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TRASHMASTERS vol.35
とある町。原発の産業廃棄物受け入れによる交付金で図書館や劇場など公的機関の建設を目論む首長は、受け入れに対する反対勢力との会合に参加した。会合は互いに相容れず散会に終わる。やがて、産廃を受け入れて町興しをしようとする市長側と、反対勢力の間で町が二分する……。震災から10年が経ち、東北では原発が再稼働するという。これは幸福か、それとも……。狂おしいほどに駆け引きが横行する町に未来はあるのか……。
時代は現代、場所は砂漠。『砂漠監視隊』の7名の男性監視員が砂をみつめるだけの日々を過ごしている。他には何も起こらない。そんな中、遠くから聞こえるかすかな声。その声を聞いた者は砂の向こうに姿を消していく。たいていが帰ってこない。帰ってきた者も、その間の記憶が消えている。残された者は恐れ慄く。自分たちもいつか、あの声を聞くかもしれないと。
息子を亡くした美緒は離婚協議が停滞する中、母の三回忌に帰省する。遺された母と、祖母の記憶。たどりつくのは果てしなく続く母娘の軛か、それともー。愛媛の歴史ある建造物を背景にした初演から日本最大級の演劇祭「豊岡演劇祭」の劇場空間に合わせて再構成した作品。劇団UZ初の県外上演作品。
本作は「男女の性差の根源とは?」という問いに取り組んだ「演劇で学ぶフェミニズムのやさしい入門書」。創作のきっかけは性被害を実名で訴えたジャーナリストの伊藤詩織さんや、かつて政治家が「女性は産む機械」と発言したことへの憤り。同時に作家としての関心は生物学的、社会的な違いを超えて人々がどう存在しうるのかへと向かった。「女性」と「男性」の「わかりあえなさ」を「わかりあおうと」した先にあるものとは。
わずかずつ、わずかずつ/気がつくたびに日1日と/部屋が狭くなってきている。11日前の水曜日/不安を抑え切れずに/金物屋から5メ—トル計のメジャ—を買ってきた/今日だって3回計測した/昨日より1回増やしたのだ/壁から壁。/決してその手は震えていなかったのに/部屋は一晩で23ミリメ—トルもちぢんでいた/一昨日から昨日にかけてが19ミリメートル/ついに20ミリメートルを超えた/部屋は加速度を増しているく
ある地方都市。「北原むつ美」が、訪ねてきた「串間ひさ子」に思い出の写真を見せつつ、夫の自慢話をしている。むつ美の夫は福島第一原発の元作業員で、既に亡くなっている。明日はその四十九日にあたる。訪ねてきたひさ子の夫は、今なお原発で廃炉に向けて過酷な仕事に従事する現役の作業員。そこにむつ美の義理の妹「泊川小春」が金を無心しに来る。やがて3人の女たちの話から、原発の廃炉作業に従事する作業員たちの理不尽な日
すれ違う時間のなかで、彼はどんな記憶を彼女に残したろう。はっきりとそこにいるのに、キミはまるでずっと遠い果てからやってきた光がかろうじて描いただけの幻影のようだ。違う時間、違う場所で生きてきた人たちが時空を超えて出会い、やがて別れる。はじまって、それから、いつかおわる私たちに捧げる「初めての生」と「やり直しの死」の物語。
青森県のとある町。市町村合併に反対し、現在は高齢化率が50%を超える自治体。 学校区単位の運動会は廃止され、地区運動会と一体化された。明日は来年廃止が決定した地域イベント「かかし祭り」が行われようとしている。地域おこし協力隊など新たな移住者の受け入れに苦慮しながらも、新旧町民による「まち」への問いかけが、思いもよらぬ展開へと発展する。
晴れた日の野球場。企業対抗野球選手権に、名もなき中小企業が進出した。即席応援団も勢いに乗るところだが、試合が始まると言うのに人が集まらない。どうにか応援団の形が整ったもののかり出された駆り出されたのは一癖も二癖もある個性豊かな社員ばかり。当然のごとく、仕事への不満、オフィスラブ、出世競争など人間関係の愛憎劇が次々に繰り広げられていく。そして肝心の試合も二転三転・・・。果たして、試合の行方はどうなる
