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『演劇【推しの子】2.5次元舞台編』は、原作の第5章「2.5次元舞台編」に焦点を当て、漫画作品の舞台化の制作ドラマを描く。フレッシュからベテランまで幅広い顔ぶれの実力派俳優を迎え、新たな演劇の歴史を築き上げてきた精鋭スタッフ陣による叡智と技術を集結させ、舞台『東京ブレイド』の2.5次元舞台化に挑む。
写真家・八木咲との共同制作作品。写真家とのライブセッションや、写真家自身プロジェクターを手に、空間に映像を投影したりなど、さまざまな仕掛けで舞台上に流れ続ける時間を「瞬間」に捉え直す。その行為は、まるで、過去と現在そして未来を少しずつずらしながら体験する時間旅行のようでもあり、観客はいつの間にか、自分自身の身体がカメラになったように、その空間をおもいおもいに切り取り始める。新しい「体験型」のダンス
(パンフレットより)じっさいにその作業をするのにかかる時間をつなぎあわせて、どういうヒカリを暗闇のなかにいれて、物事を、風景をみつめていたか、ということをあらためて取り組んでみてかんがえた。おそらく、みえているものすべてが本物ではないことは、幼いころからわかっていた。では、本物はどこにあるのだろうか。右眼を塞いで、左眼だけで遠くのほうをみつめながら、そんなことを想っていた。ぼやけた画面のなかに、本
「消失」し続ける身体。そして「消失」しても、なおそこに「在る」ダンス。創作活動の出発点となった劇場で、自身の原点と立ち向かう三部作。果てしない身体の探求 舞踊を捉え直すために必要な逸脱 ルーツへ その先の詩体へ。1「遺された軌跡」2「Vanish」3「風景とともに」
双子の少年たちの日記として描かれた原作小説『悪童日記』は、その文体が非常に無機質な点が特徴です。そこで今作品では、『悪童日記』の物語ではなく、文体を立体的に立ち上げることで、双子の目がとらえた戦時下の片田舎の風景を描くことに挑戦しました。5つの無機質な台と5人の俳優、抑揚を排した発語を使って、非常時にあらわになる人間の本質と、無機質な文体の奥にしまい込まれた双子の感情を炙り出します。
「コドモも、モモも、森んなか」いつか、モモとゆう存在を、なくすのだとわかってはいたけれど、やっぱりなくしてしまって、そのことがやっぱりおおきかった。七月だった。モモが、なくなったのは。かんがえちゅうで、まだまとまらない。モモが、なくなってしまって、鳴らなくなった音があった。でもそれでも、物音がすると、モモじゃないかと振り向いてしまう。まだモモが、いるような気がして。音をさがす。そんな時間を、つくら
SCOTサマーシーズン2025
鈴木忠志がニッポンについて問題提起をした代表作『世界の果てからこんにちは』。昭和、平成、令和と歴史的変遷の中を生きてきたニッポンジンのその時々の精神的な特性を批評的に描き、ニッポンの将来を展望するための素材とした舞台。スズキ・トレーニング・メソッドで鍛えられたSCOTの俳優陣がその成果を披露する50年記念作品。
(フライヤーより)ご存じのように、こどもの城はこの11月1日で開館2周年を迎えました。この2年間のあいだ、こどもの城では様々な催しを開催し、来館されたご家族の皆様に楽しんで頂けるようにと努めてまいりました。青山円形劇場では国際交流企画としてご家族の皆様で楽しく踊ったり、ゲームをする中で国境を越えた交流が実現すればと願いをこめて6回のファミリーディスコを実施してまいりました。こどもの城として3年目を
(チラシより)いつだってずっと、もう何年も。どこか内側に在るシーンというシーンは、眼裏で目まぐるしくリフレインしている。最速のスピードを持って、脳内を駆けめぐる。あの季節の、あの湿度のなかを走りつづけている。もしくは、歩いている。校舎のなかを。休み時間、教室から教室へ。廊下を、歩いている。なんともない日々の眺め。しかし、その平穏さが一変する瞬間。いつのまにか忍びよっていた影に気づかずに、ある瞬間。
鈴木忠志率いる劇団SCOTとインドネシアの俳優による、2021年11月に初演された国際共同制作作品。劇団SCOTは2015年から5年に渡り鈴木忠志演出、日本・インドネシア・中国の俳優による『デュオニュソス』(国際交流基金アジアセンターとの共同企画)を制作。この成果をさらに発展させるべく、インドネシアのプロデューサー、レスツ・クスマニングルムのもと継続的に「スズキ・トレーニング・メソッド」の訓練を行
劇団夢の遊眠社第29回公演
初演は1985年、近鉄劇場・本多劇場など全国縦断公演を実現。1986年に国立代々木競技場第一体育館にて『石舞台七変化』三部作のひとつとして再演された。この三部作一挙上演は上演時間のべ6時間におよび、1日で26,400名の観客を動員するという偉業を成し遂げた。<あらすじ>『石舞台星七変化』を締めくくる第三作では、三人の女騎士たちは、神々から追放されている。「第三の男」は、掌の生命線と記憶を失った男と
