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東京、アビニヨンで上演の伊藤キムと吉岡由美子のコラボ"綺女と珍獣プロジェクト"第2弾。コンセプトはパラレルソロ。同時進行していた二つのソロ(吉岡の"しおきばにて" と伊藤の"コレクター")がいつの間にかデュエットになっていく。両ソロともアウトサイダーたちをテーマに紡ぎ出された境界線上の踊り。Berlin Tagesspiegel 紙は、楽園で追いかけっこをして戯れている者たちの悦楽と追放された者た
演劇実験室・天井桟敷の創立メンバーであった東由多加が1968年に結成したミュージカル劇団「東京キッドブラザーズ」による1989〜1990年の全国ツアー公演。物語は郊外の町に男とその妹が引っ越して来るところから始まる。隣近所には、どこか普通ではない人たちが住んでいた。奇妙な人間模様が描きだすのは、私たちの心の中にある”街”のすがたである。「螢」のように消えつつある街に―愛をこめて。
バルコニーに佇む若い人たち、窓の外を眺めながらおしゃべりともいえない会話を交わしている。一方、PTSDの兵士と、こどもを兵士に撃ち殺された母親が対話しようとしている。更にこの世を司っている?ような、ユリズンという男が存在し、彼が笑うと世界では轟音が鳴り響き、地震が起こり、軍隊が派遣され、…3つのワールドは次第に絡まりあい、最終的に一つになっていく。ウイリアム・ブレイクの予言詩をもとに書かれた作品。
1945年8月9日、戸坂潤は獄死した。戦争が終わるわずか数日前のこと。時は遡ること13年前。「野蛮で反知性的なファシズムに対し、我々はあくまでも知性を武器にして闘い抜く」と、戸坂潤は岡邦雄、三枝博音と共に唯物論研究会を立ち上げた。しかし「危険思想を広める恐れがある」と特高警察の監視が始まり、やがて集会禁止から執筆禁止に。それでも彼の楽天性が奪われることはなかった。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
台湾のアーティスト、リヴァー・リンによる、戦後日本に生まれた先駆的芸術運動「具体(具体美術協会)」について、特に田中敦子、白髪一雄、村上三郎、嶋本昭三らの作品を参照したオンラインパフォーマンス。また、C-Lab (Contemporary Culture Lab Taiwan)との共同制作作品として2020年に台北で上演されたパフォーマンス作品『具体美術宣言と踊る』のドキュメンテーション、TRUア
2015年度に開館10周年を迎える吉祥寺シアター。また、吉祥寺シアターのこけら落とし公演をきっかけに始まった「ミクニヤナイハラプロジェクト」も同じく 10周年を迎えます。両者の10周年記念公演として。超高速な発話と激しい動き、デフォルメされたキャラクターが特徴である「ミクニヤナイハラプロジェクト」が、全く逆の「静かな演劇」と評される平田オリザの名作『東京ノート』にどのように挑むのか。2015 年の
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
Tokyo Real Undergroundでアーティスティック・ディレクターを務める川口隆夫が振付・演出を手がけた新作。舞踏家・吉本大輔とコンテンポラリーダンサー・酒井直之。数世代を分かつふたりが、迷宮に棲む怪物を通して新たなダンスの地平を切り拓く。映像作家・鈴木章浩は単なる舞台公演の記録ではなく、’60年代のアンダーグラウンド・フィルムを思わせる映像世界へと誘う。―迷宮の奥深く暗いところで息を
隅田川のほとりを、記憶喪失の男が彷徨っている。夜になり、彼は、そこで声をかけてきた女の誘いで、彼女の家で夜を明かすことになる。そして彼女から、土地にまつわるある物語を聞かされる。それは、そこで行き倒れた男と幽霊の物語だ。そしてその物語はいつしか、男自身の姿と重なっていく。古典落語『粗忽長屋』が題材。旗揚げ公演『どさくさ』を下敷きに、過去作の要素が物語構造や台詞に溶け込んだセルフリミックス。
