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最も多感な年頃で自由を奪われ、飢えに苦しみながら、隠れ家で日記を綴り続けた少女アンネ・フランク。劇団民藝では1956年の初演いらい数々の賞とともにロングランを記録しています。1979年から80年にかけて滝沢修の新演出により、学校公演と文化庁移動芸術祭をふくむ上演を各地で重ねました。
新劇100年 珠玉の一幕劇集
まるで親戚のような近すぎる関係であるが故に、恋人同士になり得ないあさ子と収。そんな娘を心配する母・真紀が勧める縁談話。あさ子の縁談相手である医師・弘に、彼女への真情を吐露する収…。鮮やかな会話文と、彼女を巡る心理描写が秀逸。
但東は兵庫県豊岡市の東端に位置し、三方は京都に囲まれ、山あいに美しい田畑が広がり、その山と田畑の間に小さな集落が点在しているような地域。集落は合橋(あいはし)、資母(しぼ)、高橋という旧村名に由来する生活圏に分かれている。「但東さいさい」では、但東の3地域の子どもたちと但東の民話を元にしたオリジナル神楽を創作。3地域の神社を巡り、境内に残る農村歌舞伎舞台にてお披露目する。
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劇団青年座創立60周年記念公演 第三弾
大正七年米騒動が起こったその夏、愛は福井若狭の寒村で祖母を見送った。愛の父宇助は地場産業を興そうとしたがうまくいかず田圃を手離し、あげく中風で寝込んでいる。宇助の面倒を看、妾に産ませた鉱太郎と千吉まで引き取って育てる母しん。翌年、愛はしんの後押しもあって棺桶作りの角治のもとに嫁ぐ。角治の母いしは、盲目だったが死ぬまで「ふれごと」をして村を歩いた。いしの日常はいつも明るく生活の知恵あふれ、その中で愛
1972年に渡欧した時は振付に関する確たる考えもなく、パフォーマンスをただ考えついては、いつも「White Dance」と呼んでいた。アメリカへ移る前の日本滞在中に、私達はニューヨークデビューに向けてこの作品を振付け、1976年5月6日、ベアテ・ゴードンの企画により、ジャパン・ソサエティに於いてこの作品でデビューを果たした。映像は2011年、アメリカン・ダンス・フェスティバルでの再演より。
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空晴第21回公演「ここにあるはずの、」あらすじクリスマス会をやろうと企画中のとある家族。嫁に行く娘が最後に過ごす実家でのクリスマス。久しぶりに引っ張り出してきたクリスマスツリーを飾ろうとするのだか、大事な飾りが見つからない。最後だからと親戚やご近所まで呼んでいたが、大事な「あの人が」来ない。家族の中の、人生の中の、物理的、気持ち的な「不在」を描く。
火曜日のシュウイチ
そこは舞台の袖。僕はなにひとつ準備はできていない。本番が始まる開演ベルの音が鳴り響く。台詞も覚えてないし、共演者と顔合わせもしていない。悪夢だ。そうだ、これは夢なんだ。昔から何度となく見てきた夢だ。本番前に必ず見る夢。役者なんてろくな商売じゃないぜ。あ、幕が開いた!観客の拍手。え、夢にしては、お客さん、リアルすぎません?台詞がなければ踊ればいい。小道具がなければ、体の中から出せばいい。
(フライヤーより抜粋)この1年、ずっとサンタさんは、ひとりでも多くの子に素敵なクリスマスをプレゼントすることを願ってきました。ミセスサンタも同じです。けれど、いつもひとり残されるミセスサンタは、今年はサンタさんのそりに内緒で乗り込みました。サンタさんとクリスマスにデートしたかったからです。ところが、途中である星に落ちてしまいました。そこは、けんかのたえないキャンデイーの星でした。さあ、ミセスサンタ
反復しながら動きの緩急やアクセントの変化を試みた、ソロ作品。
オフィシャルサプライヤー・シリーズVOL.189
現代舞踊の第一人者91歳の大野一雄と、舞台芸術の枠にとらわれず横断的に活躍した能の第一人者観世榮夫が、錬肉工房の岡本章の卓越した構成・演出により、能の秘曲「姨捨」とベケットの「ロッカバイ」を素材に、舞台で出会う。現代音楽の先端を走る三宅榛名も加わった稀有なコラボレーション。
