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近松門左衛門の『曾根崎心中』と四世鶴屋南北の『東海道四谷怪談』を、「生活は汚れである」という世界観のもとにドッキングした作品。心中に失敗した男女の愛が落ち延びて生活するうちに萎びてゆくドラマを、古語による台詞と非日常的・非生活的な身体で描いた。生活に近い言葉や身体ではなく、コンフリクトを抱えた俳優の身体の中に、生活のドラマを追求した。
マグカル・シアター in KAAT
神奈川県で実施している“マグカル・シアター”の中から年間一団体にKAATでの上演機会を提供する“マグカル・シアター in KAAT”に選出されての創作。この作品は人類学者の深海菊絵氏監修のもと「ポリアモリー(POLYAMORY)」(同時に複数の人と合意のうえで愛の関係を築く生きかた)について描かれた演劇です。今作では、他者がどのように世界に触れているのか、という問いを演劇でひろげています。
恋を成就させるために手段を問わず行動する女の子を題材に、リアリティ溢れる繊細な人間関係を描く、努力クラブの本公演。「俺のこと好き?」「好きだよ」「本当に好き?」「なんで人の気持ちをうたがうかな」「じゃあ、どこが好きなの?」「難しいことを訊くね」「俺のこと本当に好き?」「わかんない」「そっか」
本作品は、わかぎが大阪鶴橋の隣町で育ち、実際に見聞きし「隣人達」と向き合ってきた実体験を元に書かれた。日本の統治にあった朝鮮半島では、日本語教育も実施され、大正中期には、多くの人が働き手として日本に渡ってきた。昭和に入り、ソジンも日本にやってくるがそのうちに日本人から差別されている事に気がつく。そんな中ある日勤め先の令嬢、桜子に恋をしてしまう…それは彼らの人生の長い長い恋の物語の始まりでもあった。
(フライヤーより)フランスの小説家 アレクサンドル・デュマ・フィスの長編小説。マリ・デュプレシ(1824~1847)というパリの高級娼婦をモデルに、主人公の回想形式で書かれた哀切悲痛な恋物語。
金がない、仕事もない、家庭もないし、未来もない!弟夫婦に世話になりながらのらりくらりと糞溜めのような日々を過ごしていたおじさんが「あの娘」と出会うことで始まる、恋に落ちるおじさんと、落とした「あの娘」と、落ちていたおじさんたちとのハートウォーミング・ラブ・サスペンス・ストーリー!
壁なき演劇センターと国立ベトナム青年劇場による国際共同制作ベトナム現代演劇を代表する国立劇場の俳優と日本の俳優が融合し、舞台上で日本語とベトナム語が飛び交う現代感覚に彩られた情熱的でダイナミックでスピーディな『新たなチェーホフ劇』ワーニャとソーニャは長年セレブリャコーフの活動を支えてきた。そこへ彼が後妻エレーナを連れてやって来る。そこでワーニャは今までの自分の彼への献身が無意味だったことを知る。
会社は倒産し、工場は停止、町には失業者が溢れ破綻寸前のギュレンという町に、巨額の富を持ち世界一の億万長者となったとなった女性クレーレが帰郷する。市を代表する市長らを筆頭に、貧窮したギュレンの人々は、クレーレからの多大な寄付金を目当てに歓迎セレモニーを行う。そこにはクレーレの青春時代に付き合っていたイルも参加する。対するクレーレは、昔の恋人が犯した自分への裏切りを償わせるために、彼の死をもって巨額の
若い男女が経営する閉店間際の寂れた定食屋。そこで働く女は突然やってきた謎の夫婦によってつい最近冷やし中華が禁止されたことを知る。混乱する女に、夫婦は冷やし中華を提供するよう懇願するが…。はじめられなかった冷やし中華を皮切りに、出生とそれにまつわる人々の人生が浮かび上がっていく。
時は幕末。津軽藩の東端に位置する静かな山村。川を挟んだ隣村は南部領である。津軽と南部は長年敵対関係にあり、両村の往来は禁じられてきたが、それは表向き。実は密かな交流が続いていた。 のどかな日々は突如として巻き起こった維新の嵐にかき消される。城からの命令が届き、村人たちは気の重い会議を始めるのだった。隣村と戦をしろってが?そんた馬鹿な! へば、フリっこでも良んでねえが?
