表示件数
集団と、集団の言葉と、言葉の意味の侵入を基礎とする新しい舞台。大きな集団に生まれる小さな集団たちが、言葉の意味の侵入を自覚的と無自覚的に行ない合いながら膨張し、飽和し、収縮し、最後に残るべきものことの何かが残る。または何も残らない。という群像になる。
日本の劇団羽衣は、東京下北沢の本多劇場で『人体』というタイトルの新作公演を行なっていた。しかしその公演は、次第に謎の存在に乗っ取られていく。謎の存在とは何か?人体を流れる血か!?人体に潜む愛か!?宇宙人か!?はたまた観客か!?今、人体たちの大冒険が始まる!FUKAIPRODUCE羽衣の妙ージカル『プラトニック・ボディ・スクラム』開幕!!表現活動や劇団員の生活の苦しみというディティールと、「ごっこ遊
フィクションでありながらノンフィクションめいた説得力を持つ「奇譚集」をヒントに、演劇で実際に目の前で演じることによる真実味と嘘の融合を目指す。言葉の響きとして思いついた「ハンアイ」と、博愛(=すべての人を広く愛する)ととても似た意味ではあるが、意味合いとして偶然に合致した「汎愛=分け隔てのない愛」に、「奇譚集=ちょっとおかしな、嘘じゃないみたいなまるっきり嘘の話」を組み合わせた作品を3作品上演。
東京成人演劇部vol.1
大人計画主宰、松尾スズキが演劇部を始動。8050問題の親子、ドキュメンタリー作家志望の学生と教授を描く安藤玉恵との2人芝居。第71回読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)受賞80代で認知症気味の母親エイコ(安藤玉恵)と、ニートでアルコール依存症の50代の息子オサム(松尾スズキ)。貧困生活を送っている2人を、ドキュメンタリー作家志望の女子大生アサダ(安藤玉恵・2役)が撮影し密着していた。エイコの年金を当てに
悲劇的な立場に置かれた5人の女優が、自らの不条理な状況を憂い、飾り立て、時に正当化しながら、自身の不幸を声高らかに語りあげます。現実社会で起こるリアルな悲劇と、不幸な自分に酔い不幸を誇張するフェイクの悲劇、また舞台上のフィクションとしての悲劇という3つの異なる時空から「悲劇」の構造を捉えることで、自分とこの世界の関係性を見つめ直します。 今を生きる私たちにとって「悲劇」とは何か、また人々は不条理と
1700人以上の応募者から、野田秀樹がオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーらが初見参!演じるは、「赤鬼」。移民、国境、社会の分断…今の社会が抱える問題をいち早く描き、1996年の初演以降、日本、イギリス、タイ、韓国で野田が各国の俳優と共に作り上げてきたマスターピースを野田自身の演出により16年ぶりに日本で上演する!
ゴーリキーの『どん底』は日本でも100年以上前から数多く上演され、劇団民藝では創立10周年と40周年の節目に上演しましたが、その歴史的傑作が吉永仁郎氏により戦後間もない東京を舞台にした創作劇へと大胆に生まれ変わりました。闇市を頼りに底辺でたくましく生きる人々のユーモア溢れる群像劇。劇団創立70周年記念作品。
理化学研究所の若き物理学者たちとその恩師を中心として、本郷の下宿屋「平和館」に集う風変わりな人々、新劇青年、ピアニスト、東大野球部員、そして謎めいた女―――。日本が戦争へとひた走る激動の時代の片隅で、彼らが織りなす愛と笑いの昭和青春グラフィティー。
ミュージカル『テニスの王子様』4thシーズン
テニスの名門校・青春学園中等部(青学・せいがく)に入学してきた越前リョーマは、アメリカJr.大会4連続優勝の経歴を持つ、テニスの天才少年。青学(せいがく)は地区予選を順調に勝ち進み、決勝戦へとコマを進めるが、決戦の対戦校は意外にも昨年暴力沙汰で大会出場を辞退したノーシード校・不動峰であった…。不動峰の気迫に、苦戦を強いられる青学(せいがく)レギュラー陣。地区予選の優勝をかけた、最後の一戦が始まる。
