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[作品ノート]ほぼタイトル通りの作品です。助成:公益財団法人セゾン文化財団協力:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、contact Gonzo
まるでユーレイとの交信…?ノン・コンタクトワークのための習作ーーー本作では、物理的に触れ合わずにコンタクトする“ノン・コンタクトワーク”のアイディアを試みています。これにより、ソロであってソロではない踊りを出現させます。鑑賞者は画面を通してダンサーの身体を見ることで、視覚的にそのコンタクトを目撃します。或いは、画面から現実のダンサーへと視線を移動させるとき、そこに見えてくるものがあるかもしれません
Choreographとは、規制でもあり、創造でもあります。創造は自由だとも言われますが、全ての事象は常に何かに規制されているとも言えます。例えばこの作品も横浜赤レンガ倉庫で2月に初演するということは“Choreograph” されているわけです。当然私たちの生活も規制無しには考えられません。現代は常に歴史に規制されているとも言えます。そして未来は現代の私たちによって規制されていく。それは決して不
2008年の初演以降、全国各地で上演され続けている柴幸男の代表作でありマスターピース。《歩く》ことから浮かび上がる一人の女性の「はじめの一歩」から「さいごの一歩」までを、数人の俳優が入れ代わりながら歩き続け演じていく。本映像は、2011年に上演された横浜赤レンガ倉庫での公演を収録。
[作品ノート]作品イメージ~瞬きで世界を区切る。その空間を通過する時そこには音が聞こえる。瞬間の音だ。瞬きするたびに世界は変化しているのだ。「ある瞬間」をモチーフにし、それを舞台上に断片的に並べていく。瞬間を空間情報としてとらえ、時間を切り取る写真という仕組みを舞台上の空間に当てはめる。いわば3次元カメラを舞台イメージの中心に据える。その空間が身体に及ぼす変容を探り、身体表現として提示していく。
[作品ノート]ビッグバンから生まれた音や光、そして人体も含め、ほぼ全ての物質からは何かしらの振動が発せられ ている。僕たちが発するバイブレーションは世界にどのような影響を及ぼしているのか。人々がどの様な生活を営み、どういった環境で生きてきたのかがそのままバイブレーションとして音源 化される、もしくは可視化されるということなのかもしれない。そんな僕たちのアウラは、クジラを正しい道筋へ導いてあげること
作品ノート:今いるところから そしてとそれから を 考える。考えている。真っすぐな線を引く。どんどん引く。囲っていく。小さくなる。にじませる。ゆらいでいく。心配になる。超えていくために。まずは手をのばす。手をつなぐ。
作品ノート二人のダンサーとミュージシャン。それぞれのやり方で同じ時間を刻む。それは、身体と声と音と空間で戯れながら積み上げる時間のタワー
[作品ノート]2つで1つとしてしまう とても幸せな諦めと 1つを2つにしてしまう へそまがりな微笑みの一人称デュエット。デュエットのカタチを試行する。
わたしたちは、そろっている。
振付・演出家の白神ももこのもと、独自の作品世界を展開するモモンガ・コンプレックスによる作品。白神は新型コロナウイルス感染症対策で外出自粛期間中、会えない人や行けなくなった場所への思いを馳せるなか「個と全体」について考えるようになった。そしてこの体験をさまざまな情景から一人の人間を浮かび上がらせる「伊勢物語」の構造に重ね、上演という集団で取り組む表現形態のなかで、どのように個の存在を放言し連ねていく
作品ノート:四人の女性を一人の女性が演じる。
普段作品創作する時、身の回りについて(人間関係、風景、生死など)思考しそのアイディアを拾い上げて膨らませています。今作はもう一歩思考を外へ、社会にも触れていこうと考え創作しました。というのも、耳にする情報から日々それらを考えざるを得ないような情報に、もっと言えば侵食されている感覚を覚えることがあります。今作を観ていただき、お客様にさまざまなことを想像して頂けたら幸いです。[作品ノート]事柄は日々形
