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囲碁をモデルにした「点転」という架空の競技をめぐる物語。日本棋院が後援につき、世界初の「囲碁劇」として上演された。普段演劇に使われていない美しい会場とその斬新な使い方も話題になった。<盤の大きさに規定がない>点転という競技、<ピンポイントな読者>にしか意味のない小説を巡る、勝つこと負けること始まること終わらせること希望と絶望とその先の物語。
パンフォーカス×演劇×神奈川県立青少年センター「スタジオHIKARI」「スタジオHIKARI」のもつ空間構造を演劇に組み込むためのいくつかの試み
スタジオ200舞踏講座
土方巽による講演の音声記録。土方巽構成・演出による「東北歌舞伎計画」は、芦川羊子と東北歌舞伎研究会による踊りに、講演やスライド上映などを交え、<スタジオ200舞踏講座>として1985年3月、6月、9月、12月に計4回行われた。講演は、第1回に合田成男と大岡信、第2回に馬場あき子と宇野邦一、第3回に榎本了壱と土方巽、第4回に長尾一雄が登壇。土方は病気のために第4回への立ち合いが叶わず、翌年1月に死去
そこは、劇団うりりんこの上演会場。今日は、劇団の大物俳優、うり川りん太郎のひとり芝居「シン・リア王」の上演当日。間もなく開演時間だというのに、りん太郎は寝坊し、劇場入りが1時間遅れるらしい。場内スタッフとして参加していた、劇団うりりんこの若手俳優、シュウスケ、エリ、ユウキの三人は、りん太郎が現れるまでの時間をどうにかつなぐことになってしまった。その60分の物語
テーバイの王クレオンと少女アンティゴネーの対立を「ナショナリズム」と「テロリズム」という図式に置き換え、国家の政治劇として描く。知的な分析力に優れた演出家のコンセプトが、SPACの俳優の身体と出会い、強度にシンプル化されたギリシア悲劇の世界を野外劇場「有度」に出現させる。
2022年、沖縄は本土復帰50年の節目を迎えた。「9人の迷える沖縄人(うちなーんちゅ)」(2015年初演)は、1972年の沖縄本土復帰当時と現在を行き来する二重構造の物語を通し、過去と現在の沖縄に暮らす人々の多様で複雑な立場や心情を浮き彫りにする作品である。沖縄で生まれ、生活する劇作家、演出家、出演者だからこそ描ける繊細な沖縄人の想いからは、今なお続く矛盾、怒り、迷いが発せられ、はたしてこれらは「
“雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通”俳人小林一茶を知らない人はいないだろうが、人間小林一茶を知る人は少ない。十五才で信濃柏原から江戸に出た後の行動は謎に包まれたまま、いつしか俳諧の道で頭角を表してくる。ようやく五十二才で結婚するが、いとしい子たちは次々とこの世を去るのだった。“蝉鳴くや つくづく赤い 風車”だが一茶の人生は大きくうねりつづける。江戸と信濃柏原、二つの土地の間で一茶の愛が、欲が、生
「TRICK OR TREAT」ハロウィンの"逆ナマハゲ"!“恐るべき子供たち”の悪戯!横浜JOYFUL探偵団・熱湯をかけてでも起こせ・金子光晴の鈴虫・アサシオルッホ・宇宙維新ータイトルを見ただけで、何かが起こりそうな予感が……。どこに走り出すかわからない話の展開に、観客は一瞬たりとも目が離せない。ステージは完全円形。もうこれ以上どこにも行けない、完結した"円"の上を役者たちが暴れまわる。君はいつ
演劇と茶道を融合させた「お茶会演劇」。『珠光の庵』は、京都を拠点に活動を続ける『劇団衛星』が贈る、一風変わった演劇公演です。茶道裏千家お家元のご支援を受け、2004年夏に京都・誓願寺にて初演。わび茶の祖・村田珠光の物語と、お抹茶・お菓子でおもてなしします。-
