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世田谷シルク第14回公演
日本に似たとある国の化学工場、分析課。規則の厳しい工場で働くこの国の民たちは、ある日、外の国からの元プロレスラーという労働者を受けいれることに。ところが彼は、この国の言葉が話せない。外国人に免疫のない従業員達の反応は様々な一方、会社は外国人を増やして、自国の派遣社員を辞めさせる決断をしている。自分が普通と考えている習慣は、実は少し変かもしれない。そんな発見を外国人労働者の目線を通して見つける作品で
ダンサー狩りの時代。人々は「ダンサー」と「非ダンサー」に識別され、ダンサーと認定された者は「収容所」に収監される。収容所は管理システムを意味する名前で現実的には存在しない。ダンサーと認定された人々は一見以前と変わりない日々を送っているが…「私は誰なのか。ダンサーなのか。何故ダンサーなのか。ダンサーとして何を求められているのか」…やがて歴史という物語隙間に身を隠した1人の紛れもないダンサーと出会う。
「街」と「街」の境界が、住民や通行人の多数決で日々変動する時代を描いたSF作品。特徴の乏しい場所はどの街にも属さず、宙ぶらりんの隙間として残されている。その隙間に暮らす文子は、恋人の斎藤から結婚と隣街への引っ越しを提案され、迷っていた。そんな中、空き巣の塩村が部屋に侵入し、私物を少しずつ持ち去っていく。やがて時間の流れと共に、変動する境界は街の隙間さえも飲み込もうとしていた。
某県某市の「広庭」地区。住民による行政サービス代行が始まって数年。さまざまな事情を抱えた住民委員全員が集まって今日、「この先、広庭地区を存続させるか消滅させるか」という重要な問題の結論を出すことになったのだが、多数決の結果はなんと、全員が「消滅賛成」。なぜ住民委員は全員が消滅に手を挙げたのか。――いよいよ人口減少社会に足を踏み入れた日本。もはやこの「自治体消滅」の問題は絵空事ではない。これまで当た
近未来、TOKYO、渋谷、ハチ公前、「私は君が好きだ」と思う、その気持ちを巡るシンプルなストーリーを「読む人がいて、動く人がいる」という手法を使って描いた作品。それによって生じた体と言葉の「ズレ」がコミカルであり、また切なくもある。誰でも共有できる普遍的なものだけれど、特別視されてもいる、愛というものの話。
日本理化学工業株式会社が昭和35年から取り組んでいる知的障がい者雇用をモチーフに描くことで、障がい者雇用の未来や問題点、何が妨げになっているのか、今後の課題などを観客と共有し、我々の中に存在している差別意識に改めて目を向けると共に、障がい者が当たり前に社会進出できる社会を作る為に市民にできる事は何か、観客と共に考え、より良い社会形成の為に行動できるよう企画しました。
「隅田川 森羅万象 墨に夢」プロジェクト企画
観世元雅によって書かれた室町時代の能「隅田川」を原案に、現代の母親・子供、そのあり方を考える舞台作品。原案で象徴的に描かれる、子供を失くした母親の『涙』を中心のモチーフに置き、同じように子供を失くしても泣けなかった(愛することができなかった)母親を主人公とした。そして相思相愛ではない親子の形と彼らが生活する社会システムを提示し、現代の諸問題を取り上げた。製作にあたり、隅田川、木母寺、隅田宿など物語
本公演では、「らしい身体の上演の可能性/困難性」をテーマに掲げ、俳優に限らず、観客や舞台機構といった広義の他者が存在し、互いに影響を及ぼし合う上演空間の中で、そうした他者の影響に晒されながらも、その人らしさを備えた身体がいかにして実現可能なのか、あるいは不可能なのかを探る。
