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「H」は、human(人間)、hope(希望)、homeless(ホームレス)、hurt(痛み)の意。コロナ禍において増加する貧困生活者や苦しみを抱えた方達が心身の豊かさと希望を取り戻すきっかけとなることを願い、横浜・東京の公共空間を主とした8会場で、新人Hソケリッサ!新作ダンスパフォーマンス『ヒニヒリズム/今度会ったらロクでもない奴らと仲良くなりてえ・・』、映画上映、トーク、WS、展示を展開。
【作品ノート】光、音、映像、身体一あらゆるエレメントをハイブリッドに融合 することで「特定のエネルギー状態にある絵」を舞台上に現前 化させる梅田宏明の創作哲学は、実質的な処女作である本作 で早くも確立されている。写真芸術からダンスに転身した梅田 のなかには、「ダンスをグラフィックアートとして平面的に見せ たい」というビジョンが当初からあり、その構想を反映するか のようにここでは、速度感を持って明滅
(パンフレットより)頭がキリキリする、はあ、八月、も、もう中間付近、僕、相変わらず、作品、つくっている、そりゃあ、汗だくになりながら、つくりまくっている、つくって、疲れて、今日もアパート帰る、帰って、部屋で、腐りきっている、ちょっと腐って、復活して、また、頭の中で、また作品、つくる、翌朝、作品つくりに、家を出る、駆け足、で、稽古場、に、向かう、そんなループの中、に、僕はいて、つくるつくる、を、繰り
先日、行きつけの店の店長さんに散髪してもらっていた時、髪を「切る」に対し過不足なく「切って」いて、そうかと思い当たったことがありました。張り切るでも慣れるでも緩むでも表現するでも好き嫌いもなく、ある動詞を過不足なく体現することは実際とても難しい。日々同じ動詞に向き合う中で、飽きず過不足ない状態に辿り着くことについて、考えるところがありました。以前ジャズピアニストが、究極のドミソが弾けたらと話してい
[作品ノート]卵が割れたら… 子供は笑い、 母はさけび、 猫は窓から逃げ出し、 父は新聞を読み続け、そして、また鶏は卵を産む。
作品ノート:テーマは「感情の記号化」。情報化社会の中で人間の感情表現がとぼしくなっていると感じた体験を元に創作しました。インターネットを使ったコミュニケーションは、嬉しいときも悲しいときも真顏で、それに応じた顔文字や記号を送信します。この繰り返しによって、本来は無限の可能性を持つ表情は記号化され、それに伴い我々の感情までもがシンプルになっているのではないでしょうか。「K(-A-)O」は人間の顔を感
記憶や物語が宿る媒体として10秒前後の「小さな振付」を収集し、コラージュするダンス作品。169個(2024年1月時点)ある「小さな振付」は、ささいな日常の出来事、いつかの記憶、風景と様々な背景や由来から成り、上演の場で出演者によってランダムに選択され、上演される。福留麻里のソロダンス作品としてスタートした本作を、俳優/パフォーマンスアート/ダンサーと専門領域の異なる出演者によってグループ作品として
作品ノート:古くから日本には“般若心経”という仏教経典に より、あらゆる存在が“空(くう)”であるとされ る考え方がある。“空”は、現代では「そら」や 「からっぽ」、お腹が「すいた」などという意味で 使われる。経典の一節には、万事は生まれもせ ねば死にもせず、眼に見える景色、聴こえてくる 音、伝わる匂いや味わい、触れたり感じること、 増減やそんなものは一切「無い」という。存在に は流動的な変化があ
[作品ノート]男は顔じゃなく。1に色艶、2に臭い。3、4はまだまだ5に蜜度。よってこれみな、生き残れるや否なので。じゃ、用が済んだらモノになってよしっ。私も3歩下がって後追いますから。してお次は鳥にでも草んでも。と夢みたつもりが2足でして-、機械じみてェ。
