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当時通俗的とされたジャズを作品に使うなど独自の作風で知られていた安藤三子は、1953年のテレビ放送開始から、NHKでも民放でも多くの舞踊番組に出演した。「陽気な帽子屋」はNHKの番組「バレエ」で1957年に放映された。エリアナ・パブロバの生徒としても知られる藤田繁扮する帽子屋が扱う帽子から、3つの小品が生まれる構成。最初に女性ダンサーの群舞、2作目が安藤三子と堀内完のデュオ。3作目の男女の群舞には
内田百閒の幾つかの短編に着想を得、いなくなった猫を探す男と、彼の前に現われる不思議な女に起きる些末な出来事を描いた書下ろしの新作。はたして猫は見つかるのだろうか。
東洋の精神性にも魅了された彫刻家ウィム・デ・ハーン(1913~1967)を追悼したダンスムービー(1976年)。物語はアムステルダムにある「マヘレ橋」から始まる。十字架のような木彫りの作品を抱えて歩く石井満隆と、後を付いていく友人達。その後、ウィムが日本人の捕虜だったことを想起させるような囚われた一室でのおどりがあり、ウィムのアトリエで披露される石井の少女のおどりがある。最後は着物姿の石井が吊るさ
19世紀ロンドンに、人をさらう怪人「人攫(さら)いジャック」が現れた。次々と人を攫って行くジャックの正体は誰なのか。何が目的なのか。スコットランドヤードのオルソップ警部は捜査に乗り出したが、街の人々の推理合戦に巻き込まれていき…。25周年を迎えたヨーロッパ企画がお送りするミステリコメディ。
(フライヤーより)自由・冒険・友情 そして人間心で感じるミュージカル
dance for camera
エイコ&コマの映像作品。1977年の舞台作品FUR SEAL(オットセイ)を映像化予定だったが、撮影現場で動きをつくり直した。1983年11月に、野生のオットセイが棲息するカリフォルニアのポイントレイズ国定海岸でピーター・ヤプルの協力を得て撮影し、1984年3月、ARC Videodance(ニューヨーク)のジェフ・ブッシュの協力で編集した。元々は無音の予定だったが、エイコが波の音を挿入。アメリカ
螺旋曼荼羅海会は真言宗、天台宗の僧侶たちによって詠唱される新作声明。アメリカ・インディアンのナヴァホ族の創生神話に基づく儀式歌をテクストに、新進気鋭の作曲家桑原ゆうが「夜の歌」「風の歌」の挿入歌を作曲した。宇宙的な力を秘めたスパイラルガーデンの螺旋空間を立体マンダラに見立て、執り行われる曼陀羅供。僧侶の聲に気は充満し、大日如来を中心にコスモスが立ち上がり、胎蔵界金剛界の両曼荼羅がダイナミックに動き
〈現代日本演劇のルーツⅨ〉
主君浅野のカタキの吉良の首をとった赤穂藩士の面々は死を待っている。討ち入りの武勇伝に沸く江戸の民、あれこそが忠義の行いマコトの武士と美談に酔う目付奉行大名たちに目もくれず。ただ幕府柳沢が命ずる切腹を待っている。が、将軍も天皇も赤穂に入れあげてしまった。柳沢もおいそれと切腹を言い出せない。薄笑いを浮かべる赤穂の者どもの目に映るのは、なつかしい故郷瀬戸内の海山、ノロノロとしか過ぎぬ今を埋める言葉との戯
その昔マグロ景気に湧いた宮崎・油津でテキ屋を仕切っていた金丸一家。羽振り良く暮らしていたが、終戦の混乱期、愚連隊にショバを荒らされ町を追われる。組長の重蔵は妻と娘だけを連れ細々と露天商をしながら暮らしていた。しかし油津に残してきた先代組長が「もう一度ショバを取り戻したい」と口にしていることを耳にする。重蔵とは反対に気性の荒い性格の妻・敏子は辰蔵の願いを叶えようと発奮。20年ぶりに油津へと帰るのだっ
邦楽 華麗なる技
邦楽の「技」と通じてその楽しさを堪能するシリーズ。異なったジャンルが、ひとつの曲を交互演奏する「掛け合い」。清元、長唄、常磐津、義太夫の、浄瑠璃、唄と三味線が技を競い合う。掛け合いの面白さ 渡辺保「喜撰」 清元 清元志寿雄太夫、清元清美太夫、清元一太夫、清元瓢太夫 清元志寿造、清元美三郎 清元美一郎 長唄 杵屋巳津也、杵屋巳之助、杵屋佐喜 杵屋巳太郎、柏要二郎