元新聞記者のヤブさんは、妻に先立たれ60代半ばで独り暮らし。やがてヤブさんの目に異変が起こる。右目で見える像と左目で見える像がブレ始め、二つの像はとうとう独立してしまったのだ……。ヤブさんから見れば娘の佐和子も2人、娘婿でかつての部下の松木も2人……。事態にうろたえたヤブさんは、なんとか収拾を図ろうと自分に言い聞かせ、ついに余計に見える像を消すことに成功するのだが、消されたのは本物の佐和子と松木
戦後。「高度成長」の初め頃ー。村の人々は貧苦にあえいでいた。産まれたばかりの赤ちゃんが、昔ながらにコロコロ死んでゆく。雪深い山奥の村。医師に給料が払えない。「国保」係の高野は村を歩きまわる。滞納を整理できなければ病院がなりたたないのだ。無医村の恐ろしさを知っているのは誰よりも村の人々。だが、村の人々は金を払えない。八方ふさがりの村をどうすればいいのか。教育長、深田は考える。まだ封建色の強い家の中で
コンピューター・ウィルスがついに日本上陸。あるソフトウエア開発会社のホスト・コンピューターにもウィルスが侵入した! 4人の技術者たちは阻止に知恵を絞りながら悪戦苦闘、ついにハッカーを突き止めるが、ウィルスは技術者たちの想像を超えて暴走し始める……。 めざましい勢いで進化し続けるコンピューターは、どこまで人間に近づけば気がすむのか? そもそも人間は新しい生命体を創り出す神になれるのか? SF的世界の
1991年、平田オリザが他劇団に書き下ろした最初の作品。目的もなく旅に出た二人は、列車の中で不思議な若い女と出会う。何か事件が起こるわけでもない日常の延長のような列車の旅のなか、車窓の向こうから様々な風景が浮かび上がってくる。
第八次半世界大戦が第八次半世界大戦が勃発している中、燕と人間を合体させた超生物ヒューマンツバメが誕生していた。ヒューマンツバメは空と陸を謳歌し、争いの連鎖から解き放たれようとしていた。長女の夫に国防軍への招集令状が届いたのだ。「ヒューマンツバメになれば徴兵は免れる」ただし、ヒューマンツバメになるという事は人間の記憶をほとんど失くすという事だった。家族のそれぞれが大切な人のことを思い選んでいく物語の
館林美術館での滞在制作2年目。別館の同一空間を使っての2作品交互公演の1作品。被疑者は要人狙撃の現行犯、事件の真相をめぐり引き寄せられる運命、取り調べる者と取り調べられる者、両者を隔てるのは何か、そして浮き彫りになるこの国の「寂しさ」
音 も 立 て ず に 世 界 は 終 わ ろ う と し て い る一瞬だけ空が緑色に輝いてからというもの地球には異変が起こりはじめた。すべての犬が散歩に行かなくなり、猫は左にしか曲がらなくなった。すべての花は自ら捩じれて茎にこぶ結びをつくるようになり、カエルはそれまでの倍以上跳ね上がるようになった。電柱の足場のボルトはどうしてだろう確実に以前より延び、すべての道路標示はさらさらと粉になって方方
前向きに生きる。これは簡単なことではありません。前向きに努めながらも、何一つ報われないまま人生が終わることなどよくあることです。だからって後ろ向きはまっぴらごめんです。前のめりになるくらい前向きに人生を歩もうではありませんか? 後ろ向きな人生が、あることをきっかけにパッ!と前を向いたときに生み出される、生きることへのエネルギーを私は信じたいです。これは後ろ向きな男が前向きに人生を見つめなおす作品で
20代後半を迎える朝美、かのこ、ゆず、美緒は元高校演劇部であったことを共通点に、友人関係にある。ある日、顧問の先生の訃報と残された草稿が発見される。「わたしはことばそれ自体になりたかった」「欲望は見えなくされているだけだ」と書かれたそれは、完成された物語ではなく、未完成の言葉の集合体だった。4人は残された言葉を「聞く」ことからはじめようとする。
