Amomentof』)、”黄昏時に、白い舞台の上で、白装束の集団(ある民族)によって儀式が営まれている。それは人間とは何かを忘却せぬために、巡
「公演時間の大半を直角に交わる二面の黒壁に沿って右から左への移動に費やされた」という本作は、「静中の動」、「内に圧縮されて解放を求めるエネルギーの迫力を醸しだし、さも鳥が天上に羽ばたきたくとも羽ばたけずに果てるかのような」姿を見る者に連想させた(吉沢伝三郎 / 「現代思想」)。「幻想とは、何よりもまず不安を意味し、破壊を意味する」というロジェ・カイヨワの言葉が、「鳥」という作品にひとつの生命を与え
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
劇作家如月小春の上演台本に、演出家如月小春が「演出ノート」「構成写真」で演技指導する。演じるのはBOYS&GIRLSだ!
舞台は大正時代。新潟市内の竹山病院産婦人科医長:荻野久作の診察室。そこに一人の女性:とめがやってくる。久作の見合い相手として病院に呼ばれたとめは、当時としてはかなり背が高いが、一目見るなり久作は彼女の虜になってしまう。しかし、診察以外では女性と何を話していいのかわからない久作は仕事のことしかしゃべれない。飾らぬその人柄に惹かれたのかまんざらでもなさそう。そして久作はプロポーズ。しかしその言葉は「僕
エリック・サティの「梨の形をした3つの小品」を使用し、口をあけて食べる仕草を振付に入れながらも絵画的でロマンティックな作品に仕上げている。
おなじみのピーターパンのお話である。とはいっても、ピーターパンもすっかり大人しくなって、相変わらず夜中に子ども部屋に忍び込み、子どもたちをさらってネバーランドへ連れ出してくれるものの、ちっとも冒険をさせてくれない。でも、そこはネバーランド、冒険は向こうからやってきて、ピーターパンも子どもたちも、海賊たちと闘うことになるのだが…。 誰もが知っているピーターパンとはちょっと違う、歌って踊って、大いに笑
東京裁判三部作 第二作
『夢の泪』は井上ひさしが新国立劇場のために書き下ろした「東京裁判三部作」の第2作目として、2003年に上演されました。「東京裁判三部作」は、01年『夢の裂け目』、06年『夢の痂』とともに、「戦争」そして「東京裁判」を当時の市井の人々の生活を借りて見つめ、「東京裁判」の、そして「戦争」の真実を改めて問うた作品群です。
「生成(なまなり)」は、「全裸・不動・垂立」のソロ・パフォーマンスを展開していた岩名雅記にとって大きな転機となった作品で、1985年初演。自らの中に潜んでいる女性性を踊りたいと、初めてヨーロッパ近世の貴婦人のドレスを着て踊った。同年、岩名は自らの踊りを「舞踏」と呼ぶようになる。「生成(なまなり)」と呼ばれる能面は、角を少し生やした女面で、般若になる前の状態を表したものを言う。
物語は陸奥の一隅、鄙びた商店を襲った強盗放火事件から始まる、一万年の昔、日本の地よりさらに東北へ移動せざるをえなかったある縄文の一族の物語。そこには争うことを避け続ける臆病者の知恵があった。千島列島、カムチャッカ、アリューシャンを越えて氷河溶解のベーリング海峡。一本の縄を頼りに奇跡の海峡越えを果たして初めてアメリカ大陸を踏みしめた臆病者達こそ、北南米先住民の祖先となるモンゴロイド。その「争わぬ知恵
(フライヤーより)「元気の出るダンス」「明るいダンス」をモットーに〈ステイ•ヒア〉〈ダンス コレクション〉などのシリーズで次々と作品を発表している前田清実は1991年青山劇場での「青山バレエフェスティバル」でクラシックバレエにアプローチし、その鬼才ぶりを発揮した。ダンスの世界はいま大きく様がわりをし始めている。モダン、ジャズ、クラシックがそれぞれ融合し、単純なジャンルわけが難しくなってきている。前
第12回せんがわ劇場演劇コンクールグランプリ受賞記念公演。劇場を舞台にした2つの二人芝居。【舞台編】舞台は、劇場の公演準備前の舞台。俳優がひとり舞台の上にいると、台本の台詞を正確に喋る見知らぬ男が現れる。それはすでに削除されたはずの台詞だったー。劇に登場しなかった登場人物とその役を演じるはずだった俳優の物語。【客席編】舞台は劇場の客席。劇の結末に納得できない登場人物と、人生でたった一度だけ見た劇の
