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即興でもない、ディベートでもない。だれかになりかわって、生の対話をしているうちに自然と演技ができちゃう!?演劇を観るのはいいけど、やるのはちょっと…と思っている人もいつの間にか巻き込まれている、そんな未来のコミュニケーションツールが「なりかわり標本会議」です。会議そのものを筋書きなしで演劇にしたらどうなるのでしょうか―新しい演劇スタイルの可能性を模索します。
優柔不断で頼りにならない映画監督、人の迷惑かえりみない完全主義者の女性キャメラマン、険悪な仲の二人の主演女優、そして文句の多いエキストラ…、助監督は切れかかり、制作助手は孤軍奮闘…。映画撮影現場の出口が見えない、笑いと涙の人間模様。
新進気鋭の男性舞踊家・組踊役者・音楽家が見せる奏でるアンサンブル。人気の若手琉球芸能家が一堂に会し、沖縄伝統芸能の「いま」に迫ります。第1部 華の男芸~男性舞踊家による琉球舞踊~【幕開け】古典音楽斉唱【若衆踊】若衆(わかしゅ)ぜい/金城真次、玉城匠【女踊】伊野波節(ぬふぁぶし)/東江裕吉【二才踊】高平良万歳(たかでーらまんざい)/玉城盛義【雑踊】むんじゅる/新垣悟【創作舞踊】舟はじ囃し(べーし)/
建築家の中西義照氏・住まい方アドバイザーの中西千恵氏のご夫妻が作・出演、THEATRE E9 KYOTO芸術監督のあごうさとしが演出する演劇公演。とある土地での家の妄想──。子どもが独立した後、プロの建築家が新たに家を建てるとしたらどんな建築が描かれるのか。その実際の建築計画、プロセスを演劇作品として上演。
大人の仕事ってなんだか大変。どんな仕事?なぜ働くの?そう、私のパパはマジシャン!目が不自由であるにもかかわらず、父親の再起のために奮闘する少女の物語。親の仕事を通して、家族の絆を見つめ直すと同時に、将来の夢と仕事、職業のあり方を考える作品。プロのマジシャンに師事して創り上げた本格的なマジックショーも楽しめます。
宮沢賢治は、よくわからない不確かな存在を「ガドルフの百合」と名付けました。ここにいるのかいないのか、そこにあるのかないのか、お互いの距離を感じなければいけない状況が、むしろ私たちの身体感覚を鋭くしている気がします。この作品は上郷クローブ座のある元上郷中学校全体を舞台にした回遊型パフォーマンスです。ダンスや演劇、美術、映像、音楽などが紡ぎ出す時間と場所へ、一緒に距離のない旅に出ます。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
大野慶人を被写体とする16ミリフィルム映像。2018年に大野慶人宅で発見されたものだが、撮影の経緯など詳細はわかっていない。無音の映像で、制作途上のフィルムである可能性もある。1969年に開催された大野慶人ソロ公演のポスター写真に衣装とメークが酷似しており、公演を準備している時期に鎌倉の海で撮影されたものではないかと推測されている。
本作品は寺山修司の劇団「演劇実験室◉天井桟敷」(1967年旗揚げ)の初期の作品(1968年)。 B機関では今回この作品に同じく寺山修司のラジオドラマ『コメット・イケヤ』を引用することにより、より重層的な作品を目指しています。男装の麗人オーマイパパと世界中を旅してまわっているいる点子が、老処女ウワバミが営む星のホテルを訪れることから物語ははじまる。奇妙な滞在者たち。明らかになる謎。思いがけない結末。
作者・松原俊太郎が演劇と出会うきっかけとなったブレヒト作『ファッツァー』をモチーフに、第一次世界大戦中の脱走兵を戦後日本に甦った英霊にトレース。「やってきた者たち」として戦争と自らの生死について語る彼らは、ときに閉塞感に悩む日本人の現在の姿を彷彿とさせ、さらには波にさらわれた記憶を語るなど、多くの人々の生きていた時間を一身に引き受けた、どこの誰とも特定できない存在だ。反復を恐れず、たわむことのない