夫が生きてることを願う女と、妻が死んでることを願う男が出会う。令和18年、度重なる大規模な土砂崩れによりインフラの一部が使えない状況が続き荒廃した日本。 行方不明の夫を探す女の隣に引っ越してきた、行方不明の妻を探す男。 女は夫が生きている事を願っているが、男は妻が死んでいて欲しいと願い、更地を掘り続ける。 噛み合わないふたりの交流の果てに二人は、ある共同作業をはじめる。ミズノオト・シアターカンパニ
わずかずつ、わずかずつ/気がつくたびに日1日と/部屋が狭くなってきている。11日前の水曜日/不安を抑え切れずに/金物屋から5メ—トル計のメジャ—を買ってきた/今日だって3回計測した/昨日より1回増やしたのだ/壁から壁。/決してその手は震えていなかったのに/部屋は一晩で23ミリメ—トルもちぢんでいた/一昨日から昨日にかけてが19ミリメートル/ついに20ミリメートルを超えた/部屋は加速度を増しているく
坂あがり相談室 plus
急な坂スタジオ主催の支援プログラム「坂あがり相談室 plus」に選出され、20日間滞在して制作された演劇展示作品(インスタレーション)。「街を記述すること」を指針に、作家がスタジオ周辺をリサーチしつつ戯曲を執筆。本物の要素と作家の想像によるフィクションを交錯させ、架空の街を創出した。模倣しようとして失敗した街と現実の街。本物にフィクションのインクを落とすことで輪郭が曖昧になり、やがて“新しい街”が
ドラマとカオスを縦横するスペースノットブランク。CHAOTICなコレクティブによるDRAMATICなアドベンチャー。ダウンロードとアップロード。HIGH & LOW。物語とキャラクターと本人と別人が脱ぎ着する、母音だけでコミュニケーションできる「場所」。実存しない物語とキャラクターを、実存する本人が「上演」というシチュエーションを用いて実存する別人の目覚ましを鳴らそうとするための舞台。
「母親が癌だった……」語り手が唐突に話し出す。場所はどこなのかはわからないが、職場やバイト先のような目的をもって強制的に集められる場所。語り手、ならびに聞き手たちはそこによく集まるメンバーで、仕事終りの、目的を果たした後のような時間をそこで過ごしている。語り手の話を真剣に聞こうとしながらも、徐々に聞き手たちの頭の中はズレていく。育ってきた環境もこれまでの経験もみんな違う。自分の想像で話の余白を埋め
ある日、緑子がいなくなりました。緑子の友人、恋人、兄が集ってそれぞれに、自分と緑子の話、自分から見て「お兄さんと緑子はこう見えてた」、「彼氏と緑子はこう見えてた」、「友達と緑子はこう見えてた」、「え、そんなこと言われたくないんだけど」、「や、でも緑子からはそう聞いてたし」、「ていうかお兄さんってサー」・・・・・・。話すほど、遠のきます。緑子の不在、ポッカーン。
東京郊外の星川眼科医院。医院長の賢一は、閉院を決意した。そして賢一は、医院に三〇年間勤め、彼の一人娘の母親代わりをもつとめた看護師の陽子に蓼科のコテージをプレゼントし、勇退。これで一件落着。ところが「先生、私、嘘をついていたんです。ここはどうしても、先生に辻褄を合わせていただかないと」「私、死ンジャウワ」とまでは言わないけど、ともかく、賢一、その嘘にノルことになって初冬の蓼科へ。陽子の看護学校時代
『カガクするココロ』『北限の猿』に続く、カガクシリーズの完結編の初演を収録。202X年、ヨーロッパの大戦で死亡した天才科学者の脳だけが生きのこる。その脳の受け入れを巡って延々と交わされる先端科学の議論と膨大な無駄話…。急速に進歩する脳研究の世界を舞台に「人間とは何か」を問いかける問題作。
