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日本を代表する劇作家で童話作家の別役実が、「西遊記」を下敷きにして、2005年にピッコロ劇団に書き下ろした奇想天外なファミリー劇場『飛んで 孫悟空』。兵庫と東北、ともに震災を経験した地域どうしの演劇を通した交流を発展させるため、仙台で活躍する俳優4名を客演として招いて製作、2014年8月、ピッコロシアター、いわき芸術文化交流館アリオス、日立システムズホール仙台(仙台市青年文化センター)で上演。
時はとあるアイドルグループの解散が発表された2016年。泡之介とBBQは、学生時代の友人・午前二時の結婚式に向かうため、車で常磐自動車道を下っていく。目的地は仙台。10年前に同じく仙台を目指して3人で旅をした4日間を、10分の演劇にして余興で披露する予定だ。東京から守谷サービスエリア、会津若松、いわき、松島、石巻を巡る2016年の2人の旅路は2006年の3人の旅路と重なり、行ったり来たりを繰り返す
(フライヤーより)詩、マイム、音楽、そして舞踏、現代の吟遊詩人による中世・ルネッサンスのスペクタクル
おなじみのピーターパンのお話である。とはいっても、ピーターパンもすっかり大人しくなって、相変わらず夜中に子ども部屋に忍び込み、子どもたちをさらってネバーランドへ連れ出してくれるものの、ちっとも冒険をさせてくれない。でも、そこはネバーランド、冒険は向こうからやってきて、ピーターパンも子どもたちも、海賊たちと闘うことになるのだが…。 誰もが知っているピーターパンとはちょっと違う、歌って踊って、大いに笑
2014年、創立100周年を迎え、“女性だけのレビュー劇団”として、いまや日本のみならず、世界でも知られる存在である、宝塚歌劇団。その長い歴史の中で、かつて「男子部」があった事実は殆ど語られていない。1945年、「明日の宝塚スター」を夢見て集まって来た男たち。しかし9年後、解散。その間、彼らはメインステージである宝塚大劇場に一度も立つことはなかった。そんな男たちの、ちょっと可笑しくて切ない青春グラ
モーツァルトの「フィガロの結婚」こんにゃく座版新演出。三度目となる挑戦で目指したのは、”ふたつのフィガロを作る”こと。名付けて“赤いフィガロ”と“黒いフィガロ”。2つのスタイル、2つのモチーフで2ヴァージョンのフィガロを作ってしまおうという企画。赤いフィガロは“西洋”、コメディア・デラルテの手法で祝祭的にカラフルな世界を描き、黒いフィガロは“東洋”、スタイリッシュに中世日本のバサラ(婆娑羅)をモチ
これは井上ひさしが紡いだ敗戦のひとつの真実。そしてラジオの魔法。私はだれでしょう。だれであるべきでしょう。ラジオはいつも人々のそばにあった。戦時中は「大本営発表」、8月15日は「玉放送」。敗戦後、東京放送会館は建物をGHQに接収されていたが、「復員だより」「街頭録音」「のど自慢」そして「尋ね人」・・・人気番組は多く、あの頃、ラジオを聞いていた。これは戦後のラジオ放送にひたむきに取り組む放送局職員た
(フライヤーより)遊◎機械/全自動シアターの高泉淳子と白井晃が不思議の国のヴァイオリン弾き中西俊博とジョイントして贈るシャレた時間のア・ラ・カルト(一品料理)。青山円形劇場に突如現れたワンダーランドのレストラン、演劇+コンサート=素敵な素敵なショウの始まりです。はっきり言ってこんなの見たことない、見たことないのに何処かなつかしい…。さあ、何が飛び出すか?サンタの靴下を開ける気分、味わって下さい。
今の時代、人は死に直接出会うことが少なくなっています。ほとんどの人が病院で死に、死ぬ直前は見ていても、それに至る過程をつぶさに知ることはなくなりました。だからこそ、死というものを真正面からとらえようとこの作品を制作したのです。特別な舞台装置や小道具を使わず、俳優の身体と声を表現の手段とし、観客の感性と想像力にダイレクトに訴えかける「素劇」によって観客の想像力が刺激され、生活の中の死の匂いが際立つの