ガリラヤ領主ヘロデ。彼は妃の娘である王女サロメにただならぬ目線を向けているが、その目線に耐えられなくなったサロメは、自分のお目付け役である若いローマ人の男と関係を持つようになった。その逢瀬の際、預言者ヨカナーンの存在を知った彼女は、彼が閉じ込められている井戸に向かう。預言者との接触は王により禁じられているのだが、サロメは色仕掛けで見張り番であるシリアの青年に禁を破らせて預言者を見てしまう。
イントレランスとは不寛容ということ。たとえば、青い惑星に逃げ込んだ宇宙人の喜びと哀しみを想像してみる。地球人に憧れる宇宙人と宇宙人になりたい地球人の日常と冒険を創造してみる。
「俺が代」は、日本国憲法や、文部省(当時)による教科書『あたらしい憲法のはなし』、そして尾崎行雄、芦田均などの演説をテキストとして用いながら、日本国憲法の本質を浮かび上がらせ、憲法やこの社会についての問いを共有するソロパフォーマンス。これまで愛知県芸術劇場、京都芸術センター、Festival Temps D' Images Cluj などにおいて上演されてきたかもめマシーンの代表作です。憲法という
編集者でもあった室野井が2017年に58歳で亡くなった翌年、踊りや身体をめぐって公的私的に綴られたエッセイをまとめた本『ダンサーは消える』が発行された。室野井洋子にはソロ公演の写真や動画が多く残されているが、本作は同名タイトルのビデオアンソロジーで、1983年の初舞台から2017年のギャラリー犬養(札幌)での踊りまで、順にその軌跡を辿る。
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自然の森と、人工的な宮廷とを今日的な視点で風刺をこめて対比させ、森の中でくりひろげられる恋人たちのジグソーパズルを、歌と踊りを交えておおらかに描き出す。劇団俳優座が1978年に初演し、全国各地で感動と絶賛の嵐を呼んだ、オールメイルプロダクション(すべての役を男優だけで演じる)の傑作が、装いも新たにダイナミックによみがえります。
東京郊外にある今は珍しい下宿屋。夢を求め大志を抱き若者たちが集っていたのは昔のこと。大家の4兄妹と、今は行き場のない愉快なおじさん達が面白おかしくすみ暮らしている。そんな下宿にかつて一世を風靡した巨大な女レスラーが入居してくる。もりあがるおじさんたち。しかし、その下宿に奇妙なことが起き始め・・・ 懐かしい下宿物へのオマージュを込めて送る、「動物電気の昭和まんが劇場」です。
失うことが進化だとすれば、僕たちはこれからもどんどん失うだろう。どんどん失って、いつかすぽんと消えてしまう。失ってゆく、というのはどういう感覚なんだろう。失いつつあるそのさなか、ひとはなにを思うのだろう。忘れることと失うことはいったいどのくらい違うのだろう。僕は毎晩僕の尾骶骨に問いかける。ちいさな骨が寄り添うように集まった、その名残の部分に問いかける—— ひとりの男とその妻、女、
THE CONVOY SHOW vol.40
「地球まるごとハックション!」「・・・世界が感染している」「日本は平成が終わり令和が始まったばかりだというのに」「令和か・・・」「新しい時代の夜明けが、これじゃ台無しだ」「誰もが予想だにしなかった出来事がこの地球で起こっているんだ」「ここ日本も今、深刻な問題を抱えて苦しんでいる」「みんな、任務を忘れるな」「我らポー星を代表する」「遣ポー使!!」「しっかりとこの目に焼き付けるんだ」「憧れの星」「この
マレビトの会の松田正隆がタルコフスキーの映画『ストーカー』等を下敷きに書いたSFメロドラマを、維新派·松本雄吉の演出で上演。舞台は、隕石の落下によってできた巨大な穴を抱える都市。段丘上に広がる街(舞台装置)のあちらこちらに、穴の周囲に設定された立ち入り禁止区域「ゾーン」の案内人とその家族、 死者と再会するためにそこを訪れる人々の人間模様が配置される。ゾーンで過ごす死者との時間は幻にすぎないのか、穴
土方メモリアル
舞踏の創始者<土方辰巳>の初期の軌跡を巡る総合企画。当時の貴重なフィルム作品の上映、舞踏の黎明期をともにしたゲストを迎えてのトーク、そして舞踏公演。土方巽へ捧げるオマージュ。エドガー・アランポー原作の『大鴉』は、30数年前土方が振付した元藤とのデュオ作品。公演直前に元藤が妊娠、待望の赤子と引き換えについに上演されなかった幻の作品。代わりに土方は誕生した我が子に「大鴉」と命名した。当時、土方はフォー
THE STAGE ラッキードッグ1
