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演劇をやめて久しい土井は、かつて出演した演劇作品の「演出家」の弟を名乗る人物から、演劇の上演を依頼される。そこで土井が受け取ったのは、アンドレイ・タルコフスキーのある映画をもとに書かれた、演劇と救済にまつわる、一本の奇妙な戯曲だった――。ロームシアター京都×京都芸術センター U35創造支援プログラム“KIPPU”2024採択公演。
医療事務の仕事をしながら漫画を描く結月は、才能を信じきれずプロへの一歩を踏み出せずにいる。一方、外資系から中小企業に転職した桜子は社内改革に情熱を燃やしていた。偶然の出会いから同じ仕事に取り組むことになった二人は、価値観の違いから激しく衝突する。桜子の現実主義に反発してプロを目指そうとする結月と、自分の厳しさの裏に過去の痛みを見出す桜子。すれ違う二人は、やがてそれぞれの生き方を見つめ直していく。
第1回 人間座「田畑実」戯曲賞 受賞作品。秋から冬にかけて。豊かな緑色の町並みから、冬の白色に変わるまで。渋滞のテールランプの赤い灯りの線が、いつもそこに寄り添う。朝日ヶ丘は群馬県郊外に位置し、街全体が盆地にすっぽり収まっている。13年前に新しい高速道路が敷かれ、街の中央に大きなサービスエリアが置かれた。そこは次第に発達し、今では町の主産業になっている。朝日ヶ丘自体には、高速道路の入り口は存在しな
脚本執筆前の小沢佑太(脚本・演出)による宣言文(一部抜粋)です。「僕が初めて東北のまちを訪れたのは2014年7月、震災後4年目を迎える夏でした。あれから2年に1回、観光として東北に行っています。13年の月日が経ち、その間にも各地で大きな災害が毎年のように起こっています。そこにある小さな想いを汲んで、変わっていくもの・変わらないものに目を向けて、丁寧に繊細に素直に描いてみようと思います。」
これは、 どこにでもある町の、よく眠ることができる夫婦の、 ある「静かな一日」のお話です。でも本当は「静かな一日」など、どこにもありません。私たちが住んでいる現実に「静かな一日」が、どこにもないっ!のと同じように。私たちは後ろ向きになって、徐々に、南に傾いていく家を見上げながら、日陰を選んで、畏れを飲み込み、日々を生きます。形は決して残りません。形は決して残りません。日々を、私たちはただ日々を積み
コンセプト:『星の王子様』×『禅』。映像を駆使した空間演出と会場のデザインを活かした演出。音楽家とのコラボによる新たな観劇体験の提供。内容:水槽を旅する不思議な魚と肉親の死と事故によって塞ぎ込んだ青年との出会いと別れを描く物語。物語の中心にあるモチーフとして星の王子様と禅をとりあつかい、世界は自分自身が何を思うかによって変えることができることに気づき、最後には青年が外へ踏み出す話となっている。
文化祭の前日は繰り返されなくて、ぼくたちは片隅の踊り場、変わり映えのない一日を見送ってた。増えていく過去形と消えていく可能性の間で右往左往する姿はまるでダンスみたいだねって言ってくれたことを忘れるわけない。ここは居心地がいいけど、文化祭はとっくに終わったしお腹も空いたし、もう行く。
「街」と「街」の境界が、住民や通行人の多数決で日々変動する時代を描いたSF作品。特徴の乏しい場所はどの街にも属さず、宙ぶらりんの隙間として残されている。その隙間に暮らす文子は、恋人の斎藤から結婚と隣街への引っ越しを提案され、迷っていた。そんな中、空き巣の塩村が部屋に侵入し、私物を少しずつ持ち去っていく。やがて時間の流れと共に、変動する境界は街の隙間さえも飲み込もうとしていた。
1組のカップルが暮らす部屋のリビングに、共通の知人がふいに現れる。彼女が死んでいることを2人はもう知っていて、けれどもそれを迎え入れる。つかの間の再会と乾杯。なぜか、家に帰れなくなったという見ず知らずの他人も後から合流して過ごしていると、生きるものと死んだものの境目が溶け合って、いつの間にか夜が明ける。