かなりおかしくて、ちょっぴりせつなくて、相当ハッピーな 大人たちのお話ここは、日本の下町。そこに、小さい工場がありました。社長は、名うての職人でありながら近所から「エジソンさん」と呼ばれている発明好きのおじいさん(小野武彦)。妻を2年前に亡くし、しょぼくれてしまったのか、何だか気もそぞろの社長!? 実は彼、発明王・エジソンよろしく「死者と話す通信機器」の発明に取り組み始めていたのです。さあ、大変!
こんにゃく座が初めて挑んだ日本近代文学のオペラ化。1996年から2000年まで全国の高等学校などで旅公演をおこなった。2012年にはこんにゃく座創立40周年記念公演として再演した。
ロームシアター京都が主体的に作品製作に取り組み、劇場のレパートリー演目として時代を超えて末永く上演されることを念頭にプロデュースする「レパートリーの創造」シリーズ第二弾として、2019年2月に上演された本作。演出、補綴、キャスト、スタッフ一丸となって壮大なスケールで描いた話題作の再演。【あらすじ】大名・高安家の跡取りである俊徳丸は、才能と容姿に恵まれたがゆえに異母兄弟の次郎丸から疎まれ、継母の玉手
(フライヤーより)古典劇じゃない。伝統芸能でもない。これは「今」生まれたばかりのコメディだ!陽気で元気なイタリアがここにある!アントニオ・ファーヴァのコメディア・デラルテ
1987年、月蝕歌劇団旗上げ作品の再演。七里ヶ浜に転覆したボートに乗っていた少年たちは何処に消えた? 血を吐く美少女の正体は何か? 戦前の帝都に出現する女神の目的は? 因果の小車の渦の中、真白き富士の嶺♪緑の江の島♪の旋律にのせてハーメルンの笛吹き伝説と女子挺身隊が結合する!
尼崎の市営団地。向かい合った棟の向かい合ったふたつの部屋の灯り。そのふたつはまるで呼応する螢の光のように瞬いて-。角ひろみによる第4回近松賞受賞作品を、深津篤史(桃園会)が演出。
ぐりぐりグリム
みんなが知っているシンデレラの物語ですが、グリム童話の原作「灰かぶり」は、王子様がちょっとバカだったり、とぼけたハトが大活躍したり、意地悪なお姉さんたちも可愛らしかったり。主役のシンデレラよりも、脇役の人たち、動物たちがちょっとおかしくて、劇にしてみたらとっても面白いんです。舞台側の客席にはクッションマットを敷いた子どもたちのための特別席を用意して、子どもたちが、這い回ったり、寝転んだり、ワイワイ
(フライヤーより抜粋)青山円形劇場オブジェクトシアターのシリーズは、一貫して人形劇の人形劇としてのおもしろさを追及してまいりました。今回は「古典」をテーマとし、その底にある伝統のおもしろさと、未来に向かっての可能性を感じていただければ幸いです。
(フライヤーより抜粋)時は、1918年及び1980年へと翻案されている。主人公風間武史は、アール・ヌーボーに傾倒する現代の画家。ヒロインの朝倉舞希子は、新劇の揺籃期に生きた新進舞台女優。62年の時を越えて巡り会うふたりの姿がもたらすものは、ロンドにも似た、恋愛と芸術の永遠性なのかも知れない。
ある朝目を覚ました女は、妙な既視感に襲われる。「私また、昨日にいる--。」その夜から夢に現れた鴉とともに、繰り返される一日からの脱出を試みる彼女だが……。やがて起こる日食、そして鴉によって語られる「盗まれた手紙」の正体とは?エドガー・アラン・ポーからパウル・ツェランに至る西洋詩の系譜と、2000年代日本のオタクカルチャーが形成した「セカイ系」を融合させ、現代の会話劇として舞台化。
演劇実験室・天井桟敷の創立メンバーであった東由多加が1968年に結成したミュージカル劇団「東京キッドブラザーズ」による1989〜1990年の全国ツアー公演。物語は郊外の町に男とその妹が引っ越して来るところから始まる。隣近所には、どこか普通ではない人たちが住んでいた。奇妙な人間模様が描きだすのは、私たちの心の中にある”街”のすがたである。「螢」のように消えつつある街に―愛をこめて。