息子を亡くした美緒は離婚協議が停滞する中、母の三回忌に帰省する。遺された母と、祖母の記憶。たどりつくのは果てしなく続く母娘の軛か、それともー。愛媛の歴史ある建造物を背景にした初演から日本最大級の演劇祭「豊岡演劇祭」の劇場空間に合わせて再構成した作品。劇団UZ初の県外上演作品。
TOKYO DANCE TODAY #3
青山円形劇場の空間を生かした独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の第3弾。ダンサー、振付家として様々な分野のアーティストとコラボレーションし、ジャンル横断的に活躍する森下真樹の構成・演出・振付・出演による作品。
世間を震撼させたバスジャック事件「新鷺梁津事件」から十年。イラストレーター志望のキム・リカとルームシェアし、ネット記事の執筆とアルバイトでその日暮らしを続ける自称ライターの三浦小豆は週刊誌連載を狙い、被害者たちへの取材を始める。彼らは変わりゆく社会の中で、風化しつつある「事件後」を生きていた。事件の影響で片腕を失った青野尚子の電動義手手術への支援を求めるクラウドファンディングが立ち上がる中、ネット
劇団 夢の遊眠社第29回公演
初演は1985年。紀伊國屋ホールを筆頭に全国各地を巡る。1986年に国立代々木競技場第一体育館にて『石舞台七変化』三部作のひとつとして再演された。この三部作一挙上演は上演時間のべ6時間におよび、1日で26,400名の観客を動員するという偉業を成し遂げた。2006年には蜷川幸雄演出によりシアターコクーンで再演している。(松本潤・鈴木杏出演)<あらすじ>北欧神話を原作としたワーグナーの楽劇『ニーベルン
(パンフレットより)おもえば、いつだって夜だった、たとえ朝がやってきたとしても、それは時間がそうさせているだけであって、夜であることに変わりはなかった。たまに笑ったのだとしても、それは夜に笑ったにすぎない。そうだ、夜だった、と我にかえって表情を失くすのだった。さいきん、ますます夜は暗闇を増すばかり、どうしたらこの暗闇から抜けることができるだろうか、なんてかんがえるだけ無駄かもしれない、もはや。だけ
トリコ・A 演劇公演2021
脳性麻痺を患う主人公は、小さな町にある小さな寺で、両親と暮らしている。彼女の定位置は大きな松の木のある庭に面した縁側。ある時は父の読むお経とともに、ある時は縫い物をする母とともに、彼女の毎日は過ぎていた。ある日、父が倒れ、彼女のもとへ初めてヘルパーがやってくる。ところが主人公は、ヘルパーとどう接して良いのかわからない。彼女は悩む。私はヘルパーに、何をしてほしいのか。そもそも私はいったい、何を望んで
2014年に小説家・川上未映子のテキストを用い、青柳いづみ出演で「まえのひ」を上演。その第2弾となる本作は、川上の詩集「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」「水瓶」より、主に7篇の詩を使用して、6つの演劇を立ち上げた。各作品の衣装を6人のクリエイターやファッションブランドが担当。
駅近くのラブホテル街。その路地裏で一人の女子高校生が遺体で発見された。友人の死の謎を追うアカリが迷い込んだのは、仄暗く人通りの少ない高架下。中華料理屋の裏でジャガイモの皮を剥き続ける男とその店の主人を待ち続ける女、自称カメラマンの男、誰かに拾ってもらうのを待っている女、たゆたう誰かの記憶ー。ドイツ不条理演劇の先駆者F・ヴェーデキントの「ルル二部作」をベースに「関係できない人々」の姿を描く。
都内などで原因不明の高齢者連続死亡事案が発生した。死亡した全員の容姿がまるで若返ったような状態であること、彼らが同じ地区出身者であることが浮かび上がるー。調査のため、市役所職員の前田とともに山奥の集落に向かった佐知子は大雨の中、事故に遭ってしまう。ぼんやりと揺れる灯りの先に見たものは……。日本限界突破集落地獄外道祭文‼
家族最年少の母カジュ恵は焦っていた。夫の母から「真の孫」を求め続けられているのも、義理の娘二人が妊娠していることも。なにより長女幸子が十六カ月も身籠っていることが-。ギリシア喜劇の傑作「女の平和」を大胆に解釈し、性と家族の闇を歩く。キャスト全員客演で送る、劇団UZ旗揚げ準備公演。
(パンフレットより)三年前にこの作品は一度、故郷の北海道伊達市で、終わりを迎えたはずだった。だけれどまたこうして取り組んでいるのは、この三年間で家という生命体そのものが、現在という時間のなかでどう在ればよいのか、という問題が自分のなかで、まるで変わってしまって、膨らみつづけていたからだろう。現在という時間は想像できているだろうか。あのころの食卓のこと。ひとりひとりの表情を。家という生命体の内臓は、
