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一人の男が地球という悪夢の世界に堕ちてきたその男には、教育という名の拷問が待ち受けている
1983年にニューヨークのセントマークス教会で100名のパフォーマーによって公演された作品を元に、よりそのパフォーマンスを凝縮、様々なアングルやスローモーション、モンタージュ、サウンドスケープなどを駆使し、私たちが目にする空間をはるかに超えた空間を包み込む新しい映像的コレオグラフィーを創り出した。
1300年前の風景がいまだに残る国東半島の自然や神仏習合の文化 、半島での暮らしとそこに流れる時間を感じながら巡る一日の体験。食事も含めて、その体験がひとつの作品として提示されるのがアートツアーです。今回は演出家・飴屋法水と小説家・朝吹真理子をはじめとするメンバーが国東半島に滞在し、現地の子供たちと出会いながら、作品を製作。アーティストたちが選んだ国東半島の魅力的な場所を巡り、ひとりひとりの体験が
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
人気コンテンポラリー・ダンサーの伊藤キムが繰り広げる秘密のパーティ、あるいは一夜の夢のようなパフォーマンス。伊藤ならではのユーモア、けれん味、アングラのイメージがエネルギッシュに炸裂する、見所たっぷりの49分の映像作品。伊藤キムとサックスの梅津和時の共演に加え、11名のダンサーたちが「東京令和アングラダンサーズ」として荒唐無稽に狂喜乱舞。
恋人と新居に引っ越してきた篤。友人夫婦が遊びにやってきた夜、篤の元恋人の死体が発見された。東京タンバリンの新シリーズ「笑えるサスペンス」第2弾。フットワーク・スタッフワーク・上演時間などすべて軽く、国際公演も視野に入れたシリーズ。
都会から遠く離れた山里にある、名もない湯治宿にやって来た人形師の親子。父親の方は身の丈が三尺ほどしかない小人症の老人で、息子は表情がなく仮面のような顔をしている。ふたりは上演依頼の手紙を貰ってこの宿に来たが、地元の湯治客に訊いても、ここは無人宿で、そんな手紙を出す者などいないと言う。依頼主不明のまま、帰る手段がなくなり、仕方なく一泊することに。風変りな親子と湯治客らの奇妙な一夜がゆっくりと過ぎてゆ
若手バレエダンサーを中心としたガラ公演の14回目。第14回の副題は「バレエと変容」であり、「20世紀のバレエ・ダンスの流れから次の世紀のありようを探り」、「クラシックバレエからコンテンポラリーダンスまでその表現の違いを探る」ことが目的だ。第1部の「99ローザンヌ国際バレエコンクール受賞者によるバリエーション」では、98年、99年に開催されたローザンヌ国際バレエコンクールの上位入賞者が古典作品を踊っ
烏丸ストロークロック×五色劇場
広島原爆投下、復興と分断、今なお、連帯を乞うて広島原爆投下、広島の観光名所の一つ「平和記念公園」。その緑豊かな公園は昔、「中島地区」と呼ばれる賑やかな繁華街だった。そこで栗原チエ子は生まれ育った。二〇一六年、初夏の平和記念公園。無数の木々の生い茂る広大な公園を、チエ子は介護者と共に歩く。脳裏に浮かび上がる、かつて存在した中島地区と人々は、やがてチエ子の眼前に現れる。「うちゃあ何も見えとらんかった」
夜逃げした誰かのアパート、その捨てられた箪笥の中からびっくり仰天街ヘ迷い込む!先行き不透明な中、我々はどこに向かっているのだろうか。気が付けばそこは、入り口も出口もわからぬびっくり仰天街。逃げ出すつもりが近付いたり、堂々巡りの現代と私たちを遊んだ作品。
作品ノート:四人の女性を一人の女性が演じる。
1970年春学期、カリフォルニア州立大学フラトン校で教えていた邦正美の尽力により、同校に舞踊学科が新設された。本作は、舞踊学科としての初公演で発表された邦の新作。空間の変化が主題となっており、「空・動・至福・苦悩・瞑想・環境・休止・空」という8場面構成、66分の作品である。映像はおそらくドレスリハーサルの一部で、「動・至福・苦悩・瞑想」を収録している。元々は5月7日~10日に上演予定だったが、学生
日本コンテンポラリーダンス界のゴッドマザー黒沢美香の代表作「ジャズズ・ダンス」黒沢美香の代表作「ジャズズ・ダンス」は、1992年に初演をむかえ、本公演で12回目の公演となります。ジャズ音楽の形式をダンス作品の構造に持ち込み、即興をベースとして進行される当作品は、ダンサーの力量や感性等によって大きく左右され、また公演毎に様々な表情を見せます。また、今回は生演奏でのミュージシャンとの共演により、舞台芸
大駱駝艦の女舞踏手として70年代を共に過した田中陸奥子と古川あんずによる「紅絹(もみ)の会」発足記念公演。「紅絹」とは、 緋紅色に染めた極薄の平絹で、べにばなを揉んで染めることからその名がある。チラシには、アイラ・ガーシュインが作詞した「言い出しかねて(I can't get started)」の訳詞が掲載されている。
