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舞台は閉館している図書館の裏庭。本を返しに来た女、たまたま立ち寄った男、図書館のスタッフにより、虚構の物語の本質=「虚構は人の言葉を通して遠くへ、そして未来へとひそかに自らを運び、多様性に耐え得る社会を作っている」という内容が「虚構の遺伝子」という言葉をキーワードに語られる。
歌舞伎「小栗判官」の翻案。車載カメラで地図アプリのストリートビュー用の写真を撮影して回るドライバーが、「自分は一度死んでいる」と語る一人のヒッチハイカーと出会う。互いに気付かないが、二人はかつてヒッチハイカーの死によって分かたれた恋人同士である。永遠にも思える道行の最中、二人は次第に、なぜか何年も目的地に到達できないヒッチハイクの旅の孤独や困難、パートナーロスの苦しみなど、互いの思いを吐露し合う。
ベンとガスは殺し屋。今日も地下室で仕事の指令を待っている。すると突然、ダム・ウェイター(料理昇降機)がガラガラと降りてくる。中には料理の注文が書いてある一片の紙切れ。何度も何度も料理のオーダー表を運んでくるダム・ウェイター。持っている限りの食料を送るが注文は止まらず追い込まれていく2人。演劇/微熱少年と館林美術館のコラボ企画第1作。
FLOW series vol.1
本公演とは異なる手法を模索する実験的枠組〈FLOW series〉第一弾として上演。ネット空間で拡散される「Liminal Space」≒「境界的空間」と呼ばれる画像群をモチーフに、放課後の幼稚園・ハーフタイムのロッカールーム・深夜の選挙管理事務所などを舞台としたオムニバス風作品。俳優の「存在」ではなく「不在」に着目し、人間を使って“人間の居ない風景”を描くことを試みた。
おなじみのピーターパンのお話である。とはいっても、ピーターパンもすっかり大人しくなって、相変わらず夜中に子ども部屋に忍び込み、子どもたちをさらってネバーランドへ連れ出してくれるものの、ちっとも冒険をさせてくれない。でも、そこはネバーランド、冒険は向こうからやってきて、ピーターパンも子どもたちも、海賊たちと闘うことになるのだが…。 誰もが知っているピーターパンとはちょっと違う、歌って踊って、大いに笑
人は何によってできているのだろう。自分ではない「誰か」として、ぼろぼろ忘れながら、忘れ物を毎日しているような気分で生きている気もする。他者の知覚を追体験することはできるのか。「痕跡」「傷」について、顔を巡る旅をします。映像撮影に小宮山菜子さんを迎えての無観客配信作品です。
こじきや老紳士、魔法使い、市長、泥棒、白雪姫と称する少女らの前に突然現れた巨大な卵。大きな卵は回ったり光ったりしながら、中に本当の白雪姫がいるのではないかという夢を与える。本当の優しさとは何かを問いかけ、大人にとってはチクンと痛みを覚えさせるような作品。
◆TVアニメ『ラブ米 -WE LOVE RICE-』とはまさかのお米擬人化!?伝説のお米ハーベスター「五穀米」に憧れて穀立稲穂学園に入学したひのひかりを中心に、廃校寸前の学園を救うべく、ささにしき、ひとめぼれ、あきたこまち、にこまるの5人で「ラブライス」を結成!現代版田楽であるハーベストショーを通じて米の人気復権を目指すが、果たして彼らはお米の人気を取り戻すことができるのか…!◆RICE on S
カノン形式に沿って、2人の男女の出会いは何度も何度もリフレインし、男は幼児時代から大人へ向かって生き、女は老女から少女へ向かって生きながらすれ違いを繰り返す。2人はまるで現代の織り姫と彦星のようだ。電話で繋がってはむなしくその糸は切れてしまう。果たして2人は再び出会うことができるのか。