遊劇体×泉鏡花オリジナル戯曲全作品上演シリーズ5
遊劇体×泉鏡花オリジナル戯曲全作品上演シリーズの第5弾。海底の龍宮城の別荘とでもいうべき城を舞台とし、そこには乙姫の弟である貴公子が賢い博士や沖の僧都や侍女たちと一種の理想郷として暮らしている。そこへひとりの娘が輿入れにやって来る。その娘は父により海神に売り渡されたのである。すなわち自然界からの豊穣を約束されるかわりに娘を生贄として差し出したのだ…。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
[2006年8月(ワークインプログレス)]"オーストラリアー日本 ダンスエクスチェンジ2006"参加・文化庁。オーストラリア・メルボルンにて滞在制作。
『平家物語』を原作に、平清盛の五男・重衡をモデルとした叶昌景の物語を描く現代劇。宰相の息子・昌景は、謀反の疑いで流罪となった貴族の娘の処刑を命じられる。彼女は最期に母から授かった神像への祈りを願い、その姿に昌景は心を揺さぶられる。栄華の陰で一族は重い抑圧に苦しみ、昌景も望まぬ戦に心を蝕まれていた。やがて彼は、処刑した女に瓜二つの遊女と出会い、その正体と神像の謎へと迫っていく。
アフリカで捕らえられた白いライオンの子レオは、嵐で海に投げ出されるが、獣医ヒゲオヤジと甥ケン一に救われる。母の言葉を胸にレオは帰郷を望み、探検依頼を受けたヒゲオヤジはレオを連れてアフリカへ。だが狩猟家ハム・エッグに襲われ探検は失敗。ケン一は別れを惜しみつつレオをジャングルへ戻す。3年後、成長したレオは再びケン一と出会い、幻の石ムーン・ライト・ストーンを求めて未踏の山に挑む。
福島原子力発電所の爆発事故と、それに続く日本政府を含めた核発電所を取り巻く状況に驚きと後悔を感じて、改めて情報や知識、知恵という概念を捉えようと試みた作品。振付に白井剛を、中心となる砂漠の老人には舞踏家の吉本大輔を迎え、音楽はヴァイオリニストの辺見康孝が舞台上で演奏を続け、パフォーマーの川口隆夫・平井優子・カズマ グレンと共に、幾人ものプログラマーが映像・音響ともに関わり、舞台を作り上げている。
善意を描くことを避けてきたKERAが、初めて"善人のみ"を登場人物に、これまでにも増して繊細に描き出したデストピア・スケッチ。クリスマスの夜、パーティーの計画を練る兄弟。しかし、楽しい一夜になるはずが、ちょっとした誤算からその計画はもろく崩れ去ってしまう。弟が想いを寄せる女、謎のヤミ医者、兄弟の部屋を間借りしたいと言う女、ガスの点検に来たと言う男。兄弟の家に集まった彼らの抱えていた「秘密」が彼らの
夢と現実の境界を行き来するうちに浮かび上がる世界。言葉を介さず連なる点と点を結ぶことで、呼び起こされる記憶。言葉によって何もかもを理解しようとする私たちの、その外に広がる世界に想像をめぐらせる。3団体の俳優らを中心とした長期プロジェクトから始動。演出はマイムの動きをベースに、独自の演出で注目を集めるカンパニーデラシネラの小野寺修二。ダンス・マイム・手話・コトバの境界を超えた、身体について探求する。
(パンフレットより)「四月の始まりと、異邦人が終わったあとの、あ、ストレンジャー」三月も、もう終わります、(つまりこの文章は、三月も、もう終わるって頃、ぼおんと、磨りガラスの窓の向こう、朝日が登り始めた、っていうのを、布団の中で眺めながら、書いています、)もう少しで、四月が始まります、『あ、ストレンジャー』は、四月の始まりに始まって、四月の始まりに終わります、(布団を出ることにします、机の上で林檎
カラフルな絵本の世界にようこそ!子どもから大人まで三世代で楽しめる年齢不問のエンターテインメント!ご存じ世界で初めて飛行に成功した ライト兄弟の物語!!︎ ではなく… ライト兄弟に憧れたある兄弟が、 亡き父の夢を果たす為 さまざまな困難に挑戦するおはなし
