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南の島。波の音・・・恋人同士の歌「トバリャーマが聞こえてくる。いよいよ女座長率いる旅の一座の幕が開く。突然眠りかけていた「あの時代」が呼び覚まされる・・・「いちゃりばちょうでー」とは出会えば皆兄弟、仲良し主義の意味。島の言葉だ。「アンマー達のカチャーシー」「朝未来」「風のユンタ」など沖縄を舞台にした作品を東演のために紡いできた謝名元慶福氏。92年の「アンマー達のロックンロール」以来の新作書き下ろし
「自己紹介をさせてください。かまいませんか?」「はあ」「ありがとうございます。私は・・・」というようなことは、時々あることです。しかし、めったにない、という人も多いです。毎日既知の人とだけ会ってその日が終わる場合も多いから。私がそうです。なので、時にはあり得るこの自己紹介は、やはり新しい世界であり、非日常であり、とてつもない冒険でもあります。というわけで、とにかく自己紹介ばかりをする話を書いてみた
おそらくは誰もが子どもの頃、一度は遊んだことがあるシーソー。その語源はsee「見る、反復する」+saw「のこぎり、前後に動かす」らしいですが、この"see"と"saw"という現在と過去の単語がひとつになったこの言葉からは、さまざまな記憶のイメージが浮かんできます。ギッタン、バッコンと上になったり、下になったりを繰り返しながら、それぞれの高さで、僕らはそこからなにを見ていたのでしょうか?そしてそのと
愉快痛快な一人芝居。三味線の音色に乗せてお届けする涙と笑いの人情話!昭和二十年頃に起きた、嘘のような本当の話に芝居ながらの嘘を交えてお届けする演劇版「曲馬団の女」原作は、十二代目田辺南鶴の作。戦時から終戦後の混乱する東京を舞台にした新作で、蘭という曲馬団(サーカス団)出身の女が主人公。最後には登場人物全員がハッピーになり、聴き手も幸せな気分になれる物語である。劇団「柿喰う客」の中屋敷法仁の演出によ
「自殺」に関わりのある人々、約70人ほどを目安にインタビュー取材を行い、そのインタビューから戯曲を構成するドキュメンタリー・シアター。その日本初のオリジナル作品。インタビューを行った人々は、親しい人を自殺でなくした経験を持つ「遺された者」、自ら自殺未遂経験を持つ「サバイバー」、自殺対策に取り組むNPOや自治体の担当者など「立ち上がる者」など多岐にわたる。 自殺にまつわる人々の話を単に並べて「自殺」
変わったもの変わらないもの現われたもの現われないもの全て埋めてしまおうかほんの少しの間だけ東日本大震災直後の被災地の物語
ネコMAM-MA公演第三弾「紅葉と親父」高倉良文が手掛ける珠玉の短編集!ネコMAM-MAとは高倉良文が立ち上げたひとりぼっち演劇ユニット。主に短編作品を武器に1日だけのイベント主体で活動。公演はソーシャルディスタンスを大切に、劇場内消毒、空間除菌、スタッフはマスク手袋着用を義務付け。作品途中に場内換気も行います。
(フライヤーより)脚本は映画『月の輝く夜に』でアカデミー脚本賞を受賞したJ・P・シャンリィ、演出は映画『ロックよ、静かに流れよ』等の作品で邦画界期待の星の長崎俊一(舞台初演出)。この異色の取り合わせに、ご存じ平田満と話題の美保純が挑戦します。都会の片隅の小さなバーで、男と女が獣のように出会った。「作者ノート:彼らの気性は激しいがぼろぼろに傷ついている。口べただが話をしたくて堪らない。危険だがもろい
ドイツのギムナジウム(高等中学校)と寄宿舎生活を舞台に繰り広げられる物語。冬の終わりの土曜日の朝、一人の少年が死んだ。彼の名はトーマ・ヴェルナー。そして月曜日の朝、一通の手紙がユリスモールのもとへ届けられる。「これがぼくの愛、これがぼくの心臓の音...」トーマからの遺書だった。その半月後に現れた転入生エーリク。彼はトーマに生き写しだった。ゲームだったはずの茶番劇。しかし、その裏側には思いがけない真
1999年に誕生したこのグループは、日本では、これまで活動したことのない女性のクラウン(道化師)グループで、五人囃子といえば、本来、年少の男の子。それを、女性のクラウングループに名付けたところに、道化の遊びが隠されています。作品は、ウクライナから著名な演出家ヴラジーミル・クリューコフを招き、合宿を行い制作したものです。5人の女性クラウンがそれぞれ自分の得意な道化芸を見せあい、また、五人揃って踊った
アンデルセンのお話を勝山俊介氏が俳優の声を通して語りかける朗読劇に構成。いわさきちひろさんの絵とともに贈る三話の物語。第一話「みにくいアヒルの子」 第二話「親指姫」 第三話「人魚姫」
