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ミュージカル『刀剣乱舞』 五周年記念
名だたる刀剣が戦士の姿になった刀剣男士を育成し、歴史改変を目論む敵と戦う大人気PCブラウザ・スマホアプリゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」(DMM GAMES/Nitroplus)を原案とする、ミュージカル『刀剣乱舞』。「五周年記念 壽 乱舞音曲祭」は、2015年10月のトライアル公演から始まったミュージカル『刀剣乱舞』が5周年を迎えるにあたり、応援してくださった皆様への感謝を込めて上演され、これ
ヒエラルキーのない関係性で実験的な創作に臨むドイツの女性パフォーマンス集団、She She Popは、ベルリンの壁によって東西にそれぞれ分かたれて育った女性たちや、メンバーの実母など、さまざまな人々とその人生の物語を舞台の上に招き入れてきた。思春期の少年少女たちの悲劇を描いたフランク・ヴェデキントの戯曲『春のめざめ』と、強烈な性描写で議論を巻き起こしたE.L.ジェームズのベストセラー官能小説『フィ
東京郊外の星川眼科医院。医院長の賢一は、閉院を決意した。そして賢一は、医院に三〇年間勤め、彼の一人娘の母親代わりをもつとめた看護師の陽子に蓼科のコテージをプレゼントし、勇退。これで一件落着。ところが「先生、私、嘘をついていたんです。ここはどうしても、先生に辻褄を合わせていただかないと」「私、死ンジャウワ」とまでは言わないけど、ともかく、賢一、その嘘にノルことになって初冬の蓼科へ。陽子の看護学校時代
劇作家・西尾佳織によるレクチャー・パフォーマンス。5歳から5年半をマレーシアのクアラルンプールで過ごした西尾は、2018年、奇縁からマレーシア各地の日本人墓地に眠る人々のリサーチを開始した。墓地に眠る8割はからゆきさんと呼ばれた日本人女性だった。東南アジアへ渡り、娼館勤めをした彼女たちの足跡をたどった旅についての語り。
(フライヤーより)一年の締めくくりにはこの笑顔。そう、とあるレストランの一日をショートショートのお芝居とファンタスティックな音楽でつづる「à la carte(ア・ラ・カルト)」。楽しくって、セツなくって、今年もいろいろあったよなとか、来年も(は?)いいことありますようにとか、そんなことを少しシミジミ思っちゃいましょうか?だって、ほらね。目の前にはこんなにおいしそうなニッコリがあるんだものね。
2002年、ひとりの母親(オンナ)が仁義なき戦いで咲き乱れる!■ものがたり貧しくもしたたかに生きる母と高校生の娘、父親代わりと母子家庭に居候している性的に不能で無職の男。キリスト教信者の母は娘を神の子と呼び愛情を注ぐが、母に反発する娘はチンピラと家を出てしまう。一人残された彼女を支えようとするやくざ男と勤務先の店長。しかし彼女への思いの強さが周囲に悪影響を及ぼし始め、人々を狂信的な行動へと走らせる
戦後日本を代表する作家、三島由紀夫がカンボジアの城塞都市遺跡アンコール・トムに着想を得て、実在のカンボジア王ジャヤ・ヴァルマン七世を主人公に描いた最後の戯曲による舞台。カンボジアの伝統舞踊、音楽の担い手を招聘して実現した国際共同制作作品。十二世紀末のカンボジア。栄華を極めた偉大な王が己の夢と希望を託し「アンコール・トム」そして「バイヨン寺院」を造営していく雄大なロマンをアンコール王朝の衰亡を背景に