作品ノート: 「日常に存在する物体の変貌 見えない所で人間や自然現象が造り出すファントム きっとここはファントム製造所」
[作品ノート]2つで1つとしてしまう とても幸せな諦めと 1つを2つにしてしまう へそまがりな微笑みの一人称デュエット。デュエットのカタチを試行する。
作品ノート:沢山の物が形を変えて僕たちの所に返ってくる。何の迷いもないメルヘンにおおわれた私たちは、また揺れる。紡いだ分だけやりたくなって、忘れた分だけ哀しくなった。自分達を取り戻す旅に出ようかと思っている所です。
幡豆の田んぼ、オリエンタルシティ・香港を経て、全てのログが積み重なり、未知なるPOPが散りばめられる…圧倒的な存在感を放つ唯一無二のダンサー・振付家の辻本知彦と、表現の世界を自由自在に横断するダンサー・俳優の森山未來。そんな二人が 2010 年に立ち上げたパフォーマンスユニット「きゅうかくうし お」。『素晴らしい偶然をもとめて』(2010年)、『素晴らしい偶然をあつめて』(2017年)を経て、約2
[作品ノート]見せること隠すこと見えそうで見えないこと見えても見えないこと自分ですらみることができな自分の顔をさらけ出して生きているという一大事
【作品ノート】一言では収まらないほどたくさんの問題や出来事がいっぺんに やってきた2020年。全世界でコロナウイルスが猛威をふるい、ストレスや意見の違いが表面化し、分断や差別、ヘイト、ハラスメントがネットでも実社会でも横行しています。同時に、それらと向き合い、 戦う人も増えてきています。2019年に受賞した前作「亡命入門: 夢ノ国」は、差別意識と分断、コンテンポラリーダンス界の自明性 など、所謂「
横浜ダンスコレクション 1996 バニョレ国際振付賞ジャパンプラットフォーム ナショナル協議員賞受賞作品
筒井潤+新長田で踊る人々
『新長田のダンス事情』のプロジェクト・コンセプトは「新長田で踊る人に会いにいく」、2009年4月に始動した継続プロジェクトです。稽古場訪問やインタビューを基盤に、数々のイベントを盛り込みながら、リサーチと実践を往復します。2013年に5年目を迎え、3名の演出家、振付家、現代美術作家らが「新長田で踊る人々」と出会いながら、新たな舞台作品をつくる試みを始めました。今回はその中で筒井潤との試みを中心に、
[作品ノート]黒い制服姿の女子3人。レモンを巡る、束の間の断想。静かで、奇妙で、どこか懐かしい。そわそわ、じりじり、ゆるりゆるり。意地悪な泣き笑い。そして、爆弾が――。
[作品ノート]闇に小さく光る、夜中のエアコン運転ランプをみあげる。窓から雪みる犬。いつもひとつきりの、そのカタチのゆくすえを。シーツに広がる雪原、ひとがたキエル。 *トンネルの中、走るからだに目隠ししてみえない百目で走ります。
この作品はコロナ禍で創作され「これぞソーシャル・ティスタンス・パフォーマンス!」と世界中で報じられた。特徴的なのは、舞台美術と一体化した「客席」である。三方を壁で囲われ、壁に空けられた穴から中をのぞき見るのだ。通常の舞台芸術でも、観客は暗い客席から一方的に明るい舞台を見ているわけで、いわば「のぞき」とは舞台芸術の本質なのである。カンパニーを主宰する浅井信好は多彩な顔を持っている。ヒップホップ出身で
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
Choreographとは、規制でもあり、創造でもあります。創造は自由だとも言われますが、全ての事象は常に何かに規制されているとも言えます。例えばこの作品も横浜赤レンガ倉庫で2月に初演するということは“Choreograph” されているわけです。当然私たちの生活も規制無しには考えられません。現代は常に歴史に規制されているとも言えます。そして未来は現代の私たちによって規制されていく。それは決して不