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
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あらすじ:いつも一緒にいる仲良しのサトシとリョウタ。ある日、街で怪しいおじいさんが目の前を通り過ぎます。おじいさんを付けていくと『なるほ堂』という店に入っていきました。あれ、ちょっと待てよ、ここにこんな店あったっけ?二人が中を覗くとそこには変な物や不思議な物がいっぱい!はてさて、『なるほ堂』とは一体……?彼らをまちうけているものは何でしょう。ファンタジックでリアルな冒険の始まりです。
〜曖昧な静謐の中。「からだが置き去りにされるのが怖かった。」まだ少し怒ったような不安そうな顔でカウラはそう云った。ババカールの号泣よりもドキっとした。だってなんだか本当っぽい。〜この作品は、JANT-BIへの共同振付作品「RWANDA/Fagaala」コレスポンスダンスであるが故に、素の自分をストイックに問いたい。かつてモーリス・ベジャールとセネガルでダンスの学校「ムードラ」を共に開講したジェンメ
『兵士の物語』(The Soldier’s Tale )とは?ロシアの民話を元にイーゴリ・ストラヴィンスキー が作曲し、シャルル・フェルディナン・ラミューズ が台本に起こし、1918 年 9 月 28 日ローザンヌ劇場で初演された朗読とバレエと音楽により上演される作品で、巡業できるよう小回りのきく少人数で構成されている。あらすじは、休暇中の兵士が、故郷を目指す途中に一休みしてヴァイオリンを弾いてい
夢幻の如く〜大太鼓と小鼓のための〜織田信長が好んだとして有名な幸若舞『敦盛』の一節「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」を用いて、力強くも儚く時代を駆け抜けた信長の生涯を音楽で表現した。大太鼓と小鼓の響きを織り交ぜ、そこに邦楽器の旋律を乗せた新たなアプローチの創作音楽。
指名手配され逃亡生活を送っていた男女。自首しようと数年ぶりに街に出たら人々の様子が変化していた。相手の気持ちが分からないようだ。気持ちが分からないからか皆おしゃべりさんである。こんなにうるさかったっけ世の中って!これが進化の形なのか!?他人をおもんぱかったり、顔色をうかがったり、空気を読んだりできる人は超能力者扱いされている始末。人々は退化したの?これは未来の物語?何処の世界?頭から洗う?分からな
新宿八犬伝 全五巻
1985年11月1日-10日アシベホール(新宿歌舞伎町)にて初演。この年、川村毅が第30回岸田國士戯曲賞を受賞することになる6月公演「第一巻」に続くシリーズ「第二巻」。滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」に想を得た歌舞伎町の闇の八犬士「騒!乱!情!痴!遊!戯!性!愛!」の玉の力で"歴史と物語"の闘いが始まる。1985年初演時には存在したベルリンの壁が、この1990年再演時には崩壊しており一部台詞を改変して
(パンフレットより)「四月の始まりと、異邦人が終わったあとの、あ、ストレンジャー」三月も、もう終わります、(つまりこの文章は、三月も、もう終わるって頃、ぼおんと、磨りガラスの窓の向こう、朝日が登り始めた、っていうのを、布団の中で眺めながら、書いています、)もう少しで、四月が始まります、『あ、ストレンジャー』は、四月の始まりに始まって、四月の始まりに終わります、(布団を出ることにします、机の上で林檎
とある森林にて、狐に囲まれた一人の女が発見された。 発見時、その女、マリアは記憶が完全になく、1冊のノートを大事そうに抱えていた。 その中身は「>」記号に埋め尽くされている解読不可能のものであり、 マリアはそれが、屋根裏部屋で見つけた祖母の日記であるとかたくなに主張する。 彼女の失われたルーツを探ろうと、『劇団芸能革命』は演劇探偵を開始。その調査による情報をもとに、 劇団芸能革命は失われたマリアの
『「さ迷える愛・序破急」三部作』
コロナ禍の中で三度の延期を経て、今年11月に初演された「さ迷える愛・序破急」三部作の完結編『心と地』の舞台はなんと宇宙。発達し続ける資本主義と強化される管理社会の行く末を問うSF作品です。
作品ノート:そもそもこの作品は、Aokidがグループ作品のオーディションに対し て、1人と彼の「仲間たち」で応募したのをきっかけに始まった。2次 審査にあがり、彼はせっかくだからと、生身の人間を誘うことにした。 そこで出現したもう1人の男。 奴は一体何者なのか?2人のHUMANがあそびだす!