ある漁村にふらりとやって来た女アミコは異常なほどの蟹が好きだった。身寄りのないアミコを家に置いてやる漁師の男ゲソン。女を追ってアヤしい男がやって来て事態は混乱する。やがて、アミコはカニを食べ過ぎてついに蟹アレルギーになってしまう。もう蟹が食べられないと悲しむアミコ。そんな頃、漁師たちは数々の漁師の命を奪った伝説の13本脚の蟹との闘いに挑むのだった。
バス停――。男がバスを待っている。女が声をかけてきて、男に棲み付いた。別の女がやって来て、男は二人の女の深みにはまった。また別の男女がやってきたころには、男はすっかり彼等の手中。ところで…本当にバスはやってくるのだろうか…。兵庫、東京(「別役実祭りin俳優座劇場」参加)、モスクワ(「チェーホフ国際演劇祭」参加)で上演。
弦巻楽団旗揚げ20周年記念公演。約5年ぶりとなる、弦巻啓太書き下ろし新作による本公演。札幌のほか、帯広、苫前でも巡演。まもなく廃校を迎えようとしている中学校。ただ一人の3年生は、最後に演劇部の大会に出たいと希望する。過疎が進む北海道の地方を舞台に、取り残された若者と、取り残された大人たちの“人生の9月”についての物語。
ここは狗奴の国。邪馬台国との戦に備えなんだか周囲は殺伐としている。そんな中、ある集落のはずれに間抜けな三兄弟を中心にした家族が住んでいた。彼らはとても愉快に暮らしている。しかしある日、不思議な男が紛れ込む。「うわ、早く追い出さないと」「だけどあの人、泣いてたよ!」 弥生時代を舞台に〝現在〟を描く。私たちは誰に優しくしたらいいんだろう?
失うことが進化だとすれば、僕たちはこれからもどんどん失うだろう。どんどん失って、いつかすぽんと消えてしまう。失ってゆく、というのはどういう感覚なんだろう。失いつつあるそのさなか、ひとはなにを思うのだろう。忘れることと失うことはいったいどのくらい違うのだろう。僕は毎晩僕の尾骶骨に問いかける。ちいさな骨が寄り添うように集まった、その名残の部分に問いかける—— ひとりの男とその妻、女、
1903年大阪万博で起こった学術「人類館」事件をモチーフに、沖縄近現代史が描かれている。しかし、歴史の流れをそのまま反映したのではなく、時間と空間が交錯する中で、沖縄戦やベトナム戦、そして復帰運動など沖縄を取り巻く出来事がダイナミックに描かれている。反植民地主義・反戦劇。戯曲「人類館」は、二つの構造を持っている。人類館を起点として、そこでまき起る、もしくはまき返される幻想(回想)シーンの、恣意的、
(フライヤーより)環状線ラプソディ『終着駅』翔べない天使(エンジェル)が数羽和(やすらぎ)もとめて輪を描く話[かいせつ]終戦直後の不思議に明るい猥雑さのなかで、漂うように死んでいった男たち——失われた戦後空間を見直す、静かな意志を秘めた結城昌治の秀作を今人気の若手劇団のホープたちが演じます。青山円形劇場の空間に、この秀作の感動がひそやかにうごめきはじめています。これはドラマでもミュージカルでもない
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
くちびるの会 長編本公演第8弾。《あらすじ》人がワニになる変身譚。倉庫で派遣作業員として働く大貫(おおぬき)の心は孤独に苛まれていた。ある日、大貫はカップ焼きそばに祈りを捧げた。「僕の様な孤独な人々を救って下さい!ペヤング!」それから、同じ倉庫で働く同僚を皮切りに、街の人々が次々とワニになる怪異が頻発する!生きるのが下手くそな人々がどうにも愛らしくてたまらない、人間賛歌の物語。
火曜日のシュウイチ
その日は灼熱のビーチで迎えるクリスマス。浜辺に佇むひとりの男。相棒はウクレレとデッキチェア。そして傍らには渡しそびれたお歳暮の箱。それは忙しかった日々が嘘のような、ゆったり過ごす年の瀬。そんな穏やかなビーチに巻き起こった事件とは!?箱の中身は一体何なのか!?