幾つもの夜を超えて会いに行く。もしも変わり果てた姿であろうと、たどり着いてみせる。難しい考えを羅列すると虚しくなるけど、幾つもの夜を超えて会いに行く。すきま風が吹く度、ふと我に返ってしまうけど、きっとたどり着いてみせる。何をもらってたんだっけ。分からなくなっちゃったけど、幾つもの夜を超えて君に会いに行く。それだけは間違いない。
ものがたり 山の竹やぶにトラが住んでいた。名前はトラノトラゴロウといった。ある朝目をさますと、お誕生日のカードとトラゴロウの大好物の肉まんじゅうのプレゼントが置いてあった。早速食べようとしたトラゴロウに、カラスが行儀が悪いと注意する。仕方なくお皿とローソクを借りて戻ってきたが、肉まんじゅうがなくなっている。トラゴロウはカラスに騙されたと思ってかわりに食べてやろうと出かけていくのだが、今度は仇敵りょ
むかしむかしグルシニアの地にひとりの権勢ゆるぎない権力者がいた。ある復活祭の日曜に、貴族たちの反乱によって領主は首を刎ねられる。混乱のさなか衣裳選びに夢中だった領主婦人は、若君ミヘルを置き去りにして都から逃亡する。台所女中のグルシェは戦地に赴く兵士シモンと婚約し、置き去りにされた若君ミヘルを助ける。北の山国に住む兄のもとへむかうグルシェは、追ってくる兵隊の手を逃れ、知恵と力の限りをつくしてミヘルを
日中戦争たけなわな昭和14年。京都の路地裏に住むウメコは、アホやしょんべんたれやといじめられ十日も家から出てこない。今日もふかしたてのお芋を悪ガキデベソに取り上げられて泣いている。そこの現れたのが現人神(天皇陛下)とも知り合いという自称ウメコ婆さん。一人ぼっちのウメコとしわくちゃウメコは、なぜか一緒にくらしはじめた。
いじめが原因で引きこもり気味の高校生アンはインターネットのブログサイト“千年ユニコーン”とのチャットに夢中になっている。アンの両親は離婚の調停中。孤立した心を癒すのは、「ユニコーン」の言葉だった…。アンの同級生マルオもまたいじめが原因で学校を退学している。アンとマルオは再会し、ある日、マルオからじぶんがユニコーンであることを告げられる。そして、マルオはじぶんが新しいノアとなり、世界を救う(滅ぼす)
※音楽利用の都合上、9:05~18:40は無音にしております。本作は、ろう者と聴者が協働する劇団カオニャオ(ラオス)とデフ・パペットシアター・ひとみ(日本)が、柔軟な発想と構成で新しい空間を生み出す振付家・演出家の白神ももこ(モモンガコンプレックス主宰)を迎え、人形とモノと身体による新しい創造を目指した国際共同制作作品。2018年から交流を深めてきた2劇団に、本年初めて白神氏が加わり、ラオスでの5
-
北村明子が4年に渡って取り組んできた長期国際共同制作の舞台プロジェクト『Echoes of Calling 』。2022年11月には、ウズベキスタン・アイルランドへの海外ツアーを経て2023年3月に最終公演『Echoes of Calling– rainbow after–』に至る。この公演にあわせ、ウズベキスタンの伝統芸能、吟遊詩人「バフシ」であるアフロル・バフシやアイルランドの伝統歌として知ら
「明日のハナコ」は、2021年福井県の高校の演劇大会で、コロナ禍無観客の中で上演されました。その後、なんとも不幸なことになってしまいました。大会のテレビで中継が予定されていたのですが、「ハナコ」だけが放送されず、脚本集は生徒さんが読めないように顧問の先生が預かり、未だ収録されたDVDは作者の手に渡っていません。理由は「個人を特定や、原発という繊細な問題の扱い方、差別用語の使用などについて懸念してい
