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アイドルステージシリーズ 待望の新作公演、シリーズ第5弾『プライムーン』が上演!【あらすじ】大財閥の息子に生まれた赤河 望、青羽 朔、浅黄 宵の三人は、退屈な日々を送っていた。ある日三人は、朔の曾祖父が遺した一冊のノートに巡り合う。“みんなを照らす眩い光になれ…”誰に向けたかもわからない、たった一言のメッセージ。けれどその言葉は、どうしようもなく彼らを魅了した。「あの空に、俺達だけの新しい月を輝か
ミュージカル
「家なき子」は、エクトール・マロの代表作。日本でも小説のみならず、アニメや漫画、絵本など多くの人々に浸透してきた。捨て子だったレミが親を探して旅をする貴種流離譚。栗田芳宏の力強い演出と宮川彬良の親しみやすい魅力的な曲、ただ単に子どもが大勢出ている「子どもミュージカル」ではなく、大人も楽しめる完成度の高いミュージカル、出演者60人余、セットも大変大掛かりでスペクタクルな作品として、りゅーとぴあ開館5
新庄藩に生まれた養安は、ある失敗から、9才でたった一人母に見送られて秋田藩へと逃れる。医者に拾われた養安は、御典医を目指して勉学に励む。ようやく医師免許を手にした時、院内銀山の火事に遭遇。「焼死した銀山お抱え医師の代わりに」と請われ、おしかけ女房のサツ子もやってきて、期限付きで引き受ける事になる。持ち前のパワーとユーモアで、鉱山医療に立ち向かってゆく養安夫妻。やがて銀山は日本一の産出量を誇る「天保
鬼は私の中にいる。同じ鬼なら誰かの青鬼になりたい。戦後間もない、食べるのも精一杯の頃、それでも五郎たち一家は前を向こうとしていた。そんな彼らの隣に、空襲で焼け出されたある家族がよそから移ってきたが、何やら秘密めき、周囲と馴染もうとしない。その花岡家を巡る噂は、なぜか恐ろしいものばかりだった。やがて、五郎の家に泥棒が入る。目撃される復員兵。そして起きたもう一つの事件・・・全ては花岡家の人々を燻りだす
なんでもない出会いだった。なんでもないきっかけで、空、航太郎、大智、碧、世界の5人は友達になった。彼らは人並みに楽しいキャンパスライフを送っていた。しかし、大学3年生の春、世界が死んだ。世界の死を機に他の4人の関係性と大学生活は変わっていった。そして、世界の死から2年。4人は卒業旅行でロサンゼルスに行く。そこで、世界の姿を目撃する。それをきっかけに彼らが抱える問題が溢れ出てきて…。
宇野重吉の台本・演出による近代劇の2本立て公演のうちの1作。山本有三作「嬰児ごろし」との併演。本作、武者小路実篤作「息子の結婚」は1980年11月の各地公演から翌年の東京公演まで大竹しのぶが客演。
感動の浅田次郎作品、初の舞台化! 「鉄道員(ぽっぽや)」「壬生義士伝」「蒼穹の昴」など数々のベストセラーを世に送りだし幅広い年齢層の人々に圧倒的な支持を受けている浅田次郎氏。その作品群の中でもひときわ光彩を放つのが「天国までの百マイル」です。同作品はすでに映画化、ドラマ化されています。そして今、文化座が挑む初の舞台化。親子の深い絆、男女の切ない恋、そして人と人との出逢い。<愛と勇気と再生>の物語を
(フライヤーより)遠く地平の北から大空へ昇って遙かに天の北極をかすめ遙かに天頂をよぎって遠く地平の南へ降る無限の一線──大宇宙の虚空に跨って眼には見えぬその天の子午線の視野の中に源平 壇ノ浦の死闘を眺めるとき人間の力を超えてどうしようもなく働く自然の法則歴史の必然のその非情の動きの中にもがくわれら人間にとって生きる とは何か 死ぬ とは何か平和とは 戦いとはそもそも何なのか──血のように赤い壇ノ浦
たった一夏しか生きられない蚊の一生を描きます。自分の生まれてきた意味、自らの使命を追い求めて旅に出る、生まれたばかりのオスの蚊。仲良くなりたいのに自分を疎ましく扱う人間たち。メスの蚊との出会いによって、その理由が明らかになっていく。たった一夏の短い命をどう生きるか。人間の愚かさや生き様にもその姿が重なる。