一輪車作品の演劇的可能性を追求すること。オブジェクトシアターとして発展させること。技術を担保にしたパフォーマンスにおいて、おどかす派手なショーではなく、芸を作中に溶け込ませた演劇作品として発展することを目的に据えている。食事と排泄、ドレスの着脱、口紅を使う化粧などのシーンを一輪車の乗降とともに進行することで、器具が彼女の脚や背負った業など様々なメタファーに変化する異質な存在として描き出す。
OSAKA DANCE EXPERIENCE
久し振りに生まれ育った街を歩いてみた。どぶ川の蛸焼き屋、寂れた銭湯の煙突、高さ1mほどのトンネル…懐かしい風景の隙間に、見覚えのないカラオケボックスやコンビニエンスストアが立ち並んでいた。幼い頃、何の違和感もなく過ごしてきた街に、こころとからだを浸してみると、蓄積された時間と空間の中から、不意に何かがこぼれてきた。私はそれが、またこぼれてくるのを、だたひたすら待っていた。
原作はミヒャエル・エンデ。劇団創立70周年記念作品として取り組む。ミヒャエル・エンデの描くファンタ―ジエンの世界観を人形劇として表現する。自分の思いのままになる本の世界の中で、本当の自分の望みや自分自身のことさへ忘れてしまう主人公バスチアン少年。バスチアンに寄り添うアトレーユと幸いの竜フッフールとの友情で元の世界に戻ることが出来たバスチアンが見つけた、本当の望みとは?
「見えない壁」等の一般にイメージされるいわゆる「パントマイム」に囚われず、ダンス・コント・台詞芝居・歌・プロジェクションマッピング、そしてYouTubeでのメインコンテンツであるワンカット撮影といった様々なパフォーマンスをミックス。 パントマイムならではの身体性や空間の使い方を際立たせ、YouTubeのファンもそうでない人も、老若男女誰しもが楽しめるようなエンターテイメントを目指して構成されてい
重大なミッションを果たすべく、イン・ビトゥイーン号が、四人の乗組員と一体のアンドロイドを載せて、宇宙を漂泊しています――『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では、内容的な〈リアリティ〉と形式的な〈リアリティ〉、どちらの〈リアリティ〉も複数、並列的に提示されます。演劇において、舞台の上で、せりふがある言語で発される……。そのことの意味・機能についても、『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では複数のそれら
日本伝統文化振興財団創立25周年記念公演
日本伝統文化振興財団創立25周年を記念し、歴代の日本伝統文化振興財団賞受賞者のなかから19名が参加して開催された。平成30年度(第73回)文化庁芸術祭協賛公演。プレゼンター 野川美穂子(東京藝術大学音楽学部講師)狂言「柿山伏」 シテ(山伏) 山本泰太郎 アド(柿主) 山本則孝琉球舞踊「かせかけ」 (古典女踊「綛カシ掛カケ」) 舞踊 佐辺良和 (地謡)歌・三線 仲村逸夫 箏 池間北
そこは、日本海に面した温泉街。海と反対方向に車を走らせれば、桜山という低い山があり、春ともなればその名の通り、満開の桜が咲く。その温泉街にある小さな旅館「コウノ」。田渕鶴吉は長男・礼王が到着するのを待っている。先に着いた娘夫婦たちはそれぞれの時間を過ごしているらしい。鶴吉はガンだ。遺言状を書くために子どもたちを旅行に誘ったのだ。穏やかに話そうと思っていた鶴吉の思いとはうらはらに騒動を持ち込む子ども
Eラーニング(日本演出者協会)
⑥ 映像このシリーズでは、舞台にまつわる映像の仕事について、講義と対談形式で詳しく紹介します。舞台映像が登場してから約四半世紀。比較的新しい業界のため、アーカイブされてきた情報が多くないのに加えて、技術革新によって大きく変化する演出方法のため、情報は常に最先端が求められます。方法や知識だけでなく、黎明期から現在に至るまで「どのようなマインドが舞台映像業界を盛り上げてきたのか」を中心点に置いて、構成
(フライヤーより)KOUSKY(コウスキー)とはチェコ語でKOUSKY〈断片、部品〉の複数形。英語でなら、〈PIECES〉。そして、チェコを拠点にヨーロッパで活躍する日本人の人形劇作家・沢則行の小作品集のことです。
軍靴高なり、紙切れ一枚で次々に命を刈り取られた冬の時代、東北の山村で人間らしく生きることを譲らなかった大人たち、子供たち。ともに涙し、笑い、苦悩する教師たち。くらしと芸能の中に、人々はいのちへの愛をつないでいく。
歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」(初演1748年)をもとに、関ヶ原の合戦から100年、討ち入りという祭典に向かって疾走する若者たちを主人公に、平田オリザが書き下ろした新作を100人の県民出身者を得て、ワークショップ形式にて制作する群衆劇。“討ち入り”という大きな運命の浪に翻弄される若い義士たちの疾走ぶりを、恋愛、家族、経済的事情といった個別のエピソードを交えながら描いていく、駿河湾を背後に抱く清水港イベ
子供達から羨望の眼差しを受けるヒーローショー。しかしその裏側は、そのステージを望む者と望まない者の清濁合わせた、出演者達。ヒーローショーの楽屋で起きる、夢を追う人々の挫折と諦めと夢の終わりの物語。
『父と暮せば』で原爆投下後のヒロシマを描いた井上ひさしが、桜隊の史実をもとに原爆投下直前の広島の3日間を舞台に、戦時下でも演劇を愛し、芝居の力を信じ、「一人ではできないことをしている、一人の人間の力をはるかに超えたなにか大きなもの、なにか豊かなもの、なにかたのしいもの、それを望んで、それをたしかに手にいれている」と身も心も捧げた人々の苦難と喜びを、笑いと歌声を交えながら描く“演劇讃歌”の物語。
初日の幕が開く直前、パレスチナの俳優が一人こない。俳優たちは、満席の客を前に、この危機をどう乗り越えようか途方に暮れる。すべてを賭けて稽古してきた日々を思いながら、俳優たちは即興で舞台をやり遂げようとする。ティティはパレスチナを語り、日本人、在日朝鮮人は自分を語る。わたしたちは何故演劇をやっているのか?わたしたち、とは何なのか?パレスチナと日本の異なった現実が交錯し、溶けあい、同時代を生きるわたし
木下順二・宇野重吉コンビによる民話劇の上演。木下順二作「おんにょろ盛衰記」「三年寝太郎」の2本立て公演として〈宇野重吉一座〉ののぼりを立てて全国の市町村を巡演。
第八次半世界大戦が第八次半世界大戦が勃発している中、燕と人間を合体させた超生物ヒューマンツバメが誕生していた。ヒューマンツバメは空と陸を謳歌し、争いの連鎖から解き放たれようとしていた。長女の夫に国防軍への招集令状が届いたのだ。「ヒューマンツバメになれば徴兵は免れる」ただし、ヒューマンツバメになるという事は人間の記憶をほとんど失くすという事だった。家族のそれぞれが大切な人のことを思い選んでいく物語の
旧人類は500万年間進化しなかった。そこに現人類が現れ、他種の殺戮をはじめた。手や知識が「力」となり、創意工夫が文明を発展させていく。やがてヒトは全能な力を崇拝する共同体となり、同じ力(神)を信じない者への弾圧は残虐を極めた。そこで、他者との共存を図るため「寛容」という概念が生まれる。共同体はしだいに国家となり、暴力を独占していく。武器は、鈍器なものから鋭利なものへ発達し、弾丸となりやがて情報とな
宇野重吉の台本・演出による近代劇の2本立て公演のうちの1作。山本有三作「嬰児ごろし」との併演。本作、武者小路実篤作「息子の結婚」は1980年11月の各地公演から翌年の東京公演まで大竹しのぶが客演。
舞台 Lyrical Lily
2.5次元ミュージカル/舞台
(フライヤーより)夢と野望がうずまいた時代 心に国境をもたない女がひとりいた。
日本全国 能楽キャラバン!沖縄特別公演 ガンガラーの谷公演(洞窟能)
三保の松原に住む白龍は、松の枝に掛けてある美しい衣を見つけ自分のものにしようとするが、天女が現れ返してほしいと懇願する。天女は白龍を説得し、羽衣の引渡しを条件に舞を舞い、そのまま天空へと帰って行く。
現代演劇カンパニー 中野成樹+フランケンズの公演。A・Bの2プログラムを新宿シアタートップスにて実施。Bプログラムは、小野晃太朗作『キックバック』(演出:中野成樹)、誤意訳レパートリー『寝台特急“君のいるところ”号』(原作:ワイルダー『寝台特急ハヤワサ』より、誤意訳・演出:中野成樹)を上演。
劇団☆世界一団が大化の改新を題材に、青春群像劇として東京、大阪で上演した。11人の役者で92人の登場人物の物語をテンポよく描いた。
母の名は春、七十八歳。娘の名は秋、五十六歳。元映画女優の春は、生きることに奔放で、自由を謳歌して暮らしてきた。そんな春に振り回されてばかりだった秋。今日も今日とて、春が救急車で病院に運ばれたという報を受け、慌てて駆けつける秋。だがそれもまた、目立ちたがり屋の春の狂言だったのだ。あっけらかんと笑う春に、怒り心頭の秋。そして、いつものように母と娘の壮絶な口げんかが始まった。そんな二人の姿はまるで二人だ
「幕末太陽伝」「貸間あり」「しとやかな獣」などの作品を残し、45歳の若さで他界した、奇才映画監督・川島雄三をモデルに、ひとりの映画監督の運命的な死の前日の一夜を描く小松杏里の代表作『銀幕迷宮-キネマ・ラビリンス-』。再演希望が最も高い、螳螂初期の魔界演劇が、今、満を持して下北沢・本多劇場に初登場!