父は息子探しで異郷の地、領主に捕まり大ピンチ。身代金ありゃ助かるが、世の中そんなに甘くない。母は皆とはぐれて一人寂しく尼になる。双子が二組!! 揃いもそろって瓜二つ、しかも名まで同じとくりゃ、ややこしいったらありゃしない。ところがそんな6人が、23年 時を経て、おんなじ場所に居合わせる!!!妻は夫を取り違え、夫は妻の妹に乗り換える?! 間違いに次ぐ間違いで、てんやわんやの大騒動!!!江戸時代の日本
室町時代、お家騒動にまきこまれる絵師の狩野元信と、彼を慕う遊女のみや。元信と結ばれず、死んだみやは、香を焚きしめた元信の部屋に、幽霊として戻ってくる。二人の恋愛を軸に、芸術と政治の相克が浮かびあがる。現在は歌舞伎や文楽でさえ行なわれていない、近松門左衛門原作の全編を一挙上演。
(フライヤーより)脚本は映画『月の輝く夜に』でアカデミー脚本賞を受賞したJ・P・シャンリィ、演出は映画『ロックよ、静かに流れよ』等の作品で邦画界期待の星の長崎俊一(舞台初演出)。この異色の取り合わせに、ご存じ平田満と話題の美保純が挑戦します。都会の片隅の小さなバーで、男と女が獣のように出会った。「作者ノート:彼らの気性は激しいがぼろぼろに傷ついている。口べただが話をしたくて堪らない。危険だがもろい
1986年に起きた大島三原山の噴火に触発されて描かれた、人類の暴挙から生まれた怪獣「ゴジラ」が、人間の可憐な少女に恋をするという育奇想天外な恋物語。怪獣「ゴジラ」を等身大の俳優が演じ、観客との共同幻想で、舞台に巨大な「ゴジラ」を登場させた。大島元町に住む一之瀬家では、長女やよいからの「会ってもらいたいひとがいる」という電話に、上へ下への大騒ぎ。しかしそこに現れたのは「ゴジラ」だった。家族は猛反対、
笑っちゃうほど刺激的喜劇王モリエールの代表作に、新たな風が吹き込まれる!ドケチな主人公アルパゴンが再婚相手に選んだのは、貧しい家の娘…しかも息子の恋人?!結婚をあきらめさせようとする息子たちに、助っ人も加わりだまし合いが始まった。が、その時アルパゴンの金が盗まれてしまう! 怒り狂ったアルパゴン、犯人探しの先に待ち受けるのは───フランス人演出家ジャン・ランベール=ヴィルドが、SPACの俳優とともに
社会とつながろうとして失敗した家族は海の上で暮らしていた。漂流するその家族たちにゆっくりとガレキが、家のガレキが、近づいてくる。ガレキは漂流家族たちの間をぬって海辺へと流れてゆく。家族たちは新しい社会とのつながりを求めてそのガレキを追うが…。
教会の待合室。大きな窓ガラスがあり、葬儀の様子がよく見える場所。そこに集まった4人の女たちは、それぞれが亡くなった男の彼女だった。粛々と葬儀は執り行われていくが、待合室での女たちはそれとは関係なくそれぞれの世界を独走しはじめる。一人一人が違った悲しみをまとい耐えながら、それでも男が死んだ現実を咀嚼するように受け入れようとしている。しかし、受け止めきれない女もいる。死んでもなお依存し続けることで生き
令和20年、多くのAIが日常に入り込み、リアルと仮想が混在する中、善き人を心がける主人公の女は、過去、男に受けた被害の苦しみから、ジキルとハイドのごとくネット上の仮想世界で悪い男を探し出し、リアルで罰を与えていた。ある日出会った男に恋をするが、男は仮想世界でのみ生きている事実を知り、女はいかに自分も仮想でのみ生きられるのか試行錯誤する。技術が進歩した先においても変わらぬ人の葛藤を描く、歌と朗読と生
末永く上演されるレパートリー作品を劇場が生みだすべく、ロームシアター京都が主体的にプロデュースする事業として、2017年度から開始したプログラム「レパートリーの創造」の第一弾となった本作。2015年に、監修・補綴・主宰の木ノ下裕一と、演出の糸井幸之介のタッグで初演された『心中天の網島』を、2017年ヴァージョンとして再創造(リクリエーション)した公演。【あらすじ】大阪天満の紙屋主人・治兵衛は、