舞台には電信柱が1本。その下にゴザを敷いて座り込んだ男が、通りかかった男に声をかける。「おままごと、せぇへんか?」そして誰も、これを断るわけにはいかない。我々の日常生活における、あらゆる厳粛なできごと、深刻な現実でさえ、いつの間にか「おままごと」に変質させられていく、悲惨で滑稽なものがたり。
ひとの恋愛に手を突っ込んでみたら、宇宙だった。・ 飲み屋の片隅で語られるような、「自分だけの特別な記憶」は、他人が聞けば「ああ、ただのつまんない恋バナじゃん」とサラッと流される。そんな程度の話かもしれない。・つながりたくてもつながらない。ふみはずしたくてもふみはずさない。そんな、閉じた男と、埋もれた女の、途方もない距離感の物語。
努力クラブ、中野劇団との合同公演。コロナ禍において、舞台上でできる最善の感染拡大防止策「一人芝居」の3本立て公演。努力クラブ「憧れられたジュリー」中野劇団「もしもし」THE GO AND MO'S「注文の多い風俗店」
元新聞記者のヤブさんは、妻に先立たれ60代半ばで独り暮らし。やがてヤブさんの目に異変が起こる。右目で見える像と左目で見える像がブレ始め、二つの像はとうとう独立してしまったのだ……。ヤブさんから見れば娘の佐和子も2人、娘婿でかつての部下の松木も2人……。事態にうろたえたヤブさんは、なんとか収拾を図ろうと自分に言い聞かせ、ついに余計に見える像を消すことに成功するのだが、消されたのは本物の佐和子と松木
第12回せんがわ劇場演劇コンクールグランプリ受賞記念公演。劇場を舞台にした2つの二人芝居。【舞台編】舞台は、劇場の公演準備前の舞台。俳優がひとり舞台の上にいると、台本の台詞を正確に喋る見知らぬ男が現れる。それはすでに削除されたはずの台詞だったー。劇に登場しなかった登場人物とその役を演じるはずだった俳優の物語。【客席編】舞台は劇場の客席。劇の結末に納得できない登場人物と、人生でたった一度だけ見た劇の
全く仕事にやる気のない3人が突如参加することになった「第1回全日本もう帰りたい選手権」。ただ「帰りたい」だけだった3人は、壮大な陰謀に飲み込まれてゆく。そう、それはこの国を変えるほどの…
荒廃した時代。ある男が羅生門に辿り着き、死人の髪の毛を抜く女と出会う。男は女の行為を忌み嫌い、何故そんなことをするのかと問いただす。激しく言葉を交わすうちに、男は段々と自分の過去を思い出していく。「人の行く道は天秤のようなものだ。どちらに傾くか分かりはせん・・。」魂を揺さぶるダンスと心を震わす生演奏と共にあなたの心に問いかける人は生きるために何を得て、何を失うのか
——踏み出せ、その一歩を—— 大きなゾウを眺めていた。小さな憎悪を抱えていた。暑い日も、寒い日も、ちっとも動かず、立ち尽くしている。ずっと想像していた。あいつが一体、何を考えているのかを。
劇団「柿喰う客」結成13年目に送る新作。13日の金曜日、恩師の13回忌に集まった美術系私立大学の同窓生13人を巡る物語が繰り広げられた。
楽しく不思議な世界を作り続けてきた劇団・ワワフラミンゴがシアター・イーストに登場。静かに喋る役者たちが静かに小活躍。かわいく、楽しいシーンがどこまでも続く。たった一人のダンスは必見。幻から「今」に迫る。とぼけと夢が混じる12月の物語。
黒川と6人の俳優による、二人芝居6本勝負!コント「転校生」/コント「発見器」/コント「奥さまは魔女です!」/コント「喜劇王 犬養チョップ」/コント「ファンタスティック歌劇団」/コント「魔法少女チヅコ」/おまけ「○○探偵○○!」