踊りの起源をテーマとしたダンス作品。人間ではどうしようもできない事象に対し、自然や神、見えないものに敬意を払いながら共に生き抜くために、祈りや呪いとして音を鳴らし踊るという根源的な行為が人間の日常生活の延長線上にある。日本の土着的な風習や儀式の身体感覚を見つめ直し、踊り鳴らすという行為の根源を想像し新たに作り上げた。見えない/聞こえないけれど、そこに確かに在るものの気配を取り戻し、人間以外の目線や
(フライヤーより抜粋)テュービンゲン人形劇団は、人形劇と他の芸術との境界線上にその活動の中心をおき、伝統的な人形劇のほかに、オブジェクトシアターやマテリアルシアターなどの分野も、演技、造形、音楽の要素と同様に取り入れて、新しい演劇の形を模索している。つまり行き詰った人形劇の分野から離れ、作品毎に新しい道を模索し、新たな形式、新たな問題提起を試みているのである。
夜、劇場にしのびこんだ不良カップルが眠りにつくと…亡霊たちの時間が始まる。劇場に満ちる愛の亡霊たちの秘めやかな足跡―初演時、身体的負荷の高いパフォーマンスと、密度の高い演出で評判を呼んだFUKAIPRODUCE羽衣の代表作の再演。いじましい現代人の愛の示し方を高らかに歌いあげる“妙―ジカル”。
未来のバレエスターが出演する公演として有名な青山バレエフェスティバルの第1回目。国際的なバレエコンクールにおいて日本人ダンサーの上位入賞者が増えているのにもかかわらず、国内で若手ダンサーを中心とした公演の数が少ないことを受けて開催された公演である。青山バレエフェスティバルは本公演の後、15年間にわたって継続的に開催され、青山劇場の舞踊部門を代表とする公演となった。第1回は1986年8月16日、17
知らないうちに友だちを傷つけて、それに気づいたときとっても、心が痛みます。でも、もし、ずっと気がつかなかったら?それを考えると、もっと胸がつぶれそうです。君のお隣にピートはいませんか?
歌人、山中智恵子の作品「鳥首」からインスパイアされた作品で、古代の祭祀的な要素を含んでいる。ソロ中心の作品が多い中で、この作品には佐東みわこ、杉山景子が出演している。巨大な被り物を付けた山田が敢えて跛行的な歩行を続け、身体の在り方への新たな視点を模索しているのがわかる。土、水、紙などで空間を構成しつつ、身振り、行為と、踊ることの境界を越えるような振り付けが特徴的に現れている。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
(フライヤーより)人間の愛やいのちの悲しさ、それにかかわる人間のおろかさ、切なさなどの問題を、きわめてシンプルに、しかも限りなく深く問うドラマ。それがこの「夕鶴」です。1949年から1000回もの公演を重ねてきたその舞台は、民話劇でも新劇でもない、まったく独特な「日本の芸」を見せてくれます。一つ一つ練りあげられ磨きあげられた科白の、そして動きの素晴らしさに接すれば、公演のたびに観客の心を魅了し、二
障害者の劇団として旗揚げした態変がそれまでの作風を脱して派手な衣装やセリフを一切なくし、役者の体の動きだけで展開する新たな表現を生み出した作品。舞台では宮島一郎の墨書とレオタードがあらわにする障害者の動きを照明が追い、紙や布といった無機物、そして光と影とのダイナミックなセッションが繰り広げられる。テーマは自らの心の解放と宇宙との一体化。
——踏み出せ、その一歩を—— 大きなゾウを眺めていた。小さな憎悪を抱えていた。暑い日も、寒い日も、ちっとも動かず、立ち尽くしている。ずっと想像していた。あいつが一体、何を考えているのかを。
伝統舞踊である日本舞踊でもコンテンポラリー・ダンスの要素を取り入れる試みなどは行われてきたが、表層的な混合に終わることが多かった。例外的に二代目花柳壽應は、正統の日本舞踊を修めながら、モーリス・ベジャールの『ザ・カブキ』のアドバイザーを務めるなど、コンテンポラリー・ダンスにも造詣が深く数々の成果をあげてきた。今回の「ボレロ」の振付は、壽應の弟子として古典舞踊と創作舞踊の両面で薫陶を受けてきた花柳源
閉鎖病棟の誰かが言った。「アホロートルはネオテニーなんだって。子供のまま大人になるの。幼形成熟っていう。でもたまに陸にあげると、大人に変態する奴も出てくる。その代わり、ウーパールーパーの愛らしさは失われる。どっちがいい?」これは私の叛逆。私は醜くなってでも、この腐った水槽から這い出るのだ。