新たな切り口で脚本・演出が練り直され、初演から生まれ変わった “リクリエーション版“! アルバニアを代表する作家イスマイル・カダレの小説『砕かれた四月』を下敷きにしたサファリ・P固有のスタイルを駆使した身体、音、光、美術、身振りのアンサンブル作品母に遊びを禁じられて育ったネリネは、透き間風の吹きすさぶ荒涼とした心を隠して生きてきた。有名な小説家の恋人の座を得た彼女は、とある“しきたり”に縛られた山
僕の名前は羽山走次。8歳で小学校の3年生。それはある日、突然、起こったんだ。お父さんもお母さんも、いきなり子どもになっちゃった。お兄ちゃんも幼稚園児みたいだし、おじいちゃんはまるで赤ちゃん。どうしてこんな不思議なことが起こってしまったのだろう? それはどうも、ぼくの精神年齢だけが大人になった、ということらしい。つまり僕から見れば、精神年齢の低い人は学校の先生だろうが子どもに見えるってわけ。でもどう
シリーズ|加害について
今より遥かに人口が減った日本。空き部屋が目立つようになった郊外の団地は、小さな病院や売店を団地内に併設させ、介護が必要な人々を積極的に招き入れる簡易的な老人ホームのような役割を持つようになっていた。理想のコミュニティとはなんだろうか? ここではない何処かか、あるいはここを住み良くすることか。分断と分断のあいだにある暮らしを想像する「シリーズ|加害について」第二作。
ここは落下する飛行船。上空1000000000kmで、ついに故障した飛行船。地面に到着するまでが、あと七日間の飛行船。四人の女と四人の男。何をして過ごそうか。
歯痛、吐き気、生理不順……。人気作家・早智子の体を次々と異変が襲う。歯科・内科・産婦人科と、病院を転々と渡り歩いても原因はつかめない。だが理由は明白。早智子は尋常ならざる拒食と過食を繰り返していたのだ……。スリム(S)とファット(F)という身体の変化を繰り返す中で、早智子が自分の心の奥底に見たものは……? とどまることを知らない世のダイエットブームを背景に、過酷なダイエットに走る現代女性の深層心理
日印友好交流年記念事業として、範宙遊泳とThe Tadpole Repertoryが国際共同制作。よくあるとある街を舞台に、見知らぬ6人が、自分自身に、そして互いに向き合いながら、自分の居場所を探して時を織りなしていく。欲望と病、愛と寂しさ、影ある過去と霧がかる現在(いま)。そこにある事実はただ一つ、ここからは逃げ出せない、ということ——。
ひと組の夫婦が暮らす家。ホームパーティの準備が進むリビング/ダイニング。集まる予定は6人だが、なかなか全員が揃わない。全員が揃ってから始めたいというゲストの希望があり、まだ来ない人を待つ時間が流れる。妻のゲストは青春時代を過ごした仲間。夫のゲストは仕事の相棒。仲間と自分の「過去」と「今」が交錯し、浮かび上がる「忘れ得ぬ人の不在」。館林美術館と演劇/微熱少年3年間のコラボレーションの集大成。
とある老女。彼女は周りの人間から、それぞれが見たい姿を勝手に投影され、彼女自身が顧みられることはない。一方当人は、何もわからない風でいながらしたたかに生に執着している。社会から見えない存在にされても、息をしなくてはならない、なぜなら私は、生きているのだから・・・。人生の最終章。認知症を患いながらも周りの人間との関わりの中で、自分らしく生きることを選択する、老女の物語。
20代後半を迎える朝美、かのこ、ゆず、美緒は元高校演劇部であったことを共通点に、友人関係にある。ある日、顧問の先生の訃報と残された草稿が発見される。「わたしはことばそれ自体になりたかった」「欲望は見えなくされているだけだ」と書かれたそれは、完成された物語ではなく、レズビアンであるというカミングアウトを含んだ未完成の言葉の集合体だった。4人は残された言葉を聞き、それぞれの欲望について語りはじめようと
弦巻楽団演技講座
開講10周年を迎えた弦巻楽団演技講座が、弘前劇場主宰・長谷川孝治の名作である『冬の入口』を上演。現代口語演劇の一つと高く評価された、等身大の人間の「生」がまるごと描かれた会話劇。死を受け入れる家族や部下、死をきっかけに右往左往する人々。誰もがいつかは迎える、冬の入口の物語。