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先日、行きつけの店の店長さんに散髪してもらっていた時、髪を「切る」に対し過不足なく「切って」いて、そうかと思い当たったことがありました。張り切るでも慣れるでも緩むでも表現するでも好き嫌いもなく、ある動詞を過不足なく体現することは実際とても難しい。日々同じ動詞に向き合う中で、飽きず過不足ない状態に辿り着くことについて、考えるところがありました。以前ジャズピアニストが、究極のドミソが弾けたらと話してい
(パンフレットより)一月に書いた文章を眺めている。あれから、なにを経て。どんな音を聞いて、どんな光景を目に映して。どんな時間を過ごしてここまで巡り、辿りついただろう。想像もしていなかったようなことは、やはり起こる。それに伴って、線なんか引かれていなかったところに線は引かれていく。内側と外側があるのだと知る。部屋のなかで窓より外の世界を想像するのがこんなにも不安なことだった、だなんて。しかし、やはり
劇団夢の遊眠社第29回公演
初演は1985年、科学万博つくば'85エキスポホール、パルコ劇場など。1986年に国立代々木競技場第一体育館にて『石舞台七変化』三部作のひとつとして再演された。この三部作一挙上演は上演時間のべ6時間におよび、1日で26,400名の観客を動員するという偉業を成し遂げた。その後、1988年7月には第1回ニューヨーク国際芸術祭参加作品としてBAMマジェスティック・シアターで上演。同年7月にはパルテノン多
(パンフレットより)生まれてきた奇跡のさきへつづく旅路。それは森であり、夜である。ただ歩いていくのは困難で、立ちはだかるものをまえに立ちつくす。見たくないもの、聞きたくないものに触れてしまう瞬間が、やがて誰しもに訪れる。ときに、どうしてこんな世界に生まれてきてしまったのだろう、とおもうかもしれない。けれども、生まれてこなければ出会えなかった。たまには立ちどまって、来た道をふりかえってくれていい。思
まだ見ぬ「春」を渇望し、これまでどれだけの人が、自らを捧げたのだろうか。世界を支配する暗い「冬」は、わたしたちからなにを奪い、なにを創り出そうとしているのだろうか。「祭典」という名の儀式は、本当に人々を救ったのか。わたしたちは、まだ本当の「春」をしらないのだ。
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(フライヤーより抜粋)この1年、ずっとサンタさんは、ひとりでも多くの子に素敵なクリスマスをプレゼントすることを願ってきました。ミセスサンタも同じです。けれど、いつもひとり残されるミセスサンタは、今年はサンタさんのそりに内緒で乗り込みました。サンタさんとクリスマスにデートしたかったからです。ところが、途中である星に落ちてしまいました。そこは、けんかのたえないキャンデイーの星でした。さあ、ミセスサンタ
2012年に発表した『現在地』より、演劇に対する態度を大きく変化させた岡田利規。そこには、震災とそれによって引き起こされた日本の社会状況がまぎれもなく影響しています。今作『地面と床』で、その変化がもたらしたフィクションへの探究をより深めて描き出したのは、"そう遠くない未来の日本"を舞台にした死者と生者の物語。さらに、これまでにも取り組んできた音楽とパフォーマンスの関係性をより発展させるべく新たなア
突如現れた「アレ」によって避難指示区域となった街。高校二年の春から、かれこれ二十年引き籠もり続けるニシダ君はわずか十日で出産する謎の女ミクニとともに「軍隊作り」に着手する。そんな中、妹サチコは自分たちを捨てた父と密かに文通を始めるのだった。消えゆく風景と記憶。遠くの教会から届く鐘の音が呼び起こすのは、母が語った福音書―。伊豆野眸「家族三部作」の第二章。
愛媛県松山市の三津地区で100年以上の歴史を持ち現在もなお郷土に愛される旧鈴木邸に借景し、母娘三代を描く記憶と命の物語。時代に翻弄されながら命をつないだ名もなき人間の姿、母子に受け継がれる心身の連鎖。一人の肉体を三人の記憶が通り過ぎていく。
ウソでもいいから ひとつになりたい今より少し未来のにほん。子供たちは子育ての訓練を受けた大人によって育てられていた。自由と平等が保障された理想的な環境で伸び伸びと育つ子供たち。しかしある日突然、子供の生活は生みの親に一任されるという通達が国から下される。国の決定に反発し、一丸となって子供を守ることを決意した大人たちはしかし、次第に不安という敵に飲み込まれ、分断されていく。国の顔色を伺うもの、大人の
おねしょに悩むおんなのこは、飼い猫のにゃあにゃあちゃんから聞いた古い言い伝えを叶えるため、夜の森へ出掛けて行きます。おかあさんも子どものころに出かけた森には、たくさんの動物たちや不思議な生き物、妖精たちが住んでいました。森で出会った狩人に案内されて森の奥へ進むおんなのこ。やがて辿りついた古いおうち。となりの森と戦争が始まろうとする中、おんなのこが古いおうちで見たのは……。