表示件数
どこにでもあるような営業中のカフェやレストランで、架空の天地創造や歴史の物語を独り言のように呟きつづける女。観客は店外から、ガラス越しの彼女と、その手元を映すモニターを見つめ、店内のざわめきと共に聴こえてくる女の声を耳にします。彼女が囁く物語は、モニターに映し出された手による”語り”と相乗し、混迷する国際社会と近現代史へと想像を飛躍させます。都市の一部として気に留めていなかった情景や
地震により電車が山の中腹で止まり、徒歩での移動をする長い行列。次の駅は鉄橋の先にある都会。前の駅は山奥の過疎化した元新興住宅地。人々はいずれかに向かう。小さな劇団を主宰している大学の先生と、若い妻。その妻が介抱する女は、足を捻挫した中学教師の女。彼女は元新興住宅地で起こした不倫による狭い世間の攻めから逃れ、都会に行く決心をして電車に乗ったという。そこに先生を恋い慕い、妻から奪うべく密かに電車に乗り
ハードコアコンテンポラリーダンスカンパニー大橋可也&ダンサーズと気鋭のオルタナティブロックバンド空間現代によるコラボレーション作品第二弾。ささやきをテーマに、ライブ演奏と激しいダンスを融合させた作品。抑圧されたささやきを秘めた身体が時に暴発し、ぶつかりあうさまを描く。
緘黙症(かんもくしょう)を患うナオキ。隣にはいつも、幼馴染のケンジがいた。2人はツーピースバンド『ニューノイズ』を結成し、夢に向かって突き進み始めるが、夢半ばで、今度はケンジが突発性難聴を患ってしまう。2人に立ち塞がった、どうしようもない現実。 『俺はさ、神様なんかじゃないんだよ』 若すぎる青春の果てに、2人が見た残酷であたたかい風景とは...演劇初挑戦のウラニーノ山岸賢介を迎えた、青春音楽劇。
トーコは大阪生まれの大阪育ち。特に夢もないまま、テレクラでサクラのバイトをしている。ある日、子供の頃に失踪した母親がよく口ずさんでいたハミングを、自分も口にしていることに気づく。母親と同じような運命を自分も辿るのではないかという恐れを抱きながら、彼女は複数の男性と付き合うことがやめられない。父親との和解、恋人からのプロポーズ…。揺れ惑う彼女はある夜、衝動的に夜行バスに飛び乗ったのだった。
コンピューター・ウィルスがついに日本上陸。あるソフトウエア開発会社のホスト・コンピューターにもウィルスが侵入した! 4人の技術者たちは阻止に知恵を絞りながら悪戦苦闘、ついにハッカーを突き止めるが、ウィルスは技術者たちの想像を超えて暴走し始める……。 めざましい勢いで進化し続けるコンピューターは、どこまで人間に近づけば気がすむのか? そもそも人間は新しい生命体を創り出す神になれるのか? SF的世界の
OrganWorks「人間を眼差す三部作」の一作目「聖獣- live with a sun」は2019年東京世田谷パブリックシアターで上演されたダンス作品。昆虫の世界を描くことで人間との類似点と相違点を導き出し、人間とは何かということを問う。ダンサーの身体性を昆虫の性質や習性を模倣し人間から遠ざければ遠ざける程人間の身体が見える構造になっている。
1999年からOguriとその妻Roxanneが続けているシリーズ「Flower of the Season」。その一環として上演されたOguriのソロ作品で、30年来のコラボレーターである作曲家のポール・チャベスも生で音風景をつくりだした。プログラムノートにはポール・ボウルズの言葉、「あと何回満月を眺めるか? せいぜい20回だろう。人は無限の機会があると思い込んでいる」が引用されていた。
過去にスペースノットブランクが上演した『舞台らしき舞台されど舞台』をセルフリメイクした『舞台らしきモニュメント』。「在る物」としての舞台を「現れる物」としてのモニュメントに代置し、上演(時間)と舞台(空間)の関係を見直そうとする純粋舞台。「舞台三部作」から変化した「物体三部作」の第一部。
童話『眠れる森の美女』を主なモチーフとした作品。サラリーマンの男は、いまだ見たことのない婚約者の見舞いに病院を訪れるが…
1987年、月蝕歌劇団旗上げ作品の再演。七里ヶ浜に転覆したボートに乗っていた少年たちは何処に消えた? 血を吐く美少女の正体は何か? 戦前の帝都に出現する女神の目的は? 因果の小車の渦の中、真白き富士の嶺♪緑の江の島♪の旋律にのせてハーメルンの笛吹き伝説と女子挺身隊が結合する!
