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「H」は、human(人間)、hope(希望)、homeless(ホームレス)、hurt(痛み)の意。コロナ禍において増加する貧困生活者や苦しみを抱えた方達が心身の豊かさと希望を取り戻すきっかけとなることを願い、横浜・東京の公共空間を主とした8会場で、新人Hソケリッサ!新作ダンスパフォーマンス『ヒニヒリズム/今度会ったらロクでもない奴らと仲良くなりてえ・・』、映画上映、トーク、WS、展示を展開。
作品ノート:男の日常は滑稽にして、そのうちに秘めた力はかり知れず。けれども日常は往々にして男を狂わせ、非力は非日常を作っちゃた。浮世は画面でボーダーショウかよ。こら!地球の男共は阿呆。すべからく日常は逆転しちゃったようで、いやはや愛はどこへ?・・・ラブアンドピース。
2002年の初演で世界に衝撃を与えたNibroll『コーヒー』を16年ぶりに横浜ダンスコレクション2018のオープニング・プログラムとして再演。映像作家・吉開菜央が、再創作の過程、オーディションで選ばれたダンサーや関係者へのインタビュー、公演本番などをドキュメンタリーとして映画化した作品を公開。[作品ノート]人が社会と無縁ではいられないように、この作品も また当時の社会や時代背景の影響を強く受けて
この作品はコロナ禍で創作され「これぞソーシャル・ティスタンス・パフォーマンス!」と世界中で報じられた。特徴的なのは、舞台美術と一体化した「客席」である。三方を壁で囲われ、壁に空けられた穴から中をのぞき見るのだ。通常の舞台芸術でも、観客は暗い客席から一方的に明るい舞台を見ているわけで、いわば「のぞき」とは舞台芸術の本質なのである。カンパニーを主宰する浅井信好は多彩な顔を持っている。ヒップホップ出身で
[作品ノート]男は顔じゃなく。1に色艶、2に臭い。3、4はまだまだ5に蜜度。よってこれみな、生き残れるや否なので。じゃ、用が済んだらモノになってよしっ。私も3歩下がって後追いますから。してお次は鳥にでも草んでも。と夢みたつもりが2足でして-、機械じみてェ。
作品ノート:日本人は働きすぎと言われている。適度に披露を得た肉体は「誰かのために尽くした」と単純なことを教えてくれる。しかし働き過ぎて肉体が過労死直前にまで辿り着けば、意味を失い、何も語れなくなる。言うなればこのダンス作品は“誰も救えない日本労働社会” へ視線を向けている。ここは横浜の歴史を積み上げ聳え立つ赤レンガ倉庫。 シンプルなこの空間に想像の橋を建造する。それは新たな時代へ架ける橋となる。働
作品ノート二人のダンサーとミュージシャン。それぞれのやり方で同じ時間を刻む。それは、身体と声と音と空間で戯れながら積み上げる時間のタワー
作品ノート:引く、なぞる、延びる、繋ぐ、辿る、越える、描く。細く、どこまでも、長く、いつまでも。
映像、演劇、パフォーマンスなど、領域横断的に自在な活動を展開するチョイ・カファイは、過去2度にわたるKYOTO EXPERIMENTへの参加で上演されたいずれの作品でも、ダンスという表現への深い敬慕と入念なリサーチ、そして独自のアプローチを見せてきた。テクノロジーをある種“誤用”しながら、ダンス史におけるレジェンドたちの振付を復元した『Notion: Dance Fiction』。アジアを拠点に活
作品ノート:「よく知っている底から水面を見上げ知らない水平線を思い浮かべず 音の届く先まで睡り どこかの花を想う」 これは「海」をモチーフにした作品の一部です。遠く離れた世界のことを簡単に知る ことができるようになった今だけど、どれだけ本当のことを見ることができるのだろうか。様々な海から眺める水平線の先は、想像するにはあまりにも遠い。自分が立って いる海の底にも、人の目に触れない流れがきっとたくさ
《作品ノート》「記録」に焦点をあてた本作品では、「いま」をとどめようとする行為である「記録」と舞台でのライブ表現によって、つかんだ先からさらさらとすり抜けていく「いま」というものの感触を表現する。
