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[作品ノート]舞台上の私と、普段生活している私は何が違うのか?「あなたが『バレる』と言ったから。」私は飾らず、ウソもつかず、舞台で正直に踊ることにしたよ。
【作品ノート】2019年頃に感じていた、何だか静かで人類が世界に退屈したような絶望感がある。それが前回の横浜ダンスコレクションで上演した「サイクロン・クロニクル」が纏っていた空気感でもあった。2020年2月以降、その絶望感が一気に沸点に達して吹きこぼれ、今も尚ぐらぐらと煮立っている。そして、その鍋の中に生成されているのはデカダン的な新たな終末感である。 その中で新しく作品を作ることになり、浮かび上
作品ノート:日本、トーゴ、台湾の異なるバックボーンを持つ4 名で製作された、日本のコンテンポラリーダンス作品。「ダンスの自明性を問うダンス作品」と銘打ち、‘基準がなく何でもありのダンス’とされている、日本のコンテンポラリーダンスにまつわる自明性と、その周辺を漂流する。あらゆる差別意識が表面化する現在の日本。渦中の我々だからこそ獲得し得る日本のコンテンポラリーダンスの力を、逃げるように追い求めていく
Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021の「エリア50代」で初演された、笠井叡振付・平山素子のソロダンス『J.S.バッハ作曲“フーガの技法”1.2.6.9番によるダンス』が、スケールアップして再誕!クラシック、jazz、ポップス…と様々なフィールドで活動を展開する、片山柊(愛知公演)、佐藤浩一(横浜公演)という2人の若手ピアニストを迎え、ダンスと音楽で『フーガの技法』とい
[作品ノート]自分のためにやっているけど、まだまだ青いっす (マトロン)。依然不安定なコンピュータの舞台芸術への介入には、未だ危うさが生じる。だが、危ぶむなかれ。危ぶめば、道は無し。歩めばその一歩が道となる(ボリボリ)。ぽつねん、ぽつねんボーイとぶつぶつ言いながらこのビデオ、城戸マトロン晃一プロモーションビデオを少しづつ制作しはじめたのは2年前の夏頃からで、あるときビデオ画面のつぶつぶを剥がしてみ
作品ノート:四人の女性を一人の女性が演じる。
作品ノート:母親(ママ、おかあさん、おふくろ)とは、子を産み、育てる女性、もしくは、精子と結合し子供へと成長した卵子を提供した女性のこと。その定義は、非ヒト動物にも拡張可能であり、クローン化した体細胞を提供した動物を含めることもできる。母親の、社会的・文化的・宗教的な定義と役割は、複雑かつ相違があり、普遍的に許容可能な定義を特定することは難しい。̶Wikipedia より引用
作品ノート:2015年に初演(20分)。何もない事や、説明の出来ないものを形にするクリエーションの中で、様々な「実験」を試み、ダンサーを[実験用ラット]のように見立てた。2017年の本公演(60分)では「目次」を用いて進行。ラット達に薬品や刺激を与え、精神的な環境に置き反応を見ていく。共通の説明書(振付)と各々にタスクを与え、ダンサー自身も実験を試みた。ダンスは形? 肉体? ダンスは必要か? 違和
[作品ノート]止まらない時間の中で、もし生がひとつの特別なリズムにしたがっていくつかの瞬間の示す決定を受け入れるならば、その生はひとつの特別な方向においていっそう急速に成長することになり、どうしてもその出来事を受け入れるしかなくて、戸惑っているうちに、唐突に、それは始まった
作品ノート:「よく知っている底から水面を見上げ知らない水平線を思い浮かべず 音の届く先まで睡り どこかの花を想う」 これは「海」をモチーフにした作品の一部です。遠く離れた世界のことを簡単に知る ことができるようになった今だけど、どれだけ本当のことを見ることができるのだろうか。様々な海から眺める水平線の先は、想像するにはあまりにも遠い。自分が立って いる海の底にも、人の目に触れない流れがきっとたくさ
作品ノートHetero= 異なる一つの性・身体・空間と、二つの性・身体・空間私の中の視界いつの間にかあなたに映る私それぞれの内の景色と外からの視点が重なる時間その境界に立ち現れる、もう一つの時間