U子さんの町にはキル兄(あん)にゃが住んでいます。キル兄にゃというのはあだ名です。なぜそう呼ばれているかというと、彼が家中の本を切り刻んでは町中に撒き散らすからで、おかげで町には至る所に切れ端が積もり、道を歩くのも一苦労という有り様です。町の人たちは、いずれ家の本がなくなればやめるさと大きく構えていたのですが、不幸なことにキル兄にゃの家は古本屋で、切り刻む本はまだ底をつきそうになかったのでした。
Dance New Air 2020 プレ公演サイトスペシフィックシリーズvol.3
二重の国を持ち、二重の育てられ方をした私にとって安住の場所はどこだったのか。 私の愛情はどこへ向ければよいのか。私の身元はどこなのか。日本かアメリカの一方なのか、両方なのか。 それとも世界に私は属しているのだろうか。(イサム・ノグチ) 自身の生い立ちに起因する不確かな帰属意識に苦しみ、その救いを創作に求め続けた彫刻家、イサム・ノグチ。彼が建築家の谷口吉郎と共に手 がけた本会場「旧ノグチ・ルーム」は
ひとの恋愛に手を突っ込んでみたら、宇宙だった。・ 飲み屋の片隅で語られるような、「自分だけの特別な記憶」は、他人が聞けば「ああ、ただのつまんない恋バナじゃん」とサラッと流される。そんな程度の話かもしれない。・つながりたくてもつながらない。ふみはずしたくてもふみはずさない。そんな、閉じた男と、埋もれた女の、途方もない距離感の物語。
博多弁飛び交う地方都市クツワダのとある区域。街は日々姿を変え、人や建物、新しいものと古いものが入り混じる。あっという間に変わっていく、そこそこ歴史ある街の片隅で声が響く。「運動会って、やらないかんと?」大玉転がり、大縄くんずほぐれつ、バトン飛び交う白熱の議論。伝統ある住民参加の地域運動会。やる?やらない?今こそ白黒つけようぜ、いやそこは、紅と白で!
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
復活と再生。生死が交錯する神の森、熊野を仮想した土地を舞台に、この国に漂う生々しい死の気配から立ち上がる、力強い命の物語をオリジナルに展開。『23年目。復活の年。』古事記。歌舞伎。古き良き日本の古典文化の要素を、『神話』というファンタジーの世界観の中で、壮大かつ演劇的に表現。
TROPE シリーズ
「家具と身体の問答」家具の持つアフォーダンスをダンサーの身体がいかように引き出せるか答えの無い「問答」のような形でホワイト・キューブの舞台で繰り広げる。
都内郊外マンション。住人は城田兄弟、兄トモユキ。弟アユム。兄には知的障がいがある。弟の口利きで、兄弟ともに工場で働き、弟の恋人の舞子や幼馴染の西の協力を得て兄弟は平和に生きていた。アユムと舞子は彼女の両親に結婚の挨拶に行くが、兄の障がいを理由に反対される。兄の誕生日。工場の皆や友人を交えての誕生日会。その日、トモユキが施設に入ることが出席者に露見。弟は周りの人間から糾弾される。
「日月潭」とは「光と影」の物語である。そして「光と影」が織りなす迷宮を旅する男の「引き裂かれた魂」がお互いを探し求める物語でもある。あるときは鬼神に、またあるときは観音にも変化する「影」に誘われて、いくつかの扉を開いてゆく。水鏡の底から歩いてくるもう一人の自分。伸縮する迷宮の中で起こる死と再生の儀式。退行していく夢。夢という肉体が螺旋の渦に巻き込まれていく…。
-woody 主催によるパントマイム公演 ソロ作品とアンサンブル作品「道」による2部構成。 「道」はフェデリコフェリーニより 名作映画に刺激を受けた新たなる物語
能meets能
わかりにくいからこそ面白い能の、わかりやすく濃密な講座「能meets」。講座参加者からの一番多い感想「能公演がみたくなった」にお応えして生まれた能meets能。第一回の「大会(だいえ)」はおとぎ話のような、わかりやすく言うと「天狗の恩返し」といった題材。能ならではの表現をお楽しみください。本編に加え、仕舞や、他にはあまりない解説、普段は楽屋でしか見ることの出来ない能楽師による「能装束の着付け実演」