身は妓生の娘にありながら、ひとたび結ばれた両班との青年との愛を信じ、牢につながれながらも、再び逢える日を待つ春香。死をも恐れぬ春香の「愛」をとおして見えてくるものは、何か。日本植民地時代、朝鮮のとある町の芝居小屋で「春香伝」が演じられる・・・。
(フライヤーより)ココロがやわらか不思議にうごきだす
PARCO PRODUCE 2021
寺山修司が、「天井棧敷」結成前1963年に書きおろし、未上演のままであった音楽劇。舞台は、北の海岸の戦艦の船底につくられた「北海岸ホテル」。嵐で船出を先延ばしにされた客人達が集まり、かりそめのパーティーをしているが主人公・猛夫は一人落ち込んでいる。父、彌平の乗る船が嵐で難破し死んでしまったのだ。悲しむ猛夫のもとに父と再婚し、義母となるはずだった魔子が現れ、これが運命だったかのように心を惹かれ合う猛
1942年、アメリカ。ルーズベルト大統領の行政命令により、十一万人の日系人が強制収用所送りとなった。収容所の数は国内に十か所。前年の真珠湾攻撃により太平洋戦争がはじまり、アメリカは日系人の隔離政策を行ったのだ。 自国民を日系であるという理由だけで市民権を剥奪し、収容所に閉じこめ監視する。合衆国憲法違反である。 さて、舞台はカリフォルニア州の砂漠地帯マンザナ。バラックの強制収容所の一室。 朗読劇上演
12人の俳優による妙ージカル(妙なミュージカル)。舞台奥に12基の墓石が一列に並んでいる。西洋の戦場跡に並ぶ、戦死した兵士の古い墓のよう。墓石には12人の俳優の名が、それぞれ刻まれている。雪が静かに、そして激しく降り続けている。その中で、小学生から老夫妻までの幅広い6組のカップルの模様が、歌と踊りを交えて展開される。2014年初演作の改訂再演。降り続ける雪、役者名が刻まれた墓、という印象的なビジュ
(フライヤーより)歌のお姉さん、体操のお兄さんによる楽しいつどいや、「ロバの音楽座」によるショーなどが3階青山円形劇場に大集合!!
鄭義信によるこんにゃく座書きおろしオリジナル・オペラ第二弾。人間の娘・お麻に恋した、狸の茂平の物語。初演ののち2003年から2010年まで、全国の主に高等学校の学校公演をおこなった。
もっと音楽が聞きたいエスペラントの勉強もしたい家の重圧から逃れたい父の庇護の下を離れたいそして真の生き方を探したい大きな川のトランクの中にたくさんの願いを詰め込んで宮澤賢治は七度、八度と上野行きの夜行列車に乗り込む上京中の賢治に焦点を当ててこの稀有な存在の心のドラマをみごとに描き切った秀作
全世界の登録数は700万人超の紹介制ネットカジノ「K2」を匿名で運営する美菜。「K2」内で最も人気を誇るオンライン型育成カジノゲーム『earth』は、ユーザー間で「アス」「けつあな」と呼ばれ親しまれ、『流せ、すべてのセンス。』というキャッチコピーには宗教家である美菜の思想が反映されており、ゲーム内にユーザー独自の地球を作り、歴史も価値観も生き方もすべて自由に変えられる星育成システムで話題を呼んだ。
明治七年、東西の話し言葉がテンデンバラバラだった頃。文部省官吏の南郷清之輔に「全国統一の話し言葉を制定せよ」という命令が下った。この日から、南郷家は、お国訛りをめぐって大騒ぎ。清之輔は、話し言葉の全国統一の前に、まず我が家のお国訛りによる大混乱におそわれる。カタコト英語しか喋れないピアニストの奏でる幻の「小学唱歌集」にのせて展開する、言語学的な悲喜劇の末、ついに清之輔が辿り着いた「文明開化語」とは
機関銃と戦車の登場で大量殺戮が可能になった第一次世界大戦中。塹壕から逃げ出した脱走兵ファッツァーは仲間たちと地下室に潜伏し、革命が起こって戦争が終わるのを待つ。しかし、結末に待つのは団結の失敗と死ーー。ブレヒトが「私のファウスト」と形容し、ミュラーが「ブレヒトの最高傑作」と称揚した未完の戯曲を本邦初上演。オルタナティブロックバンド「空間現代」と地点の初めてのコラボレーション。
