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下北ウェーブ2019
本多劇場主催「下北ウェーブ2019」にて選出・上演。初演(題『うたたね姫』)は2014年、松戸市での滞在制作を通し、再開発される街と、そこに適応できない人々の姿を描いた。再創作版では、かつて自ら書いた戯曲に共感できないという違和感を出発点に、普段の知覚外にある社会事象を扱った。「その程度で悩むな」という意見の暴力性と向き合うことで、見えにくい痛みや、世界の多様性をあぶり出した。
1991年、平田オリザが他劇団に書き下ろした最初の作品。目的もなく旅に出た二人は、列車の中で不思議な若い女と出会う。何か事件が起こるわけでもない日常の延長のような列車の旅のなか、車窓の向こうから様々な風景が浮かび上がってくる。
大人気覆面マンガ家・夢宮鈴世が亡くなった。連載中の『スパ戦士グローカスの娘』が多額の制作費・宣伝費をかけて配信されるのを直前にして担当編集者・大庭津奈子は死因含めその事実を伏せ、チーフアシスタントだった申徹に夢宮鈴世として描き続けるよう依頼する。申徹は夢宮鈴世として描くことを了承する。大庭が元漫画家のフーコー三原だったことが露呈する。申徹の作家としての実存性と、出版や創作をめぐる構造が対立する。
ダイエット、ピアッシング、リストカット……。強迫観念のように身体を変えること(傷つけること)に取りつかれた少女たちの心理を、3話オムニバスで描く。①ダイエッター「セリナ」:過酷なダイエットの果てにセリナは念願の痩身を手に入れるが、そこへ3年前のセリナ自身が現れ、「あんたは今なお嫌われ者だ」と詰め寄る。②ピアッシング「美咲」:美咲と麻美はピアッシングとタトゥに夢中。リストカットの過去を持つ二人は、体
歯痛、吐き気、生理不順……。人気作家・早智子の体を次々と異変が襲う。歯科・内科・産婦人科と、病院を転々と渡り歩いても原因はつかめない。だが理由は明白。早智子は尋常ならざる拒食と過食を繰り返していたのだ……。スリム(S)とファット(F)という身体の変化を繰り返す中で、早智子が自分の心の奥底に見たものは……? とどまることを知らない世のダイエットブームを背景に、過酷なダイエットに走る現代女性の深層心理
かつてウクレレの生産量世界一だった群馬県。田舎の古い家のお盆の一日を描くことで、その土地の歴史と日本の戦後史の一断面を描いた静かな演劇。2020年上演予定だったがコロナで中止。座組を維持したまま翌年コロナ禍での上演となった。
転校してみたら常識が通用しないやつらばかりだった。試験中に歌いだす不良、すぐに刃物を探す少女、ずっと話さない男。新しい環境に戸惑っていると、一人の教師が言った。「じゃあ、演劇部作る?」その一方で、家は崩壊しようとしていた。水は、すぐそこまで来ていた。フィクションを超える現実と戦う人々に送る 全然笑えないコメディ。「もう笑うしかないよ。だって、水浸しなんだもの。」
集団と、集団の言葉と、言葉の意味の侵入を基礎とする新しい舞台。大きな集団に生まれる小さな集団たちが、言葉の意味の侵入を自覚的と無自覚的に行ない合いながら膨張し、飽和し、収縮し、最後に残るべきものことの何かが残る。または何も残らない。という群像になる。
大木誠は、娘の薫の誕生日を祝うため妻の冴と3人で食事に出かけるが、スマホのながら見運転をしていた車と衝突。冴は即死する。誠は生きていく気力を失い、自宅に引きこもる。誠をなんとか励まそうと、小柴愛がたびたび訪れるが、誠は愛の懸命な言葉にも反応を示さない。そんな中、薫が「仕事をクビになった」と突然家に帰ってくる。
1本の老木をめぐる3つの物語。時代の転換点に浮かび上がる多様な思考。チェーホフの名作『桜の園』をベースに矢内原美邦が独自の視点で描いた1本の老木をめぐる3つの物語。この木を伐るか、否か。そこにはそれぞれの主張があり、賛成があり、反対があり、いくら言葉を費やしても果たしてそこに正解はない。言葉は意味を失い、時間を失い、どこか遠くのほうをさまよいはじめる。もう誰も信じない... 君が「そうだ!」という
パンフォーカス×演劇×神奈川県立青少年センター「スタジオHIKARI」「スタジオHIKARI」のもつ空間構造を演劇に組み込むためのいくつかの試み