(フライヤーより抜粋)このたびは、昨年11月1日こどもの城のオープニングに、たった1回やった、”かがやくこどもたち”350人のこどもたちのステージがあまりに素晴らしかったので、もっと多くの方にみていただいた方がいいわと、何人ものお客様にいわれ、アンコール公演をすることになりました。ステージの上を、こどもでいっぱいにうずめる——それは、いつも私が思っていた美しい絵でした。この青山劇場の舞台機構は、そ
パパは真面目でつまらない人間だったので、早いうちにママに逃げられました。以来、私たちを男手ひとつで養ってきましたが、私が高校生だったある日に過労で死にました。私たちはパパの死を笑って生きてきました。パパの保険金が尽き、パパがローンで買ったこのウチを売ろうと書斎を整理していたら、パパの日記が発見されました。パパの裏の顔と本当の仕事、ママとの運命の出会い、ある女の影と熱烈な恋愛、巧妙に仕組まれた計画、
ワイルドのサロメでは、まずサロメはヨカナーンの声に惹かれます。それから容姿(肌や髪や唇)に惹かれます。そしてその唇に触れたい、キスをしたいと思います。サロメの恋の欲情が聴覚→視覚→触覚、とエスカレートしていきます。だけど、今、僕が出来ることは多分、もう触れて、キスしてしまった後のお話です。サロメの最後、サロメはヨカナーンの生首にキスをすると、苦味を感じます。そのビターさから始まる物語を、サロメとは
コロナ禍の2021年3月に創作した本作は、内容/台詞を全てそっくり同じまま配役の性別を入れ替えたダブルキャスト、2つのバージョンで上演。また、振付に数々の受賞歴のある振付家/ダンサーの黒田育世氏を迎えた。ある冬の朝、主人公がやってしまった「おねしょ」から始まる。いささかの後悔と共に布団を干し、食事をしてから煙草を吸い、風呂に入る。そういったささやかな一日のスケッチが、主人公の一人言と共に描かれる。
(フライヤーより抜粋)生命を吹き込まれた人形と役者が、青山円形劇場の完全円形の舞台空間に姉妹の女の情念を鮮烈に描き出します。何が妄想で何が真実なのか?「モノ」は観る者を時間と空間の彼方の迷宮の世界へと誘うことでしょう。
まちなかパフォーマンスシリーズ
「公開生放送」で送る、路面電車の旅カフェ店内での通信販売演劇『ふくちゃんねる』、劇場ロビーでのビンゴ形式の演劇公演『アドベンチャーBINGO‼』など、ユニークかつユーモアあふれる企画で観客を巻き込む俳優・福田毅。その新作は、東京さくらトラム(都電荒川線)の車内から生放送する「ラジオ番組」です。早稲田から三ノ輪橋までの約60分、パーソナリティに扮した福田が乗客とコミュニケートしつつ、ウィットに富むプ
(フライヤーより)ひとは自分だけでは何もできないから、地球の他の友だちに教えてもらって生きてきた。だからこんどは僕たちが、その友だちを守る番なんだ。
(フライヤーより)猛スピードで時代を駆け続けるダンスから見れば、時代は星虹(スターボー)なのだろうか?はじきだされた饒舌はやがて暗黒の磁場へと旋回し重力を失う。時代がダンスを要求しているのではなくて、ダンスが時代に別れを告げるとき、壮絶なダンスのパレードも旋回し始める。1966年早春のダンスコレクション 饒舌と静謐 旋回と浮遊 記憶と忘我 光と演奏 いま東京ダンスコレクション されど東京ダンスコレ
村山知義生誕100周年記念
1部払暁 1940年7月27日日本領事館に通過ビザを求めてユダヤ人たちが殺到。日本領事杉原千畝とその妻幸子は?2部ホームワーク 1992年セルビア人武装勢力とボスニア共和国軍が戦闘。セルビア人の村にムスリム人家族が肉親を頼って逃げてくる。
兄夫婦と弟は同じ家に住んでいる。妻への不信感から兄は弟に「妻と二人きりで一泊してきてほしい」と願い出る。そして、その間に起きたことを逐一報告するようにと。夏目漱石の『行人』のシチュエーションを借りて、変化していく三角関係の行き着く果てを描く。2016年Votage-2016 Kuandu Arts Festival参加作品。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