明治ニ十六年に、九世市川團十郎により初演された歌舞伎舞踊。大奥のお鏡曳きの余興に、小姓弥生が手獅子を持って踊るうち、獅子の精が乗移り、獅子の狂いになるさまを描きます。前半では、石橋の物語を中心に、川崎音頭、飛騨踊、二枚扇の踊りを経て、手に持った獅子頭に引かれての花道の引っ込みなど、後半では胡蝶の精をあしらって長い毛を振る豪快な「狂い」「髪洗い」などが見どころとなっています。
作品内容:俳優・竹中香子が、実父の介護と死を経て参加した、高齢者福祉施設にアーティストが一定期間滞在するプロジェクトでの経験をきっかけに「ケア」と「演技」の重なりを見出しパフォーマンス作品を創作。竹中が長年取り組む「演技」の身体や技術を用いて、ハイドロブラスト・代表太田信吾と共に「ケア」を新たな角度から深掘りする二人芝居。作品尺:70分程度出演者:俳優2名(太田信吾・竹中香子)、音楽家2名(島崎智
清姫は、好きになった僧の安珍に再会の約束を破られ、彼を追ううち蛇に変身し、安珍の隠れた道成寺の鐘を巻いて焼き殺す。道成寺は和歌山県に現存し、多くの伝説がある寺。日本人はなぜこの物語が好きなのか? 「今昔物語集」や歌舞伎台本、郡虎彦「清姫」などの戯曲を編み込んだ、現代版のレビュー。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
夏。サマー。でもって、タイムマシン。とある大学のSF研究会の部室にて。「昨日に行って、壊れる前のリモコンを取ってくると!」「そして、クーラーを復活させると!」昨日と今日の因果を巡り、辻褄あわせの大往復。20周年を迎えたヨーロッパ企画がおくる、13年ぶりのブルース。
昭和十六年、、若狭の堀口家では、当主文蔵の野辺送りが行われていた。うるし取りで一代の財産を築いたにもかかわらず、放蕩の血が、いつしか体内を蝕んでいたのである。そんなおりもおり残された妻りんのもとへ、二人の若者が訪ねてくる。文蔵が舞鶴の女に産ませた富吉と、弟の千太である。日陰の身であった下駄職人の富吉を憐み、りんは実母のような労りを見せる。富吉もりんの優しさに応え、下駄作りに励むのだったが、その心に
今貂子KYOTO舞踏館上演作品
KYOTO舞踏館は、歴史的な土蔵を改造して、定員8名の舞踏専用劇場として2016年7月開館。「秘色」はKYOTO舞踏館上演作品として、こけら落としの初日から毎週木曜のロングラン公演を続け、国内及び世界69か国から訪れた観客は間近で生の舞踏を体感した。新型コロナ感染症の影響で、2020年4月より休演。公演数はそれまでに378回を達成。映像は、無観客で2021年5月9日に収録された。
ベルリンを拠点に活動する「劇団ティクバ」。NPO法人ダンスボックスによってはじめられた「循環プロジェクト」。障がいのあるなしの境界を超えて、舞台表現と向き合うこの2つのプロジェクトは、2009年から国際共同プログラムを継続。今回のKYOTOEXPERIMENTでさらなる展開をみせる。振付、演出を手がけるのは、2008~2009年に文化庁の研修員として訪れたベルリンで、ティクバと出会ったダンサー・振
本作は、2020年12月、山﨑広太と西村未奈により、フロリダ州立大学、マギーアレシー国立振付センター (MANCC)にて共同で創作を開始した新作『幽霊、他の、あるいは、あなた』のワークインプログレス。自然の複雑で静的な世界の中で、二人の異なる歴史、知覚、細分化された内部の風景を受け入れることができるフラクタルで気象のような身体、そして老いる時間を調査する。