ゾンビ音楽でつづる死への行進。オペラの新領域がここに拓かれる! 死神に先導され、恐怖に踊りつつ死に赴く人々の列を描いた「死の舞踏」。死の普遍性を伝えるものとして、中世ヨーロッパ以来、さまざまな芸術作品、文学に引用されてきたイメージを、現代のアーティストによる「オペラ」として上演する試みがここに始まった。 クリエーションの起点となるのは、コンピューター制御された指がリコーダーやクラリネットなどの楽器
東京芸術劇場が2015年に初めて制作した、こどものためのオリジナル作品。原作は松尾スズキの文/絵による 『気づかいルーシー』(千倉書房)、脚本・演出はノゾエ征爾。主人公のルーシーと、育ての親のおじいさん、飼い馬が互いに気づかいしすぎるあまりに引き起こす残念な悲喜劇が、オリジナルスコアの生演奏に乗せて、歌あり踊りありで展開する、ほろ苦くも楽しい舞台。2017年の再演に続き、2022年に再再演をおこな
2020年のコロナ第一波の時期に書きはじめ発表した作品。日々更新される新型コロナウイルスの感染者数・死亡者数を聞き、見るなかで、数でまとめられる一人ひとりに名前が、顔が、声が、人生があること、確かに「1」として存在していることを表現しようと創作された。〈あらすじ〉とある一室。一人の女性が暇を持て余している。 リハビリだと言いながら酒を飲む、喋る。 今まで出会った人たちのこと、だらしのない生活、忘れ
終戦間近の日本、昭和を代表する喜劇人 古川ロッパはスランプに陥っていた。新進気鋭の喜劇俳優 榎本健一、通称エノケンが台頭してきた事がキッカケだった。軽快な動きで笑いを取るエノケンの姿と比べ古臭い自身のスタイルに悩むロッパ。そんな中、2人に共演の依頼が舞い込んでくる――。日本人の笑い、そのルーツに迫る野心作。
舞台『弱虫ペダル』
2.5次元ミュージカル/舞台
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東日本大震災の年に行った公演「帰ㇽ」を作った動機は、震災原発の問題の後、世界不況も絡み合った閉塞感で人々が生きるという方向性を見失ってしまい崩壊へと向きかねないという危機感からです。舞踏家の使命として、舞台において、現在の世界に体を開き、誠実な一歩を歩む事により、お客様へ生きる事への共振をお伝えしたいと願ったのです。この世の命は全て祝福されている。帰ㇽ、命の肯定へ。死や崩壊すら再生への始まりです。
(フライヤーより)わくわく時々ハラハラそれは、だいじなものを見つける旅。
(フライヤーより)「京太郎の唄」諸国との盛んな交易の歴史をもち現在も異国情緒あふれる沖縄に伝わるのは、400年の昔、本土からやってきたといわれる大和人の人形つかい〈ちょんだらー〉の物語。幕府の圧政に苦しむ沖縄に生きた人形つかいの京太郎父子。その奇想天外な物語が、いまなお「琉球」が息づく独自の音楽と舞踊を背景に、めずらしい大型人形たちによって甦り、私たちの心に幻想と感動を呼びおこします。「遠野物語~
空、蒼すぎて淋しい、などと感じるのはなぜだろう。そう言ったその人の心が私にもわかるのはなぜだろう。見えないのに、ある、と思うことがあるのはなぜだろう。見えているのに、そこにいない、と思ったりするのはなぜだろう。心の声を聞いた、などと人は言ったりする。産毛の皮膚の筋膜の筋肉の筋の腱のそれより中の方の、見たこともない領域の、そのユラギを見たような気がするのはなぜだろう。あの人の体験をまるで自分の記憶の
ローマ帝国の将軍タイタス・アンドロニカスは、ゴート族との戦いに勝利しローマに凱旋する。民衆はタイタスに、空位だったローマ皇帝になるよう要望するがタイタスは固辞し、かわりに先帝の長男サターナイナスを指名する。新皇帝サターナイナスは、捕虜であるゴート人の女王タモーラを妻にする。タモーラはタイタスに強いうらみをもっている。愛人アーロンや息子たちを使い、皇后という立場を最大限に利用して、タイタス一家を次々
「Caddy! Caddy! Caddy!」は、フォークナーの小説『響と怒り』、『アブサロム、アブサロム!』、短編小説『エミリーへのバラ』の抽象的な描写を題材にしたライブサウンドスコアとダイナミックなインスタレーションを伴う作品です。ダンスは、閉塞感、束縛、悲しみ、孤独、勇気を表現します。最終的には、ステージが無数の光の色の糸が空間に広がる息をのむようなフィナーレへと展開します。シンプルな照明の変
劇場を舞台にした2幕劇です。1幕目は舞台編。台本から削除されてしまった登場人物と、その役を演じるはずだった俳優の物語。公演準備前の劇場の舞台が舞台です。2幕目は客席編。劇の結末に納得できない登場人物と、人生でたった一度だけ見た劇の再演を待ち望む観客の物語。開演前の劇場の客席が舞台です。どちらも、ある日のある劇場での一時間のできごとです。当事者それぞれの、切実な、しかし相容れない事情が交差します。