2011年3月、原発事故の後にネット上に流れた“放射能から身を守るための対策法”の一つに、“米のとぎ汁乳酸菌”があった。おならをする度に“お、やっているな”と思う。日本語では“屁をする”だけではなく“屁が出る”ともいう。確かに“屁をする”ではなく“屁が出る”だ。内発的な欲求は屁のように出る。芸術の目的は人間を健康にすることだと思えば、あながち突拍子もない連想ではない。
Dance Performance LIVE
舞踊家の苫野美亜が国内で活躍しているバレエダンサー達とともに、日本ユニセフ協会の協力を得て開催したチャリティーコンサート。ピアノ・ヴァイオリン・チェロの音色とオリジナリティ溢れるダンサーとの共演。
作品ノート:寝室、トイレ、台所整えられた美しき家庭はみ出た祖母、はみ出た母、はみ出た私は膝を揃えて「お帰りなさい」と微笑むの。私は一体誰なのかしら。
[作品ノート]様々な現象の中の一つの要素として、自分の身体があると思います。
日本丸メモリアルパークパフォーマンス 2021-2022「路上の身体祭典H!」新人Hソケリッサ!横浜/東京路上ダンスツアー#2
社会から分断され個人になった時に個人は不安を抱え、集団に依存していた個人の脆弱さが露呈する。我々は生きる手段としてこの大きな集団に取り込まれ、それは習慣となり個人という存在や輝きは飲み込まれてしまうだろう。しかし希望を失った身体は、言うなれば囚われた習慣を捨てた身体の始まりであり、強靭な個人の身体の始まりだと僕は思う。歪な躍動のリズムで僕は目を覚ましたい。ツアー公式Webサイト:https://s
作品ノート:ヒトの移動は10万年前にアフリカ大陸から始まったと言われている。 そして今現在も世界で起こっている。 移動するという行為はあらゆる文明の発展を促しているが、同時に衝突を引き起こす原因ともなっている。 身体の移動行為自体が、コミュニケーションを誘発させる。ヒトは何故身体を移動させるのか。 どれだけ移動してみたところで、それは小さな庭を行き来しているに過ぎないのだ。 それでも、私たちには身
作品ノート:日々、悶絶しております。 いえ、悶絶のてまえ一歩でもんもんと。 しかし、その一味 意外と美味しいかも。 3000円くらいの自己肯定、味わっていってください。
[作品ノート]自分のためにやっているけど、まだまだ青いっす (マトロン)。依然不安定なコンピュータの舞台芸術への介入には、未だ危うさが生じる。だが、危ぶむなかれ。危ぶめば、道は無し。歩めばその一歩が道となる(ボリボリ)。ぽつねん、ぽつねんボーイとぶつぶつ言いながらこのビデオ、城戸マトロン晃一プロモーションビデオを少しづつ制作しはじめたのは2年前の夏頃からで、あるときビデオ画面のつぶつぶを剥がしてみ
(パンフレットより)頭がキリキリする、はあ、八月、も、もう中間付近、僕、相変わらず、作品、つくっている、そりゃあ、汗だくになりながら、つくりまくっている、つくって、疲れて、今日もアパート帰る、帰って、部屋で、腐りきっている、ちょっと腐って、復活して、また、頭の中で、また作品、つくる、翌朝、作品つくりに、家を出る、駆け足、で、稽古場、に、向かう、そんなループの中、に、僕はいて、つくるつくる、を、繰り
作品ノート:高校生の時に流行っていた遊びがある。偶然相手と言葉が重なった時、先に ハッピーアイスクリームといったほうがサーティーワンを奢ってもらえるというものだ。他人と何かが重なった時、私達は他者との繋がりを感じ、ある種の幸福感を催す。私達は満たされようと、曖昧な自己を物質的に最も近い他者を 通して確認しようとする。それでも埋まらないループした不条理な世界に向けて、私は私から溶け出して洪水を起こそ
KAATキッズ・プログラム2022
おとなもこどもも楽しめる「KAATキッズ・プログラム」の2022年新作は、天国と地獄の分かれ道で、なくした記憶を探すおしばい。2020年に上演を予定していたものの、新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった本作が、2年の時を経てついに上演を迎えました。作・演出は、本作で自身初のキッズ・プログラムを手がけた松井周、そして主人公は、日本演劇界を代表する俳優・白石加代子が演じています。