近未来。東洋のガラパゴスと呼ばれている千久世島という離島は、かつてない賑わいを見せていた。国産みの神話に登場する島であると同時に、その島で発掘される「レアゲノム」という化石由来のDNAがヒトや動物の遺伝子組換えに必要なものとして注目を集めているからだ。その島に住む男は、奇祭で弟を失う。ところがある日、弟は蘇り、まるで別人のように男の前に現れる。弟の存在は島の住民を狂わせていく。そしてそれは、島の存
松井周の標本室 回遊型展示 標本空間Vol.1 無選別標本集
劇作家・演出家 松井周が主催するスタディ・グループ、<松井周の標本室>メンバーの発表の場として企画された、回遊型展示 標本空間Vol.1 無選別標本集で上演された、金子岳憲の1人芝居。コロナ禍を過ごす俳優。「自分は社会の余り」だと感じる日々の中で突然光合成ができるようになる。進化した人類として持ち上げられ、束縛の強い恋人と離れ、自分らしく生きようと決意する中、陰謀論者が近づいてくる・・・これはAI
NHK編「戦争を知っていますかー語り継ぐ女たちの体験」を乾氏が構成。第一話「満州からの最終列車は燃えた」 第二話「艦砲の嵐をくぐりぬけて」 第三話「母さん、水をちょうだい」 第四話「ムッちゃんはどこへいったの」
「B29と私」―講演:北村和夫昭和二十年五月二十五日の夜、B29は東京大空襲の総仕上げにかかった。焼夷弾の炎壁に閉ざされた中の人妻と少年、それは夢幻の地獄図絵か・・・。
昨年上演した『モモンバのくくり罠』で第27回鶴屋南北戯曲賞を受賞し、外部公演への書き下ろしでも高い評価を受けている横山拓也が、iaku初期話題作『流れんな』を全編広島弁に改稿、2024年版として上演
この作品は1957年に初演。伊那谷から四日市の紡績工場に働きに来ていた女工さんたちのつづり方サークル「生活を記録する会」に取材して共同制作したもの。集団就職で紡績に働く娘たちは、当時盛んだったサークル活動で仲間をつくり、書くこと、話し合うことを通して自分たちの置かれている状況や、古い村の体質、女の立場の弱さを発見し、仲間とともに現実を乗り越える力を獲得していく。
劇作家・川村毅が書き下ろし、文学座所属の名優・小林勝也が主演、新宿三丁目・雑遊にて上演してきた<都市を彷徨う男が巻き込まれる悲喜劇一時間一幕>形而上的スラプスティック・コメディ『路上』シリーズ。2020年夏、世界的な新型コロナウイルス禍の中、この日この時の新宿の空気を遺すべく、新作を書下ろし緊急公演を行った。
「精神鑑定医と患者と、その患者にしか見えない男」「落ちぶれて留置場で再会した2人の元ライバルのボクサー」といった、2つの筋を1本の糸で結ぶ女「えみ子」と、「時計屋と女房」「医者と看護婦」「悪魔と魔女」「ボクサーと連れ子」「刑事と本部長」らが、怒涛の展開の連続を巻き起こす。
三島由紀夫没後五十年 プラス1
愛が見せる地獄・芸術という名の狂気。この世ならぬ様を描かんとする絵師の執念に、美しき乙女は命を差し出し業火の贄となる。幼年期の三島由紀夫が芸術と美への感性を育む素地であった歌舞伎。そのオマージュである「三島歌舞伎」の第一作『地獄變』、極彩色の世界を花組芝居が総力を挙げてネオかぶきへと昇華する!時は平安の頃。絵師・良秀は、天下一の腕前だと都で評判を得ていたが、高慢で変わり者だと噂される男だった。彼に
日本丸メモリアルパークパフォーマンス 2021-2022「路上の身体祭典H!」新人Hソケリッサ!横浜/東京路上ダンスツアー#2
社会から分断され個人になった時に個人は不安を抱え、集団に依存していた個人の脆弱さが露呈する。我々は生きる手段としてこの大きな集団に取り込まれ、それは習慣となり個人という存在や輝きは飲み込まれてしまうだろう。しかし希望を失った身体は、言うなれば囚われた習慣を捨てた身体の始まりであり、強靭な個人の身体の始まりだと僕は思う。歪な躍動のリズムで僕は目を覚ましたい。ツアー公式Webサイト:https://s