マレビトの会の松田正隆がタルコフスキーの映画『ストーカー』等を下敷きに書いたSFメロドラマを、維新派·松本雄吉の演出で上演。舞台は、隕石の落下によってできた巨大な穴を抱える都市。段丘上に広がる街(舞台装置)のあちらこちらに、穴の周囲に設定された立ち入り禁止区域「ゾーン」の案内人とその家族、 死者と再会するためにそこを訪れる人々の人間模様が配置される。ゾーンで過ごす死者との時間は幻にすぎないのか、穴
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「あらゆるやわらかいものは、やがて硬いものの支配下におかれるだろう」と土方巽は言った。「硬いもの」とは何か。鉄か、風に耐える丸太の皮か、精神の硬度そのものか?「ヨーロッパの踊りは結晶、ダイヤモンドです。その皮をこうむいてね、朝顔ですよ、舞踏は」とも。舞踏とは何か、日本人の肉体とは何か。「花」「エロス」「結晶」をテーマにシャープで硬質な舞踏を展開、肉体のもつロマンティズム、エロティシズムを描く。
KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭の公募プロジェクトで選出され、2年にわたりリサーチと制作に取り組んできた、松本奈々子と西本健吾によるパフォーマンス・ユニット「チーム・チープロ」。2021年に発表された『京都イマジナリー・ワルツ』では、明治期の京都・祇園に実在した"ダンス藝妓"をめぐるリサーチを経て、都市・生活空間で想像上のだれかとワルツを踊り、触れること・想像することを問う舞台
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
「街」と「街」の境界が、住民や通行人の多数決で日々変動する時代を描いたSF作品。特徴の乏しい場所はどの街にも属さず、宙ぶらりんの隙間として残されている。その隙間に暮らす文子は、恋人の斎藤から結婚と隣街への引っ越しを提案され、迷っていた。そんな中、空き巣の塩村が部屋に侵入し、私物を少しずつ持ち去っていく。やがて時間の流れと共に、変動する境界は街の隙間さえも飲み込もうとしていた。
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「多すぎた札束」「夜の笑い」に続く飯沢匡と青年劇場が贈る風刺喜劇。金大中事件にまきこまれ平和そのものだった婆さんの家庭はすっかりひっくり返ってしまうが、気丈な婆さんは市民の知恵を振り絞りクイズ番組を逆用して巨悪の根源に迫っていく。
(フライヤーより)一年のしめくくりにはこの笑顔。そう、ショートショートのお芝居とファンタスティックな音楽でつづる不思議の国のレストラン「ア・ラ・カルト」。選りすぐりのメニューを胸いっぱいに食べながら、今年もいろいろあったよなとか、来年も(は?)いいことありますようにとか、そんなことを少しシミジミ思っちゃいましょうか?
EX TELEVISION
白虎社のビデオ作品「光の王国」(オーストラリアにて撮影、東京国際ビデオビエンナーレグランプリ受賞)から始まり、番組レギュラーの上岡龍太郎が大須賀にインタビューする形で番組が進む。「出前芸術体」のビデオ、「熊野夏季舞踏+芸能文化セミナー体験合宿」についての取材映像、ニコンCM(ヨーロッパ・バージョン)なども挟みながら、大須賀の人物像や芸術観、白虎社の活動を広く紹介する。
ロシアの劇作家チェーホフの〈四大戯曲〉のひとつ。47歳の中年男性、鬱憤でいっぱいのワーニャとその姪・ソーニャの物語。田舎屋敷で展開する愚痴の応酬、惨めな失敗に終わるピストル騒ぎ……。地点による初演は2007年。2018年の新演出では、チェーホフによるサハリン島までの旅の記録『シベリヤの旅』をコラージュ。ルポルタージュの先駆けとも言われるこの手記により、チェーホフの冷徹とも言えるまなざし、その視線が