TRASHMASTERS vol.34
とある町の、台風による水害に苦しむ地方の、公民館。その日も台風は勢力を保ったまま接近していた。そこには青年団のメンバーが、祭りの開催について協議するために集められていた。祭りの開催から、災害対策、人命の格差まで話は及び、会議は紛糾する。やがて会議は終わり、解散したのだが……付近で土砂崩れが発生し公民館は停電、町の中心からも孤立する。そこに、土砂崩れに巻き込まれた青年団員が運び込まれてくる……
~Innovative Incubation of Regional Arts~ 地域間新進芸術交流普及促進事業2024
ことばの読み書きが難しい高山は、会社の支援枠で働いている。高山の仕事は毎日シュレッダーで会社の機密書類や会議書類を粉砕すること。会社で交わされる同僚や上司の会話の文脈を読み取ることは難しく、会話に混ざることができない高山は、自分の仕事を黙々とこなす。高山は、ことばの習得をするために中学生の時から「ことばのノート」をつけており、高山が時間をかけて書いた、短い物語やことばの説明が綴られていた。
誰も読もうとしなかった、読まれなかった沖縄(こっちがわ)の物語は、沖縄の人々から我々が鋭く問われている、“今を生きる私たち”の物語。22年の話題作が、待望の再演。
わずかずつ、わずかずつ/気がつくたびに日1日と/部屋が狭くなってきている。11日前の水曜日/不安を抑え切れずに/金物屋から5メ—トル計のメジャ—を買ってきた/今日だって3回計測した/昨日より1回増やしたのだ/壁から壁。/決してその手は震えていなかったのに/部屋は一晩で23ミリメ—トルもちぢんでいた/一昨日から昨日にかけてが19ミリメートル/ついに20ミリメートルを超えた/部屋は加速度を増しているく
2006年6月、沼田中央病院では7名の研修医たちが医師としての基礎的な能力を身に着けるため日々切磋琢磨している。1年目研修医たちはそれぞれの技術習得に夢中、2年目研修医はそろそろ研修終了後の進路も気になり始めている。ある日、2年目研修医杉下が当直研修明けの朝、研修病院探しのための診療参加型医療実習「クリニカルクラークシップ」に参加するため医学生松井敬がやってくる。第24回劇作家協会新人戯曲賞1次通
僕は、あくまで僕が行う演劇において、社会や未来や観客や人類に対しての「問い」を持つべきだという考えに取り憑かれて創作をしています。年齢や出身地なんか関係ない。運命や希望や絶望などとも関係ない。僕だけのオリジナルな、完全無欠かつ純粋無垢で邪悪で妖艶で現実的で蠱惑的で幻想的で残酷な「問い」を持つこと。かといってそれはさも「問い」らしくあらないこと。「問い」ぶらないこと。「問い」を生み出そうとか、そうい
歌人で劇作家の吉井勇が実在の落語家を主人公に描いた小戯曲「句楽もの」から数編を構成したオリジナル上演。浅草に住む噺家の俳諧亭句楽と仲間たちとの様々な騒動、やがて精神が乱れ病院に入院した句楽が、現実社会が反転したような世界に心を幻惑させていくさま……魅力的な芸人と彼を取り巻く市井の人々の生活風景を描いた戯曲に、現代を生きる私たちが忘れ去り、捨て去ってしまった江戸の文化の名残と精神をみる。
殺人事件の犯人は双子で、主犯格の弟「幸司」は死刑、補助役の兄「憲司」は無期懲役がそれぞれ確定する。刑務官たちは死刑囚となった幸司と日々接するうちに、「死刑の在り方」について自らに問い直していく。というのも死刑囚となった幸司は驚くほどの真人間へと更正していくのだが、無期懲役の憲司は自分の罪に真摯に向き合っているとは言い難かったからである。刑務官たちの心は揺れる。死刑は廃止すべきと考える者、刑が確定し
20代後半を迎える朝美、かのこ、ゆず、美緒は元高校演劇部であったことを共通点に、友人関係にある。ある日、顧問の先生の訃報と残された草稿が発見される。「わたしはことばそれ自体になりたかった」「欲望は見えなくされているだけだ」と書かれたそれは、完成された物語ではなく、未完成の言葉の集合体だった。4人は残された言葉を「聞く」ことからはじめようとする。