20代後半を迎える朝美、かのこ、ゆず、美緒は元高校演劇部であったことを共通点に、友人関係にある。ある日、顧問の先生の訃報と残された草稿が発見される。「わたしはことばそれ自体になりたかった」「欲望は見えなくされているだけだ」と書かれたそれは、完成された物語ではなく、レズビアンであるというカミングアウトを含んだ未完成の言葉の集合体だった。4人は残された言葉を聞き、それぞれの欲望について語りはじめようと
むかしむかしグルシニアの地にひとりの権勢ゆるぎない権力者がいた。ある復活祭の日曜に、貴族たちの反乱によって領主は首を刎ねられる。混乱のさなか衣裳選びに夢中だった領主婦人は、若君ミヘルを置き去りにして都から逃亡する。台所女中のグルシェは戦地に赴く兵士シモンと婚約し、置き去りにされた若君ミヘルを助ける。北の山国に住む兄のもとへむかうグルシェは、追ってくる兵隊の手を逃れ、知恵と力の限りをつくしてミヘルを
『ガリレイの生涯』のなかでブレヒトは、民衆の知性・理性への熱い信頼を謳っています。しかし、理性とは真逆のものにとりつかれた民衆がナチスを支えた時代、ブレヒトはどんな思いでこの戯曲を書きあげていったのか。「真理が自分を守るのに弱すぎる場合は、攻撃に移らねばならない」とブレヒトはガリレオ・ガリレイのい語らせる。このことばがぼくらのグループを震撼させる。グループのひとりひとりに対してさまざまの衝迫力で問
物語は1991年夏。50年前の真珠湾攻撃に参戦した3人の若者たちも、今や75歳。自分たちが攻撃したパールハーバーを見ようと、それぞれが胸に深い傷を抱えながら再びハワイへ旅立った。そして碧い空のハワイで、不時着した九七式三号艦上攻撃機が、ある牧場主によって隠されていたことを知るのだが……。
瓦礫が散乱する部屋。瓦礫に埋もれ、微動だにしない人々。時間が巻き戻るように、肉体を取り戻す。命を小石のように扱う人々。奪い合い。諦め。繰り返す歴史。時間を行き来して物語は進行する。そして、私は私の体を弔う儀式を行う。
1700人以上の応募者から、野田秀樹がオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーらが初見参!演じるは、「赤鬼」。移民、国境、社会の分断…今の社会が抱える問題をいち早く描き、1996年の初演以降、日本、イギリス、タイ、韓国で野田が各国の俳優と共に作り上げてきたマスターピースを野田自身の演出により16年ぶりに日本で上演する!
兄夫婦と弟は同じ家に住んでいる。妻への不信感から兄は弟に「妻と二人きりで一泊してきてほしい」と願い出る。そして、その間に起きたことを逐一報告するようにと。夏目漱石の『行人』のシチュエーションを借りて、変化していく三角関係の行き着く果てを描く。2016年Votage-2016 Kuandu Arts Festival参加作品。
フィクションでありながらノンフィクションめいた説得力を持つ「奇譚集」をヒントに、演劇で実際に目の前で演じることによる真実味と嘘の融合を目指す。言葉の響きとして思いついた「ハンアイ」と、博愛(=すべての人を広く愛する)ととても似た意味ではあるが、意味合いとして偶然に合致した「汎愛=分け隔てのない愛」に、「奇譚集=ちょっとおかしな、嘘じゃないみたいなまるっきり嘘の話」を組み合わせた作品を3作品上演。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
内省的なパフォーマンスに多くの支持者をもつ、佐藤ペチカのソロ新作。水槽を抱えて旧博物館動物園駅の階段を降り、地下空間で水と遊戯し、やがて大きな向日葵のオブジェをまとう佐藤ペチカは、幼虫から蝶へと変態して地上へ向かう。地上と地下、生と死、内と外の関係を変容させていく、静かなスリルに満ちた映像作品。
NODA・MAP番外公演
10秒に一度、何かが起こる……ユーモアと戦慄の75分!!演劇史に燦然と輝く野田秀樹最大の衝撃作!これまで10カ国14都市で上演、各地で称賛され続けてきた本作は、いつの時代でも繰り返される“報復の連鎖”を、観る者の想像力を刺激しながら描き出す。幕が開いたが最後、ひたすら落ちていくだけのジェットコースターにでも乗っているかのような物語。<STORY>家路を急ぐ平凡なサラリーマンの井戸が自宅の前で遭遇し