青森県のとある町。市町村合併に反対し、現在は高齢化率が50%を超える自治体。 学校区単位の運動会は廃止され、地区運動会と一体化された。明日は来年廃止が決定した地域イベント「かかし祭り」が行われようとしている。地域おこし協力隊など新たな移住者の受け入れに苦慮しながらも、新旧町民による「まち」への問いかけが、思いもよらぬ展開へと発展する。
「僕は人を救いたいんだ・・・それって恥ずかしいことかな?」フィクションで現実を乗り越え生きていこうとする人々の人情劇。第66回岸田國士戯曲賞受賞作、新演出で堂々の再演。
宮崎の小さな電気工事会社に勤める町村(まちむら)は、40歳を過ぎても独身でボロアパートに一人暮らし。趣味と言えば酒くらいで、ほぼ毎晩記憶を無くすほどに酔い潰れている。ある朝、お決まりの二日酔いで目覚めると、洋服に血がついていた。しかしそれがなんの血なのか分からない。行きつけのスナック「シャンドレ」に行ったことだけは間違いないが、それ以外の記憶がまるでない。果たしてこれは……。町村と彼に関わる男たち
日本の近代戯曲の父とも言われる岸田國士(きしだくにお)が、1925年に文藝春秋に発表した短編戯曲。ユニークポイント版は舞台を病室に移し、夫が過去を振り返るスタイルで上演した。
都会の片隅に残され、今では粗大ゴミの不法投棄場と化した丈高い草の生い茂る原っぱで、予備校生のエイジは夜な夜なまっさらなキャンバスに映る影を写真に撮っている。それが彼の描く「19歳の絵」だ。ある夜、二人の男子高校生がベッドを捨てにやって来る。一緒に現れた女子高生を一人残し、彼らは去っていくのだが、やがて舞い戻ってきた男の一人・オサナイは「何してた?」とエイジに詰め寄る。エイジが女子高生・あきらと話し
「隅田川 森羅万象 墨に夢」プロジェクト企画
オンライン演劇。コロナ禍での「映像配信で実現する演劇体験」を追求した、全く新たな「隅田川物」として表現。江戸時代に隅田川で起きた落橋事故という大惨事。人々はこれを落語『永代橋』に昇華させた。この悲劇さえも笑いに変えて力強く生きる江戸の市井の文化に着目し、歌舞伎『八幡祭小望月賑』など隅田川ゆかりの古典作品群をコラージュ。コロナ禍に苦しむ現代と事故当時を重ね合わせ、カタストロフを乗り越える人間の逞しい
ろう者によるろう演劇の発展を目指す「俳優× 舞台芸術制作 ろう者育成プロジェクト」の一環で行われる、ろう者たちの恋愛を描いたオムニバス劇『恋愛』。3つの短編で構成され、ろう者ならではの視点で恋愛を多角的に描きます。異星間の恋愛観を語る宇宙サミット、ろうと聴の葛藤を描く日常劇、幼馴染の再会から動く感情――多様な「恋」が手話で紡がれます。
わ芝居~その弐
昭和3年。天乃屋本家は旦那が事故死、番頭は病死、残ったのは跡取り娘の病弱なシズ一人。病弱な娘には婿の来手がなくこのままでは本家がつぶれると、親戚一同困っていた。せめて一代だけでも繋げれば、何とかなるかもと考え都合のいい男として白羽の矢が立ったのが手代・伊助であった。伊助は断れず、本家の旦那に就任してしまう。計画は順調に思われたのだが…。古典芸能とのコラボ企画として誕生した「わ芝居」シリーズ第二弾。
2021年再演版
男性キャストのみによる、ごく小さな日常の一コマを巡る物語。しょうもないけれど、誰もが身に覚えのある小さな「裏切り」を素材とし、信頼とは何か? という胃の痛くなるようなテーマを浮かび上がらせます。とある休日、ロードバイクで旅行に出掛けたサラリーマン五人組は、山深い温泉宿に立ち寄った。ささいなことから言い争いを始める五人。口論は、やがて思わぬ方向に発展していき、遂には修復し得ないほどの混乱に……。
ぐるぐると、リープしたり、スリップしたり、トラベルしたり、ワープする。かつてあった喫茶店の常連の男が、跡地のベンチに佇み…思い出すのは今は疎遠になった弟と昔見たデパート屋上のイベント。そしてその日は男の妻の兄弟も駆けつけ、なにやら男の動向を伺っている。喫茶店の跡地にできるカフェ女性店長と、その幼馴染の工務店員、押しかけるユーチューバーも巻き込みながら、男の過去と現在が混在する世界へタイムスリップ!
