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〈あらすじ〉地方都市。妹とその兄は小さな街で行方不明になる。お互いの存在の中のみで。2人は同じ街で生活を続けている。どこにも行けないままどこかへ消えた家族を思ったり忘れたりしながら。ある時、兄は思い出す。2人がすれ違う過去と、そのバスの行き先を。
今作は過去編と未来編の連作である。過去編は〈日差し〉の視点から〈森〉との婉曲しながらもシンプルな関係が描かれる。物語は二人の別れから始まり、その末、日差しは見たことはあるけどいつもと違う、過去とも未来ともつかない空間に漂着する。未来編では日差しと森の娘である〈春望〉が主人公となり〈陽子ひいばあちゃん〉を探す旅に出る。またインタールードとして現われる〈せかい〉の存在が作品世界全体を複雑に揺り動かす。
[作品ノート]自分のためにやっているけど、まだまだ青いっす (マトロン)。依然不安定なコンピュータの舞台芸術への介入には、未だ危うさが生じる。だが、危ぶむなかれ。危ぶめば、道は無し。歩めばその一歩が道となる(ボリボリ)。ぽつねん、ぽつねんボーイとぶつぶつ言いながらこのビデオ、城戸マトロン晃一プロモーションビデオを少しづつ制作しはじめたのは2年前の夏頃からで、あるときビデオ画面のつぶつぶを剥がしてみ
ほぼ全裸のパフォーマーが輪になって走り続ける『マタドウロ(屠場)』、全身を漆黒に染めたダンサーがひと塊になって観客の間を蠢きまわる『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』。ブラジルの鬼才マルセロ・エヴェリンは、過去2回KYOTO EXPERIMENTで作品を発表しているが、いずれも客席と舞台が混然一体となった場の中で、観客を興奮と困惑のはざ間へと連れ出してくれた。そんなエヴェリンが次に目をつけた
第二次世界大戦下、ポーランドに実在した、ヤヌシュ・コルチャックは、1942年ユダヤ人迫害の嵐吹き荒れるポーランドで、孤児院の200人の子どもたちと自ら運命を共にし、絶滅収容所行きの貨車に乗り込みました。1989年国連で採択され、1994年に日本でも批准された「子どもの権利条約」の理念はコルチャックの著書「子どもの権利の尊重」に基づいています。戦後75年となる今日においても、地球上では戦争や紛争によ
夏。サマー。でもって、タイムマシン。とある大学のSF研究会の部室にて。「昨日に行って、壊れる前のリモコンを取ってくると!」「そして、クーラーを復活させると!」昨日と今日の因果を巡り、辻褄あわせの大往復。20周年を迎えたヨーロッパ企画がおくる、13年ぶりのブルース。
演劇キックプロデュース
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(フライヤーより)アメリカからヨーロッパへと発信されたダンスは、いま様々な国で受信されて同時多発に演舞をはじめた。まるで21世紀のダンスシーンを予感させるように………。様々なダンスシーンを展開してきた青山円形劇場は、世界最大のシャンパンハウス モエ・エ・シャンドン社の特別協賛を得て、ヌーベル・ダンスの新しい潮流──マリレン・ブルーケール・ダンス・カンパニーICOSAÉDREの初来日公演を1992年
ひとの恋愛に手を突っ込んでみたら、宇宙だった。・ 飲み屋の片隅で語られるような、「自分だけの特別な記憶」は、他人が聞けば「ああ、ただのつまんない恋バナじゃん」とサラッと流される。そんな程度の話かもしれない。・つながりたくてもつながらない。ふみはずしたくてもふみはずさない。そんな、閉じた男と、埋もれた女の、途方もない距離感の物語。
春に吹雪が訪れた。、村の少年・カイはその吹雪の中へと誘われる。カイを招き入れたのは、数年前に亡くなったかつての幼馴染、スノウであった。スノウは死後、冬の悪魔「雪の女王」となり、前世の記憶と共に大切な友人たちを氷という永遠の世界に閉じ込めようとしていたのだ。カイの失踪を受け、スノウの妹である村の少女・ゲルダは彼を探す旅に出るのであった。愛と記憶を巡る、優しく温かいスノーファンタジーミュージカル
河野紗代子(ピアノ)と清水美紗都(ダンス)が1つのテーマに対して感性をぶつけ合った共同作品。海は刻々と表情を変え、様々なブルーを見せてくれる。キラキラとした心躍る水色のブルー。時間の流れがゆっくりに感じる水中の瑠璃色のブルー。吸い込まれそうな夜の濃紺のブルー。荒れ狂った波の限りなく灰色に近いブルー。「青」という色が持つミステリアスな多面性をピアノとダンスで描く。
雑然とした空気が漂うある地方都市の駅前。冬、ある女の失踪をきっかけに出会いとすれ違いを繰り返し、やがて街全体を巻き込む大きな事件が起きる。そこには人の「死」の軽さがあった。避けられない終わりへ対峙する、間に合わない者たちの群像劇。
震災後廃校になった校舎の片隅で開かれている陶芸教室、女が海を見ながら作陶している。その横で男が作陶している。風鈴の音が鳴り二人の物語が証されて行く。
元気で人気者の小学4年生のエイジは、ユニークな同級生たちと楽しい毎日を過ごしていた。しかしある日、偶然が重なり、エイジは「らんぼうもの」のレッテルを貼られてしまう。学校を逃げ出したエイジは、中学生のイサオと出会う。そして決めた。目指すは “かっこいいギャング!” そして、同じクラスのタカヒロとココロとともに大きな夢を叶えるために走り出すのだ!