舞台は「自由」が大いに拡大され、刑務所までもが半民営化されたリバタリアンの行政特区。日本でありながら、今の日本とはちょっと違う、そんな場所。ストーカー殺人、安楽死殺人、死刑廃止論、結婚制度、出産前DNA鑑定など、現代人の抱える答えの出ない問いを濃密な会話劇で展開します。アマヤドリのお家芸ともいえる群舞を封印し、音響効果を排した対話劇。2014年に好評を博した悪と自由の三部作第一弾の再演となります。
「僕は人を救いたいんだ・・・それって恥ずかしいことかな?」フィクションで現実を乗り越え生きていこうとする人々の人情劇。第66回岸田國士戯曲賞受賞作、新演出で堂々の再演。
ロボット、アンドロイド、クローン、そして人間の「存在」への問いを描いた作品。ダンス寄りな身体と切り離された言葉で表現の可能性を探る。
都市生活と観光のように、現在と過去/未来、現実と想像など異なる二地点を行き来する身体のあり方を「ヴァカンス的身体」と定義し、城崎国際アートセンターにて一ヶ月に渡る滞在リサーチを行った。市民とのワークショップで浮かび上がった個々人の喪失の風景、竹野の地質遺産が持つ時間的積層、都市開発が加速する地元・福岡の空襲の痕跡。それらのあらゆる距離と接続し、現在地に還元していくための身体を獲得する旅に出る。
カノン形式に沿って、2人の男女の出会いは何度も何度もリフレインし、男は幼児時代から大人へ向かって生き、女は老女から少女へ向かって生きながらすれ違いを繰り返す。2人はまるで現代の織り姫と彦星のようだ。電話で繋がってはむなしくその糸は切れてしまう。果たして2人は再び出会うことができるのか。
1億円という大金を拾って落とし主が現れず、一気に大金持ちになった男の物語。大金を得た男は万々歳。これからは大船に乗ったような気分で前向きに生きていける。そう思ったのだが予期しなかった良からぬことが次々に起こり、あっという間に憂鬱な日々に逆戻り。酒をあおっては愚痴をこぼす日々の中、ふと男は気づく。「あれ?デジャヴ? この会話、以前しなかったか?」。そうして次々に積み重なっていくデジャヴの毎日を送るよ
医療事務の仕事をしながら漫画を描く結月は、才能を信じきれずプロへの一歩を踏み出せずにいる。一方、外資系から中小企業に転職した桜子は社内改革に情熱を燃やしていた。偶然の出会いから同じ仕事に取り組むことになった二人は、価値観の違いから激しく衝突する。桜子の現実主義に反発してプロを目指そうとする結月と、自分の厳しさの裏に過去の痛みを見出す桜子。すれ違う二人は、やがてそれぞれの生き方を見つめ直していく。
STORE HOUSE Collection Excellent Works Vol.4
2018年上演作をストアハウスコレクションに合わせ再考した舞台。東日本大震災の記憶を留めた和合亮一の『詩の礫』は優れた現代詩であると同時に優れた記録文学である。遊戯空間では震災以後、和合の現代詩『詩の礫』『詩ノ黙礼』『廃炉詩篇』などを繰り返し演劇化してきた。当時の絶望感と憤りを鮮明に想起させる言葉の力により、本公演が、3・11の記憶を呼び起こし、現代社会を再考するきっかけとなることを願う。
ある出入国在留管理局で、外国人が死亡した……。留学生であった彼女は、体調不良になり仮放免による外部の医療機関への診療を求めていた……。何故、彼女は入管内の医療機関で診療されたのか。入管内部の実態に、ある記者が迫る……。
とある美容室。雑談ばかりで一向に髪を切ろうとしない美容師と髪を切ってもらいたい客の押し問答や、ある高層マンションの地下室に住む血の繋がらない移民たちの他愛無い会話。そこから覗き始めるのは力や暴力に踏みにじられてきた人々の姿。その人々が生きようともがく姿。力によって傷ついた存在が、別の力を持って報復する愚かしさを描き、非戦だけでなく、過激化するSNS上の言葉の応酬に一石を投じることを試みた。ほろびて
