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作品ノート二人のダンサーとミュージシャン。それぞれのやり方で同じ時間を刻む。それは、身体と声と音と空間で戯れながら積み上げる時間のタワー
作品ノート:男の日常は滑稽にして、そのうちに秘めた力はかり知れず。けれども日常は往々にして男を狂わせ、非力は非日常を作っちゃた。浮世は画面でボーダーショウかよ。こら!地球の男共は阿呆。すべからく日常は逆転しちゃったようで、いやはや愛はどこへ?・・・ラブアンドピース。
[作品ノート]この手の先の 7割の不快 2割の快とり残された あと1割
[作品ノート]2つで1つとしてしまう とても幸せな諦めと 1つを2つにしてしまう へそまがりな微笑みの一人称デュエット。デュエットのカタチを試行する。
老いたバラモン僧は、回教徒の将校に恋するヒンドゥー教徒の娘を我が物とするため妖術を使い、自身と娘を犬の姿に変えてしまう──。老俳優の熟練した語り、生々しい欲望の世界を軽やかに演じる変幻自在な人形、絶妙な間合いをとる音楽によって、人間の性のエネルギーと葛藤が鮮烈にイメージ化されます。叶わぬ恋を頑なに貫く娘、やがて破滅へと向かう2匹。「宗教」と「戦争」を背景に、さらに人間の悲哀をも描き出します。
日本丸メモリアルパークパフォーマンス 2021-2022「路上の身体祭典H!」新人Hソケリッサ!横浜/東京路上ダンスツアー#2
社会から分断され個人になった時に個人は不安を抱え、集団に依存していた個人の脆弱さが露呈する。我々は生きる手段としてこの大きな集団に取り込まれ、それは習慣となり個人という存在や輝きは飲み込まれてしまうだろう。しかし希望を失った身体は、言うなれば囚われた習慣を捨てた身体の始まりであり、強靭な個人の身体の始まりだと僕は思う。歪な躍動のリズムで僕は目を覚ましたい。ツアー公式Webサイト:https://s
作品ノート:母親(ママ、おかあさん、おふくろ)とは、子を産み、育てる女性、もしくは、精子と結合し子供へと成長した卵子を提供した女性のこと。その定義は、非ヒト動物にも拡張可能であり、クローン化した体細胞を提供した動物を含めることもできる。母親の、社会的・文化的・宗教的な定義と役割は、複雑かつ相違があり、普遍的に許容可能な定義を特定することは難しい。̶Wikipedia より引用
作品ノート:完成することのない私●○ ●○ ○● ●○ ●○○○ ●● ●○ ○● ○●○○ ○○ ●○ ●● ●●これは、点字の凹凸によってありのままと書かれています
作品ノート:「よく知っている底から水面を見上げ知らない水平線を思い浮かべず 音の届く先まで睡り どこかの花を想う」 これは「海」をモチーフにした作品の一部です。遠く離れた世界のことを簡単に知る ことができるようになった今だけど、どれだけ本当のことを見ることができるのだろうか。様々な海から眺める水平線の先は、想像するにはあまりにも遠い。自分が立って いる海の底にも、人の目に触れない流れがきっとたくさ
作品ノート: 日常生活の中、何の脈絡もないように生まれては消えていく感情。ある一人の女生徒の自意識の揺らぎが一人称で綴られた太宰治の短編小説「女生徒」にインスパイアされたソロダンス作品。
[作品ノート]自分のためにやっているけど、まだまだ青いっす (マトロン)。依然不安定なコンピュータの舞台芸術への介入には、未だ危うさが生じる。だが、危ぶむなかれ。危ぶめば、道は無し。歩めばその一歩が道となる(ボリボリ)。ぽつねん、ぽつねんボーイとぶつぶつ言いながらこのビデオ、城戸マトロン晃一プロモーションビデオを少しづつ制作しはじめたのは2年前の夏頃からで、あるときビデオ画面のつぶつぶを剥がしてみ
[作品ノート]卵が割れたら… 子供は笑い、 母はさけび、 猫は窓から逃げ出し、 父は新聞を読み続け、そして、また鶏は卵を産む。
Dance Performance LIVE
舞踊家の苫野美亜が国内で活躍しているバレエダンサー達とともに、日本ユニセフ協会の協力を得て開催したチャリティーコンサート。ピアノ・ヴァイオリン・チェロの音色とオリジナリティ溢れるダンサーとの共演。
[作品ノート]うつろいさまよいつづける流れかたちにはまりたい衝動かたちからのがれたい衝動そのはざまでおどる