AsiaTOPAフェスティバル
「ButohBAR番狂わせ」第二弾の本作品はASIA TOPAフェスティバルで上演され、初日前、完売し大好評を博した。メルボルン在住の舞踏アーティストゆみうみうまれ演出のもと、舞踏、演劇、歌、キャバレエ、ビジュアルアートが融合し、屋内外の儀式的かつキテレツなパフォーマンスで「美しくも不完全な番狂わせ」をテーマとしている。静けさとカオスが行き来する中、舞踏マスター・竹之内淳志氏、音楽家小宮広子氏を含
令和3年度 次世代応援企画 break a leg
「令和3年度 次世代応援企画break a leg」に選出され、AI・HALL と共催で公演を行った〈集団暴力シリーズ〉の一作。「革命」を謳い原始共産主義を採用する集団農場を舞台に、「精神的指導者」亡き後の世襲を巡る抗争を描いた作品。カルト化した集団内での、資本や身体への〈所有〉および〈執着〉を巡る議論から、現代における〈信仰〉の現在地を問い直す。
(フライヤーより抜粋)「場所と思い出」「雰囲気のある死体」といった別役氏の戯曲を読んでは、あまりのくだらなさに何度も吹き出し、電車の中や図書館で恥ずかしい思いをしていた高校時代の私にとって、別役実という人は”ナンセンス・コメディの巨匠”でした。─ケラリーノ・サンドロヴィッチ
結城座旗揚げ385周年記念公演の第三弾として、三代目両川船遊が40年来温めてきた 企画であるフランツ・カフカの名作「変身」を上演。脚本・演出には、劇団 温泉ドラゴン代表・演出家として、人間の本質に迫る骨太で重厚な舞台を創造する現代演劇の牽引者の一人シライケイタ氏を迎え、人形デザインには若手油絵画家の谷原菜子氏を起用しました。谷原氏の特異な表現はカフカ作品の不条理な世界と響き合います。
ウソでもいいから ひとつになりたい今より少し未来のにほん。子供たちは子育ての訓練を受けた大人によって育てられていた。自由と平等が保障された理想的な環境で伸び伸びと育つ子供たち。しかしある日突然、子供の生活は生みの親に一任されるという通達が国から下される。国の決定に反発し、一丸となって子供を守ることを決意した大人たちはしかし、次第に不安という敵に飲み込まれ、分断されていく。国の顔色を伺うもの、大人の
火曜日のシュウイチ
その日は灼熱のビーチで迎えるクリスマス。浜辺に佇むひとりの男。相棒はウクレレとデッキチェア。そして傍らには渡しそびれたお歳暮の箱。それは忙しかった日々が嘘のような、ゆったり過ごす年の瀬。そんな穏やかなビーチに巻き起こった事件とは!?箱の中身は一体何なのか!?
DRIFTERS SUMMER SCHOOL ADVANCE 2013
『小さな足掻きが世界を変える』をコンセプトに、映画と演劇を同時進行で展開するパフォーマンス作品。舞台奥では筋書通りの映画を上映し、舞台上では筋書から逸脱する物語を上演。二重構造の物語が交錯し、予定された未来と抗う意志がぶつかり合う。重なり合うシーンを通して、鑑賞者に小さな勇気が未来を変えることを伝える。演劇ユニット・女の子には内緒の旗揚げ公演として制作された。
劇場を舞台にした2幕劇のうち、1幕目の【舞台編】を、せんがわ劇場演劇コンクールでグランプリを受賞した時と同じメンバーと演出で大阪の劇場で公演したものです。(※2024年に採択されている東京公演版とは出演者が違います)台本から削除されてしまった登場人物と、その役を演じるはずだった俳優の物語。公演準備前の劇場の舞台が舞台です。
KAAT神奈川芸術劇場プロデュース
あの名作のリメイク決定版⁉KERAが新たに読みかえる「ドン・キホーテ」を、個性と実力を兼ね備えた俳優陣で上演!
