表示件数
深沢七郎の名作「楢山節考」を北林が新しい視点から自在に劇化。三谷昇、加藤土代子が客演。
『ガリレイの生涯』のなかでブレヒトは、民衆の知性・理性への熱い信頼を謳っています。しかし、理性とは真逆のものにとりつかれた民衆がナチスを支えた時代、ブレヒトはどんな思いでこの戯曲を書きあげていったのか。「真理が自分を守るのに弱すぎる場合は、攻撃に移らねばならない」とブレヒトはガリレオ・ガリレイのい語らせる。このことばがぼくらのグループを震撼させる。グループのひとりひとりに対してさまざまの衝迫力で問
『魔笛』ではなく本来の『魔法の笛』というタイトルにふさわしい歌芝居として上演したいと計画した、こんにゃく座のモーツァルトオペラ第二弾。黒テントの新井純が客演。モーツァルトにこの作品を書かせたシカネーダーを登場させ、シカネーダー劇団が『魔法の笛』を上演する、という設定。タミーノ役はソプラノ、夜の女王とパミーナをひとり二役で上演した。
児童文学作家三田村信行の本を題材に加藤直台本・演出、萩京子作曲でオペラ化。初演。自由を求めて動物園を飛び出したオオカミの「灰色」と「かたみみ」。たどり着いた海を目の前にして、灰色は犬として人に飼われ食べ物に困らない生活を選ぶ。いっぽうかたみみは、灰色の選択を尊重するも、自分ははるかな海を泳ぎ出す。
イギリスの田舎町ウインザーを舞台に繰り広げられる喜劇。酒と女には目がない活力にあふれた憎めない男、フォルスタフが二人の人妻に散々な目にあわされるエピソードを軸に、旧い秩序意識から解放されて人間中心の時代へと目覚めていく市民たちの姿を、楽しい笑いの中にいきいきと描いた作品です。
ねずみのちゅうたはなまけもの。いつも寝てばかりいる。おなかがすいて買ってきたチーズをどこかに落としてしまった。どうやら猫が取ったらしい。ねこにどんな仕返しをしてやろうかと考る。床屋になってねこの大事なひげをちょん切ってやろうか、それとも海賊になってねこを海にジャボンとつけてやろうか、それともサーカスでねこに綱渡りをさせてやろうか…。ところが、そのねこがチーズをひろって返しに来てくれました。実はこの
モーツァルトの「フィガロの結婚」こんにゃく座版新演出。三度目となる挑戦で目指したのは、”ふたつのフィガロを作る”こと。名付けて“赤いフィガロ”と“黒いフィガロ”。2つのスタイル、2つのモチーフで2ヴァージョンのフィガロを作ってしまおうという企画。赤いフィガロは“西洋”、コメディア・デラルテの手法で祝祭的にカラフルな世界を描き、黒いフィガロは“東洋”、スタイリッシュに中世日本のバサラ(婆娑羅)をモチ
800年もの昔、空を真黒に染めてシベリアからやってきたつぐみの群れが、日本の津々浦々を飛翔した。その一羽がお寺の池のほとりに落とした椎の木の種は、やがて巨大な椎の木に成長し、今年も繰り返される命の死闘を見つめている。トノサマ蛙のブンナは、新しい世界を求めて椎の木のてっぺんに登る。しかしそこは壮絶な“生きるための戦い”を繰り広げる修羅場で会った。蛙の天敵の彼らもまた、弱肉強食の自然界で懸命に生きてい
スウェーデンでは毎年クリスマスにTV放映されるという人気作品。子どもたちが初めて遭遇する「人間の死」を扱いながら、センチメンタルにならずにドライに描かれています。いるはずのない孫が現れることによって、おじいさんは最後の炎を燃やします。祖父母と同居することが少なくなってきた現代の子どもたちも、ウルフとともにおじいさんとのかけがえのない時間が大切であることを体験することができます。[あらすじ]ある日ベ
「わたしは城の桜姫、世界で一番美しい。雪と競うても花と競うても負けはせぬ。」そんな姫が京の都から訪れた三条の宮のもとに嫁ぐことになった。思い立ったら矢も盾も、人の言葉に耳貸さず、冬のさなかのお興し入れ、鬼住むという鬼きり峠、雪降りしきる峠道……「雪崩だぁーっ」共の者たちの悲鳴の中、姫は雪にのまれて……夢うつつに男の背で聞く言葉「人と思えば人となり、鬼と思えば鬼となる。すべてはお前の心次第だな」気が
チェコの作家、フランツ・カフカの「変身」のオペラ化。後に、『変身』と改題した。国内では高等学校公演や公文協公演に加え、1999年東京文化会館リニューアル記念公演として上演し、2009年には、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、チェコでの海外公演もおこなった。