作品ノート:白い紙から何がうまれるか?神様は白い?苦労をすると白髪が増える?白という色の印象、言葉の印象、白い物の印象、白の魅力。真っ白なところに様々な白を重ねていく。カタチにならなさそうな白を、カラダでカタチにしていく。白から始まるすべてのもの。そして、そこから一人の人物像が浮き上がる。
作品ノート:we are son! we are sun! we are song!という風に叫んでいる。立っている。走っている。作っている。動いている。浴びている。笑っている。怒っている。起きている。僕や、あなたや、その人や、そのこと。を、どうしたら生きている最中に取り込むことができるのでしょうか?機関車が走り出した時、かいじゅうが火を吹いた時、スクリーンに映画が投影された時、きっとそこに歌と踊
[作品ノート]テーブルを中心に出演者3人のキャラクターと三角関係の様子を音楽に乗せ、リズムよく表現したダンス作品。一見、心情的にも複雑化しがちな、しかし、よく見られる男女の三角関係という人間模様を、できるだけ客観的に切り取ることで、その滑稽さを伝えようと仕上げた作品である。普段、日常の中で度々起こる男女劇の中の‘葛藤’、‘不安’、‘嫉妬’、‘怒り’、‘興奮’、‘期待’…など。そのような感情に、とも
作品ノート: 園。庭。庭園。土があって、木を植えて、水があって、花を咲かせる。特に計画して作った庭。楽園・余暇。
作品ノート「孤独」という名の「豚」が肥えてゆく。コツコツ、コツコツ、コツコツと。それは誰かのイビキだったりもする。今、記憶の中だけで君を想う。やり場の無い気持ちを空高く打ち上げて、もう一度君に伝えることができたら。
【作品ノート】2019年頃に感じていた、何だか静かで人類が世界に退屈したような絶望感がある。それが前回の横浜ダンスコレクションで上演した「サイクロン・クロニクル」が纏っていた空気感でもあった。2020年2月以降、その絶望感が一気に沸点に達して吹きこぼれ、今も尚ぐらぐらと煮立っている。そして、その鍋の中に生成されているのはデカダン的な新たな終末感である。 その中で新しく作品を作ることになり、浮かび上
[作品ノート]優雅、華やか、焦燥、威嚇、陶酔、脱走、贅沢、 パッション、快感、ツクパヤ、うふふ、あはは、 ぶっちゃけ、モリシタマキ、ひっそり、びっしょり。 森下真樹をお楽しみください。
[作品ノート] “The Broken Heart”は、2001年夏、アメリカ、メイン州で行われたベイツダンスフェスティバルで初演される。 この作品は、失恋した時の感情の変化を表したもので、 “創造的なアイデアに富んでおり、まるで昆虫の動きを見ているよう。”と評される。
同じ高校の演劇部員だった同級生のハルコとフミヨは、やがて女優と脚本家として違う道を歩き始めることになった。それぞれの道には、それぞれの出会いと別れがあり、ある時は離れ、ある時は近づき、そして交差しながら人生の時を刻んでいく。1970年から5年ごとに描かれた7つの短篇が、ネックレスの珠のようにつながって一篇の物語を編む。2013年初演。その後全国を巡演し、2022年までの公演数は195回を数える。※
[作品ノート]この作品は、Villa Lobosの音楽「Urapuru」と寺田みさこさんからインスピレーションを受けて作られた作品です。Urapuruは、アマゾンに住んでいる鳥の名前です。
2002年の初演で世界に衝撃を与えたNibroll『コーヒー』を16年ぶりに横浜ダンスコレクション2018のオープニング・プログラムとして再演。映像作家・吉開菜央が、再創作の過程、オーディションで選ばれたダンサーや関係者へのインタビュー、公演本番などをドキュメンタリーとして映画化した作品を公開。[作品ノート]人が社会と無縁ではいられないように、この作品も また当時の社会や時代背景の影響を強く受けて
作品ノート:丸山純子さんの《無音花》を初めて見た時、「ビニール袋がなぜこのような美しい花になるのだろう」ととても印象的でした。そして“再びよみがえる”という意味の “再生”という単語が頭に浮かびました。いちど死んだものがよみがえる。驚異的であり神秘的なことです。 個人的には過去になってしまった様々な感情が湧いてきました。今回の作品は『無・音・花』それぞれの文字がもつ印象、意味と象徴、そして《無音花