1994年に青年団プロデュース公演として、第七病棟の緑魔子を客演に迎え、「唐十郎さんや石橋蓮司さんが少女のイメージで捉える緑魔子さんとは違う現在の彼女」を登場させて話題となった。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』や『青森挽歌』、内田百閒の『阿房列車』、寺山修司の『コメット・イケヤ』などを題材にとり、3 人の男女の複雑に絡み合う想いを、行く先が定かでない曲がりくねった線路の上を走る列車に乗せて描く。
芸術家の価値とは何でしょうか?一体何の為の創作活動なのでしょうか?私は制作の価値について考えた。めまぐるしく移りゆく現実の前に虚構の物語というものが必要であるか否か……。
歌人で劇作家の吉井勇が実在の落語家を主人公に描いた小戯曲「句楽もの」から数編を構成したオリジナル上演。浅草に住む噺家の俳諧亭句楽と仲間たちとの様々な騒動、やがて精神が乱れ病院に入院した句楽が、現実社会が反転したような世界に心を幻惑させていくさま……魅力的な芸人と彼を取り巻く市井の人々の生活風景を描いた戯曲に、現代を生きる私たちが忘れ去り、捨て去ってしまった江戸の文化の名残と精神をみる。
演劇をやめて久しい土井は、かつて出演した演劇作品の「演出家」の弟を名乗る人物から、演劇の上演を依頼される。そこで土井が受け取ったのは、アンドレイ・タルコフスキーのある映画をもとに書かれた、演劇と救済にまつわる、一本の奇妙な戯曲だった――。ロームシアター京都×京都芸術センター U35創造支援プログラム“KIPPU”2024採択公演。
ある会社の新規プロジェクトに各部署から8人の社員が集められる。元企画推進局次長「氷室」はチームリーダーとして意欲に燃えるが、営業三課から来た女性幹部「浅間」も「私もリーダーを任されている」と言う。かくしてプロジェクト・チームはたちまち二分されて徐々に対立が起こり始め、それはパワハラ、セクハラ、誹謗中傷、強制排除へとエスカレートしていく。果たしてチームの面々は無事にプロジェクトを達成できるのか?――
三つの部屋でそれぞれ別の取り調べが行われている。どの部屋でも、問い詰める側は「許せない」という「正義」を振りかざし、厳しい追及の手を少しもゆるめない。だが、疑われる側にもまた「なぜ悪い」という言い分があり、こちらにもどうしても譲れない「正義」がある。やがて、無関係だった三つの取り調べに共通する「思わぬ事件」が背後に浮かび上がる。果たして、「誰の言い分が正当なのか?」「正義とは何なのか?」。
・「茄子娘」古典落語。茄子の精と和尚との不思議な邂逅と軽妙な会話を描く。演者は桂南楽。・「長屋の花見」古典落語。貧乏長屋の住人によるこっけいな花見の様子を描く。演者は桂銀治。・「対策は合言葉」自作落語。振込め詐欺対策で合言葉を考える母と息子の軽妙な会話を描く。演者は吉原馬雀。・「火焔太鼓」古典落語。貧乏な骨董商の夫婦がまさかの掘り出し物を見つける。演者は立川らく兵。
せんがわ劇場の客席と舞台との距離や空気の層に、霧の立ち込めるような鬱蒼さを感じました。さらに、強固な空間には根を張ったような印象を。これまでは、ぎゅうぎゅうとした生活圏内で人と距離を取ること、取らないこと、あるいは取れないことを多く考えてきたように思います。今作のモチーフは森です。他者だけではない広い外部の世界に、どのように自分を置くのでしょう。
人の死を看取る日々を送る看護師の「楠美」はある日、自身が肺癌の末期であることを知る。直ちに入院を強いられるが、そう長くない余命であることを悟った楠美は家に帰ることを願う。その思いを汲んで楠美の母は「末期患者の在宅医療」を専門とする医師「渡良瀬」に娘の治療を託すのだが、渡良瀬は「医療に笑いを」を信条に、コスプレ姿で往診に来たりする「変わり者」だった。楠美の家族戸惑うが、やがて患者を第一に思う渡良瀬の
