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現代社会に生きる人間はほとんど、誰かの思想による誘導や影響を受けていて、無意識のうちに「規範/ルール」という在り方の中を生きている。街の構造や建築物ひとつをとっても思想が現れ、人々はそれを自然と受け入れながら生活していく。ゆるやかな誘導や構造設計が、支配へと変わっていく道もあるのではないか。それはすでに小さな単位で生み出されているのではないか。誰かを操作することは快楽なのだろうか、権力者はその力に
-東京黙劇ユニット KANIKAMA collection vol.6
モダンダンスのパイオニア、テッド・ショーンが歴史的なフェスティバルを創始したダンスセンター、ジェイコブズ・ピローは、2020年11月17日に火災に見舞われ消失した。この巨大な損失を記し、愛すべきジェイコブズ・ピローへのダンスアーティストと観客の思いを表すためにダンスフィルム制作が企画され、尾竹永子は雪に埋もれた焼け跡のなかで踊った。
世界と向き合うために:基本的に「虚構/お芝居」である事が前提の舞台上で展開される、『true/本当のこと』というパフォーマンスは、何が嘘で何が真実かという話ではありません。知らぬ間に自分も捕らえられているかも知れない閉塞感を振り切って走り出すために、「現実」のどれほど多くの部分が、あなた自身によって作り出されているのかを、改めて問い直すためのものです。
日本門町にあるスーパーCONNECTには今日も生活のために様々な人が集い、その数だけドラマが生まれる。何気ないけど懸命な人間模様がスーパーのあちこちで切り取られる。設定を渡された9人の作家が、同じ世界観で1つのスーパーマーケットを描く、ユニオンタイプ演劇!!!
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柿喰う客フェスティバル2017
食べ物を探して森にやってきた兄(北村まりこ)と妹(永田紗茅)。ひょんなことから、人さらい(守谷勇人)に攫われ、妹はお金持ち(村松洸希)の家へ、兄はサーカス団に売られてしまう。兄は有名になり妹を迎えに行くために、サーカス団で芸を磨くことを決め、団長(とよだ恭兵)や見世物女(七味まゆ味)に教えを乞う。しかし、その大人気のサーカス団の秘密は…!?
Saint Live Sparking 白虎社'82連続犠肢体行脚
1982年、Saint Live Sparkingと題し、白虎社が関西一円で行ったライブハウスツアーの編集映像。公演タイトルは『「サイレント独楽」-月より速く-』『「草の上の昼寝」-水から油へ-』『「ゾンネンシュターンの夏」-からっぽの世界-』。
1人のキャストとその日の観客から1人を舞台上に招き、介護する/されることを舞台上に再現した『ツァイトゲーバー』、事前に村川から送られてきた手紙(指示書)に沿って舞台上の出演者が動く『エヴェレットゴーストラインズ』など、ドキュメンタリーの手法を用いながら表現の前提を揺さぶり、同時に生のリアルを追求する村川拓也。今回村川がリサーチの過程で注目したのは、文化会館で数多く開催される「ピアノ発表会」。そこに
戦争の傷跡が街々にまだ色濃く残る時代、銀座の夜を華やかに彩る一角があった。ジャズが、ジルバが、熱狂の一夜をつくり出す、ここは進駐軍専用キャバレー”パラダイス オブ ギンザ”。三人の男女がここで出会う。通訳志願の学生清水誠、日経米兵ケン・ナカガワ、コーラスガールの青山優子。清水は忽ち優子の虜になるが、自らの心を隠し、ケンと優子の愛の仲立ちを買って出るのだが…。青年座のオリジナルミュージカルが誕生。
―少年探偵団VS史上最強の敵―怪盗ルパンが狙う秘宝とは何か?1940年代の中国から日本へ。悪夢の暗闘と略奪が…。その時、明智探偵と少年探偵団は?