『花札伝綺』は1967年に演劇実験室◎天井桟敷により初演。大正時代の乞食横町の葬儀屋を舞台にした「人間の生と死」の転倒をテーマにした寺山修司版「三文オペラ」と呼ぶべきニヒリスティックな喜劇。2001年、流山児祥はこの『花札伝綺』に寺山修司の市街劇台本やラジオ台本を大胆にコラージュして「街と現在」、「人間の生と死」を描き、70人余にも及ぶ登場人物達が出演し、新宿周辺で「半市街劇」を含む、壮大なテラヤ
子どものためのバレエ名作シリーズ
クリスマス・イヴにくるみ割り人形を贈られた少女クララ。実はその人形はお菓子の国の王子がネズミの王様の魔法によって姿を変えられたものだった。クララはネズミと闘い、その魔法を解く。そして元の姿に戻った王子と共に旅をする。少女が家から離れ、大人への階段を登っていく様子が描かれた夢溢れるファンタジー。
土田英生(MONO)と現役の女子高校生たちがともに創りあげる60分間の現代演劇。
“現代アイルランド演劇界のチェーホフ” ブライアン・フリールの名作。アイルランドの北西部、バリーベッグのはずれの村。ひっそりと暮らすマンディ姉妹はそれぞれの悩みや、緊張の中で助けあって生きている。この片田舎にも近代化の波が押しよせ、経済的な不如意に苦しみ、兄・ジャックの送還の余波でマンディ一家はだんだん崩壊していく・・・・・・。オリジナル曲にアイリッシュダンス、姉妹を取り巻く人物達との激しい言葉
コロナリポート
Sign:忙しなく動き続ける体と、短時間に凝縮した数多くの身振りで構成された10分間のダンス。振付を覚え練習することで、コロナ禍の滞留した時間を前に進めることを目的に制作された。Out:neji&co.のプロジェクト最終作。俳優によって上演されるテキストを用いた作品。2020~2023年を振り返りながら、過去から現在を通過した未来まで、私たちの生の「外」にある時間を想像する。
宮澤賢治作「注文の多い料理店 序」「注文の多い料理店」「土神と狐」の3作品を、手話、音楽、語り、の協奏によって、新たな表現の可能性を切り開く演劇作品。本作品では「手話パフォーマー/ろう者・コーダ」「バイオリニスト/視覚障害者」「語り手/ポランの会俳優」といった感覚や文化の異なるアーティストたちが異なる切り口で賢治の世界を表現し、それらが折り重なることで新たな演劇空間を生み出す。
枝の上で葉っぱを食べるのに夢中になっていた青虫さんは、いつのまにか仲間とはぐれてしまったようです。小さな生き物たちの小さな出来事だけれど、そこには私たちと同じ、大切な命が生きています。
古民家を再生してつくられたスペース。そこでは楽し気な会話が交わされているが、彼らには共通に抱える事情があった。ウイルス性だと言われているが、詳細は解明されていない。突然死するこの病気は現在、日本とアジアの一部で患者が確認されている。発症した人に対しては隔離政策がおこなれわる。この場所もそのひとつだ。最近、三回目の移住があり、数人が新しく移送されてきた。家族や恋人と別れ絶望する彼らを、前からいた人々
すべてのものに光を注ぎ、輝かせ、西空の雲を金色に染めて沈んでいく太陽に、若人は呼びかける。1968年初演。「芸術の先生は自然だ」と父から教わった芙二三枝子は元々「太陽」が好きだったが、人間界の煩わしさから宇宙にテーマを求めた60年代に改めて「太陽」というテーマに目覚め、66年には大作「太陽風」を発表している。また68年は“踊りはすべての人のもの”という考えを核に門下生やその教え子の子供達との合同公
かつて俳優だった男は語る。「俺は演劇を辞めた!」と。しかし彼がそう話す場所は舞台上で、その姿は観客に見られており、それは劇そのものである。彼がいるのは未だに劇の中の…
北京一パントマイムコレクション#2
-エティエンヌ・ドゥクルーに師事した数少ない日本人マイムアーティストの一人である北京一。パントマイムの王道を継承しつつも独自の世界を作り上げてきました。そこにパントマイムの真髄があります。
「幕末太陽伝」「貸間あり」「しとやかな獣」などの作品を残し、45歳の若さで他界した、奇才映画監督・川島雄三をモデルに、ひとりの映画監督の運命的な死の前日の一夜を描く小松杏里の代表作『銀幕迷宮-キネマ・ラビリンス-』。再演希望が最も高い、螳螂初期の魔界演劇が、今、満を持して下北沢・本多劇場に初登場!