満州鉄道を模して本物の線路を枕木・線路石と共に約30m設置し客席として作られた船がエンディングに線路の上を曳航する。公演モチーフは旧日本軍兵士の亡霊の彷徨いから始まり線路を歩く花嫁、インドの瘋癲青年の群舞、その中から現れる金色の仏の踊りなど、それ以前の主要なモチーフであった「ハレとケ」を織り交ぜながら以後の作品に色濃く現れる仏教思想に視線を置いた記念碑的作品
亡骸が腐敗し朽ちるまでを描いた仏教絵画【九相図】をテーマに脚本&演出家と、俳優、ダンサーが共にパフォーマンスを創作します。
-東京黙劇ユニット KANIKAMA collection vol.6
明治時代に活躍した稀代のジャーナリスト・宮武外骨、そんな伝説の男が現代の雑誌編集部にタイムスリップしてきた?ジャーナリズムとは何か、反権力とは何か。 現代社会に一石を投じる問題作――
主人公の男が押入れの奥から、昔よく履いていたズボンを見つけたことから始まる。それをコインランドリーの洗濯機に入れた所で、後ろのポケットに、何か大事なものを入れていたことを思い出す。ズボンは見当たらず、代わりに「あなたの過去を上演したいので、上演許可を!!」という、演劇部の女子高生たちが登場?!それを契機に「ラブレターを返して」と迫る昔の彼女など、彼の忘れたい過去が、記憶の渦の中から次々と現れて…。
争いが蔓延する世界を救うため、はるか遠い天竺まで経文を取りに行く唐の僧侶、玄奘三蔵。五行山に閉じ込められていた孫悟空は三蔵法師に助け出され、ともに天竺を目指す旅へ出ます。猪八戒、沙悟浄も三蔵法師の弟子となり、行く手をさえぎる妖怪たちや過酷な自然と闘いながら旅はさらに続きます。ついに一行は天竺へたどり着き、経文を受け取る事ができました。猪八戒、沙悟浄は天上界へ帰って行き、一人残された悟空は…。
25世紀。地球は、無くなる一年前を迎えていた。語り合う人間の男と宇宙人の女。宇宙人は今日、人間から名前をもらった。宇宙人は人間のことをたくさん尋ねた。人間は話した。戦争の歴史。日本の四季。神さまのこと。科学の発展。有名な小説。ほとんどがこの世界からなくなったものだけど、一年後には、本当に全てがなくなってしまうけれど、人間の男は宇宙人の女に聞かせてやった。宇宙人の女が死んだところから、物語は始まる。
大野一雄フェスティバル2010参加作品。1977年に初演された大野一雄の代表作「ラ・アルヘンチーナ頌」を、森村泰昌を始めとしたジャンルを超えたアーティスト達が、各シーンをそれぞれのアプローチで踊り継ぎ、現在の出来事として現前させる。
九州の海沿いの街で、今は亡き恋人の忘れ形見である一人娘、真波と暮らす凪は、父親は死んだことだけを話し、名前も教えていない。ある日、凪が営む食堂に、凪の大学時代の友人らしい白石という男が訪ねてくる。食堂に集う人々との会話から、凪の亡くなった恋人は在日コリアンであったこと、映画監督を目指していたこと、周囲の偏見や差別のため、二人は離れ離れにならざるをえなかったことなどが明かされていく。
(フライヤーより)いたずら好きのピノキオに、まわりはいつもてんてこまい。ピノキオを作ったジェペットじいさんも、ピノキオにだまされて大あわてです。そしてついには他の童話まで壊し始めたからもう大変。でもピノキオは、ただ本当の子供になろうとしただけだったのです…。
美しいサナギになるためにあとどれだけ遊べばいいのだろう厚く カサブタに包まれる前に、あと…<成体サイド (imago side)> 円形舞台を南北に分断する壁によって隔てられた、同時進行する2つの作品の一方を中心にご覧いただきます。2つの世界は文字通り表裏をなし、地と図のごとく一つの世界はもう一つの世界に支えられて、やがてひとつに溶け合います。こちら成体サイドは、主人公ヨシノが東京のとある男のアパ