内田百閒の幾つかの短編に着想を得、いなくなった猫を探す男と、彼の前に現われる不思議な女に起きる些末な出来事を描いた書下ろしの新作。はたして猫は見つかるのだろうか。
夏目漱石の『坊ちゃん』が舞台になります山嵐、野だいこ、うらなり、マドンナ、狸、赤シャツお馴染みの登場人物が活躍する青春活劇しかし、『赤シャツ』には肝心の坊ちゃんは出てきません主人公はあの男の風上にも置けない嫌な奴、赤シャツなのです時は今から百年前日本海海戦で日本がロシアバルチック艦隊を撃滅した明治三十八年所は四国辺のとある城下町坊ちゃんにかわって主役の座についた赤シャツその登場の秘密とは…
NPO法人ダンスボックスのプロジェクト「こんにちは、共生社会」から生まれたダンスカンパニーMi-Mi-Biは、障害の有無に関わらず、プロフェッショナルなアーティストの集団として活動している。今作はカンパニーの2作目。兵庫県豊岡市で開催された豊岡演劇祭の公式プログラムに招聘され、「島」をテーマに上演した。それぞれの身体や感覚を生かしながら新しい文化を創造し、歴史を築いていく様子を「島」に例えて表現。
新宿梁山泊旗揚げ公演
サンテグジュペリ「星の王子様」を演劇化。「大切なものは目に見えない」というテーマを具現化するため、素舞台の中、ダンボール箱と黄色いマフラーを変幻自在に使用し、観客の想像力を刺激します。また、20代から50代までの俳優が各場ごとに王子を演じつつ、《花》《ヘビ》など複数役も兼ねることで、多様性の世界を表現します。
【Story】街はずれにある廃墟の映画館。少年ワタルはそこで暮らす浮浪児の少年たちと出会う。少年たちは古いフィルムを映写機にかけワタルに見せる。やがて少年たちは映画のスクリーンの中へ一人また一人と入っていく。映画の中の人物となった少年たちに促されてワタルもスクリーンの中へと入っていく……。【Note】4年ぶりの大阪・南港野外公演。幅16メートル・奥行き10メートル・高さ5メートルの可動式巨大傾斜舞
悲劇的な立場に置かれた5人の女優が、自らの不条理な状況を憂い、飾り立て、時に正当化しながら、自身の不幸を声高らかに語りあげます。現実社会で起こるリアルな悲劇と、不幸な自分に酔い不幸を誇張するフェイクの悲劇、また舞台上のフィクションとしての悲劇という3つの異なる時空から「悲劇」の構造を捉えることで、自分とこの世界の関係性を見つめ直します。 今を生きる私たちにとって「悲劇」とは何か、また人々は不条理と
東日本大震災で被災された方々への支援を目的とするチャリティ公演。歴代日本伝統文化財団賞受賞者、全員の出演による。一、 「三番三」 山本泰太郎(第15回受賞者) 山本東次郎、山本凛太郎 他二、 大和楽「お祭り」 大和櫻笙(第14回受賞者) 大和楽社中 他三、 三弦・箏・尺八三重奏「さらし幻想曲」 山登松和(第5回受賞者) 遠藤千晶(第13回受賞者) 善養寺惠介(第6回受賞
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
邦楽 華麗なる技
邦楽の「技」と通じてその楽しさを堪能するシリーズ。庶民の楽器として古くから親しまれてきた篠笛は、簡潔な作りでありながら、主となる演奏に寄り添うために時に曲中でも楽器を取り替えて演奏されます。研ぎ澄まされた感覚を必要とし、奏者の人間性をも映し出す篠笛の魅力に迫ります。中川善雄構成「情念」笛 中川善雄対談 中川善雄、小塩さとみ初代米川敏子作曲「梅道成寺」 歌 宮園千碌 三弦 米川敏子 箏
「この店はね、人生の落伍者のふきだまりなんでございます」芸術に憑かれた男たちの〝才能と世の中との折り合い〟を描く、激しく愚鈍極まりない物語、再び。1974年暮れのフランス、パリのモンマルトル。サン・ヴァンサン墓地の向かいにある地下酒場「レ・トロワ・ペロンヌ・ローンドゥ」はうだつが上がらない、パリの日本人の溜まり場となっていた。新米店員のスティーヴ(温水洋一)が店番をする店には、今夜もオブジェ作家の