eyes plus
そこは400万年前の地球。アルディピテクス・ラミダスの一向が発見した得体の知れない巨大な穴から、なにやら悲しげな声が響いてくる。その穴は、さらに時代を遡って700万年前の地球と繋がっていて―。幾度となく繰り返される興亡劇。その様を眺めるのは猿長明と人長明!?かつて地球上に存在し失われた人類(ジャワ原人)と、1980年代の日本のサブカルチャーの中心地の双方を表す“PITHECANTHROPUS ER
【Story】「風景画」は、ある場所に俳優と観客が参加する三次元の絵画です。「風景画」は、幾何学的風景論です。「風景画」は、身体的風景論です。【Note】維新派は、野外に仮設の劇場を建て、膨大な量の美術装置を使って多くの公演をしていましたが、「風景画」では、大がかりな劇場や装置は作らず、俳優の身体のみで深く風景に関わることをテーマにしました。「風景画」の最初の舞台となったのは、犬島の、現在は使われ
指名手配され逃亡生活を送っていた男女。自首しようと数年ぶりに街に出たら人々の様子が変化していた。相手の気持ちが分からないようだ。気持ちが分からないからか皆おしゃべりさんである。こんなにうるさかったっけ世の中って!これが進化の形なのか!?他人をおもんぱかったり、顔色をうかがったり、空気を読んだりできる人は超能力者扱いされている始末。人々は退化したの?これは未来の物語?何処の世界?頭から洗う?分からな
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小泉八雲の作品は、再話と呼ばれる。再話を読むということは、八雲が聞いた話を又聞きしていることになるのかもしれない。又聞きした話で申し訳ないのだが、今度はそれを舞台の上で語ってみようと思う。語り部によって物語は表情をがらりと変える。天性の語り部であった小泉八雲から聞いた話を語るのはいささか気が引けるが、自分の言葉で好きに語るのがよろしい、と八雲自身が言っているのである。じゃあ、そうさせていただきます
1980年から始まった白虎社による関西一円大学祭ツアーでは81年に『少年少女のくす玉』を上演。本映像には、京都市立芸術大学でのリハーサルの一部と本番の前半部分が収められている。80年に同志社大学で上演された『鯢骨の森』と重なる部分も多いが、踊り手の数が増えている。上半身裸で輿を運ぶ役を担っているのは、学生達。「人間時計」と称し白虎社により針として時計にくくりつけられた者もいた。雪が降るほどの寒さの
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
1945年8月9日、戸坂潤は獄死した。戦争が終わるわずか数日前のこと。時は遡ること13年前。「野蛮で反知性的なファシズムに対し、我々はあくまでも知性を武器にして闘い抜く」と、戸坂潤は岡邦雄、三枝博音と共に唯物論研究会を立ち上げた。しかし「危険思想を広める恐れがある」と特高警察の監視が始まり、やがて集会禁止から執筆禁止に。それでも彼の楽天性が奪われることはなかった。
ひろい世界の中の 星粒のような わたしの在り処(ありか)一番大きな面をまず、草原と、鳥たちの群れのラインで分離する。ところどころに、小さい花を散りばめる。上から順に色の名前を言う。また、音楽を添えてみる。いつか夢で見た場所と照らし合わせる。その中をそっと、歩いてみる。
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歌人で劇作家の吉井勇が実在の落語家を主人公に描いた小戯曲「句楽もの」から数編を構成したオリジナル上演。浅草に住む噺家の俳諧亭句楽と仲間たちとの様々な騒動、やがて精神が乱れ病院に入院した句楽が、現実社会が反転したような世界に心を幻惑させていくさま……魅力的な芸人と彼を取り巻く市井の人々の生活風景を描いた戯曲に、現代を生きる私たちが忘れ去り、捨て去ってしまった江戸の文化の名残と精神をみる。