哀しくも美しいアジアへの想いを胸に秘めて 今日も有楽町の街角に 女がひとりたたずむ 約束のあの人を待って
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闇商売で成功した雑誌編集者の田島は、ふと、田舎から妻子を呼び寄せ、まじめに生きて行こうと考えた。そのためには何人もの愛人と、きっぱり縁を切らなければならない。彼は「美女を探して妻の役をしてもらい、愛人の元を訪ねて別れを告げる」ことにする。果たして彼はこれ以上にない適役としてキヌ子に出会う。闇市で担ぎ屋をしている怪力で大食い、鴉声でケチで下品な絶世の美女だ。「愛人の前では口は利かず頷くだけにしろ」と
国内外の劇場やフェスティバルに招聘された、akakilike代表作のひとつ。演出家と写真家の共同制作企画として制作された。生命保険について語り続ける「父」と、それを取り囲む「家族」のような者たち。「兄」のような写真家は黙々とセルフポートレートを取り続ける――家族という構造から逃れることの難しさ、その構造の儚さ、そして成長することの残酷さを演劇/写真/ダンスの境界線を行き来しながら浮かびあがらせる。
1989年に初演した、ウィリアム・シェイクスピア原作、こんにゃく座座付作曲家である林光+萩京子共同作曲による、オペラ『十二夜』の改訂版。
時は明治14(1881)年、商人や船乗りが行き来し活気あふれる小樽の町なかに、煮売り、代書、髪結、俥などを商う小さな店「きし屋」があった。そこに片寄せ合って生きているのは、年齢もバラバラ、といって家族でもない、いわくありげな三人の女とその仲間たちだった。彼女たちはなぜ結びつうき、ここ北の果て小樽にたどり着いたのか? そしてやくざから立ち退きを迫られている「きし屋」の運命は?
写真家・八木咲との共同制作作品。写真家とのライブセッションや、写真家自身プロジェクターを手に、空間に映像を投影したりなど、さまざまな仕掛けで舞台上に流れ続ける時間を「瞬間」に捉え直す。その行為は、まるで、過去と現在そして未来を少しずつずらしながら体験する時間旅行のようでもあり、観客はいつの間にか、自分自身の身体がカメラになったように、その空間をおもいおもいに切り取り始める。新しい「体験型」のダンス
当代の至芸を、芸談と演奏で余すところなく存分に堪能する「きく会」七代目杵屋巳太郎改め杵屋淨貢が魅せる芸の真髄。「五段目角兵衛獅子」 唄 杵屋巳津也、東音味見純 三味線 杵屋淨貢、杵屋六治郎 蔭囃子 望月太喜右衛門社中 対談 杵屋浄貢、配川美加「問答入り勧進帳」 唄 杵屋勝四郎、杵屋巳津也、杵屋巳之助、今藤龍之右、日吉小八郎 三味線 杵屋淨貢、杵屋巳太郎、杵屋六治郎、今藤
鈴木江美バレエ・スタジオが主催するバレエ公演。本公演は「鈴木江美バレエ・リサイタル」の4回目にあたり、副題は「新しい躍動が生み出す四つのモチーフ」。1月27日から29日まで計4公演が、青山円形劇場で開催された。「鈴木江美バレエ・リサイタル」が青山円形劇場で開催されるのは今回が初めて。鈴木江美は小牧バレエ団、スターダンサーズ・バレエ団等で活躍し、鈴木江美バレエ・スタジオを笹塚と表参道で運営するほか、
あらしのよるに小屋の中で、オオカミのガブとヤギのメイが出会った。真っ暗で顔も見えない。さあ、どうなる?ちがった者どうしが共に生きる、勇気と友情の大切さを考える。
「ゴドーを待ちながら」をモチーフに描く、世界劇団版不条理演劇!不条理演劇の頂点、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』をモチーフに描く、世界劇団版ベケット!そこには二人の浮浪者が佇んでいた。彼らが言葉を交わすうち、時代が歪んでいく。“これが夢か現実か、今が朝か夜かも分からない____。”