2002年の初演で世界に衝撃を与えたNibroll『コーヒー』を16年ぶりに横浜ダンスコレクション2018のオープニング・プログラムとして再演。映像作家・吉開菜央が、再創作の過程、オーディションで選ばれたダンサーや関係者へのインタビュー、公演本番などをドキュメンタリーとして映画化した作品を公開。[作品ノート]人が社会と無縁ではいられないように、この作品も また当時の社会や時代背景の影響を強く受けて
作品ノート:日々、悶絶しております。 いえ、悶絶のてまえ一歩でもんもんと。 しかし、その一味 意外と美味しいかも。 3000円くらいの自己肯定、味わっていってください。
作品ノート:男の日常は滑稽にして、そのうちに秘めた力はかり知れず。けれども日常は往々にして男を狂わせ、非力は非日常を作っちゃた。浮世は画面でボーダーショウかよ。こら!地球の男共は阿呆。すべからく日常は逆転しちゃったようで、いやはや愛はどこへ?・・・ラブアンドピース。
AFTER RUSTは「錆の次には何が起こるのか?」という疑問をベースとしたソロ作品。人間の身体と精神両面での錆に着目し、物質が錆びた後には何が起こるのかを探求した作品です。クリエーションを行った昨年はちょうど30歳を迎えた節目の年でした。この数年ダンサーとしての仕事よりも振付や教える仕事が増え自分自身に集中できる時間が減り、徐々に体が錆びて劣化していくような感覚を感じていました。この錆と向き合い
作品ノート:日本人は働きすぎと言われている。適度に披露を得た肉体は「誰かのために尽くした」と単純なことを教えてくれる。しかし働き過ぎて肉体が過労死直前にまで辿り着けば、意味を失い、何も語れなくなる。言うなればこのダンス作品は“誰も救えない日本労働社会” へ視線を向けている。ここは横浜の歴史を積み上げ聳え立つ赤レンガ倉庫。 シンプルなこの空間に想像の橋を建造する。それは新たな時代へ架ける橋となる。働
作品ノート:母親(ママ、おかあさん、おふくろ)とは、子を産み、育てる女性、もしくは、精子と結合し子供へと成長した卵子を提供した女性のこと。その定義は、非ヒト動物にも拡張可能であり、クローン化した体細胞を提供した動物を含めることもできる。母親の、社会的・文化的・宗教的な定義と役割は、複雑かつ相違があり、普遍的に許容可能な定義を特定することは難しい。̶Wikipedia より引用
作品ノート:白い紙から何がうまれるか?神様は白い?苦労をすると白髪が増える?白という色の印象、言葉の印象、白い物の印象、白の魅力。真っ白なところに様々な白を重ねていく。カタチにならなさそうな白を、カラダでカタチにしていく。白から始まるすべてのもの。そして、そこから一人の人物像が浮き上がる。
[作品ノート]うつろいさまよいつづける流れかたちにはまりたい衝動かたちからのがれたい衝動そのはざまでおどる
私たちはカラダのことを知っているようで私たちはカラダのことをまだ知っていないあなたの中にある私私の中にあるあなた私はまだ私を見たことがないあなたを通して私を見る私を通してあなたは見る凹凸世界は変わり続け身体は変わり続け凹凸私たちの最後の破片を探す旅は続く私たちのカラダはまだ不完全だから身体を所有した時から私たちの旅は始まった
Dance Performance LIVE
この世に存在する相反するものの中心点それらを感知することで、種々の問題の解決策を見出すことができるのではないか…多世代のダンサーたちが、それぞれのテーマや表現を介し、そんなmid/pointを探る
[作品ノート]ひとりエネル減・・・増。
作品ノート:寝室、トイレ、台所整えられた美しき家庭はみ出た祖母、はみ出た母、はみ出た私は膝を揃えて「お帰りなさい」と微笑むの。私は一体誰なのかしら。
作品ノート:そもそもこの作品は、Aokidがグループ作品のオーディションに対し て、1人と彼の「仲間たち」で応募したのをきっかけに始まった。2次 審査にあがり、彼はせっかくだからと、生身の人間を誘うことにした。 そこで出現したもう1人の男。 奴は一体何者なのか?2人のHUMANがあそびだす!