[作品ノート]ほぼタイトル通りの作品です。助成:公益財団法人セゾン文化財団協力:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、contact Gonzo
AFTER RUSTは「錆の次には何が起こるのか?」という疑問をベースとしたソロ作品。人間の身体と精神両面での錆に着目し、物質が錆びた後には何が起こるのかを探求した作品です。クリエーションを行った昨年はちょうど30歳を迎えた節目の年でした。この数年ダンサーとしての仕事よりも振付や教える仕事が増え自分自身に集中できる時間が減り、徐々に体が錆びて劣化していくような感覚を感じていました。この錆と向き合い
[作品ノート]テーブルを中心に出演者3人のキャラクターと三角関係の様子を音楽に乗せ、リズムよく表現したダンス作品。一見、心情的にも複雑化しがちな、しかし、よく見られる男女の三角関係という人間模様を、できるだけ客観的に切り取ることで、その滑稽さを伝えようと仕上げた作品である。普段、日常の中で度々起こる男女劇の中の‘葛藤’、‘不安’、‘嫉妬’、‘怒り’、‘興奮’、‘期待’…など。そのような感情に、とも
作品ノート:そもそもこの作品は、Aokidがグループ作品のオーディションに対し て、1人と彼の「仲間たち」で応募したのをきっかけに始まった。2次 審査にあがり、彼はせっかくだからと、生身の人間を誘うことにした。 そこで出現したもう1人の男。 奴は一体何者なのか?2人のHUMANがあそびだす!
2011年3月、原発事故の後にネット上に流れた“放射能から身を守るための対策法”の一つに、“米のとぎ汁乳酸菌”があった。おならをする度に“お、やっているな”と思う。日本語では“屁をする”だけではなく“屁が出る”ともいう。確かに“屁をする”ではなく“屁が出る”だ。内発的な欲求は屁のように出る。芸術の目的は人間を健康にすることだと思えば、あながち突拍子もない連想ではない。
TOUCH - ふれる -
Co.Ruri Mitoは2021年より「TOUCH - ふれる -」というプロジェクトを3年間発展させてきた。第一弾「TOUCH - ふれる - #1」は「風」をモチーフに、移動し続け留まらない「風」に触発され、観客が「動かされる」体験を提供。風になびく舞台装置や衣装、空気(風)によって振動する音楽、「動かされる」出演者が全体で1個のインスタレーションとなり、新しい表現を創出した。
作品ノート:溢れる欲求は動物レベルで活動し続ける。内容や実質と対比される一定の外見的な姿をした混沌とする世界。よごれても、きれいでなくても、感情に素直な肉体ひとつを使って生きる。
作品ノート二人のダンサーとミュージシャン。それぞれのやり方で同じ時間を刻む。それは、身体と声と音と空間で戯れながら積み上げる時間のタワー
作品ノート:日々、悶絶しております。 いえ、悶絶のてまえ一歩でもんもんと。 しかし、その一味 意外と美味しいかも。 3000円くらいの自己肯定、味わっていってください。
[作品ノート] “The Broken Heart”は、2001年夏、アメリカ、メイン州で行われたベイツダンスフェスティバルで初演される。 この作品は、失恋した時の感情の変化を表したもので、 “創造的なアイデアに富んでおり、まるで昆虫の動きを見ているよう。”と評される。
作品ノート:寝室、トイレ、台所整えられた美しき家庭はみ出た祖母、はみ出た母、はみ出た私は膝を揃えて「お帰りなさい」と微笑むの。私は一体誰なのかしら。
先日、行きつけの店の店長さんに散髪してもらっていた時、髪を「切る」に対し過不足なく「切って」いて、そうかと思い当たったことがありました。張り切るでも慣れるでも緩むでも表現するでも好き嫌いもなく、ある動詞を過不足なく体現することは実際とても難しい。日々同じ動詞に向き合う中で、飽きず過不足ない状態に辿り着くことについて、考えるところがありました。以前ジャズピアニストが、究極のドミソが弾けたらと話してい