博多弁飛び交う地方都市クツワダのとある区域。街は日々姿を変え、人や建物、新しいものと古いものが入り混じる。あっという間に変わっていく、そこそこ歴史ある街の片隅で声が響く。「運動会って、やらないかんと?」大玉転がり、大縄くんずほぐれつ、バトン飛び交う白熱の議論。伝統ある住民参加の地域運動会。やる?やらない?今こそ白黒つけようぜ、いやそこは、紅と白で!
父の三回忌に家族が集まる。色々あって弟は姉におチンチンを見せることになった。父の遺影を前に、姉は弟のおチンチンをながめ、涙を流す。涙の意味は誰にもわからない。父の三回忌の夜に、妹は兄と再会する。兄は17年前に交通事故で死んだ。事故があった電信柱のそばで、妹は兄と再会する。妹は33歳になっていた。兄はあの頃のままだ。認めたくない感情がある。自分のなかで居場所がない感情。ちゃんと認めてもらえない感情は
君はきっと、ひとりじゃない。これから先はどうかわからないけれど。六送会。そう呼ばれていたのは、深土小学校の本年度卒業生たちを見送る、学芸会のことである。4年B組は、授業で学んだ『スイミー』のお芝居を発表するため、練習に励んでいるはずだった。ある日、ある児童の母親が深土小学校を訪ね、訴える。「先生、どうしてうちの子がスイミーではないのですか?」不登校になる児童。度を超えた抗議に、休職に追い込まれる4
◎公演概要はたから聞けばニヤニヤ笑える、じんわり静かに心に沁みる、はしゃげない中年会話劇。今、「我々はどのように大人になり、しかして大人になれないのか」を問う。◎あらすじ11月21日友引。高校の同級生たちが居酒屋の個室に集まり、故・鈴木達夫について語り合う。思い出ばなしに興じるうちに、お互いの不幸を比べ始める。家族を持つもの、持たぬもの、夢をおうもの、おわぬもの、金を持つもの、持たぬもの。今は中年
ある高校で、女子生徒が屋上から飛び降りた。その時、下にいた別の女子生徒は巻き添えをくらった。ふたりは意識不明の状態で病院に運ばれた。学校では生徒の母親や教師たちが、責任の所在について本人不在のまま激論を交わしている。生徒/教師/親それぞれの目線で事故前後の日々を紐解く中で、思いもよらない事故の真相に辿り着くのだった。言葉ばかりの「多様性」が謳われるこの世界に潜む、様々な『境界線』について考察する。
いつ高シリーズ
高校を舞台にした青春群像劇本作は「いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校」が舞台の連作群像劇です。教室、下駄箱、屋上、図書室、学内のあらゆる場所で「まなざし」をテーマに様々な物語を発表します。俳優はシリーズを通して同じ登場人物を演じ、作品ごとに主人公が代わります。学内で起こる小さな事件の”ここ”と”あそこ”がまなざしで繋がれてゆき、シリーズ全体で大きな物語となっていく様をぜひお楽
京都駅から南東に伸びる京阪沿線の高架下に、ポツリと佇むダイナー「water lily」。経営者の桐野京子は、コーダである20歳の息子、ひかると静かに暮らしていた。ある日、ひかるは恋人である森田優子をダイナーに連れてくる。すぐに意気投合する京子と優子であったが、次第に、優子に隠された過去が明らかになる。COVID-19が猛威を振るう中、宙に描く、あなたの指先が燃える時、悲劇が起こる。桃色声劇第二弾で
ひと組の夫婦が暮らす家。ホームパーティの準備が進むリビング/ダイニング。集まる予定は6人だが、なかなか全員が揃わない。全員が揃ってから始めたいというゲストの希望があり、まだ来ない人を待つ時間が流れる。妻のゲストは青春時代を過ごした仲間。夫のゲストは仕事の相棒。仲間と自分の「過去」と「今」が交錯し、浮かび上がる「忘れ得ぬ人の不在」。館林美術館と演劇/微熱少年3年間のコラボレーションの集大成。