1947年、敗戦2年後の沖縄――。 米軍基地から物資を盗み、東南アジア各地に売りさばく盗賊団「戦果アギヤー」たちの群れがあった。ある時、アギヤーはとんでもないものを盗んでしまう。 原子爆弾である。沖縄の領土化を目論む米軍にとっては一大事。 一方、アギヤーは、米軍撤退と沖縄独立を目指す「琉球独立党」と手を結ぶ。 一個の原子爆弾をめぐって沖縄が揺れ動く――!
信じてもらえないと思うのでずっと秘密にしていた話があります。私が体験したちょっと不思議なお話。あの時出会ったモノがなんだったのか、あなたに聞いてもらいたい。信じてもらえないと思いますけど。中西邦子がたった一人でお届けする渾身の一人芝居。
田中淳之の一人芝居
「俺、俳優になるわ!」元カノについた嘘が元で本当に東京へ行く事を決めた23歳の田中惇之。10年前に思い描いた10年後の自分の姿は、まるで超満員の甲子園球場のマウンドに立つ怪物級ピッチャー。対する10年前の自分はまるで、超高校級四番バッターのような心持ち。ふと思い出した過去の記憶は、10年前に投げ込まれた、10年後の自分が放った豪速球だった。
結成20周年記念公演。2002年原美術館以来の野外公演。
1980年に設立した白虎社の設立直後から81年までの関西一円大学祭ツアーより。「秘鳴の森」(1980年、立命館大学)、「鯨骨の森」(1980年、同志社大学)、「少年少女のくす玉」(1981年、関西学院大学・京都市立芸術大学)の公演映像を含む。
結城座旗揚げ385周年記念公演の第三弾として、三代目両川船遊が40年来温めてきた 企画であるフランツ・カフカの名作「変身」を上演。脚本・演出には、劇団 温泉ドラゴン代表・演出家として、人間の本質に迫る骨太で重厚な舞台を創造する現代演劇の牽引者の一人シライケイタ氏を迎え、人形デザインには若手油絵画家の谷原菜子氏を起用しました。谷原氏の特異な表現はカフカ作品の不条理な世界と響き合います。
小島政二郎が愛娘について書いた原作を元に、戦争の傷痕を見つめながら生きる父と娘の悲しくも微笑ましい絆を描く。大滝秀治、奈良岡朋子の父娘役で好評を得て5年間にわたる全国巡演。1961年、名の売れた作家の田島柾二郎の気がかりは、妻の死後家庭を守り嫁に行けず過ごしてきた娘みこ。戦時中に学徒動員で過酷に働かされたことから身体を蝕まれて行く娘のため、小さな家に買い換えてその差額を遺そうとする柾二郎ですが…。
(フライヤーより抜粋)「リトル博士」は、動物の言葉をなんでも喋れる動物学者。世界中に旅をして、いろんな動物たちと話をしてきました。そんなリトル博士のところに、日本の小学生から一通の手紙が届きます。
ダンスがみたい!—批評家推薦シリーズ—
ケイタケイは1969年9月、「LIGHT」でニューヨークデビュー。同年12月には「ランチ」を発表した。「LIGHT, Part 4 “ジクゾーパズル”」は1970年12月初演。2005年の「ダンスがみたい!7」では「批評家推薦シリーズ」として参加団体の選出の理由などが推薦者から明示された。ケイタケイを推薦したのは舞踊評論家の山野博大は、オックスフォードの舞踊事典に、伊藤道郎、森下洋子、土方巽などと
(フライヤーより)つねに新しいダンスの可能性を模索し、各方面から熱い注目を集める3人のダンサーたち。今回は、それぞれがもつ世界をステップアップさせ、ダンスの概念を超えたエネルギッシュなステージをつくります。ダンスコラボレーション 2何かが動きはじめる。
メタファーとしての王の最期を描く。専制的な帝王が没落の道を辿る。将軍は背き、愛妾は逃げ、王は捕えられ処刑が言い渡される。王を捕えた者が次の王になる。それは昨日までの王の道化であった。死の直前の王。この人生の皮肉は「一場の夢」だ。青春の終焉、定年、或いは肉体の衰え、栄枯盛衰、大自然の四季の移ろいなどのメタファーとして描かれる。次の王が昨日までの道化なら、今までの王もかつては道化であった、という苦さ。