隅田川のほとりを、記憶喪失の男が彷徨っている。夜になり、彼は、そこで声をかけてきた女の誘いで、彼女の家で夜を明かすことになる。そして彼女から、土地にまつわるある物語を聞かされる。それは、そこで行き倒れた男と幽霊の物語だ。そしてその物語はいつしか、男自身の姿と重なっていく。古典落語『粗忽長屋』が題材。旗揚げ公演『どさくさ』を下敷きに、過去作の要素が物語構造や台詞に溶け込んだセルフリミックス。
1942年、アメリカ。ルーズベルト大統領の行政命令により、十一万人の日系人が強制収用所送りとなった。収容所の数は国内に十か所。前年の真珠湾攻撃により太平洋戦争がはじまり、アメリカは日系人の隔離政策を行ったのだ。 自国民を日系であるという理由だけで市民権を剥奪し、収容所に閉じこめ監視する。合衆国憲法違反である。 さて、舞台はカリフォルニア州の砂漠地帯マンザナ。バラックの強制収容所の一室。 朗読劇上演
1958年、長嶋茂雄が巨人軍デビューを果たし、東京タワーが竣工した。まだ米軍統治下にあった沖縄の高校が甲子園に初出場したその日、沖縄の道路から車が消えた―野球による本土完全復帰にかけたオトナ達のセイシュン―
明るく陽気な弥次さん喜多さん。江戸の見世物小屋でいたずらをして大騒ぎを起こし、旅をすることになりました。旅の途中、ひょんなことから狐に恨まれることに。この狐、大変ないたずら狐。二人は何ども騙されます。かわいそうな弥次さん喜多さん、二人の旅はいつまで続くことやら・・・。
元気で人気者の小学4年生のエイジは、ユニークな同級生たちと楽しい毎日を過ごしていた。しかしある日、偶然が重なり、エイジは「らんぼうもの」のレッテルを貼られてしまう。学校を逃げ出したエイジは、中学生のイサオと出会う。そして決めた。目指すは “かっこいいギャング!” そして、同じクラスのタカヒロとココロとともに大きな夢を叶えるために走り出すのだ!
1923年9月1日の関東大震災直後に起こった朝鮮人虐殺事件から2年後の東京が舞台。石崎友久が営む石崎洋服店に住み込みで働き始めた裁縫職人の木下麻子は、周囲の人々と親しくなり、日々を営んでいくが、まだ誰にも打ち明けていないことがあった。また、石崎洋服店の職人や店に出入りする友人知人らも秘密を抱えていた。ある日、麻子は周囲の人々が抱えている秘密を知ることになり……。
1879年琉球処分直後の若夏。国頭間切安波村から与那原へ薪を運ぶ山原船の上では、船頭が出向前の準備をしながら、海を眺めている。昨日までは嵐であったが、今日は穏やかである。その船に、那覇の辻遊郭に売られていく幼い娘カマドとアンマーが乗り込んでくる。アンマーはカマドを慰め、励まし、船頭にハーリー歌を歌うようたのむ。そのうちに、海に浮かんでいる遭難者に気づき、救助する。遭難者は昨日の嵐で遭難した阿佐地と
秀島実の6場からなるソロ舞踏公演。第6場の「O氏」は舞踏家の大野一雄のことで、秀島は1976年に完成した大野の映画「O氏の死者の書」に出演している。構成:Ⅰ 父の方向にⅡ 私は喜んで貰おうと思ったⅢ キャンディ キャンディ キャンディⅣ 南極ののペンギンⅤ 高田永子さん考 -トワのホホエミ- Ⅵ 「O氏と私」
それは、忘れていたのだ。きれいに。ほんと、きれいに。箱入り娘というか温室育ちというかそんな感じで育てたもんだから全く外へ出ようとしない。だからどうか外の景色を見せてやってください。そう頼まれて僕が会ったその子は僕の口元にとびきり顔を近づけておねがいをしてきた。もう、…いいから。そんなの、いいから。旅しようよ。そう、この星が朽ちるくらい長い永い時間をかけて。
教会の待合室。大きな窓ガラスがあり、葬儀の様子がよく見える場所。そこに集まった4人の女たちは、それぞれが亡くなった男の彼女だった。粛々と葬儀は執り行われていくが、待合室での女たちはそれとは関係なくそれぞれの世界を独走しはじめる。一人一人が違った悲しみをまとい耐えながら、それでも男が死んだ現実を咀嚼するように受け入れようとしている。しかし、受け止めきれない女もいる。死んでもなお依存し続けることで生き