日本を代表する幻想作家・泉鏡花彼の傑作であり、2019年に劇団グスタフで上演した「天守物語」と対をなす作品。シアターグスタフならではの舞台装置で山奥の苔むすような雰囲気を再現。わたなえベ佳英の脚色、演出家抱晴彦による演出、和楽器の生演奏で、新たな表現で泉鏡花の幻想世界の魅力を伝えるとともに、美しい日本語の響き、その魅力を伝えていく。【あらすじ】かつて妖怪と人間との間で交わされた約束が時を経て伝説と
戦後、復員してきた松尾大吉(六角精児)が妻・弥生(冨樫真)の元に帰ると、そこには二人の女・番場(秋野暢子)と小梅(川島なおみ)が居候していた。しかし、弥生たちは大吉が死んだものと思い込み、既に葬式もあげてしまっていた。その上、弥生が本当に待っていたのは戦争のどさくさで結婚してしまった大吉ではなく、番場の息子・裕介だった。立場のない大吉を目の前に、裕介の帰りをそれぞれの思いで待っている番場と小梅と弥
“現代アイルランド演劇界のチェーホフ” ブライアン・フリールの名作。アイルランドの北西部、バリーベッグのはずれの村。ひっそりと暮らすマンディ姉妹はそれぞれの悩みや、緊張の中で助けあって生きている。この片田舎にも近代化の波が押しよせ、経済的な不如意に苦しみ、兄・ジャックの送還の余波でマンディ一家はだんだん崩壊していく・・・・・・。オリジナル曲にアイリッシュダンス、姉妹を取り巻く人物達との激しい言葉
広告代理店に勤める赤星。バリバリの現役高校生・剣之介。年齢は違えど、二人にはともに熱い思いを寄せる相手があった。そしてまた周囲を気遣うあまり、どうしても打ち明けられないのも二人の共通点。 パラレルに描かれていく二つの恋物語は、やがて時間のラビリンスの中へと迷い込んでいく。果たして二つの恋の行方は? そして赤星と剣之介の関係は? 「シンデレラ」
(フライヤーより)私生児をみごもりナチの施設〈レーベンスボルン〉の産院に身をおくマルガレーテは、不老不死を研究し芸術を偏愛する医師クラウスの求婚を承諾した。が、激化する戦火のなか、次第に狂気をおびていくクラウスの言動に怯えながら、やがて、この世の地獄を見ることに…
―禁忌の愛にゆれる、日の浦姫の半生を描く平安一大絵巻―井上ひさしが文学座、杉村春子への当て書きで書き下ろした初期戯曲『日の浦姫物語』をこまつ座初上演。重厚な俳優陣とスタッフを迎え贈る日の浦姫の生涯を巡る一大絵巻!
てがみ座 第十六回公演。北斎の異才を受け継ぎ、のちに『夜桜美人図』『吉原格子先之図』を描き出すお栄(応為)、その青春期の物語。【あらすじ】江戸後期、黒船が泰平の眠りを覚ます少し前。お栄は鬼才の絵師・葛飾北斎を父に持ち、物心つく前から絵筆を握ってきた。幼い頃から北斎工房の一員として、男の弟子たちにも引けを取らずに、代作もこなし枕絵も描いてきた。けれど本物の絵師になりたいと肝を据えたとき痛感する。北斎
『かもめ』の中に、情熱を持ち続けることの難しさや拭いきれない孤独など、現代社会と通じる問題を照らす。新たな世界へ飛び立ちたいと願い戦いながらも希望を失い妥協していく人々と、傷つきながらも妥協を拒絶し再び立ち上がろうとする人々の人生を、冷たい視線から赤裸々に描くことを通して《今の社会において人はいかにして死に、又は生き続けられるのか? 現代の不安定な生を支え得るものは何であるのか?》について問い直す
ダイエット、ピアッシング、リストカット……。強迫観念のように身体を変えること(傷つけること)に取りつかれた少女たちの心理を、3話オムニバスで描く。①ダイエッター「セリナ」:過酷なダイエットの果てにセリナは念願の痩身を手に入れるが、そこへ3年前のセリナ自身が現れ、「あんたは今なお嫌われ者だ」と詰め寄る。②ピアッシング「美咲」:美咲と麻美はピアッシングとタトゥに夢中。リストカットの過去を持つ二人は、体
見たか、と俺は問うた。高峰はただ、頷いた。「ああ、真の美の人を動かすことあのとおりさ、君は 、 – 躑躅は美なりしなり。されどただ赤かりしのみ –「君は、お手のものだ、 君なら、 わかるだろう。」泉鏡花の「外科室」を元に、とある視点で紡ぐ詩的演劇作品。