パパは真面目でつまらない人間だったので、早いうちにママに逃げられました。以来、私たちを男手ひとつで養ってきましたが、私が高校生だったある日に過労で死にました。私たちはパパの死を笑って生きてきました。パパの保険金が尽き、パパがローンで買ったこのウチを売ろうと書斎を整理していたら、パパの日記が発見されました。パパの裏の顔と本当の仕事、ママとの運命の出会い、ある女の影と熱烈な恋愛、巧妙に仕組まれた計画、
1989年1月26日から29日まで、ローザンヌ国際バレエコンクールが青山劇場で開催された。本コンクールは通常、スイス・ローザンヌのボーリュー劇場で開催されるが、初めて本拠地以外で開催された。決勝には15名が進み、うち日本人が6名を占め、熊川哲也をはじめ多くの日本人ダンサーが賞を獲得した本公演はローザンヌ国際バレエコンクールが東京で開催されたことを受け、それを記念して企画されたガラ公演である。過去に
(フライヤーより)「人形劇=子どものためのもの」という概念から「人形劇」を開放し、「オブジェクトシアター」という名のもとで、人形劇の新しい可能性を考えてみることにしました。今回は、伝統的なそして珍しい人形操作方法を継承する八王子車人形「西川古柳座」と、人形とパントマイムを融合させた不思議な劇空間をつくる「銀猫商会」に、共通のテーマ<旅>と共通の舞台空間<完全円形>を与え、オムニバス形式で作品を構成
(フライヤーより抜粋)「おーい、人形劇がはじまるよ~!集まっておいで!」みんなが集まれば、その場で人形劇のはじまり、はじまり…。かわいい人形たちが話しかけてきたり、一緒にお芝居したり、みんなと友達になっちゃう!
明日の学童クラブ主催夏祭りでは、指導員、父母、子どもたちによる演劇「冒険者たち」が上演される、今夜が最後の総稽古。実はこの学童クラブ、市の方針で廃止が検討されているという。是が非でも「冒険者たち」を成功させなければならないのだが…
ジャーナリストの蕗子は、津軽の婆さまから聞いた昔話「鬼の目玉」が心から離れない。目玉をくりぬかれた鬼が、目玉を取り戻そうと迫ってくるというのだ。娘の誕生日に贈った「アンネの日記」から、少女のまま死んだアンネが自分と同じ年の生まれだったことを知る。アンネをアウシュビッツに閉じ込めた鬼が、目玉を取り返ししゃれこうべの世界に戻しはしないか?蕗子はアンネの隠れ家を訪ねる旅に出る。
高層湿原・高山植物の宝庫「巨瀬」にうち寄せる二つの津波。アジアの盟主になろうとナチも真っ青の狂い咲き。そのためにゃ電気だ。巨瀬にダムを!「日本隅々焼け跡だらけです。復興が第一です、まずは電気です。巨瀬から水を取るというのはどうです?」二つの津波の中の巨瀬にぽつんと小さな山小屋があった。「恵蔵小屋」。小屋の住人たちはとても怒っている。巨瀬をなんだと思ってんだ!
多民族国家化が加速する今の時代に「祖国」とは、「家」とは、と問いかけたノーベル賞作家、イェリネクによる戯曲『雲。家。』。高山明は、その短いテキストを通して、現代の日本人にとっての「家」を探った。舞台上には巨大な鉄骨の足場が組まれている。その全面を覆うスクリーンに、池袋のサンシャイン60の姿、巣鴨プリズンの跡地だとは知らずそこへ集まる若者たちへのインタビュー、外国の地で暮らす留学生の母国に関する談話
「きりしとほろ上人伝」は芥川龍之介の童話を武智鉄二の演出により浪曲人形劇にしたもので、狂言の茂山七五三が演じた「レプロボス」という身丈三丈もある無心の大男が世の中で一番偉い人に仕えようとしてたどる人生修行のお話。芥川の文学作品に浪花節の節付けをし、糸あやつり人形に人間をからませた浪曲劇は当時まったく新しいものであり、「新しい叙事詩劇の発生に道をひらいた」と評された。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
演出家の生西康典が、土方巽のテキスト「病める舞姫」と「慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる」を演劇作品化した。2人の演者はほとんど動かずに土方の言葉を発し、それらの言葉が地下空間を震わせていく。静寂、言葉、電車の走行音をはじめとした空間内の音。そのなかで震える身体。その揺らぎが見る者に伝わり、それぞれの異なる経験、あたらしい物語を生み出していく。本作では、その「揺らぎ」を映像作家の掛川康典が映像