1988年夏、横浜のJR貨物・東高島駅構内の運河に艀(はしけ)を浮かべ舞台にし、水と火を駆使した壮大な野外劇。作・演出の川村毅の地元・横浜市の協力により実現した。30名の第三エロチカ劇団員総出演に加え、エキストラコマンドも多数出演。当時20代の川村がテーマにしてきた、アンドロイド/人造人間/レプリカントを通して現代人に問う『ニッポン・ウォーズ』(84年)『ラスト・フランケンシュタイン』(86年)か
作品ノート:2015年に初演(20分)。何もない事や、説明の出来ないものを形にするクリエーションの中で、様々な「実験」を試み、ダンサーを[実験用ラット]のように見立てた。2017年の本公演(60分)では「目次」を用いて進行。ラット達に薬品や刺激を与え、精神的な環境に置き反応を見ていく。共通の説明書(振付)と各々にタスクを与え、ダンサー自身も実験を試みた。ダンスは形? 肉体? ダンスは必要か? 違和
作品ノート:「この街は芸術迷子だ。」というフレーズがしっくり来る。利益至上主義国家である日本では都市の開発や機能性向上を掲げ、日々、街の外観が更新されている。反するかのように芸術は一方的に避けられ、事実活動が窮屈になっている。芸術の都と呼ばれるフランスでは芸術の地盤が整っているが、故にアートで溢れ返っており、表現の根源を見失う芸術家も多かった。表現できる環境を求め、自分の活動に適した街へ移住する芸
記憶や物語が宿る媒体として10秒前後の「小さな振付」を収集し、コラージュするダンス作品。169個(2024年1月時点)ある「小さな振付」は、ささいな日常の出来事、いつかの記憶、風景と様々な背景や由来から成り、上演の場で出演者によってランダムに選択され、上演される。福留麻里のソロダンス作品としてスタートした本作を、俳優/パフォーマンスアート/ダンサーと専門領域の異なる出演者によってグループ作品として
作品ノート:高校生の時に流行っていた遊びがある。偶然相手と言葉が重なった時、先に ハッピーアイスクリームといったほうがサーティーワンを奢ってもらえるというものだ。他人と何かが重なった時、私達は他者との繋がりを感じ、ある種の幸福感を催す。私達は満たされようと、曖昧な自己を物質的に最も近い他者を 通して確認しようとする。それでも埋まらないループした不条理な世界に向けて、私は私から溶け出して洪水を起こそ
日本丸メモリアルパークパフォーマンス 2021-2022「路上の身体祭典H!」新人Hソケリッサ!横浜/東京路上ダンスツアー#2
社会から分断され個人になった時に個人は不安を抱え、集団に依存していた個人の脆弱さが露呈する。我々は生きる手段としてこの大きな集団に取り込まれ、それは習慣となり個人という存在や輝きは飲み込まれてしまうだろう。しかし希望を失った身体は、言うなれば囚われた習慣を捨てた身体の始まりであり、強靭な個人の身体の始まりだと僕は思う。歪な躍動のリズムで僕は目を覚ましたい。ツアー公式Webサイト:https://s
AFTER RUSTは「錆の次には何が起こるのか?」という疑問をベースとしたソロ作品。人間の身体と精神両面での錆に着目し、物質が錆びた後には何が起こるのかを探求した作品です。クリエーションを行った昨年はちょうど30歳を迎えた節目の年でした。この数年ダンサーとしての仕事よりも振付や教える仕事が増え自分自身に集中できる時間が減り、徐々に体が錆びて劣化していくような感覚を感じていました。この錆と向き合い
[作品ノート]自分のためにやっているけど、まだまだ青いっす (マトロン)。依然不安定なコンピュータの舞台芸術への介入には、未だ危うさが生じる。だが、危ぶむなかれ。危ぶめば、道は無し。歩めばその一歩が道となる(ボリボリ)。ぽつねん、ぽつねんボーイとぶつぶつ言いながらこのビデオ、城戸マトロン晃一プロモーションビデオを少しづつ制作しはじめたのは2年前の夏頃からで、あるときビデオ画面のつぶつぶを剥がしてみ
[作品ノート]He-for there could be no doubt of his sex, though the fashion of the time did something to disguise it… ("Orlando", Virginia Woolf)(※彼-性別はまず疑う必要のない男、たとえ当時のファッションが彼の外見を変えることができるであろうとも…)自分が例えば誰か