作品ノート:2015年に初演(20分)。何もない事や、説明の出来ないものを形にするクリエーションの中で、様々な「実験」を試み、ダンサーを[実験用ラット]のように見立てた。2017年の本公演(60分)では「目次」を用いて進行。ラット達に薬品や刺激を与え、精神的な環境に置き反応を見ていく。共通の説明書(振付)と各々にタスクを与え、ダンサー自身も実験を試みた。ダンスは形? 肉体? ダンスは必要か? 違和
[作品ノート]He-for there could be no doubt of his sex, though the fashion of the time did something to disguise it… ("Orlando", Virginia Woolf)(※彼-性別はまず疑う必要のない男、たとえ当時のファッションが彼の外見を変えることができるであろうとも…)自分が例えば誰か
2005年の横浜赤レンガ倉庫1号館での上演から10年。今回のダンサーは、当時の田畑真希 (2009年受賞者)、関かおり(2012年受賞者)など女性ダンサーから男性ダンサーへ...。 世界各地を巡回した話題作が、男性ダンサーのための作品として、再構築される。[作品ノート]例えば掌をひろげた場合なぜか小指から閉じたくなる、という今の身体思考の流行に逆らわないことでダンスが組み立てられています。「ワン◆
日本丸メモリアルパークパフォーマンス 2021-2022「路上の身体祭典H!」新人Hソケリッサ!横浜/東京路上ダンスツアー#2
社会から分断され個人になった時に個人は不安を抱え、集団に依存していた個人の脆弱さが露呈する。我々は生きる手段としてこの大きな集団に取り込まれ、それは習慣となり個人という存在や輝きは飲み込まれてしまうだろう。しかし希望を失った身体は、言うなれば囚われた習慣を捨てた身体の始まりであり、強靭な個人の身体の始まりだと僕は思う。歪な躍動のリズムで僕は目を覚ましたい。ツアー公式Webサイト:https://s
普段作品創作する時、身の回りについて(人間関係、風景、生死など)思考しそのアイディアを拾い上げて膨らませています。今作はもう一歩思考を外へ、社会にも触れていこうと考え創作しました。というのも、耳にする情報から日々それらを考えざるを得ないような情報に、もっと言えば侵食されている感覚を覚えることがあります。今作を観ていただき、お客様にさまざまなことを想像して頂けたら幸いです。[作品ノート]事柄は日々形
作品ノート:完成することのない私●○ ●○ ○● ●○ ●○○○ ●● ●○ ○● ○●○○ ○○ ●○ ●● ●●これは、点字の凹凸によってありのままと書かれています
作品ノート: 日々流れる時間の中で、身体は時間とどのように関わり、どのような影響を受けているのか?人は生まれた時から時間とともに、死に向かって進んで行く。この作品は、そのような身体が持つ時間の流れをテーマにしている。今回、時間を表すものとしてビートが最初に頭に浮かんだ。そしてこれを時間を表すひとつのキーワードとして、作品作りをしました。身体には心臓の鼓動、ビートがある。人は生きている限り、鼓動は休
作品ノート:人間を含む自然物の衰え美しい自然サイクル腐る果物 老いる肌 無数の時が刻み込まれた自然物とその消滅と生成不自然な消滅垣間見える人間の欲今を生きる為の纏わりついて消えない欲生まれる抵抗と矛盾
横浜ダンスコレクションR 2005 受賞者公演
ニッポン・イデオロギー
ヴィジュアルアーツ/パフォーミングアーツの制度との折衝、社会学的/民俗学的フィールドワークを重ね、挑発性とユーモアを併せ持つ活動を展開するアーティスト集団「オル太」が、「ニッポンのイデオロギー」がとる日常的形態のパフォーマティブな分析に6つの切り口で取り組みます。「取り止めのない一つの感情のようなものが、現在の日本の生活を支配しているように見える[…]日本に限らず現在の社会に於けるこの切実で愚劣な
作品ノート:フランスのレジデンスでは9つのマチを訪れ、 多くの人々との出会いがありました。 その人々の優しさとフランスの暖かい乾いた風は、 今も私の心に残っています。 フランスでは自分の人生を振り返る時間も沢山ありました。 もう一度戻りたい過去もあれば、 塗り替えたい過去もありました。 自分はなぜここにいるのか。 自分の歩んだ道は もしかして決められていたのでは。 そしてこれから進む道も...。
作品ノートHetero= 異なる一つの性・身体・空間と、二つの性・身体・空間私の中の視界いつの間にかあなたに映る私それぞれの内の景色と外からの視点が重なる時間その境界に立ち現れる、もう一つの時間