私たちはカラダのことを知っているようで私たちはカラダのことをまだ知っていないあなたの中にある私私の中にあるあなた私はまだ私を見たことがないあなたを通して私を見る私を通してあなたは見る凹凸世界は変わり続け身体は変わり続け凹凸私たちの最後の破片を探す旅は続く私たちのカラダはまだ不完全だから身体を所有した時から私たちの旅は始まった
作品ノート:フランスのレジデンスでは9つのマチを訪れ、 多くの人々との出会いがありました。 その人々の優しさとフランスの暖かい乾いた風は、 今も私の心に残っています。 フランスでは自分の人生を振り返る時間も沢山ありました。 もう一度戻りたい過去もあれば、 塗り替えたい過去もありました。 自分はなぜここにいるのか。 自分の歩んだ道は もしかして決められていたのでは。 そしてこれから進む道も...。
作品ノート:we are son! we are sun! we are song!という風に叫んでいる。立っている。走っている。作っている。動いている。浴びている。笑っている。怒っている。起きている。僕や、あなたや、その人や、そのこと。を、どうしたら生きている最中に取り込むことができるのでしょうか?機関車が走り出した時、かいじゅうが火を吹いた時、スクリーンに映画が投影された時、きっとそこに歌と踊
2002年の初演で世界に衝撃を与えたNibroll『コーヒー』を16年ぶりに横浜ダンスコレクション2018のオープニング・プログラムとして再演。映像作家・吉開菜央が、再創作の過程、オーディションで選ばれたダンサーや関係者へのインタビュー、公演本番などをドキュメンタリーとして映画化した作品を公開。[作品ノート]人が社会と無縁ではいられないように、この作品も また当時の社会や時代背景の影響を強く受けて
作品ノート:ところで、皆さんの心の闇はなんですか?夢を叶えるために押し殺してきた黒い闇。それは最後まで隠し通すことが出来るのでしょうか? その闇があってこそ到達できた場所があるのではないでしょうか?新作の『顔』は、松本清張著『顔』より着想を得て創作いたしました。「楽しい踊りが踊りたいなぁ〜」と日々思うのです。そのためには心の中でいつも突っかかる何かにじっと目を凝らさなければ。この作品は、これからず
作品ノート:お座敷のふすまの向こうのお庭のむこう無効のなみだは誰に 降
作品ノート: ああ、夏なのか、冬なのか。そんなどうでもいいこと今はなくて。若くても若くなくても関係なくて。ここにいるのは僕なんです。そうです、かけがえのない僕なんです。少なくとも君ではない。ああ、あの青がまぶしいな。それが嘘だとしてもきっと誰も気に止めないだろう。でもホントにまぶしいから、少なくともそう感じるから僕は叫ぶんです。街の中で、電車の中で。光の中で、君の胸で。心の底から目に見えるように。
【作品ノート】光、音、映像、身体一あらゆるエレメントをハイブリッドに融合 することで「特定のエネルギー状態にある絵」を舞台上に現前 化させる梅田宏明の創作哲学は、実質的な処女作である本作 で早くも確立されている。写真芸術からダンスに転身した梅田 のなかには、「ダンスをグラフィックアートとして平面的に見せ たい」というビジョンが当初からあり、その構想を反映するか のようにここでは、速度感を持って明滅
[作品ノート]作品イメージ~瞬きで世界を区切る。その空間を通過する時そこには音が聞こえる。瞬間の音だ。瞬きするたびに世界は変化しているのだ。「ある瞬間」をモチーフにし、それを舞台上に断片的に並べていく。瞬間を空間情報としてとらえ、時間を切り取る写真という仕組みを舞台上の空間に当てはめる。いわば3次元カメラを舞台イメージの中心に据える。その空間が身体に及ぼす変容を探り、身体表現として提示していく。
作品ノート:私の手から離れたそれは色の濃い空にきれいな放物線を描きあなたはそれをおとさぬように精一杯両手を伸ばす
2008年の初演以降、全国各地で上演され続けている柴幸男の代表作でありマスターピース。《歩く》ことから浮かび上がる一人の女性の「はじめの一歩」から「さいごの一歩」までを、数人の俳優が入れ代わりながら歩き続け演じていく。本映像は、2011年に上演された横浜赤レンガ倉庫での公演を収録。