[作品ノート]この作品は、Villa Lobosの音楽「Urapuru」と寺田みさこさんからインスピレーションを受けて作られた作品です。Urapuruは、アマゾンに住んでいる鳥の名前です。
[作品ノート]この手の先の 7割の不快 2割の快とり残された あと1割
[作品ノート] “The Broken Heart”は、2001年夏、アメリカ、メイン州で行われたベイツダンスフェスティバルで初演される。 この作品は、失恋した時の感情の変化を表したもので、 “創造的なアイデアに富んでおり、まるで昆虫の動きを見ているよう。”と評される。
Futuristic Space は、時間が止まった世界の物語 です。どの時点で起こったことなのか、誰にもわかりません。ある、とてつもない出来事によって、色々な場所から見知らぬ人々が集まります。それぞれ が、複雑で暗い過去を隠し持ったまま、新たな現実 と向き合うのです。彼らは協力しあって、できる限り普通に感じられるような世界に似たものを作ろうとします。一人一人が抱える過去は、この物語を通して明らか
(パンフレットより)頭がキリキリする、はあ、八月、も、もう中間付近、僕、相変わらず、作品、つくっている、そりゃあ、汗だくになりながら、つくりまくっている、つくって、疲れて、今日もアパート帰る、帰って、部屋で、腐りきっている、ちょっと腐って、復活して、また、頭の中で、また作品、つくる、翌朝、作品つくりに、家を出る、駆け足、で、稽古場、に、向かう、そんなループの中、に、僕はいて、つくるつくる、を、繰り
大野一雄フェスティバルで観客の楽しみのひとつとなっていた、横浜の街を移動しながらダンス公演を観覧する「横浜ダンス界隈」。2008年は「移動シアター/DoCodeMo System」を導入、伊勢佐木町から新港埠頭までの日常の場を「劇場」に転化した。
筒井潤+新長田で踊る人々
『新長田のダンス事情』のプロジェクト・コンセプトは「新長田で踊る人に会いにいく」、2009年4月に始動した継続プロジェクトです。稽古場訪問やインタビューを基盤に、数々のイベントを盛り込みながら、リサーチと実践を往復します。2013年に5年目を迎え、3名の演出家、振付家、現代美術作家らが「新長田で踊る人々」と出会いながら、新たな舞台作品をつくる試みを始めました。今回はその中で筒井潤との試みを中心に、
[作品ノート]身体の内部感覚からダンスを創る。骨盤、背骨、足首、小指、筋肉、血管、そして細胞の一つ一つにいたるまで。カラダのコエをききながら感覚をとぎすます。カラダのコエがあふれ出る、その瞬間。
[作品ノート]見せること隠すこと見えそうで見えないこと見えても見えないこと自分ですらみることができな自分の顔をさらけ出して生きているという一大事
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
「H」は、human(人間)、hope(希望)、homeless(ホームレス)、hurt(痛み)の意。コロナ禍において増加する貧困生活者や苦しみを抱えた方達が心身の豊かさと希望を取り戻すきっかけとなることを願い、横浜・東京の公共空間を主とした8会場で、新人Hソケリッサ!新作ダンスパフォーマンス『ヒニヒリズム/今度会ったらロクでもない奴らと仲良くなりてえ・・』、映画上映、トーク、WS、展示を展開。
[作品ノート]これは女性のためのダンス。女性についての、女性と共に、女性を祝福するための、この世界にある彼女たちの美しさとパワーを賞賛するためのダンス。古代の感情を呼び醒すためのダンス:怒り、復讐、凶悪、呪い、狂気、贖い。平等の姿として存在し、あらゆる暴虐行為に対しての武器として踊られるダンス。
[作品ノート]舞台上の私と、普段生活している私は何が違うのか?「あなたが『バレる』と言ったから。」私は飾らず、ウソもつかず、舞台で正直に踊ることにしたよ。
[作品ノート]男は顔じゃなく。1に色艶、2に臭い。3、4はまだまだ5に蜜度。よってこれみな、生き残れるや否なので。じゃ、用が済んだらモノになってよしっ。私も3歩下がって後追いますから。してお次は鳥にでも草んでも。と夢みたつもりが2足でして-、機械じみてェ。