婚期をのがした三姉妹が「もうこうなったら身内しかいない」と親戚の男たちを自分たちの家に招く。長女に「若い女子との合コンがある」と誘われてやってきた男たちは、それが呼び出す口実で三姉妹しかいないことを知る。男たちが意気消沈する中、三姉妹も男たちも一緒に酒を飲み盛り上がる。そしてしばらくすると、男たちは眠ってしまう。実は、長女がその酒に睡眠薬を入れていたのだ。三姉妹も意識がもうろうとする中、「一緒に眠
色彩シリーズ
真珠のような雪に閉ざされた火葬場の待合室・・・2つの物語「サンフランシスコ発、バンクーバー行き」 一人の女が最初に愛した男と、最後に愛した男の物語「雪の通い路」 一人の男が一番長く愛した女と、最後に愛した女の物語
現代社会に生きる人間はほとんど、誰かの思想による誘導や影響を受けていて、無意識のうちに「規範/ルール」という在り方の中を生きている。街の構造や建築物ひとつをとっても思想が現れ、人々はそれを自然と受け入れながら生活していく。ゆるやかな誘導や構造設計が、支配へと変わっていく道もあるのではないか。それはすでに小さな単位で生み出されているのではないか。誰かを操作することは快楽なのだろうか、権力者はその力に
「極私的」という言葉を発明した快快の恩師、詩人・鈴木志郎康を原作にした舞台です。快快がフラットな関係で共同制作を続けているのも、瑣末な事にこだわるのも、彼の影響かもしれません。彼の詩にはとにかく、ごちゃごちゃと自身の日々のことが書かれます。詩がそのまま本人です。なので、鈴木志郎康を原作にする=鈴木志郎康という人を原作にする、といえます。その詩人は、かっこつけず/リラックスしすぎず/適度に緊張し/頭
体外受精にスポットを当て「不妊治療の今」を男たちの視点で描く。パズルのように時間が往来する戯曲構成、劇場全体を待合室と見立てた舞台美術で、観客自身もまた翻弄される当事者であると思わせることを狙った作品。ある日、サラリーマンの藤枝は「㈱ファミリー・クラブ」という結婚相談所で、どこか風采のあがらない、芳野という男と出会う。芳野はファミリー・クラブで知り合った芳子という女性と2年前に結婚。芳野自身が完璧
集団と、集団の言葉と、言葉の意味の侵入を基礎とする新しい舞台。大きな集団に生まれる小さな集団たちが、言葉の意味の侵入を自覚的と無自覚的に行ない合いながら膨張し、飽和し、収縮し、最後に残るべきものことの何かが残る。または何も残らない。という群像になる。
広告代理店に勤める赤星。バリバリの現役高校生・剣之介。年齢は違えど、二人にはともに熱い思いを寄せる相手があった。そしてまた周囲を気遣うあまり、どうしても打ち明けられないのも二人の共通点。 パラレルに描かれていく二つの恋物語は、やがて時間のラビリンスの中へと迷い込んでいく。果たして二つの恋の行方は? そして赤星と剣之介の関係は? 「シンデレラ」
2015年7月、安全保障関連法案が衆議院で可決された夜、歴史学者の父が自殺を選んだ。通夜に集まる三兄弟と、父の関係者たち。沖縄戦を生き延びた父は何故、この時に自殺を選んだのか、何が、誰が父を追い込んだのか、その責任は何処に、誰にあるのか。一家の中で議論が始まる。やがて議論は白熱し、戦後民主主義の問題点にまで言及することになる。