親や周囲の人々から愛やケアを、無条件に与えられ続ける立場としての子供から、「成長すること」は、誰かにケアを与えるという表現の経験からくるだろう。その成長の過渡期にある息子の不安は、経済、能力、環境の不安定さから生まれるというよりも、むしろもっと根本的な意味においては、受けたいケアと与えたいケアの種類や配分が分からず、自身のケアのバランスを見失うことで生まれているのではないだろうか。アンバランスな愛
作品ノート:人間を含む自然物の衰え美しい自然サイクル腐る果物 老いる肌 無数の時が刻み込まれた自然物とその消滅と生成不自然な消滅垣間見える人間の欲今を生きる為の纏わりついて消えない欲生まれる抵抗と矛盾
[作品ノート]この手の先の 7割の不快 2割の快とり残された あと1割
作品ノート:いつから、善悪のガイネンがあるのでしょう。 いつから、つぶすは涙で、なでるは微笑みなのでしょう。 それが入れ換わるその日、もうすぐそこだと、 きっとど真ん中だねと、太陽が追いかけてくるのを無視して 真っ白な月の下ステップを踏んだ。
作品ノート: 園。庭。庭園。土があって、木を植えて、水があって、花を咲かせる。特に計画して作った庭。楽園・余暇。
[作品ノート]2つで1つとしてしまう とても幸せな諦めと 1つを2つにしてしまう へそまがりな微笑みの一人称デュエット。デュエットのカタチを試行する。
作品ノート:男の日常は滑稽にして、そのうちに秘めた力はかり知れず。けれども日常は往々にして男を狂わせ、非力は非日常を作っちゃた。浮世は画面でボーダーショウかよ。こら!地球の男共は阿呆。すべからく日常は逆転しちゃったようで、いやはや愛はどこへ?・・・ラブアンドピース。
作品ノート:沢山の物が形を変えて僕たちの所に返ってくる。何の迷いもないメルヘンにおおわれた私たちは、また揺れる。紡いだ分だけやりたくなって、忘れた分だけ哀しくなった。自分達を取り戻す旅に出ようかと思っている所です。
作品ノート:古くから日本には“般若心経”という仏教経典に より、あらゆる存在が“空(くう)”であるとされ る考え方がある。“空”は、現代では「そら」や 「からっぽ」、お腹が「すいた」などという意味で 使われる。経典の一節には、万事は生まれもせ ねば死にもせず、眼に見える景色、聴こえてくる 音、伝わる匂いや味わい、触れたり感じること、 増減やそんなものは一切「無い」という。存在に は流動的な変化があ
本作品“BU” は、主に「舞」・「武」・「無」の3つの「ぶ」をアイデアの中心に据え、自分自身の人間として、そしてアーティストとしてのアイデンティティーを自分の中に見つけるために作りました。舞、武、無、歩、撫、不などたくさんの「ぶ」から得たアイデアをもとに進むべき道を探すために作った作品です。道はどこで始まり、どこで終わるのだろう? (中略) もし刀を握ったその瞬間が始まりで死が終わりだとするならば
作品ノート:日本人は働きすぎと言われている。適度に披露を得た肉体は「誰かのために尽くした」と単純なことを教えてくれる。しかし働き過ぎて肉体が過労死直前にまで辿り着けば、意味を失い、何も語れなくなる。言うなればこのダンス作品は“誰も救えない日本労働社会” へ視線を向けている。ここは横浜の歴史を積み上げ聳え立つ赤レンガ倉庫。 シンプルなこの空間に想像の橋を建造する。それは新たな時代へ架ける橋となる。働
作品ノート:白い紙から何がうまれるか?神様は白い?苦労をすると白髪が増える?白という色の印象、言葉の印象、白い物の印象、白の魅力。真っ白なところに様々な白を重ねていく。カタチにならなさそうな白を、カラダでカタチにしていく。白から始まるすべてのもの。そして、そこから一人の人物像が浮き上がる。
作品ノート「まっすぐ立つ」というあたりまえの姿勢を維持するのにどれだけの外的、内的力を要するか。一度投げ出された物体が様々な放物線を描きながら落下していくように、私達も一度放り出されたらそれぞれの軌跡を描きながら落下へ向かっていく。抗えない物理的な法則を受け入れながらも諦めきれない気持ち。抗いながらも全ての人に平等に与えられている物理的法則に対する安堵。重力に従って「もうこれくらいで」という気持ち