遠藤は1970年代に渡欧し、マックス・ラインハルトセミナーに学び、以来長年ドイツと日本の二拠点で活動している。本作は東北大震災直後の日本に寄せる思いを作品化した。自然災害としての地震、人災としての原発事故、そして人々の悲しみと再生への希望が語られる。2012年10月、ハノーファーのTheaterwerkstattで初演。
ある日、彼は同僚の女性にひどく怒られた。しかし3日後、その内容をどうしても20パーセントしか思い出せないでいた。鮮やかに憶えているのは彼女の前歯についていた口紅の色だった。
「柴まだわかんないの?」「あ、わかったかも。」■ものがたりチンピラになりきれない男は、仕事のため暫くの間地元を離れるという仲間から庭の防空壕に暮らしている人々の世話を依頼される。小学校時代の同級生ら4人を15年間閉じ込めているというのだ。不便な地下生活にもかかわらず、無邪気で無垢な彼ら。世間に愛想を尽かした在日外国人の男も純粋でどこか甘美な地下生活に魅せられていく。束の間の交流は、仕事を失敗し帰郷
さいたまゴールド・シアター第5回公演
基地の中に一軒の家があった。その家には、神のお告げを聞くことが出来る“ミラ”と呼ばれる老女と、若い姉妹が住んでいた。ある日、基地のフェンスに沿って島を南北に貫く国道、通称「ルート99」で島の名菓がバラまかれるという事件が起こる。翌日警察は商品を港へ運んでいたトラックの運転手を逮捕する。と同時に一人の映写技師が消息を絶つ。基地内の映画館で働くそのタチバナという若い男は、ミラの家で暮らす姉と密通してい
作品ノートHetero= 異なる一つの性・身体・空間と、二つの性・身体・空間私の中の視界いつの間にかあなたに映る私それぞれの内の景色と外からの視点が重なる時間その境界に立ち現れる、もう一つの時間
どこにいるのか、袴垂れ。どこへいくのか、袴垂れ。 理想を掲げた共同体がどこから生まれ、どこへ行きつくのか…現代日本の抱える問題に鋭く切り込む!軽快で絶妙なセリフの応酬、変幻自在のムーブメントに乞うご期待!
「モンテ・クリスト伯」という題材を選んだのは、かっこいい言葉がきら星のようにちりばめられているからだ。「モンテ・クリスト伯」というストーリーを再現するのではない。アレクサンドル・デュマが書いた言葉を、百何十年か前に書かれた瞬間の鮮度で再現したいのだ。おしゃれでカッコいい、スピーディーでスリリングなコンサートのような舞台として上演しようと思っている。
特別養護老人ホームで働くフィリピン出身の介護士が、舞台上で日々の仕事を再現し、自分自身のことや母国にいる家族について語る——取材を重ね、現実の出来事をもとに制作する演出家、村川拓也。福岡の介護福祉施設を対象にリサーチを行い、本作を制作した。「Pamilya(パミリヤ)」はタガログ語で「家族」を意味する。フィリピンからやってきた介護士と、介護を受ける日本人の間で、もうひとつの「家族」の物語が始まる。
地上を あとに 水を 纏いに 行く。 人を 脱ぎ 新しい 喪の ドア。机 上に 盲 目の 自己家畜化家達。 ソックスを脱いで わたしの 身がわりを 飲みに行く。座るのはまだ早い。
小説家・宇佐美章が亡くなって、まもなく100日法要。蓼科の山荘に暮らす未亡人・加奈に呼ばれた3人の男たちが訪ねてくる。引き出しの奥に残されていた一枚の写真を巡り、事態は思わぬ方向へと転がっていく・・・
妻は夫に嫌気がさし、地方都市にある実家に戻って一ヶ月が経つ。離婚しか考えてなかったが、夫が一向に会いにこないことに腹を立てていた。ある日、妻は町で夫の後ろ姿を見かけ、後を追う。そこで再会したのは、荷物も携帯も持たず、自分の住所さえも知らない夫だった。夫は自分の足取りを調べる内に、東京にも自分自身が存在していることを知る。妻の兄は、このドッペルゲンガー事件を調べ始めると、この町には過去に同じような事