この作品では光(Luminaire・リュミネール)がタイトルとなっているように、光が問題提示のシンボルであり同時に一つの答えとして、作品中一貫して様々な光が形を変えて現れる。テクノロジックなシャーマニズムの試み。日々加速し増幅する情報の氾濫、それは私たちが今ここに‘存在していることの大きな神秘をも覆い隠してしまう。原初の時代の、あるいは神話の中のシャーマンたちにはこんな問いが出てくるかもしれない。
三つの部屋でそれぞれ別の取り調べが行われている。どの部屋でも、問い詰める側は「許せない」という「正義」を振りかざし、厳しい追及の手を少しもゆるめない。だが、疑われる側にもまた「なぜ悪い」という言い分があり、こちらにもどうしても譲れない「正義」がある。やがて、無関係だった三つの取り調べに共通する「思わぬ事件」が背後に浮かび上がる。果たして、「誰の言い分が正当なのか?」「正義とは何なのか?」。
新型コロナウイルスの収束後も、次々と新たな感染症が蔓延する現在。最新型の病原体「ネクロウイルス」の感染拡大により、政府は再び特殊衛生班を編成し、発症者の駆除を行っている。一方、新宿五丁目のデリヘル「わくわくパラディーソ」では、今日もデリヘル嬢、店長、ドライバーが待機場所でくだらない話に花を咲かせていた。とりとめのない日常と、すぐそばの歪な現実の物語。
舞台芸術国際共同制作『KOTATSU』(2021)について、作・演出:パスカル・ランベール(フランス)と、共同演出・日本語監修をつとめた平田オリザが、創作背景を語らう。作品の立ち上げやテーマ、創作プロセスを振り返るほか、それぞれの戯曲執筆の手法や、日仏における文化活動について掘り下げる。
Eラーニング(日本演出者協会)
② ドラマターグこのシリーズでは、ドラマターグ(ドラマトゥルク)の仕事について詳しく紹介します。聞き馴染みのない「ドラマターグ」と「ドラマツルギー」について、分かりやすくお伝えする全2回の講義形式です。「自覚なきドラマターグ担当が現場にいる」「ドラマツルギーは稽古場にとどまらない」「荷物を持たない人」など、知的好奇心をくすぐるヘッドラインとそこから繰り広げられる精確な解説は、初心者からベテランまで
小説新潮(2024年2月)で発表した横山拓也の短編小説『ユアちゃんママとバウムクーヘン』を、リーディング公演として立ち上げる初の試み。“ジュンくんパパ(敏夫)”の一人称で進行する本作を、講談師・神田松麻呂が熱烈に語り上げ、ミステリアスな“ユアちゃんママ”を、俳優・橋爪未萠里が妖しさたっぷりに表現。小説・講談・演劇、3つの魅力をミックスした、新たな形のリーディングをお届けします。
ミュージカル
「家なき子」は、エクトール・マロの代表作。日本でも小説のみならず、アニメや漫画、絵本など多くの人々に浸透してきた。捨て子だったレミが親を探して旅をする貴種流離譚。栗田芳宏の力強い演出と宮川彬良の親しみやすい魅力的な曲、ただ単に子どもが大勢出ている「子どもミュージカル」ではなく、大人も楽しめる完成度の高いミュージカル、出演者60人余、セットも大変大掛かりでスペクタクルな作品として、りゅーとぴあ開館5
とある地方都市の写真館。この店は、街で一番古いというほどではないものの、現在の店主、坂下良成で二代目になっている程度には老舗である。しかし、フィルムカメラからデジタルカメラへの移行の時期に、少々後れを取ったため、経営は苦しい。それなりの借金とそれなりの財産を持ち、それなりの腕でそれなりの稼ぎを得ている。また、フィルム現像機を未だに備えているため、フィルムカメラ好きが訪れる店でもある。最近多いのは、