作品ノート:日本人は働きすぎと言われている。適度に披露を得た肉体は「誰かのために尽くした」と単純なことを教えてくれる。しかし働き過ぎて肉体が過労死直前にまで辿り着けば、意味を失い、何も語れなくなる。言うなればこのダンス作品は“誰も救えない日本労働社会” へ視線を向けている。ここは横浜の歴史を積み上げ聳え立つ赤レンガ倉庫。 シンプルなこの空間に想像の橋を建造する。それは新たな時代へ架ける橋となる。働
筒井潤+新長田で踊る人々
『新長田のダンス事情』のプロジェクト・コンセプトは「新長田で踊る人に会いにいく」、2009年4月に始動した継続プロジェクトです。稽古場訪問やインタビューを基盤に、数々のイベントを盛り込みながら、リサーチと実践を往復します。2013年に5年目を迎え、3名の演出家、振付家、現代美術作家らが「新長田で踊る人々」と出会いながら、新たな舞台作品をつくる試みを始めました。今回はその中で筒井潤との試みを中心に、
私たちはカラダのことを知っているようで私たちはカラダのことをまだ知っていないあなたの中にある私私の中にあるあなた私はまだ私を見たことがないあなたを通して私を見る私を通してあなたは見る凹凸世界は変わり続け身体は変わり続け凹凸私たちの最後の破片を探す旅は続く私たちのカラダはまだ不完全だから身体を所有した時から私たちの旅は始まった
ニッポン・イデオロギー
ヴィジュアルアーツ/パフォーミングアーツの制度との折衝、社会学的/民俗学的フィールドワークを重ね、挑発性とユーモアを併せ持つ活動を展開するアーティスト集団「オル太」が、「ニッポンのイデオロギー」がとる日常的形態のパフォーマティブな分析に6つの切り口で取り組みます。「取り止めのない一つの感情のようなものが、現在の日本の生活を支配しているように見える[…]日本に限らず現在の社会に於けるこの切実で愚劣な
[作品ノート]止まらない時間の中で、もし生がひとつの特別なリズムにしたがっていくつかの瞬間の示す決定を受け入れるならば、その生はひとつの特別な方向においていっそう急速に成長することになり、どうしてもその出来事を受け入れるしかなくて、戸惑っているうちに、唐突に、それは始まった
先日、行きつけの店の店長さんに散髪してもらっていた時、髪を「切る」に対し過不足なく「切って」いて、そうかと思い当たったことがありました。張り切るでも慣れるでも緩むでも表現するでも好き嫌いもなく、ある動詞を過不足なく体現することは実際とても難しい。日々同じ動詞に向き合う中で、飽きず過不足ない状態に辿り着くことについて、考えるところがありました。以前ジャズピアニストが、究極のドミソが弾けたらと話してい
[作品ノート] 消滅願望消えるということ そこに在ったということそこに在ったということ 確かに在ったということ
【作品ノート】一言では収まらないほどたくさんの問題や出来事がいっぺんに やってきた2020年。全世界でコロナウイルスが猛威をふるい、ストレスや意見の違いが表面化し、分断や差別、ヘイト、ハラスメントがネットでも実社会でも横行しています。同時に、それらと向き合い、 戦う人も増えてきています。2019年に受賞した前作「亡命入門: 夢ノ国」は、差別意識と分断、コンテンポラリーダンス界の自明性 など、所謂「
作品ノート:ヒトの移動は10万年前にアフリカ大陸から始まったと言われている。 そして今現在も世界で起こっている。 移動するという行為はあらゆる文明の発展を促しているが、同時に衝突を引き起こす原因ともなっている。 身体の移動行為自体が、コミュニケーションを誘発させる。ヒトは何故身体を移動させるのか。 どれだけ移動してみたところで、それは小さな庭を行き来しているに過ぎないのだ。 それでも、私たちには身
作品ノート:BANANAりんごはどれですか?バナナをさす。母親は言葉を失った。人の思いは、心の中で像をつくり、音と結びつき、言葉として発せられる。母親が笑う、私も笑う。ただそれだけのことだ。
1988年夏、横浜のJR貨物・東高島駅構内の運河に艀(はしけ)を浮かべ舞台にし、水と火を駆使した壮大な野外劇。作・演出の川村毅の地元・横浜市の協力により実現した。30名の第三エロチカ劇団員総出演に加え、エキストラコマンドも多数出演。当時20代の川村がテーマにしてきた、アンドロイド/人造人間/レプリカントを通して現代人に問う『ニッポン・ウォーズ』(84年)『ラスト・フランケンシュタイン』(86年)か