橋浦勇によるダンス公演。ジャンルの垣根を越え、異なるダンスの融合を図った実験的な企画として、1986年2月にダンス・アト・ザ・ギャザリング第1回目「グリムふぁんたじあ」が青山円形劇場で開催されたが、本公演はその第2回目。青山劇場ではミュージカルや演劇など比較的観客規模の大きい公演が上演されている一方、青山円形劇場では実験的な公演が多く開催されており、ダンス・アト・ザ・ギャザリングもそうした企画のひ
あの「パリ、テキサス」の原点がここに――。荒野をゆく孤独の影。愛と憎しみのブルースが聞こえる。コヨーテの狂騒の中、男たちの野生が目覚める。楽園から荒野へ、兄弟の宿命の闘いがいま――。
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幻の夏を追い求めて・・・まだ早い夏の初め。残された夏の少なさに気づいた営業社員・目白は、海から来た夏の使者・せい子とふっ子に誘われて、深海の財宝を求めてカツオ船『楽勝丸』へ向かった。ハリケーンに沈んだロシアの軍艦ディアナ号の財宝をめぐる冒険は真夏の太陽を耐え、残暑厳しい夏の終わりへとクライマックスに向かう…。
実在した幕末の集団「エレキ隊」。公演に先立ちエレキ隊という名のビジュアル系バンドを結成し、ライブ活動を開始。バンドと演劇の垣根を越えた公演形態を模索し、客席までもが演劇の観客とバンドの観客の融和を果たした注目作。
南河内万歳一座旗揚げ20周年ファイナル公演
錆びたナイフとは、私達自身のこと。薬品漬けの健康と飲尿による民間療法の間でゆれ動く、私達の体内との会話との会話を笑いと共に混乱してみる。
外科医である本坊の父とグリム童話『青髭』をモチーフに、医師の戦争犯罪である『生体解剖実験』と絡め、破格の語彙と圧倒的なストーリーテリングで、戦後日本の闇の病巣にメスを入れる。閉ざされた扉の向こうは、偉業か悪行か。青髭は英雄か悪人か。舞台は日本海が一望できる海岸線。壮大な自然の美しさを背景に、観客の心身を最大限に揺さぶる『零れ落ちて、朝-Toyooka edition-』として再誕。
世田谷シルク第11回公演
クリスマスの晩、チルチルとミチルは、老婆の娘の病気を治すために、幸せの象徴とされる青い鳥をさがしに旅に出ます。行先は、「思い出の国」、「夜の国」、「森の国」、「死の国」、「贅沢な国」、「やさしさの国」、「未来の国」。しかしどこに行っても青い鳥は見つかりません。そこで二人は帰宅し老婆にそのことを告げようとすると、老婆は家の中にずっといた鳥を欲しがりました。よく見ると、その鳥は青く変化していたのです。
劇団 夢の遊眠社第43回公演・解散公演
1981年10月、駒場小劇場で初演された初期の代表作。92年9月~11月、劇団 夢の遊眠社解散公演として、近鉄劇場、シアターアプルで上演された舞台を本アーカイヴに収録した。<あらすじ>無法松は、百十億年のあいだ、人力車を引き続けてきたのだが、車にのっていたはずの「ぼんぼん」が消えた。ゼンダの森にある城の前、赤頭巾という少年が、門を押し入ろうとしている。少年十字軍を気取っている三人トーマ、ユリスモー
辛くも全滅を免れた「東北バナナン軍団」の臨時幕営では、男たちが飢えに苦しんでいた。戦闘よりもむしろ飢餓で倒れていく仲間たちを救うべく、男は生き残りをかけた東北特産フルーツの生存戦略に身を投じていく…。