婚期をのがした三姉妹が「もうこうなったら身内しかいない」と親戚の男たちを自分たちの家に招く。長女に「若い女子との合コンがある」と誘われてやってきた男たちは、それが呼び出す口実で三姉妹しかいないことを知る。男たちが意気消沈する中、三姉妹も男たちも一緒に酒を飲み盛り上がる。そしてしばらくすると、男たちは眠ってしまう。実は、長女がその酒に睡眠薬を入れていたのだ。三姉妹も意識がもうろうとする中、「一緒に眠
僕は、あくまで僕が行う演劇において、社会や未来や観客や人類に対しての「問い」を持つべきだという考えに取り憑かれて創作をしています。年齢や出身地なんか関係ない。運命や希望や絶望などとも関係ない。僕だけのオリジナルな、完全無欠かつ純粋無垢で邪悪で妖艶で現実的で蠱惑的で幻想的で残酷な「問い」を持つこと。かといってそれはさも「問い」らしくあらないこと。「問い」ぶらないこと。「問い」を生み出そうとか、そうい
フランスを代表する劇作家・演出家パスカル・ランベールと、平田オリザ率いる青年団との国際共同制作作品。ランベールはジュヌヴィリエ劇場の芸術監督時代に、数多くの日本の演劇人たちを招へいし、日本の現代演劇の魅力をフランスに紹介するとともに、今日に至るまで定期的に来日、日本各地の劇場にて作品を発表。とりわけ平田とは信頼関係を築き、「青年団」の拠点・こまばアゴラ劇場との協働プロジェクトを数多く実現させてきた
旧約聖書『ヨブ記』を、現代日本の女性の物語として翻案。希帆はシングルマザーの風俗嬢だ。育児放棄し、仕事も欠勤し、転がり込んだ男の部屋で酒浸りになった彼女の元に、兄、大家、兄の弟分のチンピラが代わる代わる訪れては大量の「正しい」言葉を浴びせかける。旧約聖書のヨブはよかった。自分の受難を訴える言葉と、訴える相手の神もいた。でも希帆は言葉を持っていない。声なき人の声は、どのようにこの世界に現れるだろう?
東京郊外の星川眼科医院。医院長の賢一は、閉院を決意した。そして賢一は、医院に三〇年間勤め、彼の一人娘の母親代わりをもつとめた看護師の陽子に蓼科のコテージをプレゼントし、勇退。これで一件落着。ところが「先生、私、嘘をついていたんです。ここはどうしても、先生に辻褄を合わせていただかないと」「私、死ンジャウワ」とまでは言わないけど、ともかく、賢一、その嘘にノルことになって初冬の蓼科へ。陽子の看護学校時代
坂あがり相談室 plus
急な坂スタジオ主催の支援プログラム「坂あがり相談室 plus」に選出され、20日間滞在して制作された演劇展示作品(インスタレーション)。「街を記述すること」を指針に、作家がスタジオ周辺をリサーチしつつ戯曲を執筆。本物の要素と作家の想像によるフィクションを交錯させ、架空の街を創出した。模倣しようとして失敗した街と現実の街。本物にフィクションのインクを落とすことで輪郭が曖昧になり、やがて“新しい街”が
本公演では、「らしい身体の上演の可能性/困難性」をテーマに掲げ、俳優に限らず、観客や舞台機構といった広義の他者が存在し、互いに影響を及ぼし合う上演空間の中で、そうした他者の影響に晒されながらも、その人らしさを備えた身体がいかにして実現可能なのか、あるいは不可能なのかを探る。
遊戯空間 シアターΧ提携公演
東日本大震災直後、福島在住の詩人和合亮一がTwitterで投稿した「詩の礫」は世界に拡散され大きな反響を呼んだ。震災以前からの旧友である篠本賢一は震災4ヶ月後にそれを舞台化して東京で上演。本作はそれから2年後、新作詩「廃炉詩篇」を舞台化したものである。原発廃炉の問題、放射能、汚染土、被災者たちの苦しみ、収束を見せぬ多くの課題に被災者の立場で向き合う詩人の声を、現代音楽と俳優の言葉、身体で劇化した作
せんがわ劇場の客席と舞台との距離や空気の層に、霧の立ち込めるような鬱蒼さを感じました。さらに、強固な空間には根を張ったような印象を。これまでは、ぎゅうぎゅうとした生活圏内で人と距離を取ること、取らないこと、あるいは取れないことを多く考えてきたように思います。今作のモチーフは森です。他者だけではない広い外部の世界に、どのように自分を置くのでしょう。