こんにゃく座シェイクスピアオペラ、林光・萩京子共同作曲第二弾。加藤直の大胆な台本により、ストレスから不眠症に悩むサラリーマンが医師のアドバイスを受け妻とともに精神療法として「ハムレット劇」を演じる、という筋書き。1991年の再演のほか、全国の高等学校や公文協主催などで旅公演もおこなった。
ものがたり 山の竹やぶにトラが住んでいた。名前はトラノトラゴロウといった。ある朝目をさますと、お誕生日のカードとトラゴロウの大好物の肉まんじゅうのプレゼントが置いてあった。早速食べようとしたトラゴロウに、カラスが行儀が悪いと注意する。仕方なくお皿とローソクを借りて戻ってきたが、肉まんじゅうがなくなっている。トラゴロウはカラスに騙されたと思ってかわりに食べてやろうと出かけていくのだが、今度は仇敵りょ
とある港町、偽装葬儀によって、徴兵逃れをしている若者たちが増えていました。神父はそれを知って、ボヘミヤの王子に耳打ちします。王子はおもしろがって、その若者たちをあつめて海賊をつくろうと考えます……戦争の足音が近づいていたある日、妙な海賊団が結成されました。どこの国にも属さない、誰の持ち物でもない、独立自営の海賊たち。自由と平等を愛し、人殺しをしない、海賊らしくない海賊が、若さって何だ! 自由って何
1992年の初演以来、毎年公演を重ねているこんにゃく座の代表作のひとつ。初演。おとなからこどもまで楽しめるオペラとして、世代を超えて親しまれている。わがままな女王の気まぐれからはじまった かごいっぱいの金貨につられたマツユキ草探しむりやり冬の森へ行かされた〈むすめ〉が出会ったのは 〈時間〉をつかさどる自然のまもり手一月から十二月まで 十二人の〈月の精〉たちだった 「もえろ もえろ あざやかに」月た
モーツァルトの「フィガロの結婚」を加藤直の訳で、黒テントの斎藤晴彦などが客演し上演した、こんにゃく座版初演。こんにゃく座ではこの後、1987年、2003年、2006年と加藤直の演出で再演し、全国でも公演をおこなった。
1986年に初演したオペラ『セロ弾きのゴーシュ』新演出版。宮澤賢治の書いたことばをほぼそのまま台本として作曲し、初演以来、全国の小学校、中学校、高等学校、公文協などで旅公演を重ねてきた、こんにゃく座、作曲家林光の代表作のひとつ。
チェーホフ原作「三人姉妹」のオペラ化。器楽編成は、ヴァイオリン、アコーディオン、ピアノという珍しい編成。
愛すべき女たちよ、消えてくれ。■ものがたり単身赴任先から半年ぶりに家に帰って来た男は、妻の浮気現場に遭遇、キレて半殺しにしてしまう。そこに現れた息子の担任教師、姉から虐待を受けていた義弟、サディスティックな謎のセールスマン。男たちは女への恨みを晴らす道具として半死の女を虐待する。プラトニックな恋愛に励む高校生の息子も、恋人が組織売春の一員だったと知り、女を恨んでいた。その時、日本を突然の大地震が襲
夏目漱石原作「吾輩は猫である」のオペラ化。1998年に初演し、その再演。
井上ひさし原作「イヌの仇討」のオペラ化。
ジョバンニは、北の海へ漁に行って帰らない父を待ち、病気の母の世話をしている孤独な少年。学校ではいつも皆にからかわれ、たった一人カムパネルラだけがジョバンニの友達だった。美しく飾られたケンタウルスの星祭りの夜。ジョバンニは町のざわめきから離れて、一人丘の上に寝転がる。突然、汽車の轟音が聞こえたかと思うと、いつの間にかジョバンニは天の川を走る軽便鉄道に乗っていた。ふとみるとカムパネルラも乗っている。二
樋口一葉の小説「にごりえ」のヒロインお力を軸に、「大つごもり」、「十三夜」、「われから」という樋口一葉の4作品に登場する女たちの悲しみを描く。
モーツァルトの「フィガロの結婚」こんにゃく座版新演出。三度目となる挑戦で目指したのは、”ふたつのフィガロを作る”こと。名付けて“赤いフィガロ”と“黒いフィガロ”。2つのスタイル、2つのモチーフで2ヴァージョンのフィガロを作ってしまおうという企画。赤いフィガロは“西洋”、コメディア・デラルテの手法で祝祭的にカラフルな世界を描き、黒いフィガロは“東洋”、スタイリッシュに中世日本のバサラ(婆娑羅)をモチ
子供たちと戦場で商売するたくましい肝っ玉おっ母は、ついに戦争の本質がわからずに子供たちを失う大きな代償を支払う。20世紀最大の劇作家ブレヒトが世界の母親に訴える傑作。1966年上演の絶賛にこたえ、より素晴らしい舞台をお贈りいたします。