東京に、大きな空のあったころ。祖母から聞いた話と、祖父から聞けなかった話。その光と影を紡いで結ぶ物語。銭湯帰りに見上げる月を、ライカ犬を乗せた宇宙船スプートニクが横切ってゆく。この高台の町の片隅に、戦前から続く工業所を営む一家が暮らしていた・・。作者が自らの系譜を辿り、曾祖父母の人生をモチーフに創作。昭和四十四年の夏と、昭和三十三年の春夏秋冬を舞台に、戦後を生きた市井の人々を瑞々しく描く群像劇。
彼にとって、彼女は一切であった。娘であり、母であり、獣であり、マドンナであった…。すぐれた東洋美術史学者であり、類まれな万葉調の歌人であり、また独創を重んじた書家として名を成した會津八一。そんな彼の、遠縁の娘きい子との神聖な恋。彼を慕って集まってきた教え子たち。彼らがやがて巻き込まれていく、幾つかの過激な事件、そして戦争の影…。
東京とニューヨーク。インターネット糸電話で結ばれて、二都市の女性俳優たちが太平洋や日付変更線を超えて同時にひとつの作品を上演。これを遠距離恋愛と言わずしてなんと言おう!これまで様々な空間の劇的ポテンシャルを引き出してきたが、今回は二都市間に横たわる時間や空間までも劇場にしちゃえ、というグローバルな心意気の中、開演後911に見舞われ中断。ニューヨークの街が復活されないまま励まし合いながら再演に向かっ
時は1980年。落合勝利35才。大工をしながら建築士の資格を取ろうと定時制高校に通っている。担任の小坂麗子は29才。教育熱心だが色気も愛嬌もなく、生徒たちにも煙たがられている。そんなある日、生徒の一人が持ち込んだ週刊誌には、麗子先生が九州にいられなくなったある事件が報じられていた。さあ、教室は大騒ぎ。麗子先生にひそかに思いを寄せていた勝利は、先生を守るため番長に決闘を挑む…。
舞台は「観光地としての安楽死特区」──。この町では観光の目玉として、より安楽に、より尊厳を保った形での死に方を様々なサービスとして提供している。超高齢化社会と終活の問題、そして、究極の自由とも言うべき「死ぬ自由」という観点をベースに、それぞれが孤独に向き合うしかない「死」の問題を重層的かつ多角的にあぶり出す。
会社でうだつのあがらないトキオは、レイコに思いを寄せながら、自分が彼女にふさわしい男だと思えない。ある日、永遠の時を手に入れられるという「神になる本」を目にしたトキオは、輪廻転生を信じ、意を決してビルから飛び降りる。こうして生死を超えて、愛する人を追い続けるトキオの旅が始まる。だが、それは「オイディプス」「ロミオとジュリエット」、はたまた「サザエさん」といった、すべて「あらかじめ用意された物語」を
民主主義の理想に燃えた戦後。日本国憲法が生まれたその時代を伯爵家のクリスマスを舞台に描いた斎藤憐の傑作戯曲。オリジナル台本をもとに、丹野郁弓による新演出、客演の岡本健一をはじめスタッフ・キャストを一新しての上演。2018年三越劇場版の全国巡演。
東北芸術工科大学主催の山形ビエンナーレ2022「現代山形考 藻が湖伝説」参加作品。第一部は文翔館議場ホールの前庭で山形の市街や文翔館の外観を背景に、庭内を集団で移動しながらゲーテ『ファウスト』の物語を上演。第二部は「現代山形考 藻が湖伝説」の展示会場となった議場ホールの中で登場人物は自身の旅路を会場内で自由に動き回りながら表現し、観客も自由に動き回り美術品や上演を鑑賞できる形式をとった。
バイカル湖の南、イルクーツク近郊を流れるアンガラ川にある発電所の大建設現場。自由奔放な協同組合の人気者、ワーリャを巡る男達。「安売り女」と陰口を叩かれながら、そんな事を気にも留めず我が道をゆくワーリャ。恋人、友人、仲間たちとの交流の中でワーリャは自立した大人の女性へと成長してゆく。彼女を変えたものは一体なんだったのか……恋愛、友情、そして働く人間たちの葛藤を描いた青春群像劇。
健之助、40歳。何にも全然うまくいかないけど、まだまだ頑張って、生きていたい!食べたことない料理(シチリアのやつ)とか食べたいし、なんならモテたい!そんな折、健之助は自分が光っていることに気づく。健之助がいっぱい生きて、ちゃんと死ぬまでの演劇。