Eラーニング(日本演出者協会)
④ 照明このシリーズでは、舞台芸術、主に演劇の照明デザインについて考えていきます。舞台の照明デザインを実現するためには、デザインを考えるソフトの部分と機材やシステムなどハードについての知識や技術の両方が必要です。光という実態のないもののデザインを機材とシステムのハードで実現しています。今回は、主にソフト(デザイン)の方に焦点を当てて、最低限のハードの知識を紹介しながら、デザインにまつわる知識/発想
地下の安宿では、今日も朝からたわいない喧嘩が始まる。饅頭売りのクワシニャー、病身の妻・アンナを顧みない錠前屋のクレーシチ、男爵と呼ばれる男はナースチャーに茶々を入れる。宿の主人コストイリョフが女房のワシリーサの行方を訪ねに降りてくれば、こそ泥のペーペルと衝突する。行き場の無い人間達がふきだまるそんな宿に、巡礼のルカが来る。彼の啓示めいた一言ひとことが、やがて波紋のように宿の住人の心に広がっていく。
「教科書から消えた文豪」シリーズ。「父帰る」、「ここに弟あり」、「あにいもうと」教科書にも掲載されなくなった文豪の作品をあえて取り上げ、舞台化するシリーズ企画。今回は『家族の絆』をテーマに三作品を選びました。どの物語も、懐かしいのに何故か新鮮で、肉親の愛情の深さ・かけがえのなさといった変わりようがないものを描いています。そして、見失いかけた家族の有り様と、現代の我々が失いかけている、或るいは失って
大曲の花火会社のもとに、花火師を目指す女性・蛍がやってきた。社長やその息子のもとで修行を始めた蛍は、大曲の花火の歴史に触れて驚く。今から50年ほど前、大曲の花火を大きく変えた男がいた。「花火の丸い形を破壊しよう。さんかく、しかくの花火も面白そうだ!」大曲を日本一の花火の街にする挑戦の始まりだった。「もっと面白く!もっと感動を!」花火を愛する街で、現代の若き花火師たちが受け継いだものとは―
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
作品ノート: 日々流れる時間の中で、身体は時間とどのように関わり、どのような影響を受けているのか?人は生まれた時から時間とともに、死に向かって進んで行く。この作品は、そのような身体が持つ時間の流れをテーマにしている。今回、時間を表すものとしてビートが最初に頭に浮かんだ。そしてこれを時間を表すひとつのキーワードとして、作品作りをしました。身体には心臓の鼓動、ビートがある。人は生きている限り、鼓動は休
THE CONVOY SHOW vol.39
夜駅前の繁華街路地裏の一角に立つ雑居ビルその地下にあるガラクタの倉庫に集う男達傍らに置かれた立て看板には『WHY?の会』「何故、人は生きるのだろう」夜も更け、街は静まり雨の音が遠くに聞こえてくる彼らは自ら哲学者を名乗り、語り合う「遅れてすみません」突然現れたずぶ濡れの男「遅れてすみません」「・・・あんた誰!?」「Uber Eatsです」「はっ!?」「御注文の品、お届けに参りました」戸惑う男達「あの
「ささやかに幸福(しあわせ)」は1988年初演。60分。ブレヒトの長編詩に導かれ、5組のカップルが繰り広げる人間模様。世の中、予期せぬことは突然やってくる。せめて今の現実を幸せと思おうではないか。「ELCK(エルク)」は1989年初演、40分。オランダ語で「みな・それぞれ」を意味するブリューゲルの同名絵画から発想を得る。「壊れた地球の上に立ちながらこの世の物体に無駄に欲張る人々。」イヴさえリンゴを
Eラーニング(株式会社 流)