「コノ作品チョッとヤバいかもしれない。構成上「全裸」の景を置いた。完全な「真っ裸」、ものの勢でそのような仕儀と相成ったが、草月ホールに迷惑係らなくて「ホッ!」とだったかもしれない、イヤそんな事すら考えていなかったろう。今にして憶えばの話。」(武内)武内靖彦独舞集成・踏業22周年記念リサイタル。40周年には、同じく「舞踏よりの召喚」と銘打って記念リサイタルを開催した。
ハードコアコンテンポラリーダンスカンパニー大橋可也&ダンサーズと気鋭のオルタナティブロックバンド空間現代による第三弾コラボレーション作品。記録、記憶と再生をテーマに、暮れていく光の中でダンサーたちが記憶を求めさまよう上演となった。タイトルはヒッチコック監督の映画"Suspicion"から。
舞台『弱虫ペダル』
2.5次元ミュージカル/舞台
鐘下辰男の「tatsuya-最愛なる者の側へ」(第42回芸術選奨文部大臣新人賞を受賞作)を流山児★事務所が1992年の新鋭劇作家シリーズとして「改訂決定版」と銘打ち新宿タイニイ・アリスで上演。高度成長の日本で実際に起きた19歳の少年による連続射殺事件「永山則夫事件」をモチーフに全共闘世代の青春の表と裏を描く。貧しい家庭に育ち不良グループの一員となったタツヤ(有薗芳記)が転職を繰り返しながら、米軍基
金権政治家、棚岡格兵衛をやっつける爆笑喜劇!!「ロッキード疑獄事件」を題材に、田中金権政治の内幕を風刺するこの上演は、マスコミにも大きく取り上げられて爆発的な人気を呼び、田中角栄の地元新潟ほか各地でも上演した。飯沢匡と青年劇場の出逢いの作品。
同窓会に集まった5人に、ウジが言う。「今日はちゃんと気づいてほしい。私をいじめたのは、誰だったのか」そして5人は、高校時代の思い出を振り返る。どれもこれも、楽しかったことばかりで。記憶の中のウジも、目の前のウジも、ずっと笑っていて。5人にはずっと、そう見えていて。観客に、ウジの姿は見えない。ウジのセリフは常に、字幕で観客に示され続ける。彼らにとっては、その姿も、その声も、今もそこにあるままだ。
青年団プロデュース公演 vol.8
劇作家・演出家の松田正隆が、自身の生まれ育った長崎を舞台に描き、1998年第50回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞した代表作。演出・平田オリザとのコンビは、前年、第5回読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞した『月の岬』に次ぐ2作めとなる。職を無くし妻に家出される主人公と、彼を取り巻く人々の心情を、何気ない会話から細やかに映し出す。
9つの群舞作品で構成されている。「カテゴリー」と題された5つの場面は空間形成による抽象的な運動で表現し、他の4つは具象的なサブタイトル(愛情配置、特売場、平和利用、告別式)の題材から作品を構成している。1960年前後の社会不安が作品のモティフになり、平和への願望が強く表現されている。無音の8mm映像とオープンリールの音声が別々に残されている。
本作は佳梯かこの依頼で鄭義信が書き下ろし、2000年のクリスマスに名古屋で一夜のみ上演された。しかしながら、再演の声が高く、早くも翌年2月に再演。佳梯はその演技で、名古屋芸術創造賞を受賞。彼女の当たり役となり、その後も幾度となく上演されることとなる。鄭が率いる演劇ユニット「海のサーカス」で2002年12月に東京公演が実現。本映像はその東京初演時のもの。2006年には同配役で韓国公演も成功させた。古
天竺へ向かう途中、三蔵法師一行が立ち寄った海辺の村の小さな孤児院。バケモノの脅威に晒されながらも小さな幸せを守り続けていた孤児院には秘密があった。これは人魚を巡る人間とバケモノの過去を乗り越え心を通わす物語。