朗らかな初日の光さやけく新春らしからぬ、不穏な不穏な時代のお噺。我が国はここを先途と諸外国に対し獅子奮迅の勢いで躍進するも虚しく敗退し、米、英、仏、露によって分割統治されるに致り、国民は臥薪嘗胆、クチビル噛み締め刻苦勉励の毎日であります。さてここに御座すは絵師、記者、軍人、撮影技師、人形師、弁士、等々。自由に往来すること叶わぬご時世の中、鹿児島から天下の米国様にご神木を献上するべく特別に発行された
地域公共劇場連携事業
骨髄癌の少女と、兄妹同然に育った青年の会話。二人のやりとりが同じ病室の患者によって書かれた物語であったなら……。デビュー作『アサッテの人』で芥川賞を受賞した作家・諏訪哲史の同名長編小説を、同じ愛知県出身の天野天街(少年王者舘主宰)が舞台化。2010年、七ツ寺共同スタジオのプロデュース公演として話題を呼んだ名作が、13年振りに復活。オーディションで選ばれた新キャストと共に、三重・名古屋・高知の三都市
歌人で劇作家の吉井勇が実在の落語家を主人公に描いた小戯曲「句楽もの」から数編を構成したオリジナル上演。浅草に住む噺家の俳諧亭句楽と仲間たちとの様々な騒動、やがて精神が乱れ病院に入院した句楽が、現実社会が反転したような世界に心を幻惑させていくさま……魅力的な芸人と彼を取り巻く市井の人々の生活風景を描いた戯曲に、現代を生きる私たちが忘れ去り、捨て去ってしまった江戸の文化の名残と精神をみる。
こころねっと KANSAI×DIVE プロデュース公演
本作は短編三本で構成されるオムニバス作品。アルコール依存症当事者を描く『わらってゆるして。』。家族に焦点をあてた『やがて窓辺にあかねさす』。ケースワーカーが登場する『SALT』。三つのエピソードを通じ、依存症から立ち直ろうとする人と、それを支える人たちの姿を見つめる。
シャッターが目立ち始めた駅前商店街のある町。変わらない車窓に流れる風景のような毎日を生きる母。そんなレールから、分岐を切り替えた「わたし」を責めるように響きわたる踏切の音。そして母が、わたしが目指した場所は…「笑っちゃうほど滑稽で、泣いちゃうぐらい いとおしい」物語。
美大生の橋本は、画家になりたかった。画材を買うために始めた夜勤の内装バイトで、気がついたら、正社員になっていた。橋本の働く百貨店内の画廊スペースで、人気画家になった同期の個展が決まる。なれなかったものに、まだなりたい。「何を、諦めれば──。」ゆうめい × ウンゲツィーファ、2つの現代演劇ワールドが織りなす100分間の夜勤劇。第34回下北沢演劇祭参加作品。
【コンセプト】緊急事態宣言を伴う自粛期間に体感した「様変わりしていく社会と断絶された個人」をモチーフにした演劇作品です。新型コロナウイルス感染症の蔓延によって私たちは、未知の病原体との共存が求められています。そうした新たな生活は、私たちに戸惑いと恐怖、そして過去の生活様式への郷愁をもたらしました。また、世界の国や都市は日本以上に新型コロナウイルスの影響を受け、経済の格差、人間同士の分断が起きていま
第68回岸田國士戯曲賞を受賞した『ハートランド』の記念事業として、作品モチーフとなった岐阜県高山市「こどものほんや ピースランド」にて舞台芸術文化の流布を目的に行った本事業は、各新聞社にも取り上げられ、会場全体を使った続編の回遊型上演を開催した。絵本屋の特徴を活かし託児せずに親子で全回参加できる鑑賞機会として、演劇不毛の地と呼ばれていた岐阜県高山市に訪れる幅広い世代への芸術復興に貢献した。