⑦ プロデューサー・制作米国の劇場は大きく商業劇場と非営利劇場の2つに分類されます。動画①ではトニー賞5部門を受賞した「ファン・ホーム」のプロデューサー、トム・キャサリー氏が商業演劇の制作とその過程を解説。動画②では芸術分野の政府助成金や政策立案などの分野で活躍した後、コロンビア大学大学院シアターマネジメント&プロデューシング科で准教授を務めるジジ・ボルト氏が米国の非営利劇場の歴史や役割、現状を解
2018年夏。33歳、独身、彼女なし、アルコール中毒、元詐欺師前科一犯の“穴蔵の腐ったバナナ”は、マッチングアプリ・TSUN-TSUN(ツンツン)に友達を募る書き込みをする。出会い系サクラのバイトをしていた“男”は、釣られているとわかりながら課金してきたバナナに興味を持ち、彼と会ってみることにする。「人を救いたいんだ・・・」と言うバナナと男はいつしか、僕/俺「ら」になり、探偵の真似事をしながら諸悪
マラソンでオリンピックを目指し、日本中の期待を一身に背負い必死に生きていく若者の孤独と挫折を描いた、第33回岸田国士戯曲賞の候補作品となった如月小春の傑作戯曲。
Eラーニング(日本演出者協会)
③ 音響このシリーズは、これから音響、特に舞台音響をこれから始めようという人に、舞台芸術での音響家の役割や仕事を紹介します。また、始めて間もない音響家の皆さんに、舞台音響の仕事をやる上で何に注意をしていけば良いかを実例と合わせて紹介・解説し、ご自身の現場に役立ててもらえることを目的としています。顔合わせや稽古・本番・片づけまでの一連の仕事の流れから、スピーカーの配置の仕方やチューニングなどの技術的
仕事場、私生活。ちっとも上手くいかない。私は他の人と何かが違う。病院で検査を受けたら、ただの性格の問題と診断された。僕は/私はどうやら『普通』らしい。ここからどこに向かえばいいのか。発達障害グレーゾーンをテーマに描く、青年団リンク やしゃご第4回公演。
妊婦、産婦人科医、学者、不妊治療に苦しむ妻、子どもを持たない夫婦……等々、多彩な人たち約70人にインタビュー取材を行い、その膨大な証言を再構成して舞台化するドキュメンタリー・シアターの手法で「今、日本で子どもを産むとはどういうことか」、その実像に迫る。――「なぜ不妊治療に関する法律が日本にはないのか」「なぜ少子化に歯止めが掛からないのか」。出産・子育てにまつわる今の日本社会が抱える問題について、ま
MANKAI STAGE『A3!』
2.5次元ミュージカル/舞台
男4人が1人五万円を持ち寄り、4人で旅行に行こうと話し合う。話が進んでいるようで進んでいない。でも楽しい。何もしないなら手はいらない。どこにも行かないなら足もいらない。4人はだるま。
タイトルは「かわ」です。割と若い方々が三途的な川を前に、眺めたり渡ろうとしたり「やっぱこえーわ」となって帰宅したりする話をします。渡る前にも後にも、どの場所でも安心して過ごせるきっかけに少しでもなれますよう作っていけたらと思います。
陰陽の哲学を身体で表現したダンス作品。堕ちていくようで、浮いている。脱けていくようで、迎えている。消えていくようで、生まれている。世界の陰と光の謳歌。阿吽山水の宇宙。
わずかずつ、わずかずつ/気がつくたびに日1日と/部屋が狭くなってきている。11日前の水曜日/不安を抑え切れずに/金物屋から5メ—トル計のメジャ—を買ってきた/今日だって3回計測した/昨日より1回増やしたのだ/壁から壁。/決してその手は震えていなかったのに/部屋は一晩で23ミリメ—トルもちぢんでいた/一昨日から昨日にかけてが19ミリメートル/ついに20ミリメートルを超えた/部屋は加速度を増しているく