俳優の大倉孝二、劇作家・演出家ブルー&スカイが共同主宰し2014年旗揚げしたユニット「ジョンソン&ジャクソン」は、「くだらない、何の役にもたたない芝居作りを澄み切った思いで目指す」と標榜し、大倉とブルー&スカイの脚本・演出・出演の共同作業でコンスタントに上演。公演毎に二人に馴染み深い多彩な出演者を迎え、ジョンソン&ジャクソンにしか表現できない、何とも味わい深い“くだらなさ”を追求した作品を創作して
(フライヤーより)ラジオ放送全盛期。ひとつの番組が終わりを告げた。愛する人との別れがあった。赤裸々な人間模様が交差するラジオ・ブースでDJ古舘伊知郎のONとOFFがスパークする。「音楽を聴いて人が涙するように、語りで時代の哀しみを伝えたい」そんな想いを込めた、古舘伊知郎Talking Blues第4弾!既存のライブ・エンタテイメントの枠を超え、かつて誰も創り得なかった劇的空間が現出する。
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TRILOGYと共に上演したこの作品は、アレン・ギンズバーグが作曲したウィリアム・ブレイクの「乳母の歌」に振付けた。アレンとは1980年にコロラド州のナロッパ大学で講義をしていた時に友達になった。公演では、友達たちとつくった即席バンドDIRT BANDの演奏で、親友だったスタンドアップ・コメディアンのボブ・キャロルに歌ってもらった。この公演から間もなく、私達はニューヨークシティーを離れ、この作品を
私たちは、家族だった。結婚式場の控え室。新婦の女はウェディングドレスに身を包み、煙草に火をつける。彼女の視線の先には、初老の男たち二人。夫婦のようにも見える彼らのやり取りを“娘”である女は慣れた様子で眺めていた。“父”の一人である男の走馬灯として語られる、奇妙な家族のありふれた物語。
1911年、日本初の女性文芸誌「青鞜」が創刊。これに刺激を受けた伊藤野枝は、平塚らいてうを慕って九州から上京してくる。青鞜社で働くことになった野枝は、女学校時代の教師・辻潤と結婚、子供をもうけるが、しだいに無政府主義者・大杉栄に惹かれていくのだった――。近代国家への道を歩き始めた日本で、女性の解放を求めた新しい女たちと社会変革を目指す男たちが実名で登場し、男と女の関係から様々な女性の生き方を描き出
海の向こうには、もうひとりの自分がいる。彼方に戦場を臨む海。国境を越え、時代を越え、鯨捕りたちの新たな旅が始まる!捕鯨漁をする南の島ラマレラに、日本兵が流れ着く。日本語、英語、インドネシア語の台詞が激しく飛び交う「くじら獲り」を通じて、日本兵たちはその島の人々に自分自身を見出していく。「揺れ動く世界の動向をよそに、私たちはユートピアを作った」
2011年に起こった東日本大震災と、2020年以降の新型コロナウイルスによるパンデミックへの取材を元に、今を生きる人々の不安を多様な音楽と共に描いたパフォーマンス作品。2021年に東京での初演を経て、第66回岸田國士戯曲賞最終候補作品となった本作を、新演出で上演する。
ブルックリン音楽アカデミー・ネクスト・ウェーブ・フェスティバルからの委嘱作品。お茶で染めた絹布と綿布、乾いた葉、赤のペンキで巨大な樹をつくった。プログラムには、「樹は自らの想い出に傷ついている」とある。私達は二人共完全に全裸で、自然の夜の音を使った。THIRSTと共に第2回ネクスト・ウェーブ・フェスティバルで発表。1989年にはスパイラル・ホールでTHIRSTと共に上演、76年に日本を離れてから初