いつでもないいつかどこでもないどこか城の天守閣に棲む美しき物の怪、天守夫人・富姫。魔物が住むと恐れられ、誰も寄りつかない天守へ一人の若者が現れた。城主お抱えの鷹匠、図書之介である。逃げた白鷹を探しに来た図書之介に一目ぼれした富姫は、掟を破り彼を生かして帰してしまう。禁断の出会いが導く、妖しくも美しい愛の結末とはー
大人気覆面マンガ家・夢宮鈴世が亡くなった。連載中の『スパ戦士グローカスの娘』が多額の制作費・宣伝費をかけて配信されるのを直前にして担当編集者・大庭津奈子は死因含めその事実を伏せ、チーフアシスタントだった申徹に夢宮鈴世として描き続けるよう依頼する。申徹は夢宮鈴世として描くことを了承する。大庭が元漫画家のフーコー三原だったことが露呈する。申徹の作家としての実存性と、出版や創作をめぐる構造が対立する。
重大なミッションを果たすべく、イン・ビトゥイーン号が、四人の乗組員と一体のアンドロイドを載せて、宇宙を漂泊しています――『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では、内容的な〈リアリティ〉と形式的な〈リアリティ〉、どちらの〈リアリティ〉も複数、並列的に提示されます。演劇において、舞台の上で、せりふがある言語で発される……。そのことの意味・機能についても、『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では複数のそれら
紀元前221年、圧倒的な野望の力で戦国の中華をついに統一した秦の始皇帝は、死を間近にして、東海の彼方に浮かぶという神仙の霊山に不老不死の夢を抱き、奇跡の果実を探そうとする。命を受けた方士ジョフツは三千人の童男童女を従え、歴史的大移民船団を仕立てて東の海へ漕ぎ出し、大航海の末、ついに日本の富士山麓にて不老不死の実『ときじくのかくのこのみ』を見つけ出したか、そうでないのか。その後、ジョフツは秦に帰るこ
劇団初のチェーホフ作品。湖畔の田舎屋敷を舞台に、作家志望の青年トレープレフと女優を夢見る乙女ニーナの関係を軸に、屋敷に集まる人々のさまざまな恋愛模様が描かれる。この群像劇を自己実現の病に苛まれた現代人の苦悩の姿と解釈し、「剥製たちのボードビル」として上演した。初演は2019年、劇団創立35周年記念公演。その後2023年にルーマニアのシビウ国際演劇祭に招聘され大きな話題となる。
ガリラヤ領主ヘロデ。彼は妃の娘である王女サロメにただならぬ目線を向けているが、その目線に耐えられなくなったサロメは、自分のお目付け役である若いローマ人の男と関係を持つようになった。その逢瀬の際、預言者ヨカナーンの存在を知った彼女は、彼が閉じ込められている井戸に向かう。預言者との接触は王により禁じられているのだが、サロメは色仕掛けで見張り番であるシリアの青年に禁を破らせて預言者を見てしまう。
ワハハ本舗全体公演
この公演企画としては、シェイクスピア劇専門の旅一座として結成された「青空シェイクスピア座」が、紆余曲折を経て、殿堂のグローブ座で公演が打てるようになった物語を、漫才やダンスやパフォーマンスを劇中劇にふんだんに盛り込みショースタイルありの構成で、一座の奮闘劇を描いた作品です。シェイクスピア作品のタイトルや登場人物をモチーフにワハハ本舗ならではの表現スタイルが楽しめます。
私たちは、家族だった。結婚式場の控え室。新婦の女はウェディングドレスに身を包み、煙草に火をつける。彼女の視線の先には、初老の男たち二人。夫婦のようにも見える彼らのやり取りを“娘”である女は慣れた様子で眺めていた。“父”の一人である男の走馬灯として語られる、奇妙な家族のありふれた物語。
明日の学童クラブ主催夏祭りでは、指導員、父母、子どもたちによる演劇「冒険者たち」が上演される、今夜が最後の総稽古。実はこの学童クラブ、市の方針で廃止が検討されているという。是が非でも「冒険者たち」を成功させなければならないのだが…