作品ノート:丸山純子さんの《無音花》を初めて見た時、「ビニール袋がなぜこのような美しい花になるのだろう」ととても印象的でした。そして“再びよみがえる”という意味の “再生”という単語が頭に浮かびました。いちど死んだものがよみがえる。驚異的であり神秘的なことです。 個人的には過去になってしまった様々な感情が湧いてきました。今回の作品は『無・音・花』それぞれの文字がもつ印象、意味と象徴、そして《無音花
普段作品創作する時、身の回りについて(人間関係、風景、生死など)思考しそのアイディアを拾い上げて膨らませています。今作はもう一歩思考を外へ、社会にも触れていこうと考え創作しました。というのも、耳にする情報から日々それらを考えざるを得ないような情報に、もっと言えば侵食されている感覚を覚えることがあります。今作を観ていただき、お客様にさまざまなことを想像して頂けたら幸いです。[作品ノート]事柄は日々形
[作品ノート]理屈抜き、超高速で熱狂的ダンス。その身体は過ぎゆく一刻一刻を疾走する。
【作品ノート】一言では収まらないほどたくさんの問題や出来事がいっぺんに やってきた2020年。全世界でコロナウイルスが猛威をふるい、ストレスや意見の違いが表面化し、分断や差別、ヘイト、ハラスメントがネットでも実社会でも横行しています。同時に、それらと向き合い、 戦う人も増えてきています。2019年に受賞した前作「亡命入門: 夢ノ国」は、差別意識と分断、コンテンポラリーダンス界の自明性 など、所謂「
[作品ノート]黒い制服姿の女子3人。レモンを巡る、束の間の断想。静かで、奇妙で、どこか懐かしい。そわそわ、じりじり、ゆるりゆるり。意地悪な泣き笑い。そして、爆弾が――。
[作品ノート]身体の内部感覚からダンスを創る。骨盤、背骨、足首、小指、筋肉、血管、そして細胞の一つ一つにいたるまで。カラダのコエをききながら感覚をとぎすます。カラダのコエがあふれ出る、その瞬間。
作品ノート:引く、なぞる、延びる、繋ぐ、辿る、越える、描く。細く、どこまでも、長く、いつまでも。
[作品ノート]これは女性のためのダンス。女性についての、女性と共に、女性を祝福するための、この世界にある彼女たちの美しさとパワーを賞賛するためのダンス。古代の感情を呼び醒すためのダンス:怒り、復讐、凶悪、呪い、狂気、贖い。平等の姿として存在し、あらゆる暴虐行為に対しての武器として踊られるダンス。
作品ノート:「この街は芸術迷子だ。」というフレーズがしっくり来る。利益至上主義国家である日本では都市の開発や機能性向上を掲げ、日々、街の外観が更新されている。反するかのように芸術は一方的に避けられ、事実活動が窮屈になっている。芸術の都と呼ばれるフランスでは芸術の地盤が整っているが、故にアートで溢れ返っており、表現の根源を見失う芸術家も多かった。表現できる環境を求め、自分の活動に適した街へ移住する芸
2005年の横浜赤レンガ倉庫1号館での上演から10年。今回のダンサーは、当時の田畑真希 (2009年受賞者)、関かおり(2012年受賞者)など女性ダンサーから男性ダンサーへ...。 世界各地を巡回した話題作が、男性ダンサーのための作品として、再構築される。[作品ノート]例えば掌をひろげた場合なぜか小指から閉じたくなる、という今の身体思考の流行に逆らわないことでダンスが組み立てられています。「ワン◆
作品ノート:グフッグフッ、ハグッハグッ、 普段、何気ないときに、自分のツボが刺激される瞬間に出会うことがある。 そんなとき、嬉しくて 誰かに伝えたくて、心地よく感じる。
作品ノート: 日々流れる時間の中で、身体は時間とどのように関わり、どのような影響を受けているのか?人は生まれた時から時間とともに、死に向かって進んで行く。この作品は、そのような身体が持つ時間の流れをテーマにしている。今回、時間を表すものとしてビートが最初に頭に浮かんだ。そしてこれを時間を表すひとつのキーワードとして、作品作りをしました。身体には心臓の鼓動、ビートがある。人は生きている限り、鼓動は休
【作品ノート】「私は、私の身体を選んで、生まれてきた。この身体に起こる全てのことを、この身体で経験することを選んだ。そして、私はこの身体をどうするか、この身体とともにどう生きていくかを、自由に選ぶことができる。」もし、そう思えたら、あなたはあなたの人生の全てを愛することができますか?あなたの人生と、私の人生に、愛を込めて。