ゾウの等身大パペット(人形)で魅せる、人間の女の子に恋をした子ゾウの物語。子どもは、もちろんのこと、パパ、ママ、おじいちゃん、おばあちゃん、の三世代が楽しめる演劇作品であり、歌とダンスの入った、甘く切ない音楽劇。日本の文楽のテクニックを取り入れ、子ゾウの等身大パペットを、三人のパフォーマーたちが時に緻密に、時に大胆に操る。劇中歌は、当作品のために書き下ろしたオリジナルのメロディー。
1968年「広域108号事件」を題材。 死刑判決を受けた男が、自身の半生を物語る。
-一緒にお茶を飲んだり世間話をしたり、あるいは誰かともめたり、腹を立ててもそれを押し隠して笑ってみたり、そういった日々とぎれなく行われてる関わりの一番表層に見えている部分に、関わりの本質を探る。ダンサー3人の普通の会話を録画し、1分間だけを抜き出して、その動きをそのまま本人に振りつける。トレースしたフレーズで恐ろしく繰り返される表層のダンス。表層に見えていることだけて作っているにも関わらず、そこに
若手バレエダンサーを中心とした著名ガラ公演の第4回目。4回目の開催となり、本バレエフェスティバルは東京の夏の風物詩としてバレエ関係者の間で定着した。1989年1月末に第17回ローザンヌ国際バレエコンクールが青山劇場で開催されたことを受け、第4回青山バレエフェスティバルでは同コンクール上位入賞者6名が「1989年ローザンヌ国際バレエコンクール開催記念特別プログラム」を踊った。1989年のローザンヌ国
(フライヤーより)韓日ダンスフェスティバル(ソウル)日韓の若い才能たちの出会い「日韓ダンスコンタクト」日韓ダンス交流と韓国ダンスのいま「コリア ダンス ミュージアム」
東のはずれに、ある島があった。街には多くの人が溢れ、人々は行列になって進んでいく。行列の先には真っ赤に燃える炎があった――――。五輪の聖火、命の灯、誹謗の炎上、祈りの煙。社会を焼き尽くす数多の炎を、芥川龍之介の「アグニの神」をモチーフに描く。世界劇団が全人類に捧げる人間賛歌。身体と言葉を燃やし、炎の創成記を紡ぎ出す
quick silverとは、水銀のこと。元は日本郵船の倉庫だったコンクリート壁と柱だけの何もない空間で、銀色に光るカラダと場との対話が繰り広げられた。後に室伏鴻の代表作へと育っていく「quick silver」の初演。大野一雄フェスティバル2005参加。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
(フライヤーより抜粋)青山円形劇場オブジェクトシアターのシリーズは、一貫して人形劇の人形劇としてのおもしろさを追及してまいりました。今回は「古典」をテーマとし、その底にある伝統のおもしろさと、未来に向かっての可能性を感じていただければ幸いです。
あなたは嘘をつきますか?日常の曖昧な返事を含めて今までの人生で何回くらい嘘をついてきたか考えた事がありますか?例えば子供に「サンタさんはいるよ」と善良な嘘をつく時に、小さな痛みを感じますか?世の中は「言った、言わない」話で揉め事が絶えません。誰かが自分の尺度で真実を良いように解釈し「嘘」を正当化すれば、戦争だって起きる訳です。果たして嘘は必要なのか否か。人を騙すことは善なのか悪なのか。「芝居を見る
放浪生活を続ける作演出の実体験を元に作られた、異国の密室劇。学生時代に行った初演が好評を博し、4度目の再演。中東の安宿を舞台に、バックパッカーたちが集う。青年団の冒険王を彷彿とさせるが、舞台はその数十年後。あり得なく見えて、ものすごくあり得る話。パスポートを申請して、飛行機の切符を買って、成田エクスプレスに乗って。そしたら着いた。マジで着いた。バザールが立ち並び、街中には水パイプの香り。笑顔でよっ