舞台は奈良時代と呼ばれた八世紀の日本。隻眼隻腕の盗賊・我王は、命を助けられた高僧・良弁上人と諸国を巡るうちに、病や死に苦しむ人々の姿に出会い、眠っていた彫刻家としての才能を開花させました。一方若き日の我王に利き腕を傷つけられた仏師・茜丸は、精進の末リハビリに成功し、名声を高め、奈良・東大寺の大仏建立のプロデューサーにまで出世。茜丸のパトロンとなった、時の権力者は、大仏殿の鬼瓦の制作を、茜丸と我王に
日本コンテンポラリーダンス界のゴッドマザー黒沢美香の代表作「ジャズズ・ダンス」黒沢美香の代表作「ジャズズ・ダンス」は、1992年に初演をむかえ、本公演で12回目の公演となります。ジャズ音楽の形式をダンス作品の構造に持ち込み、即興をベースとして進行される当作品は、ダンサーの力量や感性等によって大きく左右され、また公演毎に様々な表情を見せます。また、今回は生演奏でのミュージシャンとの共演により、舞台芸
「現代能楽集」連作
「現代能楽集」の連作の一つで、銕仙会能楽研修所の能舞台で上演。現代演劇、能、音響彫刻、コンピュータ音楽の共同作業で取り組まれた。テキストには、W・B・イエイツの詩劇『鷹の井戸』をもとにした、横道萬里雄の新作能『鷹姫』を基盤にしながらも、他の言語素材も加え、自由にコラージュする形で再構成されている。そして作業の共通の課題としては、〈即興性〉、〈偶然性〉、プロセスの問題に的が絞られ、能を現代に活かす試
(フライヤーより)古典劇じゃない。伝統芸能でもない。これは「今」生まれたばかりのコメディだ!陽気で元気なイタリアがここにある!アントニオ・ファーヴァのコメディア・デラルテ
大好きなリエちゃんと岐阜で暮らしていた子ネコのルドルフ。ある日、ひょんなことからトラックで遠い町まで運ばれてしまいました。駐車場におそるおそる降りたルドルフは、頭の上から大きな声で呼び止められました。イッパイアッテナという、このあたりの野良ネコのボスです。イッパイアッテナはふしぎなネコでした。たくさんの名前を持ち、たくさんの知り合いがいて……そして何よりルドルフがおどろいたのは、イッパイアッテナが
時代から棄てられた廃駅のホームに、彼らが待つ幻の列車ははたしてやって来るのか?ある山あいの駅、すでに廃線となっているその駅に1人の女性がたたずんでいる。彼女は、この近くの丘にある精神病院へ、入院しているはずの弟を捜しにやってきたのだった。彼女がその廃れた駅で出会う、病院の医師、看護婦、そして患者たち。彼女の出現が、山あいの病院で孤独を抱えながら生きている彼らの間に、少しずつ波紋を広げていく。
物語は2001年から始まる。アマチュア天文家の二階堂と山田は、近所の山に落ちた隕石の破片を拾う。その隕石は、見る者に恐ろしいほどの幸福感をもたらす。一度目にしたら夢中になり、思考を奪い、目をそらすことができない隕石。その後、あらゆる都市に巨大な柱が降り注いだ。それは人々にあきれるほどの祝福を与え、静寂のうちに支配した。世界は大きく変わり、長い時間が経った今も、柱は人の生活を寄せ付けない。柱は人間に
「放浪記 」 「 浮雲 」 など 庶民の目線で 名作を残した林芙美子の戦中 ・ 戦後を描く音楽評伝劇 。 「 放浪記 」 でたちまちベストセラー作家となった林芙美子 の 日中戦争が迫る 1935年 昭和 10年から第二次大戦を経て 、 47歳で 心臓麻痺で急逝する戦後 1951年 昭和 26年まで の 16年間の軌跡をたどります 。
万事不器用なピエールとおきゃんなポーランド娘マリー。名もなく貧しい二人が、パリの古びた実験室で出会い、世界に羽ばたくまでの、笑いと奇知と恋に彩られた、てんやわんやのコメディ。1990年度、モリエール最優秀作家、演出家、装置家、私立劇場演目、各賞受賞の傑作喜劇。