横浜ダンスコレクション 1996 バニョレ国際振付賞ジャパンプラットフォーム ナショナル協議員賞受賞作品
先日、行きつけの店の店長さんに散髪してもらっていた時、髪を「切る」に対し過不足なく「切って」いて、そうかと思い当たったことがありました。張り切るでも慣れるでも緩むでも表現するでも好き嫌いもなく、ある動詞を過不足なく体現することは実際とても難しい。日々同じ動詞に向き合う中で、飽きず過不足ない状態に辿り着くことについて、考えるところがありました。以前ジャズピアニストが、究極のドミソが弾けたらと話してい
Dance Performance LIVE
舞踊家の苫野美亜が国内で活躍しているバレエダンサー達とともに、日本ユニセフ協会の協力を得て開催したチャリティーコンサート。ピアノ・ヴァイオリン・チェロの音色とオリジナリティ溢れるダンサーとの共演。
筒井潤+新長田で踊る人々
『新長田のダンス事情』のプロジェクト・コンセプトは「新長田で踊る人に会いにいく」、2009年4月に始動した継続プロジェクトです。稽古場訪問やインタビューを基盤に、数々のイベントを盛り込みながら、リサーチと実践を往復します。2013年に5年目を迎え、3名の演出家、振付家、現代美術作家らが「新長田で踊る人々」と出会いながら、新たな舞台作品をつくる試みを始めました。今回はその中で筒井潤との試みを中心に、
作品ノート:日本人は働きすぎと言われている。適度に披露を得た肉体は「誰かのために尽くした」と単純なことを教えてくれる。しかし働き過ぎて肉体が過労死直前にまで辿り着けば、意味を失い、何も語れなくなる。言うなればこのダンス作品は“誰も救えない日本労働社会” へ視線を向けている。ここは横浜の歴史を積み上げ聳え立つ赤レンガ倉庫。 シンプルなこの空間に想像の橋を建造する。それは新たな時代へ架ける橋となる。働
『兵士の物語』(The Soldier’s Tale )とは?ロシアの民話を元にイーゴリ・ストラヴィンスキー が作曲し、シャルル・フェルディナン・ラミューズ が台本に起こし、1918 年 9 月 28 日ローザンヌ劇場で初演された朗読とバレエと音楽により上演される作品で、巡業できるよう小回りのきく少人数で構成されている。あらすじは、休暇中の兵士が、故郷を目指す途中に一休みしてヴァイオリンを弾いてい
作品ノート:寝室、トイレ、台所整えられた美しき家庭はみ出た祖母、はみ出た母、はみ出た私は膝を揃えて「お帰りなさい」と微笑むの。私は一体誰なのかしら。
映像、演劇、パフォーマンスなど、領域横断的に自在な活動を展開するチョイ・カファイは、過去2度にわたるKYOTO EXPERIMENTへの参加で上演されたいずれの作品でも、ダンスという表現への深い敬慕と入念なリサーチ、そして独自のアプローチを見せてきた。テクノロジーをある種“誤用”しながら、ダンス史におけるレジェンドたちの振付を復元した『Notion: Dance Fiction』。アジアを拠点に活
作品ノート:グフッグフッ、ハグッハグッ、 普段、何気ないときに、自分のツボが刺激される瞬間に出会うことがある。 そんなとき、嬉しくて 誰かに伝えたくて、心地よく感じる。
作品ノートHetero= 異なる一つの性・身体・空間と、二つの性・身体・空間私の中の視界いつの間にかあなたに映る私それぞれの内の景色と外からの視点が重なる時間その境界に立ち現れる、もう一つの時間
作品ノート: 園。庭。庭園。土があって、木を植えて、水があって、花を咲かせる。特に計画して作った庭。楽園・余暇。
Dance Performance LIVE
この世に存在する相反するものの中心点それらを感知することで、種々の問題の解決策を見出すことができるのではないか…多世代のダンサーたちが、それぞれのテーマや表現を介し、そんなmid/pointを探る
2011年3月、原発事故の後にネット上に流れた“放射能から身を守るための対策法”の一つに、“米のとぎ汁乳酸菌”があった。おならをする度に“お、やっているな”と思う。日本語では“屁をする”だけではなく“屁が出る”ともいう。確かに“屁をする”ではなく“屁が出る”だ。内発的な欲求は屁のように出る。芸術の目的は人間を健康にすることだと思えば、あながち突拍子もない連想ではない。