さよならオレンジ版
過去と未来が錯綜する奇想天外なストーリー一話語るごとに一本ずつロウソクを消し、百話を語り終えて最後のロウソクを消すと、恐ろしいことが起こるという百物語。その百物語を語れなかった少年と、結婚を直前に自分は語ることが何もないことに不安を抱く男の物語探しが始まる。過去と未来が錯綜する奇想天外なストーリーの中、果たして男は物語を探し出すことができるのか。
劇団夢の遊眠社第29回公演
初演は1985年、科学万博つくば'85エキスポホール、パルコ劇場など。1986年に国立代々木競技場第一体育館にて『石舞台七変化』三部作のひとつとして再演された。この三部作一挙上演は上演時間のべ6時間におよび、1日で26,400名の観客を動員するという偉業を成し遂げた。その後、1988年7月には第1回ニューヨーク国際芸術祭参加作品としてBAMマジェスティック・シアターで上演。同年7月にはパルテノン多
貧しい家の娘、お菊は弟の文弥が幼い頃、石の上に誤って落としてしまい失明させてしまう。その償いにお菊は吉原へ身売りして、作った百両の大金を文弥にもたせ、京へ上らせて座頭の官位を取らせようとする。途中の鞠子宿で仁三は文弥の大金を狙うが、十兵衛に取り押さえられる。文弥と十兵衛が宇都谷峠まで来たところで、十兵衛は初めて大金のことを知り、自分の主人のために借金を申し入れするが断られてしまうのだった。
「私は東京生まれです」「2020年のオリンピックを歓迎します」「今年セックスをしていない人」…。「はい」か「いいえ」か、さまざまな問いかけに応えて舞台上を移動し、時には自らの経験や考えをマイクの前で語るのは、東京都の人口統計(国籍、年齢、性別、居住区、世帯構成)を反映した100人の市民。 23区を「代表」 する彼らが劇場空間に描き出した「トーキョー」は、 この都市の標準的な姿か、演じられたイメージ
軍国少女であり、軍国の小学校教師であった自分への深い憤りと懺悔。「教育」への限りない理想と情熱を、北森竜太の青春に託して書き上げた三浦綾子の傑作長編小説「銃口」を舞台化。2007年まで全国巡演を続けるとともに、2005年には韓国国内14か所24回の巡演も行った。
一般的にオジサンというと三十代から五十代後半までであろうか。五十代ともなれば男としてまだまだ花を咲かせたいと思う一方、もはやこれまで、そろそろ老後の心配でもしようかと思ったり、岐路に立つ年頃である。ここに愛しの女性を待っているようにしか見えない元気そうな五十代の三人の男がいる。・・・しかし、女性は現れない。・・・そのうち、男たちによる虚々実々の攻防戦が繰り広げられるはずだ。
座付作家和田澄子処女作「川向う」との2本立てで最新作として上演。絵本を基に上演10年前に書かれた戯曲である。橋の下に棲むガタロと少女せつの出会いと別れを民話劇風に描く。ガタロは橋の下を寝床に暮らしているが、村人からは恐れられる存在だった。その村に住む少女・おせつは、畑仕事をしている両親に祖母のお弁当を届けようとしていた。暑い中遠い橋を使うのは大変なので、ガタロがいる方の橋を渡ることに。ドキドキしな
昭和17年1月8日亜也子は北浦家へ嫁いだ。祝言の日、姑・操との葛藤は火花が散り、夫・清三郎には召集令状がまい込む。姑夫婦、小姑、疎開してきた親子までを亜也子一人で養って行かなければならなくなった。土地のクセ者とわたりあい、あらゆる手段で生き抜いていく。銃後もまた戦場である。終戦をむかえても亜也子の戦いは益々困難をきわめていく。そして日はめぐり、大晦日。ささやかな餅つきの場に、戦死したはずの清三郎が
人は誰でもこの世を去る時二つのタイプに分かれます。憎しみを持ってこの世とお別れをする場合と、いろいろあったけど水に流して楽しい思い出だけに包まれようとする場合に分かれます。実は人は記憶を書き換えるらしいのです。書き換えられ離れていた二人の心の溝も埋まり、この世を離れる時二人の蟠りは無くなっているです。