『カガクするココロ』『北限の猿』に続く、カガクシリーズの完結編の初演を収録。202X年、ヨーロッパの大戦で死亡した天才科学者の脳だけが生きのこる。その脳の受け入れを巡って延々と交わされる先端科学の議論と膨大な無駄話…。急速に進歩する脳研究の世界を舞台に「人間とは何か」を問いかける問題作。
放浪生活を続ける作演出の実体験を元に作られた、異国の密室劇。学生時代に行った初演が好評を博し、4度目の再演。中東の安宿を舞台に、バックパッカーたちが集う。青年団の冒険王を彷彿とさせるが、舞台はその数十年後。あり得なく見えて、ものすごくあり得る話。パスポートを申請して、飛行機の切符を買って、成田エクスプレスに乗って。そしたら着いた。マジで着いた。バザールが立ち並び、街中には水パイプの香り。笑顔でよっ
1964年(昭和39年)8月12日。津軽海峡で一隻の最新鋭船が産声を上げた。青函連絡船・津軽丸Ⅱ型の2号船、八甲田丸である。姉の津軽丸と妹の松前丸、大雪丸、摩周丸、羊蹄丸、十和田丸と共に「海峡の女王」として華々しく任務に就いた八甲田丸。しかし、栄光は長く続かない。国鉄の慢性的な赤字により、経営は悪化。そして1988年(昭和63年)3月13日の青函トンネルの開通により、青函連絡船そのものが全廃されて
東京都内にあるカトリック系私立女子中学校の会議室。そこに、集まる数人の男女。いじめ自殺死した子供の遺書に書かれていた、いじめ加害者の親たちである。それぞれ、年齢も、生活環境も、職業も違う親たちは、身勝手な事情から我が子を庇護する事に終始する。怒号飛び交う会議室。子供達のいじめを通して、それぞれの親たちの「顔」が浮き彫りになる。
東京芸術祭2022 芸劇オータムセレクション
現代社会におけるコミュニケーションの諸問題を独自の手法で描き出す劇作家・山本卓卓のテキストと、老若男女から電車や犬に至るまで25役を巧みに踊り演じ分けるダンサー・北尾亘の身体がコラボレート。国内外を旅して再演を続ける、演劇×ダンスの異色傑作。
1991年、平田オリザが他劇団に書き下ろした最初の作品。目的もなく旅に出た二人は、列車の中で不思議な若い女と出会う。何か事件が起こるわけでもない日常の延長のような列車の旅のなか、車窓の向こうから様々な風景が浮かび上がってくる。
広角レンズ × 演劇 ×「音楽」演劇における「音楽」のあり方を検討するための上演。
3LDKの高見家に住むのは、会社勤めのお父さん、専業主婦のお母さん、バリバリキャリアウーマンの娘、大学生の息子。一見どこにでもありそうなフツーの一家だが、ある日、お母さんのお母さんが、アキレス腱を切ったことを理由に同居を求めてやってくる。なんとか同居を断りたい高見家だったが、追い打ちをかけるようにお父さんのお父さんまでもが独り暮らしの家を売り払い、同居を求めて乗り込んで来てしまう。ずるずると窮屈な
美大生の橋本は、画家になりたかった。画材を買うために始めた夜勤の内装バイトで、気がついたら、正社員になっていた。橋本の働く百貨店内の画廊スペースで、人気画家になった同期の個展が決まる。なれなかったものに、まだなりたい。「何を、諦めれば──。」ゆうめい × ウンゲツィーファ、2つの現代演劇ワールドが織りなす100分間の夜勤劇。第34回下北沢演劇祭参加作品。
拠り所なき「この世」に捧げる、生と死のセンス・オブ・ワンダー。《セミヘブン(その世)》、それは「この世」と「あの世」の間にあるもの。人々がいのちをアップロードしてクラウド化する社会に、とある母子がいた。中年を迎えた息子を、年老いた母は忘れつつある―劇団しようよ、旗揚げ10周年の〈救済劇〉
金がない、仕事もない、家庭もないし、未来もない!弟夫婦に世話になりながらのらりくらりと糞溜めのような日々を過ごしていたおじさんが「あの娘」と出会うことで始まる、恋に落ちるおじさんと、落とした「あの娘」と、落ちていたおじさんたちとのハートウォーミング・ラブ・サスペンス・ストーリー!