とある港町、偽装葬儀によって、徴兵逃れをしている若者たちが増えていました。神父はそれを知って、ボヘミヤの王子に耳打ちします。王子はおもしろがって、その若者たちをあつめて海賊をつくろうと考えます……戦争の足音が近づいていたある日、妙な海賊団が結成されました。どこの国にも属さない、誰の持ち物でもない、独立自営の海賊たち。自由と平等を愛し、人殺しをしない、海賊らしくない海賊が、若さって何だ! 自由って何
ワハハ本舗全体公演
「ザッツエンターテインメント」という往年のハリウッドミュージカル映画の名場面ばかりを集めた映画があります。2006年に行われた今公演では、ワハハ本舗結成から誕生した数々のダンスショーやパフォーマンスを構成し、ワハハ版「ザッツエンターテイメント」として企画されたものです。ワハハならではのお客様参加型の演目も散りばめられていまして、十二分にワハハ本舗のエンタメ力を堪能できる内容となっております。
青山円形劇場プロデュース
1989年の初演から25年間年末の風物詩として上演され、多くの観客に愛された作品の4回めとなる1992年の公演。クリスマスの夜のフレンチレストラン「ア・ラ・カルト」を舞台に、訪れた客達が繰り広げるドラマを、アラカルト((フランス語)a là carte)に例えて描いたオムニバス形式の物語。「役者と音楽家の…」というサブタイトル通り、ミュージシャンの生演奏と共に芝居が進行される。
(フライヤーより)一年の締めくくりにはこの笑顔。そう、とあるレストランの一日をショートショートのお芝居とファンタスティックな音楽でつづる「à la carte(ア・ラ・カルト)」。楽しくって、セツなくって、今年もいろいろあったよなとか、来年も(は?)いいことありますようにとか、そんなことを少しシミジミ思っちゃいましょうか?だって、ほらね。目の前にはこんなにおいしそうなニッコリがあるんだものね。
劇団鹿殺し 15周年記念公演
時は戦乱の世。幾多の武将が名を馳せる中、月見草のように闇に咲く名も無き侍たちがいた。強さとは何か?死ぬべき時はいつか?生きる意味とは?はぐれ雲に問い続ける刃の光。流れた血のあとに、月の涙が零れ落ちる。合戦の騒乱を生バンドに乗せ、足軽が管楽器を吹く。嘆きのギター、進軍のベース、生きる鼓動がドラムに乗り移る。劇団鹿殺しが挑む「新世代パンク時代劇」参上!
(フライヤーより)人形劇王国チェコ発 ヘンテカッコイイお芝居+音のパティシエが奏でる極上音楽
国民的はなし家、円生と志ん生。うちひしがれた戦後の日本人を心底笑いで励ますことになるこの二人の大名人は、敗戦のときを満洲南端の都市大連で迎えていた。ソ連軍の侵攻と同時に大連は封鎖され、日本国からは見捨てられる。二人がふたたび祖国の地を踏んだのは、じつに六百日後のことであった。 戦禍の街を命からがら逃げまどう二人のはなし家。巡りあうのは、まるで地獄のような情景ばかり。住む家もなく、食べる物もなく、し
日本の伝統的な庶民文化の一つである「民話」には、方言の持っている豊かさや、物語に隠された素朴な教訓、語りの味わいなど、今の子どもたちに伝えたい要素がたくさん含まれています。最近では、映像で「民話」に接することが出来るようになりましたが、画面から一方的に送られてくる「民話」では、語り継がれる良さは極めて少ないと思われます。「とんとむかし」では、一人一人が語り手となり、演者として、生の民話を日本中に語
―禁忌の愛にゆれる、日の浦姫の半生を描く平安一大絵巻―井上ひさしが文学座、杉村春子への当て書きで書き下ろした初期戯曲『日の浦姫物語』をこまつ座初上演。重厚な俳優陣とスタッフを迎え贈る日の浦姫の生涯を巡る一大絵巻!