電信柱が一本、その下に、ひしゃげた事故車が一台。夕焼けの中、ヨシ、ダイスケ、ヒロシ、サブローが集まっている。胡散臭い「ショーバイ」を始めようとする彼らのもとに、ケイコ、ヤスエ、フーコがやってくる。彼女たちは、ミッキーの子を妊娠したため父親の怒りを買い、家に閉じ込められているミヨコを連れ出す計画を持ち掛ける。ミッキーとミヨコは、「トーキョー」へ行くらしい。ミッキーに金を工面してやろうとする元彼女のサ
「人を許すこと」を描いていると言われるシェイクスピア最後の作品。しかし本作で『テンペスト』とは、主人公プロスペローが自分は「許されない」存在であることに気づく過程であり、四大悲劇のドラマの諸要素が静かにちりばめられていると解釈。嵐(テンペスト)はプロスペローの心のうちに吹き荒れる。2015年初演、2018年にルーマニアのクライオヴァ・シェイクスピア・フェスティバルに初参加した記念的作品。
私たちは、家族だった。結婚式場の控え室。新婦の女はウェディングドレスに身を包み、煙草に火をつける。彼女の視線の先には、初老の男たち二人。夫婦のようにも見える彼らのやり取りを“娘”である女は慣れた様子で眺めていた。“父”の一人である男の走馬灯として語られる、奇妙な家族のありふれた物語。
『リセット』の3つのコンセプト-〈登場人物をリセットする〉この芝居には過去の作品に登場した人物がキャラクターもそのままに、続編のように再登場します。例えば『ONとOFFのセレナーデ』の葬儀屋のヤリタイと看護婦の深町、『眠れる森の死体』の外科医の猪瀬・境など。つまり、過去の作品の登場人物たちがこの『リセット』という作品にリセットされるわけです。〈観客がリセットする〉この作品では時間的つながり、登場人
青年団プロデュース公演
(フライヤーより)別役実氏の名作『マッチ売りの少女』を大胆に翻案し、さらに『AとBと一人の女』『象』といった初期作品群から、台詞を多数引用、コラージュする形で作品を作り上げる。初老の夫婦の食卓を、次々と訪れるマッチ売りの少女たち。その少女たちと、夫婦を中心とした街の人々との奇妙なやりとりを軸に、市民社会の脆弱さが浮かび上がってくる。
第一部「春の軍隊」は、突如出現した国籍不明の軍隊の戦闘で折角建てたばかりの夢のマイホームを、めちゃめちゃに壊される中年サラリーマンの物語。第二部「接触」は、授業中に餡パンを食べて、死刑を宣告される学生たちの話―SF風でスリリングな展開と、随所にあふれる笑い、ゾッとする恐ろしさをひめて、右旋回の速度をはやめる今日の日本に警告する鋭い風刺。飯沢喜劇ならではの痛快さ。
1994年に青年団プロデュース公演として、第七病棟の緑魔子を客演に迎え、「唐十郎さんや石橋蓮司さんが少女のイメージで捉える緑魔子さんとは違う現在の彼女」を登場させて話題となった。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』や『青森挽歌』、内田百閒の『阿房列車』、寺山修司の『コメット・イケヤ』などを題材にとり、3 人の男女の複雑に絡み合う想いを、行く先が定かでない曲がりくねった線路の上を走る列車に乗せて描く。
精華演劇祭2010 SPRING/SUMMER
前回、7年ぶりの長編作品上演を経て、オムニバスへカエル。1年半ぶり、2度目の精華演劇祭にオカエシ。「マフィアンルーレット」「ミステリー小説を読みすぎた女とサスペンスドラマを観すぎた女に惚れられた松本清張な男」「スキャンダル」「オリエンタル歌劇団~ミュージカル・ロンドバルトとポニーテール in 大阪」笑えるのか? 面白いのか? 大丈夫なのか? 境界線上を疾走し、駆け抜けて煙に巻く、最後の、精華演劇
巌流島の決闘に向かうまでの佐々木小次郎の旅を大胆に脚色した本作は、パフォーマンス性の高い作品作りに定評のあるウォーリー木下が作・演出を務め、関西を拠点にパントマイムの第一線で活躍するマイム俳優のいいむろなおきが出演する、身体表現と映像のコラボレーションで魅せるパフォーマンス演劇である。本作は 2008 年に大阪・HEP HALL での初演後、韓国の招聘公演を経て13 年ぶり