時代は笑って許せるか?その集団は何度も何度も人々を怒らせた。彼らを怒る人々はせいぜい遠隔的にいやがらせを行うくらいで決してその集団の目の前には現れなかった。怒られた実感のない集団は、自分たちの過ちを忘れまた再び人々を怒らせるようなことをする。怒る人々はますます怒るがその集団を社会から抹殺することはできない。なぜならばその集団には驚くべき愛らしさがあったからだった。━━━第66回岸田國士戯曲賞受賞作
東京都内にあるカトリック系私立女子中学校の会議室。そこに、集まる数人の男女。いじめ自殺死した子供の遺書に書かれていた、いじめ加害者の親たちである。それぞれ、年齢も、生活環境も、職業も違う親たちは、身勝手な事情から我が子を庇護する事に終始する。怒号飛び交う会議室。子供達のいじめを通して、それぞれの親たちの「顔」が浮き彫りになる。
多摩郊外の、シェアハウスに改築された古い家。今は別のまちに暮らす家主、宮地達夫の老いによって土地ごと売りに出されることが決まっている。3月下旬、ある金曜日の夕方、居住者たちが集まるささやかなパーティーがひらかれる。部屋を見渡すとそこここに、小さな傷あとやしみがあり、そこから家に流れた時間が広がりだす。かつて商店だった頃の記憶、昔暮らしていた家族の姿、街だってどんどんと変わっていった。その全てが混ざ
夫が生きてることを願う女と、妻が死んでることを願う男が出会う。令和18年、度重なる大規模な土砂崩れによりインフラの一部が使えない状況が続き荒廃した日本。 行方不明の夫を探す女の隣に引っ越してきた、行方不明の妻を探す男。 女は夫が生きている事を願っているが、男は妻が死んでいて欲しいと願い、更地を掘り続ける。 噛み合わないふたりの交流の果てに二人は、ある共同作業をはじめる。ミズノオト・シアターカンパニ
新たな切り口で脚本・演出が練り直され、初演から生まれ変わった “リクリエーション版“! アルバニアを代表する作家イスマイル・カダレの小説『砕かれた四月』を下敷きにしたサファリ・P固有のスタイルを駆使した身体、音、光、美術、身振りのアンサンブル作品母に遊びを禁じられて育ったネリネは、透き間風の吹きすさぶ荒涼とした心を隠して生きてきた。有名な小説家の恋人の座を得た彼女は、とある“しきたり”に縛られた山
『カガクするココロ』『北限の猿』に続く、カガクシリーズの完結編の初演を収録。202X年、ヨーロッパの大戦で死亡した天才科学者の脳だけが生きのこる。その脳の受け入れを巡って延々と交わされる先端科学の議論と膨大な無駄話…。急速に進歩する脳研究の世界を舞台に「人間とは何か」を問いかける問題作。
本作は「男女の性差の根源とは?」という問いに取り組んだ「演劇で学ぶフェミニズムのやさしい入門書」。創作のきっかけは性被害を実名で訴えたジャーナリストの伊藤詩織さんや、かつて政治家が「女性は産む機械」と発言したことへの憤り。同時に作家としての関心は生物学的、社会的な違いを超えて人々がどう存在しうるのかへと向かった。「女性」と「男性」の「わかりあえなさ」を「わかりあおうと」した先にあるものとは。
とある老女。彼女は周りの人間から、それぞれが見たい姿を勝手に投影され、彼女自身が顧みられることはない。一方当人は、何もわからない風でいながらしたたかに生に執着している。社会から見えない存在にされても、息をしなくてはならない、なぜなら私は、生きているのだから・・・。人生の最終章。認知症を患いながらも周りの人間との関わりの中で、自分らしく生きることを選択する、老女の物語。
STORE HOUSE Collection Excellent Works Vol.4
2018年上演作をストアハウスコレクションに合わせ再考した舞台。東日本大震災の記憶を留めた和合亮一の『詩の礫』は優れた現代詩であると同時に優れた記録文学である。遊戯空間では震災以後、和合の現代詩『詩の礫』『詩ノ黙礼』『廃炉詩篇』などを繰り返し演劇化してきた。当時の絶望感と憤りを鮮明に想起させる言葉の力により、本公演が、3・11の記憶を呼び起こし、現代社会を再考するきっかけとなることを願う。
SINSAI 10th
東日本大震災の被災地の出来事を元に創作した作品集
金がない、仕事もない、家庭もないし、未来もない!弟夫婦に世話になりながらのらりくらりと糞溜めのような日々を過ごしていたおじさんが「あの娘」と出会うことで始まる、恋に落ちるおじさんと、落とした「あの娘」と、落ちていたおじさんたちとのハートウォーミング・ラブ・サスペンス・ストーリー!