ある日、次女が帰ると家中が何者かによって荒らされている。簡単に考えれば空き巣だが、現金など金目のものに手をつけられていないことが、なおのこと何が目的で行われたことなのか、不安を増大させる。
KAATキッズ・プログラム2022
おとなもこどもも楽しめる「KAATキッズ・プログラム」の2022年新作は、天国と地獄の分かれ道で、なくした記憶を探すおしばい。2020年に上演を予定していたものの、新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった本作が、2年の時を経てついに上演を迎えました。作・演出は、本作で自身初のキッズ・プログラムを手がけた松井周、そして主人公は、日本演劇界を代表する俳優・白石加代子が演じています。
駅近くのラブホテル街。その路地裏で一人の女子高校生が遺体で発見された。友人の死の謎を追うアカリが迷い込んだのは、仄暗く人通りの少ない高架下。中華料理屋の裏でジャガイモの皮を剥き続ける男とその店の主人を待ち続ける女、自称カメラマンの男、誰かに拾ってもらうのを待っている女、たゆたう誰かの記憶ー。ドイツ不条理演劇の先駆者F・ヴェーデキントの「ルル二部作」をベースに「関係できない人々」の姿を描く。
源平合戦後も平家残党が生き延びていたという設定のもと、平家武将たちと源 義経の“その後”を描いた「義経千本桜」は全五段の傑作長編。その二段目「渡海屋・大物浦の場」は、海に身を投げて自害したはずの平知盛が、船宿の主人となり義経に復讐を企てる物語です。変わりゆく時代の中、変わらぬ信念で戦った知盛の姿は、今どんな相貌をもって現れるのか。平成から令和の改元、疫病による日常の変化を受けての2021年版を演出
日本の劇団羽衣は、東京下北沢の本多劇場で『人体』というタイトルの新作公演を行なっていた。しかしその公演は、次第に謎の存在に乗っ取られていく。謎の存在とは何か?人体を流れる血か!?人体に潜む愛か!?宇宙人か!?はたまた観客か!?今、人体たちの大冒険が始まる!FUKAIPRODUCE羽衣の妙ージカル『プラトニック・ボディ・スクラム』開幕!!表現活動や劇団員の生活の苦しみというディティールと、「ごっこ遊
行き遅れた娘と男やもめの父を描いた、小津安二郎監督作品『秋刀魚の味』をモチーフに、2017年バー公演として外部に書き下ろし好評を博した同作品を全面改稿し、ブラッシュアップして再演。ギターを弾きたいと言い出した父と婚約破棄された娘、関西出身のバーの女、と謎のバイト。他者との会話を通して、すれ違い続けた親子が未来に一歩踏み出そうとする、東京の核家族の在り方と希望描いている。
作品ノート:ところで、皆さんの心の闇はなんですか?夢を叶えるために押し殺してきた黒い闇。それは最後まで隠し通すことが出来るのでしょうか? その闇があってこそ到達できた場所があるのではないでしょうか?新作の『顔』は、松本清張著『顔』より着想を得て創作いたしました。「楽しい踊りが踊りたいなぁ〜」と日々思うのです。そのためには心の中でいつも突っかかる何かにじっと目を凝らさなければ。この作品は、これからず
アキはなぜコンクリートに囲まれた三角公園でテント生活をしているのか? 昭和51年アキの母、芳恵は十円易者「村上桂山」に出会っていた。苦労しながらも桂山の言葉に支えられ成長し母となった芳恵は「悩は財なり、貧は友なり、狂は師なり」と書かれたノート娘のアキに託してこの世を去る。昭和の松山に実在した十円易者が遺した言葉の数々が令和の現代に発動し、世を惑わす。昭和と令和、松山と神戸を舞台に物語は動いてゆく。
みーちゃんシリーズ
『居酒屋じぱんぐ〜みーちゃんの行方〜』は、コロナ禍初の緊急事態宣言で外出することもままならなかった東京で、音声だけのひとり芝居をつないで制作された「留守電ひとり芝居オーディオドラマ」です。あれから、なんと4年!登場人物が、閉館を目前にしたこまばアゴラ劇場に集まり、実際に演じ目撃型オーディオドラマ。5類になって一年。コロナは私たちから何を奪い、何をもたらしたのでしょうか?