なにをやってもうまくいかない男は、妻に先立たれた認知症の父親の面倒をみることになる。しかしその父親がトイレに入ったきりでなかなか出てこない。そこでおそるおそるトイレのドアを開けてみると、そこには、中身のないフニャフニャの父のぬけがらだけが残されていた。その後もさまざまな場所で脱皮を繰り返し、そのつど若返っていく父親は、しまいには男よりも若くなってしまう。
何号室か忘れてしまった部屋のなかで向かいあう駅のホームのこちらがわでちらつく光でいっぱいの水槽のまえで始まりも終わりもないものについて今ようやく考えはじめた者たちのために舞台美術先行のクリエイションを行い、〈やがては忘れてしまう些細なできごとや気持ち〉を、交差するあるいは並行する空間で描き出す。白いたんぽぽ初の大阪公演。WINGCUP2023最優秀賞受賞。
集団と、集団の言葉と、言葉の意味の侵入を基礎とする新しい舞台。大きな集団に生まれる小さな集団たちが、言葉の意味の侵入を自覚的と無自覚的に行ない合いながら膨張し、飽和し、収縮し、最後に残るべきものことの何かが残る。または何も残らない。という群像になる。
若い男女が経営する閉店間際の寂れた定食屋。そこで働く女は突然やってきた謎の夫婦によってつい最近冷やし中華が禁止されたことを知る。混乱する女に、夫婦は冷やし中華を提供するよう懇願するが…。はじめられなかった冷やし中華を皮切りに、出生とそれにまつわる人々の人生が浮かび上がっていく。
この劇は、不条理演劇における代表的な作品のひとつとされている。中村伸郎によるこの「授業」は渋谷ジャンジャンでロングラン上演された演目で、中村の代表作といえる。
「街」と「街」の境界が、住民や通行人の多数決で日々変動する時代を描いたSF作品。特徴の乏しい場所はどの街にも属さず、宙ぶらりんの隙間として残されている。その隙間に暮らす文子は、恋人の斎藤から結婚と隣街への引っ越しを提案され、迷っていた。そんな中、空き巣の塩村が部屋に侵入し、私物を少しずつ持ち去っていく。やがて時間の流れと共に、変動する境界は街の隙間さえも飲み込もうとしていた。
荒野の一角にある移動式簡易宿泊所。病人を求めて移動してきた医師と看護師。死人を求めて移動してきた牧師。三人がまだ見ぬ客のことで言い争っていると、宿の亭主とその娘が戻ってきた。娘は、もうすぐ具合が悪そうな騎士と従者が訪れそうだと告げる。そこに、それぞれの従者を引き連れて二人の騎士が現われた…。
「隅田川 森羅万象 墨に夢」プロジェクト企画
オンライン演劇。コロナ禍での「映像配信で実現する演劇体験」を追求した、全く新たな「隅田川物」として表現。江戸時代に隅田川で起きた落橋事故という大惨事。人々はこれを落語『永代橋』に昇華させた。この悲劇さえも笑いに変えて力強く生きる江戸の市井の文化に着目し、歌舞伎『八幡祭小望月賑』など隅田川ゆかりの古典作品群をコラージュ。コロナ禍に苦しむ現代と事故当時を重ね合わせ、カタストロフを乗り越える人間の逞しい
「ああッ‼ボクの音楽が鳴り止まない!!!」世界が認めた天才指揮者。神の旋律を奏でる交響楽団。ようこそ。愛と狂気の演奏会へ。
いのちのかたりつぎ 〜色とりどりの物語がつむぐ、震災のこと〜
海辺のある小学校の机の上には9年間そのままになっていた一本の牛乳瓶がありました。”フクシマ”と呼ばれた被災地の、過去・未来・現在の時空を超える言葉をつむぐ命の合唱。福島で活動し、第1回「ニュンク・レビュー・ポエトリー賞」外国語部門等受賞歴のある詩人・和合亮一の詩をもとに、東北に縁のある出演者・スタッフにより制作された作品。本当に祈るべきものは、未来にある。
「江の島」というキーワードは、「ここではないどこか」へ逃れたいという、生きづらさを象徴している。折しも、緊急事態宣言が出されるときに、人々は江の島に殺到した。やはり、誰しもが、男女問わず「ここではないどこか」を求めているのだろう。女性の生きづらさの問題は、女性だけの問題ではないのだ。この作品では3人の女性が自身の生き方を模索する姿を描く。