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(フライヤーより)遊◎機械/全自動シアターの高泉淳子と白井晃が不思議の国のヴァイオリン弾き中西俊博とジョイントして贈るシャレた時間のア・ラ・カルト(一品料理)。青山円形劇場に突如現れたワンダーランドのレストラン、演劇+コンサート=素敵な素敵なショウの始まりです。はっきり言ってこんなの見たことない、見たことないのに何処かなつかしい…。さあ、何が飛び出すか?サンタの靴下を開ける気分、味わって下さい。
五人のダンサーが、暗がりの中、仰向けのまま足を宙にむけて回転させるところから始まる。次第に明るくなるが、この動きは続く。また肩で立ったダンサー達が反り返ってブリッジになり、床に落ちる。足が床に鋭く大きな音を立てる。それを主軸に、手や足でしきりと床をたたく。ダンサー達はこのフレーズを繰り返しながら円環をなす。作品の途中、五人が一列に身体を重ねるように並び、二、三センチというわずかな歩幅で行進する。
明治ニ十六年に、九世市川團十郎により初演された歌舞伎舞踊。大奥のお鏡曳きの余興に、小姓弥生が手獅子を持って踊るうち、獅子の精が乗移り、獅子の狂いになるさまを描きます。前半では、石橋の物語を中心に、川崎音頭、飛騨踊、二枚扇の踊りを経て、手に持った獅子頭に引かれての花道の引っ込みなど、後半では胡蝶の精をあしらって長い毛を振る豪快な「狂い」「髪洗い」などが見どころとなっています。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
ダンスがみたい!
「ダンスがみたい14.崩れる身体」参加作品。彼岸と此岸の間に揺れる男女のデュエット。2013年鳥居えびすの急逝により、本作は鳥居と田中陸奥子の最後のデュオ作品となった。
その川には、龍の女が住むという。舞台は在りし日の東京。川や土と共に暮らす日々のあった頃。氷屋を営み、その財と力で名を馳せたある男と、その一族の物語。その年の氷の味は、初雪の色と龍の機嫌で決るらしい。川面を清める桜を待って、冬の星座が雪を降らす。梳いた黒髪、銀の帯、結んだ小指のその先に。「雪の白さに惑わされてはなりません。冷たく見えても、その下には、抗えないほど赤い血潮が隠れているのでございます。」
Eラーニング(株式会社 流)
③ 音響劇場音響設計やサウンド・システム・コンサルティングなどの専門家として活躍するクリストファー・プラマー氏は、米国におけるサウンド・エンジニアの育成環境に疑問を持ち、母校であるミシガン工科大学、美術・舞台芸術学部に音響学科を創設、自らも教授として音響デザイナー育成のためのプログラムの運営に携わっています。本動画では、プラマー氏が実践する音響デザイナーを目指す学生に向けた講義から、サウンド・シス
2020年のパンデミック時に月灯りの移動劇場が発表した「ソーシャルディスタンス円形劇場」は30枚のドアに模したパネルに開けたれた穴から内部で行われるパフォーマンスを覗き見るという画期的な鑑賞方法によって、世界各国から注目を集めた。本作では、2名のダンサーと2名の演奏家による即興のパフォーマンスである。極限まで研ぎ澄まされた音と身体の饗宴。
(フライヤーより)ニューヨークに住むトム•ブラウンくんは ある日、お手紙をもらいました。“親愛なるトム•ブラウンさまプリーズ•カム•カム 来て下さい。困っています。S•O•Sニャーオ 日本の山猫大将より”トムくんは、もううれしくって ビョ〜ンビョンと日本の我不知山にやってきました。待っていたのは、困った顔の山猫大将と家来のトラスケさん。いったい全体 なんでしょう?おお!OH!そこへやってきました