眼前の景色が 内臓の平滑筋の ひとつの襞として広がっているという感覚過去のすべての出来事が 時間遠近法の焦点である 心臓の鼓動の中で 今、沸騰しつづけているという感覚記憶は断じて過去の再生なのではなく 常に新たに想像されるものなので 記憶されるたびに 過去が新しい現在になる我が黙示録、反啓示 すべてのものの 境界線の消滅 生の中には死が 男の中には女が 女の中には男が コスモスのなかにはカオスが
この作品の始まりは2006年夏のセッションハウスでの沖至さん、藤田佐和子さんとの即興セッションでした。その後岡山で、今回使用している曲を使っての作品の流れとタイトルの「青空散歩」が産まれました。この作品はさまざまな場所で上演する機会に恵まれ、再演を重ねるにつれ作品そのものも育っていっています。今回、東京での初演をこの中野テルプシコールで行います。現実と夢の間の、生と死の間の、時空をかいま見ることが
大野一雄フェスティバルで観客の楽しみのひとつとなっていた、横浜の街を移動しながらダンス公演を観覧する「横浜ダンス界隈」。2008年は「移動シアター/DoCodeMo System」を導入、伊勢佐木町から新港埠頭までの日常の場を「劇場」に転化した。
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(フライヤーより抜粋)青山円形劇場オブジェクトシアターのシリーズは、一貫して人形劇の人形劇としてのおもしろさを追及してまいりました。今回は「古典」をテーマとし、その底にある伝統のおもしろさと、未来に向かっての可能性を感じていただければ幸いです。
岸田國士初期の名作「葉桜」をモチーフに、横山拓也が現代的な視点から母娘を描く「あたしら葉桜」を、二本同時上演。口語劇のパイオニアといえる岸田戯曲とiaku の関西弁口語を並べることで、その影響や系譜を確認し、エンタテインメントに昇華する。演出は、iaku で長く横山とコンビを組んできた上田一軒。キャストには第20 回(2017 年度)関西現代演劇俳優賞・女優賞の林英世と同・奨励賞の松原由希子の関西
妊娠・出産をめぐる日本の現状は、明るくはない。少子高齢化に直面しているものの、「産み育てやすい」環境整備は遅々として進まず。一方で「産まない自由」に対する社会的圧力も未だやむことはない。この閉塞的な状況に【擬娩(ぎべん)】という、一風変わった習俗の再起動を通してアプローチをする、演出家 和田ながら。本作は和田の2019年初演作品を、今回が舞台作品への初参加となるメディアアーティスト やんツーをコラ
東日本大震災とそれに続いて起きた原発事故を題材にした、ノーベル賞作家エルフリーデ・イェリネクのテキストを舞台化。暗く、湿った場所に取り残され、演奏を続ける「第一ヴァイオリン」と「第二ヴァイオリン」の対話は、5人の男女によって演じられる。時には客席を指差し「わたしたち」「あなたたち」を強調する発語は、登場人物が死者であり、音であり、光であり、放射能でもあることとも響き合いつつ、主体/当事者の遍在を示
インドはカルカッタのうらぶれた安宿の一室。舞台中央に、このホテルには不似合いに大きいシングルベッドが二つ。クーラーの効かないおんぼろホテルの狭い一室に、鼠のように閉じ込められてしまった2人の男の眠れぬ一夜のお話。有薗芳記と流山児祥による二人芝居。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
かみ合わない言葉と触れ合わない心。愛する気持ちさえ空回りする。死ぬことよりも生きることこそが悲劇という非情な時の流れの中に、人生は平凡だけれど単純ではない・・・というチェーホフが描く真実。英国よりW.ギャスキル氏を招聘。