『桜の森の満開の下』で演劇が、詩であることに私は挑戦した。作家坂口安吾は散文でこの小説を書いた。安吾が散文をつきつめることから生まれた一点の凝縮力がリズムになり、新しい形式の芝居をつくり出せたと思う。「山賊の言葉でなければ言えないことがあるぜ」山賊の言葉は詩だといえる。マイノリティであるから真実がつかめる。“沈黙”がその言葉かもしれない。散文が演劇によって詩の世界を抽象することを、ベケットの作品を
ワーニャは田舎の領地で母と姪のソーニャと暮らしている。妹の夫の大学教授が後妻を連れてやってくる。彼を信じ献身的に支えた教授は実は無能で俗物だった。美しい後妻エレーナに心を奪われて仕事も手につかないワーニャと医師のアーストロフ。しかしエレーナの心はアーストロフに。そんな折、農園を売ってフィンランドで余生を送ると宣告する教授。怒り心頭のワーニャはピストル騒ぎを起こす。自分の人生は何のためにあったのか・
-
若手バレエダンサーを中心とした著名ガラ公演の第4回目。4回目の開催となり、本バレエフェスティバルは東京の夏の風物詩としてバレエ関係者の間で定着した。1989年1月末に第17回ローザンヌ国際バレエコンクールが青山劇場で開催されたことを受け、第4回青山バレエフェスティバルでは同コンクール上位入賞者6名が「1989年ローザンヌ国際バレエコンクール開催記念特別プログラム」を踊った。1989年のローザンヌ国
北九州芸術劇場クリエイション・シリーズ
劇場とアーティストが2年間タッグを組み、地域の人々や表現者との交流など時間をかけて『地域』を知る1年目を経て、2年目に劇場オリジナル作品を創作するシリーズ第2弾。近未来の研修施設を舞台に繰り広げる、ある疑似家族の物語。「家族」という関係は何を隠し、何をさらしてしまうのか?疑似家族だからこその「家族」への願いを描く。
第1回東京[無形文化]祭
人の心を揺るがす「語り」の伝統は民衆の中に受け継がれています。仏教の流布にルーツを持ち浄瑠璃的な要素が加味された「説経節」、明治初期に大阪で流行り歌謡曲にも大きな影響を与えた「浪花節」、そして人形を使わない「語り」だけで義太夫の真髄に迫り、大正昭和にかけて一世を風靡した「女流義太夫節」を披露いたします。説経節「葛の葉(くずのは)」三代目若松若太夫(浄瑠璃)浪花節「紺屋高尾(こうやたかお)」国本武春
東京2020 オリンピック・パラリンピック能楽祭 ~喜びを明日へ~ 第一日
聟になる息子が父親と二人で舅のもとへ挨拶に行くが、袴が一着しかないため二人でなんとか胡麻化して舅に袴姿を見せようと苦労する。しかしついに見つけられて恥をかく。
エディンバラ国際芸術祭参加 劇団 夢の遊眠社
1982年8月、当時26歳の野田が脱兎の勢いで執筆。同10月、駒場小劇場で初演。第27回岸田戯曲賞受賞作。以降1984年4月に本多劇場で再演、1987年8月にはエディンバラ国際芸術祭より正式招待され、野田にとって初めての海外公演となった。<あらすじ>1969年、アポロ11号の月面着陸を題材として、少年の夢を大胆に変容させ、奇想にあふれた物語。第27回岸田戯曲賞を受賞。連敗続きの元ボクサー「アポロ獣
ルサンチカが、これまで不特定多数に「仕事」についてインタビューし制作した舞台作品のリクリエイション。斉藤綾子を出演に招き、彼女の持つ肉体を頼りに「存在」と向き合っていく。ダンサーである彼女は踊ることが働くことと繋がっている。どこからが公のための踊りで、どこからが自分のための踊りなのか。そもそもそのような境界は存在しているのか。ダンサーの彼女と対話を用いて彼女と彼女自身と向き合っていく。
(フライヤーより)キミならどのあかずきんにする?