作者・松原俊太郎が演劇と出会うきっかけとなったブレヒト作『ファッツァー』をモチーフに、第一次世界大戦中の脱走兵を戦後日本に甦った英霊にトレース。「やってきた者たち」として戦争と自らの生死について語る彼らは、ときに閉塞感に悩む日本人の現在の姿を彷彿とさせ、さらには波にさらわれた記憶を語るなど、多くの人々の生きていた時間を一身に引き受けた、どこの誰とも特定できない存在だ。反復を恐れず、たわむことのない
華やかさと暗部を抱えた1930年代の上演、異国情緒溢れる租界のジャスクラブを舞台に、歴史に秘められた恋と濃密な人間ドラマが、生のジャズバントの演奏と共に、鮮やかに描かれる。1939年(昭和14年)、中国・上海。当時、ここはイギリス、フランス、アメリカ、ロシア、そして日本などから多くの人々が移住。租界と呼ばれる居留地は発展し、異国情緒溢れる都市として<東洋のパリ>や<魔都>とも称されるほど繁栄してい
『放浪記』で一躍文壇の寵児に躍り出た女流作家・林芙美子。奔放に生きてきた人生を写すが如く、原稿用紙に向かっていた。世間の風は戦争へ突入すべく、日増しにきな臭さが強まりはじめていたそんな中で、芙美子は人生の切り売りだけで小説を書くことに行き詰まりを感じていた。そして、時流にあわないという理由で出版した本が発禁処分されてしまう。芙美子につきまとい、金儲けを企むプロデューサー三木孝は、"戦さはもうかると
金子鈴幸が約一年半ぶりに作・演出を手がけた新作公演。2022年の日本においてどのような物語が【有効】なのか?という問いを出発点に、人間の持つ「どうしようもない部分」に光を当てるような作品となっている。とあるラーメン屋の店主、まさこ。彼女はラーメン界でも「元アイドル」という異色の肩書きで営業していた。「究極の一杯」を探求し、ラーメン道を日々邁進する彼女。その日もいつもと変わらない一日のはずだったが…
「笑い」というものにすべてを賭けた江戸の戯作者たち。書くことに魅せられ、コトバと心中した男たちの数奇な運命を異才・劇団桟敷童子の東憲司が新作書き下ろし。東憲司版『戯作者銘々伝』がここに完成
幻想的なビジュアルと美しい音楽で紡ぐダークファンタジー地上に残された最後の都市「ヘブンズパレス」。太陽が昇らなくなった十数年前から、人々は名前を失い、子どもが生まれることもなくなった。街の地下にある廃墟と化したシェルターには、先天性の免疫異常により毒性環境でしか生き永らえることができない〈有毒少年〉(木戸邑弥)が、独り静かに暮らしていた。怪盗蝙蝠(姜 暢雄)との出会いにより地上へと解き放たれた有毒
ミゲル・デ・セルバンテス原作「ドン・キホーテ」のオペラ化。
(フライヤーより)愉快で不気味、かつ優雅
こんにちは。杉並区に住んで20年になるペヤンヌマキです。 これまで半径10メートル以内で起きたみみっちいことを題材に演劇を作ってきましたが、なんと私の半径10メートル以内で壮絶な「道路問題」が起きていました!70年以上も前の道路計画がゾンビのように蘇った「都市計画道路」。道路ができると私が住んでいる場所は立ち退きになってしまいます。自分のことに精一杯で社会問題のことなんてこれっぽっちも考えてこなか
日本の劇団羽衣は、東京下北沢の本多劇場で『人体』というタイトルの新作公演を行なっていた。しかしその公演は、次第に謎の存在に乗っ取られていく。謎の存在とは何か?人体を流れる血か!?人体に潜む愛か!?宇宙人か!?はたまた観客か!?今、人体たちの大冒険が始まる!FUKAIPRODUCE羽衣の妙ージカル『プラトニック・ボディ・スクラム』開幕!!表現活動や劇団員の生活の苦しみというディティールと、「ごっこ遊
盲目で生まれた杉の市は、盗みや脅しは当たり前、ついには人を殺めてしまう。殺し殺してまた殺し、その手を血に塗れさせ、悪の限りを尽くしながら、己の身と金の力を頼りに、江戸の盲人の最高位である検校にまで登りつめる。東北の地から江戸へと流れてきた少年は、運命の大きな流れに流される―。二代目藪原検校の、その悪行三昧、闇の世界の一代記。「来世は目明きに生まれてくるぜ。そうして、おっかさんの顔をしみじみと拝ませ