僕の21歳の時の美意識は 6年後他ならぬ僕自身の手によって根こそぎ汚される…。長塚圭史■ものがたり旗揚げ公演『アジャピートオジョパ』に新たな一本を追加してリメイク。坂の多い町を舞台に三組の男女の恋物語を描く。一組目は子どもができない若い夫婦。ある日夫が家に帰ると、妻が見知らぬ青年を拉致監禁し「自分が生んだ子どもだ」と言い張って育児を始めている。二組目は心と体を傷つけ合いながらも別れられない着ぐるみ
「売り子」は絶えず可動式の椅子に座り、腰は2本の伸縮性のロープで結ばれ、その端はKIOSKの店舗の中に繋がれている。「店舗」=KIOSKと化した身体は、「店を開店し商品を並べる」という労働行為を、「機械的」動作に象徴化した反復運動によって表す。〈拘束された身体〉を駆使し労働をする女からは、被抑圧者の無情や自由の希求、労働の労苦とそれに熟練した誇りなど、様々な感情の様相が浮かび上がる。
都内などで原因不明の高齢者連続死亡事案が発生した。死亡した全員の容姿がまるで若返ったような状態であること、彼らが同じ地区出身者であることが浮かび上がるー。調査のため、市役所職員の前田とともに山奥の集落に向かった佐知子は大雨の中、事故に遭ってしまう。ぼんやりと揺れる灯りの先に見たものは……。日本限界突破集落地獄外道祭文‼
「その種の無邪気を誇るなら、私はあんたを、もう見ない。」双数姉妹が青山円形劇場にて過去に三度も上演した円形でしか為し得ない、円形のための芝居。<幼生サイド>とある田舎町に暮らす14歳のヨシノが、自分で自分に八つ当たりしながら、都会へ飛び出す物語。割れた世界の向こうに思い出みたいな未来を目撃します。<成体サイド>都会で暮らす24歳のヨシノが、世の中に八つ当たりしながらほふく前進する物語。割れた世界の
おなじみのピーターパンのお話である。とはいっても、ピーターパンもすっかり大人しくなって、相変わらず夜中に子ども部屋に忍び込み、子どもたちをさらってネバーランドへ連れ出してくれるものの、ちっとも冒険をさせてくれない。でも、そこはネバーランド、冒険は向こうからやってきて、ピーターパンも子どもたちも、海賊たちと闘うことになるのだが…。 誰もが知っているピーターパンとはちょっと違う、歌って踊って、大いに笑
リサーチで得た土地の記憶、18年間過ごしてきた自身の体感からなる地元の風景を交えながらも、藤田が日々過ごす中で見聞きする些細な出来事、自身を含む同世代がそこに感じるであろう感情や違和感、等身大の視点から見える日常のリアルを切り取り、「equal」とは全く別の切り口で新たな作品を発表しました。
第65回公演
交通事故の長い昏睡から覚めたピタ郎は夢の中で出会ったジェニーという白い猫との再会を願っていた。水の鍵を使いめでたく再会した二人は猫の視点から社会の事ごとを見つめ出す。人間界ではまるでノラ猫のように汚いモノとして扱われるが、卓抜した水の使いであるジェニーはまいた緑のスカーフから取り出したジュースの素で汚い水を“甘い水”に変えてしまう。しかしそのジュースの素こそ、既に禁止された人工甘味料を使った製品だ
色彩シリーズ
震災から10数年後の宮城県沿岸部にある「海の見えるホスピス」で余命宣告を受けた人達が命を見つめる、死と再生の物語。
あの「パリ、テキサス」の原点がここに――。荒野をゆく孤独の影。愛と憎しみのブルースが聞こえる。コヨーテの狂騒の中、男たちの野生が目覚める。楽園から荒野へ、兄弟の宿命の闘いがいま――。
日本の劇団羽衣は、東京下北沢の本多劇場で『人体』というタイトルの新作公演を行なっていた。しかしその公演は、次第に謎の存在に乗っ取られていく。謎の存在とは何か?人体を流れる血か!?人体に潜む愛か!?宇宙人か!?はたまた観客か!?今、人体たちの大冒険が始まる!FUKAIPRODUCE羽衣の妙ージカル『プラトニック・ボディ・スクラム』開幕!!表現活動や劇団員の生活の苦しみというディティールと、「ごっこ遊