理化学研究所の若き物理学者たちとその恩師を中心として、本郷の下宿屋「平和館」に集う風変わりな人々、新劇青年、ピアニスト、東大野球部員、そして謎めいた女―――。日本が戦争へとひた走る激動の時代の片隅で、彼らが織りなす愛と笑いの昭和青春グラフィティー。
若手バレエダンサーを中心とした著名ガラ公演の第8回。第8回目は「プティパ175」と題し、古典バレエで大きな功績を遺した振付家マリウス・プティパの生誕175周年を記念した公演となった。プティパはフランスに生まれ、ロシアで活躍し、古典バレエの基礎と形式を築いた偉大な振付家である。上演された作品はすべてマリウス・プティパ振付であり、『ライモンダ』、『エスメラルダ』、『バヤデルカ』、『騎兵隊の休息』、『ハ
松井周が主宰する劇団サンプルの解散公演。「モツ宇宙(コスモ)」という腸の宇宙を世界の始まりと考えるコスモオルガン協会の信者達による、教祖ピグマリオが生まれて死んで復活するまでの宗教劇。 と同時に、放浪し、虐げられる信者達の生活を描く。 彼らの行き着く先に「救い」はあるのか? 人間は神にもなれず畜生にも堕ちきれない。理性からも野生からも自由になれない中途半端な人間たちが、信仰をもとに生き抜いていくサ
東京観光の代名詞的存在のはとバスを実際に使い、東京オリンピック(1964)時に活躍された伝説的はとバスガイドをゲストに迎え、現役のはとバスガイド、Port Bパフォーマーの「バスガイド」とともに東京を辿った。現在の東京の基礎は東京オリンピック(1964)で作られたという見立てのもと、東京オリンピックのレガシーを巡りながら、当時と現在の東京を「オリンピック=競争」という観点から比較検討し、東京という
(フライヤーより抜粋)シェークスピア悲劇を大胆な無言劇にアレンジした「マクベス」では、自らが仮面を被って王を演じながら夫人の人形を操り、権力欲につかれて破滅していく男のもろさや悲しさを見せます。「ミッシング」は武将が生死の境でまどろみ始めた時、女にいざなわれ天界へ行き不思議な体験をして生き返る物語で、三島由紀夫の小説や溝口健二の映画「雨月物語」にインスピレーションを受けたオリジナル作品です。2作品
文化庁国際芸術交流支援事業 東京国際芸術祭
谷川渥『幻想の地誌学』をベースにした公演であり、1998年に続く2作目となる。「私は誰か?」と問うことは、もう一人の私を追い求める、探索の旅。影のような男の背中を追いかけ、さまざまな世界をさまよう。和栗と堅田(東雲舞踏)以外の出演者は、20代の若手やパントマイムグループSOUKIなど初めて舞踏に挑戦する。和栗の創作の基礎となる舞踏譜を用いながら、土方舞踏の根幹の一つでもある「変容」に取り組んでいる
(フライヤーより)現代の社会に生きる私たちは、様々な技術の発展により、世界中で情報を瞬時に共有することができる豊かさを享受しています。しかし、その一方で、技術を持つ者と持たない者の間に格差が生じ、その格差は、民族や国家、人権や性、富める者と貧しき者の間に、争いをも生み出しています。ダンスも例外ではありません。ここ20~30年間で、世界中がダンスを共有し、その境界はたやすく超えられたかに見えますが、
作品ノート: ああ、夏なのか、冬なのか。そんなどうでもいいこと今はなくて。若くても若くなくても関係なくて。ここにいるのは僕なんです。そうです、かけがえのない僕なんです。少なくとも君ではない。ああ、あの青がまぶしいな。それが嘘だとしてもきっと誰も気に止めないだろう。でもホントにまぶしいから、少なくともそう感じるから僕は叫ぶんです。街の中で、電車の中で。光の中で、君の胸で。心の底から目に見えるように。
北村想が「空」をテーマに書き下した“砂漠と隕石のラブ・ストーリー”小劇場の実力派が集結し三都市連続公演‼
(フライヤーより)ニューヨークを中心に活躍するアキスタジオカンパニーが、この夏、青山円形劇場にやってきます。ピエロ、バレリーナ、ロボット、兵隊、ネコ、そして、トム博士。人形たちと7つの不思議な箱の物語。箱の中には、なにがあるのかな⁉夢と冒険のドレミファンタジー。さあ、みんなもいっしょに、オモチャの国に出かけよう!!!