『ボレロとヴァリエーション』は、1995年に初演された作品『ボレロ』を母胎としている。一組の男と女をつなぎ止め、あるいは突き放す時の流れに、ラヴェルの音楽「ボレロ」から聴きとった「いのちの絶えざるクレッシェンド」を畳みこんだ『ボレロ』。『ボレロとヴァリエーション』は、この『ボレロ』を踊るダンサーの実人生と『ボレロ』という舞台上の虚構の世界とが融合と離反を繰り返しながら、ゆるやかに進行していく。SP
父が死んだ。「死んでしまえ!」と何度も思ったあの父が、医療ミスで死んだ。医者として最先端技術に邁進していた父。その死に対して意外にも浮かぶ無念の思い。父と母の出会いから別れまで一つの夫婦の物語を岩井は見つめ直す。父は何を信じ、母は何を信じていたのか。生きる意味とは何か。なぜ一緒に生き続けたのか。人と人が共に生きるとはどういうことなのか。たくさんの記憶と出来事を辿るその先に答えは見つかるのだろうか。
【Story】たそがれどき。なみうちぎわ。静かに佇む廃船。流木、缶、船板、スポンジ、漂流瓶。少年は海が運んできたさまざまな漂流物を手に、旅への好奇心と想像力をふくらませ、この場所から海を越えて広がるアジアの島々に想いを募らせる。少年の想いは“海の道”へとつながっていく。【Note】本作品は20世紀三部作のアジア篇として上演した『台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき』を再構成した作品である。新たな脚本
1945年8月24日、強制連行された朝鮮人を乗せて浮島丸が青森県大湊から出港、釜山港へ向かうはずが突然進路を変え、京都の舞鶴港沖にて爆沈する。ある日、ソウルに住む金潤植のもとに正体不明の荷物が届く。それは日本の青森県むつ市に住む芳子という女性から送られてきたものだった。潤植は、不審な荷物を送り返す。芳子は、その荷物が潤植の物だと主張し、再び送り返す。その荷物が日本と韓国を行きかううちに、次第に荷物
いのちのかたりつぎ 〜色とりどりの物語がつむぐ、震災のこと〜
津波に飲み込まれていく車を運転する男とAI搭載のカーナビゲーションとの最後の会話−震災直後の壮絶な緊張感の中で消え入るいのちの灯火。被災地で生まれたラジオドラマ作品を、3.11を描いた作品に向き合い続けた表現者たちが結集して舞台作品に昇華させた。時間が経ったからこそ向き合えることを、改めて言葉にして次の世代へ語り継いでいきたい。
「空気読めないっていけないことなの!?」……相手の仕草や状況、雰囲気から気持ちを汲み取れず、言葉にしなければ意図している事を全く理解できないアスペルガー症候群の人達が、人間の機微に敏感でなくてはならない演劇をする事になった!試行錯誤しながらも、彼らの行き着く先には幸せがあるのか?
見たか、と俺は問うた。高峰はただ、頷いた。「ああ、真の美の人を動かすことあのとおりさ、君は 、 – 躑躅は美なりしなり。されどただ赤かりしのみ –「君は、お手のものだ、 君なら、 わかるだろう。」泉鏡花の「外科室」を元に、とある視点で紡ぐ詩的演劇作品。
貧しい農村に身を置いた宮沢賢治は、儘ならぬ現実と崇高な理想、そのあわいで悪戦苦闘しながら、まっすぐに理想に向かおうとした。早世した彼の生涯を、父・政次郎は「天馬」に例えた。また、妹のトシも大変な才女でありながら、若くしてこの世を去っている。宝石のような二人に先立たれた親を想いながら、東北の俳優たちと『銀河鉄道の夜』を、賢治が愛した演劇を用いて、“劇”を、する。滅多に星空を見上げなくなった、わたした
関西小劇場を支え、数多くの劇団を世に送り出してきた中島陸郎さん。そんな中島さんとゆかりのある4人の劇作家たちが、中島さんへのオマージュとして書き下ろした短編戯曲を40名以上の男女が演じます。演劇プロデューサーであると同時に、詩人でもあり、劇作家でもあった中島さん自身の言葉も盛り込んで、「人間・中島陸郎像」に迫ります。