舞人として踊った五井輝が、前年の86年1月に死去した土方巽を追悼した公演。土方を思い出させる赤いスカートなどの衣装や音、音楽が随所に使われた。唇にはルージュを塗りたくり、背中一面に刻まれた風神雷神の入墨を見せ、剣山を自らの肉体に刺す。すべてをさらけ出して極度の集中をもって踊る五井に、「さながら土方の魂が降りたかのようだった」とThe Japan Times Weeklyのレビュー記事(1987年9
最近、現実が3つくらいある感じがする。疫病がない社会とか、戦争がない世界とか。で、昔やった、2021年から始まる近未来SFの舞台を思い出した。戦争とか不死とかが現実を蝕む様を描いていた。『no plan in duty』は2015年に吉祥寺シアターで上演された『非劇』の2022年版です。過去の想像や計画や劇が終わらずに混迷していく現状を、日常の住宅街に潜む家に立ち上げてみます。
(フライヤーより)異文化の対峙と交流!日本人作曲家がシャーマニズムを主題に作曲し、フランス人たちが舞台化するサウンドスケープ。
ガルシア マルケスの「100年の孤独」にインスピレーションを受けて創作された作品。また、少女時代、尾っぽのある人類が発見されたという記事を読んで膨らませた夢想とも重なり合っている。この有尾族最後の一人が100光年彼方の惑星に生まれていたらどうなるだろう。生まれた時から一人の人間は孤独を感じるのだろうか。孤独とはネガティブなものではなく、ユニークな唯一であることを引き受け、共同体を超えた宇宙とつなが
パンチドランカーとなり引退したボクサー・無口は、寝たきりの 人々の家を巡る「殴られ屋」を生業にしていた。ある日寝たきりの女・わたげに殴られたことをきっかけに、無口は痛みを感じなくなってしまう。同じ街のコールセンターでは通販サイトのクレーム処理部門で働く青年・寝々が、山から降りてきた熊を銃で 仕留めることを夢見ていた。バラバラだった彼らの物語は「動物園の熊を安楽死させる」という情報が流れたことで、急
田中淳之の一人芝居
「俺、俳優になるわ!」元カノについた嘘が元で本当に東京へ行く事を決めた23歳の田中惇之。10年前に思い描いた10年後の自分の姿は、まるで超満員の甲子園球場のマウンドに立つ怪物級ピッチャー。対する10年前の自分はまるで、超高校級四番バッターのような心持ち。ふと思い出した過去の記憶は、10年前に投げ込まれた、10年後の自分が放った豪速球だった。
「私たちが埋めたタイムカプセルを一緒に掘りに行きませんか?ハマダマコト」同窓会の前日に届いた一通の手紙。しかし、誰もその名前に記憶がない。10年ぶりに再会した元コーラス部の生徒たちと先生は、手紙に導かれてタイムカプセルを掘るため、学校の裏山へと向かう。タイムカプセルの中には、骨とハマダマコトの名札が入っていた。その時、何者かに襲われて山小屋に監禁されてしまう。そして、始まる記憶探しのサバイバルゲー
作品のテーマは「コロス」。歌って踊り、物語を語ったコロスは、古代ギリシャ劇から存在した。そしてコロスの中から俳優が現れ、ギリシャ悲劇へと発展し、コロスはその中で役割を変えていった。彼らの存在と変遷は、何を意味するのか。ゲストダンサーに川合ロン、俳優に佐藤真弓と薬丸翔、テキストに劇作家の前川知大を迎え、コロスについて考えてみる。
「本物とニセモノの間に見世物がある」を掲げるオムニバスコント集。本人たちが本人のまま謎の暴れ草刈り機に巻き込まれるなど、演劇における本人性の効果や、ユーモアにおける場合など演じることそのものがさまざまなコントから浮かび上がる。
super reflection
万華鏡のように映し映され合いながら動き続ける複数の身体。ある瞬間に、通じ合えたような束の間の安堵を味わったり。またある瞬間には、はたと逃れようのない個/孤を自覚させられたり。肉体の間に働く求心的な引力と摩擦、衝突、その営みが「super reflection」となる瞬間を求め続けている。