作曲家・いずみたくが創った劇団、イッツフォーリーズが夏の上野で贈るステージの第5弾は、いずみたく楽曲だけでお届けする「いずみたくナイト」。今年は、やなせたかし作詞×いずみたく作曲による選りすぐりのナンバーをたっぷりとお届け。やなせたかし楽曲にまつわる朗読や、スライドミュージカルなど「手のひらを太陽に」「アンパンマン」だけじゃない、やなせたかしといずみたくの世界を心ゆくまで楽しめる作品。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
台湾のアーティスト、リヴァー・リンによる、戦後日本に生まれた先駆的芸術運動「具体(具体美術協会)」について、特に田中敦子、白髪一雄、村上三郎、嶋本昭三らの作品を参照したオンラインパフォーマンス。また、C-Lab (Contemporary Culture Lab Taiwan)との共同制作作品として2020年に台北で上演されたパフォーマンス作品『具体美術宣言と踊る』のドキュメンテーション、TRUア
山本宣治-1907年カナダ留学。1911年帰国後、三高、帝大を経て、1920年京大・同志社大の講師となる。産児制限運動から労働運動に参加。1928年初の普通選挙で労農党より当選する。反動の嵐の中、治安維持法に反対し、神田の旅館で暗殺される。「山宣ひとり孤塁を守る。だが私は淋しくない。背後には大衆が支持しているから」。
(フライヤーより)一年のしめくくりにはこの笑顔。そう、ショートショートのお芝居とファンタスティックな音楽でつづる不思議の国のレストラン「ア・ラ・カルト」。選りすぐりのメニューを胸いっぱいに食べながら、今年もいろいろあったよなとか、来年も(は?)いいことありますようにとか、そんなことを少しシミジミ思っちゃいましょうか?
-
伝統舞踊である日本舞踊でもコンテンポラリー・ダンスの要素を取り入れる試みなどは行われてきたが、表層的な混合に終わることが多かった。例外的に二代目花柳壽應は、正統の日本舞踊を修めながら、モーリス・ベジャールの『ザ・カブキ』のアドバイザーを務めるなど、コンテンポラリー・ダンスにも造詣が深く数々の成果をあげてきた。今回の「ボレロ」の振付は、壽應の弟子として古典舞踊と創作舞踊の両面で薫陶を受けてきた花柳源
北村想が「空」をテーマに書き下した“砂漠と隕石のラブ・ストーリー”小劇場の実力派が集結し三都市連続公演‼
恋人と新居に引っ越してきた篤。友人夫婦が遊びにやってきた夜、篤の元恋人の死体が発見された。東京タンバリンの新シリーズ「笑えるサスペンス」第2弾。フットワーク・スタッフワーク・上演時間などすべて軽く、国際公演も視野に入れたシリーズ。
全世界の登録数は700万人超の紹介制ネットカジノ「K2」を匿名で運営する美菜。「K2」内で最も人気を誇るオンライン型育成カジノゲーム『earth』は、ユーザー間で「アス」「けつあな」と呼ばれ親しまれ、『流せ、すべてのセンス。』というキャッチコピーには宗教家である美菜の思想が反映されており、ゲーム内にユーザー独自の地球を作り、歴史も価値観も生き方もすべて自由に変えられる星育成システムで話題を呼んだ。
ナイロン100℃ SIDE SESSION SPECIAL
ドイツの放送作家、ギュンター・アイヒによって1950年代に書かれたオムニバス放送劇『夢』。その中から舞台用にアレンジ可能と見なした3編を選び、オリジナルで書き下ろした3編を加えて上演。何十年も止まらない列車に閉じ込められて暮らしている家族の話『列車』、ある三流小説家が死の世界を経験する『死』など、6話6様の悪夢が繰り広げられる。「ナイロン100℃」史上初めての、笑いが一切ない作品。
とある港町、偽装葬儀によって、徴兵逃れをしている若者たちが増えていました。神父はそれを知って、ボヘミヤの王子に耳打ちします。王子はおもしろがって、その若者たちをあつめて海賊をつくろうと考えます……戦争の足音が近づいていたある日、妙な海賊団が結成されました。どこの国にも属さない、誰の持ち物でもない、独立自営の海賊たち。自由と平等を愛し、人殺しをしない、海賊らしくない海賊が、若さって何だ! 自由って何