`90年に『科学する精神』として初演。`96年に続編『北限の猿』との2本立で全国ツアー中に、こまばアゴラ劇場で収録。遺伝子操作で新しい人類を誕生させようよする生物学実験室の若い研究者たちの怠惰な生活…。恋愛中心の青春群像劇、また最先端の情報を盛り込んだSFとしても楽しめるエンタテイメント作品。
医療事務の仕事をしながら漫画を描く結月は、才能を信じきれずプロへの一歩を踏み出せずにいる。一方、外資系から中小企業に転職した桜子は社内改革に情熱を燃やしていた。偶然の出会いから同じ仕事に取り組むことになった二人は、価値観の違いから激しく衝突する。桜子の現実主義に反発してプロを目指そうとする結月と、自分の厳しさの裏に過去の痛みを見出す桜子。すれ違う二人は、やがてそれぞれの生き方を見つめ直していく。
とある地方地域の市議会。市長の答弁の最中に議員席からいびきが聞こえてきた。市長は、その様子をSNSに投稿したことで議会議員たちから呼び出されることとなった。この作品は市長と議会の対立、及び議会側に寄り添うメディア、これらを他人事のように取り上げるネットメディアといった三つの要素をモチーフにし、地方政治の腐敗について原因と問題点を観客と共有し、積極的に政治に参加できる社会を目指し製作されました。
「2011年の日本を映し出す鏡」と評されるなど、東日本大震災による被災地の状況や、原子力発電に依存し続ける我が国が抱えるエネルギー問題に対し、正面から向き合った作品。
放浪生活を続ける作演出の実体験を元に作られた、異国の密室劇。学生時代に行った初演が好評を博し、4度目の再演。中東の安宿を舞台に、バックパッカーたちが集う。青年団の冒険王を彷彿とさせるが、舞台はその数十年後。あり得なく見えて、ものすごくあり得る話。パスポートを申請して、飛行機の切符を買って、成田エクスプレスに乗って。そしたら着いた。マジで着いた。バザールが立ち並び、街中には水パイプの香り。笑顔でよっ
1億円という大金を拾って落とし主が現れず、一気に大金持ちになった男の物語。大金を得た男は万々歳。これからは大船に乗ったような気分で前向きに生きていける。そう思ったのだが予期しなかった良からぬことが次々に起こり、あっという間に憂鬱な日々に逆戻り。酒をあおっては愚痴をこぼす日々の中、ふと男は気づく。「あれ?デジャヴ? この会話、以前しなかったか?」。そうして次々に積み重なっていくデジャヴの毎日を送るよ
長年勤めた出版社を退職し、人里離れた町で天体観測に没頭する柴本。彼はひとり静かな「人生の休暇」を望んでいたが、記憶を失った青年、父を捜す旅の女、大学時代の旧友、そして奇妙なタクシー運転手が次々に訪れ、思いがけず騒がしくなってしまう。彼らとの交流はやがて、忘れたつもりの現実や過去の痛みを揺り起こし、止まっていた柴本の日々を動かしはじめる。
「母親が癌だった……」語り手が唐突に話し出す。場所はどこなのかはわからないが、職場やバイト先のような目的をもって強制的に集められる場所。語り手、ならびに聞き手たちはそこによく集まるメンバーで、仕事終りの、目的を果たした後のような時間をそこで過ごしている。語り手の話を真剣に聞こうとしながらも、徐々に聞き手たちの頭の中はズレていく。育ってきた環境もこれまでの経験もみんな違う。自分の想像で話の余白を埋め
2018年夏。33歳、独身、彼女なし、アルコール中毒、元詐欺師前科一犯の“穴蔵の腐ったバナナ”は、マッチングアプリ・TSUN-TSUN(ツンツン)に友達を募る書き込みをする。出会い系サクラのバイトをしていた“男”は、釣られているとわかりながら課金してきたバナナに興味を持ち、彼と会ってみることにする。「人を救いたいんだ・・・」と言うバナナと男はいつしか、僕/俺「ら」になり、探偵の真似事をしながら諸悪