貧しい家の娘、お菊は弟の文弥が幼い頃、石の上に誤って落としてしまい失明させてしまう。その償いにお菊は吉原へ身売りして、作った百両の大金を文弥にもたせ、京へ上らせて座頭の官位を取らせようとする。途中の鞠子宿で仁三は文弥の大金を狙うが、十兵衛に取り押さえられる。文弥と十兵衛が宇都谷峠まで来たところで、十兵衛は初めて大金のことを知り、自分の主人のために借金を申し入れするが断られてしまうのだった。
眼前の景色が 内臓の平滑筋の ひとつの襞として広がっているという感覚過去のすべての出来事が 時間遠近法の焦点である 心臓の鼓動の中で 今、沸騰しつづけているという感覚記憶は断じて過去の再生なのではなく 常に新たに想像されるものなので 記憶されるたびに 過去が新しい現在になる我が黙示録、反啓示 すべてのものの 境界線の消滅 生の中には死が 男の中には女が 女の中には男が コスモスのなかにはカオスが
時代は現代、場所は砂漠。『砂漠監視隊』の7名の男性監視員が砂をみつめるだけの日々を過ごしている。他には何も起こらない。そんな中、遠くから聞こえるかすかな声。その声を聞いた者は砂の向こうに姿を消していく。たいていが帰ってこない。帰ってきた者も、その間の記憶が消えている。残された者は恐れ慄く。自分たちもいつか、あの声を聞くかもしれないと。
永遠に気高く麗しく ぼくの星に咲くたった一輪の花よ
横浜にある西洋風のホテル「青猫亭」を経営するマダムのお篠は、かつて木戸孝允の愛人でもあった。明治8年のある日、このホテルにピストル強盗に入った守上一馬はひょんなことからこのホテルで働く身の上となる。やがて彼の拳銃が、かつて坂本龍馬が所持していたものだと判明する。グランドホテル形式の群像劇。
岩名雅記舞踏ソロ・1989ー1993年ヨーロッパ公演の記録。 ヘルシンキ:「即興」1993 / パリ:「すさび」 1989 (Espace Boris Vian)、「冷曲」1990 ・「光の肉」1991 (Théâtre des Amandiers)、「水引に胡蝶」1992 (Théâtre Montorgueil)、「しずがみ」1993 (Lavoir Moderne Parisien)
珍しいキノコ舞踊団が原美術館中庭で初の野外公演「フリル(ミニ)ワイルド in the Hara Museum Garden」を開催します。今回、満天の夜空(仮)と絶景のロケーションに囲まれて、果たしていったいナニが起こるのか?コードネームはワイルド。またもやアートディレクターに「生意気」を迎えたスーパーコラボです。ぜひお見逃しなく!レジェンド ウィル リターン!千年文化芸術祭特別賞、日本舞踊批評家
「表現の自由」という権利の重要さ、尊さを改めて認識してもらい、これらを抑圧しようとする、ネットやメディア等の「現代の検閲」のについて、当事者意識や必然性などを考察し、表現を規制し抑圧する正当性が本当にあるのか否かを観客に問いかけることで、表現活動への理解を深めることを目標とした。観客の芸術表現についての思想の成熟を促すことを目指し、全ての芸術表現への理解度を深める機会となることを目指し企画された。
この演目はシェイクスピアの初期の喜劇作品。幼少の頃、生き別れになった双子の兄弟アンティフォラスと、双子の召使いドローミオがエフェソスの街で騒動を繰り広げる物語。新型コロナウイルスの影響で芝居離れが進む中、様々な劇団の役者が原点に戻り、お芝居の面白さを広め以前のような活気を取戻す契機になればという思いで、2020年12月の演劇「ロミオとジュリエット」に引き続きシェイクスピア劇を公演しました。
太宰治の名作「走れメロス」を、役者一人の生演奏の音楽劇として舞台作品にして上演。メロスと王はどちらも太宰自身の分身と捉え、両者を役者が一人だけで歌って走って身体を張って演じる事でそのメッセージ性「人が人を信じるということは可能なのか」を表現します。話は原作に忠実です。移動公演主体なので10年以上にわたり長期間上演してきました。動画は初演に近い頃の撮影。