1969年ロンドン。若き実業家マードックが敏腕編集者のラリーを右腕に、落ち目の新聞「ザ・サン」を買収し、権威的で腐敗した新聞業界を打破すべく立ち上がる。野望の船に乗る人材集めにはじまり、既成勢力の圧力との闘いを経て、発行部数を増やしていく「ザ・サン」。そこには通俗に過ぎるという批判もあった。ある時、仲間の妻が誘拐され……。英国新聞界の史実と、鬼才ジェイムズ・グレアムの想像を輪転機に回したスピーディ
芸術家の価値とは何でしょうか?一体何の為の創作活動なのでしょうか?私は制作の価値について考えた。めまぐるしく移りゆく現実の前に虚構の物語というものが必要であるか否か……。
英国を代表する劇作家、ダンカン・マクミランの2007年発表の戯曲。子供が抱える問題、そしてその責任はどこにあるのか。これは希望と、その希望を失ったとき誰もが感じる痛みについての物語。
1950年代、みんながジェイムス・ディーンに憧れ、R&Rに夢中だった時代。「蜘蛛女のキス」の演出家ロバート・アラン・アッカーマンと男闘呼組で創る青春物語。
「テイクミー・テイクミー!」オミトおばぁが行く!英語交じりのウチナーグチで観光バスをヒッチハイク。乗り込んできたオミトおばぁ、ガイドと風変わりな運転手を巻き込み、口説、ニューミュージック、カチャーシー、ダンス、琉球舞踊・・・・・なんでもござれ・・・笑い転げながらお客もろともバスはとんでもないところへ・・・
身体の中は小宇宙であるとよく言う。 エネルギー体である 私、あなた、社会、自 然、宇宙、 電子エネルギーにより、 それぞれが細かく振動する事 によって共鳴し合って世界の バランスを保っている。 そういった物理学の観点からモーション (動き)とエモーション(感情)、そしてそれ が世界にまで共鳴して 行くことを提示し た作品。かつて生きていた人、生活。肉 体は滅びても エネルギー体は滅びずにこ の地球
どこにでもある交差点には、欠かすことなく花が供えられている。通りかかる誰もが、それを見て察する。「ああ、ここで人が死んだのだ」1つの不幸な事故をめぐり、交わるはずのなかった人間関係が生まれた。めぐりめぐる、まじりまじわる、ぐるぐるぐるぐると、奇妙なワルツのように……。暴走する大人の事情―――ノンストップ・トラフィック・サスペンス。
広角レンズ × 演劇 ×「音楽」演劇における「音楽」のあり方を検討するための上演。
(フライヤーより)ツロの若き領主ペリクリーズは、アンティオケの王女を妻に望み、その王アンタイオカスの課した謎を解くが、父と娘の秘密の関係をも見破ってしまう。身の危険を感じて故国に逃げ戻ると、国事を忠臣ヘリケーナスに託し、刺客の追手を逃れるために密かに出国する。途中、難破してたどり着いたペンタポリスで、その地の王サイモニディーズの娘セーザに慕われて結婚する。しかし、故郷からの手紙で急遽、身重の妻を伴
昭和庶民伝三部作 第一部
昭和庶民伝三部作・第一部 紀伊國屋書店創業60年記念提携公演昭和15年の浅草。小さなレコード店「オデオン堂」に4人の家族と二人の間借り人が仲良く暮らしていた。しかし、陸軍に入隊していた長男の正一が脱走して「非国民の家」扱い。追手がかかり憲兵が住み込みで見張りをする始末。ところが長女・みさをがたくさんの傷痍軍人と交わしてきた文通ハガキの中から選んだ源次郎と結婚するにいたって、今度は一転「美談の家」に
ヘルシンキ市立ダンス・カンパニー委託作品。古川あんずは同カンパニーからの委託で1994年には『春の祭典』を、1995年には『KEPPI(杖)』を振付けている。本作では、アマゾン河で見た色が交わらないまま流れる水やアフリカの女性が壺に朝露を集める姿、ヘルシンキ沖の凍った海など、古川に印象を残した様々な「水」の体験が下敷きとなっている。Act1退屈した男 / 心の誕生 / 隻手音声 / 水の神話Act