「自殺」に関わりのある人々、約70人ほどを目安にインタビュー取材を行い、そのインタビューから戯曲を構成するドキュメンタリー・シアター。その日本初のオリジナル作品。インタビューを行った人々は、親しい人を自殺でなくした経験を持つ「遺された者」、自ら自殺未遂経験を持つ「サバイバー」、自殺対策に取り組むNPOや自治体の担当者など「立ち上がる者」など多岐にわたる。 自殺にまつわる人々の話を単に並べて「自殺」
僕は、あくまで僕が行う演劇において、社会や未来や観客や人類に対しての「問い」を持つべきだという考えに取り憑かれて創作をしています。年齢や出身地なんか関係ない。運命や希望や絶望などとも関係ない。僕だけのオリジナルな、完全無欠かつ純粋無垢で邪悪で妖艶で現実的で蠱惑的で幻想的で残酷な「問い」を持つこと。かといってそれはさも「問い」らしくあらないこと。「問い」ぶらないこと。「問い」を生み出そうとか、そうい
コロナ禍で生まれた山本卓卓と川口智子の初タッグが送るSFヒューマン愛<ラブ>ドラマ!?鈴木光介の作曲と、出演者全員のバンド演奏でおくる、エンターテイメント劇場!ひとつの家に住んでいても言えないこと。隣の家に住んでいても聞こえないこと。本当かわからない過去のことや、知らないふりをする未来のこと。2組の夫婦の心の声に耳をすませて描く、現在の物語。
天下分け目の関ヶ原の戦いの武将たちの戦略と、その裏にある、画策・苦悩・葛藤の人間臭さを描いた作品。時代を大きく動かしたものとはなにか。主君と家臣、親友、親子、いつの間にか愛し合っていた二人・・・。人と人で結ばれた強い絆が時代に翻弄されていく。
2015年の国勢調査で日本の人口は初めて減少に転じた。人口減少により行政サービスが満足に行えなくなった自治体とその住民の「ふるさとの存続」をかけた悪戦苦闘の日々を描く。今後、日本各地で深刻な問題として直面するであろう「自治体消滅」について、その現状と行く末、またその対策を考える古城十忍のオリジナル作品の再演。メインキャスト10名に一部ダブルキャストで上演する。
転校してみたら常識が通用しないやつらばかりだった。試験中に歌いだす不良、すぐに刃物を探す少女、ずっと話さない男。新しい環境に戸惑っていると、一人の教師が言った。「じゃあ、演劇部作る?」その一方で、家は崩壊しようとしていた。水は、すぐそこまで来ていた。フィクションを超える現実と戦う人々に送る 全然笑えないコメディ。「もう笑うしかないよ。だって、水浸しなんだもの。」
三つの部屋でそれぞれ別の取り調べが行われている。被疑者はそれぞれ「国家公務員」「精米店の女主人」「男子大学生」。どの部屋でも、問い詰める側は「許せない」という「正義」を振りかざし、厳しい追及の手を少しもゆるめない。だが、疑われる側にもまた「なぜ悪い」という言い分があり、こちらにもどうしても譲れない「正義」がある。やがて、無関係だった三つの取り調べに共通する「思わぬ事件」が背後に浮かび上がる。それは
クリスマス禁止令が施行されている近未来、命がけでクリスマスを守ろうとしている人々がいた……。畑澤聖悟、工藤千夏の共作作品。風刺に満ちたブラックコメディ。あなたは何を信じ、何を守るのか。なべげんがお送りするクリスマス・ドラマの決定版。
とある老女。彼女は周りの人間から、それぞれが見たい姿を勝手に投影され、彼女自身が顧みられることはない。一方当人は、何もわからない風でいながらしたたかに生に執着している。社会から見えない存在にされても、息をしなくてはならない、なぜなら私は、生きているのだから・・・。人生の最終章。認知症を患いながらも周りの人間との関わりの中で、自分らしく生きることを選択する、老女の物語。