2.5次元ミュージカル/舞台
思いっきり笑って思いっきり泣いて思いっきり怒って思いっきり喜んで思いっきり哀しんで思いっきりハメを外してだけど自分を守る為に否が応でもリミッターはかけ続けなきゃね。鈍った心を抱えながらでも進んでいかなきゃね。・・・・・・それって本望?時には心のままに叫ぼうよ。次へ向かう為に自分に叫んでみようよ。「解除、せよ。」
どうしても欲しいものがあって、でも結局手に入んなくって。そういう経験って、いっぱいあるよね。だけど、その時の気持ちって長続きしないんだよね。いったん冷めちゃうとさ、もうどうでもいいって言うかさ。でもスタイルだけは別。結局去年も手に入らなくって、結局今年も欲しくなる。体に太陽、心に栄養、ハンサムボディーが今年のルール。いろんなもの脱ぎ捨てちゃって、夏を歩きに行こうよ。
平成28年度文化庁新進芸術家海外研修制度の研修員として、イギリスのDerby Theatreで1年間研修した大澤遊の演出公演。田舎に住むジャックは架空の弟「アーネスト」を訪ねる名目で、たびたびロンドンへ遊びにでかけていた。ロンドンでは「アーネスト」と名乗り、友人アルジャノンのいとこであるグウェンドレンに恋い焦がれるジャック。あることからアルジャノンはジャックの嘘を見抜き問いつめると、田舎ではジャッ
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TOKYO FORWARD 2025 文化プログラム
移動し浮遊する《霧のまち》。音という概念がなく独自の言葉と文化を持つこのまちに、一人の男が迷い込んでくる。音に過敏な巨大都市《百層》からやってきたのだ…。2025年秋、言葉や文化が異なるろう者と聴者の遭遇から新しい舞台作品が誕生した。日本手話をベースにした手話と日本語による完全オリジナルストーリー。
Wキャスト(昆夏美、海宝直人、平野綾、小林唯、桑原広佳、増田梨沙)
太平洋戦争下の広島県呉市に生きる人々の物語を通し、慎ましくも美しい人々の営みを繊細に描き出した、こうの史代によるコミック「この世界の片隅に」を、アンジェラ・アキの音楽によって初のミュージカル化。絵を描くことが大好きな主人公・浦野すずの視点によって、幼少期から結婚、そして幾多の苦難を乗り越えて自分の居場所を見つけていくまでの物語。
「生きづらさ」を抱える大人たちが、オスカー・ワイルドの『サロメ』をモチーフに、演劇を作りながら、時にはいさかいなども起こりつつ、互いに励まし合い明日へと生きていく姿を描いています。演出の扇田拓也さん、音楽の後藤浩明さんをはじめとした出演者やスタッフの力により、「生きづらさ」に苦しむ人を描きながらも「優しさ」を感じさせる演劇作品になっています。
姿が見える時の心、心が見える時の姿…というようなダンスを目指す。常に、一人で踊ること、ソロダンスというものについて考えている。80年初頭に開始した頃、私はいつも不自由さだけを感じていた。たった一言の台詞がないことやそこに私のカラダを支える誰かがいないことを。ソロダンスが「意味を背負って一人で立つ」ことだとようやく分かり始めたのが、この「TOO BRIGHT TO SEE, TOO DARK TO
[作品ノート]黒い制服姿の女子3人。レモンを巡る、束の間の断想。静かで、奇妙で、どこか懐かしい。そわそわ、じりじり、ゆるりゆるり。意地悪な泣き笑い。そして、爆弾が――。
ウィリアム・シェイクスピアの『夏の夜の夢』は、世界中で様々な形で上演され、映画、絵本、ダンス、オペラ、音楽にも翻案されてきた。魅力的な登場人物たちが織りなすユーモラスなファンタジードラマ。串田和美はこれまで同作の演出を1979年、94年、2005年と三度手がけてきたが、今回は出自の全く異なる8 人の俳優だけで、独特の発想で偉大なる原作の中に入り込み、解体し、見知らぬ、或いは極く身近な人類が共有する
Dance Mediumの10番目の新作。2006年初演の「見えない森」を全面改訂し、出演者も総取替えしての新たな境地を見ていただきたいと思う。今回は舞踏家3人に他ジャンルの身体表現者3人を加えての新たな試みにも注目して欲しい。幻獣達の蠢く見えない森に彷徨い込んだ青年の体験する悪夢。人間の意識と無意識、現実と妄想、死と生、真実の光とは何かを追求した作品。