Eラーニング(日本演出者協会)
③ 音響このシリーズは、これから音響、特に舞台音響をこれから始めようという人に、舞台芸術での音響家の役割や仕事を紹介します。また、始めて間もない音響家の皆さんに、舞台音響の仕事をやる上で何に注意をしていけば良いかを実例と合わせて紹介・解説し、ご自身の現場に役立ててもらえることを目的としています。顔合わせや稽古・本番・片づけまでの一連の仕事の流れから、スピーカーの配置の仕方やチューニングなどの技術的
新劇100年Ⅱ 珠玉の一幕劇集
時は天保8年、江戸麻布の岡場所に生きる娼婦、宮城野のもとを、なじみの見習い絵師、矢太郎が訪れる。しかし今夜はその様子が少しおかしい。二人の会話は虚実入り交じってとりとめなく、謎が謎を呼んで夜は更ける。果たして聖母はユダの救いと成り得るか?後の傑作「写楽考」「北斎漫画」「淫乱斎栄泉」など浮世絵三部作の先駆けとなった、珠玉の短編二人芝居。
椿組2019年春公演
昭和11年。2.26事件前夜、若者は東京へ降り立った。そして事件、帝都では戒厳令が発せられ首謀者15名に銃殺刑執行。やがて時代は不穏な霧に包まれ坂を転げ落ちていく・・・大陸の事変、それは日常。そんな中、若者が飛び込んだ先は浅草花月劇場、そこには「アキレタヤツラ」が居た。若者は数多(あまた)のものに出会う。文学、詩人、大衆芸能、築地の演劇人、転向者、踊り子、そしてマドンナ・・・北海道・稚内、浅草花月
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
Eラーニング(日本演出者協会)
⑧ ヘアメイクこのシリーズでは、番組ホストのヘアメイクアップアーティスト馮啓孝氏が舞台芸術におけるヘアメイクの仕事を紹介します。講座全体を通して画像、動画をふんだんに利用し、ヘアメイクの技術や工程を詳しく解説します。デモンストレーション映像では、実際に馮氏が一から「鬼」、「トゥーランドット姫」のヘアメイクを造っていく過程を追います。インタビュー・対談動画では、演出家の横内謙介氏、林明寛氏、作曲家の
新しい演劇言語の可能性を切り拓くため、詩人の高柳誠にテキストを依頼した。高柳のテキストは、夢幻能『融』の世界を踏まえながら、舞台を日本の平安期からヨーロッパに転じ、ギリシャ悲劇『エレクトラ』や狂王ルードヴィヒ、マグダラのマリア、さらには米同時テロ以後の、われわれの現代の廃墟の記憶などが重層的に交錯するものであり、報復=正義の意味、復讐の連鎖をどのように対象化し、捉え直すことが出来るのかが問われた。
(フライヤーより抜粋)「リトル博士」は、動物の言葉をなんでも喋れる動物学者。世界中に旅をして、いろんな動物たちと話をしてきました。そんなリトル博士のところに、日本の小学生から一通の手紙が届きます。
三東はときに「怪物的なダンサー」と称される。繊細にして強靭。細胞の一つひとつを意識的に使った完璧な身体コントロールをもちながら、絶えずそれを凌駕する熱量のエネルギーがあふれ出してくるのだ。舞踏とは違うが、三東もまた重力を自らの力として踊るタイプのダンサーである。およそ通常の生物とは作動原理が違う。まるで体内に他の生き物が何匹も巣くっているような、予想のつかない動きの連続で、目を離すことができない。
悲劇的な立場に置かれた5人の女優が、自らの不条理な状況を憂い、飾り立て、時に正当化しながら、自身の不幸を声高らかに語りあげます。現実社会で起こるリアルな悲劇と、不幸な自分に酔い不幸を誇張するフェイクの悲劇、また舞台上のフィクションとしての悲劇という3つの異なる時空から「悲劇」の構造を捉えることで、自分とこの世界の関係性を見つめ直します。 今を生きる私たちにとって「悲劇」とは何か、また人々は不条理と