YPAM ディレクション
ヴィジュアルアーツ/パフォーミングアーツの制度との折衝、社会学的/民俗学的フィールドワークを重ね、挑発性とユーモアを併せ持つ活動を展開するアーティスト集団「オル太」が、「ニッポンのイデオロギー」がとる日常的形態のパフォーマティブな分析に6つの切り口で取り組みます。「取り止めのない一つの感情のようなものが、現在の日本の生活を支配しているように見える[…]日本に限らず現在の社会に於けるこの切実で愚劣な
《作品ノート》「記録」に焦点をあてた本作品では、「いま」をとどめようとする行為である「記録」と舞台でのライブ表現によって、つかんだ先からさらさらとすり抜けていく「いま」というものの感触を表現する。
作品ノート: ああ、夏なのか、冬なのか。そんなどうでもいいこと今はなくて。若くても若くなくても関係なくて。ここにいるのは僕なんです。そうです、かけがえのない僕なんです。少なくとも君ではない。ああ、あの青がまぶしいな。それが嘘だとしてもきっと誰も気に止めないだろう。でもホントにまぶしいから、少なくともそう感じるから僕は叫ぶんです。街の中で、電車の中で。光の中で、君の胸で。心の底から目に見えるように。
2005年の横浜赤レンガ倉庫1号館での上演から10年。今回のダンサーは、当時の田畑真希 (2009年受賞者)、関かおり(2012年受賞者)など女性ダンサーから男性ダンサーへ...。 世界各地を巡回した話題作が、男性ダンサーのための作品として、再構築される。[作品ノート]例えば掌をひろげた場合なぜか小指から閉じたくなる、という今の身体思考の流行に逆らわないことでダンスが組み立てられています。「ワン◆
【作品ノート】透明な沸点と露点そのブラックホールをすぎるとある青い世界に柔らかい光が溢れているはざまに耳を澄まし光の波紋をうつす瞳うねりつづける細胞のひとつひとつをミモザの花にしたら少しはこの世を灯せるだろうか
横浜ダンスコレクションR 2005 受賞者公演
作品ノート:母親(ママ、おかあさん、おふくろ)とは、子を産み、育てる女性、もしくは、精子と結合し子供へと成長した卵子を提供した女性のこと。その定義は、非ヒト動物にも拡張可能であり、クローン化した体細胞を提供した動物を含めることもできる。母親の、社会的・文化的・宗教的な定義と役割は、複雑かつ相違があり、普遍的に許容可能な定義を特定することは難しい。̶Wikipedia より引用
[作品ノート]止まらない時間の中で、もし生がひとつの特別なリズムにしたがっていくつかの瞬間の示す決定を受け入れるならば、その生はひとつの特別な方向においていっそう急速に成長することになり、どうしてもその出来事を受け入れるしかなくて、戸惑っているうちに、唐突に、それは始まった
作品ノート:白い紙から何がうまれるか?神様は白い?苦労をすると白髪が増える?白という色の印象、言葉の印象、白い物の印象、白の魅力。真っ白なところに様々な白を重ねていく。カタチにならなさそうな白を、カラダでカタチにしていく。白から始まるすべてのもの。そして、そこから一人の人物像が浮き上がる。
作品ノート:完成することのない私●○ ●○ ○● ●○ ●○○○ ●● ●○ ○● ○●○○ ○○ ●○ ●● ●●これは、点字の凹凸によってありのままと書かれています
【作品ノート】光、音、映像、身体一あらゆるエレメントをハイブリッドに融合 することで「特定のエネルギー状態にある絵」を舞台上に現前 化させる梅田宏明の創作哲学は、実質的な処女作である本作 で早くも確立されている。写真芸術からダンスに転身した梅田 のなかには、「ダンスをグラフィックアートとして平面的に見せ たい」というビジョンが当初からあり、その構想を反映するか のようにここでは、速度感を持って明滅
作品ノート:「よく知っている底から水面を見上げ知らない水平線を思い浮かべず 音の届く先まで睡り どこかの花を想う」 これは「海」をモチーフにした作品の一部です。遠く離れた世界のことを簡単に知る ことができるようになった今だけど、どれだけ本当のことを見ることができるのだろうか。様々な海から眺める水平線の先は、想像するにはあまりにも遠い。自分が立って いる海の底にも、人の目に触れない流れがきっとたくさ