「よど号」をハイジャックして北朝鮮に渡った「日本赤軍」は、自らを「あしたのジョー」に喩えた。その比喩に乗っ取り貨物船に潜り込んで北朝鮮への密航を試みようとする男達の「挫折ごっこ」を描き出す、劇団初のコメディ作品。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
『「さ迷える愛・序破急」三部作』
2018年に初演された、「さ迷える愛・序破急」三部作の第一作『翠晶の城』は、自己の要塞化にも他者との開かれた関係性にもつながるメタファーとしての「城」をモチーフにした作品。エキストラ出演者5名が参加。
あかちゃんとおとなのための演劇・ベイビーシアター
蛇口からしたたる一筋の水をめぐって、無言の人間がさまざまな姿態を見せる。1980年代の伝説的舞台、太田省吾の戯曲『水の駅』を、あかちゃんと大人のための演劇(ベイビーシアター)として全く新しい演出で上演します。極端に遅い動作で一瞬の生を切り取る手法を生かし、流浪する人間の姿を確かに描いた本戯曲。その中の人間の生の描写をあかちゃんと一緒に見ようという試みです。
進路に悩む美大生、僚太、朝利、板垣。三人はひょんなことから、1908年のウィーンにタイムスリップしてしまう。そこで出会ったのは、ウィーン美術アカデミーの受験を控えた青年、アドルフ・ヒトラー。彼らは未来を変えるため、ヒトラーの受験をサポートすることに。けれどヒトラーにはまったく絵の才能がなくて――果たして三人は、ヒトラーを独裁者でなく画家にすることができるのか?!人類の未来をかけた絵画レッスンが始ま
その0歳児クラスでは、早くも 、“おバカチーム”vs“エリートチーム”の対立が深まっていた…!そんなある日、なんと奇跡が起きて、赤ちゃんたちが大人の姿に大変身!自由を手に入れた彼らは、ママのピンチを救うため大冒険に繰り出すが…!?
舞台せましと踊る若者たちが、素敵なメルヘンの世界をお届けします。 青い海にポッカリ浮かび上がった小さな島。この島から金鉱が発見され、貧しかった人々の心は浮かれ騒いでいます。ところが、そのかげに・・・今宵は年に一度のポセイドンの祭り。若者達は素晴らしい恋にめぐりあうため大忙し!!軽快なリズムにのせておくるミュージカルファンタジー。
ロベルト・シューマンの「子どもの情景」にパ・ド・ドゥで、雨の午後の子供たちのひとときが描かれる。1953年にジェーコブズ・ピロ―で初演、その後、ジュリアード音楽学校のダンス・アンサンブル(1960)、ノルウェー・バレエ団(1961)、王立スウェーデン・バレエ団(1963)で踊られた。
1995年に斎藤歩が、ハンガリーの劇作家カリンティ・フリジェシュ「亀、もしくは居酒屋の中の気ちがい」という15分ほどの原作を脚色して上演以来、北海道各地や東京での上演を繰り返し、原作の母国であるハンガリー(ブタペスト、ペーチ、デブテツェン)をはじめ韓国(ソウル、仁川、大田)などの海外にも招聘され、高い評価を得てきた作品です。そもそもはグロテスクファンタジーと呼ばれるジャンルの精神療養サナトリウムを
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イギリスの田舎町ウインザーを舞台に繰り広げられる喜劇。酒と女には目がない活力にあふれた憎めない男、フォルスタフが二人の人妻に散々な目にあわされるエピソードを軸に、旧い秩序意識から解放されて人間中心の時代へと目覚めていく市民たちの姿を、楽しい笑いの中にいきいきと描いた作品です。
1986年スパイラル ESPACE AVENTURE『ダンスの季節の女たち』第2夜:黒沢美香公演で上演した(初演 1985年 俳優座)ラジオの国民的体操をモチーフとした作品。ーーースパイラル ESPACE AVENTURE『ダンスの季節の女たち』について スパイラルホールは劇場であり、ギャラリーであり、倉庫でもあり・・・つまり、どんな風にも使える空間です。 スパイラルでは、舞踊によってこの空間へ挑
Eラーニング(日本演出者協会)
⑥ 映像このシリーズでは、舞台にまつわる映像の仕事について、講義と対談形式で詳しく紹介します。舞台映像が登場してから約四半世紀。比較的新しい業界のため、アーカイブされてきた情報が多くないのに加えて、技術革新によって大きく変化する演出方法のため、情報は常に最先端が求められます。方法や知識だけでなく、黎明期から現在に至るまで「どのようなマインドが舞台映像業界を盛り上げてきたのか」を中心点に置いて、構成