昼間の公園で中年の男女が話をしている。ふたりは友人で、ふざけ合ってばかりいる。男の妻は入院中で、これからお見舞いに行くところらしい。何かを待つわけでもなく、何かをするわけでもなく、ただ時間を過ごしている。なんにも起きないけど大事なおはなし。
ひと組の夫婦が暮らす家。ホームパーティの準備が進むリビング/ダイニング。集まる予定は6人だが、なかなか全員が揃わない。全員が揃ってから始めたいというゲストの希望があり、まだ来ない人を待つ時間が流れる。妻のゲストは青春時代を過ごした仲間。夫のゲストは仕事の相棒。仲間と自分の「過去」と「今」が交錯し、浮かび上がる「忘れ得ぬ人の不在」。館林美術館と演劇/微熱少年3年間のコラボレーションの集大成。
【 あらすじ 】ある日、ひきこもりの息子に戦場への迎えが来る。母親は、息子の代わりに自分が出征すると言い出した……。日常と地続きの戦争を母と子の関係を軸に描く、うさぎ庵流のやわらかな不条理劇 。花組芝居の桂 憲一 、大井靖彦がジェンダーも年齢も超えて、母と息子を瞬時に演じ分ける。二人に関わる様々な他者を演じるのも、花組芝居の植本純米。
感情の神々・エモ神様から派遣されるおんたろうは、人間の怨念を解消するためにあの手この手でお手伝い。今回おんたろうが降り立ったのは、この春小学校の教師になったばかりの純...だけじゃなかった?!おんたろうは、小学校に渦巻くネガティブエネルギーを下げることができるのか...。
歴史でも物語でもない。福島のいまを受肉し、「出来事」にする フェスティバル/トーキョーでの上演も3年目を迎えるマレビトの会の長期プロジェクト『福島を上演する』(2016-)。複数の劇作家が福島に赴き、それぞれの視点から現地のいまを切り取った短編戯曲を執筆。ごくシンプルな空間で、俳優の身体を通し、「出来事」として出現させる試みは、現実と演劇との関係はもちろん、戯曲と上演、写実と創作の関係、とりわけ俳
2015年7月、安全保障関連法案が衆議院で可決された夜、歴史学者の父が自殺を選んだ。通夜に集まる三兄弟と、父の関係者たち。沖縄戦を生き延びた父は何故、この時に自殺を選んだのか、何が、誰が父を追い込んだのか、その責任は何処に、誰にあるのか。一家の中で議論が始まる。やがて議論は白熱し、戦後民主主義の問題点にまで言及することになる。
There is Room For Compromise.そこは、高校の図書準備室。ホコリをかぶった本がうず高く積まれたその部屋。めったに人がやって来ないこの部屋は、大っぴらにはできない"生徒指導"を行うにはうってつけの場所。発端は、ある生徒が書いてきた学級劇の台本。そこに描かれているのは恋人たちの物語。もしそれが異国の王子と姫の物語ならば問題はなかった。問いかける教師。何も答えない生徒。この一冊
芸術家の価値とは何でしょうか?一体何の為の創作活動なのでしょうか?私は制作の価値について考えた。めまぐるしく移りゆく現実の前に虚構の物語というものが必要であるか否か……。
近未来、TOKYO、渋谷、ハチ公前、「私は君が好きだ」と思う、その気持ちを巡るシンプルなストーリーを「読む人がいて、動く人がいる」という手法を使って描いた作品。それによって生じた体と言葉の「ズレ」がコミカルであり、また切なくもある。誰でも共有できる普遍的なものだけれど、特別視されてもいる、愛というものの話。
シリーズ|加害について
今より遥かに人口が減った日本。空き部屋が目立つようになった郊外の団地は、小さな病院や売店を団地内に併設させ、介護が必要な人々を積極的に招き入れる簡易的な老人ホームのような役割を持つようになっていた。理想のコミュニティとはなんだろうか? ここではない何処かか、あるいはここを住み良くすることか。分断と分断のあいだにある暮らしを想像する「シリーズ|加害について」第二作。
館林美術館での滞在制作2年目。別館の同一空間を使っての2作品交互公演の1作品。被疑者は要人狙撃の現行犯、事件の真相をめぐり引き寄せられる運命、取り調べる者と取り調べられる者、両者を隔てるのは何か、そして浮き彫りになるこの国の「寂しさ」