(フライヤーより抜粋)恋におぼれ、愛にゆらめくいくつもの人生を描くこのミュージカルは薫りたかく熟成した音楽で観る人を酔わさずにはいません。そのロイド=ウェバーと個人的にも親交が深く、最も信頼されている演出家の一人である浅利慶太が全く新しい演出でこの作品に挑みます。
人里離れた山荘に、人気脚本家・谷山真由美が次回作執筆のため籠もっていた。 脚本ができない事を心配し訪ねてきたテレビ局のプロデューサー、向井正也に、谷山は、自分と恋愛をしてくれたら脚本が書けると迫る。困惑しながらも、向井は次第に谷山のペースに巻きこまれていく。そんな中、山荘にライフルを持った男女の2人組が乱入。彼らはは郵便局を襲い、警察に追われ逃げ込んできたのだと言う。 果たして谷山の脚本は完成する
(フライヤーより)宇宙に存在する無数の♂と♀が、今、魅かれあっている。そのエネルギーは一体いかばかりなのだろう。あなたの恋は宇宙の摂理のまさしく一環なのだ。あなたは恋の始まりを覚えておくべきだ。それがどう始まり、どう終わるのかを。宇宙と恋の透視図(パースペクティブ)。私達はそれを、『非ユークリッド恋愛学』と呼ぶことにする。今、恋が始まる。
日本・セルビア演劇交流プロジェクト
【日本初演、五人の俳優、十五人の登場人物、三つの愛の物語】かつては希望の象徴だった町。そこに集まった三世代の男女5人。信じていた全てが崩れ落ち、都会の無秩序な繋がりの中、愛に飢え、自分の居場所もない。それでもなりふり構わず人生に挑み続け、辿り着いた先に見えた世界は、天国か地獄か!? 紛争後のセルビアそして世界の「リアル」を描いた、セルビアン・ブラック・コメディーを本邦初訳で日本初上演。
18世紀、文豪ゲーテの書簡小説「若きウェルテルの悩み」は理性が全てに勝るという啓蒙主義を背景に恋愛の挫折と自殺という不条理を描いた。本作品はこの設定を現代の小学生に移行。成人が演ずる子供には将来の夢と思春期の未熟が同居する。秘密の共有、孤立、イジメ、性への執着。上田テルオはその姿の絶望を転校前の友人に書き送る。ロッテと呼ばれる少女が現れ、小説の執筆を勧め、テルオは魂の救済とロッテへの恋に震える。
ショパンは、ジョルジュとの蜜月時代に圧倒的多数の楽曲を作曲し、その後はわずか3曲しか作っていません。当時、男性社会であったヨーロッパで異質の才能を発揮した女性ジョルジュは当代一の弁護士ミッシェルを深く信頼し、ミッシェルはジョルジュとショパンを支えていきました。斎藤憐と佐藤信のタッグで創られ、20年以上愛された本作は、毎年上演され続けています。三越創業三百五十周年記念公演として作品史上初全員女性での
ひとの恋愛に手を突っ込んでみたら、宇宙だった。・ 飲み屋の片隅で語られるような、「自分だけの特別な記憶」は、他人が聞けば「ああ、ただのつまんない恋バナじゃん」とサラッと流される。そんな程度の話かもしれない。・つながりたくてもつながらない。ふみはずしたくてもふみはずさない。そんな、閉じた男と、埋もれた女の、途方もない距離感の物語。
大手広告代理店DK2のコンサルティング部に勤める栗宮春子が劇作家の小野司に相談したのは、「前田の刃」で有名な食品加工機器メーカーのトップ「MAEDA」で実施予定の社内結婚推進キャンペーンのインターナルコミュニケーションについてである。「男性の育児参加の推奨のために保育室を設置しました」など、対外的な情報の発信はできてるものの、結局社内であまり使われていないという課題があった。また、男女の社員同士な
大金をめぐるifから始まる物語。40人余に及ぶ登場人物をたった6人の俳優ですべてこなすというトンデモナイ芝居ですが、大人のメルヘン童話を読むような軽い気持ちでご覧下さい。
王冠を捨てた恋で知られるエドワード8世とシンプソン夫人、彼らと関わりを持っていたアドルフ・ヒトラーの関係を、認知症「レビー小体病」を患っていた晩年のウォリス・シンプソンの視点で描く。野心と後悔と愛、老と死、そして、戦争と平和を考える大人のためのラブストーリー。