1989年1月26日から29日まで、ローザンヌ国際バレエコンクールが青山劇場で開催された。本コンクールは通常、スイス・ローザンヌのボーリュー劇場で開催されるが、初めて本拠地以外で開催された。決勝には15名が進み、うち日本人が6名を占め、熊川哲也をはじめ多くの日本人ダンサーが賞を獲得した本公演はローザンヌ国際バレエコンクールが東京で開催されたことを受け、それを記念して企画されたガラ公演である。過去に
小さな山の分教場に、外国人のような子が転校してくる。その子がいる所では風がどうと吹いて教室のガラス戸はガタガタ鳴り、山や萱や栗の木はみんな揺れました。みんなこの転校生高田三郎を、恐れと憧れをこめて、風の神「風の又三郎」だと思いこみます。山の子ども達は三郎と一緒に野山を駆け、馬を追い、滝壺に飛び込みま。いつも風が、どっどど どどう と吹きこどもたちの昂揚した心を、日常から心象の世界へと導くのです。三
維新後、官から支給された農地に入植した三代つづく開拓農家安倍林檎園。三代目園主正義は、林檎園経営に厭いて鉱山に手を出し、借金を重ねる。主人のいない林檎園を守るのは、正義の弟で作家志望の信胤、正義の娘道子と正義の母の寿々。常雇いの今朝吉に助けられながら何とか踏ん張ってきたが、とうとうこの土地を手放すことに・・・。「いや、おれたちは、ここを出てゆくほうがいいんだよ。ここにいるかぎり、頭にちょんまげをの
1966年横須賀どぶ板通りにあるスナック・マイアミ。ママのみきには肌の黒いアンジェラという子どもがいる。アンジェラは白粉を塗りたくった顔で聞く「ママ、どうしてあたしは黒いの?」。1981年のスナック・マイアミ。ダンサーになると出て行ったアンジェラ(19歳)が帰ってきた。子どもができたら10万円くれをいう。戦争のにおいが消えない横須賀どぶ板通りの人間模様が、”いま”を語りかける。
(フライヤーより抜粋)「おーい、人形劇がはじまるよ~!集まっておいで!」みんなが集まれば、その場で人形劇のはじまり、はじまり…。かわいい人形たちが話しかけてきたり、一緒にお芝居したり、みんなと友達になっちゃう!
陰陽の哲学を身体で表現したダンス作品。堕ちていくようで、浮いている。脱けていくようで、迎えている。消えていくようで、生まれている。世界の陰と光の謳歌。阿吽山水の宇宙。
TOUCH - ふれる -
Co.Ruri Mitoは2021年より「TOUCH - ふれる -」というプロジェクトを3年間発展させてきた。「TOUCH - ふれる - #2」は最終成果となる公演だ。キーワードは「グラデーション」。7名のダンサーが固有の身体を軸にユニゾンを踊る。音楽は内田輝。自作楽器を調律し時間を立ち上げる。衣装はYANTOR。手紡ぎ手織りの素材で、作品の世界観を支える。始まりも終わりもない作品。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
人気コンテンポラリー・ダンサーの伊藤キムが繰り広げる秘密のパーティ、あるいは一夜の夢のようなパフォーマンス。伊藤ならではのユーモア、けれん味、アングラのイメージがエネルギッシュに炸裂する、見所たっぷりの49分の映像作品。伊藤キムとサックスの梅津和時の共演に加え、11名のダンサーたちが「東京令和アングラダンサーズ」として荒唐無稽に狂喜乱舞。
「きりしとほろ上人伝」は芥川龍之介の童話を武智鉄二の演出により浪曲人形劇にしたもので、狂言の茂山七五三が演じた「レプロボス」という身丈三丈もある無心の大男が世の中で一番偉い人に仕えようとしてたどる人生修行のお話。芥川の文学作品に浪花節の節付けをし、糸あやつり人形に人間をからませた浪曲劇は当時まったく新しいものであり、「新しい叙事詩劇の発生に道をひらいた」と評された。
東京、アビニヨンで上演の伊藤キムと吉岡由美子のコラボ"綺女と珍獣プロジェクト"第2弾。コンセプトはパラレルソロ。同時進行していた二つのソロ(吉岡の"しおきばにて" と伊藤の"コレクター")がいつの間にかデュエットになっていく。両ソロともアウトサイダーたちをテーマに紡ぎ出された境界線上の踊り。Berlin Tagesspiegel 紙は、楽園で追いかけっこをして戯れている者たちの悦楽と追放された者た