明治ニ十六年に、九世市川團十郎により初演された歌舞伎舞踊。大奥のお鏡曳きの余興に、小姓弥生が手獅子を持って踊るうち、獅子の精が乗移り、獅子の狂いになるさまを描きます。前半では、石橋の物語を中心に、川崎音頭、飛騨踊、二枚扇の踊りを経て、手に持った獅子頭に引かれての花道の引っ込みなど、後半では胡蝶の精をあしらって長い毛を振る豪快な「狂い」「髪洗い」などが見どころとなっています。
美しい妻を愛することを知らずして愛しすぎた男ヴェニスの将軍であるオセロが、故なき嫉妬のため、その妻を殺し、自らを罠にかけた男や妻の罪なき召使いを殺し、最終的に自らの命を絶つ。
1986年1月に世を去った土方巽の野辺おくり祭として、山形県の升玉村で開催されたイベント『土方巽野辺おくり祭「むしびらき」-東北舞踏ぶるまい升玉編ー』。プログラムによれば、50人近い舞踏家が参加し、主に10カ所の舞台を中心に村全体を会場に繰り広げられた。梅雨明けの縁側一杯に衣裳を広げる蟲干し、それを土方巽は「蟲開き」と呼んでいた。映像では元藤燁子、小林嵯峨、大野一雄等が踊り、フィナーレには多くの舞
文七元結:博打好きの長兵衛が朝帰りすると、妻が娘のお久が帰ってこないと泣いている。探してみると、なんとお久は長兵衛の借金を返すために吉原に身を売っていた。もう二度と博打に手を出すまいと決心したところに川に身投げしようとする男が現れた。 綱館:頼光の臣渡辺源治綱は、悪鬼に襲われ腕を切り落とした。占いによればこの鬼が必ず腕を取り返しにくるから物忌をせよという。そこに叔母真柴が訪ねてくるが、その正体は…
鳥籠か「檻」のように囲む16発×3面=48発の照明。 ダンサーの身体を平面に閉じ込める井上信太のフェイク・ファー。 発信器のように身体に取り付けられた筋電センサーやLED照明、 光ファイバー、バイオメタル。 You-tubeにて130万ヒットを突破し、今最も世界の注目を浴びる メディア・アーティスト、真鍋大度+石橋素が全面参加し、身体の表層 と深層をまさにデータ化し、音響化、視覚化。ヴィジュアルデ
平岩弓枝が贈るラブサスペンスロマン
作品のテーマは「コロス」。歌って踊り、物語を語ったコロスは、古代ギリシャ劇から存在した。そしてコロスの中から俳優が現れ、ギリシャ悲劇へと発展し、コロスはその中で役割を変えていった。彼らの存在と変遷は、何を意味するのか。ゲストダンサーに川合ロン、俳優に佐藤真弓と薬丸翔、テキストに劇作家の前川知大を迎え、コロスについて考えてみる。
草サッカーの練習試合のために集まった町役場の職員たち。そして始まる作戦会議。だが、その内容は試合に勝つためのものではなく、なぜか負けるためのものだった。相手は町一番の大企業、いわゆる『接待サッカー』である。しかし、一人の新人職員がその作戦に異議を唱える。「僕、負けたくありません」圧倒的な正論に、ヘリクツで新人を丸め込もうと立ち向かう11人の戦士(同僚)たち‼最後に笑うのは正論か、ヘリクツか ――。
幼い記憶から夏みたいなものを引っ張り出してたらいつの間にか朝になってた白い息が空に浮かんで重ねた裏返しとか普段通りの雨とか好きだった気がする嘘だった気がする沢山ある人生の中輝ける場所探せるだけで良いのかもしれないね(ワンダフルライフって なんだろうか)ああ なんか今なら唄える気がするよ一緒に歌ってくれないかワンコーラスでいいんだけど
これはたぶん、ストーカー的に誰かを好きな女の人の話で、その恋は全く報われていない、報われる気配がない(というか相手が実在するのかも怪しい)、のだけれど、それゆえにかえって独自の深化をとげて、不思議な塩梅で彼女を支えています。それは、執着といえば執着で、でも不思議とねじくれたところなくスキッとしている。他人に迷惑かけてない。ヘルシー!すっかり擦り切れて、ヤサグレかけていたところに降りそそぐ、甘い露。
金がない、仕事もない、家庭もないし、未来もない!弟夫婦に世話になりながらのらりくらりと糞溜めのような日々を過ごしていたおじさんが「あの娘」と出会うことで始まる、恋に落ちるおじさんと、落とした「あの娘」と、落ちていたおじさんたちとのハートウォーミング・ラブ・サスペンス・ストーリー!