この作品のキッカケは、バッタ研究者によるベストセラー『バッタを倒しにアフリカへ』。バッタが気になり始めた「んまつーポス」の3人が興味をもって調べたところ、日本には445種ものバッタの仲間がいて、イソップ童話「アリとキリギリス」のキリギリスもその1種だった。将来に備えることの大切さを説く「アリとキリギリス」において、キリギリスはアリから「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?」と言われる
座付作家和田澄子最新作「橋の下のガタロ」と二本立てで上演の作家処女作品。1956年和田が当時24歳で書いた初戯曲、58年「テアトロ」掲載。昭和の町村合併やダム建設が進む中、雑貨屋の娘と青年団員の恋は、娘の出身地が理由で壁にぶつかる。被差別部落を背景にした中編戯曲である。
ブルックリン音楽アカデミー・ネクスト・ウェーブ・フェスティバルからの委嘱作品。お茶で染めた絹布と綿布、乾いた葉、赤のペンキで巨大な樹をつくった。プログラムには、「樹は自らの想い出に傷ついている」とある。私達は二人共完全に全裸で、自然の夜の音を使った。THIRSTと共に第2回ネクスト・ウェーブ・フェスティバルで発表。1989年にはスパイラル・ホールでTHIRSTと共に上演、76年に日本を離れてから初
コンテンポラリー・ダンスグループのzer◯と共に、音楽と舞踊それぞれの新しい在り方の探求と提示を目的として、作曲家がダンサーの動きや動作、そして声を用いて創作した、演奏家を介さない音楽作品の公演として開催された。
外側から(偏見まじりで)見られるという暴力への抵抗は、内側からおそるおそる言葉を発信することなのかもしれない。あまい洋々として描き続けてきた社会的に弱い立場にある『みえない子どもたち』。これまではその内側のみを書くことに注力していたが、これからは彼らと関わろうとする外側の人たちについても眼差しを注いでいきたいという決意を込めた演劇作品。
復帰50年企画・共同制作
1972年、27年間アメリカ合衆国の施政権下に置かれた沖縄は、日本復帰を果たした。しかし平和憲法のもと、強制接収され基地となった先祖から受け継ぐ土地が帰ってくるという県民の願いは叶わなかった・・・。それから23年後の1995年。基地は沖縄にあり続け、米兵による犯罪は後を絶たないが日米地位協定に守られ、ほとんどの場合、日本の法律で罰する事が出来ない。元教師の石嶺和子は反戦地主であった父から受け継いだ
「Caddy! Caddy! Caddy!」は、フォークナーの小説『響と怒り』、『アブサロム、アブサロム!』、短編小説『エミリーへのバラ』の抽象的な描写を題材にしたライブサウンドスコアとダイナミックなインスタレーションを伴う作品です。ダンスは、閉塞感、束縛、悲しみ、孤独、勇気を表現します。最終的には、ステージが無数の光の色の糸が空間に広がる息をのむようなフィナーレへと展開します。シンプルな照明の変
80年代に小さな空間でスタートした木佐貫のソロダンス。(渋谷ジァンジァン他)その後、それなりの規模の劇場空間での作品発表を経て、2004年再び小空間における身体一つとの対話作品として発表されたのがこの「S-20」であった。タイトルはソロ作品20作品目という意味。写真家の十文字美信氏の作品にインスパイアされ、協力を得る。地面に墜落する一羽の蝶の写真を壁一面に映し出し、それをバックに時間と空間のズレを
救ハンセン病に命を捧げた、ある勇者の魂の告白人間、ひとつのことに一生うち込んでくると、最後のほうで、ふと、疑惑が浮かんでくる――しかし、――私のしてきたことが良かろうと悪かろうと、私はあなたの僕です。私はあなたの大きな愛を信じます。
坂口修一リーディング公演