石井みどりの初期の作品に「ひめゆりの塔」があるが、時を経て直接的な表現から抽象的な表現に昇華させた作品が「魂魄」。フォーレのレクイエムを使用した鎮魂の舞で、戦争の悲惨さを憂い、また人々を踊りや音楽で癒したい気持ちが強く表れた作品である。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
まるでユーレイとの交信…?ノン・コンタクトワークのための習作ーーー本作では、物理的に触れ合わずにコンタクトする“ノン・コンタクトワーク”のアイディアを試みています。これにより、ソロであってソロではない踊りを出現させます。鑑賞者は画面を通してダンサーの身体を見ることで、視覚的にそのコンタクトを目撃します。或いは、画面から現実のダンサーへと視線を移動させるとき、そこに見えてくるものがあるかもしれません
「現代能楽集」連作
旧東独の劇作家ハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』では、東欧の現実が、冷え冷えとして空無化した世界が描かれているのだが、しかし同時に、そこには空無化、冷えの果ての「熱」のようなもの、非業の死者たちの声、視線があり、それは深部で夢幻能の記憶の層、身体性と繋がっている。そのため上演は、能、現代演劇、ドイツ語朗唱の共同作業として取り組まれ、その試みを通してアクチュアルで、根源的な言語、身体の相が探
闇の底の底空の果ての果て潜っていく闇に着床する種いのちの珠を孕む垂直に あいだを紡ぎながら丁寧に歩を進める重力の底深い空そこに咲く花
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
どんな苦しい時代でも、それをはじき返してきた民衆の力、とりわけ子どもたちは “あそび” の中で文化を再創造し、今に繋げてきたのではないでしょうか。“岐阜”という土地から「遊び、地域、文化、人間」をベースに、様々な遊びをわらべ唄で繋ぎながら、最後には民話を脚色した「はなさかこぞう」を三味線語り芝居でおおくりします。加納の和傘、美濃和紙、岐阜提灯など岐阜の人々がつくり出した技に包まれ、昔を懐かしみ
時は1900年。明治33年の年の暮れ、まだ「未来」という言葉がなかった時代。東京の外れにあるキリスト教会が舞台。この土地に教会を開いた立派な神父さん亡き後を引き継いだ、聖書も読めないダメ神父。その人柄の良さだけでなんとかやりくりしていたのだが…西の方からやってきた牧師さんが、この教会は私が預かると言い始める。果たして、ダメ神父は教会を守って新しい世紀を迎えることができるのか。
戦後。「高度成長」の初め頃ー。村の人々は貧苦にあえいでいた。産まれたばかりの赤ちゃんが、昔ながらにコロコロ死んでゆく。雪深い山奥の村。医師に給料が払えない。「国保」係の高野は村を歩きまわる。滞納を整理できなければ病院がなりたたないのだ。無医村の恐ろしさを知っているのは誰よりも村の人々。だが、村の人々は金を払えない。八方ふさがりの村をどうすればいいのか。教育長、深田は考える。まだ封建色の強い家の中で
河野紗代子(ピアノ)と清水美紗都(ダンス)が1つのテーマに対して感性をぶつけ合った共同作品。精彩を欠く現代人のグレーな日常生活の中にも、コンクリートの狭間に咲くタンポポやグラフィティのような希望の鮮やかさが存在する。限りなく続くこの単調なコンクリートの世界をキャンバスに、ピアノとダンスでどんな絵を描けるか。
2019年の三鷹で描かれた、公務を担う母と定年を迎えた父の別れ。女と男、妻と夫の、過去から今から次へのお話。実話を基に子が脚本を書いて演出し、実父も出演する、母と家族の歴史。