演劇をやめて久しい土井は、かつて出演した演劇作品の「演出家」の弟を名乗る人物から、演劇の上演を依頼される。そこで土井が受け取ったのは、アンドレイ・タルコフスキーのある映画をもとに書かれた、演劇と救済にまつわる、一本の奇妙な戯曲だった――。初演を経て、演出、演技を全面的にブラッシュアップした、東京公演版「フェイク・読書会演劇」。
晴れた日の野球場。企業対抗野球選手権に、名もなき中小企業が進出した。即席応援団も勢いに乗るところだが、試合が始まると言うのに人が集まらない。どうにか応援団の形が整ったもののかり出された駆り出されたのは一癖も二癖もある個性豊かな社員ばかり。当然のごとく、仕事への不満、オフィスラブ、出世競争など人間関係の愛憎劇が次々に繰り広げられていく。そして肝心の試合も二転三転・・・。果たして、試合の行方はどうなる
コンピューター・ウィルスがついに日本上陸。あるソフトウエア開発会社のホスト・コンピューターにもウィルスが侵入した! 4人の技術者たちは阻止に知恵を絞りながら悪戦苦闘、ついにハッカーを突き止めるが、ウィルスは技術者たちの想像を超えて暴走し始める……。 めざましい勢いで進化し続けるコンピューターは、どこまで人間に近づけば気がすむのか? そもそも人間は新しい生命体を創り出す神になれるのか? SF的世界の
「先の見えない創造」を続ける者の恍惚と不安、二つ我にあり!所詮この世は冥府魔道、ならば唄って歩けよ地獄のハイウェイ!歌とダンス、名優たちによる珠玉の演技で彩る青春残酷物語!!
DRIFTERS SUMMER SCHOOL ADVANCE 2013
『小さな足掻きが世界を変える』をコンセプトに、映画と演劇を同時進行で展開するパフォーマンス作品。舞台奥では筋書通りの映画を上映し、舞台上では筋書から逸脱する物語を上演。二重構造の物語が交錯し、予定された未来と抗う意志がぶつかり合う。重なり合うシーンを通して、鑑賞者に小さな勇気が未来を変えることを伝える。演劇ユニット・女の子には内緒の旗揚げ公演として制作された。
時折、激しい吹雪が吹き荒れる真冬の札幌。終電頃、「西線11条」の電停。東京から仕事で札幌に来たばかりの男が、道路の真ん中にある市電の停車場で、ススキノに向かうために電車を待っていると、そこに一人、また一人、電車を待つ人たちが現れる。現れた人たちは、そこで炊飯器にお米と水を入れ、ご飯を炊き始め、やがて炊飯器からは、仄かに白い湯気が立ち昇る。実在する市電の停車場「西線11条」で、本当にあったかもしれな
現代社会に生きる人間はほとんど、誰かの思想による誘導や影響を受けていて、無意識のうちに「規範/ルール」という在り方の中を生きている。街の構造や建築物ひとつをとっても思想が現れ、人々はそれを自然と受け入れながら生活していく。ゆるやかな誘導や構造設計が、支配へと変わっていく道もあるのではないか。それはすでに小さな単位で生み出されているのではないか。誰かを操作することは快楽なのだろうか、権力者はその力に
老いにより記憶が彷徨いだすようになった母。娘の名前をも忘れる中で、若き日の自身の初恋を思い出すようになる。だがその初恋は、夫とは違う男性との思い出だった。新婚旅行の思い出を彷徨いながら、夫婦が見つけた答えとは?舞台となるのは、宮崎と湘南、そして二つの地を繋ぐ海。これは、ある男と女の物語。母と娘の視点で、家族の心の揺れと再生が描かれる。劇団初のツアーとなる宮崎で幕をあけた作品の、東京凱旋公演を撮影。
「隅田川 森羅万象 墨に夢」プロジェクト企画
観世元雅によって書かれた室町時代の能「隅田川」を原案に、現代の母親・子供、そのあり方を考える舞台作品。原案で象徴的に描かれる、子供を失くした母親の『涙』を中心のモチーフに置き、同じように子供を失くしても泣けなかった(愛することができなかった)母親を主人公とした。そして相思相愛ではない親子の形と彼らが生活する社会システムを提示し、現代の諸問題を取り上げた。製作にあたり、隅田川、木母寺、隅田宿など物語