悪役レスラーの父親と、そんな父がどうしても好きになれない息子が衝突を繰り返しながらも、やがて本当の絆を結ぶまでを描く、中島らもの名作短編小説を演出・岩崎正裕、俳優・坂口修一によりリーディング公演として上演。プロレス好きの教師が、国語の授業で中島らもの「お父さんのバックドロップ」を読み上げる。合間に思わずプロレス豆知識が飛び出し、授業はたびたび中断する。とある生徒との確執のあった教師は、朗読を通して
(フライヤーより)劇団青芸「三人であそぼ」「未確認ともだち物体」「柿山伏」「居杭」という2つの狂言を“遊んで”楽しい劇に仕立て上げた「三人であそぼ」など、子どもたち向けの話題あふれるオリジナル作品を上演します。劇団あとむ「あとむの時間はアンデルセン」ウレタンの棒などを使ってさまざまなものを表現する「アニメイム」とコーラスで、アンデルセンのお話を繰り広げます。
昔むかし、朝鮮半島にはトラがたくさんおりました。人間はトラの皮を宝物として珍重し、一方トラは人間を喰うので、お互いに怖れ合い、憎しみ合っていました。山奥で母親と二人で暮らす若い木こりが、ある日、痛みで苦しんでいるトラに出くわし、助けてやります。思いがけず助けられたトラは、怪我が治ると木こりへの恩がえしを始めるのでした。さて最後の恩がえしは・・・互いに相手を知ろうとしない、無視する、さらに憎み合うと
舞台は近未来の美術館。ヨーロッパでは大きな戦争が起こり、そこから避難してきた絵画を前に、家族や恋人たちが、両親の世話や相続問題、進路や恋愛などについて断片的な会話を繰り返す。遠い戦争という大きな背景を前に、日々の生活を送る現代人の姿が克明に描写され、その中から現代社会の様々な問題点と危機があぶり出される。『東京ノート・インターナショナルバージョン』は、国際都市として変貌し、その変貌ゆえに苦悩も抱え
―――つかぬことを伺いますが、わたしのこの身体はどこの誰のものですか。現代美術家と手をとり、“ミュージカル・ミーツ・現代アート”と銘打った本作では、よりフラットな視点から舞台、とくに演劇という表現形態が見つめ直された。「主人公の若者が入院中に舞台作品の台本執筆を通じて、青春からの脱却を果たす」という物語のなかで、音楽とともに夢と現を行き来しながら、ドラマならびに劇場空間全体からあらためて演劇の演劇
五百年の眠りから醒めて今よみがえるドラキュラ伝説。相次ぐファッションモデルの失踪!次々と発見される処女の串刺し死体!永遠の愛を求めて殺意と野望が渦まく。血に染まる満月の夜のミステリー。
1986年に起きた大島三原山の噴火に触発されて描かれた、人類の暴挙から生まれた怪獣「ゴジラ」が、人間の可憐な少女に恋をするという育奇想天外な恋物語。怪獣「ゴジラ」を等身大の俳優が演じ、観客との共同幻想で、舞台に巨大な「ゴジラ」を登場させた。大島元町に住む一之瀬家では、長女やよいからの「会ってもらいたいひとがいる」という電話に、上へ下への大騒ぎ。しかしそこに現れたのは「ゴジラ」だった。家族は猛反対、
古典的先住民姿の少女が語る、いつとは知れない、しかし先祖代々伝えられてきた物語ーその年は天候不順で食糧の蓄えができないまま厳しい冬がやってきた。危機に瀕した集団のリーダーは、口減らしのため、お荷物となっていた二人の老女を棄てる決定を下す。それは老人を敬い大切にする伝統に背く決断であった。彼らは食糧を求めて旅立っていく。棄てられた二人の老女は、悲しみ、恨み、怒り、そして絶望の淵に立たされる。しかし死
漠然と獣医を続ける医者の元に、狼男が診療に来る。治療をした医者と狼男の間には奇妙な関係がうまれる。二人の関係は人間の男や他のペットを巻き込んで情熱的に発展していく奇妙な関係の先にうまれるのは悲劇か喜劇か