オペラシアターこんにゃく座創立25周年記念公演。大森博、大月秀幸をゲストに迎えた、林光と萩京子、ふたりの作曲家の共同作曲によるシェイクスピア・オペラ第三弾。
こんにゃく座初のシェイクスピア・オペラ。初演。座付作曲家である林光と萩京子が、往復書簡のようにして作曲した共同作曲オペラ第一弾でもある。
1989年に初演した、ウィリアム・シェイクスピア原作、こんにゃく座座付作曲家である林光+萩京子共同作曲による、オペラ『十二夜』の改訂版。
賢治の作品の中に見られる光と闇。目もくらむ光の乱反射は同様に様々な自然の現象をいろいろな角度から見る自由を保障している。自在さは一種のシュールレアルな要素をも含み、物事を自由な方面から見る視点を持つことによって見る者の立場或いは乱反射するさまを世界観にしていく。賢治と自由に交感し遊ぶ。これが”大運動会”の選手宣誓であろう。
1996年に初演したオペラ『森は生きている』、こんにゃく座初のオーケストラ版公演。こんにゃく座創立30周年&林光70歳記念公演。A組、B組のダブルキャストで全7回公演をおこなった。
ミゲル・デ・セルバンテス原作「ドン・キホーテ」のオペラ化。
シェン・テは、善人探しにやってきた神様たちに宿を提供し、そのお礼に貰ったお金でタバコ屋を開きます。心のやさしいシェン・テは、住む所もない貧しい人たちが物ごいにやってくるのを拒めず、金品を恵んだことでたちまち素寒貧。シェン・テはシュイ・タといういとこに姿を変え、冷酷に皆を拒絶して店を守ろうとします。恋人の夢をかなえるため、おなかにいるこどもを守るため…。神様たちは無責任に「善人であれ!」とだけ言い置
むかしむかしグルシニアの地にひとりの権勢ゆるぎない権力者がいた。ある復活祭の日曜に、貴族たちの反乱によって領主は首を刎ねられる。混乱のさなか衣裳選びに夢中だった領主婦人は、若君ミヘルを置き去りにして都から逃亡する。台所女中のグルシェは戦地に赴く兵士シモンと婚約し、置き去りにされた若君ミヘルを助ける。北の山国に住む兄のもとへむかうグルシェは、追ってくる兵隊の手を逃れ、知恵と力の限りをつくしてミヘルを
スコットランドの王位簒奪を目論むマクベスは、マクベス夫人と共にあらゆる裏切りや陰謀を企て国王ダンカンを暗殺し、王位に就くも、その猜疑心と暴政により自らの身の破滅を招くのだった。結城座では1982年の初演以来幾度も再演され、代表的なレパートリーの一つとなった作品。1986年のベオグラード国際演劇祭では特別賞を受賞 するなど、「結城座のみが演じ得るマクベス」として、海外でも高い評価を受けた。
2002年、ひとりの母親(オンナ)が仁義なき戦いで咲き乱れる!■ものがたり貧しくもしたたかに生きる母と高校生の娘、父親代わりと母子家庭に居候している性的に不能で無職の男。キリスト教信者の母は娘を神の子と呼び愛情を注ぐが、母に反発する娘はチンピラと家を出てしまう。一人残された彼女を支えようとするやくざ男と勤務先の店長。しかし彼女への思いの強さが周囲に悪影響を及ぼし始め、人々を狂信的な行動へと走らせる
小さな山の分教場に、外国人のような子が転校してくる。その子がいる所では風がどうと吹いて教室のガラス戸はガタガタ鳴り、山や萱や栗の木はみんな揺れました。みんなこの転校生高田三郎を、恐れと憧れをこめて、風の神「風の又三郎」だと思いこみます。山の子ども達は三郎と一緒に野山を駆け、馬を追い、滝壺に飛び込みま。いつも風が、どっどど どどう と吹きこどもたちの昂揚した心を、日常から心象の世界へと導くのです。三
自身の体験から老親介護の実態を描き大反響を呼んだ佐江衆一の長編小説「黄落」を劇化し、高齢化社会の問題に正面からとりくむ上演。北林谷栄が脚色・主演し、本作の脚色によって紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞した。
戦乱の最中 領主夫人に置き去りにされた世継ぎの赤ん坊を道連れに女中のグルシェは北の山国に逃げ延びる だが戦乱は収まり彼女は法廷に立たされた世に名高い白墨の輪の裁判の成りゆきは……それまで主に民話を元にしたオペラを上演してきていたこんにゃく座が、初めてブレヒトに挑戦したエポック的作品。再演。
ぼくの叔父メダルド子爵はトルコ戦争で敵の砲弾を受けまっぷたつに吹っ飛んだ。戦いがすんで、故郷に還ってきたのは左右別々の二つの半身だった。「善」と「悪」に分かれた子爵がぼくの村にもたらす奇妙で恐ろしくもおかしな出来事。