ニューヨーク州北部にあるキャッツキル山地に住んでいた時に制作した作品で、1983年にカンポ・カルチュラル・センターにて初演され、1984年、ニューヨークのダンス・シアター・ワークショップ冬季シーズンで再演された。1984年の再演時にはNIGHT TIDEと共に上演、初めてのベッシー賞(ニューヨーク・ダンス&パフォーマンス賞)を受賞した。
(フライヤーより)古き良きテレビ創成時代からお下劣バラエティ全盛時代へ、あるいは地上波全盛時代から多チャンネル化、メディアミックスの時代へ。テレビとは何か? テレビはどこから来てどこへ向かうのか? テレビ時代の申し子古舘伊知郎が、生みの親であるテレビと真っ向から勝負を挑み、その夢と現実を描きます。独特の話芸と毒舌と笑い。”語りを通して人間の哀しみを伝えたい”という恒例のトーキング・ブルース第5弾。
THEATRE E9 KYOTO アソシエイト・アーティスト公演
純子は同棲している彼氏からある童話を聴かされる。そこでは彼氏が元々蛙魚という生き物であったことが語られるが、そんなフィクションめいた話を純子は何故か信じ始めてしまう。また、その話の結末にてルクレという蛙魚の友達のような存在が死んだまま水底に捨てられたことを純子は忘れられないでいた。純子は、バイト先の同僚の野口と虚構の旅に出て少しでもルクレに近づこうとする。そして、彼女は水底で、ある女性と邂逅する。
この上演に当たっては確か9ヶ月になろうとしている母體真っ只中、體は刻々と変化していた。それそのものをどう作品にするかの試みがこの公演の醍醐味だった。胎児を育もうとする體は異常に睡眠を要求する傍ら、公演などという目論見に向かっており、育もうとする母體と公演を貫こうとする意志が、闘いながら交錯して出来上がって行った。
ミュージカル
「家なき子」は、エクトール・マロの代表作。日本でも小説のみならず、アニメや漫画、絵本など多くの人々に浸透してきた。捨て子だったレミが親を探して旅をする貴種流離譚。栗田芳宏の力強い演出と宮川彬良の親しみやすい魅力的な曲、ただ単に子どもが大勢出ている「子どもミュージカル」ではなく、大人も楽しめる完成度の高いミュージカル、出演者60人余、セットも大変大掛かりでスペクタクルな作品として、りゅーとぴあ開館5
THEATRE E9 KYOTO アソシエイト・アーティスト公演
死ぬことを決意したある青年が体験する最後のフィクションは、死ぬ日の朝に見た夢。フィクションと現実はねじれながら、青年の記憶を掘り起こしていく。そこには「喪失」の手前で、宙ぶらりんのままの日々があった。知っているような知らない人たちとの青春の終わり。
ブルーシャトルプロデュース
後鳥羽上皇 vs 北条政子源 頼朝 vs 北条義時はたして“草薙の剣”は誰の手に日本の歴史をエンターテイメントで学ぶ作品シリーズ、第一弾!「承久の乱」では、1200年代に日本で起こった、公家と武家の争いを描いています。
イエイツが能に影響を受け創った作品を、重要有形文化財である代々木能舞台で、音楽家や俳優たちにより上演する試み。『猫と月』あらすじ:目の悪い男が足の悪い男を負ぶって、願いが叶う聖者がいるという泉に向かっている。願いが叶うなら、2人は何を望むのか。『鷹の井戸にて』あらすじ:その井戸には不死の水が湧くという。少女が井戸を守り、老人は水が湧くのを50年以上待つが飲めたことはない。ある日鷹に誘われて若者がや