下北ウェーブ2019
本多劇場主催「下北ウェーブ2019」にて選出・上演。初演(題『うたたね姫』)は2014年、松戸市での滞在制作を通し、再開発される街と、そこに適応できない人々の姿を描いた。再創作版では、かつて自ら書いた戯曲に共感できないという違和感を出発点に、普段の知覚外にある社会事象を扱った。「その程度で悩むな」という意見の暴力性と向き合うことで、見えにくい痛みや、世界の多様性をあぶり出した。
大橋可也&ダンサーズがドラマトゥルク長島確とともに2013年に始動したリサーチ型ダンスプロジェクト《ザ・ワールド》最終作品。
平成25年度文化庁新進芸術家海外研修制度の研修員として、韓国国立劇団で研修した洪明花の企画・翻訳・出演公演。韓国で大ヒットした喜劇王チャン・ジンのシチュエーション・コメディ日本初上陸。イタリア北西部の小さな村。刺激のない平凡な毎日を過ごす4人の妻たち。ある日、いつものようにソフィアの家に集まりおしゃべりに花を咲かせていると、のどかな田舎の日常が一転。サッカー観戦に出かけた夫たちの車が渓谷から転落し
駅近くのラブホテル街。その路地裏で一人の女子高校生が遺体で発見された。友人の死の謎を追うアカリが迷い込んだのは、仄暗く人通りの少ない高架下。中華料理屋の裏でジャガイモの皮を剥き続ける男とその店の主人を待ち続ける女、自称カメラマンの男、誰かに拾ってもらうのを待っている女、たゆたう誰かの記憶ー。ドイツ不条理演劇の先駆者F・ヴェーデキントの「ルル二部作」をベースに「関係できない人々」の姿を描く。
親や周囲の人々から愛やケアを、無条件に与えられ続ける立場としての子供から、「成長すること」は、誰かにケアを与えるという表現の経験からくるだろう。その成長の過渡期にある息子の不安は、経済、能力、環境の不安定さから生まれるというよりも、むしろもっと根本的な意味においては、受けたいケアと与えたいケアの種類や配分が分からず、自身のケアのバランスを見失うことで生まれているのではないだろうか。アンバランスな愛
社会現象を巻き起こしている大人気コンテンツ、音楽原作キャラクターラッププロジェクト『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』を舞台化!第2弾はシブヤ・ディビジョン“Fling Posse”とシンジュク・ディビジョン“麻天狼”を中心に、舞台オリジナルキャラクターのアサクサ・ディビジョン“鬼瓦ボンバーズ”も登場し、舞台オリジナルストーリーを展開する。
(フライヤーより)愉快で不気味、かつ優雅
カナダはオンタリオ州にある農村。実家の農場を父親ジャックから買い取り引き継ぐため、ジョーは新婚間もない妻のアリスとこの地にやってきた。トレーラーハウスで仮住まいを始めるもアリスは弁護士の資格を取るため忙しく、ジョーは簡単に昼食を済ませると再び農作業に出かけていく。そこへジョーの母親モーリンが訪ねてくる。素朴で田舎気質丸出しのモーリンと都会育ちでインテリのアリスはなかなか噛み合わない。やがて・・・。
ゆず、一青窈などのミュージックビデオの振付でも活躍し、そのポップな振付と、独特な感性が創りだす世界観で、コンテンポラリー・ダンス界で唯一無二の存在感を発揮する康本雅子。これまでソロ作品を多数発表してきた彼女が、時間をかけたダンサーとの共同作業、カンパニー作品の製作に挑戦した作品。
旧小学校体育館で開催された、新井英夫(体奏家/ダンスアーティスト)と中津川浩章(美術家)、安藤榮作(彫刻家)らによるライブパフォーマンス。ALSを発症した新井は夜間睡眠時、呼吸器をつけているという。パフォーマンスは暗幕の閉じられた薄暗い空間に響く新井の呼吸音から始まり、安藤の斧が木を刻む音が重なる。やがて中津川が幅2M長さ10Mのロール紙に、ブルー一色で描きだす…。約40分という時間の中で、方法が