作品ノート: 日々流れる時間の中で、身体は時間とどのように関わり、どのような影響を受けているのか?人は生まれた時から時間とともに、死に向かって進んで行く。この作品は、そのような身体が持つ時間の流れをテーマにしている。今回、時間を表すものとしてビートが最初に頭に浮かんだ。そしてこれを時間を表すひとつのキーワードとして、作品作りをしました。身体には心臓の鼓動、ビートがある。人は生きている限り、鼓動は休
『兵士の物語』(The Soldier’s Tale )とは?ロシアの民話を元にイーゴリ・ストラヴィンスキー が作曲し、シャルル・フェルディナン・ラミューズ が台本に起こし、1918 年 9 月 28 日ローザンヌ劇場で初演された朗読とバレエと音楽により上演される作品で、巡業できるよう小回りのきく少人数で構成されている。あらすじは、休暇中の兵士が、故郷を目指す途中に一休みしてヴァイオリンを弾いてい
2005年の横浜赤レンガ倉庫1号館での上演から10年。今回のダンサーは、当時の田畑真希 (2009年受賞者)、関かおり(2012年受賞者)など女性ダンサーから男性ダンサーへ...。 世界各地を巡回した話題作が、男性ダンサーのための作品として、再構築される。[作品ノート]例えば掌をひろげた場合なぜか小指から閉じたくなる、という今の身体思考の流行に逆らわないことでダンスが組み立てられています。「ワン◆
作品ノート: 「日常に存在する物体の変貌 見えない所で人間や自然現象が造り出すファントム きっとここはファントム製造所」
「H」は、human(人間)、hope(希望)、homeless(ホームレス)、hurt(痛み)の意。コロナ禍において増加する貧困生活者や苦しみを抱えた方達が心身の豊かさと希望を取り戻すきっかけとなることを願い、横浜・東京の公共空間を主とした8会場で、新人Hソケリッサ!新作ダンスパフォーマンス『ヒニヒリズム/今度会ったらロクでもない奴らと仲良くなりてえ・・』、映画上映、トーク、WS、展示を展開。
作品ノート:「この街は芸術迷子だ。」というフレーズがしっくり来る。利益至上主義国家である日本では都市の開発や機能性向上を掲げ、日々、街の外観が更新されている。反するかのように芸術は一方的に避けられ、事実活動が窮屈になっている。芸術の都と呼ばれるフランスでは芸術の地盤が整っているが、故にアートで溢れ返っており、表現の根源を見失う芸術家も多かった。表現できる環境を求め、自分の活動に適した街へ移住する芸
大野一雄【赤レンガ倉庫】舞踏公演
横浜新港埠頭赤レンガ倉庫前の三号上屋にて総勢150人の出演者で上演された。曽我蕭白を始め、鰈や狼など多彩なイメージを花開かせながら、舞踏家だけでなく、音楽家や写真家、地元の合唱団までを巻き込んでの一大スペクタクル。映像はフル・バージョン。
[作品ノート]様々な現象の中の一つの要素として、自分の身体があると思います。
親や周囲の人々から愛やケアを、無条件に与えられ続ける立場としての子供から、「成長すること」は、誰かにケアを与えるという表現の経験からくるだろう。その成長の過渡期にある息子の不安は、経済、能力、環境の不安定さから生まれるというよりも、むしろもっと根本的な意味においては、受けたいケアと与えたいケアの種類や配分が分からず、自身のケアのバランスを見失うことで生まれているのではないだろうか。アンバランスな愛
作品ノート:古くから日本には“般若心経”という仏教経典に より、あらゆる存在が“空(くう)”であるとされ る考え方がある。“空”は、現代では「そら」や 「からっぽ」、お腹が「すいた」などという意味で 使われる。経典の一節には、万事は生まれもせ ねば死にもせず、眼に見える景色、聴こえてくる 音、伝わる匂いや味わい、触れたり感じること、 増減やそんなものは一切「無い」という。存在に は流動的な変化があ
横浜ダンスコレクション 1996 バニョレ国際振付賞ジャパンプラットフォーム ナショナル協議員賞受賞作品