「長い正月」は、とある家族の1924年から2024年までの"100年の正月"を定点観測する、ささやかな大河劇。「人生は短い。この正月は長い」がキャッチコピー。誰にも平等に訪れる"正月"という時間を100年の長いレンジで扱い、戦争、震災、コロナ…といった歴史的事象を織り交ぜつつも、市井の人々の暮らしと営みに光を当て、ドラマを見出した。戯曲は上演後、演劇批評誌「紙背」に掲載。
「隅田川 森羅万象 墨に夢」プロジェクト企画
観世元雅によって書かれた室町時代の能「隅田川」を原案に、現代の母親・子供、そのあり方を考える舞台作品。原案で象徴的に描かれる、子供を失くした母親の『涙』を中心のモチーフに置き、同じように子供を失くしても泣けなかった(愛することができなかった)母親を主人公とした。そして相思相愛ではない親子の形と彼らが生活する社会システムを提示し、現代の諸問題を取り上げた。製作にあたり、隅田川、木母寺、隅田宿など物語
大杉栄と伊藤野枝の娘として生まれたルイズ。彼女は国賊の娘として周囲の特異な視線にさらされながら、自分の生き方を探し続ける。姉・魔子の攻撃的で、自虐的な生き方と対照的な静かな暮らしを選択したルイズの目に、次第に父、母の残してくれた思想がはっきりと浮かびが上がってくる。関東大震災、第二次世界大戦、戦後の復興を背景に、ルイズの半生が描かれる大作。立原りゅうと山内久のコンビが、松下竜一の原作を見事に脚色、
僕の名前は羽山走次。8歳で小学校の3年生。それはある日、突然、起こったんだ。お父さんもお母さんも、いきなり子どもになっちゃった。お兄ちゃんも幼稚園児みたいだし、おじいちゃんはまるで赤ちゃん。どうしてこんな不思議なことが起こってしまったのだろう? それはどうも、ぼくの精神年齢だけが大人になった、ということらしい。つまり僕から見れば、精神年齢の低い人は学校の先生だろうが子どもに見えるってわけ。でもどう
東京郊外の星川眼科医院。医院長の賢一は、閉院を決意した。そして賢一は、医院に三〇年間勤め、彼の一人娘の母親代わりをもつとめた看護師の陽子に蓼科のコテージをプレゼントし、勇退。これで一件落着。ところが「先生、私、嘘をついていたんです。ここはどうしても、先生に辻褄を合わせていただかないと」「私、死ンジャウワ」とまでは言わないけど、ともかく、賢一、その嘘にノルことになって初冬の蓼科へ。陽子の看護学校時代
第八次半世界大戦が第八次半世界大戦が勃発している中、燕と人間を合体させた超生物ヒューマンツバメが誕生していた。ヒューマンツバメは空と陸を謳歌し、争いの連鎖から解き放たれようとしていた。長女の夫に国防軍への招集令状が届いたのだ。「ヒューマンツバメになれば徴兵は免れる」ただし、ヒューマンツバメになるという事は人間の記憶をほとんど失くすという事だった。家族のそれぞれが大切な人のことを思い選んでいく物語の
ある三人の、それぞれの静かな旅は朝の5時から始まっている。毎日毎日汗をかき言葉を閉ざし働く我らは、いつかみんなで希望の海に辿り着くだろうか?
本公演では、「らしい身体の上演の可能性/困難性」をテーマに掲げ、俳優に限らず、観客や舞台機構といった広義の他者が存在し、互いに影響を及ぼし合う上演空間の中で、そうした他者の影響に晒されながらも、その人らしさを備えた身体がいかにして実現可能なのか、あるいは不可能なのかを探る。
おしゃべりだった兄の話をしようと思って、中学2年生の兄は世界の中心だったと思うんです。兄が高校1年生の時、兄の不幸の始まりでした。先に言っておくと、兄はこの先壊れます。あともう一つ言っておきますと、これは「演劇」の話ではなくて、まずこれは「兄」という「人間」の話で。壊れていく「兄」と、滅んだ「僕」と。あと兄に関わった、兄を愛したり憎んだりした「周りの人達」の。まぁ別に大した話じゃありません。