舞台は閉館している図書館の裏庭。本を返しに来た女、たまたま立ち寄った男、図書館のスタッフにより、虚構の物語の本質=「虚構は人の言葉を通して遠くへ、そして未来へとひそかに自らを運び、多様性に耐え得る社会を作っている」という内容が「虚構の遺伝子」という言葉をキーワードに語られる。
THE CONVOY SHOW vol.36
年末のクリスマス特別番組『カモーン!サンタ!』に少女から寄せられた一通の手紙「・・・どうしてもおばあちゃんに届けてほしいクリスマスプレゼントがあります・・・」手紙に添えられたクリスマスカード一本のクリスマスツリーに集まる11人の笑っているサンタの絵下に ONEs と書かれた文字が・・・答えは「イエス!」・・・「聖夜に鐘を響かせろ」と声が聞こえて来た
あらすじ:場面はエレベーター。3人が乗っているところに遠藤が乗り込み、清掃員の蒼木が「何階ですか?」と尋ねる。遠藤が「5階です」と答えると、短い昇降の後、再び遠藤がエレベーターに乗り込む場面に戻ってしまう。困惑した4人はループから抜け出そうと3階で降りたり共通点を探したり試行錯誤するが、最後には「どうせ繰り返すなら死んでも生き返るのでは」と考え、自殺を試みる人まで現れる。
■あらすじ太古より山に住む謎のいきもの・獸(ケモノ)。〈青い山〉と〈白い山〉の間を走る、大きな谷の集落に住む山のひとびとは、獸ととくに接することなく、しかし存在は常に感じながら、日々共に生活してきた。あるとき、獸ははじめて人を殺す。憤った集落の男たちは討伐に向かうが、皆返り討ちに遭う。生き残った数少ない者たちは獸を恐れ、集落を捨てて山を降りる中、猟師・シラスは鋭い目で森を睨みつけながら 山を登り続
1958年、長嶋茂雄が巨人軍デビューを果たし、東京タワーが竣工した。まだ米軍統治下にあった沖縄の高校が甲子園に初出場したその日、沖縄の道路から車が消えた―野球による本土完全復帰にかけたオトナ達のセイシュン―
「私は他人である」 もう一人の自分が残したメモにはそう記されていた。フリーライターの立原雅人、精神科医の紅谷礼子、そしてゲイ・バーに勤める後藤参三。作家志望の雅人は、時々自分が自分でないような錯覚にとらわれ、礼子の勤める病院を訪れる。そんな折、偶然雅人と再会した参三は、雅人の看護をすることになり、3人は高校卒業以来、初めて顔を揃えることになった。そして...。
H・アール・カオスと100人のオーケストラの共演
20世紀の芸術に大きな衝撃と影響を与えてきた「春の祭典」。1999年5月、愛知芸術文化センターは、日本で初めて、大編成のオーケストラによる本格的な「春の祭典」を実現。1997年の北米ツアーで「歴史に残る最も優れた作品」と評された、大島早紀子演出・振付、H・アール・カオス版「春の祭典」を、大友直人指揮、名古屋フィルハーモニー交響楽団の演奏によりお届けします。
「さようなら、ご成功を祈ります」――B.R.アンベードカル博士が1936年ラホール市のカースト撤廃協会の招待に応じて準備したものの協会側が内容が耐え難いと判断し招待を撤回したため実際には読み上げられなかった演説『カーストの絶滅』への応答南インド・ケーララ州を拠点に国内外で活躍する演出家シャンカル・ヴェンカテーシュワランと、京都を拠点に活躍する演出家・和田ながらの初めての共同演出として、2022年1
大太鼓群の圧倒的な音圧とリズムの組み合わせによる和太鼓音楽と、歌舞伎舞踊の獅子を組み合わせ、日本の様式美を追求した作品。地方の公共ホールながら、本格的な本花道や大迫りといった伝統の舞台機構を用いた大規模な演出も見どころである。
前向きに生きる。これは簡単なことではありません。前向きに努めながらも、何一つ報われないまま人生が終わることなどよくあることです。だからって後ろ向きはまっぴらごめんです。前のめりになるくらい前向きに人生を歩もうではありませんか? 後ろ向きな人生が、あることをきっかけにパッ!と前を向いたときに生み出される、生きることへのエネルギーを私は信じたいです。これは後ろ向きな男が前向きに人生を見つめなおす作品で