普段作品創作する時、身の回りについて(人間関係、風景、生死など)思考しそのアイディアを拾い上げて膨らませています。今作はもう一歩思考を外へ、社会にも触れていこうと考え創作しました。というのも、耳にする情報から日々それらを考えざるを得ないような情報に、もっと言えば侵食されている感覚を覚えることがあります。今作を観ていただき、お客様にさまざまなことを想像して頂けたら幸いです。[作品ノート]事柄は日々形
KAATキッズ・プログラム2022
おとなもこどもも楽しめる「KAATキッズ・プログラム」の2022年新作は、天国と地獄の分かれ道で、なくした記憶を探すおしばい。2020年に上演を予定していたものの、新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった本作が、2年の時を経てついに上演を迎えました。作・演出は、本作で自身初のキッズ・プログラムを手がけた松井周、そして主人公は、日本演劇界を代表する俳優・白石加代子が演じています。
Futuristic Space は、時間が止まった世界の物語 です。どの時点で起こったことなのか、誰にもわかりません。ある、とてつもない出来事によって、色々な場所から見知らぬ人々が集まります。それぞれ が、複雑で暗い過去を隠し持ったまま、新たな現実 と向き合うのです。彼らは協力しあって、できる限り普通に感じられるような世界に似たものを作ろうとします。一人一人が抱える過去は、この物語を通して明らか
[作品ノート]ほぼタイトル通りの作品です。助成:公益財団法人セゾン文化財団協力:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、contact Gonzo
この作品はコロナ禍で創作され「これぞソーシャル・ティスタンス・パフォーマンス!」と世界中で報じられた。特徴的なのは、舞台美術と一体化した「客席」である。三方を壁で囲われ、壁に空けられた穴から中をのぞき見るのだ。通常の舞台芸術でも、観客は暗い客席から一方的に明るい舞台を見ているわけで、いわば「のぞき」とは舞台芸術の本質なのである。カンパニーを主宰する浅井信好は多彩な顔を持っている。ヒップホップ出身で
[作品ノート]これは女性のためのダンス。女性についての、女性と共に、女性を祝福するための、この世界にある彼女たちの美しさとパワーを賞賛するためのダンス。古代の感情を呼び醒すためのダンス:怒り、復讐、凶悪、呪い、狂気、贖い。平等の姿として存在し、あらゆる暴虐行為に対しての武器として踊られるダンス。
作品ノート:日本、トーゴ、台湾の異なるバックボーンを持つ4 名で製作された、日本のコンテンポラリーダンス作品。「ダンスの自明性を問うダンス作品」と銘打ち、‘基準がなく何でもありのダンス’とされている、日本のコンテンポラリーダンスにまつわる自明性と、その周辺を漂流する。あらゆる差別意識が表面化する現在の日本。渦中の我々だからこそ獲得し得る日本のコンテンポラリーダンスの力を、逃げるように追い求めていく
作品ノート:お座敷のふすまの向こうのお庭のむこう無効のなみだは誰に 降
[作品ノート]ひとりエネル減・・・増。
【作品ノート】「私は、私の身体を選んで、生まれてきた。この身体に起こる全てのことを、この身体で経験することを選んだ。そして、私はこの身体をどうするか、この身体とともにどう生きていくかを、自由に選ぶことができる。」もし、そう思えたら、あなたはあなたの人生の全てを愛することができますか?あなたの人生と、私の人生に、愛を込めて。
2008年の初演以降、全国各地で上演され続けている柴幸男の代表作でありマスターピース。《歩く》ことから浮かび上がる一人の女性の「はじめの一歩」から「さいごの一歩」までを、数人の俳優が入れ代わりながら歩き続け演じていく。本映像は、2011年に上演された横浜赤レンガ倉庫での公演を収録。
作品ノート:ところで、皆さんの心の闇はなんですか?夢を叶えるために押し殺してきた黒い闇。それは最後まで隠し通すことが出来るのでしょうか? その闇があってこそ到達できた場所があるのではないでしょうか?新作の『顔』は、松本清張著『顔』より着想を得て創作いたしました。「楽しい踊りが踊りたいなぁ〜」と日々思うのです。そのためには心の中でいつも突っかかる何かにじっと目を凝らさなければ。この作品は、これからず