北海道空知地方、夕張。1980年代初頭。かつて良質な製鉄用コークスを産出し、高度経済成長を支えたこの地方の鉱山も、エネルギー政策の転換や、安い海外炭の普及により閉山に追いやられていた。「石炭から石油へ」「炭鉱から観光へ」国策で推し進められてきたはずの産業は、急激な転換を迫られ、混迷し、国からも企業からも見放され衰退していく。それから約20年後、2000年代、財政破綻後の夕張。再建の道は絶望的とされ
下北ウェーブ2019
本多劇場主催「下北ウェーブ2019」にて選出・上演。初演(題『うたたね姫』)は2014年、松戸市での滞在制作を通し、再開発される街と、そこに適応できない人々の姿を描いた。再創作版では、かつて自ら書いた戯曲に共感できないという違和感を出発点に、普段の知覚外にある社会事象を扱った。「その程度で悩むな」という意見の暴力性と向き合うことで、見えにくい痛みや、世界の多様性をあぶり出した。
閉塞状況の日本を逃れて、南のリゾートへ向かう豪華客船の甲板。「ニライカナイ伝説」をモチーフに、なにげない会話を通して人々の中に潜む差別意識や倦怠感が浮かび上がる…。`90年に沖縄県与那国島でレジデンス制作〜初演した作品の`95年再演ツアーを収録。
ハンドル名「ヤリタイ」「シタイ」「小夜子」「天涯孤独」の4人が初めて直接会う「オフ会」が近いというのに、シタイからの連絡が途絶えてしまい、ある日、仲間全員にシタイから謎のEメールが届く。指示に従ってヤリタイたちが手に入れたのは、白い粉の入った謎の小瓶……。シタイは何の目的で白い粉を送ってきたのか? シタイは今どこにいるのか? そもそも、白い粉は何なのか? オンラインとオフライン。イメージと現実。生
ドキュメンタリー
ぽつねんとある自動販売機を止まり木のようにして集まる3人の人物の雑談から始まり、缶ジュースの風味が浸透するように境目なく様々な記憶や風景が現れては消え、過去や未来、人物がいるのかいないのかさえ揺蕩っていく。その中自動販売機だけは形を変えず、その場に存在し続ける。監視者なのか、なにかを促すモノリスなのか。感覚的なようで、人物たちの感情は一連のストーリーとして確かに繋がってるニュースタンダード会話劇。
6人姉妹のとある一日。家庭や子ども、仕事を持つ生活の中で、それぞれの価値観がぶつかったり、励まし合ったり……。女6人、この姉妹は仲が良いのか悪いのか?個性あふれるキャストでお送りする、20代から40代の6人姉妹の赤裸々ドタバタ物語。
いつの時代ともどこの時代とも知れぬ不可思議な小部屋。一人押し込められた男。代わる代る部屋を訪れる様々な人物から強制される尋問にも似た暴力的な会話。或いは彼らが執拗に聞かせる果てのない物語。そして男自身の見る不可思議な夢。それらが入り交じり、男はいつか時と空間を遥かに遡り、恐るべき陰謀の真っ只中に誘い込まれる。欺瞞と捏造まみれの文字で書かれた歴史の彼方、押しつぶされ、忘れ去られた男が辿り着いた、彼自
世田谷シルク第14回公演
日本に似たとある国の化学工場、分析課。規則の厳しい工場で働くこの国の民たちは、ある日、外の国からの元プロレスラーという労働者を受けいれることに。ところが彼は、この国の言葉が話せない。外国人に免疫のない従業員達の反応は様々な一方、会社は外国人を増やして、自国の派遣社員を辞めさせる決断をしている。自分が普通と考えている習慣は、実は少し変かもしれない。そんな発見を外国人労働者の目線を通して見つける作品で
人の死を看取る日々を送る看護師の「楠美」はある日、自身が肺癌の末期であることを知る。直ちに入院を強いられるが、そう長くない余命であることを悟った楠美は家に帰ることを願う。その思いを汲んで楠美の母は「末期患者の在宅医療」を専門とする医師「渡良瀬」に娘の治療を託すのだが、渡良瀬は「医療に笑いを」を信条に、コスプレ姿で往診に来たりする「変わり者」だった。楠美の家族戸惑うが、やがて患者を第一に思う渡良瀬の
三つの部屋でそれぞれ別の取り調べが行われている。被疑者はそれぞれ「国家公務員」「精米店の女主人」「男子大学生」。どの部屋でも、問い詰める側は「許せない」という「正義」を振りかざし、厳しい追及の手を少しもゆるめない。だが、疑われる側にもまた「なぜ悪い」という言い分があり、こちらにもどうしても譲れない「正義」がある。やがて、無関係だった三つの取り調べに共通する「思わぬ事件」が背後に浮かび上がる。それは
多摩郊外の、シェアハウスに改築された古い家。今は別のまちに暮らす家主、宮地達夫の老いによって土地ごと売りに出されることが決まっている。3月下旬、ある金曜日の夕方、居住者たちが集まるささやかなパーティーがひらかれる。部屋を見渡すとそこここに、小さな傷あとやしみがあり、そこから家に流れた時間が広がりだす。かつて商店だった頃の記憶、昔暮らしていた家族の姿、街だってどんどんと変わっていった。その全てが混ざ