江戸音楽の巨匠たち~その人生と名曲
今日の私たちに伝えられてきている「江戸音楽」を、その時代にあって創り、育んだ巨匠たちに焦点を当てたシリーズ。第5回は長唄の源流 富士田吉治、作曲の名人 四世杵屋六三郎対談 竹内道敬、徳丸吉彦「吾妻八景」 唄 杵屋禄三、今藤政貴、今藤政之祐 三味線 杵屋六三郎、杵屋弥宏次 上調子 杵屋彌四郎「隈取安宅松」 唄 東音宮田哲男、東音西垣和彦、東音村治利光、東音山口太郎 三味線
近松門左衛門原作の人形浄瑠璃を現代人形劇として全段取り組む。劇団創立40周年記念作品として上演。国立文楽劇場の舞台機能を駆使しようと演出された。劇団の役者総出演の作品でもある。資料は、1989年3月26日にNHK芸術劇場にて放映されたもの。
(フライヤーより)中国人は、昔から芝居を観るのが大好きでした。北京にある「故宮(こきゅう)•清の時代の宮殿」の中には、たくさんの劇場が残っています。祭りでも、定期的に開かれる市場でも、また家に良いことがあったり、珍しいお客があったとき、必ず劇団が呼ばれて芝居を観せました。また、たとえば砂糖きび畑に忍び込んだどろぼうがつかまえられたりしたとき、その罰として一晩劇団を呼ぶ資金を罰金として出し、村の人に
異形の怪物とその造物主である科学者の愛憎劇「フランケンシュタイン」を演劇化。小道具としてラップやアクリルを多用することで、コロナ禍を意識させると共に、差別や分断を象徴的に演出。また、英中字幕や音声ガイドなどバリアフリー対応を実施することで、マイノリティの目線にもフューチャーしている。更に本作は2024年5月に第34回マカオ芸術祭で佐川演出の元、現地キャストとの国際交流公演を行い大きな話題となった。
MANKAI STAGE『A3!』
2.5次元ミュージカル/舞台
RICE on STAGE「ラブ米」
2.5次元ミュージカル/舞台
劇団め組が挑む「祭り芝居」の第一弾は、江戸の義賊と謳われた鼠小僧の物語。ヒーローである前に親であり、善と悪との狭間で葛藤する鼠小僧とともに、隅田川に立ち上る花火のような江戸庶民のエネルギーを描きます。
河野紗代子(ピアノ)と清水美紗都(ダンス)が1つのテーマに対して感性をぶつけ合った共同作品。海は刻々と表情を変え、様々なブルーを見せてくれる。キラキラとした心躍る水色のブルー。時間の流れがゆっくりに感じる水中の瑠璃色のブルー。吸い込まれそうな夜の濃紺のブルー。荒れ狂った波の限りなく灰色に近いブルー。「青」という色が持つミステリアスな多面性をピアノとダンスで描く。
『池上show劇場【DELUXE】』Bプログラム
コロナ禍の創作活動の中から生まれた「一人芝居」のラインナップ。劇団アトリエを劇場にしつらえて行なった本公演『池上show劇場 』【DELUXE】と【PREMIUM】。一人芝居16本のうち、Bプログラムでは3作品を上演。原作と身体一つで格闘する俳優たちのバリエーションが見どころ。上演作品は、『カチカチ山』(原作:太宰 治)、『藪の中』(原作:芥川龍之介)、『名人伝』(原作:中島 敦)。
職安に勤務する健二と看護婦の陽子。子どもの面倒、家事一切が健二の分担だ。陽子の後輩の多くが結婚を機に看護婦を辞めていく。看護婦の仕事は家族の協力、犠牲なくしては成り立たないのか?遂に過労で陽子は倒れる。健二は新聞に投書する。「十分な労働条件と休息がなぜないのか、看護婦のオヤジたちよ、あなたは辛くはないですか。このままでは私たちの家族は完全に破壊される…」。人間らしく生きるために働き家庭を築く。共働
日中戦争が泥沼化しつつあり、英米との関係も急速に悪化していた昭和16年春。あるベテラン夫婦漫才師が、中国大陸への慰問の旅に出る。この時の日本では、笑いという戦争とは対極のものを生業とする芸人でさえ戦争の歯車に巻き込まれていた。芸人を続けるには、戦争に協力するしか方法がなかったのだ。夫婦は10歳を過ぎたばかりの一人娘を内地に残して日中戦争の前線近くまで旅を続ける。同行の芸人仲間や、笑いに飢えた前線の