この作品のキッカケは、バッタ研究者によるベストセラー『バッタを倒しにアフリカへ』。バッタが気になり始めた「んまつーポス」の3人が興味をもって調べたところ、日本には445種ものバッタの仲間がいて、イソップ童話「アリとキリギリス」のキリギリスもその1種だった。将来に備えることの大切さを説く「アリとキリギリス」において、キリギリスはアリから「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?」と言われる
「日月潭」とは「光と影」の物語である。そして「光と影」が織りなす迷宮を旅する男の「引き裂かれた魂」がお互いを探し求める物語でもある。あるときは鬼神に、またあるときは観音にも変化する「影」に誘われて、いくつかの扉を開いてゆく。水鏡の底から歩いてくるもう一人の自分。伸縮する迷宮の中で起こる死と再生の儀式。退行していく夢。夢という肉体が螺旋の渦に巻き込まれていく…。
進駐軍の占領下で、今日を生き抜くために人びとは闇の売り買いに必死だった。親を亡くし、子を亡くし、夫を亡くし、友を亡くした人びとが、世の中の新しい枠組みの中で、無我夢中に生きていた。ひとり息子の健太郎を戦地に失った愛敬稲荷神社の神主牛木公磨も、今では近くに住む五人の未亡人たちと寄り合って、闇米の調達に奔走している。そんなある夏の日。思いもかけず、死んだはずの健太郎が愛敬稲荷神社にひょっこりと帰還する
わたし(渋谷ショーコ)は、現在中学の教師をしている。中学生だったとき、彼女は漫画家になりたかった。だから毎日のように漫画を描いていた。将来の夢は漫画家。でもなれなかった。なりたかった職業に就く大人なんて、ほんの一握りだと思う。結果わたしは、地味な大人になったが、彼女は職場恋愛を経て結婚をすることになった。教師同士の恋愛。肩身も狭く、周りの噂が耳に痛い。ある日、自分のクラスのストーカーにあっている生
ほぼ全裸のパフォーマーが輪になって走り続ける『マタドウロ(屠場)』、全身を漆黒に染めたダンサーがひと塊になって観客の間を蠢きまわる『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』。ブラジルの鬼才マルセロ・エヴェリンは、過去2回KYOTO EXPERIMENTで作品を発表しているが、いずれも客席と舞台が混然一体となった場の中で、観客を興奮と困惑のはざ間へと連れ出してくれた。そんなエヴェリンが次に目をつけた
正義の味方とは、それ自体が正義ではなく、正義の味方につく者のことである。ならば、味方につくべき正義を探さねばならぬ。私達の正義とは何か?それは家族?恋人?仕事?いや、私自身?社会正義が消失した今をさ迷う。
「胎児の夢」とは何か?心理遺伝とは何か?若林博士と正木博士の対立とは?「美の滅亡」に震える玄宗皇帝時代の呉青秀の描いた死美人の絵巻物が時空を超えて大正時代の呉一郎に。演劇化不可能といわれた夢野久作の一大幻魔怪奇小説を高取英が初めて戯曲化好評。
【作品ノート】透明な沸点と露点そのブラックホールをすぎるとある青い世界に柔らかい光が溢れているはざまに耳を澄まし光の波紋をうつす瞳うねりつづける細胞のひとつひとつをミモザの花にしたら少しはこの世を灯せるだろうか
九州の田舎町。建設業を営む「岡本一族」の繁栄から没落までの、昭和から平成へかけて激動の 10 年間を描き、地域住民の現実と、生きる意味とは何かを問う壮大な人間ドラマ。戦後の世の中を激しく生き抜いて来た一族の落ちぶれてゆく様は、まるで潮の満ち引きの水面のように、静かに、ひたひたと、上がっては、下がってゆく……。
ゴミで氾濫するドブ川が流れる失われた街。その街のはずれにある長屋の端と端に住んでいた少年と少女。十数年後、青年は何気なく立ち寄ったドブ川で死んだはずの少女と再会する。二人は、時代と時空を超えながら旅をする。 実話を元にしたハートフル・スラプスティックコメディタッチの不条理演劇。令和に誕生した新たな野外テント演劇集団”天幕劇場深海洋燈”の旗揚げ公演。“まち”とつくる新たな野外演劇文化の発展を目指す。