ミュージカル 『フィスト・オブ・ノーススター~北斗の拳~』
2.5次元ミュージカル/舞台
Eラーニング(株式会社 流)
⑤ 衣裳・ヘアメイク衣裳編①ではオレゴン・シェイクスピア・フェスティバルの衣装部門を統括するメリリー・フォード・バレラ氏が大規模リージョナル・シアターにおける衣裳製作の過程やチーム・メンバー、そしてゲストデザイナーとの働き方などについて解説。衣裳編②ではマイアミ大学演劇学科で衣裳デザインの准教授を務めながら、フリーランスとしても活動するスキナー道子氏が衣裳デザイナーの仕事や繊細さが求められる役者と
河内の大名高安家の腰元にあがったお辻は当主道俊の後妻にはいり玉手御前とな る。 道俊の後継者には先妻の子、俊徳丸と妾腹の兄次郎丸がいる。次郎丸は俊徳丸 に家を継がせまいと陰謀をはかっている。その俊徳丸に玉手が懸想して、なにを血迷 ったか毒の酒を飲ませてしまう。そのために俊徳丸は重い病にかかり、失明してしま うのであった。
一人の女と一人の少女が、出会い、互いの分身であるように、2本の樹木の上に横たわり、時を過ごす。眠り、言葉を交わし、外界へのイメージを広げる。ここはどこなのか、聞こえる声が時間を呼び起こす。孤独だけれど満たされている二人の遊びは、人の根源的な信頼と出会いを育て、この奇妙で孤独な遊びが世界へのドアを開けていく。
有科珠々舞踏作品
『桜影』は、有科珠々によるソロの振付作品です。3つの象徴的なキャラクターと3つの状況を描きます。彼らは桜の木の影でうごめく虫のように、質素で厳しい生活を送ります。第1部:黒衣の女幽霊と静かに暮らしていた喪服の女性が、突然の非常事態に見舞われます。爆撃、逃亡、没収、避難。彼女は平穏な日常生活に戻れるのでしょうか?第2部:私の小さな領土様々な人間や動物が自分の領土を愛し、守り、脱出する。小さな領地をめ
『私』はどこまでが『私』なのだろう。抜けた髪の毛は『私』ではないのだろうか。種は、いつその親樹の一部ではなくなるのだろう。つぎ木をされた樹木は自分を一本の樹だと思って空を目指して伸びていくんだろうか。まっすぐに空を目指す樹。おそらく自分の都合だけでどこまでも伸びていく。だけども彼の都合で出来た木陰は、私を優しく守る。そんなことを考えるうちに私は深いネムリに落ちていた。【私はあなたのすべても、どの一
(フライヤーより)詩、マイム、音楽、そして舞踏、現代の吟遊詩人による中世・ルネッサンスのパフォーマンス。いま世界的に古楽が見直され、静かなブームをまきおこしています。リコーダーやリュートの演奏がひんぱんに催され、オリジナル楽曲によるバロック音楽の演奏も盛んです。そんな古楽ブームの中で注目を集めているのがフランスから来日するユニークな古楽グループ<ミクロロゴス>。<ミクロロゴス>は5人からなる古楽ア
ある日親友の家に行くと男の死体が。なぜそこに死体があるのか?登場人物は「ちょっとまって」と繰り返すけど何を待てばいいのかわからず、不毛なおしゃべりばかり。新型コロナウイルス感染症の蔓延の閉鎖された混沌を描いたヴォードビル。
3.11への応答「光のない。」の続編として発表されたエルフリーデ・イェリネクの「エピローグ?(光のないⅡ)」をツアーパフォーマンス形式で上演。観客はFMラジオを首に下げ、原発事故後の福島で撮影された報道写真を手に、東京・新橋の12カ所のポイントを巡る。目的地に待つのは、写真に記録された「眺め」、カメラマンの「視線」を重現する装置。さらにラジオのダイヤルを指定された周波数に合わせると、戯曲を読み上げ
神を求める様は古今東西、さまざまな喩えが用いられてきた。その中で、“女性に恋焦がれ一体となる”というメタファーはスーフィーの詩人からトルヴァドゥール(吟遊詩人)に至るまで、広く用いられてきたモチーフ。ラヴェルの組曲「鏡」を主題とし、現実と幻影が交差するコンテンポラリーな手法の中に、古典的な象徴を散りばめ、先端のメディア・アートを駆使した空間に光、映像、音楽がダンサーの身体に反射させる。