遠藤は1970年代に渡欧し、マックス・ラインハルトセミナーに学び、以来長年ドイツと日本の二拠点で活動している。本作は東北大震災直後の日本に寄せる思いを作品化した。自然災害としての地震、人災としての原発事故、そして人々の悲しみと再生への希望が語られる。2012年10月、ハノーファーのTheaterwerkstattで初演。
ゴミで氾濫するドブ川が流れる失われた街。その街のはずれにある長屋の端と端に住んでいた少年と少女。十数年後、青年は何気なく立ち寄ったドブ川で死んだはずの少女と再会する。二人は、時代と時空を超えながら旅をする。 実話を元にしたハートフル・スラプスティックコメディタッチの不条理演劇。令和に誕生した新たな野外テント演劇集団”天幕劇場深海洋燈”の旗揚げ公演。“まち”とつくる新たな野外演劇文化の発展を目指す。
ダッショク舞踏キャバレエシリーズ
メルボルン在住パフォーマンス・アーティストとして活躍するゆみうみうまれと、 大阪発 世界を駆けめぐる劇団 GUMBO による舞踏キャバレエ狂想劇! 揺れる感覚、ぶれる思考、はぐれるアイデンティティー、ずれるコミュニケーション・・・舞踏にキャバレエをミック スさせた ゆみうみうまれの踊りと、劇団 GUMBO の色鮮やかなコメディに、オーストラリア、シンガポール、そし て日本人ゲストアーティストの多彩
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おなじみのピーターパンのお話である。とはいっても、ピーターパンもすっかり大人しくなって、相変わらず夜中に子ども部屋に忍び込み、子どもたちをさらってネバーランドへ連れ出してくれるものの、ちっとも冒険をさせてくれない。でも、そこはネバーランド、冒険は向こうからやってきて、ピーターパンも子どもたちも、海賊たちと闘うことになるのだが…。 誰もが知っているピーターパンとはちょっと違う、歌って踊って、大いに笑
2000年、アウシュビッツからホロコースト教育資料センターに遺品として届いた少女のかばん。表面には大きく『ハンナ・ブレイディ625 1931年5月16日生まれ 孤児』と書かれていた。春奈と純太の兄妹は、そのかばんを開けた途端、1938年のチェコスロバキア、ノブ・メストに暮らすユダヤ人一家ブレイディ家にたどり着き、娘「ハンナ」、息子「ジョージ」として暮らすことに……。ひとつのかばんから今世界中に広が
フランスを代表する著名な現代詩人、ジャン ・デイブの最新詩作「アントニオ・ グラムシ」をもとに構成された、武藤直美の舞踏と著者自身の朗読によるパフォーマンス作品。1926年から亡くなるまでムッソリーニ政権によって投獄された、イタリア共産党の創設者であり哲学者アントニオ・ グラムシ。ロシアで出会った妻のジュリア、彼の収監期間中獄中ノートとその執筆を助ける二人の義姉妹タチアナとタニア、哲学者とその文書
弦巻楽団演技講座
年齢・職業・演劇経験の垣根を超えて作品創作に取り組み、本格的な演劇体験ができることに定評のある弦巻楽団演技講座。開講10年を迎え、ついに『ロミオとジュリエット』を上演。互いに敵対する両家の間に生まれた、二人の若い恋人たち。1つの事件を皮切りに、運命の歯車が狂っていく名作悲劇。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
台湾のアーティスト、リヴァー・リンによる、戦後日本に生まれた先駆的芸術運動「具体(具体美術協会)」について、特に田中敦子、白髪一雄、村上三郎、嶋本昭三らの作品を参照したオンラインパフォーマンス。また、C-Lab (Contemporary Culture Lab Taiwan)との共同制作作品として2020年に台北で上演されたパフォーマンス作品『具体美術宣言と踊る』のドキュメンテーション、TRUア