横浜ダンスコレクションR 2005 受賞者公演
作品ノート:沢山の物が形を変えて僕たちの所に返ってくる。何の迷いもないメルヘンにおおわれた私たちは、また揺れる。紡いだ分だけやりたくなって、忘れた分だけ哀しくなった。自分達を取り戻す旅に出ようかと思っている所です。
[作品ノート]この手の先の 7割の不快 2割の快とり残された あと1割
Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021の「エリア50代」で初演された、笠井叡振付・平山素子のソロダンス『J.S.バッハ作曲“フーガの技法”1.2.6.9番によるダンス』が、スケールアップして再誕!クラシック、jazz、ポップス…と様々なフィールドで活動を展開する、片山柊(愛知公演)、佐藤浩一(横浜公演)という2人の若手ピアニストを迎え、ダンスと音楽で『フーガの技法』とい
わたしたちは、そろっている。
振付・演出家の白神ももこのもと、独自の作品世界を展開するモモンガ・コンプレックスによる作品。白神は新型コロナウイルス感染症対策で外出自粛期間中、会えない人や行けなくなった場所への思いを馳せるなか「個と全体」について考えるようになった。そしてこの体験をさまざまな情景から一人の人間を浮かび上がらせる「伊勢物語」の構造に重ね、上演という集団で取り組む表現形態のなかで、どのように個の存在を放言し連ねていく
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
作品ノートHetero= 異なる一つの性・身体・空間と、二つの性・身体・空間私の中の視界いつの間にかあなたに映る私それぞれの内の景色と外からの視点が重なる時間その境界に立ち現れる、もう一つの時間
【作品ノート】光、音、映像、身体一あらゆるエレメントをハイブリッドに融合 することで「特定のエネルギー状態にある絵」を舞台上に現前 化させる梅田宏明の創作哲学は、実質的な処女作である本作 で早くも確立されている。写真芸術からダンスに転身した梅田 のなかには、「ダンスをグラフィックアートとして平面的に見せ たい」というビジョンが当初からあり、その構想を反映するか のようにここでは、速度感を持って明滅
[作品ノート]この作品は、Villa Lobosの音楽「Urapuru」と寺田みさこさんからインスピレーションを受けて作られた作品です。Urapuruは、アマゾンに住んでいる鳥の名前です。
作品ノート:丸山純子さんの《無音花》を初めて見た時、「ビニール袋がなぜこのような美しい花になるのだろう」ととても印象的でした。そして“再びよみがえる”という意味の “再生”という単語が頭に浮かびました。いちど死んだものがよみがえる。驚異的であり神秘的なことです。 個人的には過去になってしまった様々な感情が湧いてきました。今回の作品は『無・音・花』それぞれの文字がもつ印象、意味と象徴、そして《無音花
[作品ノート]理屈抜き、超高速で熱狂的ダンス。その身体は過ぎゆく一刻一刻を疾走する。
Futuristic Space は、時間が止まった世界の物語 です。どの時点で起こったことなのか、誰にもわかりません。ある、とてつもない出来事によって、色々な場所から見知らぬ人々が集まります。それぞれ が、複雑で暗い過去を隠し持ったまま、新たな現実 と向き合うのです。彼らは協力しあって、できる限り普通に感じられるような世界に似たものを作ろうとします。一人一人が抱える過去は、この物語を通して明らか
ニッポン・イデオロギー
ヴィジュアルアーツ/パフォーミングアーツの制度との折衝、社会学的/民俗学的フィールドワークを重ね、挑発性とユーモアを併せ持つ活動を展開するアーティスト集団「オル太」が、「ニッポンのイデオロギー」がとる日常的形態のパフォーマティブな分析に6つの切り口で取り組みます。「取り止めのない一つの感情のようなものが、現在の日本の生活を支配しているように見える[…]日本に限らず現在の社会に於けるこの切実で愚劣な