・あらすじ少年時に同じ人物から性被害を受けたコースケとノゾミ。そしてコースケの弟リオ。場所はコースケの部屋。コースケはノゾミとリオを部屋に集め、彼らの被害を告発する記事への協力を依頼する。性被害の加害者は実は彼らの父親だった。しかし、告発する事で更なる迫害を受けると彼らは意見がぶつかり合い、コースケは抑えられていた精神状態が錯乱し刃物を彼らに向ける…。・概要少年性被害を取り上げた物語。“持続可能”
コンセプト:今作は「遺体安置施設(遺体ホテル)」を舞台にした物語。⾼齢化社会が進み多死社会を迎えた日本において、この時代だからこそ⽣まれた場所にフォーカスを当て【いま】を切り取り描く。あらすじ:ある住宅街で、自治体による遺体ホテルの運営が始まった。現在もなお、職員と施設に反対する近隣住民の間で、侃侃諤諤の論争が繰り広げられている。そんなある日、1 体の遺体の行方がわからなくなって…。
おやすまなさいは眠りたい人と寝て欲しくない人の話で、それは死にたい人と死なないで欲しい人の話でもあり、男とか女とか、年齢とか、そういうこと関係なくただそれだけをやりたいと思って書いた戯曲です。(前田司郎)
穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース
穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュースの第二弾。穂の国とよはし芸術劇場の芸術文化アドバイザー(2017年当時、19年4月からアソシエイトアーティスト)であったアル☆カンパニーの平田満と劇場との共同企画。KAKUTAの桑原裕子の作・演出、平田満、井上加奈子、増子倭文江、中尾諭介、多田香織、小林勝也といった出演者により、2017年12月に豊橋、北九州、東京で上演。団地の一室を舞台に描かれた小さな作
同棲相手がハトにしか見えなくなってしまっている佐智子は、マスコミがセンセーショナルに報道を続ける事件の国選弁護を担当することに。しかし、被告女性はあいまいな供述を繰り返すばかり。重要参考人の松川の記憶から関係者の調査をはじめた矢先、別の事件で十年近く逃亡を続ける指名手配犯の存在が浮き彫りとなる。細い糸をたぐるようにして彼女が辿り着いた先には、社会の隙間に落ち込んだ人々の織りなす回廊が、人間存在の深
独り暮らしの老女「ハルさん」は70歳。「イッコ」は小学5年の女の子。好きな人の名前が同じ「新一郎」という共通点を発見して仲良くなったが、少女と老女の意外な事実もまた明らかに……。イッコは学校にほとんど行かず、拒食症になっていること。ハルさんは末期ガンで余命幾ばくもなく、断食して死のうと思っていること。二人には「食べない」という共通点もあったのだった……。 死をどう受け入れるのか? 孤独とどう向き
東京ノ温度2024年秋公演は、芥川龍之介の「童話」オマージュ作品です。純文学のイメージが強い芥川龍之介ですが、実は児童文学の執筆・普及にも熱心で、芥川自身が構想した童話集も刊行されています。今回はその芥川童話の世界を原点とした新作オリジナルストーリーを、Wキャストにて上演します。都内某所に、ひっそりとたたずむお屋敷がありました。そのお屋敷の主は「現代の魔術師」を名乗る、なんだか怪しげな人物でした。