そこは、劇団うりりんこの上演会場。今日は、劇団の大物俳優、うり川りん太郎のひとり芝居「シン・リア王」の上演当日。間もなく開演時間だというのに、りん太郎は寝坊し、劇場入りが1時間遅れるらしい。場内スタッフとして参加していた、劇団うりりんこの若手俳優、シュウスケ、エリ、ユウキの三人は、りん太郎が現れるまでの時間をどうにかつなぐことになってしまった。その60分の物語
作:高橋恵(虚空旅団)&演出:上田一軒(スクエア)コラボレーション作品
試験的に「同性婚」を認める特区となったK 市が舞台。が、LGBT ではなく、同性の友人との「友情婚」が多いという。この街で友情婚しブックカフェをオープンした朋子と美也子。美也子の幼馴染の彼も同性の友人との再婚を反対されていると言う。近親者だけでなく店の常連客まで巻き込んでの議論が始まる。ー だって、憲法にあるやろ?“婚姻の自由”ってー そういう意味じゃありません!街の小さなカフェで巻き起こる、可笑
囲碁をモデルにした「点転」という架空の競技をめぐる物語。関西棋院が後援につき、世界初の「囲碁劇」として上演された。2021年5月に南埼玉の進修館で上演されたものは、会場の使い方と演出が全く違うため、ツアーというよりは新演出での再演となる。大阪バージョンは、客席もアクティぐエリアも「狭い物置小屋」を舞台にし、観客もその部屋の中に潜んで登場人物を見守る様な表現となっている。
一人の女が助けを求めてやってくる家の床下に死体があるというあなたは半信半疑で女に同行する床下のハッチを開ける闇あなたは胸を撫で下ろす目を凝らしながら言う何もないじゃないかあなたはハッチを閉めてふと身震いするあなたの身体は気がついているその闇にあなたがすでに踏み込んでいることに
黒川猛とゲストによる、一人芝居、二人芝居、三人芝居。「お通夜」/「ノスタルジー」/「正義のヒーロー!箱フェッショナル!」/「未来」/「ファンタスティック歌劇団」/「体操のお兄さん~Finale」
旗揚げからのベストセレクションと新作で構成。「吹き出し3」/コント「注文の多い風俗店」/映像「昭和」/コント「狂言病」/映像「漁村」/コント「スパイ大作戦」/コント「身体~ファイナル」
走ってくる車に体当たりをし、自ら傷つくことで賠償金をせしめるという、奇妙な商売があった。間違えたら命を落とすのであるから、文字通り体を張っての商売である。これはその名人と言われた「当たり屋」が、家族を引き連れ、「体を傷つけなくても生きていける街」を目指して、旅立つ物語…。
日本海に面した小さな港町、金輪町。加瀬真治は三日間の行方不明の後、別人格となって発見された。医師の診断は脳の障害。不仲だった夫の変化に戸惑う妻の鳴海を置いて、真治は毎日散歩に出かける。同じ時期、田舎町に似合わない凄惨な事件が起きる。老婆が家族を惨殺し自殺するという事件で、一人生き残った孫娘も神経衰弱状態だという。その後、町に奇病が流行り出す。ある特定の概念を失い、それについて理解できなくなるという
『デカメロン』は14世紀のペストの流行拡大を背景に書かれた。では現代、コロナの騒擾を抜けだしたら私たちは何を語りあうのか。舞台は避難所。疫病、戦争、災害――人々が何から逃れているのかははっきりしない。舞台上では『人類への提言』という鼎談がおこなわれている。そこに突然闖入してくる『デカメロン』の中の物語、あるいは脈絡のない言葉の朗読。場面と場面の行間から私たちを取り囲む「悪夢」が見えて来る。
日本・セルビア演劇交流プロジェクト
【日本初演、五人の俳優、十五人の登場人物、三つの愛の物語】かつては希望の象徴だった町。そこに集まった三世代の男女5人。信じていた全てが崩れ落ち、都会の無秩序な繋がりの中、愛に飢え、自分の居場所もない。それでもなりふり構わず人生に挑み続け、辿り着いた先に見えた世界は、天国か地獄か!? 紛争後のセルビアそして世界の「リアル」を描いた、セルビアン・ブラック・コメディーを本邦初訳で日本初上演。
半年の出張を終えて帰ってみたらマンションはもぬけの殻だった。妻とは昨夜も電話で話したが、所詮は携帯電話だ。この部屋で俺と話してると、勝手に俺が信じていただけだったんだ。ガランとしたリビングにはテーブルと椅子だけ。朝顔のツルがビッシリと巻き付いている。壁にも天井にも朝顔が密生している。まるで何年も空き室になっていたみたいに・・・。