親や周囲の人々から愛やケアを、無条件に与えられ続ける立場としての子供から、「成長すること」は、誰かにケアを与えるという表現の経験からくるだろう。その成長の過渡期にある息子の不安は、経済、能力、環境の不安定さから生まれるというよりも、むしろもっと根本的な意味においては、受けたいケアと与えたいケアの種類や配分が分からず、自身のケアのバランスを見失うことで生まれているのではないだろうか。アンバランスな愛
【作品ノート】透明な沸点と露点そのブラックホールをすぎるとある青い世界に柔らかい光が溢れているはざまに耳を澄まし光の波紋をうつす瞳うねりつづける細胞のひとつひとつをミモザの花にしたら少しはこの世を灯せるだろうか
作品ノート「まっすぐ立つ」というあたりまえの姿勢を維持するのにどれだけの外的、内的力を要するか。一度投げ出された物体が様々な放物線を描きながら落下していくように、私達も一度放り出されたらそれぞれの軌跡を描きながら落下へ向かっていく。抗えない物理的な法則を受け入れながらも諦めきれない気持ち。抗いながらも全ての人に平等に与えられている物理的法則に対する安堵。重力に従って「もうこれくらいで」という気持ち
作品ノート:日本、トーゴ、台湾の異なるバックボーンを持つ4 名で製作された、日本のコンテンポラリーダンス作品。「ダンスの自明性を問うダンス作品」と銘打ち、‘基準がなく何でもありのダンス’とされている、日本のコンテンポラリーダンスにまつわる自明性と、その周辺を漂流する。あらゆる差別意識が表面化する現在の日本。渦中の我々だからこそ獲得し得る日本のコンテンポラリーダンスの力を、逃げるように追い求めていく
作品ノート: 日々流れる時間の中で、身体は時間とどのように関わり、どのような影響を受けているのか?人は生まれた時から時間とともに、死に向かって進んで行く。この作品は、そのような身体が持つ時間の流れをテーマにしている。今回、時間を表すものとしてビートが最初に頭に浮かんだ。そしてこれを時間を表すひとつのキーワードとして、作品作りをしました。身体には心臓の鼓動、ビートがある。人は生きている限り、鼓動は休
[作品ノート]これは女性のためのダンス。女性についての、女性と共に、女性を祝福するための、この世界にある彼女たちの美しさとパワーを賞賛するためのダンス。古代の感情を呼び醒すためのダンス:怒り、復讐、凶悪、呪い、狂気、贖い。平等の姿として存在し、あらゆる暴虐行為に対しての武器として踊られるダンス。
[作品ノート]2つで1つとしてしまう とても幸せな諦めと 1つを2つにしてしまう へそまがりな微笑みの一人称デュエット。デュエットのカタチを試行する。
筒井潤+新長田で踊る人々
『新長田のダンス事情』のプロジェクト・コンセプトは「新長田で踊る人に会いにいく」、2009年4月に始動した継続プロジェクトです。稽古場訪問やインタビューを基盤に、数々のイベントを盛り込みながら、リサーチと実践を往復します。2013年に5年目を迎え、3名の演出家、振付家、現代美術作家らが「新長田で踊る人々」と出会いながら、新たな舞台作品をつくる試みを始めました。今回はその中で筒井潤との試みを中心に、
作品ノート: 日常生活の中、何の脈絡もないように生まれては消えていく感情。ある一人の女生徒の自意識の揺らぎが一人称で綴られた太宰治の短編小説「女生徒」にインスパイアされたソロダンス作品。
[作品ノート]身体の内部感覚からダンスを創る。骨盤、背骨、足首、小指、筋肉、血管、そして細胞の一つ一つにいたるまで。カラダのコエをききながら感覚をとぎすます。カラダのコエがあふれ出る、その瞬間。
作品ノート: 「日常に存在する物体の変貌 見えない所で人間や自然現象が造り出すファントム きっとここはファントム製造所」
[作品ノート] 消滅願望消えるということ そこに在ったということそこに在ったということ 確かに在ったということ