樋口一葉の小説「にごりえ」のヒロインお力を軸に、「大つごもり」、「十三夜」、「われから」という樋口一葉の4作品に登場する女たちの悲しみを描く。
昭和15年の浅草。小さなレコード店「オデオン堂」に4人の家族と二人の間借り人が仲良く暮らしていた。しかし、陸軍に入隊していた長男の正一が脱走して「非国民の家」扱い。追手がかかり憲兵が住み込みで見張りをする始末。ところが長女・みさをがたくさんの傷痍軍人と交わしてきた文通ハガキの中から選んだ源次郎と結婚するにいたって、今度は一転「美談の家」に。ジャズ(=敵性音楽)が好きで歌謡曲(=軟弱な音楽)が好きな
古代メソポタミアの英雄ギルガメシュ王と親友エンキドゥの壮大な冒険物語が、躍動感あふれる祝祭音楽劇に。世界的人形劇師・沢則行氏とのタッグで、巨大な森の守り手フンババが駿府城公園に現れる!フランス国立ケ・ブランリー美術館からの委嘱を受け、宮城聰がSPAC俳優陣と取り組む新作は、古代メソポタミアの冒険物語『ギルガメシュ叙事詩』。粘土板にくさび形文字で刻まれた古代文明の象徴にして現存する世界最古の文学作品
「……がさつだったが、物事すべて明るく輝いていたあの時代。物資は乏しかったがお互いの間に優しさが満ち溢れていたあの創世期。お腹には何も入っていなかったが、胸にはちきれそうな、理想と希望があったあの頃。」──あの『キャッツ』がロンドンで誕生する十年前に、井上ひさしが世に送り出した、ネコだけが主役のミュージカル『十一ぴきのねこ』。現代演劇を牽引する長塚圭史が、この作品で井上戯曲を初演出にして初ミュージ
その恋、気のせい!?いいえ、木の精のしわざかも・・・妖精、悪魔、人間が繰り広げる、SPAC「祝祭音楽劇」の真骨頂!世界的に活躍する劇作家・演出家の野田秀樹が、シェイクスピアの恋物語を大胆に潤色。富士山麓の「知られざる森」を舞台に、原作には登場しない悪魔メフィストフェレスを忍び込ませ、見る者を夢と悪夢のはざまへと誘う。その巧みな言葉遊びに、宮城聰ならではの機知に富んだ演出と躍動感あふれる打楽器のリズ
喜劇昭和の世界三部作
『キネマと怪人』、『ブランキ殺し上海の春』と共に「喜劇昭和の世界」三部作を構成する。佐藤信は天皇制に切り込むべく、二・二六事件による戒厳令下の東京に架空の街を出現させ、阿部定事件を絡めながら昭和の終焉を描こうとした。なお、本作の巡業先だった沖縄での上演が不許可になり、裁判に発展した。これをきっかけに劇団は意識的に公有地を上演場所に選ぶことで全国の公有地を開放する運動をはじめる。
ハラペコだっていいじゃないか俺たちの毎日はドラマ!俺たちの啼き声はミュージック!
江戸幕末の日本橋。待ち合わせした男が二人。ひとりは跡取り、ひとりは幇間。連れだって馴染みの遊郭へ繰り出そうと欣喜雀躍品川へ。ところが、事態は急転一天地六、これが思いもかけぬ一大道中の振り出しだった。次から次へと降りかかる危難、水難、厄難、女難。ついには、天にも運にも見放され、流亡のはての生き地獄……井上ひさしが1975年に放った快作を、こまつ座で初の上演。
世界的に評価される村上春樹の傑作長編『ねじまき鳥クロニクル』を、イスラエルの奇才 インバル・ピントと気鋭のアミール・クリガーの演出、アミールと演劇界の俊英 藤田貴大の脚本で舞台化し、音楽を大友良英が手掛けた創造性豊かな意欲作。2020年の初演時に、公演期間の短縮を余儀なくされた伝説のステージが待望の再演。
時計でははかれないながい旅…。時間には、時計が告げてくれる時間と時計でははかれない時間がある。たいくつな時間は長く、夢中になれる時間は短い。これはのびたり縮んだりするもうひとつの時間のなかの物語。兵庫県在住の児童文学界の第一人者、岡田淳氏の代表作を、兵庫県立ピッコロ劇団が舞台化。ある日、少年・悟はふしぎな黒猫・ダレカに出会う。ダレカに誘われて森の中に入り込んだ悟を待ち受けていたものは…。