海峡にのぞむ理髪店「山猫BARBER」。店の親方は昔カミソリで細君のノドを掻っ切ったとか。だけど細君も娘さんもちゃんといるようです。 北海道の炭鉱でガス爆発にあって温泉療養に行くという青年、なぜここへ来たのか自分でもわかりません。久しぶりのお客にカミソリを手にした親方、見習いに手伝わせますが危なっかしくてしょうがない。別役ドラマ独特の滑稽きわまるやりとりと時間の交錯、そこから不気味な記憶がよみがえ
sunday play#4
人と人が出会って別れる。そこに含まれる奇跡とか偶然とか笑えるくらいの哀しさとか、そういうものを描きたいと思います。忘れないうちに。パズルのように組まれた幾つもの階段、影とライト、さまざまなものが反転する世界で、7人の役者が入れ替わり立ち替わり一人か二人の幻を演じる。
嵐吹き荒れる街、とある劇場で出番を待つ出演者。しかし、電車の運休や思わぬトラブルに見舞われこのままでは舞台の幕は上がらない?!舞台の見切れ線を指す「The leg line」はたしてこの一線を越えられるのか?2021年12月に初演。好評を得たコメディミュージカルを海外公演に向け「英語字幕つき」で再演します。「歌いたいのに歌えないショー」が…今…開幕する?
劇団プレステージ 第18回本公演
公演を控えたとある劇団が稽古をしている。劇団創立10周年記念公演と銘打った作品は、特攻隊をテーマにしたいわゆる戦争モノの作品である。緊迫したシーンが繰り広げられていると、そこには見知らぬ青年が2人混じっていた。彼らは“ホンモノの”特攻隊員であった。2人は言う「僕たちも仲間に入れてください!」
ドイツのギムナジウム(高等中学校)と寄宿舎生活を舞台に繰り広げられる物語。冬の終わりの土曜日の朝、一人の少年が死んだ。彼の名はトーマ・ヴェルナー。そして月曜日の朝、一通の手紙がユリスモールのもとへ届けられる。「これがぼくの愛、これがぼくの心臓の音...」トーマからの遺書だった。その半月後に現れた転入生エーリク。彼はトーマに生き写しだった。ゲームだったはずの茶番劇。しかし、その裏側には思いがけない真
末永く上演されるレパートリー作品を劇場が生みだすべく、ロームシアター京都が主体的にプロデュースする事業として、2017年度から開始したプログラム「レパートリーの創造」の第一弾となった本作。2015年に、監修・補綴・主宰の木ノ下裕一と、演出の糸井幸之介のタッグで初演された『心中天の網島』を、2017年ヴァージョンとして再創造(リクリエーション)した公演。【あらすじ】大阪天満の紙屋主人・治兵衛は、
1969年ロンドン。若き実業家マードックが敏腕編集者のラリーを右腕に、落ち目の新聞「ザ・サン」を買収し、権威的で腐敗した新聞業界を打破すべく立ち上がる。野望の船に乗る人材集めにはじまり、既成勢力の圧力との闘いを経て、発行部数を増やしていく「ザ・サン」。そこには通俗に過ぎるという批判もあった。ある時、仲間の妻が誘拐され……。英国新聞界の史実と、鬼才ジェイムズ・グレアムの想像を輪転機に回したスピーディ
『デカメロン』は14世紀のペストの流行拡大を背景に書かれた。では現代、コロナの騒擾を抜けだしたら私たちは何を語りあうのか。舞台は避難所。疫病、戦争、災害――人々が何から逃れているのかははっきりしない。舞台上では『人類への提言』という鼎談がおこなわれている。そこに突然闖入してくる『デカメロン』の中の物語、あるいは脈絡のない言葉の朗読。場面と場面の行間から私たちを取り囲む「悪夢」が見えて来る。
1996年8月に、エジンバラ・フリンジ・フェスティバルにて初演。「全くビリビリとしびれるような感動にみまわれる」(The Stage紙)「身体の動きというものの美しさ、意味深長さを教えられる。」(The Scotsman紙) 等の絶賛を受けました。その後、更に練り上げ深めつつ、国内各地で上演を重ねた劇団態変の自信作です。