作品ノートHetero= 異なる一つの性・身体・空間と、二つの性・身体・空間私の中の視界いつの間にかあなたに映る私それぞれの内の景色と外からの視点が重なる時間その境界に立ち現れる、もう一つの時間
1988年夏、横浜のJR貨物・東高島駅構内の運河に艀(はしけ)を浮かべ舞台にし、水と火を駆使した壮大な野外劇。作・演出の川村毅の地元・横浜市の協力により実現した。30名の第三エロチカ劇団員総出演に加え、エキストラコマンドも多数出演。当時20代の川村がテーマにしてきた、アンドロイド/人造人間/レプリカントを通して現代人に問う『ニッポン・ウォーズ』(84年)『ラスト・フランケンシュタイン』(86年)か
[作品ノート]卵が割れたら… 子供は笑い、 母はさけび、 猫は窓から逃げ出し、 父は新聞を読み続け、そして、また鶏は卵を産む。
Zero Projectプロデュース2018 ミュージカル
年中が夏になった地球…季節の移ろいを取り戻すために姉弟が心を閉ざした「雪の女王」と出会います。女王の心を溶かすのは“優しい心”と“愛の力”
18世紀末のロンドン。エレファント・マン(ジョン・メリック)<藤原竜也>はその奇形から長く人に迫害されながら育っていく。見世物小屋にいたメリックは若くして地位を得た解剖学者トリーヴズ<今井朋彦>と出会う。ロンドン病院で保護され暮らしていくメリックに普通の人生を送らせようとトリーブズは努力するが周囲の好奇の目は止まない。そんな中女優のケンドール夫人<小島聖>がメリックの元を訪れ二人の交流が始まり、や
第12回せんがわ劇場演劇コンクールグランプリ受賞記念公演。劇場を舞台にした2つの二人芝居。【舞台編】舞台は、劇場の公演準備前の舞台。俳優がひとり舞台の上にいると、台本の台詞を正確に喋る見知らぬ男が現れる。それはすでに削除されたはずの台詞だったー。劇に登場しなかった登場人物とその役を演じるはずだった俳優の物語。【客席編】舞台は劇場の客席。劇の結末に納得できない登場人物と、人生でたった一度だけ見た劇の
一輪車作品の演劇的可能性を追求すること。オブジェクトシアターとして発展させること。技術を担保にしたパフォーマンスにおいて、おどかす派手なショーではなく、芸を作中に溶け込ませた演劇作品として発展することを目的に据えている。食事と排泄、ドレスの着脱、口紅を使う化粧などのシーンを一輪車の乗降とともに進行することで、器具が彼女の脚や背負った業など様々なメタファーに変化する異質な存在として描き出す。
京都駅から南東に伸びる京阪沿線の高架下に、ポツリと佇むダイナー「water lily」。経営者の桐野京子は、コーダである20歳の息子、ひかると静かに暮らしていた。ある日、ひかるは恋人である森田優子をダイナーに連れてくる。すぐに意気投合する京子と優子であったが、次第に、優子に隠された過去が明らかになる。COVID-19が猛威を振るう中、宙に描く、あなたの指先が燃える時、悲劇が起こる。桃色声劇第二弾で
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日本を代表する舞台美術家 堀尾幸男、石原敬のドキュメント、インタビュー。
2.5次元ミュージカル/舞台
元藤燁子は、土方巽由来の舞踏の表現を「マンダラ」として捉え、踊りに美術や照明、音楽が共鳴する舞踏の表現を目指してきた。そしてまた、文化が爛熟した江戸時代の粋で洗練された表象を自らの舞踏に取り入れることにも努めてきた。本作では、アスベスト館の小ぶりな空間を生かして、元藤はその卓越した舞踊の技術をもって小粋な踊りを披露しつつ、舞踏手たちの技術的な習練の成果を生かした作品に仕上げている。