ぼんぼん盆の十六日に地獄の地獄の蓋があく ────夭折した明治の女流作家・一葉を取り巻く5人の女性たちが織りなすこの世とあの世の境界線。景気で浮かれる上層と下層の間で、美しい文体で時代ともに生き抜いたあらゆる階級の女性達の頂上から底までを見た一葉...。24歳6か月の若さでこの世を去るまで多くの名作を発表した夭折した天才女流作家の"奇跡の14か月"とは...。
ブレヒトルネッサンス
劇団創立20周年記念公演。明治初年、「お江戸」から「東京」と名がかわった品川の宿。泣く子も黙る大悪党、剃刀左平次を真ん中に、泥棒と乞食と娼婦たちがくりひろげる三つ巴の仁義なき戦い。「金」と「セックス」の栄光をもとめて、最後に笑う者はいったい誰か?黒色テント「ブレヒトルネッサンス」第一弾。
「ひとりの娼婦が寝ている。目を凝らすと、それは、彼女の立ち姿であることに気づく。」という冒頭の一節を起点として、12人の登場人物が一夜の出来事を紡ぐ物語を、二人のダンサーの身振りと唄、笛、太鼓、三味線の生演奏により描き出す。暗喩的な台詞から浮かび上がるイメージを掬い上げながら、演劇・ダンスの境界線への接近を試みた本作品は、東京芸術祭2021 主催プログラムとして、2021年10月22日 ~10月2
鄭義信によるこんにゃく座書きおろしオリジナル・オペラ第一弾。1999年から2005年まで全国公演をおこない、また、2001年にはアジアツアー、2005年には韓国ツアーもおこなった。2015年新演出版を初演し、その後も公演を重ねている。
チェコの作家、フランツ・カフカの「変身」のオペラ化。後に、『変身』と改題した。国内では高等学校公演や公文協公演に加え、1999年東京文化会館リニューアル記念公演として上演し、2009年には、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、チェコでの海外公演もおこなった。
コロナ禍の2021年3月に創作した本作は、内容/台詞を全てそっくり同じまま配役の性別を入れ替えたダブルキャスト、2つのバージョンで上演。また、振付に数々の受賞歴のある振付家/ダンサーの黒田育世氏を迎えた。ある冬の朝、主人公がやってしまった「おねしょ」から始まる。いささかの後悔と共に布団を干し、食事をしてから煙草を吸い、風呂に入る。そういったささやかな一日のスケッチが、主人公の一人言と共に描かれる。
子どもが一番最初に出会う社会「家族」を通して、感覚的に、詩的に「相手を認める」ことを感じ取れる作品。一人っ子のヒロは「弟か妹が出来たら楽しく遊べるのに…」と思って眠りにつく。すると突然、妹のマユミが現れる。でも、マユミは泣くか、わめくか、寝ているだけ…。しかもヒロだけのものだったおもちゃも、大事なママも取られちゃう。「マユミなんかいなきゃいいのに…」でも、ヒロは次第にマユミが大好きになり、お兄ちゃ
こんにゃく座初のシェイクスピア・オペラ。初演。座付作曲家である林光と萩京子が、往復書簡のようにして作曲した共同作曲オペラ第一弾でもある。
紅花の赤、そして恵みの雨、拾い屋の徳の「残酷な運命」人に化ける、ニセモノ、替え玉、どんでん返しを盛り込んだ井上戯曲の傑作。雨乞いに隠された庶民の思いと引き換えに、一人の男が仕組まれたものとは。東北羽前国平畠藩...そこは一面の紅花の里。瓜二つの紅花問屋の当主になりすまそうとした江戸の金物拾いの徳言葉、習慣を捨て、自ら証明するものを失っていく。騙したつもりが騙されて、替え玉になったつもりの徳を待ち受
(フライヤーより)青山円形劇場では、クラシック音楽のなかから動物や鳥や虫を描いた曲を集めてお芝居仕立てに構成した「五線譜のなかの動物たち」というコンサートを上演しています。こどもの城オリジナルのファミリー企画で5年間14回も続いている人気シリーズです。今回は、対象をファミリーだけに限定せず「五線譜のなかの動物たちスペシャル」として一般向けに上演いたします。これまでとはひと味もふた味も違った、”音楽