この作品は2010年に創作したものです。その時は70分くらいあったのですが思ったように出来ず、いつか再演してリベンジしたいと考えていた時に、海外で発表する機会を頂きこのバージョンを作り直しました。その時からも大分変化してしまいましたが、この作品を発表出来て嬉しいです。
Futuristic Space は、時間が止まった世界の物語 です。どの時点で起こったことなのか、誰にもわかりません。ある、とてつもない出来事によって、色々な場所から見知らぬ人々が集まります。それぞれ が、複雑で暗い過去を隠し持ったまま、新たな現実 と向き合うのです。彼らは協力しあって、できる限り普通に感じられるような世界に似たものを作ろうとします。一人一人が抱える過去は、この物語を通して明らか
作品ノート:この作品のコンセプトは“感情は身体とどれくらい関係しているのだろう”という素朴な疑問から膨らんでいった。感情が身体を動かすのか、身体は感情を認識しているのか。デュオというシンプルな構成から、様々な“状況”が生まれ出す。予測と期待と裏切りのゲーム。今ココで生み、生まれゆくもの。
[作品ノート]作品イメージ~瞬きで世界を区切る。その空間を通過する時そこには音が聞こえる。瞬間の音だ。瞬きするたびに世界は変化しているのだ。「ある瞬間」をモチーフにし、それを舞台上に断片的に並べていく。瞬間を空間情報としてとらえ、時間を切り取る写真という仕組みを舞台上の空間に当てはめる。いわば3次元カメラを舞台イメージの中心に据える。その空間が身体に及ぼす変容を探り、身体表現として提示していく。
2008年の初演以降、全国各地で上演され続けている柴幸男の代表作でありマスターピース。《歩く》ことから浮かび上がる一人の女性の「はじめの一歩」から「さいごの一歩」までを、数人の俳優が入れ代わりながら歩き続け演じていく。本映像は、2011年に上演された横浜赤レンガ倉庫での公演を収録。
大野一雄【赤レンガ倉庫】舞踏公演
横浜新港埠頭赤レンガ倉庫前の三号上屋にて総勢150人の出演者で上演された。曽我蕭白を始め、鰈や狼など多彩なイメージを花開かせながら、舞踏家だけでなく、音楽家や写真家、地元の合唱団までを巻き込んでの一大スペクタクル。映像はフル・バージョン。
作品ノート:グフッグフッ、ハグッハグッ、 普段、何気ないときに、自分のツボが刺激される瞬間に出会うことがある。 そんなとき、嬉しくて 誰かに伝えたくて、心地よく感じる。
作品ノート: 日常生活の中、何の脈絡もないように生まれては消えていく感情。ある一人の女生徒の自意識の揺らぎが一人称で綴られた太宰治の短編小説「女生徒」にインスパイアされたソロダンス作品。
2011年3月、原発事故の後にネット上に流れた“放射能から身を守るための対策法”の一つに、“米のとぎ汁乳酸菌”があった。おならをする度に“お、やっているな”と思う。日本語では“屁をする”だけではなく“屁が出る”ともいう。確かに“屁をする”ではなく“屁が出る”だ。内発的な欲求は屁のように出る。芸術の目的は人間を健康にすることだと思えば、あながち突拍子もない連想ではない。
作品ノート:私の手から離れたそれは色の濃い空にきれいな放物線を描きあなたはそれをおとさぬように精一杯両手を伸ばす
Dance Performance LIVE
舞踊家の苫野美亜が国内で活躍しているバレエダンサー達とともに、日本ユニセフ協会の協力を得て開催したチャリティーコンサート。ピアノ・ヴァイオリン・チェロの音色とオリジナリティ溢れるダンサーとの共演。
【作品ノート】2019年頃に感じていた、何だか静かで人類が世界に退屈したような絶望感がある。それが前回の横浜ダンスコレクションで上演した「サイクロン・クロニクル」が纏っていた空気感でもあった。2020年2月以降、その絶望感が一気に沸点に達して吹きこぼれ、今も尚ぐらぐらと煮立っている。そして、その鍋の中に生成されているのはデカダン的な新たな終末感である。 その中で新しく作品を作ることになり、浮かび上
作品ノート:日本、トーゴ、台湾の異なるバックボーンを持つ4 名で製作された、日本のコンテンポラリーダンス作品。「ダンスの自明性を問うダンス作品」と銘打ち、‘基準がなく何でもありのダンス’とされている、日本のコンテンポラリーダンスにまつわる自明性と、その周辺を漂流する。あらゆる差別意識が表面化する現在の日本。渦中の我々だからこそ獲得し得る日本のコンテンポラリーダンスの力を、逃げるように追い求めていく