歯痛、吐き気、生理不順……。人気作家・早智子の体を次々と異変が襲う。歯科・内科・産婦人科と、病院を転々と渡り歩いても原因はつかめない。だが理由は明白。早智子は尋常ならざる拒食と過食を繰り返していたのだ……。スリム(S)とファット(F)という身体の変化を繰り返す中で、早智子が自分の心の奥底に見たものは……? とどまることを知らない世のダイエットブームを背景に、過酷なダイエットに走る現代女性の深層心理
ある平穏な仕事帰り。友人と並んで歩いていると、ランニング中の男が肩に激しくぶつかってくる。男は謝らず「横並びに歩いていた方が悪い」と言い放つ。やがて街ではランニングブームが加熱し、走る者たちが急増。あるとき、道の途中に並行世界が現れ、彼らは迷いなくそこへ走り込んでいく。
なんでだろう。この部屋が、どうしても嫌いになれない。繁華街に佇むそのアパートの一室は、隣に建った看板のせいで窓からの眺めがまるで見えなかった。毎夜看板の光が色とりどりに揺れるその部屋で、伊野夏子は死んだ。二十歳を迎える少し前に、彼女はしずかに幽霊になった。数年後。そこに引っ越してきた津島一郎に自分の姿が見えていることに、夏子は気付いた。一朗は恋人を持たず、友人も少なかった。夏子は彼を気に入った─約
《あらすじ》久しぶりに地元へ帰ってきた。三人で毎年行った神社の祭り。思い立って辿り着いた頃には、屋台も花火も終わったあとで、ここにあったはずの温もりも、少しずつ薄らいで流れてゆく。夏の夜、満天の星に君を想う。ただいまのあとここにあるものありのまま抱きしめてゆけ《作品構成》本作品は、登場人物3人の「会話劇」と登場人物それぞれに焦点を当てた3種類の「一人芝居」で構成されています。
ドラマとカオスを縦横するスペースノットブランク。CHAOTICなコレクティブによるDRAMATICなアドベンチャー。ダウンロードとアップロード。HIGH & LOW。物語とキャラクターと本人と別人が脱ぎ着する、母音だけでコミュニケーションできる「場所」。実存しない物語とキャラクターを、実存する本人が「上演」というシチュエーションを用いて実存する別人の目覚ましを鳴らそうとするための舞台。
舞台は「自由」が大いに拡大され、刑務所までもが半民営化されたリバタリアンの行政特区。日本でありながら、今の日本とはちょっと違う、そんな場所。ストーカー殺人、安楽死殺人、死刑廃止論、結婚制度、出産前DNA鑑定など、現代人の抱える答えの出ない問いを濃密な会話劇で展開します。アマヤドリのお家芸ともいえる群舞を封印し、音響効果を排した対話劇。2014年に好評を博した悪と自由の三部作第一弾の再演となります。
タイトルは「かわ」です。割と若い方々が三途的な川を前に、眺めたり渡ろうとしたり「やっぱこえーわ」となって帰宅したりする話をします。渡る前にも後にも、どの場所でも安心して過ごせるきっかけに少しでもなれますよう作っていけたらと思います。
時はとあるアイドルグループの解散が発表された2016年。泡之介とBBQは、学生時代の友人・午前二時の結婚式に向かうため、車で常磐自動車道を下っていく。目的地は仙台。10年前に同じく仙台を目指して3人で旅をした4日間を、10分の演劇にして余興で披露する予定だ。東京から守谷サービスエリア、会津若松、いわき、松島、石巻を巡る2016年の2人の旅路は2006年の3人の旅路と重なり、行ったり来たりを繰り返す
シアタートラム ネクスト・ジェネレーション
とある大学。ある学生は希望を持っている。彼女はこれから始まる日々を心待ちにしている。ある学生は失望している。彼女は思っている。「これからはじまる日々は、ちがう」時間が流れる。歴史を数学を哲学を文学を、学ぶ間に時間が流れる。校舎のなかに体育館がある。やがて壊される予定の、やわらかな光のはいる体育館。彼女たちのうちの一人はとてもとてもその場所が好きで、彼女は何かをしようと考えて、考えて、考えて、いる。