放浪生活を続ける作演出の実体験を元に作られた、異国の密室劇。学生時代に行った初演が好評を博し、4度目の再演。中東の安宿を舞台に、バックパッカーたちが集う。青年団の冒険王を彷彿とさせるが、舞台はその数十年後。あり得なく見えて、ものすごくあり得る話。パスポートを申請して、飛行機の切符を買って、成田エクスプレスに乗って。そしたら着いた。マジで着いた。バザールが立ち並び、街中には水パイプの香り。笑顔でよっ
大杉栄と伊藤野枝の娘として生まれたルイズ。彼女は国賊の娘として周囲の特異な視線にさらされながら、自分の生き方を探し続ける。姉・魔子の攻撃的で、自虐的な生き方と対照的な静かな暮らしを選択したルイズの目に、次第に父、母の残してくれた思想がはっきりと浮かびが上がってくる。関東大震災、第二次世界大戦、戦後の復興を背景に、ルイズの半生が描かれる大作。立原りゅうと山内久のコンビが、松下竜一の原作を見事に脚色、
1939年9月1日早朝、ナチス・ドイツは、宣戦布告なしにポーランド攻撃を開始した。第二次世界対戦の勃発である。ソ連も素早く介入し、ポーランドは二分される。そして、その頃のポーランドには350万人のユダヤ人が住んでいた。ユダヤ人のヤンクル家とメンデル家の人達はナチスの手から危機一髪逃れることができ、ユダヤ人難民救援委員会のメンバーであるデビットの助けでリトアニアの首都カウナスのアパートに潜むことがで
独り暮らしの老女「ハルさん」は70歳。「イッコ」は小学5年の女の子。好きな人の名前が同じ「新一郎」という共通点を発見して仲良くなったが、少女と老女の意外な事実もまた明らかに……。イッコは学校にほとんど行かず、拒食症になっていること。ハルさんは末期ガンで余命幾ばくもなく、断食して死のうと思っていること。二人には「食べない」という共通点もあったのだった……。 死をどう受け入れるのか? 孤独とどう向き
旧約聖書『ヨブ記』を、現代日本の女性の物語として翻案。希帆はシングルマザーの風俗嬢だ。育児放棄し、仕事も欠勤し、転がり込んだ男の部屋で酒浸りになった彼女の元に、兄、大家、兄の弟分のチンピラが代わる代わる訪れては大量の「正しい」言葉を浴びせかける。旧約聖書のヨブはよかった。自分の受難を訴える言葉と、訴える相手の神もいた。でも希帆は言葉を持っていない。声なき人の声は、どのようにこの世界に現れるだろう?
舞台芸術国際共同制作『KOTATSU』(2021)について、作・演出:パスカル・ランベール(フランス)と、共同演出・日本語監修をつとめた平田オリザが、創作背景を語らう。作品の立ち上げやテーマ、創作プロセスを振り返るほか、それぞれの戯曲執筆の手法や、日仏における文化活動について掘り下げる。
■あらすじ太古より山に住む謎のいきもの・獸(ケモノ)。〈青い山〉と〈白い山〉の間を走る、大きな谷の集落に住む山のひとびとは、獸ととくに接することなく、しかし存在は常に感じながら、日々共に生活してきた。あるとき、獸ははじめて人を殺す。憤った集落の男たちは討伐に向かうが、皆返り討ちに遭う。生き残った数少ない者たちは獸を恐れ、集落を捨てて山を降りる中、猟師・シラスは鋭い目で森を睨みつけながら 山を登り続
【 あらすじ 】ある日、ひきこもりの息子に戦場への迎えが来る。母親は、息子の代わりに自分が出征すると言い出した……。日常と地続きの戦争を母と子の関係を軸に描く、うさぎ庵流のやわらかな不条理劇 。花組芝居の桂 憲一 、大井靖彦がジェンダーも年齢も超えて、母と息子を瞬時に演じ分ける。二人に関わる様々な他者を演じるのも、花組芝居の植本純米。
息子を亡くした美緒は離婚協議が停滞する中、母の三回忌に帰省する。遺された母と、祖母の記憶。たどりつくのは果てしなく続く母娘の軛か、それともー。愛媛の歴史ある建造物を背景にした初演から日本最大級の演劇祭「豊岡演劇祭」の劇場空間に合わせて再構成した作品。劇団UZ初の県外上演作品。