[作品ノート]ほぼタイトル通りの作品です。助成:公益財団法人セゾン文化財団協力:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、contact Gonzo
作品ノート:BANANAりんごはどれですか?バナナをさす。母親は言葉を失った。人の思いは、心の中で像をつくり、音と結びつき、言葉として発せられる。母親が笑う、私も笑う。ただそれだけのことだ。
[作品ノート]ひとりエネル減・・・増。
[作品ノート]うつろいさまよいつづける流れかたちにはまりたい衝動かたちからのがれたい衝動そのはざまでおどる
この作品は2010年に創作したものです。その時は70分くらいあったのですが思ったように出来ず、いつか再演してリベンジしたいと考えていた時に、海外で発表する機会を頂きこのバージョンを作り直しました。その時からも大分変化してしまいましたが、この作品を発表出来て嬉しいです。
作品ノート:フランスのレジデンスでは9つのマチを訪れ、 多くの人々との出会いがありました。 その人々の優しさとフランスの暖かい乾いた風は、 今も私の心に残っています。 フランスでは自分の人生を振り返る時間も沢山ありました。 もう一度戻りたい過去もあれば、 塗り替えたい過去もありました。 自分はなぜここにいるのか。 自分の歩んだ道は もしかして決められていたのでは。 そしてこれから進む道も...。
[作品ノート]止まらない時間の中で、もし生がひとつの特別なリズムにしたがっていくつかの瞬間の示す決定を受け入れるならば、その生はひとつの特別な方向においていっそう急速に成長することになり、どうしてもその出来事を受け入れるしかなくて、戸惑っているうちに、唐突に、それは始まった
作品ノート: ああ、夏なのか、冬なのか。そんなどうでもいいこと今はなくて。若くても若くなくても関係なくて。ここにいるのは僕なんです。そうです、かけがえのない僕なんです。少なくとも君ではない。ああ、あの青がまぶしいな。それが嘘だとしてもきっと誰も気に止めないだろう。でもホントにまぶしいから、少なくともそう感じるから僕は叫ぶんです。街の中で、電車の中で。光の中で、君の胸で。心の底から目に見えるように。
大野一雄フェスティバルで観客の楽しみのひとつとなっていた、横浜の街を移動しながらダンス公演を観覧する「横浜ダンス界隈」。2008年は「移動シアター/DoCodeMo System」を導入、伊勢佐木町から新港埠頭までの日常の場を「劇場」に転化した。
AFTER RUSTは「錆の次には何が起こるのか?」という疑問をベースとしたソロ作品。人間の身体と精神両面での錆に着目し、物質が錆びた後には何が起こるのかを探求した作品です。クリエーションを行った昨年はちょうど30歳を迎えた節目の年でした。この数年ダンサーとしての仕事よりも振付や教える仕事が増え自分自身に集中できる時間が減り、徐々に体が錆びて劣化していくような感覚を感じていました。この錆と向き合い
作品ノート:完成することのない私●○ ●○ ○● ●○ ●○○○ ●● ●○ ○● ○●○○ ○○ ●○ ●● ●●これは、点字の凹凸によってありのままと書かれています
作品ノート:古くから日本には“般若心経”という仏教経典に より、あらゆる存在が“空(くう)”であるとされ る考え方がある。“空”は、現代では「そら」や 「からっぽ」、お腹が「すいた」などという意味で 使われる。経典の一節には、万事は生まれもせ ねば死にもせず、眼に見える景色、聴こえてくる 音、伝わる匂いや味わい、触れたり感じること、 増減やそんなものは一切「無い」という。存在に は流動的な変化があ
[作品ノート]作品イメージ~瞬きで世界を区切る。その空間を通過する時そこには音が聞こえる。瞬間の音だ。瞬きするたびに世界は変化しているのだ。「ある瞬間」をモチーフにし、それを舞台上に断片的に並べていく。瞬間を空間情報としてとらえ、時間を切り取る写真という仕組みを舞台上の空間に当てはめる。いわば3次元カメラを舞台イメージの中心に据える。その空間が身体に及ぼす変容を探り、身体表現として提示していく。