『裂記号』シリーズ三作目。ダンサー三人は各自抱えた鏡の中だけを凝視し、日常的歩行やあおむけに倒れるなど単純な動作を行う。その後、スタジオ内のモノを鏡に映しこみ、その名や特徴を発語する。二人は廊下へ出て、観客は声の移動と内容から動きを察する。一人が舞台裏経由で戻ると、一人が消える。その循環は、鏡を置き、モノを直視する時も繰り返され、何も見ない記憶からの発語へと続く。最後に空間に対する動きが行われる。
作品ノート:溢れる欲求は動物レベルで活動し続ける。内容や実質と対比される一定の外見的な姿をした混沌とする世界。よごれても、きれいでなくても、感情に素直な肉体ひとつを使って生きる。
同棲相手がハトにしか見えなくなってしまっている佐智子は、マスコミがセンセーショナルに報道を続ける事件の国選弁護を担当することに。しかし、被告女性はあいまいな供述を繰り返すばかり。重要参考人の松川の記憶から関係者の調査をはじめた矢先、別の事件で十年近く逃亡を続ける指名手配犯の存在が浮き彫りとなる。細い糸をたぐるようにして彼女が辿り着いた先には、社会の隙間に落ち込んだ人々の織りなす回廊が、人間存在の深
都内などで原因不明の高齢者連続死亡事案が発生した。死亡した全員の容姿がまるで若返ったような状態であること、彼らが同じ地区出身者であることが浮かび上がるー。調査のため、市役所職員の前田とともに山奥の集落に向かった佐知子は大雨の中、事故に遭ってしまう。ぼんやりと揺れる灯りの先に見たものは……。日本限界突破集落地獄外道祭文‼
「ここ」と「そこ」の隔たりについて。電車の中で起こる無自覚な身体と短い会話のコラージュを用いて無関心や無自覚の暴力性を扱った作品。
前作「リチャード三世」の前日譚として、シェイクスピアの処女作にして長編大作の『ヘンリー六世』を制作。期間はおよそ10か月、総勢約30名の俳優が大作歴史劇に挑んだ。コロナ禍の今、届けたいシェイクスピア作品は、“誰でも、いつでも、何度でも、無料で観られる”スタイルで実施することが最適と判断し、クラウドファンディングを実施。無料配信を実現した。
外科医である本坊の父とグリム童話『青髭』をモチーフに、医師の戦争犯罪である『生体解剖実験』と絡め、破格の語彙と圧倒的なストーリーテリングで、戦後日本の闇の病巣にメスを入れる。閉ざされた扉の向こうは、偉業か悪行か。青髭は英雄か悪人か。舞台は日本海が一望できる海岸線。壮大な自然の美しさを背景に、観客の心身を最大限に揺さぶる『零れ落ちて、朝-Toyooka edition-』として再誕。
1959年ー神田淡路町で出会った青春安保、沖縄返還、バブル経済・・・昭和から平成への四十有余年のそれぞれの時間の行方・・・ニコライ堂の鐘は今日も静かに響き渡る
Daniel Ezralow and Friends 1994 Italy Tour
『踊りは常にその一回生(性)に賭けています。』がこの作品は稀な独舞のレパートリーです。1993年の秋に初めて劇場舞台で10分ほどのソロ作品に取り組み,クセナキスの音楽で踊りました。この機会に照明効果を巧みに使い、人形振りを意識して、朝露の一滴に籠った空(sky)をイメージした作品です。1994年以降、作品は他の作舞家七人の作品と共にイタリア十数箇所、イスラエル数箇所、アメリカ各地を巡業しました。
体外受精にスポットを当て「不妊治療の今」を男たちの視点で描く。パズルのように時間が往来する戯曲構成、劇場全体を待合室と見立てた舞台美術で、観客自身もまた翻弄される当事者であると思わせることを狙った作品。ある日、サラリーマンの藤枝は「㈱ファミリー・クラブ」という結婚相談所で、どこか風采のあがらない、芳野という男と出会う。芳野はファミリー・クラブで知り合った芳子という女性と2年前に結婚。芳野自身が完璧